世界2023年3月号


ひろゆきというイデオローグ(1)からつづく

■「ひろゆき論」


社会学者の伊藤昌亮氏(成蹊大学教授)は、『世界』(岩波書店)の今月号(2023年3月号)に掲載された「ひろゆき論」で、ひろゆき(西村博之)の著書『ひろゆき流 ずるい問題解決技術』(プレゼント社)から、次のような文章を取り上げていました。

 昨今の若者は「いい大学を出たり、いい企業に入ったりして、働くのが当たり前」だという「成功パターン」から外れると、「もう社会の落伍者になってしまうから死ぬしかない」などと思い込みがちだが、しかしこうした「ダメな人」は「太古からずっといた」のだから、気に病む必要はない。むしろ「ダメをダメとして直視した」うえで、「チャンスをつかむ人」になるべきだと言う(略)。


そして、ひろゆきは、「ダメな人」でも「プログラマー」や「クリエイター」になれば、(会社員にならなくても)一人で稼ぐことができると言うのです。しかし、それは今から17年前の2006年に、梅田望夫氏が『ウェブ進化論 本当の大変化はこれから始まる』で言っていたこととまったく同じです。何だか一周遅れのトップランナーのように思えなくもありません。

昨年の10月に急逝した津原泰水も、『ヒッキーヒッキーシェイク』(ハヤカワ文庫)で、ITスキルを武器にしたヒッキー=ひきこもりたちの”反乱”を描いていますが、現実はそんな甘いものではありません(『ヒッキーヒッキーシェイク』のオチもそう仄めかされています)。

ネットの時代と言っても、私たちはあくまで課金されるユーザーにすぎないのです。言われるほど簡単に”あっち側”で稼ぐことができるわけではありません。ネットにおいては、金を掘る人間より金を掘る道具を売る人間の方が儲かるという箴言は否定すべくもない真理で、ひろゆきや梅田望夫氏のようなもの言いは、とっくにメッキが剥げていると言っていいでしょう。

フリーと言っても、昔の土木作業員の”一人親方”と同じで、大半は非正規雇用の臨時社員や契約社員で糊口を凌ぐしかないのです。ユーチューバーで一獲千金というのも、単なる幻想でしかありません。

もとより、ひろゆきの「チャンスを掴む」という言い方に、前述した「ずるい」「抜け道」「ラクしてうまくいく」というキーワードを当てはめれば、当然のように「楽してお金を稼ぐ」という考えに行き着かざるを得ません。極論かも知れませんが、それは、闇バイトで応募する昨今の振り込め詐欺や強盗事件の“軽さ”にも通じる考えです。そういった考えは、ひろゆきだけでなく、ホリエモン(堀江貴文)などにも共通しており、彼らの言説は、新手の“貧困ビジネス”の側面もあるような気がしてなりません。

■「戦後日本型循環モデル」


とは言え、「ダメな」彼らに、日本社会が陥った今の深刻な状況が映し出されていることもまた、事実です。

私は、『サイゾー』(2023年2・3月合併号)の「マル激トーク・オン・デマンド」にゲストで出ていた教育社会学者の本田由紀氏(東京大学大学院教授)の、次のような発言を思い出さざるを得ませんでした。

ちなみに、『サイゾー』の記事は、ネットニュース『ビデオニュース・ドットコム』の中の「マル激トーク・オン・デマンド」を加筆・再構成し改題して掲載したものです。

ビデオニュース・ドットコム
マル激トーク・オン・デマンド(第1136回)
まずは今の日本がどんな国になっているかを知るところから始めよう

本田氏は、1960年代から70年、80年代の高度経済成長期と安定成長期には、「教育」「仕事」「家族」の3つの領域の間に、「戦後日本型循環モデル」が成り立っていたと言います。

本田 (略)「教育」終えたら、高度経済成長期には新卒一括採用という世界に例がないような仕組みで順々に仕事に就くことができていました。「仕事」に就けば長期安定雇用と年功賃金が得られて、「日本型雇用慣行」などと言われていましたが、70、80、90年代はそれなりに経済が成長していたので解雇する必要もなく、企業は順々に賃金を上げることができていた。それに基づいて結婚して子どもを作ることができました。父親は上がっていく賃金を家族の主な支え手である女性たちに持って帰る。「家族」を支える女性たちはそれを消費行動に使い、家庭生活を豊かに便利にするとともに、次世代である子どもに教育の費用と意欲を強力に後ろから注ぎ込む存在でした。こういった関係性がぐるぐると成り立っていたということです。
(『サイゾー』2023年2・3月合併号・「国際比較から見る日本の“やばい”現状とその解」)


それは家族が崩壊する過程でもあったのですが、バブル崩壊でその「戦後日本型循環モデル」さえも成り立たなくなったのだと言います。

本田 (略)「仕事」は父が頑張る。「教育」は子が頑張る。「家庭」は母が頑張るといったように、それぞれの住んでいる世界が違うのです。たまに家に帰っても親密な関係性や会話が成り立ちづらいという状態が、機能としての家族の裏側にありました。
 一見すごく効率的で良いモデルのように見えるかもしれませんが、こういう一方向の循環が自己運動を始めてしまった。例えば「教育」においてはいかにも良い高校や大学、企業に入るかが自己目的化してしまい、学ぶ意味は置き去りに。「仕事」の世界でも、夫は自分が働き続けなければ妻も子どもも飢えるいう状態に置かれ、働く意味などを問うている暇はなくなりました。「家族」は先ほど見たように、父・母・子どもがそれぞれバラバラで、循環構造のひとつの歯車として埋め込まれてしまいました。
 つまり学ぶ意味も、働く意味も、人を愛する意味もすべてが失われたまま循環構造が回っていたのが、60,70,80年代の日本社会の形だったということです。変だなと思いながら、皆これ以上の生き方をイメージできず、この中でどう成功するかに駆り立てられていたというのが、バブル崩壊前の日本の形でした。しかしバブル崩壊によってこの問題含みのモデルさえ成り立たなくなり、今日に至っています。
(同上)


この本田氏の発言は、上記の「『いい大学を出たり、いい企業に入ったりして、働くのが当たり前』だという『成功パターン』から外れると、『もう社会の落伍者になってしまうから死ぬしかない』などと思い込みがちだ」というひろゆきの話とつながっているような気がしてなりません。

「学ぶ意味」も「働く意味」も「人を愛する意味」も持たないまま、「成功パターン」からも外れた人間たちが、「金が全て」という”唯物功利の惨毒”(©竹中労)の身も蓋もない価値観にすがったとしても不思議ではないでしょう。それも、楽して生きたい、楽してお金を稼ぎたいという安直に逃げたものにすぎません。

だからと言って、振り込め詐欺や強盗に走る人間はごく一部で、多くの人間は、親に寄生したり、ブラック企業の非正規の仕事に甘んじながら、負の感情をネットで吐き散らして憂さを晴らすだけです。彼らのITスキルはその程度のものなのです。誰でも、「プログラマー」や「クリエイター」になれるわけではないのです。

■非情な社会


『世界』の同じ号では、岸田政権が打ち出した「異次元の少子化対策」に関連して、「保育の貧困」という特集が組まれていましたが、保育だけでなく、、、、、もっと深刻な貧困の問題があるはずですが、左派リベラルや野党の優先順位でも上にあがって来ることはありません。何故なら、全ては「中間層を底上げする」選挙向けのアピールにすぎないからです。

総務省統計局の「2022年労働力調査」によれば、2021年の非正規雇用者数は2千101万人です。その中で、自分の都合や家計の補助や学費等のためにパートやアルバイトをしている人を除いた、「非正規雇用の仕事しかなかった」という人は210万人です。

また、内閣府の「生活状況に関する調査」によれば、2018年(平成30年)現在、満40歳~満64歳までの人口の1.45%を占める61.3万人がひきこもり状態にあるそうです。しかも、半数以上が7年以上ひきこもっているのだとか。一方、2015年(平成27年)の調査で、満15歳~満39歳の人口の1.57%に当たる54.1万人がひきこもり状態にあるという統計もあります。

厚労省が発表した「生活保護の現状」によれば、2021年(令和3年)8月現在、生活保護受給者は203万800人(164万648世帯)で、全人口に占める割合(保護率)は1.63%です。世帯別では、高齢者世帯が90万8千960世帯、傷病・障害者世帯が40万3千966世帯、母子世帯が7万1千322世帯、その他が24万8千313世帯です。

生活保護の受給資格(おおまかに言えば世帯年収が156万円以下)がありながら、実際に制度を利用している人の割合を示す捕捉率は、日本は先進国の中では著しく低く2割程度だと言われています。と言うことは、(逆算すると)およそ1千万人の人が年収156万円(月収13万円)以下で生活していることになります。

国の経済が衰退するというのは、言うなれば空気が薄くなるということで、空気が薄くなれば、体力のない人たちから倒れていくのは当然です。衰退する経済を反転させる施策も必要ですが、同時に、体力がなく息も絶え絶えの人たちに手を差し伸べるのも政治の大事な役割でしょう。しかし、もはやこの国にはそんな政治は存在しないかのようです。

ひろゆきが成田悠輔と同じような”イタい人間”であるのはたしかですが、イデオローグとしてのひろゆきもまた、政治が十全に機能しない非情な社会が生んだ“鬼っ子”のように思えてなりません。
2023.02.27 Mon l 社会・メディア l top ▲
ひろゆき論


■「ニューヨークタイムズ」の疑問


林香里氏(東京大学大学院教授)は、朝日の論壇時評で、アメリカで陰謀論の巣窟になっている掲示板の4chanを運営するひろゆき(西村博之)が、日本ではコメンテーターとしてメディアに重用され、「セレブ的扱い」を受けていることに「ニューヨークタイムズ」紙が疑問を呈していると書いていました。成田悠輔もそうですが、彼らに対する批判を過剰なコンプラによる逆風みたいな捉え方しかできない日本のメディアの感覚は異常と言ってもいいのです。

朝日新聞デジタル
(論壇時評)ネットと言論 現実世界へと滲みだす混沌 東京大学大学院教授・林香里

林氏が書いているように、ひろゆきは「カリスマ的有名人として男子高校生の間では『総理大臣になってほしい有名人』第1位」ですが、今やその人気は高校生にとどまらないのです。『女性自身』が、セルフアンケートツール・QiQUMOとTwitterで実施した「好きな“ネットご意見番”についてのアンケート」でも、ひろゆきは堂々の一位に選ばれているのです。それもこれもメディアが作った虚像です。

女性自身
好きな「ネットご意見番」ランキング 3位古市憲寿、2位中田敦彦を抑えた1位は?

■独特の優越感


林氏も記事で触れていましたが、社会学者の伊藤昌亮氏(成蹊大学教授)は、『世界』(岩波書店)の今月号(2023年3月号)に掲載された「ひろゆき論」で、今の相対主義が跋扈する世相の中で、ひろゆきとその信者たちが依拠する“価値”の在処を次のように指摘しているのでした。

(略)ひろゆきの振る舞い方は、弱者の見方をして権威に反発することで喝采を得ようとするという点で、多分にポピュリズム的な性格を持つものだ。しかもリベラル派のメディアや知識人など、とりわけ知的権威と見なされている立場に強く反発するという点で、ポピュリズムに特有の、反知性主義的な傾向を持つものであると言えるだろう。
(略)
 しかしその信者には、彼はむしろ知的な人物として捉えられているのではないだろうか。というのも彼の知性主義は、知性に対して反知性をぶつけようとするものではなく、従来の知性に対して新種の知性、すなわちプログラミング思考をぶつけようとするものだからだ。
 そこでは歴史性や文脈性を重んじようとする従来の人文知に対して、いわば安手の情報知がぶつけられる。ネットでのコミュニケーションを介した情報収集能力、情報処理能力、情報操作能力ばかりが重視され、情報の扱いに長(た)けた者であることが強調される。
 そうして彼は自らを、いわば「情報強者」として誇示する一方で、旧来の権威を「情報弱者」、いわゆる「情弱じょうじゃく」に類する存在のように位置付ける。その結果、斜め下から権威に切り込むような挑戦者としての姿勢とともに、斜め上からそれを見下すような、独特の優越感に満ちた態度が示され、それが彼の信者をさらに熱狂させることになる。


リベラル派が言う「弱者」は、「高齢者、障害者、失業者、女性、LGBTQ、外国人、戦争被害者」などで、ひろゆきが言う「弱者」である「コミュ障」「ひきこもり」「うつ病の人」などは含まれていないのです。彼らはリベラル派からは救済されない。リベラル派は「特定の『弱者の論理』を押し付けてくるという意味で、むしろ『強者の論理』なのではないかと、彼らの目には映っているのではないだろうか」と、伊藤氏は書いていました。

■「ライフハックの流儀」


ひろゆきの方法論にあるのは、「プログラミング思考」に基づいた「ライフハックの流儀」だと言います。

 彼はその提言の中で、「ずるい」「抜け道」「ラクしてうまくいく」などという言い方をしばしば用いる(略)。そうした言い方は、その不真面目な印象ゆえに物議をかもすことが多いが、しかしこの点もやはり単なる逆張りではなく、まして彼の倫理観の欠如を示すものでもなく、むしろ「裏ワザ」「ショートカット」などの言い方に通じるものであり、ライフハックの流儀に沿ったものだと見ることができるだろう。


しかも、そういった「ライフハックの流儀」を個人の生き方や考え方だけでなく、社会批判にも適用するのがひろゆきの特徴であり、それが彼が熱狂的な信者を抱えるゆえんであると言うのです。

それは、ちょっとしたコツやテクニックさえあれば、人生のどこかに存在するショートカットキーを見つけることができるとか、高度にデジタル化した社会なのに、いつまでもアナログな発想からぬけきれない日本社会は「オワコン」だとかいった主張です。もちろん、その主張には、だからオレたち(ひろゆきが言う「弱者」)は浮かばれないんだ、という含意があるのは言うまでもありません。

私はつい数年前まで2ちゃんねるが5ちゃんねるに変わったことすら知らなかったような「情弱」な人間ですが、遅ればせながら5ちゃんねるに興味を持ち、5ちゃんねるのスレに常駐するネット民たちをウオッチしたことがありました。

ユーチューバーについてのスレでしたが、当然ながらお約束のように、そこでは信者とアンチのバトルが飽くことなく繰り広げられていました。

「羨ましんだろう」「悔しいんだろう」「嫌なら観るな」というのが彼らの常套句ですが、信者・アンチを問わず彼らの論拠になっているのがひろゆきが提唱する「ライフハックの流儀」です。まるで「お前の母さんでべそ」と同じように、どっちが「情弱」なのか、罵り合っているだけです。そこにあるのは、ネットの夜郎自大な身も蓋もない言葉が行き着いた、どんづまりの世界のようにしか思えませんでした。承認欲求とは自己合理化の謂いにほかならず、彼らが二言目に口にする自己責任論も、ブーメランのようにみずからに返ってくる自己矛盾でしかないのです。(つづく)

ひろゆきというイデオローグ(2)へつづく
2023.02.26 Sun l 社会・メディア l top ▲
publicdomainq-0069167lvvvar.png

(public domain)


■議会政治の末路


Yahoo!ニュースにも転載されていますが、元『プレジデント』編集長の小倉健一氏が、「みんかぶマガジン」に下記のような記事を書いていました。

MINKABU(みんかぶマガジン)
ガーシー帰国でNHK党の最終局面「日ハム新庄監督、衆院比例1位で国政へ」”実権は比例2位の稀哲に

前の記事からの続きになりますが、ここには既成政党がお手盛りで行った政治改革=政界再編の末路が示されているような気がしてなりません。それは、日本の議会政治の末路であると言っても決してオーバーではないでしょう。

日本共産党の除名問題は、同党の無定見な野党共闘路線が招いた当然の帰結で、『シン・日本共産党宣言』の著者である「反党分子」(共産党の弁)は、言うなれば、野党共闘路線が生んだ“鬼っ子”のようなものと言えるでしょう。彼や彼に同伴する左派リベラルの“マスコミ文化人”たちは、そうやって野党共闘の肝である日米安保賛成・自衛隊合憲を日本共産党に迫っているのです。言うなれば、日本共産党は立憲民主党のようになれと言っているのです。除名問題は、そういった新たな戦前の時代を志向する翼賛体制による揺さぶりにほかならないのです。

もとより、NHK党も同じように、政治改革=政界再編の名のもとに、既成の議会政党が国会を私物化し自分たちで政権をたらしまわしするために行った、今の選挙制度と政党助成制度が生んだ“鬼っ子”と言えるでしょう。

有権者そっちのけで導入された、参議院のグダグダの選挙制度を理解している有権者は、どのくらいいるでしょうか。多くの有権者は、選挙制度を充分理解しないまま、唯々諾々と制度に従って投票所に向かっているだけなのかもしれません。

記事は、NHK党の立花党首の次のような発言を取り上げていました。

「ガーシー議員が、戸籍謄本だけNHK党にくれたら、立候補の手続きはこちらでぜんぶできてしまいます。もっと言うと、戸籍謄本の委任状さえ送ってもらったら、戸籍謄本すらこちらで手に入れることが可能です。ガーシー議員が当選したことによって、すごく、YouTuberたちが理解しやすくなったと思います」


そして、次回の衆院選挙についても、俄かに信じ難いのですが、立花党首は次のような“戦略”を披歴していると言うのです。

「衆院選挙は、参院選挙と違って、全国を11ブロックに分けた比例選挙が行われます。つまり、それぞれのブロックにリーダーが必要になってくるのです。例えばですが。東京ブロックはホリエモン(堀江貴文氏)に任せます。南関東ブロックは、ヒカルチームに任せます…(中略)。実は、北海道ブロックは新庄剛志さんに任せたいと考えていて、本人と話をしているところです。どっかで回答くれるという話で「立花さん、いいよね」(ママ)というようなことも言ってもらっています。新庄さんについては、北海道日本ハムファイターズの監督をしながら、立候補し、議員もできるのですよ。新庄さんの監督業が忙しいとなれば、比例リストの2番目に森本稀哲(ひちょり)さんを入れておけば、新庄さんが1カ月で議員を辞めても、稀哲さんが当選して議員活動ができますよね」。


記事は、「ガーシー議員の登院拒否問題は、これまで議論されることすらなかった日本の民主主義の在り方が問われている。パンドラの箱が開いてしまったのかもしれない」という言葉で結ばれていますが、お手盛りの政治改革=選挙制度がこのような“鬼っ子”を生み、いいように利用されている(付け込まれている)現実は、ある意味で日本の議会政治の欺瞞性をどんな反議会主義の革命党派よりもラジカルに暴き出していると言えなくもないのです。

一方、互いの利害が対立する既成政党は、三すくみの中で自分たちの既得権益を守ることしか念頭になく、彼らにできることは、せいぜいがガーシー問題に見られるように弥縫的な“鬼っ子”退治をするくらいです。グダグダの選挙制度や文字通り税金を食いものにする政党助成制度を、根本から問い直すなど望むべくもありません。
2023.02.25 Sat l 社会・メディア l top ▲
2166751.jpg
(イラストAC)


■議員の特権


NHK党のガーシー議員に対して、参議院本会議は、22日、「議場での陳謝」の懲罰処分を賛成多数で可決しました。

処分の決定を受けて、参議院の議院運営委員会の理事会が開かれ、ガーシー議員が陳謝する機会は、来週にも開かれる次の本会議とすることで与野党が合意したそうです。

また、議院運営委員会の理事会の合意を受け、参議院の尾辻議長が本会議への出席を命じる通知を出すとともに、石井議院運営委員長がNHK党に対しガーシー議員に応じる意思があるか確認を求める文書を手渡し、来週27日の午前11時までに回答するよう伝えたということです(NHKの報道より)。

仮に来週に開かれる本会議に欠席して「陳謝」しなかった場合、もっとも重い「除名処分」に進むのは既定路線だと言われています。

ガーシー議員は、昨年の7月に当選したあとも、ずっとドバイにいて一度も国会に登院していませんが、歳費(給料)や期末手当等、既に1780万円が支給されているそうです。日本では、一人の国会議員に対して、年間およそ1億円の税金が使われていると言われているのです。

ガーシー議員の噴飯ものの言い分や一部でささやかれている彼の背後にいる人物などの問題はさて措くとしても、彼のような議員が生まれたのは、国会議員には選良=上級国民にふさわしいさまざまな特権があるからでしょう。

特権は議員本人だけではありません。各政党には政党助成金制度もあります。政党助成金(政党交付金)の総額は、政党助成法という法律で、国勢調査で確定した人口一人あたりに250円を乗じた(掛けた)金額になると定められており、令和2年の国勢調査で算出すると約315億円になるそうです。ガーシー議員を担いだNHK党のような政党が生まれたのも、このような美味しい特権があるからでしょう。

しかも、特権ゆえなのか、ガーシー議員やNHK党に対するメディアの報道も腰が引けたものばかりで、そのヤバさにはほとんど触れられていません。

アジア記者クラブのTwitterを見ていたら、次のようなツイートがありました。

アジア記者クラブ(APC)
@2018_apc




■官尊民卑


これは日本の官僚(公務員)問題にも通じるものですが、法律を作るのが彼らなのですから、その特権を剥奪するのは泥棒に縄をゆわせるようなものです。

しかし、日本社会に抜きがたくあるこの官尊民卑の考えに支配されている限り、今のような国家(税金)を食いものにする構造は永遠に続くでしょう。そして、国民はいつまでも苛斂誅求に苦しむことになるのです。

脱税や公金チューチューや生活保護などに対して、役所やメディアのリークに踊られて当事者をバッシングする光景もおなじみですが、そうやってアホな国民の損得勘定(感情)を煽るのが彼らの常套手段です。そして、政治家や役人は、アホな国民を嘲笑いながら、自分たちが税金をチューチューしているのです。

ガーシーに投票した人間だけが問題ではないのです。ガーシーを批判している人間たちも同じ穴のムジナなのです。

そういった国家を食いものにする構造と目先の損得勘定で踊らされる愚民たちに引導を渡さない限り、NHK党のような政党やガーシーのような議員はこれからも出て来るでしょう。
2023.02.23 Thu l 社会・メディア l top ▲
publicdomainq-0062301divrds.jpg
(public domain)


■東野篤子教授の言説


今月の24日がウクライナ侵攻1年にあたるため、メディアでもウクライナ関連の報道が多くなっています。バイデンがキーウを電撃訪問したのも、まさか1周年を記念したわけではないでしょうが、”支援疲れ”が言われる中、あらためて支援への強い意志を内外にアピールする狙いがあったのでしょう。バイデンのウクライナに対する入れ込みようは尋常ではないのです。

朝日新聞も「ウクライナ侵攻1年特集」と題してさまざまな記事を上げていますが、19日にアップされた下記の東野篤子・筑波大教授のインタビュー記事には、強い違和感を抱かざるを得ませんでした。と言うか、おぞましささえ覚えました。

朝日新聞デジタル
「徹底抗戦」が必要なわけ 21世紀の侵攻、許してはいけない一線

東野教授は、この戦争の落としどころを問うのは「ウクライナに酷だ」として、次のように述べていました。

「戦えば戦うほど犠牲が出てかわいそうだ」という指摘も間違いではありませんが、それは目先の犠牲を甘受してでもウクライナの独立と領土、主権を守りたいというウクライナの世論を見誤っていると思います。


 ウクライナ人の多くが言うような、「ロシア軍を完全に追い出して」戦争が終わることは、はっきりいって非現実的だと思っています。どこかで諦めないといけない。一方で、これだけの犠牲を払わされたうえ、とても不本意な終わり方をしてしまったときに、今と比べものにならないくらいの復讐心が生まれてしまうでしょう。

 それが避けられないからこそ、ウクライナが完全に納得するまで戦う以外の道はないことを、侵攻開始から1年が経ったいま、改めて感じています。


また、ウクライナの「降伏」が「21世紀に起きた軍事侵攻の帰結であってはいけない」、そうなれば「武力による現状変更のハードルは世界各所で下がることでしょう」と言います。「軍事侵攻で得をする国が出てくれば、中小諸国が『緩衝地域』扱いされ、大国の横暴に従属せざるを得ないような国際秩序を黙認」することになると言うのです。

つまり、ウクライナ国民が撃ちてし止まんと叫んでいるので、悪しき国際秩序を阻止するために犠牲になっても構わない。気が済むまで戦えばいい、と言っているようなものです。

大国の横暴をあげるなら、まずアメリカにそれを言うべきでしょう。アメリカが「世界の警察官」として、今までどれだけの国に侵攻し大量虐殺を行ってきたか。今回もアメリカは、ウクライナをけしかけて戦争をエスカレートさせているのです。それが、アメリカの対ロシア戦略なのです。

ウクライナ国民が徹底抗戦を支持しているというのも、昔の日本のことを考えればわかることです。憲法が停止され、国家総動員体制にある今のウクライナで戦争反対を主張すれば、拘束されるか、へたすればスパイとみなされて銃殺されるでしょう。戦時下の特殊事情をまったく考慮せず、あたかも国民が徹底抗戦を望んでいるかのように言挙げするのは、悪質なデマゴーグとしか言いようがありません。

埴谷雄高は、「国家の幅は生活の幅より狭い」と言ったのですが、私たちにとっていちばん大事なのは自分の生活です。国家から見れば、人民は自分勝手なものなのです。でも、それは当たり前なのです。

「愛国」主義は、自分の生活より国家を優先することを強いる思想です。それは独裁国家と地続きのものです。東野教授が言うような国家のために犠牲になることを是とする考えは、文字通り戦前回帰の独裁思想にも連なるものと言えるでしょう。

■ウクライナ民族主義の蛮行


一方、今回の戦争には、地政学上の問題だけでなく、ウクライナという国のあり様も関係しており、そういった側面からも見る必要があります。ウクライナはネオナチが跋扈する(というか、支配した)国で、ウクライナ民族主義=西欧化を旗印に、アゾフ連隊のようなネオナチの民兵を使って、国内の人口の3分の1を占めるロシア語話者を弾圧、民族浄化を行ってきたのです。同時に、アゾフ連隊は左翼運動家やLGBTや少数民族のロマなどにも攻撃を加えたのです。ウクライナには、ヨーロッパ随一と言われるほど統一教会が進出していますが、国際勝共連合がアゾフ連隊を支援していたという話もあります。そういったウクライナ民族主義の蛮行は欧米でも非難の声が多かったのですが、戦争がはじまると「可哀そうなウクライナ」の大合唱の中にかき消されてしまったのでした。

大事なのは、どうすれば戦争をやめさせることができるか、どうすれば和平のテーブルに付かせることができるかを考えることでしょう。でも、東野教授は最初から思考停止しているのです。それは知識の放棄と言わねばなりません。思考停止したあとに残るのは、「勝ったか負けたか」「敵か味方か」の戦時の言葉だけです。

■民衆連帯の視点


私たちにとっても、この戦争は他人事ではありません。ウクライナ侵攻により、エネルギー価格、特に天然ガスの価格が上昇し、それが電気料金の値上げになり、さらには小売価格に跳ね返り、今のような物価高を招いているのです。小麦などの食料価格の上昇も同じです。資源大国のロシアに経済制裁を科した影響が、私たちの生活を直撃しているのです。だからこそ、自分たちの生活のためにも戦争反対の声をあげるべきなのです。

何度も言うように、私たちに求められているのは、ウクライナ・ロシアを問わず「戦争は嫌だ」「平和な日常がほしい」という民衆の素朴実感的な声に連帯することです。国家の論理ではなく、市井の生活者の論理に寄り添って戦争を考えることなのです。その輪を広げていくことなのです。

しかし、侵攻から1年を迎えて開催が予定されている日本の反戦集会の多くでスローガンに掲げられているのは、国家の論理・戦時の言葉ばかりです。平和を希求する民衆連帯の視点がまったく欠落しているのです。ミュンヘン安保会議に合わせてヨーロッパ各地で開かれた反戦集会では、明確に「ウクライナへの武器供与反対」を訴えています。しかし、日本の反戦集会ではそういった声はごく少数です。

バイデンがキーウを電撃訪問して、更なる支援を表明したことで戦争の悲劇はいっそう増すでしょう。ミュンヘン安保会議に出席したウクライナのクレバ外相が、戦闘機だけでなく、非人道兵器として国際条約で禁止されているクラスター弾やバタフライ地雷の供与をNATOに要求したという報道がありましたが、ゼレンスキーが志向しているのは手段を選ばない徹底抗戦=玉砕戦です。東野教授の主張も、そんなゼレンスキーの徹底抗戦路線をなぞっているだけです。

ロシアからドイツに天然ガスを送っていた海底パイプラインのノルドストリームが、昨年9月爆発された事件について、ピューリッツァー賞受賞記者でもあるアメリカの調査報道記者のシーモア・ハーシュ氏は、バイデン大統領の命令を受けたCIAの工作でアメリカ海軍が破壊したことを暴露したのですが、誰が戦争を欲しているのか、誰が戦争をエスカレートさせているのかを端的に示す記事と言えるでしょう。

アジアにおいても、ノルドストリーム爆破と同じような謀略によって、戦争の火ぶたが切って落とされる危険性がないとは言えないでしょう。

北朝鮮のICBMにしても、メディアは北朝鮮が軍事挑発を行っていると盛んに書いていますが、どう見ても軍事挑発を行っているのは米韓の方です。米韓が軍事演習を行って挑発し、それに北朝鮮が対抗してICBMを撃っているというのが公平な見方でしょう。

ICBMが日本のEEZ(排他的経済水域)の内や外に落下したとして大々的に報道され、まるでEEZが”領海”であるかのような言い方をしていますが、EEZは国際条約で認められた「管轄権」が及ぶ海域ではあるものの、ただ線引きにおいて周辺国の主張が重なる部分が多く、確定しているわけではありません。日本のEEZは中国や韓国や台湾のEEZと重複しており、内や外という言い方もあくまで国内向けで、対外的にはあまり説得力はないのです。

このようなプロパガンダが盛んになるというのは、アジアにおいても戦争を欲している国(アメリカ)の影が色濃くなっているからでしょう。対米従属「愛国」主義の国は、(与党も野党も右も左も)それに引き摺られて”新たな戦前の時代”を招来しようとしているのです。
2023.02.21 Tue l ウクライナ侵攻 l top ▲
publicdomainq-0006441iitlmn.png
(public domain)


■所得制限撤廃で8兆円が必要


岸田首相が突如として打ち出した「異次元の少子化対策」が、具体的に進められようとしています。ここでも立憲民主党をはじめとする野党は、推進側にまわり岸田首相にハッパをかけているのでした。

現在の子ども手当(児童手当)は、3歳未満の子ども1人につき月額1万5千円、3歳~小学生までは1万円(第3子以降は1万5千円)、中学生は1万円が支給されています。一方、所得制限があり、子ども2人と年収103万円以下の配偶者の場合、年収ベースで960万円が所得制限の限度額で、それ以上は児童1人当たり月額一律5000円が特例給付されています。ただ、昨年(2022年)の10月に所得制限が強化され、夫婦どちらかが年収1200万円以上の場合は、特例給付の対象外になったのでした。

ところが、僅か数ヶ月で、「異次元の少子化対策」として、大幅に緩和し増額する方針があきらかにされたのでした。

報道によれば、現在、政府・自民党は、第2子以降の支給額の増額、支給対象年齢を高校生までに引き上げ、所得制限の撤廃等を検討しているそうです。

具体的には、第2子を3万円、第3子を6万円とする案が検討されており、最大で3兆円が必要になるそうです。また、支給対象を高校生まで引き上げたり、所得制限を撤廃したりすれば、子ども手当(児童手当)に必要な予算は、2022年度の約2.0兆円から5.8兆円へと一気に3倍近くにまで膨れ上がるそうです。

それ以外に、自治体でも医療費を無償にしたり、独自で子ども手当を支給したりしていますので、子どものいる家庭では、結構な金額の手当て(公金)が入る仕組みになっているのです。

もちろん、そのツケはどこかにまわってくるのです。「異次元の少子化対策」の財源として、既に与党内から消費税の引き上げの声が出ています。社会全体で子どもを支えるという美名のもと、消費増税が視野に入っているのは間違いないでしょう。

少子化が深刻な問題であるのは論を俟ちませんが、しかし、お金を配れば子どもを産むようになるのかという話でしょう。そもそも結婚をしない生涯未婚率も年々増加しているのです。

内閣府が発表した最新の「少子化社会対策白書」によれば、1970年には男性1.7%、女性3.3%だった生涯未婚率が、2020年には男性28.3%、女性17.8%まで増加しているのです。結婚しないお一人様の人生は、もはやめずらしくないのです。特に男性の場合、4人に1人が生涯独身です。しかも、近い将来、男性の3人に1人、女性の4人に1人が結婚しない時代が訪れるだろうと言われています。

軍備増強と軌を一にして「異次元の少子化対策」が打ち出されたことで、お国のため産めよ増やせよの時代の再来かと思ったりしますが、いづれにしても価値観が多様化した現代において、お金を配れば出産が増えると考えるのは、如何にも官僚的な時代錯誤の発想と言わねばなりません。

顰蹙を買うのを承知で言えば、”副収入”と言ってもいいような、結構な金額の手当て(公金)を手にしても、結局、子どものために使われるのではなく、ママ友とのランチ代や家族旅行の費用や、はては住宅ローンの補填などに消えるのではないかという意地の悪い見方もありますが、中でも万死に値するような愚策と言うべきなのは、立憲民主党などが要求している所得制限の撤廃です。

そこには、上か下かの視点がまったくないのです。この格差社会の悲惨な状況に対する眼差しが決定的に欠けているのです。もっと厳しい所得制限を設けて、その分を低所得の子ども家庭に手厚く支給するという発想すらないのです。

■深刻化する高齢者の貧困


「異次元の少子化対策」も大事かもしれませんが、高齢者や母子家庭や非正規雇用の間に広がる貧困は、今日の生活をどうするかという差し迫った問題です。でも、真摯にその現実に目を向ける政党はありません。野党も票にならないからなのか、貧困問題よりプチブル向けの大判振舞いの施策にしか関心がありません。だから、成田悠輔のような”下等物件”(©竹中労)の口から「高齢者は集団自決すればいい」というような、身の毛もよだつような発言が出るのでしょう。

成田悠輔の発言は、古市憲寿と落合陽一が以前『文學界』の対談で得々と述べた、「高齢者の終末医療をうち切れ」という発言と同じ背景にあるものです。人の命を経済効率で考えるようなナチスばりの“優生思想”は、ひろゆきや堀江貴文なども共有しており、ネット空間の若者たちから一定の支持を集めている現実があります。そういった思考は、現在、世情を賑わせている高齢者をターゲットにした特殊詐欺や強盗事件にも通じるものと言えるでしょう。

しかし、テレビ離れする若者を引き留めようと、無定見に彼らをコメンテーターに起用したメディアは、ニューヨークタイムズなど海外のメディアが成田悠輔の発言を批判しても、「世界中から怒られた」などとすっとぼけたような受け止め方しかできず、成田自身も何事もなかったかのようにテレビに出続けているのでした。その鈍磨な感覚にも驚くばかりです。

■ネットの卓見


今日、ネットを見ていたら、思わず膝を打つような、次のようなツイートが目に止まりました。と同時に、こういう無名の方の書き込みを見るにつけ、あたらめて知性とは何か、ということを考えないわけにはいきませんでした。

Kfirfas
@kfirfas





追記:
2月20日、立憲民主党と日本維新の会が、現行の児童手当に関して、所得制限を廃止する改正案を衆議院に共同で提出したというニュースがありました。所得制限を廃止するということは、上記で書いたように、モデル家庭で年収960万から一律5000円の特例給付になるケースや、年収1200万円から特例給付も対象外になるケースを廃止するということです。つまり、そんな高所得家庭を対象にした”救済”法案なのです。にもかかわらず、法案提出のパフォーマンを行っていた立憲の女性議員は、「これは社会全体で子育て家庭を応援するという大きなメッセージになります」と自画自賛していました。私は、それを見て立憲民主党は完全に終わったなと思いました。社会全体で応援しなければならないのは、先進国で最悪と言われる格差社会の中で、最低限の文化的な生活を営むこともできないような貧困にあえぐ人々でしょう。そんな1千万人も喃々なんなんとする人々は、今の物価高で文字通り爪に火を灯すような生活を強いられているのです。明日をも知れぬ命と言っても決してオーバーではないのです。政治がまず目を向けなければならないのはそっちでしょう。
2023.02.19 Sun l 社会・メディア l top ▲
publicdomainq-0014773ioihpt.jpg
(public domain)


■“未確認飛行物体”


タモリではないですが、既に”新たな戦前の時代”が始まっているような気がしてなりません。

たとえば、“未確認飛行物体”などと、まるでUFO襲来のようにメディアが大々的に報じている中国の気球も然りで、どうして急にアメリカが気球の問題を取り上げるようになったのか、唐突な感は否めません。今まで気球は飛んでなかったのか。何故、F22のような最新鋭の戦闘機が出撃して空対空ミサイルで撃墜するという手荒い方法を取ったのか。首をかしげざるを得ないことばかりです。

しかも、アメリカが騒ぎはじめたら、さっそく日本も属国根性丸出しで同調して、過去に気球が飛んできたことをあきらかにした上で、今度飛んで来たら自衛隊機で撃墜できるようにルール(?)を変更するなどと言い出しているのでした。過去に飛んできたときは、政府はほとんど無反応だったのです。当時の河野太郎防衛相も記者会見で、「安全保障に問題はありません」とにべもなく答えているのです。それが今になって「防衛の穴だ」などと言って騒いでいるのでした。

アメリカは、空から情報を収集する偵察用の気球だと言っていますが、撃墜した話ばかりで、アメリカの軍事施設を偵察していたという具体的な証拠は何ら示されていません。それどころか、オースティン国防長官は、今月の10日に撃墜した3つの気球は中国のものではなかったと語り、何やら話が怪しくなっているのでした。

昨日のワイドショーで、女性のコメンテーターが、「人工衛星を使って情報収集するのが当たり前のこの時代に、どうしてこんな手間のかかる古い方法で情報収集しようと考えたのですかね。中国の意図がわかりません」と言っていましたが、それは冷静になれば誰もが抱き得る素朴な疑問でしょう。今どきこんなミエミエの偵察活動なんてホントにあるのかという話でしょう。

一部でナチスの宣伝相・ヨーゼフ・ゲッベルスにひっかけて、「ゲッベルス」と呼ばれているおなじみの防衛研究所の研究員は、西側諸国との軍事対立を想定して、「アメリカの弱点を探るために」試験的に飛ばしている可能性がある、としたり顔で解説していました。

中国政府は、民間の気象観測用の気球だと言っていますが、中国政府の話も眉唾で、ホントは空から自国の国民を監視するために飛ばした気球ではないかという話があります。それがたまたま季節風に乗って流れたのではないかと言うのです。

とどのつまり、時間が経てば何事もなかったかのように沈静化し、メディアも国民もみんな忘れてしまう、その程度のプロパガンダにすぎないように思います。

■中露が主導する経済圏


考えてみれば、今のように米中対立が先鋭化したのはここ数年です。とりわけ2021年8月のアフガンからの撤退をきっかけに、いっそう激しくなった気がします。

アフガンでは20年間で戦費1100兆円を費やし、米兵7000人が犠牲になったのですが、それでも勝利することはできず、みじめな撤退を余儀なくされたのでした。アメリカは、戦後、「世界の警察官」を自認し、世界各地で戦争を仕掛けて自国の若者を戦場に送りましたが、一度も勝利したことがないのです。文字通り連戦連敗して、とうとう唯一の超大国の座から転落せざるを得なくなったのでした。

それをきっかけに、新興国を中心にドル離れが進んでいます。アメリカのドル経済圏に対抗する中国とロシアが連携した新たな経済圏が、BRICSを中心に広がりはじめているのです。

それを裏付けたのが今回のウクライナ侵攻に対する経済制裁です。前も引用しましたが、ジャーナリストの田中良紹氏は、次のように書いています。

(略)ロシアに対する経済制裁に参加した国は、国連加盟国一九三ヵ国の四分の一に満たない四七ヵ国と台湾だけだ。アフリカや中東は一ヵ国もない。米国が主導した国連の人権理事会からロシアを追放する採決結果を見ても、賛成した国は九三ヶ国と半数に満たなかった。
米国に従う国はG7を中心とする先進諸国で、BRICS(ブラジル・ロシア・インド・中国・南アフリカ)を中心とする新興諸国はバイデンの方針に賛同していない。このようにウクライナ戦争は世界が先進国と新興国の二つに分断されている現実を浮木彫りにした。ロシアを弱体化させようとしたことが米国の影響力の衰えを印象づけることにもなったのである。
(『紙の爆弾』2022年7月号・「ウクライナ戦争勃発の真相」)


突如浮上した米中対立には、こういった背景があるのではないか。今回の気球も、その脈絡から考えるべきかもしれません。

私たちは、いわゆる”西側”の報道ばかり目にしているので、ロシアや中国がアメリカの強硬策に守勢一方で妥協を強いられているようなイメージを抱きがちですが(そういったイメージを植え付けられていますが)、ロシアや中国は、以前と比べると一歩もひかずに堂々と対峙しているように見えます。それどころか、むしろ逆に、アメリカに力がなくなったことを見透かして、新興国を中心に自分たちが主導する経済圏を広げているのでした。

■中国脅威論


一方、日本は、米中対立によって、敵基地先制攻撃という防衛政策の大転換を強いられ、巡航ミサイルの「トマホーク」の購入を決定した(させられた)のでした。

当初は2026年度から購入する予定でしたが、昨日(14日)、浜田靖一防衛相が、2023年度に前倒しして一括購入することをあきらかにしてびっくりしました。報道によれば、最大で500発を2113億円で購入するそうです。前倒しするというのは、その分別に買い物をするということでしょう。アメリカからそうけしかけられたのでしょう。

しかも、日本が購入する「トマホーク」は旧式の在庫品で、実戦ではあまり役に立たないという話があります。「世界の警察官」ではなくなったアメリカの防衛産業は、兵器を自国で消費することができなくなったので、その分他国(同盟国)に売らなければなりません。とりわけ防衛産業(産軍複合体)と結びつきが強い民主党政権は、営業に精を出さなければならないのです。そのため、ロシアのウクライナ侵攻だけでなく、東アジアでも「今にも戦争」のキャンペーンをはじめた。それが、今の”台湾有事”なのです。

日本にとって中国は最大の貿易相手国です。しかも、勢いがあるのはアメリカより中国です。アメリカの尻馬に乗って最大の貿易相手国を失うようなことがあれば、日本経済に対する影響は計り知れないものになるでしょう。そうでなくても先進国で最悪と言われるほどの格差社会を招来するなど、経済的な凋落が著しい中で、ニッチもサッチも行かない状態までエスカレートすると、先進国から転落するのは火を見るよりあきらかです。日頃の生活実感から、それがいちばんわかっているのは私たちのはずなのです。この物価高と重税を考えると、軍事より民生と考えるのが普通でしょう。

でも、今は、そんなことを言うと「中国共産党の手先」「売国奴」のレッテルを貼られかねません。いつの間にか、与党も野党も右も左も、中国脅威論一色に塗られ、異論や反論は許さないような空気に覆われているのでした。「人工衛星でスパイ活動する時代に気球で偵察するの?」という素朴な疑問も、一瞬に打ち消されるような時代になっているのでした。右も左もみんなご主人様=アメリカの足下にかしづき、我先に靴を舐めているのです。

■”新たな戦前の時代“の影


共産党の除名騒ぎも、共産党はご都合主義的な二枚舌をやめて、自衛隊合憲や日米安保容認に歩調を合わせろという、翼賛的な野党共闘派からのメッセージと読めなくもないのです。そこにもまた、”新たな戦前の時代”の影がチラついているような気がしてなりません。

これも既出ですが、先日亡くなった鈴木邦男氏は、かつて月刊誌『創』に連載していたコラム「言論の覚悟」の中で、次のように書いていました。

(略)それにしても中国、韓国、北朝鮮などへのロ汚い罵倒は異常だ。尖閣諸島をめぐっては、「近づく船は撃沈しろ」と叫ぶ文化人もいる。「戦争も辞さずの覚悟でやれ!」と言う人もいる。テレビの政治討論会では、そんな強硬な事を言う人が勝つ。「今、中国と戦っても自衛隊は勝てる」などとロ走る人もいた。
(略)70年前の日米開戦の前も、そう思い、無責任な本がやたらと出版された。いや、あの時は、「戦争をやれ!」と政府や軍部に実際に圧力をかけたのだ。
 東条英機のお孫さんの由布子さんに何度か会ったことがある。戦争前、一般国民からもの凄い数の手紙が来たという。段ボール何箱にもなった。その内容は、ほとんどが攻撃・脅迫だったという。「早く戦争をやれ!」「戦争が恐いのか」「卑怯者!」「非国民め!」というものばかりだったという。
 国民が煽ったのだ。新聞・出版社も煽った。
(『創』2014年9・10月合併号・「真の愛国心とは何か」)


また、(引用が長くなりますが)続けてこうも書いていました。

(略)強硬で、排外主義的なことを言うと、それで「愛国者」だと思われる。それが、なさけない。嫌中本、嫌韓本を読んで「胸がスッとする」という人がいる。それが愛国心だと誤解する人がいる。それは間違っている。それは排外主義であって愛国心ではない。(略)
 今から考えて、「あゝあの人は愛国者だった」と言われる人達は、決して自分で「愛国者だ」などと豪語しなかった。三島由紀夫などは自決の2年前に、「愛国心という言葉は嫌いだ」と言っていた。官製の臭いがするし、自分一人だけが飛び上がって、上から日本を見てるような思い上がりがあるという。当時は、その文章を読んで分からなかった。「困るよな三島さんも。左翼に迎合するようなことを書いちゃ」と思っていた、僕らが愚かだった。今なら分かる。全くその通りだと思う。もしかしたら、46年後の今の僕らに向かって言ったのかもしれない。
 また、三島は別の所で、「愛国心は見返りを求めるから不純だ」と書いていた。この国が好きだというのなら、一方的に思うだけでいい。「恋」でいいのだと。「愛」となると、自分は愛するのだから自分も愛してくれ、自分は「愛国者」として認められたい、という打算が働き、見返りを求めるという。これも46年後の日本の現状を見通して言ってる言葉じゃないか。そう思う。
(同上)


”極右の女神”ではないですが、「愛国ビジネス」さえあるのです。もちろん、それは”右”だけの話ではありません。”左”やリベラルも似たか寄ったかです。

立憲民主党などは、上記の河野太郎防衛相(当時)の安全保障上問題ないという発言を国会で取り上げて、認識が甘かったのではないかと批判しているのでした。政府与党は危機感が足りないとハッパをかけているのです。それは、「早く戦争をやれ!」と手紙を送りつけてきた戦前の国民と同じです。

再び煽る人間と煽られる人間の競演がはじまっているのです。国体を守るために本土決戦を回避して、”昨日の敵”に先を競ってすり寄って行ったそのツケが、このような愚かな光景を亡霊のように甦らせていると言えるでしょう。


関連記事:
『永続敗戦論』
2023.02.15 Wed l 社会・メディア l top ▲
publicdomainq-0015133umaqda.jpg
(public domain)


■物価高と重税


私は自炊しているのでスーパーによく買い物に行くのですが、最近の物価高には恐怖を覚えるほどです。値上げと言っても、そのパーセンテージが従来より桁違いと言ってもいいくらい大きいのです。しかも、これからも値上げが続くと言われているのです。

値上げは食品だけにとどまらず、あらゆる分野に及んでいます。たしかに、「資源価格の上昇」「エネルギー価格の高騰」という大義名分があれば、どんな商品でもどんなサービスでも値上げは可能でしょう。何だか値上げしなければ損だと言わんばかりに、我先に値上げしている感すらあるのでした。

それどころか、値上げは民間だけの話ではないのです。 厚生労働省は、介護保険料や、75歳以上が入る後期高齢者医療制度の保険料も、引き上げる方向で調整に入ったというニュースがありました。また、自治体レベルでの住民税や国民健康保険料や介護保険料(自治体によって負担額が違う)も、引き上げが当たり前のようになっています。

昨年12月の東京新聞の記事では、「昨今の物価高の影響で22年度の家計の支出は前年度に比べ9万6000円増えており、23年度はさらに4万円増える」と書いていました。

東京新聞
物価高で家計負担は年間9万6000円増、来年度さらに4万円増の予想 それでも防衛費のために増税の不安

でも、生活実感としては、とてもそんなものではないでしょう。

財務省は、令和4年(2022年)度の「所得に対する各種税金と年金や健康保険料などの社会保障負担の合計額の割合」である国民負担率が、46.5%となる見通しだと発表しています。ちなみに、昭和50年(1975年)の国民負担領は25.7%で、平成2年(1990年)は38.4%でした。さらに、近いうちに50%を超えるのは必至と言われているのです。

日本は重税国家なのです。昔、北欧は社会保障が行き届いているけど税金が高いと言われていました。しかし、今の日本は、税金は高くなったけど、社会保障は低い水準のままです。

これも何度も書いていることですが、生活保護の捕捉率は、ヨーロッパ各国がおおむね60~90%であるの対して、日本は20%足らずしかありません。そのため、日本においては、生活保護の基準以下で生活している人が1千万人近くもいるのです。彼らにとって、この空前の物価高は、成田悠輔ではないですが、「死ね」と言われているようなものでしょう。

価格は需要と供給によって決まるという市場経済の原則さえ、もはや成り立たなくなっている感じで、何だか官民あげた“カルテル国家”のような様相さえ呈しているのでした。

もちろん、資源国家であるロシアによるウクライナ侵攻と、それに伴う経済制裁が、このような事態を招いたのは否定できないでしょう。

そこに映し出されているのは、臨界点に達しつつある資本主義の末期の姿です。植民地主義による新たな資源や市場の開拓は望むべくもなく、資本主義国家はロシアや中国の資源大国による”兵糧攻め”に、半ばパニックに陥っていると言っても過言ではありません。でも、それは、身の程知らずにみずから招いたものです。メディアは、ロシアは追い込まれていると言いますが、追い込まれているのはむしろ私たち(資本主義国家)の生活です。

だったら、和平に動けばいいように思いますが、そんな指導力も判断力も失っているのです。それどころか、ウクライナの玉砕戦にアメリカが同調しており、私たちの生活は、ウクライナとアメリカの戦争遂行の犠牲になっている、と言っていいかもしれません。

■ロシアの敗北はあり得ない


そんな中、アメリカのシンク・タンクのランド・コーポレーションが、「ロシア・ウクライナ戦争に対して、"Avoiding a Long War"と題する」提言を発表したという記事がありました。

21世紀の日本と国際社会 浅井基文Webサイト
ロシア・ウクライナ戦争:「長期戦回避」提言(ランド・コーポレーション)

上記サイトによれば、2023年1月の「提言」は以下のとおりです。

提言①:ロシアは核兵器使用に踏み切る可能性がある。したがって、核兵器使用を未然に防止することがアメリカの至上優先課題(a paramount priority)である。

提言②:局地戦に押さえ込むことが至上課題だが、ロシアがNATO同盟国に攻撃を仕掛ける可能性が出ている。(したがって、局地戦で終わらせることが至上課題となっている。)

提言③:国際秩序の観点から見た場合、ウクライナの領土的支配を2022年12月時点以上に広げることの利益、言い換えれば、ロシアの2022年12月時点での支配ライン維持(を黙認すること)の不利益は自明とは言えない。

提言④:戦争継続によってウクライナはより多くの領土を回復できるかもしれないが、戦争継続がアメリカの利益に及ぼす影響を考慮しなければならない。

提言⑤:ロシア、ウクライナのいずれによる完全勝利もあり得ず、また、平和条約締結による政治的解決はアメリカの利益に合致するが近未来的には非現実的であり、現状維持の休戦協定を当面の着地点とする。

要するに、(当たり前の話ですが)核保有国・ロシアの敗北はあり得ないということです。そういった現状認識のもとに、「長期戦の回避」=「現状維持の休戦」が現実的だと提言しているのでした。もとより、国民生活が疲弊する一方のアメリカやEUは、もうこれ以上ゼレンスキーやバイデンの戦争に付き合う猶予はないはずです。

世界は既に、”第三次世界大戦”の瀬戸際に立っていると言ってもいいかもしれません。ロシアやアメリカの保守派は、ゼレンスキーは”第三次世界大戦”を引き起こそうとしている、と言っていましたが、あながち的外れとは言えないように思います。実際に、失われた領土を取り返すまで「平和はない」、そのために(ロシア本土を攻撃できる)戦闘機を寄越せ、とゼレンスキーの要求はエスカレートする一方なのです。

今の空前の物価高に対して、ヨーロッパをはじめ世界各地で大規模なデモが起きていますが、その元凶がウクライナ戦争にあるという視点を共有できれば、(日本を除いて)世界的な反戦運動に広がる可能性はあるでしょう。アメリカ国民の中でも、バイデンのウクライナ支援に賛成する国民は半分もいないのです。アメリカは一枚岩ではなく、修復できないほど分断しているのです。その分断が、アメリカの凋落をいっそう加速させるのは間違いないでしょう。「戦争反対」が自分たちの生活を守ることになる、という考えが求められているのです。

それは、ウクライナ戦争に限らず、バイデンの新たな(やぶれかぶれの)世界戦略で、大きな負担を強いられつつある対中国の防衛力増強も同じです。アメリカの言うままになると、再び「欲しがりません、勝つまでは」の時代が訪れるでしょう。防衛増税とはそういうことです。立憲や維新は、防衛増税に反対と言っていますが、防衛力の増強そのものに反対しているわけではありません。清和会などと同じように、税金で賄うことに反対しているだけです。もっとも、清話会が主張するように国債を使えば、戦前のように歯止めが利かなくなるでしょう。

■共産党の除名騒ぎ


それにつけても、日本では今の物価高を糾弾する運動がまったくないのはどうしてなのか。左派リベラルも、物価高を賃上げによって克服するという、岸田首相の「新しい資本主義」に同調しているだけです。じゃあ、賃上げに無縁な人々はどうすればいいんだという話でしょう。本来政治が目を向けるべき経済的弱者に対する視点が、まったく欠落しているのです。連合のサザエさんこと芳野友子会長が、自民党の招待に応じて、今月26日の自民党大会に出席する方向だというニュースなどは、もっとも愚劣なかたちでそれを象徴していると言えるでしょう。

しかも、左派リベラルは、立憲民主党や連合がそうやって臆面もなく与党にすり寄っているのを尻目に、「党首公選制」をめぐる日本共産党の除名問題がまるで世界の一大事であるかのように、大騒ぎしているのでした。それも除名された元党員が「編集主幹」を務める出版社から、共産党への提言みたいな本を書いた”マスコミ文化人”たちが中心になって、鉦や太鼓を打ち鳴らしているのでした。本の宣伝のために騒いでいるのではないかとヤユする向きもありますが、そう思われても仕方ない気がします。

一方、除名された元党員も、自分たちの出版社とは別に、先月、文藝春秋社から党を批判する本を出版しているのです。共産党の肩を持つわけではありませんが、何だか最初から周到に準備されていたような気がしないでもありません。本人は否定しているようですが、そのうち『文藝春秋』あたりで共産党批判をくり広げるのが目に見えるようです。除名された元党員は、条件付きながら自衛隊合憲論者のようなので、今の時代はことのほか重宝されセンセーショナルに扱われるでしょう。

今回の除名騒ぎの背景にあるのは、野党共闘です。言うなれば、共産党の野党共闘路線がこのような鬼っ子を生んだとも言えるのです。

とは言え、(曲がりなりにもと言いたいけど)破防法の調査対象団体に指定されている共産党に、「党首公選制」の導入を主張すること自体、今まで一度も共産党に票を投じたこともない私のような”共産党嫌い”の人間から見ても、メチャクチャと言わざるを得ません。共産党の指導部が、「外からの破壊攻撃」と受け止めるのは当然でしょう。共産党の指導部や党員たちは、今回の除名騒ぎに対して、立憲と維新の連携や自民党へのすり寄りに見られるような、議会政治の翼賛体制化と無関係ではないと見ているようですが、一概に「的外れ」「独善的」「開き直り」とは言えないように思います。

「結社の自由」を持ち出して反論していた志位委員長について、「お前が言うか」という気持もありますが、ただ、言っていることは間違ってないのです。「結社の自由」や「思想信条の自由」というのは、結社を作るのも、その結社に加入するのも脱退するのも自由で、その自由が保障されているということであって、それと結社内の論理とは別のものです。結社に内部統制がはたらくのは当然で、「言論の自由」という外の概念が必ずしも十全に保障されないのは、最初から承知のはずです。ましてや、政治的な結社は、綱領に記された特定の政治思想の下に集まった、言うなれば思想的に武装した組織なのです。思想的紐帯に強弱はあるものの、政治結社というのは本来そういうものでしょう。にもかかわらず、政治結社に外の論理である「言論の自由」を持ち込み、それを執拗に求めるのは、別の意図があるのではないかと勘繰られても仕方ないでしょう。

某”マスコミ文化人”は、共産党より自民党の方がむしろ「言論の自由」があると言っていましたが、そんなのは当たり前です。国家権力と表裏の関係にある政権与党と、曲がりなりにも”反国家的団体”と見做されて監視されている政党を同列に論じること自体、メチャクチャと言うか、稚児じみた妄言と言わざるを得ません。

私が日本共産党を描いた小説として真っ先に思い浮かべるのは、井上光晴の『書かれざる一章』です。『書かれざる一章』は、戦前に書かれた小林多喜二の『党生活者』に対する反措定のような小説ですが、第一次戦後派の文学者や知識人たちは、リゴリスティックな”無謬神話”で仮構された日本共産党の唯一絶対的な前衛主義と向き合い、その欺瞞に満ちた党派性を告発したのでした。

今回の除名騒ぎは、そんな問題意識と無縁に生きた”マスコミ文化人”たちが、古い政治に依拠したミエミエの猿芝居を演じているだけです。それに、大衆運動に「限界系」なる排除の論理を持ち込むような人間に、共産党の民主集中制を批判する資格があるのかと言いたいのです。私には、目くそ鼻くそにしか見えません。

(くどいほど何度もくり返しますが)大事なのは右か左かではなく上か下かです。それが益々リアルなものになっているのです。でないと、見えるものも見えなくなるでしょう。
2023.02.08 Wed l 社会・メディア l top ▲
22093923.jpg
(イラストAC)


■渡辺優樹容疑者の共犯者として逮捕


今回の連続強盗事件は、EXITの兼近の番組降板が取り沙汰されるような思わぬ方向に波及しています。と言うのも、兼近に関しては、2012年に札幌市内で起きた1千万円窃盗事件で逮捕されたことが既に公けになっていましたが、今回の事件で、何と「ルフィ」こと渡辺優樹容疑者の共犯者として逮捕されていたことがあきらかになったからです。

兼近は、その前年の2011年にも、女子高生の売春を斡旋したとして売春防止法違反で逮捕されており、札幌時代は結構なワルだったことが想像できるのですが、それどころか、渡辺優樹容疑者の手下だったという話さえ出ているのでした。

余談ですが、渡辺優樹容疑者は、首都圏連続不審死事件の木嶋佳苗死刑囚と同じ別海町の出身です。地元の高校を卒業して道内の大学に進学したのですが、大学時代にススキノでアルバイトを始めてから学校にも来なくなり、人が変わったという同級生の話がありました。

俄に信じ難いのですが、アクセスジャーナルは、下記の動画で、兼近は「広域暴力団○○連合系の企業舎弟」だったと言っていました。さらに驚くべきことに、ガーシーのトバイ人脈にも関係しているという話さえあると言うのです。

アクセスジャーナルch
指示役ルフィとされる男との関係が明らかになったEXIT兼近。共犯事件に加え企業舎弟の過去も。連続極悪事件とドバイ住人との関係性追及。

兼近への批判について、“コンプラの暴走”というような声もありますが、ホントにそうなのか。

私たちがうかがい知れない“深い事情”が伏在しているのではないかと思ったりもします。前も書きましたが、ガーシーに関する強制捜査も、著名人に対する名誉棄損は入口にすぎず、本丸は他の犯罪の疑惑が持たれている「ドバイ人脈」だという指摘がありますが、それが兼近にも飛び火するのではないかと言うのです。

■兼近の父親のトラブル


『FLASH』は、2年半前に、札幌でリフォーム会社をやっている兼近の実父が、裁判沙汰になっている顧客とのトラブルを取り上げていますが、その中で、「俺にはヤクザの不動産屋が付いている」と某広域暴力団の名前を出して凄んだという、相手側の証言を伝えていました。

本人は否定していますが、父親が口にしたと言われる某広域暴力団というのが、渡辺容疑者らの特殊詐欺事件に関連して、2020年の2月に合同捜査本部が家宅捜査した札幌の山口組系の団体と同じなのです。しかも、兼近が一緒に逮捕された窃盗事件は、渡辺容疑者が飲食店をはじめる資金を集めるためと言われていますが、逮捕当時の渡辺容疑者の肩書は「不動産業」でした。時期的にはズレがありますが、これは偶然なのだろうかと思いました。

smart FLASH
EXIT「兼近大樹」の父親がリフォーム工事をめぐり裁判沙汰

■お涙頂戴の弁明


ススキノで仕事をしていた知人の話では、ススキノは狭い世界なので、ワルたちがつるんで犯罪に走るのは普通に考えられることでめずらしいことではないと言っていました。兼近も(本人の話では)子どもの頃極貧の家庭で育ち、ススキノに流れて来た若者の一人ですが、ススキノではそういった若者たちのすぐ近くに「金のためなら何でもする」ワルたちの”友達の輪”があり、犯罪と隣り合わせのような日常があったのでしょう。

売春斡旋による逮捕歴が発覚した際には、吉本興業の剛腕で「若気の至り」みたいな話として切り抜けたのですが、今度はそうはいかないかもしれません。

ただ、芸能マスコミには、兼近のお涙頂戴の弁明を称揚し、過去は過去なので前向きに生きてほしいと、芸能界もファンもみんな応援しているかのような報道が目立ちます。兼近を批判するのは、無慈悲な人間みたいな感じさえあるのでした。

しかし、公序良俗のリゴリズムに与するわけではありませんが、実際に”半グレ”で歌のうまい若者が歌手になったり、顔がきれいな女の子がタレントやモデルになったりする例はありますし、YouTubeがいわゆる”反社”の新たなシノギになっている現実もあるのです。それは、芸能人が独立すると干されるような芸能界のアンタッチャブルな顔と表裏の関係にあるものです。言うまでもなく、独立した芸能人を干すのにテレビも加担しており、テレビも共犯関係にあると言えるのです。

兼近が売春防止法違反で逮捕された件について、私はつまびらかには知りませんが、要するにヤクザまがいの女衒ぜげんのようなことをしていたのでしょう。お金を巻き上げるために、親しい女子高生を得意の話術で説き伏せて(半ば脅して)売春するように仕向けたのかもしれません。そこから垣間見えるのは、おぞましいとしか言いようのない、ワル特有の他人(女性)に対する非情さです。にもかかわらず、「かねちー、カッコいい」なんて言っている女性ファンは、ホストに入れ込み金づるにされるのと同じような心理なのかもしれません。

■本人は過去を忘れても過去は本人を覚えている


「本人は過去を忘れても過去は本人を覚えている」と言ったのは柳美里ですが、ホントに「過去は過去」で済ませるような話なのかと思います。しかも、過去と言っても僅か11年前のことです。渡辺容疑者と一緒に逮捕された翌年(2013年)、兼近は吉本総合芸能学院(NSC)東京校に入学。そして、前のコンビを解消したあと、2017年にEXITを組んだのでした。それは、売春防止法違反の逮捕から7年後、渡辺容疑者と一緒に逮捕されてから6年後です。ちょろい人生だと思ったとしてもおかしくないでしょう。

しかも、2012年の事件をきっかけに、経営していた飲食店が潰れ、(おそらく闇金に)莫大な借金を抱え追い込まれた渡辺容疑者らはフィリピンに渡り、今に至る特殊詐欺事件に手を染めたと言われているのです。兼近が渡辺容疑者らと組んで行った窃盗事件は、単なる「過去」とは言えないのです。兼近は、ただ騙されただけと言っているようですが、窃盗事件では、兼近はマンションを管理している不動産会社の社員だという偽の社員証を出して、鍵屋に部屋を開錠させる役割を担っているのでした。偽の社員証も然りですが、自分がやっていることが犯罪だとわかっていたのです。それで「騙された」もないでしょう。

フィリピンの収容所で、渡辺容疑者の手下と言われる今村磨人容疑者が、上半身裸のまま寝そべって、スマホで「一日1万円です」とか何とか電話している盗み撮りの動画が放送されていましたが、それは自分たちのためにやっていると言うより、誰かに「やらさせている」としか思えませんでした。背後にいる闇の勢力が収容所の中の彼らをそこまで必死にさせている、と考えた方がいいでしょう。

どこかで誰かが舌を出してほくそ笑んでいるとしたら、兼近の弁明も一瞬にして瓦解してしまうでしょう。もちろん、お笑い芸人と言えども、プロダクションにとっては商品なので、兼近の発言にも吉本興業の思惑がはたらいているのは言うまでもありません。

■「自伝的小説」と吉本興業


吉本は、一昨年、過去の悪行を逆手に取り、兼近に「自伝的小説」の『むき出し』を書かせて(!?)、芥川賞や直木賞の胴元の文藝春秋社から出版したのですが、それにより、兼近は、何とフジテレビの「めざまし8」や「ワイドナショー」でコメンテーターに起用され、他人の事件に対してこましゃくれたことをコメントするまでになったのでした。これも吉本の力のなせる業と言うべきかもしれません。

2019年に兼近の売春防止法違反の逮捕歴を報じたのは、実は『週刊文春』でした。その際、吉本は、「人権侵害」だとして、「法的措置」も「検討している」と強く反発したのです。ところが、2021年に兼近はその文藝春秋社から小説を出版したのでした。両者の間で何らかの”手打ち”が行われたと考えるのが普通でしょう。今回の新たなスキャンダルとも言うべき騒動について、文春が完全にスルーしているのは驚きですし、いつもの文春からすればきわめて不自然ですが、そこには抗えない”大人の事情”があるからでしょう。吉本の方が一枚上手だったと言うべきかもしれません。

総合エンターテインメント企業として政権に食い込み、今や政府の仕事を委託されるまでになった吉本興業ですが、森功著『大阪府警暴力団担当刑事』(講談社)によれば、昭和39年(1964年)の山口組に対する第一次頂上作戦を行った兵庫県警の捜査資料のなかに、舎弟7人衆のひとりとして、吉本興業元会長(社長)の林正之助の名前が載っていたそうです。

お笑い芸人たちが、兼近に対して「前向きに生きてほしい」と激励するのも、吉本がテレビのお笑い番組の枠をほぼ独占し、絶対的な権力を持っているからで、彼らはただ吉本に動員されているにすぎないのです。そんな吉本を忖度するだけの文春や芸能マスコミのヘタレぶりにも呆れるばかりです。

上記の「自伝的小説」の中で、未成年の女の子を中絶させたとか、中学時代(だったか)にいじめたクラスメートがのちに自殺したとかいった話が出てくるのですが、兼近はSNSでそれはフィクションだと答えています。逮捕歴に関する弁解じみた話は真実で、新たなスキャンダルになるような都合の悪い話は「フィクション」だと言うのです。涙で弁解する一方で、都合の悪いことは「フィクション」「誤解」「ネタ」のひと言で済ませ開き直っているような感じさえあるのでした。

過去に犯罪歴があってもやり直すチャンスはあるべきだという声もありますが、芸能界は私たちが住んでいる世界とは違う”特殊な世界”だということを考える必要があるでしょう。竹中労は、フライデー事件の際、「この世の中には面(つら)はさらしたい、有名にはなりたい、ゼニは稼ぎたい、でも自分の生活は隠しておきたいなんてそんなムシのいい話はないでしょう」とたけしを批判したのですが、もとより、インスタなどを見てもわかるとおり、芸能人はみずからのプライバシーを切り売りすることも厭わない、イメージを商売にする”特殊な”人間たちです。であれば、プライバシーにリクスが伴うのは当然で、過去の犯罪歴がイメージを損ない致命傷になる場合だってあるでしょう。「つら」をさらす仕事をしている限り、それは仕方のないことだとも言えるのです。本人は、過去と真摯に向き合うというようなことを言っているみたいですが、それは今のタワマンに住んでいるような生活を守るために向き合うと言っているだけで、最初から話があべこべなのです。

仮に百歩譲って兼近の弁明を受けれ入れたとしても、では、女子高生を売春させたり、特殊詐欺や強盗事件の主犯格の人間と一緒に窃盗をはたらいた人間の芸に笑うことができるのか、という話でしょう。とどのつまり、それに尽きるのです。


関連記事:
『芸能人はなぜ干されるのか?』
2023.02.01 Wed l 芸能・スポーツ l top ▲
publicdomainq-0062302uxtecn.jpg
(public domain)


■高官たちの相次ぐ辞任


ロシアのウクライナ侵攻から1年が経ちますが、最近、ウクライナで政府の高官たちが相次いで辞任している、という報道がありました。

BBC NEWS JAPAN
ウクライナ政府高官が相次ぎ辞任 ゼレンスキー大統領、汚職対策に着手

記事によれば、下記の高官たちが辞任したそうです。

キリロ・ティモシェンコ大統領府副長官
ヴャチェスラフ・シャポヴァロフ国防副大臣
オレクシー・シモネンコ副検事総長
イワン・ルケリヤ地域開発・領土担当副大臣
ヴャチェスラフ・ネゴダ地域開発・領土担当副大臣
ヴィタリー・ムジチェンコ社会政策担当副大臣
ドニプロペトロウシク、ザポリッジャ、キーウ、スーミ、ヘルソンの5州の知事

記事にあるように、キリロ・ティモシェンコ大統領府副長官は大統領選のときにゼレンスキー陣営のキャンペーンに携わっていた、ゼレンスキー大統領の側近中の側近で、ロシア侵攻後はウクライナ政府のスポークスマンを務めていました。

この他に、オレクシイ・レズニコフ国防相にも疑惑の目が向けられている、と記事は書いていました。

■汚職認識指数


しかし、これは今にはじまったことではないのです。前も書きましたが、ロシア侵攻前から、ウクライナは名にし負う汚職国家として知られていました。

政府高官の汚職はその一端にすぎず、人身売買や違法薬物の製造なども以前より指摘されていたのです。昨年、国連薬物犯罪事務所(UNODC)が、「薬物に関する年次報告書」で、ロシア侵攻によって、ウクライナ国内の「違法薬物の製造が拡大する恐れがあると警告した」というニュースも、このブログで取り上げました。

関連記事:
ウクライナ侵攻で薬物製造拡大の恐れ

これなども、「かわいそうなウクライナ」のイメージが裏切られるようなニュースと言えるでしょう。

ロシアは、政治や経済をマフィアが支配する「マフィア国家」だとよく言われていましたが、ウクライナも五十歩百歩なのです。ロシアやウクライナで言われる新興財閥オルガルヒというのは、マフィアのフロント企業のことです。

汚職・腐敗防止活動を行っている国際NGO団体のトランスペアレンシー・インターナショナル(TI)の「汚職認識指数」によれば、ウクライナは、180の国と地域の中で、2022年が116位、2021年が122位でした。

TIの「汚職認識指数」は、世界経済フォーラムの「年次報告書」でもその方法が採用されているくらい、信頼度が高いものです。

トランスペアレンシー・インターナショナル
汚職認識指数(2022年)

ちなみに、ロシアは、2022年が137位で、2021年が136位です。

今、世情を賑わせている広域強盗事件で、「ルフィ」と呼ばれる人物がフィリピンの入管施設の収容所からテレグラムを使って指示を出していたとして、あらためてフィリピンの収容所や刑務所の腐敗がクローズアップされていますが、そのフィリピンは、2022年がウクライナと同じ116位で、2021年はウクライナより上(良)の117位です。つまり、ウクライナはフィリピンと同じくらい腐敗した国なのです。

■武器の横流し疑惑


しかも、ウクライナの腐敗は、BBCの記事にあるような「役人が食料を高値で購入している」とか「ぜいたくな生活を送っている」とかいったレベルにとどまりません。

ウクライナに節操のない軍事支援を行うことのリスクは、かねてより指摘されていました。

ひとつは、武器の横流しです。時事通信も、次のような記事を書いていました。

JIJI.COM(時事通信)
国際支援の陰で汚職懸念 武器流用や着服の疑いも―有識者ら「監察機関設置を」・ウクライナ

支援が有効に機能してないのではないか、つまり、底に穴が空いたバケツに水を注いでいるようなものではないか、とずっと言われていました。

■ネオナチ


それからもうひとつ、ウクライナはアゾフ連隊のような民兵が跋扈するような、ネオナチが支配する国だったので、ヨーロッパ各地からネオナチの傭兵が多く参戦しており、彼らがウクライナでアメリカやヨーロッパの最新兵器の使用法を会得することも懸念されていました。私も下記の記事で書きましたが、そのことによって、ヨーロッパにネオナチの暴力が拡散する怖れが指摘されているのでした。

関連記事:
ウクライナに集結するネオナチと政治の「残忍化」

いつその暴力が自分たちに向かって来るかもしれないヨーロッパの国が、軍事支援に逡巡するのはむべなるかなと思いますが、しかし、結局、バイデンの”強硬策”に押し切られているのが現状です。でも、バイデンの”強硬策”とは、とどのつまり、自分の手は汚さずに戦争をけしかけて、今までと同じように覇権を維持しようとする、唯一の超大国の座を転落したアメリカの新たな世界戦略にすぎません。それは、“台湾危機”も同じです。

日本のメディアは、ずっとうわ言のように中国経済は崩壊すると言い続けて来ました。にもかかわらず、気が付いたら中国はアメリカの向こうを張る経済大国になっていたのです。今もまた、ロシアは瀕死状態にあり、ロシアが白旗を上げる日は近い、と熱に浮かされるように言い続けています。ホントにそうなのか。

政府がアメリカに隷属しているので、メディアも同じように隷属しているだけではないのか。クイズではないのですから、ウクライナかロシアかという二者択一がナンセンスなのではないか。そう思えてなりません。

ここからはくり返しになりますが、それにしても誰も停戦を言わない不思議を考えないわけにはいきません。ゼレンスキーは、奪われた領土を奪還するまで戦争はやめないと言っています。しかし、ウクライナの国民の3分の1は、ウクライナ語は話せずロシア語しか話せないのです。でも、2004年に行われた大統領選で親ロシア派のヴィクトル・ヤヌコーヴィチ前首相が当選したことに端をした親欧州派によるオレンジ革命やそれに続く2014年のマイダン革命で台頭したウクライナ民族主義によって、ロシア語話者は弾圧されるようになったのでした。その先頭に立ったのがネオナチの民兵・アゾフ連隊(大隊)です。

さらには、アゾフ連隊のようなネオナチの台頭を招いた上に、親欧州派はネオナチと結託して、ロシア語話者や左翼運動家やLGBTへの弾圧をエスカレートしていったのでした。オレンジ革命やマイダン革命は、それがウクライナ人の「尊厳」だとして、西欧かロシアかの二者択一を掲げることで、ユーロマイダンの裏に隠された「民族浄化」を誤魔化したのでした。

奪われた領土を奪還するまで戦争はやめないというゼレンスキーの主張は、玉砕するまで戦うということです。そして、ゼレンスキーの玉砕戦をアメリカやヨーロッパが支援しているのです。戦争をやめさせようとはしないのです。間に入って調停しようという国がないのです。これこそがホントの意味でウクライナ(国民)の悲劇と言うべきでしょう。
2023.02.01 Wed l ウクライナ侵攻 l top ▲