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■「自殺幇助」容疑に対する疑問


4代目市川猿之助の逮捕の容疑が(母親に対する)「自殺幇助」ということに対して、頭を捻らざるを得ません。

メディアの報道によれば、両親の死因は向精神薬による中毒だそうです。市川猿之助が普段服用していた2種類の向精神薬を両親に渡して、死に至らせた(自殺を幇助した)ということのようです。

しかし、私たち素人の知識でも、向精神薬は相当な量を飲まなければ致死に至らないはずです。現実的には、向精神薬で死ぬのは不可能と言う専門家もいるくらいです。しかも、一方で、パジャマ姿で床に横たわっていた両親の顔に、ビニール袋を被せたと供述しているのです。ということは、向精神薬で眠った状態の両親に、ビニール袋でトドメを刺したという風に考えることもできるのです。少なくとも、市川猿之助はそのつもりでビニール袋を被せたのでしょう。

しかも、一家心中を提案し自分もあとを追って死ぬつもりの人間が、そのあとビニール袋を外のゴミ置き場に捨てに行っているのです。その不自然さをどう考えればいいのかと思います。まるで証拠隠滅をはかったような(そう受け取られても仕方ないような)行動を取っているのでした。警察発表では、顔に被せたビニール袋は、死因にはまったく関係ないということになっているのですが、何だか腑に落ちないものがあります。

■ホントに家族みんなで死ぬことに合意したのか?


市川猿之助は一人っ子だったので、家族3人でひっそりと暮らしていたと書いているメディアがありましたが、だったら、死のきっかけになったと本人も言っている『女性セブン』の記事とはまったく矛盾します。

『女性セブン』の記事では、ホテルでパーティを開いて、そこで男性のスタッフに対するセクハラが行われていた、と書かれているのです。目黒の家では、お母さんが老老介護で寝たきりのお父さんの面倒を見ていたのはたしかでしょう。しかし、一人息子の市川猿之助は、そんなことはお構いなしにセクハラパーティを頻繁に開いていたのです。私には“バカ息子”みたいなイメージしかありません。

そもそも家族みんなで死ぬことに合意したという話も、額面通りには受け取れない気がします。父親の四代目市川段四郎氏は、既に寝たきりで、自分の意志を表明することもできない状態だったと言われています。

一人息子でめいっぱい甘やかされて育てられた梨園のボンボンが、自分の恥部を晒されたので、「もう生きていけない」と母親に泣きついたと考えた方が真実に近いような気がするのです。

泣きつかれた母親が、「じゃあ、みんなでさよならしようね」と提案したとは思えず、意地の悪い言い方をすれば、猿之助が「ママ、一人で死ぬのは嫌だ。みんなでさよならしよう」と説得したと考えた方が自然でしょう。溺愛した一人息子からそう説得された母親が、息子を不憫に思って同意したのかもしれません。

まして、自分の意志を表明することもできない状態の父親は、同意するもなにもないのです。だから、父親に対する容疑がポイントになると言われているのでしょう。

■市川猿之助より広末涼子の方が”重罪人”


それにしても、市川猿之助の報道に関して、歌舞伎界に対するメディアの腫れ物を触るような気の使いようには呆れるほかありません。松竹への忖度なのか、逮捕前までは、市川猿之助はまるで”悲劇の主人公”でもあるかのように言われていたのです。だから、梨園にはやりたい放題の”バカ息子”が多いのでしょう。

前に、ジャニー喜多川氏の性加害より広末涼子の「W不倫」の方が罪が重いと書きましたが、市川猿之助の「自殺幇助」も同じです。芸能マスコミの手にかかれば、市川猿之助より広末涼子の方が”重罪人”であるかのように流布されるのでした。それは、市川猿之助の一家心中(とされるもの)は古い家族制度を連想させる一方で、広末涼子の「W不倫」は家族制度に反旗を翻すように映るからでしょう。

山口真由氏は、広末涼子のバッシングに対して、次のようにツイートしていましたが、まったくそのとおりでしょう。


メディアは、アンシャンレジュームを代弁する鼻くそでしかないのです。それは、やがて姿を消す運命にあるメディアの最後のあがきのようなものかもしれません。

〈結婚〉や〈家族〉や〈夫婦〉といったものは、広末涼子をバッシングするような(「不倫」を断罪するような)そんな価値観のもとにはもうないのです。何度も言いますが、資本主義社会はもはやそんな段階にはないのです。卑俗な言い方をすれば、みんな陰では「不倫」しているし、チャンスがあればしたいと思っているのです。「異次元の少子化対策」なるものがトンチンカンで滑稽なのは、にもかかわらず古い家族(結婚)制度を前提にしているからです。社会の構造が変わり、それに伴って働き方が変われば、私たちの意識も生き方も変わるのは当たり前です。


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■ある登山ユーチューバー


しばらく動画の投稿が途絶えていた30代半ばの登山系ユーチューバーがいたのですが、今年の初めにYouTubeの「コミュニティ」欄に文章をアップして、ユーチューバーとしての活動をやめると宣言していました。

理由は、大事な人が突然亡くなって、「登山もYoutubeもする気が起きなくなった」からだと書いていました。それで、就職活動を始めたのだそうです。

YouTubeをはじめて2年半くらいでしたが、その間60本以上の動画をアップしていました。全国各地の山を訪れて、実質的に専業ユーチューバーとしての活動をしていました。登山の初心者でしたが、御多分に漏れずあれよあれよという間にステップアップして、北アルプスの表銀座を縦走するまでになっていたのです。

しかし、再生回数の伸びから見ても、専業ユーチューバーとして一本立ちするには無理がある、という結論に達したとも書いていました。

それを読んで、別に親しい人間が亡くなったとか、そういうのではないのですが、私は、彼の気持がわかるような気がしたのでした。

■コロナ禍


「コロナ禍で変わった風景」というような記事も書きましたが、私自身も知らず知らずのうちに、コロナ禍によって心境に変化が生まれていたように思います。もしかしたら、それは、”トラウマ”のようなものかもしれません。

幸いにも私自身は感染することはありませんでしたが、しかし、新型コロナウイルスに翻弄された現実を、嫌になるくらい間近で見てきました。

もちろん、新型コロナウイルスは終息したわけではなく、変異株による新たな感染の拡大も指摘されていますが、しかし、新型コロナウイルスによって、私たちは、身体だけでなく、精神面でも大きな影響を受けたことはたしかな気がします。あの何とも言えない陰鬱な気持。毎日が「葬式列車」(石原吉郎)のような、通勤電車の中に漂う重苦しい空気。次々と職場を去って行く人たち。もしかしたら、戦争もこんな感じなのかもしれないと思ったりしました。知らぬ間にまわりの状況がどんどん変化していく。足元の砂山が徐々に崩れていくような、そんな崩壊感覚がありました。

■リセットしたい


私自身も、このブログも含めて全てをリセットしたいという誘惑に駆られることがあります。自己顕示欲のようなものが鼻に付いて、ときにたまらない自己嫌悪に陥ることがあるのです。ただ、一方で、18年も続けてきたので、ここでやめるのは「もったいないな」という気持もあります。傍目ではそう見えないかもしれませんが、私自身の中では、このブログは“備忘録”のようなものでもあるのです。私は若い頃からずっと日記を書いて来ましたが、ブログを書くようになって日記をやめたのでした。

前も書きましたが、年を取ると、肉体的な面だけでなく、精神的な面でも“体力”がなくなっているのを痛感することが多く、矛盾とか羞恥心とか自己嫌悪とかいったものに耐えることがしんどくなっているのも事実です。

石原吉郎は、「一九五六年から一九五八年までのノートから」(構造社刊『日常への強制』所収)の中で、次のように書いていました。

 私は孤独という中心のまわりを、ただむなしくまわっているにすぎない。永久に孤独の中心へはいって行こうとはしないのだ。


〈生きることの困難さ〉とは、〈積極的に生きることの困難さ〉である。労苦や悲しみに押し流されている間は、この困難さへの認識はない。


最近は、こういった言葉がやけに心に染み入るのでした。

■近所の老人


近所のアパートに、70歳前後くらいの男性が住んでいるのですが、数年前からときどき道ですれ違うようになりました。仕事をしているらしく、ショルダーバッグを肩から下げて駅の方から帰って来たり、逆に駅の方に向かっている男性と、それこそ数ヶ月に一度くらいすれ違うことがありました。すれ違う時間が朝だったり夕方だったりするので、三交代か何かの仕事をしているのだろうと思いました。第二の人生で警備員の仕事をしているのではないか、と勝手に思ったりしていました。

ところが、最近、何故か頻繁に見かけるようになったのです。数ヶ月に一度どころか、一週間か十日に一度すれ違うようになったのでした。それも、駅に向かう道路だけでなく、近所のスーパーでもすれ違うようになったのでした。

しかも、不思議なのは、スーパーの店内より敷地内ですれ違うことが多く、それも何か買い物をしているわけではなく、いつも手ぶらなのでした。

ある日の夕方、アパートの前を通りかかったら、男性がドアをガチャガチャ言わせているのに気付きました。どうやら部屋のドアが開かないみたいです。そのとき、男性の部屋が一階の奥から二番目だということを知ったのですが、でも、傍から見れば、不審者に見えるでしょう。

それで、私は、「どうしたのですか?」とアパートの前から彼に声をかけたのでした。しかし、距離が離れているということもあって、何やらムミャムミャ言っていますがよく聞き取れません。何だか酔っぱらっているような感じに見えなくもありません。

もう一度声をかけると、「閉められた」と言っているのが聞こえました。それを聞いて、一人暮らしではなく奥さんがいて、中から部屋の鍵を閉められたのかと思いました。

男性は、ドアノブから手を離して私の方に身体を向けると、突然、「携帯電話を持っていますか?」と訊くのです。やはり酔っぱらったようなもの言いでした。

「はい、持っていますよ」
「すぐ繋がりますかね」
「ええっ?」

言っている意味がわからず、戸惑っていると、「どうも、すいません」と言って再びドアノブに鍵を差し込んでガチャガチャ言わせていました。

私は用事があったので、その場を立ち去ったのですが、駅に向かって歩きながら、あれは酔っぱらっているのではなく、脳梗塞か何か病気なのではないかと想像したりしました。

そして、昨日の昼間のことです。アパートの前の道路を歩いていると、前から男性がやって来たのでした。男性に会ったのは、二週間ぶりくらいでした。「こんにちは」と挨拶すると「あっ、こんにちは」を挨拶を返してきました。昨日は気温が30度近くも上がった暑い日でしたが、男性は雨具のような長袖のジャンパーを着ていました。頻繁に会うようになったのでわかったのですが、いつも同じ服装なのでした。

「暑いですね?」と言うと、「はあ、そうですね」と相槌を打っていました。滑舌は前よりましになっていましたが、やはり、いくらか聞き取りにくい感じがありました。そう言ったあと、男性の服装を見て、「しまった、皮肉に聞こえたかな」と思いました。

しかし、そんなことはお構いなしに、「こんなに暑かったら仕事に行くのも大変ですね?」と言うと、「ええ、まあ」と曖昧な返事をするのです。それで、さらに畳みかけるように(ホントは好奇心を抑えることができなかったからですが)、「どんな仕事をしているんですか?」と失礼な質問をしてみました。

すると、「働いてないんですよ」と言うのです。私は、思ってもみない返答に心の中で「えっ」と思いましたが、「そうですか。それはいいですね」とその場を取り繕うようなことを言って別れたのでした。

数ヶ月に一度道ですれ違っていた頃は、間違いなく働いていたような様子でしたので、もしかしたら、コロナ禍で辞めたのかもしれません。あるいは、病気で辞めざるを得なくなったのか。

私は、一つのことに関心を持つとずっと気になる性格なので、もう男性と会いたくないなと思いました。これ以上、男性のことをあれこれ想像をめぐらしていると(ホントはただ詮索しているだけですが)、気持がつらくなるような気がしたのでした。

他人は他人。他人のことに関心を持ってもどうなるわけではないし、いいことはない。俺は人間嫌いのはずじゃないか。そう自分に言い聞かせているもうひとりの自分がいました。


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関内あたり
石原吉郎
2023.06.25 Sun l 日常・その他 l top ▲
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■生麦事件


用事があって、鶴見区の生麦(なまむぎ)に行きました。生麦と言えば、学校の歴史の授業で習った生麦事件があったところです。

昔、仕事関係の知り合いに生麦在住の人がいましたが、最初に会ったとき、「ああ、あの生麦事件があったところですか?」と訊いたら、「住所を言うと必ずそう言われる」と苦笑いしていました。

駅の近くに生麦事件の石碑があるそうなので探したのですが、見つけることができませんでした。

私は、初めて生麦に行きましたが、想像していたよりうらびれた感じの街で、正直言ってびっくりしました。横浜駅から京急(京浜急行)線に乗り換えて生麦駅で降りたのですが、駅前には何もないのです。駅のすぐ横に”駅前商店街”がありましたが、おせいじにも商店街として充分機能しているようには見えませんでした。

ただ、ネットで生麦を検索すると、駅の近くにスーパーがあって便利だと書いているのです。それで、地元の人に訊いたら、2019年だかに閉店したということでした。

でも、ネットでは、電車で横浜や鶴見や川崎には10分もかからずに行けるので「買い物にも便利」「住み心地がいい」などという記事ばかりでした。私は、「全然便利じゃないだろ」とツッコミを入れたくなりました。それらは不動産会社のバイアスがかかった記事なのでしょう。Googleで上位に出て来るのは、そんなものばかりです。

駅前と言っても、車が離合するのも苦労するような細い路地があるだけでした。ただ、駅から路地を5分も歩けば国道15号線、つまり、旧東海道でもある第一京浜に出ることができます。生麦にはキリンビールの工場があるそうですが、工場があるのは国道を渡った先の埋め立て地です。また、国道に出ると、先の方に大黒パーキングに至る首都高横羽線のジャンクションのループ橋を見ることができました。かつて横浜の暴走族の聖地だった大黒パーキングや大黒埠頭にも近いのでした。

■京浜工業地帯の駅


ところが、こんなひなびた生麦駅ですが、一日の平均乗降客が2万5千897人(2022年)だそうで、それにもびっくりしました。私が、生麦駅に降りたのは午前10時すぎでしたが、人通りも少なく閑散としており、そんな面影は微塵もありませんでした。

つまり、生麦駅は、京浜工業地帯の中にあり、埋立地の工場などに通勤するための駅という性格が強いのでしょう。だから、乗降客が多いわりには駅周辺は殺風景なのかもしれません。

あとで知ったのですが、近くにはJR鶴見線の国道駅(無人駅)があるそうです。国道駅の「国道」は国道15号線のことですが、戦前からの高架の風景を残した国道駅は、昔の京浜工業地帯の通勤風景を偲ぶことができるレトロな駅として、鉄道ファンの間ではよく知られているのでした。生麦駅からだと歩いて行ける距離だそうで、前もって知っていれば行きたかったなと思いました。

生麦駅は、京急の各駅停車が停まるだけの駅ですが、京急と並行してJRの東海道本線や横須賀線や京浜東北線など8本の線路が走っているため、反対側(山側)に行くには長さが60メートルの跨線橋を渡らなけばなりません。駅の横に踏切があるのですが、歩行者は使用禁止だそうです。ウィキペディアによれば、車両も7~9時と14~19時は通行禁止になっているそうです。どおりで踏切に係員が立っていたわけです。2013年に88歳の老人が踏切を渡り切れずに電車に轢かれて亡くなったそうで、その事故をきっかけに駅と直結する跨線橋が設置されたということでした。

駅周辺には、牛丼店や定食屋やラーメン屋などのいわゆるチェーン店も一軒もありませんでした。ファミレスもサイゼリアが一軒あるだけでした。閉店したスーパーマーケットもチェーン店ではなく、地元の店だったそうです。チェーン店が進出してないということは、商業地としてのメリットがないと見做されているからでしょう。

約束の時間より早く着いたので喫茶店を探したのですが、もともと店自体がないので喫茶店などあろうはずがありません(ただ、帰りに山側に行ったら、昔ながらの喫茶店が一軒ありました)。喫茶店がなければ、公園のベンチで時間を潰そうと思ったのですが、公園も見当たりませんでした。

駅の海側は、駅と国道15号線の間の限られた土地しかないので、住宅地として発展する見込みがほどんどないのはよくわかります。一方、線路を越えた山側に行くと、町名が生麦ではなく「岸谷」に変わるのですが、町名どおり跨線橋から道路に下りると、すぐ丘になり、丘一帯が住宅地になっているのでした。ただ、通勤・通学のために生麦駅を利用するには、長い跨線橋を渡らなければならないし、車で15号線に出るにも大きく迂回しなければなりません。しかも、山側にも商店街らしい商店街はありませんので、日常の買物が不便であることには変わりがありません。

このように実際に現地に行くと、ネットで書かれていることとはかなりイメージが違っているのでした。それがGoogleの検索がevilなものになったと言われる所以なのでしょう。

■伊勢佐木町


用事を済ませたあと、横浜駅まで戻り、横浜駅からみなとみらい線で馬車道で降りて、伊勢佐木町で昼食を食べました。

伊勢佐木町は、去年の年末以来ですが、あらためて通りを歩いたら、コロナ前と比べて異変があることに気付きました。

前も書きましたが、コロナ禍の間、私は伊勢佐木町には一度も訪れていません。それだけにコロナ禍の前と後の違いが目に付くのでした。

有隣堂の近くにあった吉野家が撤退して買い取り屋になっていましたし、吉野家のはす向かいの富士そばも閉店していました。また、かつやもてんやもなくなっていたのです。

別にチェーン店を擁護するつもりはありませんが、しかし、彼らの冷徹なマーケティングは街の現状を知る上で参考になるのです。チェーン店に見放されたというのは、私もこのブログで散々書いていますが、伊勢佐木町の衰退がいよいよ来るところまで来たなという気がします。たしかに、平日の昼間に行くと、益々人通りが少なくなっており、淋しい光景が広がっていました。

コロナ前にあれほどいた南米系の外国人たちが見事なほど姿を消していました。金のネックレスやブレスレットをチラつかせながら、文字通り肩で風を切って歩いていた中国人の不良たちも、いなくなっていました。

こういった伊勢佐木町の衰退に象徴される横浜の現状が、前に書いた「横浜の不穏」のような発想につながっているのかもしれません。

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横浜の不穏

■アジアの民衆は「お客様」


先日もタイに行った知り合いが、バンコクは東京と変わらないくらいの都会で、タイの活気に圧倒されたと言っていましたが、考えてみれば、中国をはじめアジアの国がどんどんキャッチアップして豊かになっているので、昔のように出稼ぎに来ることがなくなったということもあるのかもしれません。まして、こんなに円安になれば、同じ出稼ぎするにしても、ほかの割りのいい国に行くでしょう。

埴谷雄高と吉本隆明の間で、いわゆる「コムデギャルソン論争」があったのは1984年でしたが、当時は日本人はエコノミック・アニマルと言われて、埴谷雄高が言うように、アジアの民衆を「ぼったくっていた」のです。日本は「日帝本国」で、アジアは「周縁」だったのです。

しかし、今の日本にとって、アジアの民衆は「お客様」です。彼らはいつの間にか「インバウンド」と呼ばれる観光客になり、彼らが落とすお金に、日本人が平身低頭して手を差し出すようになっているのでした。もはや日本は仰ぎ見るような国ではなくなったのです。

「日本はあこがれの国」というのは、日本人から「ぼったくろう」という(見えないところで舌を出している)ロシア人や韓国人のユーチューバーたちが言っているだけなのです。


※拡大画像はサムネイルをクリックしてください。

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伊勢佐木モール
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■独りよがりな左派の文章のスタイル


別に言いがかりをつけるつもりはありませんが、左派界隈の文章を読むと、ホントに相手に伝えようと思って書いているのか、疑問に思うときがあります。

これは、昔からそうで、たとえば『現代の眼』などに書かれていた文章は難解なものが多く、相当な読解力が必要でした。先日、某雑誌で久しぶりに菅孝行氏の文章を見つけてなつかしかったのですが、菅氏の文章などはその最たるもので、一度では理解できないので、何度も同じ個所を読み返しながら読み進んで行かなければなりませんでした。

丸山眞男氏の実弟のジャーナリストの丸山邦男氏が、左派はもっと読みやすい文章を書かなければダメだと、それこそ口が酸っぱくなるくらい言っていましたが、そういった左派特有の独りよがりな伝統は今も引き継がれているような気がします。

もっとも、左派は思想的に唯一前衛党主義で独善的なところがありますので、独りよがりな体質は宿痾とも言えるのかもしれません。

■アジア記者クラブのツイッター


最近、難解ではないけど、読みにくいなと思ったのは、アジア記者クラブのツイッターです。たとえば、こんな感じです。


最悪な”おじさん構文”と言えるでしょう。野暮を承知で言えば、文章の中に国旗の絵文字が散りばめられていると、読みづらくて疲れるのでした。恐らくリズミカルに読み進むことができないからだと思います。投稿しているのはジャーナリストのはずですが、文章にリズムがあるという基本がわかってないのではないかと思ったりします。

そもそもこんな文章を投稿して、恥ずかしいと思わない感覚が凄いなと思います。もしかしたら、逆に得意満面なのかもしれません。

読みにくい文章を書いて、「オレ凄いだろ」みたいなアホらしい風潮がネット以前にはありましたが、ネットの時代になると、こういった絵文字の多用が“痛い”文章の代表例みたいに言われるようになったのでした。これではアジア記者クラブのツイッターが、”痛い”左翼を象徴していると言われても仕方ないでしょう。

前にリベラル界隈のYouTubeチャンネルが、テーマも出演者も重複していて、まるで“リベラル村”の井戸端会議みたいになっていると嫌味を書きましたが、左派も似たようなもので、狭いサークルで「異議なし!」と言い合ってお互いに慰謝し、自己満足しているだけのようにしか見えません。

アジア記者クラブのツイッターは、特にウクライナ戦争においては、一般的なメディアとは違う視点を持っているので参考になることも多いのですが、それだけに残念な気がしてならないのでした。

これもまた、「『負ける』という生暖かいお馴染みの場所でまどろむ」光景の一つかもしれない、と思いました。
2023.06.22 Thu l 社会・メディア l top ▲
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■プライバシーがダダ漏れの記者会見


広末涼子の「W不倫」があくまで個人の生き方の問題で、広末涼子の女優としての評価にいささかの影響を与えるものではないことは言うまでもありません。と言うか、影響を与えるようなバカなことをしてはならないのです。

今回の騒動で「唯一」と言ってもいいような問題は、あの乙女チックなラブレターや交換日記を誰が流出させたのか、誰が週刊文春に提供したのかということだけです。

そんな中で、夫のキャンドル・ジュン氏が、突如記者会見を開くという出来事がありました。

キャンドル・ジュン氏は、冒頭、「広末ジュンです」と婿養子に入っている自分を紹介していましたが、何だかそんな自己紹介に記者会見を開いた意図が隠されているような気がしないでもありませんでした。家族が住んでいたのは広末が購入した家だそうで、「W不倫」が発覚する直前に(広末の“名代”の)彼女の母親から離婚を切り出されて、「家を出て行ってほしい」と言われたそうです。

三人の子どもたちは、母親の広末の元に残ることを選択したので、どうやら一人で家を出たみたいです。

キャンドル・ジュン氏は、広末は「良き妻であり. 最高の母親だった」と言っていましたが、それに対して、ファンなどから「救われた」「ありがとう」という反応があったという記事がありました。私は、その記事を見て頭の中は「!?」マークしか浮かんできませんでした。

その一方で、広末涼子は、何年に一回か、仕事のプレッシャーから派手な恰好で夜遊びすることがあり、前にも浮気したけど本人には内緒で「示談した」というようなことまで”暴露”していたのでした。キャンドル・ジュン氏は、広末涼子がメンヘラで、性的に放縦な傾向があるかのように言っていましたが、事実であるかどうかに関係なく、それは他人ひと様に吹聴するようなことではないでしょう。

広末涼子自身は、「これが私の個性だ」とキャンドル・ジュン氏に言ったそうですが、女優としてその言やよしと思いました。女優にとって、良妻賢母であるかどうかなどどうだっていいのです。女優が二つも三つもの顔を使い分けるのは当たり前です。

何だか”ドロ沼離婚劇”という、おなじみの(くだらない)自作自演が既に始まっているような気がしてなりません。もしかしたら今回の騒動の本題は、そっちの方かもしれないのです。

また、「不倫報道を機に家庭内のプライバシーが暴かれ『次男や長女は長男と血がつながっていないことは知りませんでした。次男には心の成長を見て折を見て話そうと思っていました。こんな形でうちの事情を知り、本当かどうかも分からないことを多数目にして、何も悪いことをしていないうちの子たちがどうやって外を歩けばいいんでしょうか』と訴えた」(中日スポーツ)のですが、しかし、何のことはない、自分もそうやって家庭内のプライバシーをメディアにダダ漏れさせているのでした。私は、父親の記者会見によって、次男や長女の幼い心が傷つくことの方が逆に心配になりました。

それに、言葉尻を捉えるようですが、「次男や長女は長男と血がつながっていない」と言っていますが、血はつながっているのです。ただ、自分との血縁関係で血がつながってないだけです。そこには、キャンドル・ジュン氏の古い家族観が顔を覗かせているような気がしました。

■メディアの反応とホリエモンの発言


ところが、キャンドル・ジュン氏の奇妙な記者会見を好意的に受け止めているメディアもあるのでした。

日刊ゲンダイは、「夫ジュン氏“けじめ会見”で状況一変…広末涼子が迫られる『引退、仮面夫婦、元サヤ』の三択」という記事の中で、キャンドル・ジュンさんの会見で、世間の印象が変わったとして、「キャンドル・ジュン氏は18日の会見で、広末の情緒不安定なこれまでの様子や過去の不倫についてまで包み隠さず話したため、『これまで“謎のヒモ夫”と見る向きもあったのが、むしろ好感度は爆上がり。もう誰もジュンさんを悪く言う人はいないでしょう』(スポーツ紙芸能デスク)」というようなコメントを紹介していました。と、まるでキャンドル・ジュン氏が、記者会見で逆転ホームランを打ったかのような書きっぷりなのでした。日刊ゲンダイの中では既に、広末涼子VSキャンドル・ジュンの“ドロ沼離婚劇”の構図ができているのかもしれません。

日刊ゲンダイ
夫ジュン氏“けじめ会見”で状況一変…広末涼子が迫られる「引退、仮面夫婦、元サヤ」の三択

それに対して、キャンドル・ジュン氏の記者会見を批判し、ラブレターの流出について、「あれ(手紙を)多分暴露したのはキャンドル・ジュンさんなんでしょうけど」と自身のYouTubeチャンネルでコメントしたホリエモンに対しては、批判が集中しているそうです。

ジャニー喜多川氏の性加害の問題では相変わらず上目使いで事務所の出方を伺うだけなのに、広末涼子の「W不倫」になると、狂ったように悪意に満ちた記事を書き散らしている『女性自身』は、その批判の声をコタツ記事で次のように伝えていました。

Yahoo!ニュース
女性自身
「誹謗しすぎ」「胸糞悪い」ホリエモン 広末の夫キャンドル・ジュン氏への“適当発言”に批判殺到

《ホリエモン好きだけど、この件は鳥羽さんが悪いでしょ。知り合いだからって大目に見過ぎ》
《なんの情報もないなら動画にしなきゃいいのに。相変わらず人を小馬鹿にしたただた胸糞悪い時間だった》
《キャンドルジュンさんのこと誹謗しすぎ あと、話盛りすぎ、若手俳優なんて言ってないじゃん》
《キャンドルジュンさんへの物言いがちょっとひどいです。間違ったこと(暴露したのはジュンさんではない)だしそういったことに抗議するために命を捨てるとも言ってましたし事実とわかってること以外言わないでほしいです。》
《証拠の手紙とかキャンドルさんじゃなかったらどうするんですか?言いっぱなしですか?影響力あるのだから確信がある事だけ発言して欲しいです。今日はとても意地悪に感じました》


私は、「なんじゃらほい」という感想しかありません。まあ芸能マスコミにすれば、鎮火するより炎上した方が美味しいのはたしかなのでしょう。こんなコタツ記事を書く暇があるなら、ラブレターや交換日記を誰が週刊文春に提供したのか取材しろよと言いたくなります。

メディアにプライバシーが暴かれて迷惑していると言いながら、みずから進んでプライバシーをどんどん流出させているキャンドル・ジュン氏の矛盾は、火事だと言いながら火を点けてまわっているような感じがしないでもありません。案外、そこに今回の騒動のモヤモヤとゲスないやらしさがあるのかもしれないのです。
2023.06.21 Wed l 芸能・スポーツ l top ▲
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(イラストAC)



■「世界難民の日」


6月20日は国連が定める「世界難民の日」で、それに合わせて東京スカイツリーは、特別に国連カラーの青色にラットアップされるそうです。これは、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)の駐日事務所が主催するライトアップイベントの一環で、スカイツリーのほか全国40ヶ所以上のランドマークが青色にライトアップされるということです。

また、「世界難民の日」に合わせたユニクロの「特別授業」で、女優の綾瀬はるかが、東京都武蔵野市の小学校にサプライズで登場したというニュースもありました。これは、ユニクロがUNHCRとタイアップして行っている、箪笥の肥やしになった服を回収して、難民たちに届けるという社会貢献活動の一環だそうです。

■異常な日本の難民認定率


先日、国会で成立した改正入管難民法で散々指摘されたように、日本の難民認定は外国に比べて非常に厳しく、2022年度に難民と認定されたのは202人です。2021年が74人でしたから2.7倍に増えたのですが、しかし、不認定とされた人は2022年では1万人を超えるそうで、認定率は2%以下の狭き門なのです。

ちなみに、2021年度の各国の認定数と認定率は以下のとおりです。これを見ると、日本の異常さが一目瞭然です。

2021年難民比較

※日本以外のデータは、以下のサイトから引用しました。

国際NGOワールド・ビジョン
難民認定者数と認定率の世界比較、受け入れ数ランキングや日本の現状

※日本のデータは、生活保護の捕捉率などと同じように、出入国管理庁が発表したおおまかな数字しかなく、上記のような比較データがありません。それで、出入国管理庁が発表した数字に基づいて当方で算出しました。

■難民は他人事


ユニクロの「特別授業」に見られるように、日本にとって難民は所詮他人事なのです。自分たちは難民を冷酷に追い返しながら、遠い国の難民には可哀そうと同情を寄せる。ここにも、日本人お得意の建前と本音が表れているのでした。

まるで現代版貴族の館のような33階建ての豪奢な横浜市庁舎も、UNHCRの呼びかけに応じて、6月20日には青色にライトアップされるそうですが、だったら山中竹春市長は、日本のお寒い難民認定の現実について、嫌味の一つくらい言えよと思います。

難民申請を審査する参与員が100人いる中で、一人で難民申請の25%を担当していた参与員がいたことが、先の入管難民法改正案の審議の過程であきらかになりましたが、その参与員にどうして審査が偏ったかと言えば、彼女が難民審査にことのほか厳しい姿勢を持っていたからです。その一方で、認定に積極的な参与員の元には、いっこうに審査がまわって来なかったそうです。

片端から(事務的に)申請を却下した彼女は、一方で、地雷除去の活動もしていて、「難民を助ける会」という国際NGO団体の名誉会長を務めていたという、驚くべき事実もあきらかになったのでした。もっとも、近くに来た難民は水をかけて追い返し、遠くの難民には可哀そうと施しを与える日本人のいやらしい心根を考えれば、それも別に不思議ではないのです。

そして、こういった建前と本音の両刀遣いの先に、あの「ニッポン凄い!」の自演乙に象徴される、「反日カルト」の旧統一教会と平気で手を組むような下劣な「愛国」主義があるのでしょう。

■知性より名誉


国連難民高等弁務官事務所と言えば、ご存知のように、緒方貞子さんが1991年から2000年まで10年間、第8代の難民高等弁務官を務めていましたが、そのお膝元がこのあり様なのです。

緒方貞子さん自身は、日本の難民認定の低さを批判していたようですが、ただ、日本では緒方貞子さんの難民高等弁務官という職も、名誉職のようなイメージで捉えられていたフシがありました。だから、日本の入管行政が変わることはなかったのです。

知性より名誉が優先されるのは、日本の公的な組織ではよくある話で、そうやって建前と本音が合理化されるのでしょう。さしずめ綾瀬はるかの「世界難民の日」の「特別授業」などはその最たるもので、そこには知性の欠片もないのです。彼女は、難民の何を知っているというのでしょうか。
2023.06.20 Tue l 社会・メディア l top ▲
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(イラストAC)



■「性自認」を避けたい思惑


性的マイノリティに対する理解を増進するための「LGBT理解増進法」が、昨日(16日)参議院本会議で可決、成立しました。

今回成立した「LGBT理解増進法」について、当事者たちは、これはマイノリティではなくマジョリティのための法律で、むしろ差別を助長するものだと批判しています。メディアの論調も概ね、彼らの批判に沿ったものになっているようです。

「LGBT理解増進法」には、自民案、維新・国民民主案、立民・共産案の三つの案がありました。

下記は、三案を比較した図です。

LBGT理解増進法案
(毎日新聞より)

これを見てもわかるように、大きな違いは「基本理念の表記」と「性自認の表記」です。ただ、「性自認の表記」に関しては、「性自認」も「性同一性」も英語に訳すと「ジェンダーアイデンティティ」になるので、英語では同じことです。にも関わらず、あえて「性同一性」や「ジェンダーアイデンティティ」という言葉に拘ったのは、「性自認」という言葉を使いたくないからでしょう。つまり、自分が女だと思ったら女で、男だと思ったら男で、どっちでもないと思ったらどっちでもないという、「性自認」が認知されるのを避けたいという思惑が透けて見えるのでした。

■日本の伝統的な家族形態はとっくに破産


一方で、LGBTQそのものに対して、天皇制に連なる日本の伝統的な家族形態=家族観を壊すものだとする、右派からの反対もありましたが、そういったカルト的な「愛国」思想がとっくに破産しているのは誰が見てもあきらかです。むしろ、家族が個に解体されてバラバラになっていることは、私たちが一番よくわかっているはずです。

それは教育や道徳の問題なんかではありません。何度も言いますが、資本主義の発展段階において必然的に変容が迫られる「文化」の問題です。家父長制的大家族から核家族になり、核家族から個の時代になっていくのは、産業構造の変化やそれに対応した労働の変化によってもたらされる新しい「文化」=生き方に他ならないのです。未婚者やディンクスなどが増えているのも、”時代の変化”としか言いようのない「文化」=生き方であって、「異次元の少子化対策」などでどうなるものでもないのです。

話が逸れますが、年間3兆円の税金を投じるなら、「少子化対策」ではなく貧困対策に使うべきでしょう。児童手当なども含めた子ども向けの施策も、貧困対策として講じるべきでしょう。そもそも、アナクロな伝統的家族の形態や、広末涼子のスキャンダルに見られるように未だ「不倫」などという言葉が流通して、”良い母親”像みたいなものを一方的に押し付けられるような社会で、「少子化対策」もないだろうと思います。

マイナンバーをめぐるトラブルも然りで、家族単位で発行される健康保険証と、個人単位のマイナンバーカードとは根本的に仕組みが違うわけで、それを統合するのに無理があるのは少しでも考えればわかるはずです。伝統的家族の形態を守りながら、マイナンバーカードを発行するというのは、発想そのものに矛盾があるのです。それを入力ミスや設定ミスといった、いわゆる人為的ミスのせいであるかのように言うのは、問題を矮小化するものでしかありません。

■LGBT理解増進法(案)の問題点


「LGBT理解増進法」の問題点については、上野千鶴子氏が理事長を務める「NPO法人 ウィメンズ アクション ネットワーク(WAN)」のサイトに法案の成立前に書かれた、奈良女子大学名誉教授の三成美保氏の下記の文章が非常にわかりやすくまとめられていました。

WAN
LGBT理解増進法案の問題点

三成氏は、まず、超党派合意案にあった「学校設置者の努力」という独立条項がなくなり、与党案・維国案・4党合意案では「事業者等の努力」条項に統合されたことに大きな”後退”があると言います。これにより、「LGBT児童生徒の自殺念慮」がきわめて高い現実に対して、学校現場の対策が「停滞」することが懸念されると言うのでした。子どもがみずからの性に対して同一性を持つことができず、悩んだ末に死にたいと思うような事態を見逃すことになると言うのは、そのとおりかもしれません。

さらに与党案・維国案・4党合意案(「LGBT理解増進法」)は、理解増進に対して”足枷”とも言うべき文言や「留意事項」が付け加えられたと言います。

第二は、超党派合意案にはなかった「保護者の理解と協力を得て行う心身の発達に応じた教育」(維国案)という文言が「家庭及び地域住民その他の関係者の協力を得つつ教育」(4党合意案)に修正されて追加されたことである。(略)4党合意案は、「保護者の理解」を「家庭」に置き換え、さらに「地域住民」を加えた。これにより、親や地域集団が批判的な声をあげると学校でのLGBT理解増進教育が阻害される恐れが高まる。


今回の修正案でなによりも懸念されるのは、「すべての国民が安心して生活できるよう留意する」(維国案・4党合意案)という留意条項である。これは、LGBTの人びとが他の国民の安全を脅かす存在であるとのメッセージになる。加えて、4党合意案では、「この場合において、政府は、その運用に必要な指針を策定する」とまで規定された。いったい誰のための指針なのか。理解増進法はマイノリティたるLGBTのための法である。留意事項を入れると、意味が180度異なってしまう。


たしかに、「LGBT理解増進法」が、「すべての国民」や「家庭」や「地域住民」といった、今まで性的少数者を差別していたマジョリティに配慮することに重心を置いた法律に変わった、と言うのはその通りかもしれません。

そこに、「性自認」という言葉を避けたいという思惑や、「不当な、、、差別」という表記にこだわった理由があるように思います。ただの差別ではなく、「不当な、、、差別」と表記することで、法文解釈では不当ではない、、、、、、「合理的な区別」が対置されることになるからです。つまり、差別ではない「合理的な区別」もあり得るという、論理的な余地を残すことになったのです。

どうしてこのように”後退”したのかと言えば、その背景に、トイレや浴場やスポーツの現場で、今後トランス女性の存在を認めなければならないという、人々の「懸念」や「不安」があるからだと言われています。言うなれば、「LGBT理解増進法」の”後退”は、「俗情との結託」に他ならないのです。

三保氏は、この「懸念」や「不安」について、次のように書いていました。

「トイレ・浴場・スポーツ」という「女性専用/女性限定」の場面に、男性としての経験や男性としての身体的要素をもつトランス女性が侵入することは女性の安全や権利を脅かすという議論は、一見わかりやすい。しかし、この議論はあまりに乱暴であり、現実的でもない。トイレ・浴場・スポーツでは条件が異なるため、同一レベルで論じるべきではなく、トイレについても不特定多数が使う公衆トイレと職場学校などの顔見知りが使うトイレとでは利用者の状況が異なる。そもそも男性がトランス女性であると偽った上で女性トイレなどに侵入することは犯罪であり、侵入者個人の責任が問われるべきである。トランス女性一般を性暴力と結びつける言説は、トランス女性の尊厳をも脅かす。

トイレや浴場などの設備は改修し、目的に応じて利用ルールを定めることによって想定されるトラブルを十分に防ぐことができる。スポーツについても、男女という区別を超えて、体格やホルモン値、筋量などの指標による新たな区分を設けて競い合うこともできるだろう(略)。


スポーツを「男女という区別を超えて、体格やホルモン値、筋量などの指標による新たな区分を設けて競い合うこともできる」というのは、驚くべき論理ですが、「性の多様性」がそういう発想に行き着かざるを得ないというのもたしかでしょう。

■トランス女性と「女性の安全」の問題


トランス女性の問題については、当然と言うべきか、一部のフェミニストたちから、もともとトイレが性犯罪が起きやすい危険な場所だったことから、男女の区別がないトイレが増えたり、トランス女性が女性用トイレにフリーで入ることが認められれば、さらに性犯罪の危険が増すことになりかねないとして、見直しを求める声が上がったのでした。彼女たちは、それを「女性スペースを守る」というような言い方をしていました。また、そんなフェミニストに同調したのかどうかわかりませんが、やはり一部の左派の間でも、トイレの共有には「懸念」の声が上がっていました。

「懸念」する側の“論客”の一人と言ってもいい、武蔵大学社会学部教授の千田有紀氏は、Yahoo!ニュースの「個人」のコーナーで、LGBT法の問題について以下のような文章を書いていました。私もすべて読みましたが、「LGBT理解増進法」への流れを知る上で非常に参考になりました。

尚、千田有紀氏は、その言説ゆえにLGBTQの当事者団体やフェミニズムの団体から裏切り者扱いされて、誹謗中傷の攻撃を受けているみたいです。そのためもあってか、16日にWANの理事を辞任したことをあきらかにしていました。

自分たちの意に沿わない主張に対して、被害者や少数派の名を借りて、近親憎悪のような攻撃を仕掛けて来るのは今にはじまったことではありませんが、そうやって自由な言論を封殺する”もうひとつの全体主義”がここでも顔を覗かせているような気がしてなりません。まったく唾棄すべき光景と言うべきでしょう。

Yahoo!ニュース個人
LGBT法案は、性別の意味を変える。もっと議論が必要だ。
LGBT法案、「すべての国民の安全」は差別か?
LGBT法案で、損をした政党、得をした政党はどこか?
LGBT法案のもう一つの焦点―学校から医療に送られる子どもたち
自民党のLGBT法案――女湯問題は「デマ」なのか、「不当な差別」とはどういう意味なのか
LGBT法案、自民党が失望させた「保守派」と「女性たち」
LGBTと女性の人権 加賀ななえ議員がホッとしたわけ

千田氏は、LGBT法で大事なのは、「女性の安全」である、そうでなければならないと言います。

LGBT法案に反対しているのは、「統一教会の人たち」「家族の価値を保持したい人たち」「男女の2分法を維持したい、反フェミニスト」なのだという報道を聞くと、これほど大騒ぎになっているのに、争点自体がわかってないように感じる。もちろん、そういう側面はあるだろう。この法案に反対する自民の「保守派」は、確かにそういう人たちであろう。しかし報道されないできたが、でてくる反対の論拠は、そういったものよりもむしろ「女性の安全」に軸足がある。
(LGBT法案、自民党が失望させた「保守派」と「女性たち」)


千田氏は、女性は数の上ではマジョリティだけど、社会的にはマイノリティな存在だと書いていましたが、まったくその通りで、例えば、痴漢などはこの社会における女性の存在をよく表した性犯罪だと言えるでしょう。

「性自認」というのは、社会的にはきわめて曖昧なもの(わかりにくいもの)です。そういった曖昧さ(わかりにくさ)を盾にした性犯罪から、どうやって「女性の安全」を守るのかということを、もっと真面目に考える必要があるでしょう。

そのあたりのことを千田氏は、次のように書いていました。

トイレがそもそも危険な場所であることは、一定の社会的合意があると思われます。そしてトイレの安全は、いまの制度では「男女」に空間をわけることによって、担保されています。しかしそのような制度設計と、自分の「性自認」に基づいてトイレを使用したいと考えるトランスジェンダーのひとの思いと、ほんのごく一部の、なんとかして女子トイレに入りたいと考える潜在的性加害者の存在とが、ハレーションをおこしてしまっています。このような状況下で、「女性が安全にトイレを使いたい」という、それ自体は当たり前の願いが、「トランス差別」と解釈されてしまいかねないという、複雑な状況がでています。

というのもよく誤解されているように、トランスジェンダーという概念は、性同一性障害(性別違和、性別不合、トランスセクシュアル)のひとだけを指すのではないからです。異性の服装をするひとから、ときには社会から押し付けられる性役割に違和感をもつひとまでを含み込む、ひろい概念です。そして「性自認を尊重する」という行為は、他人の内心の「性別」を受け入れることです。ですからどんな場合にでも、「あなたはトランスジェンダーの振りをしているのではないか」などと他人にいうことは、差別となってしまう可能性があります。他人の心をのぞき込むことは、できないからです。なので、(本当に)トランスした性自認をもつひとと、トランスジェンダーの振りをして女性のトイレに入ろうとする不届き者とを、判別することが難しくなってしまうことがあるのです。
(LGBTと女性の人権 加賀ななえ議員がホッとしたわけ)


三重県の津市で、女装して女風呂に入った男性が、建造物侵入の疑いで警察に逮捕された際、男性が「私は女だ」と容疑を否認するという事件がありましたが、そこには「性自認」の”危うさ”が示されているように思いました。

性加害が目的で女性の恰好をして女性用のトイレに入るような「不届き者」とLBGTQは直接には関係ない。そんな「不届き者」はいつでもどこでもいるのだから、警察がしっかり取り締まればいい。そんな一部の「不届き者」の問題を取り上げてLGBT理解増進に水を差すのは、木を見て森を見ない反動的な言いがかりだという推進派の声がありますが、ホントにそんな話で済ませていいのだろうかと思います。

■ジャニー喜多川氏の問題と同性愛者


私も若い頃、映画館で隣に座った男性から突然股間を触られたり、渋谷の路地裏ですれ違いざまに男性から股間を握られた経験がありますが、ジャニー喜多川氏のように、性の問題には常に犯罪や犯罪まがいのことが付き纏うということも忘れてはならないのです。それは「女性の安全」だけではありません。ジャニー喜多川氏のような”少年愛”は、グルーミング自体に快楽を見出すというような倒錯したものでもあるのです。それが同性愛の世界で、一つの性的嗜好ジャンルとして存在しているのです。しかも、前も書きましたが、同性愛者たちは、ジャニー喜多川氏の問題について、みんな沈黙しているのでした。文字通り見て見ぬふりしているのです。そういった現実も見過ごしてはならないでしょう。
2023.06.18 Sun l 社会・メディア l top ▲
広末涼子サイト
(広末涼子サイトより)



■ジャニー喜多川氏の性加害問題との違い


テレビもネットも広末涼子の「W不倫」で一色に染まっている、と言っても言いすぎではないくらい大きな話題になっています。

ジャニーズ喜多川氏の性加害の問題では、今週の月曜日に、ジャニーズ事務所がヤメ検をトップに据えた「再発防止特別チーム」を設置しましたが、これはどう見ても、「死人に口なし」と「被害者の心理的負担に対する配慮」を御旗にした幕引きであるのはあきらかです。

また、旧統一教会の解散命令も、「質問権だけでは限界がある」という逃げ口上によって、うやむやのまま終わる公算が高いと言われています。文字通り大山鳴動して鼠一匹に終わろうとしているのです。

その一方で、広末涼子は、当人たちが「W不倫」を認めたということもあって、CMは削除され、テレビは降板し、映画は公開延期になって、あっという間に表舞台から姿を消したのでした。この違いには驚くほかありません。日本の社会では、性加害より「不倫」の方が罪が重いのか、と皮肉のひとつも言いたくなりました。

ジャニー喜多川氏の性加害の問題では、あれほど見て見ぬふりをしたきた芸能マスコミが、嬉々としてあることないこと報道しているのを見るつけ、おぞましささえ覚えてなりません。ホントにこいつらはゲスだなとつくづく思います。

私は、別に広末涼子のファンではなかったし、彼女が早稲田に入学したときは、むしろ反発さえ覚えたくらいです。卓球の愛ちゃんもそうですが、「自己推薦」とか「スポーツ推薦」とかに名を借りた特別枠の“入試”は、まったく正直者がバカを見るような、受験生を愚弄した話だと思いました。

知り合いの早稲田OBは、「どうしてヒロスエが入学できたんだ? だったらOBの子どもの推薦入学も認めろ」とわけのわからないことを言っていましたが、案の定、彼女たちは、何のために入学したのかわからないまま退学したのでした。

週刊文春には、広末涼子が書いた(と言われる)ラブレターや交換日記が掲載されていましたが、たかが、、、「不倫」なのにそこまでやるかと思いました。「W不倫」を認めた謝罪文の中では、「3人のこどもたちには、膝をつき合わせ、直接『ごめんなさい』をしました。彼らは未熟な母親である私を、理解し認めてくれました」と書いていましたが、家の内と外で、これでもかと言わんばかりに晒し者にされている感じで、何だかせつない気持にならざるを得ませんでした。

■世間知らずのアイドルの人生


彼女は、中学生のときから芸能界に入り、まわりの大人たちにチヤホヤされて来たので、私たちが想像する以上に世間知らずであるのは間違いないでしょう。今までの結婚相手も含めて、「男を見る目がない」のも仕方ないのかもしれません。

もとより、芸能界の遊び人たちにとっても、そんな世間知らずの彼女は格好の餌食だったはずです。アイドルには似つかわしくない「奔放な男遍歴」と言われたのも、ホントはただ遊ばれただけではないのかと思います。二度の結婚はいづれも”できちゃった婚”で、脇の甘さを指摘する声がありますが、脇が甘いというのは、見方を変えれば男に甘いと解釈できないこともないのです。

彼女の周りにいたのは、金の成る木である彼女をおだてて利用しようとする貪欲な商売人か、人気アイドルをものにするために甘言を弄するジゴロみたいな人間たちばかりだったのではないか。

このSNSの時代に手書きのラブレターや交換日記を残したというのも、彼女の拙い人生が影を落としているように思えてなりません。何だか中学生か高校生で時計の針が止まったままの”恋する乙女”のようで、その時代遅れとも言えるような感覚が、稚拙な文章とともによけいせつない気持にさせるのでした。

■”ふしだらな女”の論理


それにしても、「不倫」だとどうしてこんなに叩かれるのか。それも女性の側が一方的に叩かれなければならないのか、と思います。そこにあるのは、このブログでも何度もくり返し書いているように、“ふしだらな女”の論理です。まして、母親であればよけいバッシングがエスカレートするのでした。

でも、広末涼子を叩いている世間の人間たちも、陰では「不倫」しているのです。あるいは、チャンスさえあれば「不倫」したいと思っているのです。結婚していようがいまいが、恋に胸を焦がしたり、あるいは胸を焦がしたいという気持は誰だってあるでしょう。「不倫」を叩く心理には、間違いなく妬みや嫉みがあるように思います。

広末涼子は、もう42歳だそうですが、最近やっとアイドルの呪縛から解き放たれ、再ブレークしたと言ってもいいくらいメディアに露出していました。出演しているドラマや映画のリストを見ても、引っ張りだこだったことがわかりますが、それらも「不倫」のためにすべてなかったことにされるのでしょうか。これだけ高く評価されている女優が、たかが、、、「不倫」ごときで葬られていいのか、と言いたいのです。

ドラマや映画の中では、「不倫」を演じることも当然あるでしょう。しかし、実生活で「不倫」を演じると、女優としての人生が終わることにもなりかねないのです。なんともバカバカしい話ですが、こんなバカバカしいことをいつまで続けるのだろうと思います。

広末涼子のラブレターや交換日記が流出したことについては、上原多香子のケースを思い出しました。上原多香子のときも書きましたが、晒し者にするためにラブレターや交換日記を流出させた人間こそ一番のワルです。私たちが叩かなければならないのは、善意ズラしたそのワルのはずなのです。


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魔性 ※2009年8月
2023.06.16 Fri l 芸能・スポーツ l top ▲
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(Laos – China Railway Company Limited)


■「中国ラオス鉄道」と日本のメディア


たまたま早起きしたので、テレビ東京が早朝にやっている「経済報道番組」の『モーニングサテライト』を観ていたら、「中国焦点」というコーナーで、中国の雲南省の昆明とラオスのビエンチャンを結ぶ1035キロの国際旅客列車「中国ラオス鉄道」のことを取り上げていました。

番組では、「中国ラオス鉄道」は習近平国家主席が提唱する「一路一帯」構想に基づいた事業で、ゆくゆくはマレー半島を南下し、タイ・マレーシアを経てシンガポールまでを結ぶ予定だと言っていました。実際に、中国外交部も「中国ラオス鉄道」を「一帯一路」の縮図と位置づけているそうです。

ラオス国内の建設費用約60億ドル(約7800億円)のうち、3割の18億ドルをラオスが負担したということですが、その大半は中国からの借り入れによるもので、そのため、ラオスが中国の「債務の罠」に陥り、中国に首根っこを押さえられることになるのではないか、と言われているのでした。

実際に、中国の雲南省と接するラオスのボーテン駅周辺は、昔は検問所と数軒の食堂や商店があるだけの田舎の町にすぎなかったのに、今はオフィスビルやホテルやマンションやショッピングモールの建設ラッシュの只中にあり、既に住民の7割は中国人に占められているということでした。

しかし、これは日本のメディアではおなじみのパターン化された中国報道にすぎません。「一路一帯」構想の野望、みたいなトーンで報じられるのが常です。

もちろん、「一路一帯」構想が、ユーラシア大陸を陸と海から縦横に結ぶ壮大な経済圏構想で、そこに新しい覇権国家としての中国の野望が伏在していることは否定できないでしょう。実質的な”ドル本位制”とも言うべき今の国際通貨体制に代わって、中国が新たな通貨体制を作ろうとしているのも事実かもしれません。

■両国の思惑


しかし、個々のケースを見ると、日本のメディアが一律に伝えるものとは若干異なる背景があるようです。

「中国ラオス鉄道」についても、アジア経済研究所の研究員は、下記のチャンネルで、もともとはラオス側から提案されたものだと言っていました。

YouTube
アジア経済研究所
【アジジ-アジ研時事解説 No.9】ラオス・中国鉄道(山田紀彦研究員)

ラオス政府は、国境を接するベトナムやカンボジアやタイとの間でも鉄道を敷設する構想があるのだそうです。「中国ラオス鉄道」も、そういった「経済開発戦略」の一環で、ラオスの提案に、中国がビジネスチャンスと渡りに船で応じたのが真相だと言うのでした。

中国は、「中国ラオス鉄道」を利用して、農業に適したラオス南部のボラベン高原に、将来の食糧不足に備えた食糧生産基地を造る計画だそうです。また、同じくラオス南部の観光地であるコーンパペンの滝に90億ドルを投じて、経済特区を設けた一大リゾート地にする計画もあるということでした。中国企業は、コーンパペンの滝周辺を、温暖な土地で老後を過ごしたいという中国東北部の富裕層向けの保養地として売り出す狙いもあるのだとか。

■アメリカに梯子を外される日本


一方、アメリカのブリンケン国務長官が今月18日から2日間中国を訪問し、中国政府の高官と会談することがアメリカ政府により正式に発表されましたが、「米中対立」も何だか怪しい雲行きになってきました。

YouTubeで「中国ラオス鉄道」に関する番組を探していたら、「中国ラオス鉄道」は乗客が0人で既に計画が破綻した、というようなネトウヨ系の番組がいくつもあり、いづれも10万回以上視聴されていることがわかりました。未だにそういった「愛国ビジネス」の話を信じて、「ニッポン凄い!」と自演乙する人間がいることに驚きましたが、日本政府の”中国敵視政策”も、案外それに近いものがあるのかもしれません。

1972年のニクソン訪中のときと同じように、日本はアメリカに梯子を外されるかもしれないのです。「米中対立」を煽るだけ煽られて、産軍複合体と深い関係のあるバイデン政権から在庫品の武器を言い値で買わされて、それで梯子を外されたのでは目も当てられませんが、対米従属を国是とするこの国は、それでも黙然と(奴隷のように)アメリカに従うしかないのでしょう。

中国が300年振りに覇権国家として世界史に復活することの意味は、好むと好まざるとに関わらず、私たちが想像する以上に大きな意味があるのです。しかし、日本は、小心な駄犬のように遠くからワンワン吠えるようなことしかできないのです。それも、飼い主からけしかけられて吠えているだけです。
2023.06.15 Thu l 社会・メディア l top ▲
サンデーLIVE
(「サンデーLIVE!!」のサイト)


■「サンデーLIVE!!」の日本再生論


先日、東山紀之がキャスターを務めるテレビ朝日の「サンデーLIVE!!」が、台湾の半導体メーカーTSMCが熊本県の菊陽町に二つの工場を建設する、というニュースを取り上げていました。

TSMC(台湾積体電路製造股份有限公司)は、圧倒的な供給力と3ナノ半導体を製造する高水準の技術を持つ半導体の受託製造企業で、2022年第3四半期の段階で世界シェアの56.1%を占め、23年2月時点の時価総額はトヨタの倍以上の約62兆円を誇る巨大企業です(日経ビジネスより)。

そのため、「実質的に半導体の価格決定権を握っている」と言われるほどの、業界のリーディングカンパニーなのです。尚、日本法人の本社は横浜のみなとみらいにあります。

そんなTSMCの工場が日本にできるというのは、たしかに朗報ではあるでしょう。10年間で4兆3000億円の波及効果をもたらすという試算さえあるそうです。しかし、こう言うと語弊があるかもしれませんが、地政学上のリスク回避という特殊事情があるにせよ、たかが外国企業が日本に工場を造るという話にすぎないのです。

それを「サンデーLIVE!!」は、田中角栄の「日本列島改造論」になぞらえて、半導体による「新日本列島改造論」を唱える、東京理科大学の若林秀樹教授をゲストに迎え、これが日本再生の「最後で最大のチャンス」だなどとぶち上げているのでした。何だかひと昔前に、トヨタの工場ができると言って国中で大騒ぎしてしていた、アジアや中南米の発展途上国のようです。

中でも驚いたのは、日本株が33年振りの高値を付けたことまで引き合いに出して、いよいよ日本経済が反転攻勢に打って出たかのように太鼓を打ち鳴らしていたことでした。もちろん、日本株が高値を付けたのは、TSMCの工場建設とはまったく関係がありません。

下記の朝日の記事が書いているように、今の株高は、過去最高を更新するほどの異常な自社買いが大きな要因です。本来なら設備投資や従業員のベースアップに使われるべき資金が、自社買いに向けられているのです。

5月だけで3.2兆円という途方もない自社買いで極端に流通量が減った日本株が、実体経済の数倍、レバレッジを含めると数十倍とも言われる余剰マネーを駆使する海外の投資家によって、マネーゲームの対象になっているだけです。

朝日新聞デジタル
自社株買い過去最高、バブル後高値を演出 投資・賃金とバランスは?

また、「サンデーLIVE!!」は、北海道の千歳市に、「日の丸半導体」の復活をめざすラピダスの新工場が建設されることも日本再生の起爆剤になると、取らぬ狸の皮算用みたいに伝えているのでした。

ラピダスについては、エコノミストたちの間で、先行きは不透明だという見方があります。私もこのブログで次のように書きました。

■日の丸半導体


米中対立によって、中国に依存したサプライチェーンから脱却するために、国際分業のシステムを見直す動きがありますが、ホントにそんなことができるのか疑問です。

日本でも「日の丸半導体」の復活をめざして、トヨタ・ソニー・NTTなど国内企業8社が出資した新会社が作られ、北海道千歳市での新工場建設が発表されましたが、軌道に乗せるためには課題も山積していると言われています。

2027年までに2ナノメートルの最先端の半導体の生産開始を目指しているそうですが、半導体生産から撤退して既に10年が経っているため、今の日本には技術者がほとんどいないと言うのです。

さらに、順調に稼働するためには、5兆円という途方もない資金が必要になり、政府からの700億円の補助金を合わせても、そんな資金がホントに用意できるのかという疑問もあるそうです。

また、工場を維持するためには、台湾などを向こうにまわして、世界的な半導体企業と受託生産の契約を取らなければならないのですが、今からそんなことが可能なのかという懸念もあるそうです。

関連記事:
エマニュエル・トッドの指摘


テレビ朝日は、ニュースに対する掘り下げ方に問題があるように思えてなりません。意図的なのかどうかわかりませんが、あまりに薄っぺらな捉え方しかしてないのです。

ジャニー喜多川氏の性加害の問題に関して、「報道ステーション」のなおざりな姿勢を指摘する声が多くありましたが、それは「報道ステーション」に限らないのです。「モーニングショー」でも、玉川徹氏のいつものツッコミは影をひそめ、当たり障りのない”公式論”に終始するだけでしたが、そこには、それこそ玉川徹氏の電通発言の際に取り沙汰された、テレビ朝日の体質が露呈されているように思いました。

関連記事:
テレビ朝日の「絶対君主」

■戦争プロパガンダに踊らされる日本のメディア


これはテレビ朝日に限った話ではありませんが、たとえばウクライナ戦争においても、メディアはどこまで真実を伝えているのか、非常に疑問です。ウクライナ南部のドニエプル川流域のカホフカ水力発電所のダムが破壊された問題でも、メディアが伝えるように、ホントにロシアがやったのか、首を捻らざるを得ません。

ウクライナ側の住民の被害ばかりが報じられていますが、ダムの破壊による被害は、圧倒的にロシアの支配地域の方が大きいはずです。しかも、ダムの水位の低下は、ロシアが管理する欧州最大規模のザポリージャ原発の安全にも影響を及ぼすのではないかと言われているのです。もしロシアがやったのなら、それこそ常軌を逸した自殺行為としか言いようがありません。

昨年9月のロシアとヨーロッパを結ぶ海底パイプラインの「ノルドストリーム」で起きた大規模なガス漏れのときも、西側のメディアはロシアの自作自演だと言っていました。ところが、実際はウクライナ軍の特殊部隊によるものであったことが、先日、ワシントン・ポストによって暴露されたのでした。しかも、アメリカがその計画を事前に把握していたと言うのです。

ワシントン・ポストによれば、アメリカ空軍の州兵が対話アプリの「ディスコート」で流出させた例の機密文書の中にその記述があったそうです。

機密文書には、ゼレンスキー大統領には知らされないまま、現在重傷説が流れているウクライナ軍のヴァレリー・ザルジニー総司令官の直属のグループが実行した、と記されていたそうです。ただ、一方でアメリカがそれを「阻止した」とも書かれているのだとか。

何度も言うように、ウクライナがどういう国なのかという検証もなしに、ただ可哀そうという短絡思考でものごとを見ると、とんでもない戦争プロパガンダの餌食になるだけでしょう。

「サンデーLIVE!!」の「新日本改造論」の打ち上げ花火は、まともにニュースを伝えることさえできない日本のメディアの劣化を象徴していると言えますが、それでは戦争プロパガンダに踊さられるのも当然でしょう。


■追記:


上の記事をアップしたあと、作家の甘糟りり子氏が書いた下記の記事が「NEWSポストセブン」にアップされたことを知りました。

NEWSポストセブン
作家・甘糟りり子氏、『報道ステ』全仏オープンを2日連続トップ扱いに疑問 「他に優先すべきニュースがあるのではないか」

やはり、みんな「テレ朝はおかしい」と思っているんだなと思いました。

私は、前に次のように書きましたが、全てはそれに尽きるように思います。もちろん、これはテレ朝だけの問題ではないのです。テレ朝があまりにひどすぎる、、、、、ので目立っているだけです。

「早河王国」になって、テレ朝はエンタメ路線に舵を切り、報道部門が弱体化していると言われます。「ニュースを扱う資質に欠けるような人物」が報道局に送り込まれているという指摘さえあるそうです。

関連記事:
テレビ朝日の「絶対君主」

2023.06.13 Tue l 社会・メディア l top ▲
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■リベラル系の番組


前に朝日新聞が周回遅れのトップランナーのように、ネットの後追いしているという話を書きましたが、それは朝日だけではないのです。

いわゆるリベラル系と言われる元新聞記者やライターたちが、次々とYouTubeにチャンネルを開設しているのも似ているような気がします。元の職業が似ているからなのか、チャンネル名も似ているし、常連の出演者も多くが重複しているのでした。言うなれば、「リベラル村」とも言うべき小さなマーケットでお互いに競合しているのでした。しかも、リベラルの支持者たちも、どこかの宗教団体と同じように高齢化しているため、サブスクに二の足を踏む人も多いでしょう。前も書きましたが、それで収益化をめざすというのは、傍から見ても非常に厳しいと思わざるを得ません。

■ユーチュ―バーの帰化


再びたとえに出すのは忍びないのですが、朝日が「GLOBE+」でコラムに起用した(?)ユーチューバーの帰化申請が却下されたそうで、本人がYouTubeであきらかにしていました。数日前は、ネックになっていた母国の国籍離脱の問題で、日本政府が柔軟に対応するという方針転換があったとかで、「朗報が届いた」と喜んでいたばかりでした。と言うか、まるで帰化がほぼ決定したかのような言い方までしていたのでした。

今の日本の基準では、在日12年のユーチューバーで帰化が認められるなどほとんどあり得ないと考えるのが常識でしょう。友達のユーチューバーも、同じように帰化を希望しているようですが、帰化の要件の一つである「生活要件」のハードルは想像する以上に高いと考えた方がいいでしょう。専業ユーチューバ―で生活をしていますとか、モデルをやっていますとかいう理由で帰化が認められるのは、針の穴を通すより難しいはずです。

彼女は、まわりの人間たちや動画の視聴者から「絶対大丈夫」と言われたので、自分も楽観的になっていたと言っていましたが、私はどこが大丈夫なんだ?と思いました。本来なら無理だと言うべきでしょう。

YouTubeのコメント欄のお追従コメントは論外としても、大丈夫と言ったまわりの人間たちの中には、申請を仲介する業者も含まれているのではないかと思いました。要件を満たしてないのに帰化や永住を希望する外国人たちが、手数料ビジネスの業者に食い物にされる現実があることも忘れてはならないのです。

■YouTubeの鉄板コンテンツ


何が言いたいのかと言えば、このようにYouTubeはほとんどおままごとの世界だということです。Googleは、FC2と同じようにグレーな動画投稿サイトだったYouTubeを買収するに当たって、「総表現社会」などという詭弁を弄し、YouTubeを広告ビジネスのプラットフォームにしたのでした。

これはあくまで私の感想にすぎませんが、今のYouTubeでは、ロシア人と韓国人の「ニッポンに涙する」動画や、仔猫を拾って来て「幸せになろうね」というペットの動画や、自分の子どもの顔を晒して「どう、かわいいでしょ?」という親バカの動画などが、多くの視聴者を集める鉄板のコンテンツになっているようです。

誰かの台詞ではないですが、ネットのお得意様は多くの視聴時間を持つ「バカと暇人」なので、そういった低俗化は”宿命”とも言えるのです。ただ、ネットの流行り廃りはリアル社会の比ではないので、飽きられるのもはやいのです。

■登山動画の凋落


たとえば、上記の定番コンテンツに比べて、再生回数が一桁少ない登山の動画では、早くも凋落の兆しが出ているのでした。登山のようなニッチなジャンルでは、視聴者も登る山も限られるので、YouTubeの特徴がよけい際立って表れるように思います。

登山ユーチューバーが登場して4年くらいになりますが、4年経つとほとんどの山は登り尽くされてしまい、登る山に新鮮味がなくなるのです。あとはユーチューバーのキャラクターということになりますが、登山という特殊なジャンルでは個人のキャラクターなどたかが知れています。

前も書きましたが、Googleの課金システムの見直しもあってか、ここに来てYouTubeからフェードアウトする登山ユーチューバーが続出しているのでした。もちろん、新しいユーチュ―バーも出ていますが、先行者利益さえ成り立たなくなったジャンルでは、自己満足で終わるのが関の山でしょう。

そもそも登山ユーチューバーにしても、その多くはおままごとにすぎません。私は、前に下記のような登山ガイドの加藤智二氏の言葉を紹介したのですが、それは登山ユーチューバーにもあてはまるように思います。

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美しい写真、動画とルート解説、個人の感想などは、雑誌やインターネット上には多く存在しています。それらを見たと思われる実に多くの若者が挑戦していました。正直言って、どこでミスしても簡単に「死ねる」場所だらけの日本最難関コース上に、何ら緊張感乏しく歩き回る登山者の姿に恐ろしさも感じました。

Yahoo!ニュース(個人)
死と隣合わせの日本最難関コースに溢れる登山者 山岳ガイドが感じた危機感


■ユーザーの高齢化


Googleに関しては、チャットGTPのようなテキスト生成AIがもっと精度が増して普及すれば、検索のあり方も大きく変わり、Googleが神のようにネットに君臨していた時代も終わりを告げるかもしれないという見方があります。

そういったGoogleをとりまく環境の変化に伴い、YouTubeにおいても、配信料だけでなく運営のシステムそのものの見直しが始まるのは充分考えられるでしょう。きつい言い方をすれば、素人のおままごとがお金になるような、そんな”いい時代”がいつまでも続くわけがないのです。

YouTubeがTikTokに対抗するために、ショートに注力するという話もありますが、それで激化する視聴時間争いに勝てるのかと言ったら首を傾げざるを得ません。このように今のGoogleは他社のサービスを追随するだけで、昔みたいにネットを牽引するようなパワーは完全に失われているのでした。

それからもうひとつ、YouTubeには、ニコ動やフェイスブックやヤフコメなどと同じように、コアな層が固定されたまま年を取って行くユーザーの”高齢化”の問題があります。「素人シニアYouTuber急増」(日刊ゲンダイ)などという記事は、それを象徴するものでしょう。YouTubeにとって、高齢化と低俗化は避けられない問題なのです。そう考えれば、今後、YouTubeが、既に「論外」と言われているフェィスブックと同じような運命を辿るのは、目に見えているような気がします。


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2023.06.11 Sun l ネット l top ▲
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(イラストAC)



■法律改正は国家の都合


昨日(6月9日)、参議院本会議で入管法改正案の採決が行われ、自民・公明・維新・国民民主などの賛成多数で可決され成立しました。

入管法改正案は、手っ取り早く言えば、出入国管理や入管施設のキャパを超えるほど収容者=「不法残留外国人」が増えたため、難民申請や収容のあり方を見直すというものです。要するに、「不法残留外国人」を減らすためです。

今回の入管法の改正について、私は、2010年に貸金業法と利息制限法が改正された際に、その改正案作りに関わった旧知の弁護士が言っていたことを思い出しました。

当時は、自己破産が年間10万件(2010年は12万件)を超えるほど、多重債務が社会問題になっていました。そのため、東京地裁はは、申し立ての急増で手がまわらなくなり、免責の可否を決める審尋を書面だけで済ませるようにしたくらいです。つまり、自己破産の申立てを行なっても、裁判所に出廷しなくてよくなったのです。

そんな状況を改善するために、国が法律が改正して、自己破産件数を減らすことにしたそうです。旧知の弁護士は、どちらかと言えば国寄りの人でしたが、「法律は国家のためにあるので、国家の都合で変わるんですよ。キャパを越えたので匙加減を変更したのです。別に多重債務者を救済する目的なんかではありませんでした。結果的に多重債務者の救済や業者の淘汰につながっただけです」と言っていました。

今回の改正案では、「収容者を減らす」(出入国管理業務の負担を減らす)ために、2つの大きな改定を行ったのでした。ひとつは、難民申請中は強制送還が停止されるという規定を見直して、申請は原則として2回に限るとしたのです。3回目以降は、「相当の理由」がなければ規定を適用しないことにしたのです。これは、言うまでもなく収容期間を短縮する(早く国外退去させる)ためです。また、もうひとつは、退去するまでの間、施設に入らずに「監理人」と呼ばれるボランティアのもとで生活できる新しいシステムが設けられたことです。このシステムは、施設に収容する人数を減すのが狙いなのでしょう。

でも、これだけ収容人数が増えたのは、難民認定率が0.3%という、およそ先進国では考えられないような認定率の低さがあるからです。そうやって国が「不法残留外国人」を増やしてきたからです。難民であるかどうかを審査する参与員の一人は、2021年4月の衆院法務委員会で「難民はほとんどいなかった」と発言して物議を醸したのですが、それは「いなかった」のではなく「いない」ようにしたからでしょう。

そう発言した女性参与員は、参与員が100人いるにもかかわらず、ひとりで難民申請の25%を担当していたそうです。どうしてそんな片寄ったことになったのかと言えば、彼女が難民の認定に消極的だからです。前向きな参与員のところには審査の依頼が来なかったそうです。今回の入管法改正案は、そんな恣意的な行政の延長上にあるのです。

ちなみに、その女性参与員は、一方で、地雷除去の活動をしており、「難民を助ける会」という国際NGO団体の名誉会長も務めているそうです。何だかジキルとハイドのような話ですが、旧統一教会のダミー団体でも問題視されたように、「難民」とか「平和」とか「環境」とか「SDGs」とかいった耳障りのいい言葉は、いったん保留して(場合によっては眉に唾して)二度見三度見をする必要があるでしょう。

■山本太郎代表と望月衣塑子記者


一昨日(6月8日)の参院法務委員会で改正案が強行採決された際に、法案に反対するれいわ新選組の山本太郎代表が暴力を振るったとか、取材に来ていた東京新聞の望月衣塑子記者が傍聴席から「不規則発言」を行なった(要するにヤジを飛ばした)として、与党だけでなく法案に反対した立憲民主党や同党に随伴する左派リベラルからも批判が起こっているそうです。私は、それを聞いて、文字通り世も末のような気持になりました。

たとえば、多くの社会運動にコミットして来た社会学者の木下ちがや氏は、ツイッターで両名を次のように批判していました。



木下ちがや氏は、山本太郎代表が強行採決のあと、街頭でその暴挙を訴えたことに対しても、「ほらさっそく路上で受難ごっこ」とヤユしているのでした。「民主主義にとって害悪」なのはどっちなんだ、と言いたくなります。何だか衣の下から鎧が覗いているような気がしてなりません。

山本太郎代表に対しては、与野党共同で懲罰動議が出される予定だと言われています。参議院懲罰委員会の委員長は、ガーシーの懲罰でおなじみの鈴木宗男氏ですが、ガーシーに対するやり方が踏襲されているような気がしないでもありません。味をしめたと言ったら言いすぎかもしれませんが、国会ではガーシーの一件によって、懲罰のハードルが格段に下がったように思います。

れいわ新選組に関しては、参院本会議で櫛渕万里共同代表が「与党も野党も茶番!」という紙を掲げたことに対して、既に10日間の「登院停止」という懲罰を科しているのでした。また、同様の行為を行なった大石晃子共同代表に対しても、厳重注意の処分が下されています。

2019年、北海道の札幌で演説中の安倍首相(当時)に向かって、「安倍やめろ」とヤジを飛ばした男女が警察に排除されるという出来事がありましたが、国会でも同じことが行われているのです。しかも、国会は、懲罰まで科しているのですから警察より始末が悪いと言えるでしょう。

一方、れいわ新選組は、声明の中で次のように述べています。

れいわ新選組
【声明】「闘わない野党」への檄(げき)- 財務金融委員長解任決議案の否決を受けて。(2023年5月12日 れいわ新選組)

現在の与野党のパワーバランスでは、正攻法では太刀打ちできないのだ。

選挙で勝って議席を増やし、与野党の議席を拮抗(きっこう)させてあらがえるようになるまでは、
どれだけ酷い法律が作られても仕方がない、とあきらめるのか。

私たちは、そのような政治家のメンタリティや永田町仕草が、日本をここまで破壊に導いたと考える。

「ちょっとは闘いました」アピールの野党では、悪法の増産は止められない。話にならない。


「野党なら本気で闘え」と言っているのです。もっとも、タイトルどおり「闘わない野党」に激を飛ばしているつもりなら、それは的外れと言わねばならないでしょう。

大塚英志氏は、ツイッターに次のように投稿していました。


余談ですが、大塚英志氏がリツイートした時事の記事によれば、自民党の世耕弘成参院幹事長は、(望月記者は)「もうジャーナリストではなく活動家だ。(取材用の)記者記章を取り上げる必要がある」と発言したそうです。でも、それは、ネトウヨが望月氏を攻撃する際の常套句とそっくり同じなのでした。自民党とネトウヨが共有するものが垣間見えたような気がしました。その認識は、上記の木下ちがや氏のツイッターも共有しているように思います。

それにしても、翼賛化する一方の国会と、”異物排除”に手を貸す野党や左派リベラルに対しては、もはやおぞましいという感覚しかありません。こんなやから、、、、、、に何を期待しろというのか。


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■ガーシーの犯罪


逮捕されたガーシーのYouTubeでの収益は1億円だそうです。ほかに二次使用の切り抜き料の収入も数千万円あったと言われています。

それらのお金は、親族や本人、それに複数の別人の口座に送金されていたそうです。

ガーシーのチャンネルは、ガーシーひとりで運営されていたわけではないのです。言うなれば、「東谷義和のガーシーch【芸能界の裏側】」は、ガーシーの冠番組のようなものだったのです。もちろん、ネタもガーシーが持ち込んだのですが、しかし、そのネタを材料にして番組を企画・制作するのに別の人物たちも関わっていたのです。それらの人物の下には実際に実務に携わる人間たちもいたはずで、あの暴露チャンネルにはかなりの人数が関わっていたとみるのが常識でしょう。

今言われている「名誉棄損」「常習的脅迫」「威力業務妨害」「強要」という容疑に限っても、ガーシーだけでなくそれらの“共同制作者たち”に捜査の手が及んでもおかしくないのです。さらに、チャンネルの運営とは別に、ガーシーの周辺の人物たちもチャンネルに便乗して、利害関係のある特定の人物に関するネタを提供したり、ガーシーに“暴露”を依頼していたと言われており、そういった周辺の人物たちも事情聴取される可能性があるでしょう。

■YouTubeの建前と本音


YouTubeには様々な禁止事項や暴力や死や性に関してのNGワードがあるそうです。にもかかわらず、炎上系とか迷惑系と呼ばれる動画が制作され、多くの視聴者を集めているのでした。そして、彼らは、そういったゲスな動画で再生回数を稼ぎ、動画に貼り付けられた広告によって少なくない金額の配信料(広告費)を得ているのでした。

もちろん、動画に広告を貼り付けているのも、ユーチューバーに配信料(広告費)を分配しているのも、Googleです。

それどころか、最近では、「あなたは日本の歴史の真実を知っていますか?」というような陰謀論や、後背位でセックスをしているような女性の顔が映し出されて、「60歳でもビンビンです」というような強精剤の広告さえ目立つようになっているのでした。

Googleの建前と本音には、呆れるというよりもはや嗤うしかありません。さすがに、Googleも創業以来掲げていた「Don’t be evil(邪悪にならない)」という行動規範を2018年に削除したのですが、今やGoogle自身がevilな存在になっていると言ってもいいでしょう。

■ネット通販の黎明期


私がネット通販をはじめたのは2004年でした。Googleが創業(会社設立)したのが1998年で、日本にオフィスを開設したのが2001年ですから、その3年後のことでした。

2004年当時の日本のインターネットの検索エンジンは、YST(Yahoo! Search Technology)と呼ばれていたヤフーのシステムが圧倒的に強くて、Googleのシェアはまだ20~30%でした。YSTやGoogleのほかにマイクロソフトにも、今のBingの前身で、アメリカのinktomi(インクトミ)という検索エンジンを利用したMSNサーチという検索エンジンがありました。

YSTで上位に表示されるには、ヤフージャパンのディレクトリ型検索サービスである「Yahoo!カテゴリ」に登録されることが必須で、3万円だかを出して申請したことを覚えています。

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Google ※2006年4月

2004年当時はまだネット通販の黎明期でした。先行者だったということもあり、YSTでもGoogleでも上位(つまり1ページ目)に掲載されて、最初から順調にスタートすることができました。もちろん、当時のブログでも書いていますが、ネットは容易に模倣できるので(それどころかフィッシングサイトさえ簡単にできてしまう)、すぐに似たようなサイトが雨後の筍のように出て来たことは言うまでもありません。

2010年にYSTの撤退に伴い、ヤフージャパンがGoogleのエンジンを採用したことで、日本におけるGoogleのシェアはいっきに80%以上になったのですが、それでもしばらくは上位掲載が続いていました。

ところが、Googleの寡占体制が確立されると、Googleのアロガントな体質が徐々に目立つようになってきたのです。つまり、現在、EUなどが問題にしている検索と広告を結び付けた(広告サイトを優遇するような)システムができていき、検索ページでも資本力のある大きな企業のサイトが上位に並ぶようになったのです。それにつれ、自社のサイトも目に見えて後退して行ったのでした。昔のGoogleの検索ページは、すっきりして見やすかったのですが、広告が目立つようになると、ひどく汚れて見にくくなっていきました。

上の記事でも書いているように、初期の頃は、私たちのような資本のない零細な業者でも、ネット上では大手の会社と対等に競争できたのです。それで“ウェブ民主主義”と呼ばれたりしていました。しかし、革命の理想はホンのつかの間で終わったのでした。

■ネットとリアル


何度もくり返しますが、ネットにおける「言論の自由」も、所詮はGAFAのようなプラットフォーマーが自社の利益と照合した上で、便宜的に保障しているにすぎないのです。プラットフォーマーなどと言うともっともらしく聞こえますが、要するに、彼らはリアル社会のインフラを使ってサーバーを運営しているアメリカの民間企業にすぎないのです。

ガーシーのような動画が可能だったのも、Googleから見れば、ハグのようなものだったのかもしれません。しかし、国家権力の要請によって、あのように簡単にBANされるのです。BANされればすべてはそれで終わりです。ガーシーと一緒にするなと怒られるかもしれませんが、それは「言論の自由」においても決して他人事とは言えないでしょう。

昔はビジネスでも、言論活動でも、ゲリラ的に行うことが可能でした。しかし、GAFAのようなプラットフォーマーが台頭すると、ネットの世界も整序され、リアル社会の権威や秩序がネットにも持ち込まれるようになり、その結果、ネットとリアルの境界が曖昧になったのでした。ネットとリアルを対立概念のように捉えて、ネットの優位性みたいな話がまことしやかに言挙げされていますが、もはやそんな時代でもないのです。

初期の頃のネットの”無料経済”を支えていた広告に依存するビジネスモデルも、視聴時間の競争が激しくなった現在では難しくなっていると言われます。広告に依存するビジネスモデルの代表格はGoogleですが、そのGoogleでさえYouTubeの広告の低迷に収益の足を引っ張られているのでした。

広告に依存するビジネスモデルに代わるのがサブスクですが、しかし、サブスクこそネットとリアルの垣根を越えた時間とお金の奪い合いなので、その収益化はさらに難しいと言えるでしょう。

去年あたりから似たようなリベラル系のYouTubeチャンネルが立て続けに登場していますが、しかし、扱うテーマも出演するコメンテーターも重複しており、傍目で見ても、それで収益化するのは至難の業だろうなと思います。

■ITと身体


山に登ったりすると、身体性(身体的なもの)によって私たちが規定されていることがよくわかります。私たちは、自分の身体を通して、世界との関係を築いていくのです。いくらチャットGTPがネットを席捲しても、そこには身体性(身体的なもの)はなく、世界を獲得することはできないのです。

マイナンバーカードのように、安易に個人情報を提供すれば、あとは五月雨式に様々な情報が紐付けられ、私たちの生活が国家の手によって丸裸にされることになるのですが、眼の前にぶら下げられた餌に一に二にもなく飛びつく人たちは、そんなことさえわかってないかのようです。便利さと引き換えに、中国式のデジタル監視社会が完成し、私たちは自分の個人情報で自分が縛られることになるのです。

中国の警察官が、3D眼鏡のようなものを装着して街頭に立っている動画を観たことがありますが、眼鏡は指名手配犯や危険人物の顔認証のデータと接続されており、目の前の通行人の中に該当する人物がいればヒットして反応するようになっているのでした。そういった光景も他人事ではなくなるのです。

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@ks1531471966より

これは、上記のツイッターから拾った画像ですが、このようにマイナンバーカードの導入は、欧米では管理社会化への懸念による国民の抵抗によって廃止されているのでした。一方、日本では、周回遅れのトップランナーのように、“中国化”がいっそう加速されているのです。

もっとも、マイナンバーカードは、個人情報保護法と社会保障と税の一体改革がベースになっており、その意味では旧民主党政権も無関係とは言えないのです。立憲民主党やその界隈の左派リベラルが、今になって善人ズラしているのにはいつものことながら呆れますが、ただよく聞けば、彼らは「拙速だ」と言っているだけで、マイナンバーそのものに反対しているわけではないのです。彼らは、欧米の市民のレベルにも達してないリベラルもどき、、、にすぎないのです。

でも、ちょっとクサい言い方をすれば、私たちの生き死にや人生の喜びや悲しみは、ITやデジタルやAIの便利さとは何の関係もないのです。そんなものがあろうがなかろうが、私たちは生老病死から解放されるわけではないし、貧困や疎外から解放されるわけでもないのです。そう考えることは、決して時代遅れでも情弱でもトンチンカンなことでもないのです。逆に、1件7500円で自分の個人情報を売り渡す、この国のマジョリティの人間たちを心底から嗤ってやればいいのです。
2023.06.08 Thu l 社会・メディア l top ▲
朝日新聞 (2)



■インディーズ候補


朝日新聞は、統一地方選に関連して、下記のようなテーマで「ルポ インディーズ候補の戦い」という連載をしていました。

全5回
「ルポ インディーズ候補の戦い」
議員のなり手不足が指摘されるなか、既存政党の枠組みから距離を置き、独自の選挙戦を繰り広げる候補者たちがいる。何が彼ら彼女らを突き動かすのか。孤独な戦いに迫る。


ところが、その4回目(5月30日)に埼玉県草加市の河合悠祐市議を取り上げたのですが、記事を読んだ読者から、同議員が顔を白塗りしたジョーカーの扮装で、Colaboのメンバーなどに差別的な言葉を吐きながら激しく絡んだり、ツイッターで再三に渡ってColaboを中傷する投稿を繰り返しているという指摘があったそうです。それで、本人に確認したところ、「その場でも、その後のツイッターでも、けなすような過激な発言をしたのは大人げなかった。不適切だった」と認めたため、もとの記事が削除され、下記のような記事に差し替えられたのでした。

朝日新聞デジタル
第5回
京大卒ジョーカー、挫折の先の自己実現 ウケ狙いから当選への分析

もう元の記事を読むことができませんが、記事自体はよくあるインタビュー記事です。ところが、周辺の取材は一切やらず、ただ本人が喋ったことをそのまま記事にしただけなのでした。そもそも河合氏は2021年の衆院選と参院選では“NHK党”から出馬していますので、「インディーズ候補」ですらないのです。

河合氏については、ウィキペディアやツイッターをチェックすればすぐわかることですが、それすらもしてなかったのでしょう。

スポーツ新聞や週刊誌のコタツ記事と同じじゃないかという声がありますが、もしかしたらコタツ記事以下かもしれません。朝日新聞の落日を象徴するような話だと言う人もいますが、落日するにしても程があると言いたくなります。記事を書いたのは入社して10年くらいの記者だそうですが、10年でこれかと思うと、新聞記者としての適格性を欠いているとしか思えません。

しかも、記者の後ろには、記事をチェックするデスクと呼ばれる上司がいたはずなのです。デスクは何をチェックしていたんだろうと思います。節穴どころの話ではないのです。

青木理氏か望月衣塑子氏だかが、今の朝日は昔のようにクオリティペーパーとして問題提起するような気概も姿勢もなく、ただ、ネットで人気のあることを後追いして記事にするようになっている、と言っていましたが、さもありなんと思いました。

これこそまさに大塚英志が言う「旧メディアのネット世論への迎合」にほかなりません。それも、その劣化版と言ってもいいようなあり様なのでした。かつて700万部あった部数が400万部を切り、さらに1年で15%のペースで減り続けているという惨状が、このような貧すれば鈍す(としか思えない)醜態を晒すことになったのかもしれません。もはや危機どころではないのです。

■ロシア人ユーチューバー


しかも、ネットを後追いしているのは、河合悠祐市議のケースだけではありません。

別紙の「GLOBE+」のサイトには、次のような記事が掲載されていました。

GLOBE+
ロシア人は海外移住指向 ソ連崩壊、ウクライナ侵攻…私が国籍を日本に変えたい理由

あしやさんという女性は、私も結構前からチェックしていますが、登録者数が30万人を越えるロシア人の人気ユーチューバーです。前にも書きましたが、ロシア人ユーチューバーには、やたら日本を賛美して再生回数を稼ぐチャンネルが多いのですが、彼女もその中の一人です。と言うか、既にYouTubeを開設して11年になるそうで、その先駆けと言っていいかもしれません。

もちろん、ユーチューバーと言っても一人でやっているわけではなく、同じ人気ユーチューバーのHIKAKINが所属する(現在は顧問)マネジメント会社に所属していました。たしかに、動画を観ると、テーマや構成や喋り方などに、視聴者の心を掴むような仕掛けが垣間見える気がします。しかし、今は「GLOBE+」にも登場している同じロシア人ユーチューバーの小原ブラス氏が設立した事務所に移籍し、マネージャーも付いてタレント活動も行っているようです。

彼女は、日本人好みのきれいな顔をしていますので、その美貌がユーチューバーとして成功する要因になったのは間違いないでしょう。また、日本語も堪能で、ややハスキーがかった声で落ち着いた喋り方をするので、それも魅力的に映ったように思います。同じロシア人でも、おっさんが「日本の景色に涙した」「日本の食べ物に感涙した」「日本人の優しさに感動した」と言っても、彼女のような人気を得ることはできなかったでしょう。

過去にはスキャンダルまがいの出来事で自粛していた時期もあったようですが、こんな白人のきれいな女性から、「日本に恋した」「だから日本人になりたい」と言われれば、それだけで視聴者の男たちが舞い上がるのは当然のように思います。

ただ、余談ですが、最近は、ロシア人の牙城に韓国人が進出しており、ロシア人も安閑としてはおれなくなっています。韓国人の場合、「反日」のイメージが強いので、韓国人が「日本に恋した」「もう韓国に帰れない」などと言えば、日本人の自尊心(愛国心)を大いにくすぐることになり、そのインパクトは絶大なのです。

このように、少なくとも彼女は、例えは悪いですが、ガーシーなどと同じように配信料を稼ぐためにYouTubeを運営している、専業ユーチュ―バーなのです。専業ユーチューバーにすぎない、と言ってもいいかもしれません。

とは言え、彼女がロシアのウクライナ侵攻に反対し、帰化を希望しているのはたしかで、それも最近の動画の大きなテーマになっています。ユーチューバーとして時流を読み、日本の世論に阿っているだけじゃないか、というような意地悪な見方もありますが、しかし、帰化したいという気持に嘘偽りがないことはよくわかります。

ただ、ユーチューバーで帰化を申請するのは、「無謀」と言えるくらいハードルが高いのも事実でしょう。それに、身も蓋もないことを言えば、顔がきれいで日本語が堪能な外国人(白人)女性だから、多くの支持を集め、好意的に受け取られていることもまた、否定し得ない事実でしょう。もとより、YouTubeというのは(と言うか、ネットというのは)もともとそういうものなのだ、ということも忘れてはならないのです。

■ロシアの生活


TBSのモスクワ特派員だった金平茂紀氏が、特派員時代の知り合いに会うために、年末年始にモスクワを訪れたときのことをネットで話していたのですが、金平氏は「あくまで自分が見た範囲だけど」と断りを入れて、モスクワの市民たちの日常は予想外なくらい「普通だった」と言っていました。ロシアは経済制裁で市民生活が困窮しているとか、プーチン体制のもとで窮屈で暗い日常を送っているとかいったイメージがありますが、人々の生活は駐在していた頃と変わってなかったし、赤の広場も、カウントダウンを楽しむ人々で賑わっていたと言っていました。

私自身も、結婚してロシアの地方都市で生活している、下記の日本人のYouTubeをよく観ていますが、たしかにショッピングセンターからユニクロやマクドナルドやスターバックスやナイキやアディダスのような外国企業が撤退した光景を映したような場面はあるものの、動画で紹介されている日々の生活は、びっくりするほど「普通」なのです。車を走らせている道路沿いの工場も通常通り稼働しているし、市場も中東や近隣の国などから輸入された野菜や魚で溢れているのでした。

YouTube
森翔吾

侵攻した直後、経済制裁でロシア・ルーブルが暴落するかもしれないと、お金を物に変えるためにあわてて日本車を買う場面などもありました。その際、担当したディラーのセールスマンは、日本車の輸入が止まったので、のちに失業することになるのでした。そういった影響はありますが、しかし、市民の生活はきわめて「普通」です。

あしやさんのように、別に反政府運動をして迫害されたわけでもないのに、ロシア国籍を捨てたいというのも、ロシアの生活水準がそれなりに「豊か」で、政治的な自由もそれなりにあり(あって)、それに大学進学率が高く、女性の地位も高いということなどが関係しているように思います。

エマニュエル・トッドは、ソ連が崩壊したのは国民の中で高等教育を受けた人の割合が25%を超えたことが要因である、と言っていましたが、ちなみに、25歳から64歳の大卒の人口比率(2021年・OECDのデータ)を見ると、ロシアは56.73%で、カナダに続いて世界第2位なのです。尚、日本はロシアの次の第3位です。高等教育を受けた人の割合が閾値を超えると、権力や権威の求心力が低下し、国民国家が民主化やグローバル化の波に洗われて揺らぎ始めると言うのです。

また、エマニュエル・トッドの家族システムの分類によれば、ロシアは、親子関係が権威主義的だけど兄弟関係が平等な「外婚制共同体家族」とされています。中国やベトナムなども同じで、党や国家は権威主義的だけど人民は平等主義的という、社会主義思想との親和性がもともと高いのです。尚、日本は、親子関係が権威主義的で兄弟関係が不平等な「直系家族」です。それは、保守政治を蝕んでいる世襲制の問題を考える上でも参考になるように思います。

徴兵を逃れるために多くの若者が国外に脱出したという報道もありましたが、それは、ロシアがウクライナのように、18~60歳の成人男性の出国が禁止されていたわけではなかったので、脱出することも可能だった、と考えることもできるのです。ウクライナは、成人男子の出国を禁止しているため、法を犯して出国するしかなく、そのためワイロが横行しているという話もあります。もちろん、「政治的な主張を除いて」という括弧付きですが、ロシアは、私たちが想像するような(メディアが言うような)かんじがらめに縛られ監視されているような社会ではない(なかった)のです。

侵攻した際、ニュース番組の中で戦争反対のボードを掲げた国営放送の女性キャスターがいましたが、彼女は拘束されたもののすぐに解放され、さらにそのあと、再びモスクワの街頭で戦争反対を訴えるボードを掲げたために、刑事訴追の怖れが出て、フランスに出国したと言われています。私たちは、彼女の勇気とともに、その間の”ゆるさ”にも驚きました。それは、普段抱いているロシアのイメージからは程遠いものだったからです。多くの日本人は、拘束された時点で拷問され、仮に解放されても秘密警察から四六時中監視される(下手すれば”変死”する)ようなイメージを持っていたはずですが、そうではなかったのです。

あしやさんもそのあたりのことを次のように書いていました。ただ、外国人だから仕方ない面はあるものの、文章はチャットGTPで書いたような通り一遍で平板なものでした。

私の友人や知り合いも、侵攻の前後で考えは変わったようです。

侵攻前は、海外移住したい気持ちはあったものの、ロシアでの生活が、ある程度豊かだったので、無理して海外に出て、ゼロから生活を築こうとは思わなかったといいます。たとえ政治に不満があっても、生きていく上では何ら不自由はなかったわけです。

ところが軍事侵攻が始まると、状況は全く変わりました。「これ以上、ロシアに住むことはできません」「ロシアで税金を払いたくない」「戦争する国にはいたくない」などと思うようになり、目が覚めたようです。
(上記「GLOBE+」のコラムより)


私たちが知りたいのは、ロシアの地べたの人々の実像なのです。そして、ウクライナ戦争に対して反戦を訴えるなら、ロシア・ウクライナを問わず、まずそういった地べたの人々の視点からこの戦争を考え、連帯することが大事なのです。

双方のプロパガンダとは別に、ウクライナ戦争が多分に抑制された、、、、、戦争であるのは事実でしょう。たとえば、今盛んに言われているウクライナの「反転攻勢」にしても、ウクライナは「反転攻勢」するぞ、総攻撃するぞ、とまるでロシアに通告するように公言していますが、そんな手の内を明かすような戦争があるのかと思います。しかも、日本のメディアは毎日のように「『反転攻勢』がはじった」と言っていますが、実際はいつまで経っても「反転攻勢」は始まらないのでした。

メディアであれば、そういった抑制された、、、、、戦争の内実を伝えることが必要でしょう。知らないことを知らせてくれるのがメディアのはずです。

あしやさんを取り上げたのも、ただネットで話題になっていることを後追いして、それを記事にする今の朝日の姿勢が出ているように思えてなりません。少なくとも、ひと昔前だったら、このようにネットに媚を売り、ネットに便乗するような企画はやらなかったはずです。
2023.06.05 Mon l 社会・メディア l top ▲
先程、ガーシーが既に日本行きの飛行機に搭乗していて、成田に向かっている、というニュースがありました。

別に競馬の予想屋ではないですが、それ見たことか、と自慢したくなりました。ただ、自首ではなく強制送還だったようです。

下記の記事をお読みください。

⇒ 【大胆予想】ガーシーは帰って来る

「名誉棄損」「常習的脅迫」「威力業務妨害」「強要」などの容疑はあくまでトバ口に過ぎないのです。これから第二幕が始まるのだと思います。

彼ら、、は、相変わらず虚勢を張っていますが、過去のSNSなどを見ると、言っていることが的外れでトンチンカンなことばかりだというのがよくわかります。メディアもコタツ記事ばかりなので、あたかも彼ら、、が言っていることにも、”三分の理”があるかのように思ってしまいますが、それは単に詐欺師の口上(そうなればいいなあという”希望的観測”を断定口調で言っている)にすぎないのです。

21世紀になり、資本主義が高度に発達するにつれ、社会や仕事のシステムは複雑になる一方ですが、肝心な人間はまったく逆に、どんどん退行して”単細胞”になっているような気がします。Googleが言った「集合知」や「総表現社会」とはこういうことだったのかと思いました。ガーシーの事件(と言うか、騒動)は、まさにそういった時代を象徴していると言えるでしょう。

最後に嫌味を言うつもりはないですが(でも嫌味ですが)、ヘタレな芸能マスコミは、せめてガーシーの親友である田村淳のコメントくらい取って来いよ、コタツ記事を書いているだけが能ではないだろう、と言いたいです。


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※この記事は後日削除する予定です。
2023.06.04 Sun l 社会・メディア l top ▲
横濱物語



■仮面強盗事件


5月8日に銀座で起きた「仮面強盗事件」で、逮捕されたのが16~19歳の横浜の遊び仲間だったという報道について、吉田豪氏がネットの番組で、「犯人が横浜の不良仲間と聞いて納得できましたよ」と言っていましたが、横浜住みの私も同じように思いました。

他の強盗事件にも関与していたようですが、しかし、闇バイトで実行部隊を集めた「広域強盗事件」ではなく、それを真似た事件だったのです。

先輩や友人に誘われてやったという供述が、如何にも横浜らしいなと思いました。横浜に住んでいると、誰が横浜をオシャレな街だなんて言ったんだ、と思うことが多いのです。

ガーシーが裏カジノにはまって借金を作ったのも、横浜の福富町の裏カジノだと言われていますが、さもありなんと思いました。

私は、前に横浜市立大を出た馳星周に、横浜を舞台にしたピカレスク小説を書いて貰いたいと書いたことがありますが、横浜ほど馳星周の小説が似合う街はないのです。

■『横濱物語』


にわか市民の私にとって、横浜のバイブルと言えるのは、平岡正明の『横浜的』(青土社)と小田豊二氏の『横濱物語』(集英社)です。

『横濱物語』は、黄金町の遊郭で生まれ、終戦後の横浜の夜の街でその名を轟かせた松葉好市氏という生粋のハマっ子に聞き書きした本で、終戦直後から1960年代半ばまでの、文字通り横浜が栄華を極めた頃の風俗や不良たちのことが語られているのでした。その中に、次のような箇所がありました。

 大正初期だったと聞いていますが、横濱の港湾荷役事業のために神戸からやってきたのが、「各酒藤兄弟会(かくしゅとうけいていかい)」。鶴井寿太郎、酒井信太郎、藤原光次郎というそれぞれの親分の頭文字を取って付けられた組織名で、いわゆる全国の港湾関係を仕切るために産まれた組織なんですね。
(略)
 その「鶴酒藤」の看板を次の世代で背負ったのが、酒井信太郎、笹田照一、藤木幸太郎、鶴岡政次郎といった親分衆。みなさん、神戸の山口組二代目・山口登さんと五人の兄弟分の人たち。その人たちが新興勢力として関西から横濱にやってきた。
藤木さんと鶴岡さんは綱島一家の盃をもらって藤木一家、鶴岡一家を興し、酒井さんと笹田さんもこの横濱で一家を構えて、親分になったんです。
(略)
 藤木企業? ええ、その前身です。でも息子さんはカタギで、いまでは横濱を代表する立派な実業家です。(略)
  港湾の仕事は、とにかく人を集めなければ話になりませんからね。それも働くのは沖仲仕と呼ばれる荒っぽい人たちですから、そういう組織がないとしめしがつかない。


 GHQは最初、荷役の下請けを禁止していたんですよ。ところが、直接に沖仲仕を雇うと、ストとか起こりやすいじゃないですか。それで、笹田親分の笹田組や鶴岡さんのところの東海荷役、それから藤木さんの藤木企業という会社に下請けをまかせたんです。(略)


松葉氏は、「この港湾事業のおかげで戦後の横濱が発展した」と言っていました。「とにかく横濱に行けば仕事にありつける」ということで、横浜に人が集まったのでした。そして、アメリカが接収した土地の6割が横浜に集中していたと言われるくらい進駐軍の影響が大きかった横浜は、繁華街もアメリカ文化に彩られ「憧れの街」になったのでした。そんな中から愚連隊が生まれ、横浜は愚連隊の発祥の地だと言われたそうです。「仮面強盗事件」の少年たちは、元祖愚連隊の継承者と言っていいのかもしれません。

■映画「ハマのドン」とカジノの”再燃”


2021年の横浜市長選では、山下埠頭にIR、つまりカジノを誘致するかどうかが大きな争点になりました。そして、カジノ反対の急先鋒に立ったのが、”ハマのドン”と言われた藤木企業会長の藤木幸夫氏でした。藤木氏は、昵懇の仲であった菅義偉首相(当時)と袂を分かって、立憲民主党が擁立した反対派の山中竹春候補(現市長)を支援することを表明し話題になりました。

その藤木氏を描いた映画「ハマのドン」が今月から劇場公開されています。これは、テレビ朝日が製作した2022年2月放送のドキュメンタリー番組を劇場版に再編集したもので、監督はテレビ朝日の「報道ステーション」でプロデューサーを務めた松原文枝氏です。

ところが、今年の2月の市議会で、山下埠頭の再開発計画に関する「山下ふ頭再開発検討委員会」の設置が決まったことで、横浜でカジノが”再燃”するのではないかという声が出ているのでした。と言うのも、再開発の事業者提案の中に、山下埠頭をスポーツ・ベッティング(スポーツの試合を対象にした賭け)の「特区」にするという計画案が含まれていたからです。しかも、スポーツ・ベッティングの解禁には法改正が必要なので、「特区」という文字に政治家や経産省の深慮遠謀を指摘する声もあるのでした。検討委員会の設置には、自民党だけでなく立憲民主党も共産党も賛成して、反対したのは無所属の2人だけだったそうです。

そういったカジノ”再燃”の不穏な動きとの絡みもあり、映画「ハマのドン」に対しても、「虚構」だ、藤木氏をヨイショしているだけだ、という批判が噴出しているのでした。私は、まだ本編を観ていませんが、予告編の冒頭に、「主権は官邸にあらず 主権在民」というキャッチコピーが画面いっぱいに映し出されるのを観ると、たしかに違和感を持たざるを得ないのでした。

市長選前の2021年8月3日に、藤木氏は外国特派員協会で記者会見を行なったのですが、その中で注目を集めた発言がありました。

YouTube
横浜市カジノ誘致に反対 「ハマのドン」藤木氏が会見(2021年8月3日)

「カジノの問題なんか小さな問題なんです。ただ、マスコミの皆さんがやっぱりカジノを中心にリポートされてるから、これだけのことになってる。私、カジノはやっていいんですよ。横浜港以外ならどこでもやってくださいよ。だって国がやると言ってるんだから」


ここに来て、藤木氏はカジノには反対ではなかった、ただ利権から外されたので反対しただけだ、という見方が再び取り沙汰されているのでした。

■旧市庁舎の売却問題とMICE


先日の市議会では、気に入らない質問があるとあきらかに不機嫌な様子を見せて、ふんぞり返るように椅子に座っている市の幹部の態度が一部の市民から批判されていましたが、横浜市は名にし負う役人天国でもあります。カジノの”再燃”には、横浜市庁舎の”中の人”たちの意向もあるのではないかという穿った見方もあります。何故なら、みなとみらいと同じように、巨大な天下り先が確保できるからです。

横浜にはカジノだけでなく、ほかにも問題が山積していますが、反対派が「激安処分」と呼ぶ旧市庁舎の売却問題もそのひとつです。林文子市長の時代に、旧横浜市庁舎の建物5棟を7700万円で売却し、土地を77年の定期借地権付きで貸し付ける契約を三井不動産を代表とする8社の企業グループと結んだのですが、これに対して、「たたき売り」だとして契約の差し止めを求める住民訴訟が起こされているのでした。しかし、立憲民主党に擁立された山中竹春市長は、契約は妥当で市に瑕疵がないと判断し、林市政の方針を受け継いでいるのでした。

7700万円で売却した旧市庁舎は、1959年に建築家の村野藤吾の設計によって建てられた、戦後日本を代表する近代建築と言われるような歴史的価値がある建造物です。しかも、2009年に60億円をかけて耐震補強までしているのでした。建物は一応保存することが売却条件になっており、そのうち旧行政棟は、星野リゾートの系列会社が2026年からホテルとして運営することが決まっています。一方で、三井不動産などの企業グループは、同じ敷地内に、地上33階建て高さ170メートルの高層ビルを、2026年完成を目指に建設することをあきらかにしているのでした。

市庁舎がある関内地区には、「都市景観形成ガイドライン」によって、さまざまな規制がかけられており、建築物の高さも実質的に33メートルから40メートルに規制されていました。そのため、私もこのブログで書いたことがありますが、都内のように高い建物で頭上を覆われるような圧迫感がなく、ヨーロッパの街のようなゆったりした雰囲気があり、それが横浜の街の魅力でした。ところが、いつの間にかガイドラインが”緩和”され、高層ビルの建設が可能になっていたのでした。もっとも、2020年に新しく建てられた市庁舎も32階建の豪奢なもので、行政みずからが横浜の街の景観を壊しているのでした。

山下埠頭の再開発では、基本計画の中に、観光庁が推進する「MICE」がテーマとして掲げられています。「MICE」というのは、「企業等の会議(Meeting)、企業等の行う報奨・研修旅行(Incentive Travel)、国際機関・団体、学会等が行う国際会議(Convention)、展示会・見本市、イベント(Exhibition/Event)の頭文字」(観光庁のサイトより)から取った言葉で、政府が成長戦略の一環として打ち出した総合リゾート型観光の中核をなすものです。要するに、そこにあるのは、コンクリートの箱を造ってイベントをやって滞在型の観光客を呼び込むという、旧態依然とした発想です。当然、その中にスポーツ・ベッティングの「特区」も含まれるのでしょう。

横浜がインバウンドの取り込みに失敗しているのは事実ですが、それはイベントをやる施設がないからではないのです。街がミニ東京みたいになってしまって外国人観光客に魅力がないからです。食べ物であれ景観であれ何であれ、日本を訪れる外国人観光客たちが求めるのは”日本らしさ”です。つまり、彼らは、ありのままの日本の歴史や文化を求め、異文化を体験するために日本にやって来ているのです。それがわかってないのではないか。

言うまでもなく、横浜は独自の歴史と文化を持った街ですが、その”記憶の積層”を過去の遺物だと言わんばかり(ゴミのように)に捨て去ってしまう今のやり方は、みなとみらいと同じように、のちに大きな禍根を残すような気がします。

■村社会の魑魅魍魎たち


横浜市は、人口が376万人(2023年1月現在)の大都市ですが、一方で古いしがらみが残る地方都市の側面もある街です。老舗と呼ばれる商店や、港湾(倉庫)業や運送業や建設業など、進駐軍がもたらした戦後の繁栄の恩恵に浴した者たちが、まるで”村社会”のように横浜の政治・経済を牛耳っているのでした。

たとえば、菅義偉元首相が小此木八郎氏の父親の秘書だったかとか、藤木幸夫氏が小此木八郎氏の名付け親だったとか、人間関係も非常に濃密です。そのため、彼らが表面的に対立する構図となった先の横浜市長選も、利権をめぐる“村社会”の内輪もめにすぎないのではないかという見方が当初からありました。

たしかに、林市政のときと同じように、いつの間にかオール与党体制に戻って、市長が変わっても”村社会”の利権の構造は何も変わってないのでした。

下記のような共産党の県議の投稿に対して、カジノ反対派の市民たちが反発していますが、しかし、言っていることはわかる気がします。


共産党も「山下ふ頭再開発検討委員会」の設置に賛成したので、お前が言うなという気がしないでもありませんが、横浜の“村社会”とそこに跋扈する魑魅魍魎たちのことを考えれば、話がそんな単純なものではなかったことがわかるのです。裏には裏があるわけで、横浜市民だったらそのくらい考えなさいよ、と言いたいのだろうと思います。それこそ横浜市歌を空で歌えるような横浜市民たちもまた、利権のおこぼれを頂戴するために横浜の“村社会”を支えているのです。私には、屋根の上からばらまかれる餅に我先にむらがるような、そんなイメージしかありません。

横浜市は、まさに日本の地方の縮図なのです。ただ、日本で一番人口の多い都市(市)なので、そのヤバさが桁違いだということです。「ドン」と呼ばれる人物や官尊民卑を地で行くような小役人が我が物顔で跋扈する街のどこがオシャレなんだ、と言いたくなるのでした。


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2023.06.01 Thu l 横浜 l top ▲