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JR青梅線・鳩ノ巣駅



■非常識な電話


先日、病院に勤める知人に会った際、正月休みの当直勤務のときにかかってきたという電話の話をしていました。ちなみに、彼も山登りが趣味で、私など足元にも及ばないような上級者です。

彼が勤める病院の整形外科には、一部の登山関係者の間で名前を知られているドクターがいるのだそうです。

深夜、そのドクター宛に電話がかかってきたのだとか。

「△△先生いますか?」
「今夜は勤務していません」
「じゃあ、明日は出て来ますか?」
「いえ、○日まで休みです」
「じゃあ、今すぐ連絡を取って貰えませんかね」
「それはできません」
「どうしてできないんだ?」
「個人的な電話は取り継げないことになっています」
「個人的な電話ではないんだよ。山に行って凍傷にかかったんだよ。だから診て貰いたいんだよ」
「だったら、予約して休み明けの診察日に来て頂けますか?」
「それでは遅いんだよ」
「それでしたら、最寄りの当番医か救急病院を受診されたらどうですか?」
「だから△△先生に診て貰いたいと言ってるだろ」
「でも、申し訳ありませんが、○日まで休診なので診察は無理としか申し上げようがありません」
「俺の凍傷がどうなってもいいと言うのか」
「そうは言っていません。休み期間中でも受診できる病院がありますので、そちらで受診して頂けるように申し上げているだけです」
「そんなことわかってるよ。だったらこんな電話しないよ。お前、名前は何と言うんだ? こんな電話対応があるか! まったく話にならんじゃないか!」

声の感じではかなり年を取った感じだったそうです。いろんな場面で登山者のマナーがやり玉に上がることがありますが、その背景の一端を見た気がします。彼は、同じハイカーとして「情けない」と言っていました。

何度も言いますが、山ですれ違う際、「こんにちわ」と挨拶するので、みんないい人に見えるのですが(ハイカー性善説)、実際は山の上も下界の延長にすぎないのです。噓つきは山の名物と言えるくらい吐いて捨てるほどいるし、泥棒や痴漢もいます。山小屋で強姦殺人が起きたこともあるし、避難小屋を根城にした強盗が出没したこともあります。駐車やトイレやゴミのマナーが問題になることがありますが、そんなものは朝飯前と言えるでしょう。

■”弾丸登山”と富士登山競争


でも、それは、登山者だけではないのです。山岳団体や山小屋や地元自治体なども似たようなものです。

前にハセツネカップとそれを主催する都岳連の問題を取り上げましたが、たとえば、今批判の的になっている富士山の“弾丸登山”にしても、「お前が言うか」と言いたくなるような現実があるのでした。

”弾丸登山”が無謀で危険な登山であることは論を俟ちませんが、その一方で、富士吉田市は、「過酷に挑む価値がある」と銘打って、富士登山競争(フジマラソンレース)を主催しているのでした。今年も7月28日に開催されたようですが、富士吉田スポーツ協会、毎日新聞社、山梨日日新聞社、山梨放送、富士吉田市教育委員会が共催し、山梨県、(株)テレビ山梨、(株)CATV富士五湖、富士吉田市外二ケ村恩賜県有財産保護組合、富士山吉田口旅館組合、(一財)ふじよしだ観光振興サービスが後援する、官民あげての一大イベントなのです。これこそ”弾丸登山”の最たるものと言えるでしょう。

トレランは、「山を愛でる」などという精神とは真逆な、ただゴールを目指してタイムを競うゲームにすぎません。しかも、一度に何百何千の選手が駆け抜けて行くので、踏圧による登山道の剥離や崩落、それに伴う植生への影響などの問題も指摘されています。そのくせ、大会の趣旨には必ず「自然保護」が謳われているのですから、その二枚舌には呆れるばかりです。富士山に関係する団体や自治体が、個人ハイカーの”弾丸登山”に懸念を示すのは、文字通り天に唾するものなのです。個人の”弾丸登山”は金にならないが、富士登山競争は金になるからいいんだ、という声が聞こえて来るようです。

それは、俗情と結託して遭難は迷惑だみたいな言い方をする一方で、登山ユーチューバーに媚を売って、ニワカ登山者の安易な登山に阿る、地元自治体や観光協会や山小屋の夜郎自大な建前と本音も同様です。

■登山とは無縁な友人の弁


とは言え、つらつら考えてみれば、私たちのような下々のハイカーも五十歩百歩で、山に登ること自体が非常識と言えなくもないのです。トレランだけでなく、私たちだって登山道を踏み固めることで、地質の透水性や保水性の低下を招いているのです。丹沢の山などで指摘されているオーバーユースの問題とトレランがどう違うのかと言われれば、返す言葉がありません。非常識なことをしながら、一方で「自然保護」を口にするのは偽善ではないかと言われれば、首をうなだれるしかないのです。

登山とはまったく無縁な友人が、「登山する人間があんなに山小屋を有難がるのかわからない。山小屋だって商売なんだろ。中にはお客さんに説教したり、夕食のときに講釈を垂れたりするオヤジがいるそうじゃないか。どうしてわざわざ金を払ってそんなものに有難がるんだ? 」と言っていました。

「ただ山小屋は、緊急時の避難所としての役割もある。そのため、無謀な登山者に対して、ときに説教めいたことを言うことはあるだろう。それに、登山道の整備なども手弁当どころか、むしろ費用を持ち出しでやっている。単なる宿泊施設とは言えないんだよ」
「でも、その代わり国立公園内で商売する既得権を得ているわけだろ。登山道の整備だって、お客さんが訪れる道を整備するのは客商売として当たり前とも言える。そんなに有り難がる話か?」
「しかし、登山道が荒れたり、山小屋がなくなったりすると、行くのが困難になる山もある」
「困難になってもいいじゃないか。山は登山者が登るためにあるんじゃない.。そういう考え方が傲慢なんだよ。むしろ自然保護の観点から言っても、登山者が入らなくなることはいいことかもしれない。山小屋や登山道だって自然破壊のひとつだと言える」

私は、友人の辛辣な言葉に反論しながらも、山小屋には客を客とも思ってないような横柄なスタッフがいることもたしかなので、友人が言っていることも一理あるかもと思いました。それに、(同じことのくり返しになりますが)非常識で無謀な登山者を生み出す一因になっている(と言っていい)登山ユーチューバーに対して、宣伝のためなのか、普段はいかめしい山小屋のオヤジが相好を崩して阿っているのもめずらしいことではありません。西穂高の山小屋のように、建物内の撮影はいっさい禁止、ユーチューバーには協力しないという山小屋は稀なのです。

一方で、友人は、富士山の登山鉄道の構想には賛成だと言うのです。ヨーロッパのように、日本でも山岳観光はもっと広がるべきだし、そのために登山鉄道も敷設すべきだと言うのでした。

自然に対してはフレキシブルに考えるべきで、「山は一部の登山者のものではなく、体力のない年寄りや子どもや身障者も山に親しめるようにするべきだ。その一方で、人が入ることができない(入ることが困難な)山もあっていい。それも山本来の姿だ」と言うのでした。

■趣味としての登山の行く末


ある山小屋は、コロナ前まで素泊まりで7千円だったのに、コロナ後に行ったら1万2千円に値上がりしていたそうです。その大幅な値上げには、昨今の物価高&コスト高だけでなく、山小屋が置かれている苦境が示されているように思えてなりません。山小屋にはもはや登山道整備の費用を持ち出す余力などなく、入山料などのシステムを導入して、登山者が応分に負担すべきだという意見が出ているのも当然でしょう。

もちろん、.環境庁や地元自治体が登山道の整備費用に1銭も出してないわけではありません。でも、それは微々たるものです。

登山道の整備に税金が投入しづらいのは、現状ではまだ世論が充分納得しているとは言い難いからだ、という官庁の担当者の話をこのブログでも紹介したことがありますが、しかし、税金投入に対して、国民が納得することは永遠にないでしょう。

警察庁によれば、2022年の山岳遭難は3015件で、死者と行方不明者は327人、負傷者は1306人だそうです。こんな無謀で危険な趣味に税金を使うなど、国民の理解が得られるはずがありません。

しかも、富士山の混雑ぶりを見て登山ブームだとトンチンカンなことを言っている人たちもいますが、今の登山者のボリュームゾーンは70代なので、早晩、登山者が激減するのは目に見えているのです。そうなれば、宿泊料金のさらなる値上げや整備費用のさらなる負担も避けられないでしょうし、趣味としての登山がどれだけ成り立つかという問題も出てくるでしょう。

あの芥川龍之介は、1909年、東京府立第三中学校(現在の都立両国高等学校)5年のときに、友人らと一緒に上高地から槍沢に入り槍ヶ岳に登っているのですが(のちの「河童」は、そのときに立ち寄った上高地の河童橋をヒントにしたと言われています)、登山が再び高等遊民の趣味に戻ることだってあり得るでしょう。

登山者や登山の関連団体が、いつまでも”特権"を享受し、非常識にあぐらをかいていられるわけがないのです。


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深圳(写真AC)



■中国の「日本病」


昨日(16日)の「モーニングショー」で、中国が不動産不況に陥っているという問題を取り上げていました。

天津市では、117階建ての高層ビルの工事がストップした状態になっており、周辺でも骨組みが剥き出しになったまま放置されているビルがあるということです。また、個人向けのマンションも建設が中断し、代金を払ったにもかかわらず何年経っても引き渡されない事例も珍しくないそうです。

「私は金を払って『モノ』を買ったんだ。ジュースや野菜ではなく、『4000万円の部屋』だ。たくさんの金を払ったんだから、その『モノ』を私に引き渡してほしい」「俺は3000万円払って家を買った。それなのに建ててくれない。ほったらかしだ。理不尽だ」というような購入者の声を紹介していました。

番組は、今の中国は30年前に不動産バブルが崩壊した日本と同じ轍を踏んでいるとして、専門家の間でも「日本病」と呼ばれている、と言っていました。

これに対して、中国の対外経済貿易大学・国際経済研究院の教授である西村友作氏は、不動産会社の資金繰りが悪化して工事が中断しているのは、中国政府の“総量規制”のためで、多分に政策的な要因によるものだ、と言っていました。新型コロナウイルスのゼロ・コロナ政策に伴う経済対策のために金融緩和を行なった結果、お金が不動産市場に流れて不動産バブルを引き起こしてしまったので、規制を始めたのだとか。習近平主席の「家は投機のためにあるのではなく、住むためにあるのだ」という言葉に従って、不動産業界に対する締め付けが行われているのだと言うのです。

代金を払ったのにマンションが建たないというのも、日本と違って中国では購入代金を前払いする商習慣があるので、日本とは事情が異なる、と言っていました。つまり、日本の感覚で考えれば、詐欺みたいな話に聞こえるのですが、中国では代金を払ってから引き渡されるまで何年もかかるのはよくある話だそうてす。

不動産バブルと言っても、一部の先進的な大都市の話にすぎず、中国経済自体が行き詰まり、かつての日本と同じ轍を踏んでいると見るのは早計だと言っていました。中国は都市部と農村部の格差が大きく、統計的に見ても、日本の80年代や90年代のような「遅れた」部分も多く、まだ成長の余地はあると言うのです。

マンション業者の「1階を買うともう1階をサービス」という広告についても、日本の感覚で考えるととんでもない話のように思うかもしれないけど、中国のマンションは、上の階と下の階の部屋の間に階段を設置して二世帯住宅のようにするオプションがあり、もう1階をサービスというのはそういう意味だ、と言っていました。

そもそも中国は社会主義国家なので、土地の私有は認められていません。土地は国家のものなのです。不動産と言っても、あくまで「使用(借地)権」があるだけです。居住用の土地の「使用権」は70年と定められているそうですが、しかし、公共のためという理由で、政府が一方的に「使用権」を破棄して立ち退きを迫られることもあるのです。そう考えれば、資本主義国の不動産バブルと同じように考えるのは無理があるように思えてなりません。

日本の専門家と称する人間たちは、何かにつけ中国経済は崩壊すると寝言のように言うのが常で、メディアが伝える中国像も、そういったバイアスがかかったものばかりです。まして今のように米中対立が先鋭化して、明日でも戦争が起こるかのようなキャンペーンが繰り広げられている中ではよけいそうでしょう。だからこそ、希望的観測や予断や偏見ではなく、ホントの、、、、中国はどうなのかを知りたいという気持があります。ホントの、、、、中国は案外知らされてないのではないかという疑問さえあるのです。

たしかに、ゼロ・コロナ政策では、中国は最新のデジタル技術を駆使してウイルスの封じ込めに成功したと言われていますが、一方で、新型コロナウイルスが蔓延したのは、食用の野生動物を売買していた武漢の海鮮卸売市場からではないかとも言われているのです。そういった両極端とも言えるような新しいものと古いものが混在しているのが、中国社会の特徴と言えるでしょう。

■恒大集団破産のニュース


折しも中国の大手不動産会社の恒大集団が、アメリカのニューヨークの裁判所に「破産法」の適用を申請したというニュースがありました。ただ、これは、48兆円という途方もない負債を抱える恒大集団が、アメリカ国内で抱えている負債を整理して経営の立て直しをはかるというもので、同じ破産でもアメリカのそれと日本のそれとではかなり意味合いが違うことを忘れてはならないでしょう。

一方、日本のメディアは、中国の不動産バブルの崩壊が日本経済に影響を及ぼすのは避けられないとして、”破産”をセンセーショナルに(ネガティブに)伝えているのでした。もっとも、その内容はと言えば、調子抜けするほど通り一遍なものです。都心部のタワマンなど高級物件が中国人に買占められ、それがマンション価格高騰の一因になっていると言われていますが、中国のバブル崩壊が連鎖的に中国人に支えられた日本の不動産バブルの崩壊につながることを懸念しているのかと思ったらそういう話でもないのです。

テレビ朝日のニュースの中で、第一生命経済研究所・首席エコノミストの永濱利廣氏は、次のようにコメントしていました。

「日本から中国への輸出額がこのところ減少を続けているが、仮に日本みたいにデフレに陥ってしまうと、さらに中国向けの輸出が減ったりとか、中国人の日本向けの団体旅行も当初の期待ほど盛り上がらなかったりと、日本経済に及ぼす影響も無視できない」

Yahoo!ニュース
テレ朝news
48兆円負債 恒大集団が破産申請 中国“危機”日本への影響不可避


なんだそんなことかと思いました。日本には、「ざあまみろ」という気持と中国経済に依存していることによる「困った」という本音の両方があるのですが、恒大集団の問題でもことさら騒ぎ立てるだけで、不動産不況が中国政府の政策的な要因によるものだという冷静な視点がまったくないのでした。

■『数字中国デジタル・チャイナ コロナ後の「新経済」』


それで、昨年の2月に出版された西村友作氏の『数字中国デジタル・チャイナ コロナ後の「新経済」』(中公新書ラクレ)を読みたいと思い、アマゾンを検索したら売切れでした。駅に行く途中に、念の為、商店街の中にある書店に寄ったら、やっぱり置いていませんでした。

そのあと、病院に診察に行ったのですが、尿の検査をするためにおしっこを紙コップに取ろうとしたら、赤いおしっこが出たのでした。朝の排尿時は普通の色だったのに、よりによって病院の検査のときにどうして血尿なんだ?と思いました。

案の定、(待ってましたと言わんばかりに)レントゲン撮影とエコーの検査が行われました。腫瘍などは見当たらず、腎臓に2ミリくらいの小さな石が2~3個あるので、それが原因だろうと言われました。それで、いつもの薬以外に芍薬甘草湯が処方されました。

芍薬甘草湯に関しては、私は「ラッキー!」と思いました。残り少なくなっていたので、何か理由を付けて処方して貰おうと思っていたところだったのです。

山に登る人ならわかると思いますが、芍薬甘草湯は足が攣ったときに飲むと効果てきめんなので、登山のファーストエイドでは必携の薬です。調剤薬局でも、薬剤師から「いつもの薬以外に芍薬甘草湯が処方されていますが、足が攣るのですか?」と言われました。しかも、ひと月分なので90包もあり、これでまた数年分のストックができました。

泌尿器科で芍薬甘草湯を処方されたのは、人が感じる最も強い痛みのひとつとも言われる尿管結石の痛み止めのためです。しかし、(変な言い方ですが)尿管結石のホント、、、の痛みには、とてもじゃないけど芍薬甘草湯では対処できません。ドクターからも「(痛み止めの)座薬はまだありますか?」と訊かれたので、「はい、冷蔵庫で保管しています」と答えました。

病院のあと、市営地下鉄で横浜駅まで行きました。しかし、改札口を出て相鉄線のジョイナスの方に出たら道に迷ってしまい、構内をウロウロするはめになってしまいました。どうしてジョイナスに行こうと思ったのかと言えば、ジョイナスにある有隣堂書店で『数字中国』を探そうと思ったからです。

横浜に住んで既に15年以上が経っていますし、輸入雑貨の会社に勤めていた頃も横浜を担当していましたので、横浜の駅ビルや地下街はよく知っているつもりなのですが、どうしたことか迷子になったのです。ただ、ジョイナスの中にあんなに充実した食堂街があったことを初めて知ったので、それはそれで怪我の功名と言えるのかもしれません。そして、やっと地上に出て、あらためて西口の地下街に入ることができたのでした。

私自身は、未だに横浜駅より池袋駅や新宿駅や渋谷駅の方がよくわかります。横浜駅はちょっと来ないと、頭が混乱して方向感覚を失ってしまうところがあります。西口と東口を結ぶコンコースにしても、池袋や新宿や渋谷も及ばないくらいの人混みで、それだけでも圧倒されるのでした。

もっとも、有隣堂があった地下街は、以前はダイヤモンド地下街と呼ばれていたのです。それがジョイナスに統一されたので、よけいわかりにくくなったのでした。前は西口の地下街はダイヤモンド地下街で、その横にジョイナスという相鉄の駅ビルがあり、そのビルの地下街が別にあったのですが、それがいつの間にか一緒になってジョイナスと呼ばれるようになったのでした。そのため、私は、隣の昔からあるジョイナスの方に迷い込んでしまったというわけです。

結局、ジョイナス(旧ダイモンド)の地下街にある有隣堂にも本はありませんでした。それで、東口のそごうの中にある紀伊国屋書店に行くことにしました。夕方のラッシュ時のコンコースの人混みをかき分けて、さらに東口の地下街のポルタを突き抜けて、その先ににあるそごうの7階の紀伊国屋書店にやっと辿り着いたものの、紀伊国屋も売切れでした。

そごうも、仕事でよく行ったなつかしい場所です。昔、そごうで行われたブライダルショーに出演していた彼女と知り合い、しばらく付き合ったせつない思い出もあります。当時、横浜そごうは日本一の売場面積を誇るデパートでしたが、もう昔日の面影はありません。今のそごう・西武をとりまく状況から考えても、先行きは暗いと言わねばならないでしょう。いろんな意味で、いい時代、、、、は終わったのです。

で、そこで初めて、私は、スマホで在庫検索する”知恵”を思い出したのでした。思い出すのが遅すぎますが、頭から汗をタラタラ滴り落しながらスマホで検索すると、伊勢佐木町の有隣堂書店の本店に在庫があることがわかりました。もうこうなったら、伊勢佐木町まで行くしかありません。

横浜駅からみなとみらい線で馬車道まで行って、馬車道から伊勢佐木町まで歩いて、やっと『数字中国』を手に入れることができたのでした。本の価格は税込み990円ですが、買うためにかかった交通費は838円でした。

ちなみに、前に書いたと思いますが、伊勢佐木町から撤退した富士そばのあとには、最近、横浜橋の商店街などで目立つようになっている中国人経営の安売り八百屋が入っていました。有隣堂本店の斜め前の一等地に八百屋を開く感覚とその資金力には驚くばかりですが、不動産バブルが崩壊して中国経済が行き詰ったら、あの八百屋も撤退するのだろうかと思いました(もちろん皮肉ですが)。

※「恒大集団破産のニュース」の部分は、あとで追加しました。


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(イラストAC)



■高齢者の就職難


前に70歳になってアルバイトを探しているけど、なかなか思うような仕事が見つからず苦労している知人の話を書きましたが、警備員の仕事をするようになったそうです。

世の中は未曽有の人手不足と言われていますが、そんな中でも高齢者はアルバイトを探すのさえ苦労しなければならないのです。

結局は、警備員か清掃のような昔から高齢者に割り当てられたような仕事しかないのです。しかも、賃金など労働条件は10年もそれ以上も前からまったく変わってないそうです。むしろ、正社員を対象した「働き方改革」の皺寄せが非正規に向けられている現実さえあると言われます。

要するに、高齢者を雇用する側も年金受給が前提なのです。だったら安くていいだろうという考えがあるのです。高齢者自身も、年金があるので安い賃金でも妥協してしまう、と言うか、妥協せざるを得ないのです。

折しも、Yahoo!ニュースに下記のような共同の記事が転載されていました。

Yahoo!ニュース
共同
高齢者の53%、就職できず リクルート調査、企業及び腰

 60~74歳の就職希望者のうち53.7%が、仕事探しをしても見つかっていなかったことがリクルートの調査で分かった。企業が特段の理由がないのに採用に及び腰になっていることが主な要因として浮かんだ。


60歳~74歳の就職発動状況
(記事より)

中でも年金だけでは生活できない高齢者にとって、就職難は深刻な問題だと言えるでしょう。仮に仕事が見つかっても「安い給料でこき使われるような」仕事しかないのです。知人が前に言っていたように、役所や社会福祉法人のような公共性が高い職場ほど、低賃金で搾取されるというひどい現実さえあるのです。そのため、生活費を稼ぐためにWワークを行なっている高齢者もいるそうです。

■警備員の仕事


警備にしても、大半は交通誘導のような仕事だそうです。たしかに、この酷暑の中、警備員の制服を着て道路に立っているのは高齢者が目立ちます。私の知っている警備会社の人間も、「あれは地獄ですよ」と言っていました。

知人は幸いにも施設警備の仕事を見つけることができたそうですが、夕方から翌朝までの夜勤を15日やっても手取りは13万円もいかないと言っていました。夜勤が15日だと、夜勤明けを除けば実質的な休みはゼロです。そのため、夜勤を減らして、24時間勤務を入れるのだとか。

彼が働いている職場は一人勤務で、3名でシフトを組んでいるそうですが、他の2人はいづれも低年金の”後期高齢者“で、70歳の彼は「若い」と言われているのだとか。久々に「若い」と言われて、自分でも若返ったような気持になったよと笑っていました。

仕事自体は、防災設備の監視と巡回だそうですが、しかし、設備に関してはズブの素人なので、発報があった場合、対応できるのか不安だと言っていました。前からいる”後期高齢者”の2人からはまともな引継ぎもできてないと嘆いていました。

知人はインテリで文才もあるので、警備員になった顛末などをnoteに書いたそうですが、ほとんど「いいね」も付かず読まれないので、書くのをやめたと言っていました。

note自体が劣化する一方なので、読者の質の問題もある思いますが、もうひとつは、高齢者が警備員になるのは特段珍しくないということもあるのかもしれません。

知人は、警備員の仕事を始めてから何だか世間から疎外されているような気持を抱くことが多くなり、自分を卑下するようになったと言っていました。そういった心情を書き綴って貰いたいと思っていたので、noteの挫折は個人的には残念でした。

妙なプライドがあるからダメなんだという意見もありますが、しかし、人間がプライドを捨てたらお終いでしょう。つまり、警備員のような仕事は、プライドがあるからダメなんだと言うような、身も蓋もない殺伐とした世界でもあるのです。そんな中で、人のやさしさを失うことなく何を拠り所に生きていくか、という切実な問題もあるように思います。

別の知り合いの人間は、「給与が低くても仕事が楽だからという理由で妥協して就職すると、その程度の人間しかいなくて、低級な人間関係に苦労することになる」「給与が高いけど仕事のハードルも高い職場には、それなりの人間が集まっているので切磋琢磨することができ、社会人としてのスキルが上がる」と言っていましたが、若い人に聞かせてやりたい言葉だと思いました。

■関心外の世界


帰省や行楽のニュースが溢れるお盆休みの中で、知人のような高齢者たちは、今日も暗い警備室で24時間勤務に就いているのでしょう。しかし、世の中の多くの人たちは、そんな高齢者など視野にも入らないような日常の中で、休日を謳歌しているのでした。でも、その”特権”も今だけかもしれないのです。

そう言えば、私が若い頃に勤めた会社にも守衛のお爺さんがいて、夜遅く帰ったら、受付のところに座っていました。2人いましたので、一日交代で勤務していたのでしょう。会社には宿直室があり、同期の人間は、残業した際、その中で同じ課の女の子とキスをしたと言っていましたが、私は中に入ったことさえありませんでした。その宿直室で、守衛のお爺さんたちは仮眠をとっていたのでしょう。でも、”特権”を享受していた当時の私にはまったくの関心外で、誰が社屋の鍵を閉めているのかということさえ考えたこともなかったのです。


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Amazonメール



■アマゾンの文化


今日、アマゾンがプライム会員の会費を値上げするというニュースがありましたが、折しも私は、今日、アマゾンから荷物が届かないトラブルに遭遇したばかりです。会費値上げのニュースを見て、その前にすることがあるだろうと思いました。

今日、アマゾンから注文した商品が二回に分けて送られてくるはずでした。私は、アマゾンの「配送指示」には、宅配ボックスに入れて貰うように設定してます。「置き配」でもいいのですが、それでは不安なので、宅配ボックスを指定しているのでした。

今日の二回の配達予定は、それぞれ別の配送業者でした。午前中の便はネコのマークの配送業者で、用事があって出かける際には既に宅配ボックスに商品が入っていました。もう一つの商品は、「Amazon」の配送業者が配達するようになっていました。時間指定はしてないので、いつでも都合のいいときに宅配ボックスに入れておいてくれるはずでした。

アマゾンの場合、配達日になると、「配達中です」というメールが届きますが、その際も私は念の為に宅配ボックスを指定しています。私は、”予備がないと不安症候群”なので(ホントはただの取り越し苦労性ですが)、そういったことには非常に律儀でマメなところがあるのでした。

ところが、夕方、帰宅しても、宅配ボックスは空でした。おかしいなと思っていたら、留守電に着歴が残っているのに気付きました。着歴に残っていた電話番号をネットで検索するとアマゾンからでした。それで、電話すると、「サイトの配達状況をご確認ください」という固定メッセージが流れてきました。

サイトの「配達状況を確認」を見ると、「配達を試みましたが配達できませんでした」と書かれていました。今までは問題なく配達されていたのに、今回に限って何が原因で配達できなかったのか知りたいと思い、アマゾンのカスタマーセンターに連絡しました。

しかし、アマゾンの場合、このカスタマーセンターが曲者なのです。チャットで問い合わせるようになっているのですが、相手はあまり優秀とは言えないAIが搭載されたチャットボットです。「どうして配達できなかったのか、理由を知りたい」というような、個別の質問の回答は用意されてないのでした。「よくある質問」のような通りいっぺんの回答があるだけです。挙句の果てには、二言目には「解決しましたか?」としつこく問いかけて来るのでした。

でも、配達できなかった理由がはっきりしないと、明日も同じことをくり返すかもしれません。こんな非生産的な問答を繰り返しても、何の解決にもなりません。まったくバカバカしくて付き合ってられないという感じでした。

メディアは、プライムの会費の値上げに関して、アメリカやヨーロッパに比べて日本は格安だとか、日本の会費が安いのは日本の配送料が安く、その分配送業者が犠牲になっているからだなどと言って、わりと”好意的”に伝えていますが、私が言いたいのはそれ以前の問題です。

カスタマーセンターにしても、送料が安いからいいだろうみたいな感じで、おざなりになっているような気がしてなりません。そこに見えるのは、アマゾンらしい徹底した合理化の考え方だけです。その先にあるのは、単なる事なかれ主義です。でも、それは、自分たちの手間を省くために、顧客に面倒な手間を強いていることになっているのです。

そもそもトラブルが生じても、サイト内でカスタマーセンターを探すことから苦労しなければなりません。さらに、チャットボットが相手のカスタマーセンターから人間相手のオペレーターに辿り着いて、ただのアルバイトでしかない(しかも外国人?の)オペレーターと頓珍漢なチャットでやり取りしながら、トラブルの内容を根気よく伝えなければならないのです。そうやって初めて"保障"などの問題に入ることができるのです。何だか途中で挫折して泣き寝入りするのを狙っているような感じさえするのでした。

要するに、「荷物が届かないのはどうしてですか?」というように律義に考える日本人の文化とアマゾンの文化は、まったく別個のものだということです。届かなければ即キャンセルして再注文というのがアマゾンとの正しい付き合い方のように思います。そこには、合理化や省力化とは真逆な壮大なる無駄があるように思いますが、それがアマゾンの文化・思想なのでしょう。

■日大の体質


もっとも、こういった事なかれ主義は、アマゾンに限った話ではありません。

たとえば、再びアメフト部の”違法薬物問題”が取り沙汰されている日大も然りです。林真理子理事長の他人事のようなもの言いに呆れたのは私だけではないでしょう。あたらめて作家が如何に裸の王様なのかということを痛感させられた気がします。

これも前に書いたと思いますが、作家こそ世情に通じていなければならないのに、現実はまったく逆で、今や作家センセイは世間知らずの代名詞のようになっているのでした。文字通り「先生と言われるほどの馬鹿でなし」のような愚鈍な存在になっているのです。

林真理子の当事者能力を欠いた寝ぼけたような発言に対して、週刊文春を筆頭に週刊誌が腰が引けているように見えるのは、文壇タブーがあるからでしょう。もとより日大が彼女を担いだのも、メディア対策として文壇タブーを利用しようという思惑があったのかもしれません。文字通り、林真理子はただのお飾りでしかなかったのです。

今回の問題で隠蔽工作と言われても仕方ないような不可解な対応を主導したのは、競技スポーツ部担当の澤田康広副学長ですが、彼は日大OBの元検事、つまり“ヤメ検”です。そう考えれば、記者会見でのあの横柄な態度も納得できる気がします。

今回の問題の背景にあるのも、下記の記事で書いたように、55年前の日大闘争で提起された日大の体質です。その体質は何も変わってないのです。日本会議ではないですが、“持続する志”のもとに集まった勢力が日大を牛耳っている限り、何があっても日大が変わることはないのです。その根本を問うことなしには、結局元の木阿弥になるだけでしょう

案の定、理事長らの記者会見からわずか2日後の今日、大学当局は、アメフト部の活動停止処分を解除するという茶番を演じているのでした。


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(写真AC)



■常軌を逸したワンマン経営


ビッグモーターをめぐる問題でクローズアップされているのは、前社長親子の常軌を逸したワンマン経営です。まさにブラック企業の典型のような会社ですが、しかし、前社長親子が退陣しても、彼等が会社のオーナーであることには変わりないのです。これからは株の100%を保有する資産管理会社を通して、ビックモーターを動かすことになるのでしょう。

ビッグモーターは、六本木ヒルズの森タワーに本社を構え、資本金4億5千万円、従業員数6千名の非上場の「大企業」です。非上場だと、社外(株主)の意向に左右されず安定した経営環境のもとで事業を行なうことができるメリットがある一方で、コンプライアンスが欠如しオーナー社長の独善的な企業経営に陥ることになりかねないと言われますが、ビッグモーターはその典型と言えるでしょう。

1976年山口県岩国市で個人経営の自動車修理工場を創業して、10年もたたずに西日本を中心に多店舗展開を開始し、2000年代に入ると全国に店舗を広げるまでになったのです。

今回の保険金不正請求では、板金部門の不正がクローズアップされていますが、多店舗展開するに際して下関に設立したのが鈑金塗装専門工場で、もともと前社長自身の中に、“金の成る木”としての板金塗装に対するこだわりがあったように思います。前社長の車屋としての出発点は、「板金屋」だったのかもしれません。

■日本社会のブラックな体質


ビッグモーターがブラック企業なのは論を俟ちませんが、しかし、同社が特殊な会社なのかと言えば、決してそうとは言えません。ビッグモーターのような会社は、それこそ枚挙に暇がないくらいどこにでもあるのです。

ブラック企業のオーナー経営者に共通しているのは、一代で財を成したことによる“成金趣味”です。それは、傍から見ていて恥ずかしいような光景ですが、しかし、過剰な自信家である当人は得意満面に違いありません。会社がブラックであるかどうかはさて置くとして、例えばソフトバンクの孫正義氏などにもそれが見て取れます。

そして、彼らの“成金趣味”が企業経営にも反映し、ビッグモーターのようなブラックな体質を必然的に生み出しているように思います。ヤフーの“ネットの守銭奴”のような体質も同じです。

でも、悲しいかな、成金は所詮成金なのです。早稲田を出てMBAを取得した息子は自慢の息子だったに違いありませんが、同時に高卒の叩き上げの身にはコンプレックスの対象でもあったのかもしれません。それが、「コナン君」の人を人とも思わないような暴君ぶりを許してしまったのではないか。

一方で、ビッグモーターで役員や店長を務めたとかいう人物が、まるでホワイトナイトのように、ビッグモーターの体質を批判する先頭に立っていますが、過去の立場を考えれば彼だって一連托生だったのです。彼らのパワハラの犠牲者になった社員もいるでしょう。

こういった寄らば大樹の陰から一転して手のひら返しに至る心性も、三島由紀夫が指摘したように「空っぽの日本人」の特徴を表しており、日本の社会ではめずらくないのです。

■ブラックな福祉事業


私の友人は、現代のいちばんのブラックな業界は、福祉だと言っていました。低賃金と劣悪な労働環境のもとに置かれている介護労働者の背景にあるのは、”福祉”の美名の陰に隠された福祉業界のブラックな体質だと言うのです。

福祉のブラック化は、福祉事業の民間委託の流れから生まれたものです。民間委託というのは、要するに資本の論理を取り入れるということで、ブラック化はある意味で必然とも言えるのです。もっとも、民間委託と言っても介護保険制度を通した公的なコントロール下にあり、社会福祉法人が地方公務員の天下りや再就職の場になっている現実も少なくありません。元公務員たちが、外国人研修制度の監理団体と同じように、介護労働者を管理する立場に鎮座ましましているのです。

それは介護だけではありません。福祉事務所の委託を受けて、年間数千件の葬祭扶助の葬儀を引き受けている、天下りの元公務員たちに牛耳られた社会福祉法人もあります。

介護労働者の給与の大半は、介護報酬という名の国費(介護保険)で賄われているのですが、そもそも介護報酬が低すぎるという指摘があります。そのため、零細な事業所ほど人手不足とそれに伴う利用者の減少で赤字に陥っており、全体の30%近くが赤字だという話さえあるのでした。

その一方で、介護施設をいくつも運営するような規模の大きな事業所においては、介護報酬による”内部留保”を指摘する声があります。国から支払われる介護報酬を労働者にまわすのではなく、経営者が”内部留保”として溜めこんでいるのです。そういった二極化が、福祉のブラック化を見えなくさせていると言っていました。

広島の医師が、ブログの中で、「介護業界の闇・・・、そして在宅療養の勧め」と題して、次のように書いていました。

介護施設がより多くの利潤を追求しようとすると、得られる介護報酬には上限があるため、より少ない職員数での施設運営の方向に向かうしか方法はありません。やりがいのない、賃金の安い、ハードな職場となるため、職員は次々と入れ替わっていきます。介護職員の使い捨てのような状態が生じてしまうのです。そして、それは結局入居者への不利益へとつながるのです。

https://www.matsuoka-neurology.com/posts/post5.html


また、「公益性を求められる社会福祉法人が、利益最優先の介護施設運営」に走った結果、「経営陣は介護職員の能力を軽視しており、介護の素人でも代わりがきくと考えている」と書いていました。

介護の現場で頻発する入所者に対する暴力に対して、「気持はわかるけどな」という声が多いのも、介護という仕事がもっとも低劣なやりがい搾取になっているからでしょう。「能力」や「質」が問われず、ただ低賃金・重労働でこき使われるだけの介護の現場で、仕事に誇りを持てと言う方が無理があるのです。もとより、介護の仕事を失業対策事業のようにした国の責任は大きいのです。

しかも、まるで屋上屋を重ねるように、さらに規制を緩和して介護の仕事を外国人に開放する動きが進んでいますが、それは低賃金・重労働を前提とした愚劣な発想にすぎません。そこにあるのは、プロレタリア国際主義ではなく、3Kの仕事を担う若くて安い人材がほしいという資本の論理なのです。

ビッグモーターの前社長親子と、現代のドレイのように社会の底辺で酷使される介護労働者を対比する中で、この社会のあり様を考えることは決して無駄ではないように思います。


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2023.08.02 Wed l 社会・メディア l top ▲