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(イラストAC)



■斎場利用料金の値上げ


ある葬儀場のサイトを見ていたら、利用料金改定のお知らせが出ていました。そこは民間の斎場ではなく、公的機関からの仕事を受託する非営利団体の斎場です。

今まで9万円弱と7万円弱だった式場がいづれも22000円値上げするのだそうです。値上げ率は25〜30%です。これらの金額は、2時間程度の通夜や告別式で利用する際の料金(部屋代)です。「国際的なエネルギー価格高騰により」とお決まりの理由が書かれていましたが、式場にかかる経費は電気代と清掃代くらいのものでしょう。いくら何でもこんなにコストが上がっているはずはありません。

もう何でもありなのです。

■「便乗値上げ」のオンパレード


こういった話は枚挙に暇がありません。以前は「便乗値上げ」という言葉がありましたが、死語になったのか、最近はほとんど聞かれなくなりました。

何だかウクライナ戦争を奇貨に、我も我もと値上げに走っている感じです。本来はこういうのを“強欲資本主義”と呼ぶべきではないでしょうか。

この物価高は、言うなれば身から出た錆のようなものです。ウクライナ戦争に深く関与し戦争を泥沼化させた挙句、資源大国のロシアを敵にまわしてエネルギー価格の高騰を招いてしまったからです。

挙句の果てには、「エネルギー価格の高騰」を錦の御旗にした「便乗値上げ」のスパイラルのようなものが生まれてしまったのです。

何だかみんなが値上げするので、値上げしなければ利益が減る、値上げしなければ損だとでも言いたげで、需要と供給という経済の原則とはまったく無縁なところで、国民経済が揺れ動いているのでした。

まさに値上げが値上げを呼んで、際限のない物価高になっているのです。その一方で、コスト上昇を価格に転嫁できない川下の(末端の)業者は、たとえばホーユーのように息絶えて倒産していくしかないのです。

さらには、役所まで物価高に便乗している感じで、公共料金の値上げや増税も目白押しです。

このまま行けば国民経済は破綻しかねないでしょう。にもかかわらず、あの信じられないくらい他人事で能天気な総理大臣を見るにつけ、唖然とせざるを得ません。誰でもいいからあいつを止めてくれと言いたくなります。

■松尾潔氏の発言


汚染水の海洋放出でも、マイナンバーカードでも、インボイス制度でも、景気対策でも、閣僚人事でも、二言目には「丁寧に説明して」と言いながら、丁寧に説明する気などさらさらないのです。それでも、野党はあってないようなものだし、「言論の自由」ランキング68位の国で、メディアによる「権力監視」も有名無実化しているので、反対意見は徹底的に封じ込められ、まるで独裁国家のようにやりたい放題のことがまかり通っているのでした。

『サンデー毎日』の今週号(10/8号)で、「ジャニーズ性加害と日本社会の民度」というテーマで、近田春夫・田中康夫両氏と鼎談をしていた松尾潔氏は、ジャニー喜多川氏の性加害をみんな見てふりしてきたことについて、「実情は、強者になびくというより、少数派になることへの恐怖が肥大化しているんだと思うんですよ」と言っていましたが、言い得て妙だと思いました。

松尾氏は、承知のように、性加害問題に関連してラジオ番組でジャニーズ事務所を批判したことで、ジャニーズ事務所と親しい関係にある山下達郎・竹内まりや夫妻の意向により、彼らが経営するスマイル・カンパニーから追われることになるのですが、山下達郎・竹内まりや夫妻のゲスぶりは論外としても、松尾氏の発言を日本特有の同調圧力を支える集団心理と読み替えることもできるように思います。

そして、それは今の「便乗値上げ」にも、同じ心理がはたらいているような気がしてなりません。

■オキュパイ運動


昨日、アメリカのフィラデルフィアで、若者たちがコンビニやアップルストアやドラックストアなどを次々と襲撃して、商品を略奪する事件が起きたというニュースがありましたが、その手の事件は今や全米各地に広がっているのだそうです。私は、そのニュースを見て、かつてのオキュパイ運動を思い出しました。

そこに垣間見えるのは、経済格差により社会の底辺に追いやられた、持たざる者たちの直接行動の思想です。そして、それは、かつて「We are the 99%」「ウォール街を占拠せよ」というスローガンを掲げて行われたオキュパイ運動と通底するものがあるように思えてなりません。

この真綿で首を絞められるような何でもありの物価高の中で、自己責任なんてくそくらえ、奪われたものを奪い返せ、そんな考えが益々リアルになっているような気がします。

■アマゾン配達員たちの直接行動


それは過激な例だけではなく、例えば、アマゾンで配達を担う若者たちが労働組合を結成し、プライムデーに合わせてストライキを決行するなど、その活動は世界的に広がっていますが、そこにも直接行動の思想を見ることができるように思います。

日本でもそれに呼応して、労働組合結成の動きが始まっているそうです。日本の配達員は、二次下請けの運送会社から個人事業主として配達を委託されるケースが多く、そんな何の保証もない昔の”一人親方"のようなシステムにNO!を突きつけるべく、配達をボイコットするなどの活動が既に始まっているそうです。これなども蟻の一穴になり得るような直接行動の思想と言えるでしょう。

派遣やパート労働者や、あるいは低賃金で劣悪な労働環境の下にある介護労働者の中から、本工主義の"連合型”労働組合ではない(自分たちを差別し排除してきた労働組合ではない)、新しい労働組合が生まれるなら、そこには必ず直接行動の思想も生まれるはずです。要求が切実であればあるだけ、直接行動に訴えるしかないのです。

■汚染水の海洋放出は「安物買いの銭失い」


汚染水の海洋放出にしても、自分の尻に火が点いているのに、偏狭なナショナリズムで隣国を見下しても、それは空しい(文字通り「バカの壁」と呼ぶしかないような)現実逃避にすぎないのです。中国なにするものぞと痩せ我慢していた政府も、ここに来て、ホタテを一人5枚食べようなんて国民に呼びかけていますが、そんなネトウヨまがいの政府にいいように踊らされているだけなのです。

田中康夫氏は、自身のブログで、汚染水の海洋放出を「安物買いの銭失い」だと書いてしました。

田中康夫の新ニッポン論
「福島第一原発を巡る『安物買いの銭失い』」まとめサイト

(略)中国、ロシア両政府は去る7月、共同提出した20項目の質問リストで「周辺諸国への影響が少ない」大気への水蒸気放出を提案するも日本政府は、海洋放出の必要経費34億円よりも10倍コスト高の水蒸気放出は経済的合理性に欠けると鰾膠(にべ)も無いゼロ回答。が、好事魔多し。「風評被害」を喧伝(けんでん)する経済産業省は漁業者への需要対策基金300億円、事業継続基金500億円を想定。東京電力も沖合放出の本体工事等に400億円を積算。1200億円もの「安物買いの銭失い」状態です。


でも、こんな”正論”も今の日本では謀略論、中国共産党の手先と言われるだけです。それどころか、「汚染水」という言葉を使っただけで袋叩きにされるあり様なのです。

■21世紀は民衆蜂起の時代


このとどまるところを知らない物価高は、資本主義の自壊とも言うべき”資本の暴走”です。革命の歴史がないと言われる日本でも、百姓一揆や米騒動や、あるいは秩父困民党の武装蜂起など直接行動の歴史は存在しているのです。

21世紀は民衆蜂起の時代だと言ったのは笠井潔氏ですが、たとえITの時代になっても、私たちの間に原初的な疎外や”胃袋”の問題が存在しつづける限り、それらの歴史と切断されているわけではないのです。

むしろ、格差や貧困は深刻化する一方で、もはや他人事ではなくなっています。所詮は他人事として、ネットで身も蓋もないことをほざいて現実から目をそらす余裕などもうないはずです。
2023.09.29 Fri l 社会・メディア l top ▲
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(写真AC)



■ヤフーの表明


昨日(25日)、朝日に次のような記事が出ていました。

朝日新聞デジタル
ヤフー「メディアとの契約内容の見直し検討」 公取委の報告受け表明

 公正取引委員会が、ヤフーニュースを運営するヤフーが記事の配信元のメディア各社との関係で「優越的地位にある可能性がある」と指摘する調査報告書を公表したことを受け、ヤフーは25日、「ニュース配信市場全体の更なる発展に向けて、真摯(しんし)に取り組んでいく」とする文書を公開した。

 公取委は21日、ニュースプラットフォーム(PF)事業者と、記事を提供する新聞などメディア各社の取引実態に関する調査報告書を公表した。記事使用料の支払総額でみたニュースポータルのうち、ヤフーが約半分のシェアを占めるとしたうえで、ヤフーを名指ししてメディア各社に対し「優越的地位にある可能性がある」と指摘。ヤフー以外のPF事業者についても「優越的な地位にある可能性は否定されない」とした。

 ヤフーは25日付ヤフーニュースのブログのなかで、公取委による調査報告書を受けた記事を更新。「報告書で示された考え方を踏まえて真摯に取り組んでいく必要があると考えている」と説明。そのうえで検討中の取り組みとして、提携するメディアに対し「契約内容の丁寧な説明と実績に応じた見直し」を順次行う方針を明らかにした。提供記事の読まれ方などのデータ開示やサービス仕様・ガイドラインの変更の事前説明、問い合わせ窓口の充実などを検討していく考えも示した。


公正取引委員会は、昨年の11月、ヤフーやLINEなどIT企業と報道機関のニュースコンテンツの取引実態の調査に着手し、今月の21日にその調査結果を公表したのですが、記事にもあるように、ヤフーの表明はその調査結果を受けてのものです。

記事によれば、Yahoo!ニュースは、月間のページビュー(PV)が約170億PVで、「約720のメディアが一日約7500本の記事を提供」しているそうです。また、LINE NEWSのPVは、月間約154億PVだそうです。それらの数字は、報道各社の自社サイトとは比較にならないほど莫大なものです。しかし、記事の使用料については、「個別契約のため適正価格の水準や決定根拠がわからず、メディア側には公平な交渉ができないと不満があった」ということです。

■1PV0.124円


公正取引委員会の調査によれば、2021年度にヤフーやLINEなどプラットフォーマー6社がメディアに支払った記事の対価の平均は、1ページビュー(PV)0.124円だったそうです。ただ、各社によって0.251円~0.049円までの開きがあるのだとか。とりわけ、Yahoo!ニュースは、支払総額の半分以上を占める最大の取引相手であり、「公取委はヤフーが『取引先であるメディアとの関係で優越的地位にある可能性がある』と指摘した」ということでした。

言うまでもなく、新聞を取り巻く経営環境は厳しさを増す一方です。ネットの普及で発行部数は下落の一途を辿り、2022年は3084万部で、前年比で約200万部減り、10年前より約1700万部減ったそうです。そのため、夕刊の発行をやめる新聞も相次いでいます。さらに、地域紙の中には休刊(廃刊)する新聞さえ出ているのでした。

経営環境の厳しさが増す中で、記者のリストラや取材費の削減なども取り沙汰されていますが、そうやってジャーナリズムが弱体化すれば、益々報道の翼賛化は進んでいくでしょう。

■ヤフーにとっての”ニュースの価値”


もっとも、Yahoo!ニュースの問題は、記事の使用料だけではありません。ヤフーはニュースをバズらせてページビューを稼ぐために、トップページに掲載する記事を恣意的に選択して、扇動的なタイトルを付けているのでした。ヤフーにとって、“ニュースの価値”はどれだけバズるか、どれだけPVを稼げるかということなのです。そのためには、ヘイトや誹謗中傷の巣窟と言われるヤフコメやコタツ記事は絶対に欠かせないものです。あれだけ批判を浴びても、やめようとしない理由もそこにあるのです。

たまたま先週のポリタスTVの「報道ヨミトキ」でも、この公取の調査結果が取り上げられていましたが、その中で、津田大介氏が「日本が右傾化したのは、マイクロソフト(MSN)のトップページが産経新聞の記事で覆われたことが大きい」と言っていました。たしかに、ネットの黎明期にMSNのシェアが高かった頃、MNSのニュースは産経新聞が独占していました。おそらく他の新聞社が記事の提供を拒む中で、産経新聞が火事場泥棒のように、無料化あるいは安価で記事を提供したからでしょう。

ポリタスTV
報道ヨミトキ FRIDAY #122|岸田新内閣で副大臣政務官に女性ゼロ、ジャニーズ事務所が社名変更か、公取がヤフーにニュース使用料開示を求める……|ゲスト:青木理(9/22)

しかし、現在、プラットフォーマーに記事を提供してないのは、自社サイトの有料化が成功している日本経済新聞だけです。

■「言論の自由」は絵に描いた餅


それにしても、1PV0.124円というのは、ユーチューブの配信料とほぼ同じです。新聞記事も低く見られたものだと思います。

だったら記事の提供をやめればいいじゃないかと思いますが、しかし、そうなれば、ネットにはスポーツ新聞や週刊誌のコタツ記事と産経新聞の記事ばかりが溢れ、昔の二の舞になるという指摘があります。ポリタスTVも同じようなことを言っていました。

とは言え、今のように恣意的に取捨選択した上で、ヤフコメやコタツ記事でバズらせるやり方が続く限り、この右傾化、翼賛化は避けられないのです。

GAFAに対する規制も同じですが、結局、言論に関しても国家の手に委ねるしかないというこのネットの時代においては、そもそも「権力の監視」や「野党精神」を基本とする「言論の自由」など所詮は絵に描いた餅にすぎないと言うべきかもしれません。
2023.09.26 Tue l 社会・メディア l top ▲
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(写真AC)



北原みのり氏のツイッター(今はXと言うのか?)を見ていたら、次のようなツイートがあり、思わず膝を叩きました。

私たちが日頃目にしている報道には、あきらかにメディアの印象操作があります。そして、それは言論統制とも言えるような情報管理へと収斂されていくのです。デモクラティック・ファシズムとは言い得て妙だとあらためて思います。

■中国からの「嫌がらせ電話」


たとえば、汚染水の海洋放出に関して、中国から日本の官庁などに抗議電話がかかってくることについて、日本のメディアはそれを「嫌がらせ電話」と書くのですが、そこには汚染水を「処理水」と書く日本のメディアの姿勢が如実に表れているように思います。こうやって汚染水の海洋放出が”嫌中憎韓”のナショナリズムと結びつけられていくのです。


■「頂き女子りりちゃん」の「パパ活マニュアル」


また、今、話題になっている「頂き女子りりちゃん」の「パパ活マニュアル」についても、次のようにツイートしていました。


「頂き女子りりちゃん」は、家族と折り合いが悪くて10代半ばで家を飛び出し、歌舞伎町で夜を明かすようになったそうです。そして、これもよくある話てすが、ホストに入れ上げ、その資金を稼ぐために性産業で働きはじめるのです。

今回、「詐欺ほう助」の容疑を科せられた「パパ活マニュアル」は、その体験で得たノウハウをまとめたものでしょう。「頂き女子りりちゃん」に1億円を注ぎ込んだオヤジもいたそうですから(しかも、そのオヤジは自分が騙されているという認識もなかったそうです)、その腕は相当なもので、「パパ活」、つまり、売春や疑似愛人稼業で金を稼ごうという少女たちにとっては、文字通り”活きた教科書”だったのかもしれません。

それは、学校や社会では教えてくれない、彼女たちの本音の(自前の)処世術とも言えるものです。

北原氏が書いているように、虫のいいオヤジからただ乗りされないために、金になるオヤジと金にならないオヤジを見分けるノウハウとも読めるような内容で、言うなれば、身一つで世の中の裏通りを渡り歩く彼女たちにとって、みずから身を守るためのマニュアルという側面もあるように思います。

それに、「パパ活マニュアル」が「詐欺ほう助」に当たるのなら、「パパ活」のオヤジたちは詐欺の被害者ということになります。極端に言えば、売春=女は加害者で、買春=男は被害者なのです。そんなバカなと思う人は多いでしょう。

「パパ活」のオヤジたちの大半は、学校の教師や官庁の職員や警察官やサラリーマンなど、私たちの身近にいるごく普通のオヤジたちです。

私もこのブログで何度も書いたことがありますが、発情したオヤジが街角で娘ほど歳が離れた少女に片端から声をかけている姿は、昔から渋谷などでもよく見られた、街の風物詩と言ったら叱られるかもしれませんが、そう言ってもおかしくないような光景でした。

私の知っている女子(と言っても既に30代後半の女性ですが)は、立教に通っていた頃、池袋の西口を歩いていると、スーツを着てネクタイをしたオヤジから「3万円でどう?」などとよく声をかけられたそうです。

若い女性たちの多くは、そうやって自分の肉体を男たちに(それもよりによって加齢臭が漂うイカれたオヤジたちに)値踏みされた経験を持っているのです。そして自分の若い肉体が、商品的な価値があるのだということを知るのです。まして、女子高生であれば、さらに何倍も付加価値が付くことを教えられるのでした。

同時に、偉そうに説教を垂れる学校の教師や官庁の職員や警察官やサラリーマンたちに(あるいは自分の父親に)、建前と本音があることも身をもって知ることになるのです。

マルクスは、みずからの肉体を通した労働力しか売るものを持たない人々を無産階級=プロレタリアートと呼んだのですが、それは、マルクスが説くよりもっとリアルでわかりやすい資本主義の現実と言えるでしょう。

■プラシーボ効果


さらに、北原みのり氏は、次のようなツイートもしていました。


顔の下半分に年齢が出ますよと言われ、マスクを取ったら「まあ」と驚かれるんじゃないかと恐怖を抱き、老け顔だと孫からも嫌われて暗い人生しか送れませんよと言われると、じゃあ若見え効果のあるクリームでも塗ろうか思うのでしょう。

もっとも、それは女性に限った話ではありません。

先日、高齢の男性が最近おしっこの回数が増え、特に夜間の頻尿に悩んでいるという話をしていました。それで、テレビで見た健康食品を買って飲みはじめたというのです。

私は、おしっこの回数が増えたのは前立腺肥大の可能性が高いので、泌尿器科に行ってフリバスやアボルブなどの薬を処方して貰った方が安くて早いですよと言ったのですが、しかし、彼は、自分が病気ではないと信じたい気持もあってか、どうしても広告のキャッチ―なコピーの方を信じて譲らないのでした。

変形膝関節症に関するCMも然りです。通販番組を席捲するあの膨大なCMには驚くばかりですが、潜在的な患者を含めると約3000万人もいるという変形膝関節症は、健康食品メーカーにとっても美味しい市場であることは間違いないでしょう。プラシーボ効果というのが、ホントにどれだけ心理的に効果があるのかわかりませんが、それはプラシーボ効果を狙った市場と言えないこともないのです。

■豚に真珠の日本のメディア


ラーメン屋の倒産が、前年同期の3.5倍に大幅に増えているというニュースがありました。そこには、「1000円の壁」があるのだそうです。つまり、価格を1000円にするとお客が「高い」と感じて、来客数が減少し売り上げが落ちるという法則が、ラーメン業界では通説になっているのだとか。でも、今の原材料費や水道光熱費の高騰の中で1000円以内に抑えると、利益を圧迫して立ち行かなくなるのです。ラーメン業界は、値上げするのも地獄、値上げしないのも地獄のジレンマに陥っているというわけです。

何故か誰も言わないけれど、今の物価高がスタグフレーションであり、資本主義の構造的な危機の表れであるのは明白なのです。それは、私たち自身の生活を見れば理解できる話でしょう。

でも、メディアは、ここに至っても、日本は海外に比べて物価が安いとか、経済界も大幅な賃上げの必要性を認めるようになっているとか、そんな気休めにもならない寝言みたいなことばかり言っているのです。

人手不足の問題についても、人手不足の業界が抱える低賃金・重労働の構造的な背景を見るのではなく、もっぱら少子高齢化が問題であるかのような記事でお茶を濁すだけです。

汚染水の海洋放出に関しても、原発推進の国際機関であるIAEA(国際原子力機関)のお墨付きを得たとして、一片の反対・疑問も許さないという徹底ぶりです。メディアお得意の両論併記さえ存在しないのです。

デブリ(炉心が溶融した核燃料)に触れた地下水も、冷却水と同じように海水で薄めれば問題ないという「子どもだまし」のような話が公然とまかりとおっているのです。しかも、少しでも異論をはさむと、被災住民を盾に「風評被害を振り撒くもの」「中国や韓国の反日論に与するもの」とされ排除されるのです。「汚染水」という言葉を使おうものなら、それだけで袋叩きに遭うのです。

挙句の果てには、中国では汚染水批判の反動で魚離れが起きて水産業者が苦境に陥っており、一方、日本の水産業界は”脱中国”の流れが着々と進んでいるなどと言って、負け惜しみなのか、「ざまあみろ」みたいな報道さえ出はじめる始末です。

ジャニー喜多川氏の性加害さえ報道しなかったヘタレメディアがどの口で言っているんだ、と言いたくなりますが、このようにいざとなれば挙国一致に翼賛化する日本のメディアにとって、「言論の自由」など所詮は豚に真珠にすぎないのです。


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2023.09.23 Sat l 社会・メディア l top ▲
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(若宮大路・段葛)




■鎌倉の中国人団体客


今日、久し振りに鎌倉に行きました。コロナ下ではずっと行ってなかったので、4年振りくらいです。

仕事だったのですが、ついでに鶴岡八幡宮にお参りをしました。

鶴岡八幡宮にお参りしたあと、待ち合わせまでまだ時間があったので、サラリーマン時代に鎌倉を担当していたときによく行っていた駅の近くの喫茶店で、涼みながら時間の調整をしました。

すると、隣の席に中国人の団体がやって来たのでした。話声が煩いのはもちろんですが、アイスコ―ヒーやジュースなどを注文すると、彼らはそれをチューチュー音をさせながら一気に飲み干すので、チューチューの合奏が始まるのでした。日本人はチューチュー音をさせて飲むのはお行儀が悪いと言われるのですが、中国人にはそういったお行儀はないみたいです。喫茶店だからと言って、恰好を付けてお上品に飲むという感覚もないようです。

そのあとはおなじみの撮影会が始まりました。ただの喫茶店なのに何の記念になるのか、みんなで撮影を始めたのです。撮影者が私の席の前までやって来て、大声を上げながらスマホを掲げるので注意しようかと思いましたが、しかし、中国語でまくしたてられたらそれはそれで面倒なので、心の中で悪態を吐きながら我慢しました。

中国人はどうしようもないな、とネトウヨまがいのことを考え(心の中で)舌打ちしていたら、中国人の団体が帰ったあと、今度はワイシャツ姿の日本人のサラリーマンがあたりはばからず大声で電話をし始めたのでした。

「今、鎌倉の○○で休憩ですよ」「ハッハッハ、休憩ですよ、休憩」

これじゃ日本人も中国人も同じじゃないかと思いました。

考えてみれば、私たちが普段「マナー」と言っているのは西洋由来のマナーなのです。そう考えれば、日本人も中国人も目くそ鼻くそであるのは当然かもしれません。

■近所のスーパーのレジに戸惑った


仕事の話は、条件が合わず不成立に終わりました。予想外の結果だったので、落ち込んだ気分のまま最寄り駅に帰って来ました。しかし、誰かの台詞ではないですが、とは言え腹は減るのです。夕飯のおかずを買うために駅裏のスーパーに寄りました。

買物したあと、いつものように精算するためにセルフレジの前に立ったものの、画面を見て思わず二度見してしまいました。レジが支払方法を選択する画面になっていたからです。今までは、商品をスキャンして、「会計する」をタッチしたあとにその画面が出ていたのです。

いつもと違う画面に戸惑った私は、「これ大丈夫か?」という感じで立ち尽くしてしまいました。もしかしたら機械が壊れているのではないかと思ったのです。

すると、レジのコーナーの端で見ていた店員がやって来て(いつものきれいな店員ではなく、見たこともない中年の店員でしたが)、「お支払い方法は現金ですか?」と訊くのです。それで「カードです」と答えると、ここをタッチして下さいと言って「クレジットカード」と書かれた文字を指し示したのでした。

私は戸惑ったまま指示されたとおりにタッチすると、「商品をスキャンして下さい」という画面に変わりました。私は、「何だこりゃ」と思いながら、品物をスキャンしました。

そして、全てスキャンし終えて、「会計する」をタッチすると購入金額が表示され、「クレジットカードを挿入して下さい」と文字が表示されました。それは今までと同じでした。

右端にある挿入口にカードを差し込むと、いったん奥まで入り、すぐにカードが戻って来ました。今までは戻るまでしばらく時間がかかり、カードが戻ると決済が終わった合図みたいになっていました。

私は今までと同じように、決済が終わったものと思って戻ったカードを引き抜きました。すると機械の上にある赤ランプが点灯して、再び「見たこともない中年の店員」がやって来て、「あっ、カードを抜きました?」と訊かれました。

「はい」
「早く抜いたのでエラーになったみたいですね」
「‥‥」
「ここに『カードを抜いて下さい』と表示されてから抜いてください。すいませんが、もう一度カードを挿入してもらえますか?」

どうせなら「いつものきれいな店員」とやりとりしたかったな、まったく今日はついてないな、と思いながら、少し苛立って「これって機械が変わったんですか?」と訊きました。

「エエッ、おとといから変わったんですよ」
そう言えば、駅裏のスーパーに来たのは3〜4日振りです。
「やっぱり、そうか。前の方がやりやすかったですね。最初に支払い方法が出て来るなんて、順番が逆じゃないですか。そんなレジは初めてですよ」と、私は嫌味を言ったのでした。

夕方なのに、セレフレジがいつもより空いていたのはそのせいかも知れないな、と思いました。そもそもそのスーパーがセルフレジを導入したのはコロナ禍になってからなので、たぶん2年くらい前だったと思います。それなのに、どうしてまた違う機械に変える必要があったのか。

と思ったら、どうやら今までのレジでは対応してなかったペイペイなどのスマホ決済に対応するためだったようです。

もっとも、そのスーパーは駅に近いということもあって、高齢のお客も多く、セルフレジを導入してからも、相変わらず有人レジに行列ができるような状態でした。これでは益々有人レジの列が長くなるだけのような気がします。

当たり前のようにキャッシュレス化が進み、高齢者など新しいシステムに対応できない人たちはどんどん置いて行かれるばかりです。それはマイナンバーカードなども同じです。

システムや機械に自分を合わせろ、文句を言わずに食らい付いて行け、と言われているような感じです。コロナ禍によって急速に進んだキャッシュレス化や無人化。突然登場したパネル操作とそのシステムに戸惑う人たちは、慣れてないからだ、そのうち慣れるので問題はない、と言われて放置されるのでした。

一方で、キャッシュレス化によって、個人情報がいいように抜き取られ、私たちの消費行動がビッグデータと呼ばれる金の成る木になったという、もうひとつの現実もあります。もうそれは押しとどめることができないほど既成事実化しています。

若作りの私はペイペイも利用しているので、スマホ決済に対応するようになればそれはそれで便利になりますが、しかし、どうしてあんな使い勝手の悪い機械に変更したのか。若ぶっているわりに、変化に柔軟に対応できない私は、戸惑ったまま店をあとにしたのでした。と、ホントは、山登りと同じで、ヒーヒー言いながらやっとどうにか付いて行っているだけなのです。


※拡大画像はサムネイルをクリックしてください。

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2023.09.20 Wed l 鎌倉 l top ▲
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(写真AC)


■アゾフ連隊に志願する若者


今朝のTBSのニュースは、アゾフ連隊に若者の志願者が殺到しているという話を伝えていました。中には17歳の少年もいるのだそうです。

しかし、アゾフ連隊がネオナチの元民兵組織(現在はウクライナ国家警備隊に所属する準軍事組織)であることはひと言も伝えていませんでした。戦争の長期化により、祖国を守るために若者たちも立ち上がった、というようなトーンで伝えているだけでした。

もっとも、ウクライナの若者たちは正規軍に徴兵されるはずなので、アゾフ連隊に志願しているのは国外の若者たちが多いのではないかと思います。17歳の少年は、胸に入れている、ナチスの記章のヴォルフスアンゲルを反転させたアゾフの記章の入れ墨を見せていましたが、アゾフ連隊の極右思想に共鳴した入隊であることがミエミエでした。しかし、TBSに限らず日本のメディアは、そういった背景を一切報じることはないのでした。

■ゼレンスキーのブラフ


ゼレンスキー大統領は、アメリカCBSテレビのインタビューで、「ウクライナが敗北すればロシアはポーランドやバルト3国に迫り、第3次世界大戦に発展しかねないと警告した。『プーチン(ロシア大統領)を食い止めるか、世界大戦を始めるか、全世界が選ばなければならない』と述べた」(下記記事より)そうですが、これは国連総会での演説を前にしたブラフ(脅し)であるのはあきらかでしょう。

東京新聞 TOKYO Web
「ウクライナ敗北なら世界大戦」 ゼレンスキー氏が警告

こういったゼレンスキー大統領の要求に引き摺られて、軍事支援をエスカレートさせれば、最後にどういった事態を招くことになるのか、火を見るよりあきらかです。相手が核保有国であることを考えれば、ゼレンスキー大統領の発言は核戦争=終末戦争をも厭わない、と言っているのに等しいものです。

■ウクライナ政権内の不穏


もっとも、こういった過激な発言の背景には、政権内で”ゼレンスキー外し”が始まっているからではないかという指摘もあります。

先日、ゼレンスキー大統領は、突然、軍事物資の横流しや汚職などの疑惑が取り沙汰されていたレズニコフ前国防相を更迭したのですが、後任に就いたルステム・ウメロフ氏は、就任早々、ハンナ・マリャル国防次官ら国防次官6人全員の解任を発表したのでした。解任の理由はあきらかにされてないのですが、記事によれば、ハンナ・マリャル国防次官などは、解任当日の朝まで、ウクライナの反転攻勢の進展について情報を発信していたそうで、唐突な解任であったことがわかります。

政権内では、(汚職なんて当たり前の政権なのに)汚職を理由にした“粛清”が行われているような気がしてなりません。政権の内部で、停戦か徹底抗戦かの対立が表面化しつつあるのかもしれません。

■ウクライナ支援で背負う負債


いづれにしても、ウクライナという国の現実から目をそらして、アメリカの言うがままに軍事支援に突っ走ったヨーロッパ各国は、仮に戦争が終わっても、ネオナチの拡散(逆流)という大きな負債を背負うことになるのは間違いないでしょう。

日本にいるウクライナからの避難民はもう2千人を切っているのではないかと思いますが、言いにくいことを言えば、彼らウクライナ避難民は、個々の事情とは別に、ウクライナのプロパガンダを体現する役割を担っているとも言えるのです。原口議員に対する在日ウクライナ大使館の高圧的な態度に示されるように、彼らを盾にすることで、ウクライナに対する批判やウクライナ戦争に対する疑問が一切封じられているのでした。それは、福島の被災住民を盾に、汚染水の海洋放出に反対する意見が封じられているのとよく似ています。

日本のメディアは、ウクライナの問題においても、伝えるべきこと(伝えなければならないこと)を何を伝えてないのです。
2023.09.20 Wed l ウクライナ侵攻 l top ▲
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(©Matti Karstedt・フリー素材)



■原口議員に対するバッシング


私は、立憲民主党の原口一博衆院議員についてはまったく興味もなく、どういった人物か仔細には知りませんが、最近、彼のネット上の発言が問題視され、批判に晒されているようです。

それを報じたのが、下記の朝日の記事です。

朝日新聞デジタル
ウクライナ大使館、立憲・原口議員の投稿に「強い懸念」 本人は反論

原口議員は、血液癌のひとつである「瀰漫性大細胞型B細胞リンパ腫」に罹患した経験も関係しているのか、新型コロナウイルスのワクチンに関して、癌を誘発するとか何とか陰謀論めいた発言もしていたようですが、ただ、今回のウクライナに関しての発言については、一概に陰謀論とは言えないような気がします。もとより、私自身も、このブログで同じようなことを書いています。

ロシアのウクライナ侵攻に関しては、異論を許さないという風潮に覆われているのは事実でしょう。ウクライナ=絶対的な善、ロシア=絶対的な悪という二元論が全ての前提になっており、それに異論をはさもうものならこのように陰謀論扱いされるのです。こうして自由な言論をみずから否定し、問答無用の言論統制を招来しているのです。と同時に、原口議員の問題でも見られるように、ヘタレな左派リベラルが陰謀論の片棒を担いでいることも忘れてはなりません。

サッカー好きな人ならわかると思いますが、アゾフ連隊に象徴されるように、ウクライナでネオナチが跋扈していたのは事実です。また、侵攻後、ヨーロッパのネオナチが義勇兵としてウクライナに集結しているという指摘もあります。そのため、戦争が終わると、ウクライナで醸成されたネオナチの暴力が、軍事支援で注ぎ込まれた最新兵器とともにヨーロッパに拡散され、深刻な影響をもたらすのではないかという懸念の声もあるくらいです。

また、ウクライナが名にし負う腐敗国家であったことはよく知られています。今月初め、ゼレンスキー大統領は、レズニコフ国防相の更迭を発表したのですが、レズニコフ国防相はロシアの侵攻後、欧米からの軍事支援を取り付ける中心的な役割を担っていたのでした。しかし、一方で、かねてより装備品や物資の調達を巡って、横流しなどの疑惑や汚職が指摘されていたいわくつきの人物でもありました。

三つ子の魂百までとはよく言ったもので、一説には50万人とも言われる国民が戦場に散った戦争の只中で、本来その責にあるべき人間がこのあり様なのです。ゼレンスキー大統領の役者仕込みの言葉巧みな演説の裏で、相も変わらず政治の腐敗は続いているのです。でも、今のウクライナは、政党活動が禁止された翼賛体制下にあるので、クーデターでも起きない限り、指導者の責任を問う声が出て来ることはありません。むしろ、レズニコフのように、やりたい放題のことができる環境にあるとも言えるのです。

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■陰謀論という問答無用


もっとも、陰謀論が異論排除の手段に使われているのは、原口議員の発言に限った話ではありません。汚染水の海洋放出も同じです。

少しでも異論をはさもうものなら、非科学的とか媚中とか言われて頭ごなしに排除されるのでした。汚染水の海洋放出がナショナリズムと結びつけられているため、陰謀論という言葉が「反日」や「売国」と同じような意味に使われているのでした。

そのため、今や「汚染水」という言葉を使うことさえタブーになっているのでした。そうやって言論を抑圧する役割を担っているのが、ジャニー喜多川氏の性加害をタブー視した新聞やテレビをはじめとするメディアです。今や彼らは、自由な言論とは真逆な存在なのです。

原口議員に対する批判や誹謗について、下記のようなツイートがありましたが、こういう意見は、今やホントに貴重になっているのでした。



2023.09.17 Sun l ウクライナ侵攻 l top ▲
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(2022年12月)



■発熱騒ぎと血尿


昨日の朝も起きてトイレに行ったら血尿が出ました。そこではたとこの3日間続いていた、発熱騒ぎの原因に思い至ったのでした。

ここ数日、どことなく熱っぽく寒気を覚え、体調がすぐれませんでした。しかし、熱を測っても平熱です。そうなると、私の性格でよけい体調が気になり。それこそ30分おきくらいに熱を測るようになったのでした。しかも、ひとつの体温計では信用ならないので、2本の体温計を使って交互に測るという念の入れようです。

そして、一昨日の早朝5時頃、寝苦しくて目が覚め、体温を測ったら、37.3度に上がっていたのでした。咳などはないものの、これはもしかしたら新型コロナウイルスか新型インフルエンザではないかと思いました。

その日は仕事で人と会う約束になっていたのですが、すぐにメールでキャンセルすることを伝えました。その後、相手から「どうしたんですか?」とメールが来たので、「コロナかインフルの可能性がある」と返事をしました。

店が開く時間を待って、近所の調剤薬局に検査キットを買いに行きました。キット自体は、綿棒で鼻の中の粘液を採取し、それを抽出容器に浸して、テストプレートに滴下するだけの簡単なものです。

結果はコロナ・インフルともには陰性でした。しかし、自分でやっただけではまだ一抹の不安が残ります。

それで、ネットで抗原検査をやっている病院を検索して、商店街の中にある内科の医院に予約を入れました。

初めて行った病院でしたが(ちなみに、これで手持ちの病院の診察券は20枚を越えました)、別の部屋に通されて同じように綿棒を鼻孔に差し込まれたのですが、思わずのけぞるくらいに奥まで入れられたのでした。後頭部にしばらく痛みが残るほどで、もしかしたら自分の場合は綿棒の入れ方が足りなかったのかもしれないと思いました。

個室で10分くらい待っていると、ドクターがやって来て、「コロナもインフルもマイナスでした」と告げられました。「風邪にもいろんな種類がありますので、一般的な風邪でしょう」「解熱剤を処方しておきますので、また熱が出たらそれを飲んでください」と言われて終わりでした。何だか安心したようながっかりしたような気分でした。

ところが、その日も深夜になると熱が出たのでした。解熱剤を飲むとすぐに熱も下がり、体調ももとに戻ります。そして、翌朝、血尿を見てはたと思い至ったというわけです。

ある病院の泌尿器科のページには、尿管結石の発熱について、次のように書いていました。

夜間や早朝に起きることが多く、通常、3~4時間持続します。 一部には腎盂腎炎を併発し、38~40度の発熱を呈することもあります。


何のことはないまた一人相撲を取っていたのです。この状態がまだ続くようでしたら、休み明けにかかりつけの泌尿器科に行こうと思います。

下記の記事の中に書いていますが、先月、診察に行った際に血尿が出ていたので、石が動くことは想定されていたのです。痛み止めの座薬があるかどうか確認された上で、芍薬甘草湯を処方されたのですが、慌てふためいてそのことをすっかり忘れていたのでした。

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■消えゆく書店


今日の夕方、突然、ナンシー・フレイザーの『資本主義は私たちをなぜ幸せにしないのか』(ちくま新書)という本を読みたくなり、近所の商店街の中にある本屋に行きました。しかし、売り切れたのか、店には置いていませんでした。

それで落胆して帰ろうと思ったら、階段に「閉店のお知らせ」という貼り紙があるのに気付きました。10月末で閉店するのだそうです。書店の前には同じ系列の文具店もあるのですが、そこも一緒に閉店するのだとか。これでこの街から書店と文具店が全て姿を消すことになるのです。私も最近はアマゾンで買うことが多くなりましたので、偉そうなことは言えないのですが、何だかさみしい気持になりました。

仕方ないので、散歩ついでに新横浜まで歩いて、新横浜の駅ビルにある三省堂書店に行くことにしました。

すると、何ということか、新横浜の三省堂書店にも今月いっぱいで閉店するという告知が出ていたのでした。書店が激減しているのは街を歩いていてもわかりますが、淘汰は大手の書店にまで及んでいるのです。

新横浜には、以前は文教堂書店もありましたが、既に撤退しています。残すは駅から少し離れたプリンスペペの中のくまざわ書店だけになりました。

■新横浜の苦戦と横浜の落日


しかし、くまざわ書店は三省堂や文教堂に比べると売場面積が狭いので、品揃えも豊富とは言えないし、プリンスペペ自体もおそらく現存しているのは新横浜だけのはずです。

私は、このブログでも書いていますが、サラリーマン時代にセゾングループを担当していましたし、文教堂とくまざわ書店も担当していましたので、その内部事情や変遷もある程度は知っているつもりです。

新横浜のプリンスペペも、(今にはじまったことではありませんが)テナントの流出が相次いでいます。それは、駅ビルよりむしろ深刻な感じさえします。新横浜から書店が姿を消すのも遠い先のことではないように思います。

私が横浜に引っ越していた頃はまだ駅ビルはありませんでした。それ以前も、新横浜に取引先の会社があったのでよく来ていましたが、当時は、プリンスぺぺはあったものの、駅も簡素で、新幹線の高架下に飲食店などが入っている「名店街」のようなものがあるだけでした。ビックカメラも高架下の突き当りにありました。

地下4階・地上19階建ての駅ビルが完成したのが2008年ですが、15年でこの状態なのです。相鉄線と東横線が相互乗り入れするのに伴い、新しく相鉄・東急新横浜線が開通して新横浜駅とつながったにも関わらず、駅ビルは3階・4階を占めていた高島屋の食品売場が今年の2月に撤退して以来、あとのテナントが見つからず、2フロアがベニヤ板で囲われた廃墟ビルのようになっているのです。そして、11月からは8階の半分もベニヤ板で囲われることになるのでしょう。

横浜のもう一つの顔とも言うべき新横浜の苦戦は、単にネットの影響だけでなく、横浜の経済的文化的な落日を象徴しているような気がしてなりません。


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2023.09.17 Sun l 横浜 l top ▲
週刊朝日7月26日号




■朝日の不作為


これは、2019年7月16日に発売された『週刊朝日』(7月26日号)の表紙です。

言うまでもなく、ジャニー喜多川氏が亡くなったときの特集号です。表紙にコラージュされているのは、過去にジャニーズ事務所のタレントたちが表紙を飾った『週刊朝日』です。今になれば悪い夢でも見ているような表紙ですが、『週刊朝日』はこれほどまでにジャニーズ事務所とベッタリだったのです。

もちろん、この私でさえ知っていたくらいですから、1988年に北公次が書いた『光GENJIへ』という本や、1999年10月から14週にわたって繰り広げられた『週刊文春』のキャンペーンや、2002年5月に東京高裁でジャニー喜多川氏の「淫行行為」は「事実」だと認定されたことや、それを追うように『噂の真相』が次々と掲載したジャニーズ事務所のスキャンダルの記事を、朝日新聞の優秀な記者であった編集長が知らなかったはずがないのです。

この追悼号の編集長は、2013年頃には旧統一教会に関する鈴木エイト氏の記事を掲載するなど、如何にも朝日らしいリベラルな編集者として知られた人だったそうです。

でも、すべて見て見ぬふりをしてきたのです。「YOU、やっちゃいなよ」なんて、これほど悪い冗談みたいなコピーはありません。性加害やハラスメントに対しての人権感覚が鈍かった大昔の話ではないのです。今から4年前の話なのです。

■外圧でやっと重い腰を上げた日本のメディア


その朝日新聞は、今日(9月13日)の朝刊で、「メディアの甘い追及と日本型幕引き 『ジャニーズ問題で繰り返すな』」という、イギリスのインディペンデント紙やエコノミスト誌の東京特派員を務めたジャーナリストのデイビッド・マクニール氏のインタビュー記事を掲載していました。

朝日新聞デジタル
メディアの甘い追及と日本型幕引き 「ジャニーズ問題で繰り返すな」

何だか自分の「不作為」を棚に上げた厚顔無恥な記事とも言えますが、もちろん、見て見ぬふりをしてきたのは朝日だけではありません。そこには日本のメディアの惨憺たる光景が広がっているのです。言論の自由などない、あるのは自由な言論だけだ、と言ったのは竹中労ですが、自由な言論の欠片さえないのです。

ジャニー喜多川氏の性加害も、イギリスのBBCの報道によって白日の下に晒され、それが逆輸入されて(いわゆる“外圧”によって)日本のメディアがやっと重い腰を上げたにすぎないのです。

■メディアの悪あがき


しかし、ここに至っても、メディアの悪あがきは続いているのでした。それは、汚染水を巡る報道とよく似ている気がします。

今月の7日に行われたジャニーズ事務所の記者会見においても、新社長に就任した東山紀之氏に対する東京新聞の望月衣塑子記者の質問が、セクハラだとか東山氏を貶めるものだとか言われ、批判が浴びせられているのでした。さらには、彼女の質問の仕方はマナーがなってない、行儀が悪いなどと言われる始末なのでした。

Yahoo!ニュース
ディリースポーツ
ジャニーズ記者会見 質問4分超の女性記者に疑問の声「自己主張をダラダラ」「悪いことした奴には失礼な対応してもいい?」

まるで記者クラブが仕切るお行儀のいい記者会見が記者会見のあるべき姿だとでも言いたげな批判ですが、記者会見に「お行儀」を持ち出すなど、日本のメディアと世論のお粗末さを象徴しているような気がします。それこそ海外のメディアから見たら噴飯ものでしょう。

■望月衣塑子記者の質問


上記の朝日の記事で、デイビッド・マクニール氏は、望月記者について、次のように話していました。

首相官邸の会見にも出席してきましたが、まず、質疑のキャッチボールがほとんどない。記者の質問の多くは形式的で、鋭い追及も少ない。これは英語では“short circuit questions and answers”と呼ばれます。おざなりで省略型の質疑、という悪い意味です。菅義偉官房長官時代に厳しい質問を重ねた記者は、私の目には、国民の疑問を代弁するという負託に応えていると映る。でも、現場では記者クラブのルールや「和」を損ねた人物と扱われます。

朝日新聞デジタル
メディアの甘い追及と日本型幕引き 「ジャニーズ問題で繰り返すな」


マナーやお行儀で望月記者を批判したディリースポーツですが、じゃあ夫子自身は突っ込んだ質問をしたのかと言えば、そんな話は寡聞にして知りません。彼らが言うマナーやお行儀というのは、忖度ということなのです。臭いものに蓋をすることです。そこにあるのは、村社会の論理です。

ジャニーズ事務所の記者会見を受けて、先日、NHKの「クローズアップ現代」が、「私たちメディアはなぜ伝えてこなかったのか」として、NHKや民放の芸能番組の制作担当者にインタビューしていましたが、彼らが言っていることはただの弁解にすぎず、それ以上でもそれ以下でもありませんでした。そこから垣間見えたのも、抗えない空気に支配され思考停止して唯々諾々と従う、日本的な村社会の論理でした。彼らは「条件反射だった」と弁解していましたが、丸山眞男はそれを「無責任の体系」と言ったのです。

記者会見で一番最初に指名され話題になった「赤旗」の女性記者にしても、当たり障りのない質問をしてお茶を濁すだけでした。「赤旗」でさえそうなのですから、あとは押して知るべしでしょう。

望月記者が東山紀之新社長に、自分のイチモツを皿の上に乗せて、後輩のタレントに「俺のソーセージを食え」と言ったのは事実かと質問すると、東山氏は「記憶をたどっても本当に覚えていない。したかもしれないし、してないかもしれない」と曖昧な答えに終始したのですが、その質問に対しても、轟々の非難が浴びせられたのでした。

しかし、イギリスのBBCがその質問を報道し、「ガーディアン」や「ニューヨーク・タイムス」など海外のメディアは、日本のメディアのあるものをないものにする往生際の悪い姿勢を揃って批判しているのでした。その最たるものがディリースポーツやJ-CASTニュースと言えるでしょう。

案の定、日が経つに連れ、東山紀之氏の社長就任は人格的にも不適任という声が沸き起こっていますが、一方で、大企業の相次ぐジャニーズ離れに対して、「タレントには罪はない」という考えを論拠にそれを疑問視する記事が、一部のスポーツ新聞や女性週刊誌に出始めています。ここに至っても臭いものに蓋をする忖度はまだ続いているのです。

ジャニーズとの決別を宣言した大企業は、そうしないと海外で事業ができないからです。スポーツ新聞や女性週刊誌のお情けに訴える疑問とはまったくレベルが異なる話なのです。

言論機関としての最低限の矜持も見識もなく、ジャニーズ事務所にふれ伏したメディアは恥を知れ、と言いたくなります。汚染水の海洋放出に関する報道もそうですが、日本の言論は異常なのです。ジャニーズの問題は、たかが、、、芸能界の話にすぎませんが、しかし、それは異常な日本の言論のあり様を赤裸々に映し出しているとも言えるのです。

ジャニーズ事務所のパシリになり、嘘八百を並べてきた芸能リポーターや芸能記者は、メディアから即刻退場すべきでしょう。その引導を渡すのが世論のはずですが、しかし、哀しいかな、世論もまた、村の一員でしかないのです。
2023.09.14 Thu l 社会・メディア l top ▲
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(写真AC)



■石田純一の姉の「孤独死」


ディリー新潮に石田純一の実姉が「孤独死」していたという記事が出ていました。

ディリー新潮
石田純一の姉(72)が都内マンションで「孤独死」していた 熱中症が原因か 第一発見者となった石田が語る「無念」

あれほどマスコミから叩かれても「お人好し」の石田純一は、新潮の電話取材に応じ、練馬のマンションで「孤独死」していた姉の第一発見者が石田自身だったことをあきらかにしたそうです。応答がないという姉の友人からの連絡で、マンションに駆け付けた石田は、警察官の立ち合いのもと鍵業者を呼んで開錠し、変わり果てた姉を発見したのだとか。

そして、記事では以下のように語っていました。

 最後に会ったのは7月末くらいで、桃子さんから「クーラーが故障した」との連絡を受けた時だという。

「たまたま家の中に使っていないクーラーがあったので、それを持っていったのですが、事情があって設置するところまでは見届けられなかった。『必ずちゃんと業者を呼んで設置するように』と言って帰ったのですが……」

 石田が届けたクーラーは、部屋の中で未使用のまま置かれた状態だった。

「『業者を呼ぶお金が足らないならばこっちで用意するから、クーラーの設置だけはお願いします』と口を酸っぱく言っていたんですが……、あれを見た時は残念な気持ちで……」

(略)

 コロナ禍もあって、桃子さんの暮らしぶりは決して良くなかったと振り返る。

「本人もプライドがあって、ずっと音楽以外の仕事は一切してこなかったんです。しかし、生活も大変で、昨年から梱包のアルバイトを始めたところでした。ただ、高齢がネックになったのか、8月初めに辞めざるを得なくなってしまった。ショックを受けていた様子だったので、それも影響したのかもしれない」


しかも、電気料金を滞納して、この酷暑の中、部屋の電気も止められていたのだそうです。

NHKのアナウンサーだった父親に溺愛され、父親の赴任に伴って渡米してピアノと出会い、帰国後、桐朋学園大学に進んで本格的に音楽を学び、音楽家・ピアニストとして活動していたお姉さんが72歳で迎えた最期。何とも身につまされる話です。

この記事がYahoo!ニュースに転載されると、さっそくコメント欄でシニア右翼のような暇人たちが石田純一を叩いていましたが、まったくクソみたいな連中だなと思いました。

■警備員の嘆き


老人介護施設で警備員をやっている知人の嘆きも止まりません。

施設では新型コロナウイルスが蔓延しており、入所者の半数以上が感染しているフロアもあるそうです。

しかし、5類に移行したからなのか、感染対策に緊張感はなく、フロアを閉鎖したりはしないので、職員たちにまで感染が広がっていっそう人手不足に陥り、応急的に短期派遣の介護員で補っているそうです。

知人は「やってられないよ」と言っていました。

介護施設の場合、ディサービスの運転手や清掃や洗濯や警備員など雑用を担っているのは、入所者と年齢がほとんど変わらない高齢者です。介護施設も御多分に漏れず給与が安いのですが、既に年金を受給している近辺の高齢者にとっては格好のアルバイト先になっているのです。

巡回に行くと、廊下で洗濯物を整理している高齢の非正規の職員と車椅子の入所者が、世間話をしている場面に出くわすことがあるそうです。年齢がほとんど変わらないので、昔話にも花が咲くのでしょう。

入所者は身体の自由が利かない、つまり自立できないだけで、頭の中は認知も進んでおらず、そうやって普通の会話もできるのです。

巡回していると、「ご苦労様です」と声をかけてくる入所者もいるそうです。

特養などの介護施設は、終の棲家です。「看取り」という制度があり、病院などで延命治療を受けずに実質的な安楽死とも言える“自然死”に任せる場でもあるのです。

ただ身体の自由が利かず、一人で生活ができないからというだけで、そうやって終の棲家である施設で死を待つというのは、正常な感覚を保っているだけに「つらいだろうな」と知人は言っていました。もとより、そういった光景を否が応でも目にしなければならない知人も、「つらい」と言っていました。

一方で、古市憲寿や成田悠輔は、そういった老人たちに対して、安楽死させろとか集団自殺しろと言い放ったのでした。そんな人の機微、生きる哀しみや苦しみを理解できない(その想像力さえ欠如した)おぞましい人間たちが、コメンテーターとして、メディアで世の中の出来事を偉そうに解説しているのです。
2023.09.13 Wed l 社会・メディア l top ▲
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(写真AC)


たまたまですが、二人の友人から電話がかかってきました。ひとりは飲食店を経営しており、もうひとりはゲストハウスを経営しています。ふたりとも「いい会社」に勤めていたのですが、親の介護などもあって、いづれも会社を辞めて田舎に帰り、それぞれ自営で商売をはじめたのでした。

飲食店をやっている友人は、盆休みが明けてから客足がガクッと減り四苦八苦していると言っていました。一方、ゲストハウスをやっている友人は、ほぼコロナ前の状況に戻った感じで「まあまあ順調だ」と言っていました。観光地に近いということもあって、9割が外国人で、アメリカ、ドイツ、香港、韓国などの観光客から予約が入っているそうです。

■ホーユーの破綻


飲食店の苦境の話を聞いているうちに、私は、給食会社のホーユーの破産のニュースを思い浮かべました。

ホーユーは、本社は広島市ですが、国内の22カ所に営業所があり、学校や学生寮、官公庁や病院、さらには自衛隊の駐屯地や警察学校など、全国の約150施設に食事を提供していたそうです。

経営が行き詰った背景について、下記のビジネスジャーナルの記事は、「原材料や電気料金、人件費の値上がりなどを受け給食事業者が学校や行政に値上げを要求しても拒否され、赤字での事業継続を余儀なくされるなど、業界全体に横たわる根深い問題がある」と伝えていました。

ビジネスジャーナル
ホーユー破綻→全国で給食中止が続出…値上げ拒否する学校・行政の責任、安値発注も

また、メディアの取材に対しての次のようなホーユーの山浦芳樹社長の発言も伝えていました。

「値上げの申請に行くと『わかった値上げしよう』という学校や役所はゼロ」(テレビ新広島の取材に対し)

「広島の落札金額は他の府県と比べると半分以下。全国で一番安い。運営できない金額で平然と落札される」(同)

「(値上げの相談をした高校から)『値上げの根拠を教えてくれ』と言われる。鶏肉の値段を出して、回答が来るのが1~2カ月後」(「テレ朝news」より)

「食材費や人件費は高騰しているが、業界は非常に安い。ビジネスモデルは崩壊している」(同)


広島県では今年の7月に、物価高騰に対応した給食事業の補助をホーユーにも提案したそうです。しかし、ホーユーの社長はそれを断ったのだとか。その理由を、「申請したとしても、1食当たり30円しか高くならないうえに、とても手間がかかる」と話していました。如何にも役所の事なかれ主義に翻弄され末路を辿った気がしてなりません。

警備員をしている知人は、施設で救急搬送があるときに救急隊員から横柄な態度を取られることが多く、「頭に来る」と言っていました。私も以前、病院で救急搬送に立ち会ったことがありますが、救急隊員の施設の職員に対する偉そうな態度に唖然としたことがあります。救急を依頼したときと救急を受け入れるときの態度が全然違うのです。

救急隊員は、高い使命感を持つ命の綱、無私の精神で私たちを助けてくれるありがたい存在みたいなイメージがありますが、しかし、一方で、覚醒剤の使用で捕まったり、痴漢や盗撮や未成年者に対する買春などで捕まったり、非番のときに消防士仲間と派遣ヘルスの送迎のアルバイトをして処分されたり、あるいは職場のパワハラが問題になったりと、不祥事にも事欠きません。日本は官尊民卑の国なので、国民もことさら美談仕立てにして、ありがたがる傾向がありますが(私などは仕事だから当然じゃないかと思いますが)、彼らも所詮は公務員なのです。よく救急車や消防車でコンビニで買い物をしていたとして批判を浴びていますが、それも意趣返しという側面もなくはないでしょう。特に大都会の救急隊員ほどその傾向が強い気がします。

生活保護の受給資格は世帯年収が156万円(月収13万円)以下ですが、その基準にも満たない人が2千万人もいて、貧困に苦しむ国民は増える一方なのに、まるで花咲か爺さんのように外国にお金をバラまいて得意満面な総理大臣と方向感覚を失った夜郎自大な政治。

牽強付会と思われるかもしれませんが、「安すぎる給食」の問題も、円安と資源高が招いた異常なインフレという経済の問題だけでなく、そういった日本社会のトンチンカンぶりとまったく無関係ではないように思います。つまり、にっちもさっちもいかなくなっているこの国の現実が垣間見えているような気がしてならないのです。

■飲食店の苦境


飲食店は、今の物価高に加えて、新型コロナ対策で実施されたいわゆる“ゼロゼロ融資”の返済にも迫られており、文字通り二重苦の中にあると言われています。

こんなにあらゆるものが上がると、それに伴うコストの上昇は凄まじいものがあるでしょう。しかし、全てを価格に転嫁できるわけではないので、その分利益が食われて経営が圧迫されるのです。

それでなくても、飲食業の場合、開業してから生き残ることができるのは、2年で50%、3年で30%、10年で10%と言われるくらい浮沈の激しい世界なので、今の物価高(コスト高)は、文字通り瀕死の状態でさらに追い討ちをかけられているようなものと言っていいでしょう。いや、トドメを刺されている、と言っていいかもしれません。

収入が増えないのに物価だけがどんどん上がるのは、国民経済の崩壊と言ってもいいような話です。物価の上昇に賃金の上昇が追い付いてないと言われますが、追い付いてなくても賃金が上昇している人たちはまだいい方です。逆に収入が減っている人たちも多くいるのです。そんな人たちにとっては地獄絵図のような世界でしょう。

知人も言っていましたが、警備員なんて20年前から賃金がまったく上がってないのだそうです。そんな職業はごまんとあるのです。現在いま、人手不足とか言われている職業のほとんどはそんな構造的に低賃金の仕事なのです。

ホーユーの社長は、メディアやネットから「迷惑だ」「無責任だ」と散々叩かれていますが、何だか身につまされるような話で同情を禁じ得ません。

それは、個人経営の飲食店なども然りです。材料を仕入れ時間をかけて調理して、気を使って接客して、朝から晩まで身も心もクタクタになって働いても、利益は上がらないどころか減る一方なのです。

■ネットに破壊される既存の経済


一方で、友人のゲストハウスのように、完全に無人化されて、予約から支払いや入退室や清掃などすべてがネットによって管理され、手間をかけずにネットで注文を受けるだけのようなビジネスが千客万来で濡れ手に粟(ちょっとオーバーですが)というのは如何にも現代風ですが、身体を張って地道に商売をしている人間から見れば割り切れないものがあるでしょう。

余談ですが、友人がやっているようなゲストハウスは割高なので、「日本人の利用は少ない」と言っていました。たまに来ても、人数を誤魔化したり、備品を持って帰ったりと、「日本人がいちばんタチが悪い」と言っていました。驚いたのは、掃除のおばさんもウーバーイーツのようなシステムになっているということです。

ただ、すべてがネットに置き換わるわけではないので、ネットはそうやって既存の経済を壊して、最終的には富の偏在を招き国民の生活を貧しくするだけです。

1万人の人間が働いて1千億円のお金を稼ぐのならお金はまわるけど、10人の人間が100億円稼いでもお金はまわらないのです。そんな社会は滅びるだけだよ、と言っていた友人の言葉が耳に残りました。そして、これが坂道を転がり落ちて行く国(社会)の現実なのかと思いました。
2023.09.08 Fri l 社会・メディア l top ▲
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(写真AC)



2019年、36人が犠牲となった京都アニメーション放火殺人事件で、殺人や現住建造物等放火などの罪で起訴された青葉真司被告の裁判員裁判が5日、京都地裁で始まり、青葉被告は「私がしたことに間違いありません」と起訴内容を認めたそうです。また、「事件当時はこうするしかないと思ったが、こんなにたくさんの人が亡くなるとは思わなかった。現在はやりすぎだと思っている」と述べたということです。

来年の1月に判決が下される予定だそうですが、それでも「裁判員裁判では異例の長期に渡る」と言われているのです。これから迅速な裁判と迅速な処刑の要請に従って、淡々と処理されていくのでしょう。裁判員裁判なんて単なる儀式にすぎないのです。

この事件の直後、私はブログに下記のような記事を書きました。

関連記事:
京アニ放火事件の「貧困と孤独」

■貧困と孤独と精神の失調


また、下記の記事の中でも事件について書いています。その部分を再掲します。

関連記事:
『令和元年のテロリズム』

---引用始まり

「京都アニメーション放火事件」の犯人は、昭和53年に三人兄妹の次男として生を受けました。でも、父親と母親は17歳年が離れており、しかも父親は6人の子持ちの妻帯者でした。当時、父親は茨城県の保育施設で雑用係として働いており、母親も同じ保育施設で保育士として働いていました。いわゆる不倫だったのです。そのため、二人は駆け落ちして、新しい家庭を持ち犯人を含む三人の子どをもうけたのでした。中学時代は今のさいたま市のアパートで暮らしていたそうですが、父親はタクシーの運転手をしていて、決して余裕のある暮らしではなかったようです。

そのなかで母親は子どもたちを残して出奔します。そして、父親は交通事故が引き金になって子どもを残して自死します。実は、父親の父親、つまり犯人の祖父も、馬車曳き(馬を使った運送業)をしていたのですが、病気したものの治療するお金がなく、それを苦に自殺しているのでした。また、のちに犯人の妹も精神的な失調が原因で自殺しています。

犯人は定時制高校を卒業すると、埼玉県庁の文書課で非常勤職員として働きはじめます。新聞によれば、郵便物を各部署に届ける「ポストマン」と呼ばれる仕事だったそうです。しかし、民間への業務委託により雇用契約が解除され、その後はコンビニでアルバイトをして、埼玉県の春日部市で一人暮らしをはじめます。その間に母親の出奔と父親の自殺が起きるのでした。

さらに、いったん狂い始めた人生の歯車は収まることはありませんでした。犯人は、下着泥棒をはたらき警察に逮捕されるのでした。幸いにも初犯だったので執行猶予付きの判決を受け、職安の仲介で茨城県常総市の雇用促進住宅に入居し、郵便局の配達員の職も得ることができました。

しかし、この頃からあきらかに精神の失調が見られるようになり、雇用促進住宅で騒音トラブルを起こして、家賃も滞納するようになったそうです。それどころか、今度はコンビニ強盗をはたらき、懲役3年6ヶ月の実刑判決を受けるのでした。その際、犯人の部屋に踏み込んだ警察は、「ゴミが散乱、ノートパソコンの画面や壁が叩き壊され、床にハンマーが転がっていた光景に異様なものを感じた」そうです。

平成28年に出所した犯人は、社会復帰をめざして更生保護施設に通うため、さいたま市見沼区のアパートに入居するのですが、そこでも深夜大音量で音楽を流すなど騒音トラブルを起こすのでした。著者は、「再び失調していったと考えられる」と書いていました。そして、そのアパートから令和元年(2019年)7月15日、事前に購入した包丁6本をもって京都に向かうのでした。彼の場合も、精神的な失調に対して適切な治療を受けることはなかったのです。

生活困窮者を見ると、たとえばガンなどに罹患していても、早期に受診して適切な治療を受けることができないため、手遅れになってしまい本来助かる命も助からないというケースが多いのですが、精神疾患の場合も同じなのです。

不謹慎を承知で言えば、この「京都アニメーション放火事件」ほど「令和元年のテロリズム」と呼ぶにふさわしい事件はないように思います。私も秋葉原事件との類似を連想しましたが、著者(引用者註:『令和元年のテロリズム』著者・磯部涼氏)も同じことを書いていました。

また、著者は、小松川女子高生殺人事件(1958年)の李珍宇や連続射殺魔事件(1968年)の永山則夫の頃と比べて、ネットの時代に犯罪を語ることの難しさについても、次のように書いていました。

「犯罪は、日本近代文学にとっては、新しい沃野になるはずのものだった。/未成年による「理由なき殺人」の、もっともクラシックな典型である小松川女子高生殺し事件が生じたとき、わたしはそのことを鮮烈に感覚した。/この事件は、若者が十七にして始めて自分の言葉で一つの世界を創ろうとする、詩を書くような行為としての犯罪である、と」。文芸評論家の秋山駿は犯罪についての論考をまとめた『内部の人間の犯罪』(講談社文芸文庫、平成19年)のあとがきを、昭和33年の殺人事件を回想しながらそう始めている。ぎょっとしてしまうのは、それが日々インターネット上で目にしているような犯罪についての言葉とまったく違うからだ。いや、炎上に飛び込む虫=ツイートにすら見える。今、こういった殺人犯を評価するようなことを著名人が書けばひとたまりもないだろう。
 秋山は犯罪を文学として捉えたが、犯罪を革命として捉えたのが評論家の平岡正明だった。「永山則夫から始められることは嬉しい」「われわれは金嬉老から多くを学んできた。まだ学びつくすことができない」と、犯罪論集『あらゆる犯罪は革命的である』(現代評論社、昭和47年)に収められた文章の書き出しで、犯罪者たちはまさにテロリストとして賞賛されている。永山則夫には秋山もこだわったが、当時は彼の犯罪に文学性を見出したり、対抗文化と重ね合わせたりすることは決して突飛ではなかった。一方、そこでは永山に射殺された4人の労働者はほとんど顧みられることはない。仮に現代に永山が同様の事件を起こしたら、彼がアンチヒーローとして扱われることはなかっただろうし、もっと被害者のバッググランドが掘り下げられていただろう。では近年の方が倫理的に進んでいるのかと言えば、上級国民バッシングが飯塚幸三のみならずその家族や、あるいは元農林水産省事務次官に殺された息子の熊澤英一郎にすら向かった事実からもそうではないことが分かる。


この文章のなかに出て来る秋山駿の『内部の人間の犯罪』や平岡正明の『あらゆる犯罪は革命的である』は、かつての私にとって、文学や社会を語ったりする際のバイブルのような本だったので、なつかしい気持で読みました。でも、当時と今とでは、犯罪者が抱える精神の失調や、犯罪を捉える上での倫理のあり方に大きな違いがあり、益々身も蓋もなく余裕のない社会になっているとも言えるのです。

しかし、いくら脊髄反射のような平板な倫理で叩いても、それは気休めでしかないのです。こういったテロリズム=犯罪はこれからもどとめもなく私たちの前に出現することでしょう。むしろ、貧困や格差の問題ひとつをとっても、テロリズム=犯罪を生み出す土壌が益々拡散し先鋭化しているのは否定できません。だからこそ、そのテロリズムの底にある含意(メッセージ)を私たちは読み取る必要があるのです。そこにあるのは、坂口安吾が言う政治の粗い網の目からこぼれ落ちる人間たちの悲鳴にも似た叫び声のはずです。

「京都アニメーション放火事件」の犯人はみずからも大火傷を負い命も危ぶまれる状態だったのですが、懸命な治療の結果、命を取り止めることができたのでした。「あんな奴、助ける必要ない」という世間の怨嗟の声を浴びながら、彼は「こんな自分でも、必死に治療してくれた人がいた」と感謝のことばを述べ涙を流したそうです。なんだか永山則夫の「無知の涙」を思い浮かべますが、どうしてもっと早くそうやって人の優しさを知ることができなかったのかと悔やまれてなりません。しかし、それは、彼個人の問題だけではないように思います。

---引用終わり

格差社会というのは、ありていに言えば階級社会ということです。彼らの”テロ”は「たったひとりの階級闘争」という側面もあるように思います。

最近は電車や街中などで、自暴自棄とも言えるような感情を爆発させた言動や行動を目にすることもめずらしくなくなりました。自暴自棄になって自死するケースも多いのですが、その際も他人を巻き添えにする「拡大自殺」という言葉さえ生まれているのです。

「自己責任」という言葉は、何と非情でむごいものかということをあらためて痛感せざるを得ません。私たちが生きているのはそういう社会なのです。
2023.09.05 Tue l 社会・メディア l top ▲
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(写真AC)



■関東大震災


100年前の1923年(大正12年)の9月1日午前11時58分、マグニチュード7.9と推定される地震が関東南部を襲い、190万人が被災し、死者・行方不明者は10万5千人、建物全壊は10万9千棟、全焼が21万2千棟という甚大な被害が生じたのでした。しかし、これらの数字はあくまで推定にすぎません。

尚、当時の東京市の人口は226万人(48万戸)、横浜市が44万6千人(10万戸)だったそうです。

ウィキペディアにも書かれているように、関東大震災と言えば、東京の火災による被害ばかりが報じられますが、実際の被害の中心は「震源断層のある神奈川県内」だったと言われています。「建物の倒壊のほか、液状化による地盤沈下、崖崩れ、沿岸部では津波」など多くの被害が発生したそうです。

たしかに、横浜に住んでいる人間から見ても、横浜というのは、平地は海抜の低い沿岸部だけで、あとは坂や崖が多い丘陵地帯です。しかし、その割に標高は低いのです。私は海からひと山超えた東急東横線沿いの住宅地に住んでいますが、それでも標高は5メートル(海抜も5メートル)にすぎません。

昔、お年寄りで関東大震災を経験したと言ったら、それこそ歴史の証人みたいで「凄いな」と思っていましたが、しかし、私たちは既に大震災を二度も経験したのです。それどころか、かつて人類が遭遇したことがない原発事故まで経験しているのでした。

ちなみに、1995年(平成7年)の阪神大震災のマグニチュードは7.2、2011年(平成23年)の東日本大震災のマグニチュードは9.0だそうです。

■「東京人の堕落時代」と「からっぽな日本人」


夢野久作は、戦前の右翼の巨頭で、玄洋社を主宰する父親の杉山茂丸が一時社主を務めていた九州日報社(現在の「西日本新聞」)の特派記者として、震災から2ヶ月後の1923年9月と、翌年の1924年9月~10月の二度にわたって、福岡から大震災に見舞われた東京を訪れ、そこで見聞したものを「東京人の堕落時代」と題して同紙に連載しています。

そのことについて、このブログでも取り上げていますので、ご参照ください。

関連記事:
『よみがえる夢野久作』

「東京人の堕落時代」で書かれているのは、のちの坂口安吾の「堕落論」にも通じるような人間観です。と同時に、それは、三島由紀夫が『文化防衛論』(ちくま文庫)に収められている「果たし得ていない約束」(1970年)という文章の中で書いていた、「からっぽな日本(日本人)」という言葉にも通底する日本人論でもあるように思います。

三島は、冒頭、「私の中のこの二十五年間を考えると、その空虚に今さらびっくりする。私はほとんど『生きた』とは言えない。鼻をつまみながら通りすぎたのだ」と書いています。そして、最後に、次のような辛辣な言葉を並べているのでした。

このまま行ったら「日本」はなくなってしまうのではないかという感を日ましに深くする。日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目ない、或る経済大国が、極東の一角に残っているであろう。


でも、「東京人の堕落時代」や「からっぽな日本人」に書かれた日本人のあり様は、夢野久作が見た大震災や三島由紀夫が戦後社会に抱いた憂国の情だけでなく、私たち自身に突きつけられた、すぐれて現代的な問題でもあると言えるのです。

■汚染水の海洋放出


東京電力と日本政府は、7月24日、放射能汚染水を海洋に放出しました。放出されたのは、単なる冷却水ではなく、デブリ(崩れた燃料棒)に触れた地下水です。チェルノブイリを見れば分かるように、現代の科学技術ではデブリの取り出しはほぼ不可能です。つまり、デブリに触れた汚染水は、地下水が止まらない限り、半永久的に続くことになる可能性もあるのです。東電や政府が言う「30年」は、何の根拠もない数字にすぎないのです。

今年度は3万1千200トンを4回に分けて放出する予定で、トリチウムの総量は5兆デシベル(db)に達するそうです。デブリに含まれているトリチウムは、10年後の現在も1920兆dbあると言われていますが、その中でタンクに汲み出したのは780兆dbにすぎないそうです。

汚染水の処理については、いくつかの方法があると言われていますが、代表的なのがチェルノブイリで行われたようなセメントで固形化して地下に埋設する「石棺」方式です。ただ、それだと費用が2千431億円かかるそうです。一方、海洋投棄だと80分の1の34億円で済むのです。

このように安価で済む海洋投棄は当初から計画されており、満杯になったタンクの置き場所がなくなるというのは、単なる口実にすぎなかったと言われています。

2018年8月、「処理水」に基準値を超える放射性物質が除去されずに残留していることが、一部のメディアによって報道され問題になりました。それを受けて、東電は、翌月の2018年9月に、「処理水」の8割超が最大2万倍の放出基準値を超えていたと発表したのでした。にもかかわらず、翌年の2019年の9月には、原田義昭環境大臣(当時)が退任時に、「海洋放出するしか方法がない」と発言しているのです。その当時から海洋放出は、政府・東電の既定路線だったことがわかります。

原発の安全対策の基本は、核分裂を「止める」、燃料を「冷やす」、放射性物質を「閉じ込める」というこです。これは原子力を扱う上での、それこそ中学生でも知っているような大原則です。放射性物質というのは現代の科学ではどうすることもできないので、基本は放射能の寿命まで閉じ込めて時間を稼ぐしかないのです。海洋放出というのは、その基本、大原則を無視した蛮行と言っていいものです。

■不死鳥のようによみがった「原発村」


それにしてもまたぞろ「科学」なるものが一人歩きしています。メディアも、中国や韓国の反発は「非科学的」だと一蹴するだけです。何だか「原発は安全」という、かつての「原発村」の挙国一致の論理が再び跋扈し始めているような感じさえします。「原子力の安全利用を推進する」IAEA(国際原子力機関)のお墨付きを得たとして、「科学」なる言葉がまるで水戸黄門の印籠のように振りかざされているのでした。

「科学は真理に至る方法にすぎず、科学自体は真理ではない」と言った人がいましたが、その言葉はあのSTAP細胞の騒ぎを思い出せば理解できるでしょう。

未曾有の原発事故から僅か12年。今、私たちの目の前にあるのは、「原発村」が再び不死鳥のようによみがえった悪夢の光景とも言えるものです。

当時はメディアはどこも原発推進でした。原発は原子力の平和利用の最たるもので、「夢のエネルギー」と言われたのです。原発反対運動は治安問題として扱われ、原発に反対する人間たちはテロリストのように見なされ、公安警察の監視対象になったのでした。そんな強権的な翼賛体制を支えたのが、国策の名のもとに我が世の春を謳歌した「科学」と、「総括原価方式」で庇護された電力会社の資本の論理でした。

今回の海洋放出について、左派リベラルや野党は、漁業者や福島の住民に丁寧な説明をせずに見切り発車したとして、政府や東電のやり方を批判しています。そのために、「風評被害」が広がり、地元の人たちがさらに被害を蒙ることになると言うのでした。

何のことはない、政府や東電のやり方を批判する彼らも、同じ「科学」に依拠しているのです。「科学」的には安全だけど、やり方が拙速すぎると言っているだけです。「風評被害」という言葉も、安全なのに誤解されている、という意味に使われているのでした。

■”廃炉”の定義さえ決まってない


ビデオニュースドットコムは、汚染水の海洋放出を受けて、原発事故以後、東京電力を取材してきたフリーライターの木野龍逸氏にインタビューして、その動画を無料で公開していました。

そこで語られるデタラメぶりは、とても「科学」の名に値するものではありません。それは、原発反対運動を治安問題として扱ってきた時代から一貫して変わらない東電の姿勢でもあるのです。もちろん、それは、再び東電や政府と一体となって、空疎な"安全神話"を振りまいているメディアも同じです。

ビデオニュースドットコム
なぜ東電は問題だらけの汚染水の海洋放出に追い込まれたのか

インタビュアーの神保哲生氏が「概要」をまとめていますが、私も動画を観ながら下記のようなメモを取りました。

・海洋放出は、安くて簡単。コストが安い。しかし、その分環境負荷が大きい。これは「コストの外部化」にすぎない。環境に押し付けるから自分たちのコストが安いだけ。

・膨大な廃炉費用は国からの借金。でも、返すあてがない。最終的には、電気代に上乗せされ国民負担になる。

・ALPS(多核種除去設備)を通しても、トリチウム以外にも除去できない放射性物質が12核種あるとも言われる。トリチウムだけが問題なのではない。ALPS自体があいまい。トリチウムが含まれている冷却水と、デブリに触れた汚染水はまったく違う。メディアはそれを同じもののように言っている。

・汚染水の検査をやっているのは東電。東電は、外部による検査をかたくなに拒否している。しかも、東電は地元との合意なしには海洋放出をやらないという約束を反古にしているが、政府が判断したことだからと逃げている。

・汚染水の海洋放出は、30年とも40年とも言われる“廃炉”のプロセスで必要だからという大義名分を掲げているけど、“廃炉”の定義さえあいまいで、その議論もまったく進んでいない。何をもって“廃炉”と言うのか。そもそも“廃炉”などできるのかという疑問さえある。

・1号炉から3号炉までのデブリ(崩れた燃料棒)は800~1000トンあると言われているけど、事故から10年以上経っても、小指の先くらいのグラム単位のものしか取り出せてない。しかも、そのデブリをどうするのか、外部の空気に触れて安全なのかという問題さえ解決していない。

・“廃炉”まで30年とか40年とかかかるという話も何ら根拠がない。もしかしたら、100年経っても排出しつづける可能性もある。そもそもデブリに触れる地下水を止めることさえできてない中で、全てのデブリを取り出せるのか。汚染している建屋は解体できるのか。その結論が出てないし、今の「科学」では出すことができない。

・ホントはチェルノブイリと同じように「石棺」するしかないけど、それだと地元が猛反発するし、帰還困難区域解除の前提も崩れる。

・早い時期から海洋放出が前提だった。タンクがいっぱいで置き場所がないというのは言い訳で、それを待っていた。そういった無責任な体質は昔から変わってない。

・汚染水の海洋放出は生態系に影響を与えることになる。まずプランクトンや小魚などの体内に取り込まれ、食物連鎖の過程で「生物濃縮」が起きて、人間にも影響を及ぼすことになる。汚染された海の魚を食べたからと言って、すぐにバタバタと死ぬわけではないけど、癌の発生率など将来に渡って深刻な健康被害をもたらす。「風評被害」は、非科学的で無知なものとは言えない。

木野龍逸氏は、東電や政府は「空手形を切って選択を迫っているようなものだ」と言っていました。

■トリチウムによる内部被爆


現在、東電や政府やメディアが言う「処理水」は139万リットルあるそうですが、そのうちの71%は(上記で書いたように)トリチウム以外の高濃度の放射性物質が含まれており、再処理が必要だと言われています。

トリチウムにしても、「トリチウム水」という言い方があるくらい普通の水と同じ分子構造(HTO)なので、トリチウムだけを分離して取り出すことは基本的にできません。ホリエモンなどは、だから(水と同じだから)安全なんだ、安全じゃないと言ってる奴は中学まで戻った方がいい、と言っているのです。

しかし、ホリエモンが言っていることは詭弁で、普通の水と同じ分子構造であるがゆえに、容易に体内の組織に取り込まれ、長いもので15年間も体内にとどまり、その間トリチウムが発するベータ線によって内部被爆を受けると言われているのです。

ビデオニュースドットコムでは、分子生物学者の河田昌東氏にもインタビューしているのですが、河田氏によれば、「トリチウムは中性子を放出するとヘリウムに変わるが、その際にトリチウムと有機結合していた炭素や酸素、窒素、リン原子が不安定になり、DNAの科学結合の切断が起きる」(「概要」より)そうです。そうやって「構成元素を崩壊させることで分子破壊」をもたらし、それが癌などの要因になると言っていました。

ビデオニュースドットコム
トリチウムの人体への影響を軽くみてはならない

■歪んだ(屈折した)愛国心


日本テレビ系列のNNNと読売新聞が8月25日から27日までに行った世論調査によれば、「福島第一原発の処理水」の放出について、「評価する」が57%、「評価しない」が32%だったそうです。

Yahoo!ニュース
日テレNEWS
処理水の放出開始「評価」57% 徐々に理解増える【NNN・読売新聞 世論調査】

これこそ思考停止の極みと言うべきでしょう。

エコバックを持って買物に行ったり、「子どもには身体にいいものを与えたい」と無農薬や低農薬の野菜を求めたりしていながら、肝心な汚染水の海洋放出に対してのこの鈍感さはどう考えればいいのか。汚染水の海洋放出は、自分たちの問題なのです。”嫌中憎韓”に置き換えるような話ではないでしょう。

中には、海洋放出に反対するのは、コロナワクチンに反対するのと同じ陰謀論だとか、中国に同調するものだ(中国の手先だ)というような記事さえあるくらいです。開いた口が塞がらないとはこのことです。

況や、唯一の被爆国の国民で、尚且つ未曾有の原発事故を経験した国民でもあるのです。ホリエモンの暴言に見られるように、ネットの守銭奴のコタツ記事に煽られて思考停止するなど愚の骨頂としか言いようがありません。

三島由紀夫は、「唯物功利の惨毒に冒された」(©竹中労)戦後社会を憂いて「からっぽな日本(人)」と言ったのですが、私は、やはり、敗戦時、どうして日本人は昨日の敵に、あれほど我先にすり寄って行ったのか、その変わり身の早さはどこから来るのかという疑問に、すべては由来しているように思います。日本人論はそこから始めるべきでしょう。

一夜明けたら昨日の敵に我先にすり寄り、すべてをなかったことにして、誰も責任を取らなかったのです。それを合理化するために、戦後の日本はフジサンケイグループに代表されるような、対米従属「愛国」主義とも言える歪んだ(屈折した)愛国心を持たざるを得なかったのですが、海洋放出に対する世論にも、そういった無責任の構造に連なる歪んだ(屈折した)心情が陰画にように映し出されているように思います。ただ、それを「科学」という言葉で誤魔化しているだけです。
2023.09.01 Fri l 震災・原発事故 l top ▲