Yahoo!ニュース



■有識者会議のとりまとめ


ネット上の誹謗中傷の対策を検討してきた総務省の有識者会議が、「被害者の削除申請から1週間程度での対応を求めること」などを柱とする内容を、28日にとりまとめたというニュースがありました。

朝日新聞デジタル
ネット誹謗中傷「1週間程度で対応を」 総務省会議が事業者に求める

ただ、焦点のひとつだった「削除請求権」に関しては、同権の乱用によって「表現の自由」が侵害される恐れもあることから、明文化(法制化)の議論は先送りされたということです。

朝日の記事は、今回のとりまとめの骨子を、以下のようにわかりやすくまとめていました。

誹謗(ひぼう)中傷対策の骨子

・プラットフォーム(PF)事業者は迅速かつ適切に削除を行うなどの責務がある

・削除の基準や手続きを定めた「削除指針」の策定・公開を求める

・削除の申請窓口や手続きを整備し、日本語での対応を求める

・利用者による削除申請の受け付けから1週間程度での対応を求める。その際、削除の有無や判断理由を利用者に通知する

・対象となる事業者は海外事業者も含め、不特定者間の交流を目的とするサービスのうち、一定規模以上のものに限定する

・削除指針に基づく運用状況の公表を求める


■Yahoo!ニュースのコメント欄を閉鎖すればいいだけの話


また、記事は次のように書いていました。

有識者会議のとりまとめでは、PF事業者が誹謗中傷を含む情報が流通する空間の提供を通じて広告収入を得ている点に着目。「PF事業者は迅速かつ適切に削除を行うなどの責務があると考えるのが相当」と明記した。


このブログでも何度も書いているように、ネットの誹謗中傷問題の根幹には、ニュースをコメント欄でバズらせてアクセス数を稼ぎ広告収入を得るYahoo!ニュースに代表されるような、ニュースをマネタイズする手法があるのです。

有識者会議のとりまとめは問題をSNS一般に解消していますが、たとえば、前から散々言っているように、まずYahoo!ニュースのコメント欄を閉鎖するなどの処置が先決ではないかと思います。Yahoo!ニュースを見ているとどうしてネトウヨになるのか、と言った人がいましたが、Yahoo!ニュースのコメント欄が閉鎖されるだけでネットはかなりまともになるでしょう。水は常に低い方に流れるネットの習性を考えるなら、そういった処置がもっとも効果的なのです。

Yahoo!ニュースの問題だけではないと言う人もいるかもしれませんが、少なくとも月間225億PVを誇るニュースサイトのコメント欄がネトウヨの巣窟になっている今の状況が改善されれば、ネットの言説も通りがよくなるのは間違いないでしょう。

もういい加減、ネトウヨが言っていることが政治的な主張ではなく、単なる陰謀論とヘイトの流布にすぎないという認識を持つべきなのです。Yahoo!ニュースに巣食うネトウヨには、排外主義的なカルト宗教の信者たちも多いのですが、彼らが陰謀論を発信し、Yahoo!がそれを利用してニュースをマネタイズしている構造そのものが問題なのです。

70人体制で24時間監視して対策しています、AIを使って削除しています、というのは単なるアリバイ作りにすぎないのです。そもそもYahoo!ニュースには、独立した編集権さえ存在しないのです。そんな会社がニュースを扱うのですから、どれだけ再生回数を稼いだか(どれだけバズらせることができたか)でニュースの価値をはかるような基準がまかり通っているのは想像に難くありません。

Yahoo!ニュースの問題は、自民党が「Dappi」に資金を提供して、野党攻撃のためのフェイクニュースを拡散していた問題と根っこにあるのは同じです。

いくら有識者がネットの誹謗中傷を議論しても、企業や政治が金儲けや政敵を攻撃するためにそれを利用している限り、そして、そのためのシステムを温存している限り、机上の空論でしかないのです。

■ネトウヨとジャニーズ問題


最近、ジャニー喜多川氏の性加害を告発した元ジャニーズJr.の男性が、ネットの誹謗中傷によってみずから死を選ぶという痛ましい事件がありましたが、彼を誹謗中傷したのはジャニオタだけではありません。ネトウヨがジャニー喜多川氏の性加害に陰謀論を持ち込み、「当事者の会」や元メンバーに悪罵を浴びせ、執拗に攻撃していたことも見過ごしてはならないでしょう。

ジャニー喜多川氏の性加害の問題とネトウヨの関係については、Arc Timesでの中森明夫氏の発言にヒントがあるように思いました。

Arc Times
中森明夫さん<アイドル評論家>・ジャニ ーズの功と大きな罪/アイドル論の明日(尾形×望月)】

彼らは右翼ですらないし、論敵ですらないのです。それこそ学校で、ネトウヨにならないためにはどうすればいいか、ということを教えてもいいようなネットリテラシーの問題なのです。

自由に反対する者に自由を与えるな、という考えが求められているのです。コメント欄は言論・表現の自由のために必要だ、民主社会では多様な意見は担保されるべきだ、というYahoo!!ニュースの主張は、ニュースをマネタイズするための方便だということを忘れてはならないのです。
2023.11.29 Wed l ネット l top ▲
信濃町駅_m
信濃町駅(写真AC)



■池田氏の功績と神格化


メディアにおいて戦後のタブーに「鶴タブー」と言われるものがあります。言うまでもなく、創価学会のタブーです。今は絶縁していますが、創価学会がかつて信仰していた日蓮正宗の紋が鶴だったことから、そう言われているのだそうです。

創価学会は、東京都から認可を受けた「宗教法人」ではあるものの、もともとは日蓮正宗という日蓮宗から派生した新興宗教の門徒の団体だったのです。

1930年(昭和5年)に、日蓮正宗の信徒であった牧口常三郎氏と戸田城聖氏が中心になって、「創価教育学会」として創立されたのがはじまりです。「創価教育学会」に集まったのは、「教育信徒」と呼ばれるコアな信者たちでした。

牧口氏と戸田氏はともに苦学して教師になった人物で、「創価教育学会」は人生哲学の勉強会の性格が強く、当初は宗派を問わず誰でも入会できたそうです。しかし、二人が日蓮正宗の信徒であったことから、のちに日蓮正宗の信徒であることが入会資格になったそうですが、宗教学者の中には、どうして日蓮正宗の信仰が入会条件になったのか未だに理解できないと言う人もいるそうです。つまり、彼らが究める人生哲学と日蓮正宗の教学には、それほどの関連性がなかったということです。

二人ともに元教師ですが、牧口氏は学究肌、戸田氏は山っ気の多い事業家といった感じで、その気風はまったく違っていたそうです。

なお、創価学会では伝道のことを「折伏(しゃくふく)」と言って、かなり過激で執拗なものだったそうで、特に戦後、なりふり構わず組織拡大をめざした戸田・池田時代の「折伏」は世間からも恐れられ、それが未だに残っている”創価学会アレルギー”の一因になったことはたしかでしょう。

戦前の日本は、今の靖国神社に象徴されるように、天皇を神と崇めるための国家神道の体制だったのですが、そのために国家神道を認めない「創価教育学会」は、戦時中にほかの神道系の新興宗教やキリスト教などとともに淫祠邪教と見做され、治安維持法違反で弾圧されたのでした。牧口常三郎氏も戸田城聖氏も不敬罪で逮捕され、そして、初代会長の牧口常三郎氏が高齢ということあって獄死するのでした。

創価学会と名乗るのは戦後で、敗戦後の1946年(昭和21年)、二代目の会長になった戸田城聖氏が「創価教育学会」を創価学会と名称を改めて、信徒団体として再出発してからです。

戸田城聖氏は、1958年(昭和33年)に亡くなったのですが、そのあとを継いで1960年(昭和35年)に32歳で第三代会長に就任したのが池田大作氏です。

池田大作氏は、1928年(昭和3年)1月2日、東京府荏原郡入新井町大字不入斗いりやまずで、海苔製造業者(海苔漁師)の池田子之吉ねのきちいちの五男として生を受けました。

出生地の東京府荏原郡入新井町大字不入斗は、現在の東京都大田区大森北です。JR大森駅東口から京急の大森海岸駅に向かって歩いたあたりだそうです。しかし、2歳のとき、一家は羽田町大字糀谷こうじやに移転しています。

池田大作氏は、6人きょうだいの五男として生まれたのですが、その後も家族が増え、最終的には養子も含めて池田家は10子になったそうです。文字通り、貧乏人の子沢山を地で行ったのでした。

しかも、池田氏が尋常小学校2年のときに、父親がリウマチで寝たきりになり、一家の生活を支える働き手を失うことになります。さらに、日中戦争が拡大の一途を辿ったことで、既に社会に出ていた池田氏の上の4人の兄が相次いで招集され、一家の生活は貧窮を極めるのでした。

そのため、池田氏は高等小学校(現在の中学校)に入学したときから、家業の手伝いだけでなく新聞配達のアルバイトを始めるのでした。ところが、生来の虚弱体質に加えて栄養失調と過労によって、池田氏自身も「肋膜」(結核)にかかるのでした。まさに踏んだり蹴ったりの少年時代ですが、ただ、学業は優秀とは言えなかったものの、真面目な性格であったのは事実のようです。

後述する『池田大作「権力者」の構造』(1981年三一書房)の中で著者の溝口敦氏は、次のように書いていました。

 少年時代から彼は稼ぐに追いつく貧乏なしという哲学の実践者であることを強いられ、貧乏への彼の対応は、ひたすら労働と親孝行だけであった。彼は遊びざかりを労働で過ごした。


※以下、「ディリー新潮」の記事に関連した部分は後日付け足しましたので、為念。

下記の「ディリー新潮」の記事によれば、池田氏が創価学会の中で頭角を現すのは、戸田城聖氏が東京都建設信用組合を破綻させ、そのあと昭和25年に愛人らを役員にした大蔵商事という小口金融の会社(今で言うサラ金の走りのような会社)を設立してからです。東京都建設信用組合の頃から「カバン持ち」として戸田氏と行動を共にしていた池田氏は、大蔵商事では営業部長として辣腕をふるって戸田城聖氏の信頼を得、創価学会内でも出世の階段をいっきに駆け上っていくのでした。そして、戸田氏亡きあと、32歳で第三代の会長にまで上り詰めたのでした。

デイリー新潮
【池田大作の履歴書】かつては高利貸しの営業部長だった…神格化のために行われた大袈裟な演出とは

池田大作氏の功績は何と言っても、創価学会の組織拡大です。戸田城聖氏が二代目会長に就任した1946年当時、創価学会の会員数は3千人程度だったそうです。それで、戸田城聖氏は「折伏大行進」なるものを掲げて、かなり過激な布教活動を進めるのでした。そして、戸田氏が亡くなる前年の1957年には75万世帯を達成したと言われています。

さらに池田大作氏は、戸田氏の「折伏大行進」を受け継いで布教活動を拡大し、1964年には500万世帯、1970年には750万世帯を達成したのです。創価学会にとって、戸田城聖氏が中興の祖であれば、池田大作氏は躍進の立役者と言えるでしょう。

大蔵商事に関して言えば、同社は手形の割引と個人向けの貸付を行っていたそうです。ただ、当時の法定金利は年利109.5%(1日当たり0.30%)で、「十一といち」と呼ばれる10日で1割という高利も当たり前の時代でしたので、かなりえげつないことが行われていたのは想像に難くありません。実際に病人の布団を剥いで取り立てたこともあるそうで、池田氏自身が「大蔵商事では一番いやな仕事をした。どうしてこんないやな仕事をするのかと思った」(継命新聞社・『社長会全記録 人間・池田大作の野望』)と述懐しているくらいです。その”体験”が「折伏大行進」に生かされたのではないか。そう思われても仕方ないでしょう。サラ金で社員にハッパをかけるのと同じように、「折伏」の進軍ラッパが鳴らされていたのかもしれません。

もっとも、この会員数はあくまで学会が公称した数字にすぎず、宗教学者の島田裕巳氏は、実際の会員数は2020年現在で177万人くらいではないかと言っていました。

組織の拡大を受けて、「国立戒壇」の悲願を達成するために政界進出をめざした池田氏は、1961年に創設された公明政治連盟を発展解消させて、1964年に公明党を作り、創価学会みずからが国会に議席を持つに至ったのでした。

躍進の立役者の池田大作氏は、その功績で神格化していきます。外部の人たちの中には、創価学会が日蓮正宗の信徒団体だと知らなかった人も多いのではないかと思いますが、それくらい学会の中では池田大作氏が教祖のように偶像視されていくのでした。

それに伴い、日蓮正宗本山との軋轢も表面化し、そして、1991年(平成3年)に創価学会は日蓮正宗から破門されるのでした。

では、現在の創価学会が信仰の対象にする「ご本尊」は何なのか。創価学会のサイトには次のように書かれていました。

創価学会では、日蓮大聖人が現した南無妙法蓮華経の文字曼荼羅を本尊としています。「曼荼羅」とは、サンスクリット語「マンダラ」(maṇḍala)の音写で、仏が覚った場(道場)、法を説く集いを表現したものです。

御本尊は、法華経に説かれる「虚空会の儀式」の姿を用いて現されています。

創価学会
創価学会とは(ご本尊)


■創価学会の”罪”と関連本


池田大作氏の死去に際して、岸田首相はみずからのX(旧ツイッター)に「御逝去の報に接し、深い悲しみにたえません。池田氏は、国内外で、平和、文化、教育の推進などに尽力し、重要な役割を果たされ、歴史に大きな足跡を残されました。ここに謹んで御冥福をお祈りするとともに、御遺族の方々および御関係の方々に対し衷心より哀悼の意を表します」と投稿したそうです。それに対して、ときの総理大臣が総理大臣名で一宗教団体の指導者の死に哀悼の意を表明するのは政教分離の原則に反するのではないかという声もありますが、彼らにそんなことを言っても馬の耳に念仏でしょう。もっとも、メディアの報道も、おおむね岸田首相の投稿と似たようなものなのです。

日本には、死者を鞭打つのは慎むべしという考えがありますが、それにしても、池田氏が率いた創価学会や公明党の”ざい”に関して、一片の言及もないのは異常です。創価学会の顧問弁護士を務めていた山崎正友氏(故人)らが暴露した、日本共産党の宮本顕治宅盗聴事件をはじめとする、創価学会が敵対する団体や個人に行った数々の謀略や工作にまったく触れてないのは、(あえてメディアの禁止用語を使えば)片手落ちと言わねばなりません。

手元の本の山の中から創価学会関連の本を探したら、『噂の真相』元編集長だった岡留安則氏(故人)の『武器としてのスキャンダル』(パシフィカ、のちにちくま文庫)と、『現代の眼』の編集長だった丸山実氏(故人)の『「月刊ペン」事件の内幕-狙われた創価学会』(幸洋出版)と、”池田批判”の嚆矢とも言うべき溝口敦氏の『池田大作「権力者」の構造』(三一書房、のちに講談社α文庫)が出てきました。

『武器としてのスキャンダル』には、公明党の初代委員長だった原島宏治氏の息子で、学会の教学部長を務め「学会きっての理論派といわれた」(同書より)原島崇氏(故人)が、山崎正友氏(故人)と組んで暴露した創価学会のスキャンダルと、それに伴って池田氏の国会喚問が与党内で浮上したことをきっかけに、公明党が自民党に接近した経緯などが書かれていました。

『「月刊ペン」事件の内幕-狙われた創価学会』(幸洋出版)では、創価学会を擁護する視点から、創価学会が行った言論弾圧事件のひとつである「『月刊ペン』事件」について書かれていますし、『池田大作「権力者」の構造』(三一書房)は、地道な取材に基づいて学会の“公式本”とは異なる視点から池田氏の半生を描いており、同書は上記のディリー新潮の記事の下敷きにもなっているのでした。

いづれまとめて(もう一度読み返して)紹介したいと思います。

また、竹中労氏も、創価学会系の総合雑誌『潮』に、牧口常三郎初代会長の生涯を描いた「牧口常三郎とその時代」を連載していて、それをまとめた『聞書庶民列伝/牧口常三郎とその時代』の4部作も持っていたのですが、それは引っ越しの際に散逸(処分?)してしまったようです。                 

ちなみに、竹中労氏は、『現代の眼』1983年3月号に書いた「駅前やくざは、もういない」(『左右を斬る』所収)という文章の中で、次のように書いています。

竹中氏は、「昭和33年の夏から34年の暮れにかけて、京浜蒲田から穴森線がカーブする、その線路際の六畳一間きりに棲んで」いたそうです。

 今日といえども、このあたりは東京都内では一、二を争う窮民街の様相を呈しています。小生の居住していたアパートは、すでに取り壊されて建てなおされ、それが早くもボロとなり果てている! さて、向こう三軒両隣のなんと四軒までが創価学会員でありまして(略)、しかも同じ工場に勤務していた。わが家の大家・差配も学会員、表に出るとてえと中華ソバ屋の若夫婦も、信心深き日蓮正宗なのです。
 とうぜん、夜討ち朝駆けの折伏です。マルクス・レーニン信じているとなどと言っても、許してくれるもんじゃない。「それが貧乏の原因だ」とおっしゃる、まことにその通り。
(略)けっきょく、折伏はうやむやになり、「学があるのに運がないんだワ」と、しまいには同情を集める身の上となりました。メシも喰わず(喰えず)、金に換える当てのない原稿を書いているところへ、稲荷ずしや菓子を差し入れてくれる。「ご本尊様にお願いしておきましたよ。きっと売れますよ」と声をかけて。涙がこぼれました、ホント。
 中華ソバ屋に至っては、小半年も出世払いにして貰ったのです。(略)もしこの親切を通りこした仏のごとき夫婦が存在しなかったら、小生は餓えて志を屈していたにちがいありません。
(『左右を斬る』幸洋出版)


また、別の箇所では、創価学会を擁護したみずからに寄せられた左派からの批判に、感情的とも言えるような反論をしている文章もありました。私も似たような経験がありますので、この文章に込められたヴナロードのような竹中労氏の気持もよくわかるのですが、ただ、個人的には”買い被り”という気がしないでもありませんでした。

上記の丸山実氏の本もそうですが、創価学会に対するネガティブな記事に対して、いわゆる”総会屋雑誌”でありながら新左翼系の総合誌という性格を持っていた『現代の眼』界隈では、まるで敵の敵は味方と言わんばかりに創価学会を擁護する(アクロバティックな)論調が展開されていたのは事実です。それを”奇妙な光景”とヤユする人もいたそうですが、しかし、岡留安則氏も竹中労氏も丸山実氏も既に鬼籍に入っています。もう今は昔なのです。

■身近にいた学会員たち


このブログでも何度も書いているように、私の田舎は九州の久住連山の麓にある山間の町ですが、中学の頃、クラスメートが夏休みに家族で富士山に登山すると言うのでびっくりしたことがありました。

今と違って、九州の片田舎から遠路はるばる富士山に登るというのは経済的な負担だけでも大変なことです。九州の山奥で暮らすクラスメートの家は決して裕福とは言えず、彼自身も中学を卒業すると関西方面に集団就職したくらいです。

山だったら、近くに久住連山や祖母傾山があるのに、どうしてわざわざ富士山に登りに行くのか。家に帰って親にその話をしたら、彼の家が創価学会の熱心な信者なので、それと関係があるんじゃないかと言っていました。今思えば、富士山ではなく、富士山の麓の富士宮市にある日蓮正宗の総本山の大石寺に参拝するということだったのかもしれませんが、何だか学校で習ったばかりのメッカ巡礼みたいな話だなと思いました。でも、日蓮正宗と絶縁した現在、創価学会の信者たちにとって、富士山はもう特別な山ではなくなったのでしょう。

九州の地元の会社に勤めていた頃、販売した商品のローンが滞った顧客の家を夜間に訪問したことがありました。その顧客は、自営で建築業だかをしていていました。国道から脇に入った田舎道を進み、さらに私道に分け入ると行き止まりの山の中腹に家がありました。しかし、家の外も中も、ゴミ屋敷とは言わないまでも思わず目を背けたくなるような荒れようでした。そんな家の中の裸電球の下に小学生くらいの子どもが3人がいるだけでした。

「お父さんは?」と訊いたら、出かけていると言うのです。「お母さんも出かけているの?」と訊いたら、急に表情が暗くなり「お母さんはいない」とポツリと言ったのでした。それで、「これをお父さんに渡してね」と言って、名刺を渡して帰りました。

同じ集落の人に聞いたら、創価学会の活動にのめり込み、「あんな風になった」と言っていました。奥さんは、宗教活動が原因かどうかわからないけど家を出て行ったそうです。一方で、創価学会の会員の人に聞くと(と言っても会社の事務員の親ですが)、「あの方は凄い人ですよ」と言っていました。何でも地区のリーダーみたいな人だそうで、事務員の親も「先生」と呼んでいました。

竹中労氏が書いているような話も事実なら、この「地区のリーダー」の話も事実なのです。と言うか、こういう話は当時はめずらしくなかったのです。世間ではそれを「宗教にのめり込む」というような言い方をしていました。

■会員の高齢化と創価学会の正念場


今から20年以上前に、仕事で新宿の四谷三丁目によく行っていたのですが、四谷三丁目の交差点には、いつもイヤホンをした男性が立ってあたりに鋭い視線を放っていました。私は公安の刑事なのかと思ったのですが、取引先の会社の人に聞くと創価学会の職員なのだそうです。知り合いは、信濃町の舗道で写真を撮っていたら、創価学会の職員らしき人物から「どうして写真を撮っているんだ?」と詰問されたそうです。「ここは天下の公道だろうが!」と怒鳴りつけたら、睨みつけながら去って行ったと言っていました。

また、別の知り合いの女の子が信濃町の路地の奥のマンションに住んでいたのですが、深夜、車で女の子を送って行くと、あちこちの路地の暗がりに揃いのジャンパーを着た男が立っているのです。「あれは誰?」と訊いたら、やはり、創価学会の職員だということでした。女の子は「あの人たちが警備しているから安心よ。助かっているわ」と呑気なことを言っていましたが、私は薄気味悪く感じてなりませんでした。

四谷三丁目のあたりには、信濃町の創価学会の本部を訪れた信徒の女性たちがよくグループで地下鉄の駅に向かって歩いていましたが、当時でも40~60代くらいの中高年の女性が多かったので、今はもっと高齢になっているに違いありません。公明党の選挙で一番手足となって動くのは婦人部だそうで、婦人部の高齢化が公明党の集票力の衰退の要因になっているという指摘もあります。

2019年と2022年の参院選の比例の得票数を比べると、2019年は653万票で2022年は618万票です。比例のピークは2005年の衆院選の898万票で、以後減少傾向を辿っているのでした。あと10年もすれば公明党の存立そのものに関わるほど、さらに深刻化しているかもしれません。

ユダヤ人と同じで、創価学会の信者が社会のさまざまな組織の中枢にいますので、未だに「鶴タブー」が存在しているのでしょうが、しかし、時代が変わり世代交代が進めば、ジャニーズや宝塚歌劇団と同じように、「鶴タブー」もタブーでなくなる日が来るかもしれません。バカバカしい話ですが、メディアなんて所詮はそんなものです。

タブーがなくなれば、創価学会は正念場を迎えるはずです。それとともに、池田大作氏も”ただの人”になっていくのかもしれません。

■創価学会の原点


人々が宗教にすがるのは、貧困と病気と家庭の不和だと言われますが、とりわけ創価学会には貧困と病気と家庭の不和に直面した地べたの人たちが多く、そのため共産党と競合し、単にイデオロギーからだけでなく日常活動においてもしのぎを削るライバルになったのだという指摘があります。

竹中労氏が言うように、牧口常三郎氏にはそんな創価学会の原点とも言える”下”の視点があり、宗教家としてのカリスマ性がありました。しかし、池田氏の場合は、大蔵商事時代の「取り立て屋」としての”成功体験”が信仰上のエポックメイキングになっているような気がしてなりません。そのため、宗教家というよりオルガナイザーといった感じで、溝口敦氏も『池田大作「権力者」の構造』の中で、池田氏は「宗教者に見られる精神の高貴さや気品に欠ける」と書いていましたが、ときに「痛く」見えるほど成金で俗っぽいイメージが強いのはたしかです。そんな池田氏も信者からは「先生」と呼ばれていたのでした。

ただ、断っておきたいのは、戸田城聖氏も長女と妻を相次いで亡くした上に自分も結核に冒され、宗教に(最初はキリスト教に)救いを求めたのは事実だし、池田大作氏も貧困と病気の中で絶望的な10代を送りながら、親孝行するために真面目に必死に生きてきた中で、宗教に救いを求めたのは事実なのです。そのことは否定できないのです。

そして、戸田氏は30歳のときに牧口常三郎氏とともに創価学会を設立し、池田氏は19歳でその創価学会と出会うのでした。それは、日蓮正宗の教学とは異なる、彼ら自身が作り上げた人生哲学(生きるしるべ)ともいうべきものです。彼らは、それに不幸を絵に描いたような、みずからの人生の救いをみずからで求めたのです。創価学会が下層の人々の信仰を集めたのもむべべなるかなと言うべきでしょう。
2023.11.21 Tue l 社会・メディア l top ▲
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■国際法違反のシファ病院突入


12日に、WHOと国連人口基金とユニセフの国連三機関が共同で、ガザ北部にあるシファ病院をはじめとする病院への攻撃を停止するための「緊急行動」を求める声明を、国際社会に向けて出したばかりですが、イスラエル軍はそれをあざ笑うかのように、15日未明、シファ病院に突入したのでした。国連三機関の声明はまさに悲鳴にも似た悲痛な訴えだったのですが、”狂気”と化したイスラエルには通じなかったのです。

朝日新聞は、病院突入は「国際法違反の可能性がある」と書いていましたが、誰がどう見ても、戦時における「傷病者、難船者、医療組織、医療用輸送手段等の特別の保護」を定めるジュネーヴ条約及び追加議定書の違反であることはあきらかです。

しかし、イスラエルがターゲットにしているのは医療機関だけではありません。難民キャンプや学校も無差別に空爆しているのです。

また、イスラエルの空爆による死者は、ガザの北部だけではなく南部でも多く発生しているのでした。北部から南部への避難を促すイスラエルの警告も罠の疑いさえあるのです。国連人権問題調整事務所(OCHA)が発表した11月9日現在のデータによれば、イスラエルの空爆で亡くなったガザの住民は10,818人で、それをおおまかに北部と南部に分けると、北部は7,142人(66%)、南部は3,676人(34%)です。南部に避難すれば安全というわけではないのです。

シファ病院には600~650人の入院患者と200~500人の医療従事者、それに約1500人の避難民が残っていると言われますが、既に地上侵攻後、医療従事者16人を含む521人が死亡したと言われています。

エルサレムからの共同電によれば、病院に残る医師は、アルジャジーラの電話取材に、突入したイスラエル軍によって、「多くの避難者が軍に拘束され裸にされた」「手錠をされた上、目隠しで連れて行かれた」と語ったそうです。

病院には電気が供給されておらず、子どもたちは麻酔もないまま手術を受けていると報じられていますが、そんな中に武装したイスラエル兵が突入して、避難している人たちを次々と連行したのです。

ガザではこの1ヶ月のイスラエル軍による爆撃で既に1万人以上が死亡し、そのうち半数は子どもだそうです。

『エコノミスト』(11月21・28日号)の「絶望のガザ」という特集の中で、福富満久氏(一橋大学教授)は、「今、私たちが目にしているパレスチナと中東の問題は、恣意的に権力を行使して好きなように振る舞う欧米諸国に対する憤りの表出であり、屈辱を受けてきた者たちの反乱なのである」と書いていました。

ここに来て、パレスチナ人差別をホロコーストの贖罪に利用した欧米の欺瞞と矛盾もいっきに噴き出した感じです。イスラエルの蛮行に反対する人たちは、同時に欧米も同罪だと非難しているのです。

しかし、アメリカは今なお、シファ病院の地下がハマスの司令部になっているというイスラエルの主張に同調し、イスラエルの蛮行を容認する姿勢を崩していません。

■司令部があれば病院を攻撃していいのか


私は、イスラエルの主張を聞いて、映画「福田村事件」の中で、行商人たちが(朝鮮人ではなく)日本人かも知れないので、鑑札の鑑定の結果を待とうではないかと村人たちを説得する村長に対して、「朝鮮人だったら殺してもええんか?」と村長に詰め寄った行商人のリーダーの沼部新助の言葉を思い浮かべました(その直後、沼部新助は、頭上に斧が振り下ろされ惨殺されるのですが)。じゃあハマスの司令部があれば病院を攻撃していいのかと言いたいのです。

もっとも、イスラエルが公表した映像もずいぶん怪しく、司令部と言うには自動小銃や手榴弾があるだけのしょぼい装備で、せいぜいが兵士の隠れ家と言った感じでした。ずらりと並べられた自動小銃も、撮影のために置かれたのは間違いなく、病院の地下室にあったという証拠にはならないのです。

映像に映っているのは病院とは違う場所なのではないかと話す病院関係者さえいるのでした。また、イスラエルが主張していた地下通路も映像には出ていませんでした。中には、MRIの裏に武器を隠していたという、(テレビドラマの観すぎのような)わざとらしい映像もありました。

そのため、欧米のメディアでも、イスラエルの主張には説得力がないという受け止め方が大半だそうです。しかし、このお粗末なプロパガンダがガザの地上侵攻の口実に使われ、多くの命が奪われることになったのです。

■ヨーロッパに広がる反ユダヤ主義


イスラム研究者の同志社大学大学院教授・内藤正典氏のX(旧ツイッター)には、胸を締め付けられるようなパレスチナ難民たちの動画がアップされていますが、下の動画もそのひとつです。この動画に内藤氏は、「子どもにこんな恐怖を与えるな」とコメントを付けていました。


ヨーロッパではユダヤ人に対する嫌がらせや暴力が広がっているというニュースがありましたが、イスラエルの”狂気”がシオニズムに由来するものである限り、反ユダヤ主義に結び付けられるのは仕方ない面もあるように思います。ユダヤ人というのは、〈民族〉というよりユダヤ教徒を指す言葉なのですが、ユダヤ人=ユダヤ教徒=シオニズム=イスラエルの蛮行という連想には、根拠がないわけではないのです。

こんなジェノサイドを平然と行うユダヤ教やそれを心の拠り所にするユダヤ人って何なんだ、ナチスと同じじゃないかと思われたとしても、それを咎めることはできないでしょう。もちろん、だからと言って、ユダヤ人=ユダヤ教徒がみんなイスラエルの蛮行を支持しているわけではありません。

ホロコーストの贖罪から無条件にイスラエル(シオニズム)を支持してきたドイツは、それ故にイスラエルの蛮行を前にしてもただ傍観するだけです。イスラエルに負い目があるヨーロッパは、この歴史のアイロニーに、なす術もなく見て見ぬふりをしているのです。それどころか、ドイツに至っては、国内での反イスラエルのデモを禁止しているくらいです。

ホロコーストの犠牲になったユダヤ人が、今度はパレスチナ人に対して自分がやられたことと同じ民族浄化ジェノサイドを行っているのですが、この不条理が「ユ ダヤ人は神から選ばれた民であり、メシア(救世主)に救済されるのは選民であるユダヤ人だけである」というユダヤ教の教義に内在する選民思想=差別の構造に起因するものであることを認識しないと、イスラエルの”狂気”を正しく理解することはできないでしょう。リベラル派が言うように、イスラエルの蛮行と「ユダヤ人問題」を切り離すことはできないのです。

欧米を中心とする国際社会が求めている「共存」は共存ではありません。イスラエルへの「隷属」です。欧米が地図に定規で線を引いて中東を分割し、それを王族をデッチ上げて捏造した絶対君主制の国に配分した、帝国主義列強による中東政策の固定化にすぎません。イスラエルはその延長上にあるのです。しかも、そのイスラエルがいつの間にか核を保有する軍事大国=怪物になり、コントロールが利かなくなってしまったのです。

■アメリカの凋落


1年ぶりに対面での米中首脳会談がはじまりましたが、日本のメディアでは、経済的な苦境に陥った習近平政権が背に腹を変えられずバイデン政権に泣きついたみたいな報道が主流です。しかし、それは対米従属の見方にすぎず、実際は逆でしょう。中国には、来年の大統領選挙でほとんど勝ち目がない、ヨボヨボのバイデンと交渉するメリットはないのです。案の定、アメリカは、「デカップリング(供給網などの分離)を模索しない」(イエレン米財務長官)と、日本などをけしかけて「明日は戦争」のムードを作ったあの対中強硬策はどこに行ったのかと思うほど、会談前から中国に媚びを売っているのでした。前から言っているように、「明日は戦争」は、日本など対米従属の国に型落ちの兵器を売りつけるセールストークだったのです。

今回のガザへの地上侵攻においても、アメリカの凋落は惨めなほどあきらかになっています。イスラエルがまったく言うことを聞かないので、アメリカは後付けでイスラエルの行為を追認して、みずからの影響力の低下を糊塗しているようなあり様です。

そこにあるのは、超大国の座から転落してもなお、精一杯虚勢を張ろうとするアメリカのなりふり構わぬ姿です。もとより、ロシアがウクライナを侵攻したのも、イスラエルが強気な姿勢を取り続けるのも、そんなアメリカの凋落を見通しているからでしょう。

■「人道主義」という言葉


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https://twitter.com/MirTaqi_

”狂気”と化したイスラエルの蛮行はもう誰にも止められないのです。国連安保理が停戦決議を採択しても、今まで何度も国連の決議を無視してきたイスラエルにとってはカエルの面にションベンです。

ただ、イスラエルの蛮行がエスカレートすればするほど、イスラエルは世界で孤立し、反ユダヤ主義が広がり、アメリカの権威の失墜、凋落が益々顕著になり、ヨーロッパの分断と混乱が増し、そして、世界の多極化がいっそう進むのです。その先にあるのは、グローバルサウスの台頭に見られるように、アメリカなき新たな世界秩序です。

しかし、そんな「国家の論理」とは関係なく、私たちには平和や人権といった絶対に譲れない私たち自身の論理があるはずです。国連三機関の悲痛な訴えはイスラエルやユダヤ人には通じなくても、世界の世論には通じたと信じたい気がします。でないと、「人道主義」という言葉は死語になってしまいます。”西欧的理念”が崩壊した現在、空爆を受けた子どもの膝の震えに目を止めることができる人々の怒りと悲しみの感情と意思だけが理性の最後の砦なのです。
2023.11.16 Thu l ウクライナ侵攻 l top ▲
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(写真AC)



■「管理鳥獣」に指定


昨日、環境大臣の指示で、環境庁が「捕獲や駆除のための交付金の対象となる『指定管理鳥獣』にクマを追加する検討を始めた」という報道がありました。

朝日新聞デジタル
クマ捕獲の資金支援拡大を 「指定管理鳥獣」化へ環境相が検討指示

これは、連日、熊出没のニュースが流れている北海道と東北地方の知事会からの要望を受けてのものです。

「管理鳥獣」に指定されれば、イノシシやニホンジカと同じように、捕獲や駆除のために交付金がつくことになるそうです。

2014年に従来の鳥獣保護法から、農林水産業などに害を与える鳥獣については、適正な数に減らすことができるように定めた鳥獣保護管理法に法律が変わったのですが、その対象となる「管理鳥獣」に熊も加えようというわけです。

鳥獣保護管理法の成立に伴い、奥多摩には町主導で鹿肉加工場が作られたのですが、もしかしたら昔の”野蛮な時代”のように、熊肉もジビエとして売買されるようになるのかもしれません。

メディアは、知事たちが熊対策のための「財政支援」を要望したと曖昧な表現で報じていますが、鳥獣保護管理法に基いた「管理鳥獣」の指定というのは、駆除の解禁であり、そのために交付金を支給するということです。

具体的には、鳥獣保護管理法で定められている「捕獲の禁止」や「捕獲した鳥獣の放置の禁止」や「夜間銃猟の禁止」の適用が外されるのです。つまり、熊に対しても、捕獲していいし、捕獲した熊を今のように山に離さなくていいし、夜狩猟することも可能になるのです。「管理鳥獣」指定の眼目は駆除なのです。そして、奥多摩の鹿肉加工場のような、駆除や処理に関連する事業に対して交付金が支給されるようになります。また、駆除の実務を担う鳥獣ハンターが高齢化しているため、「管理鳥獣」に関しては、一定の条件をクリアした企業や団体が(営利目的で)駆除することも認められているのでした。

■熊の絶滅を招いたハンターの密猟


熊(ツキノワグマ)は、私の田舎の九州では既に絶滅しています。四国も現在生存している個体は10数頭と言われており、絶滅が危惧されています。と言うか、このままでは絶滅するのは避けられないでしょう。

西日本で熊が減少した要因のひとつとして上げられているのは、ハンターの密猟です。熊に限らず、1990年代までハンターによる密猟が横行していたそうです。

昔は狩猟が盛んで、私の家は写真館でしたが、狩猟免許の切り替え時期になると、更新用の写真を撮る人たちが引きも切らず来ていました。実家は久住連山の麓の温泉町にありましたが、近所には自転車屋を兼ねた銃砲店もあったくらいです。

でも、そういう人たちは東日本で言うマタギのような狩猟を生業にする人たちではなく、有害鳥獣の駆除という建前のもと、趣味で(遊びで)狩猟をする人たちでした。当時は、山に登ることと山で狩猟をすることが地元の人たちのレジャーだったのです。

■すべては人間の都合


熊が人里に現れるようになったのは、林業の衰退で森林の管理が行き届かず、森林が荒廃したのに加えて、山に入る人間も少なくなったために、熊の行動範囲(生息域)がおのずと広がって、熊と人里の住民との距離が近くなったからだと言われています。

特に今年は、熊が好むドングリの木であるブナやミズナラが不作のため、冬眠するための栄養補給に窮して食べ物を求めて里に下りてきたという背景もあるようです。

しかし、そういったことも含めてすべては人間の都合によるものです。にもかかわらず、「管理鳥獣」に指定され、交付金まで出して駆除が奨励されるのは、熊にとっては受難以外の何物でもないでしょう。

本州に生息するツキノワグマに限って言えば、現在の個体数は12000頭前後と言われています。特別天然記念物に指定されているニホンカモシカは全国で約10万頭いるそうですから、熊の個体数がいかに少ないかということがわかります。それなのに、さらに個体数を減らそうというのです。

記事にあるように、10月末の時点で150件の人身被害はたしかに多いとは思いますが、しかし、その対策がハンターを使った(そして、実質的な"報奨金"を伴った)駆除というのでは、あまりにも短絡的で野蛮な自然保護に逆行する発想だとしか言いようがありません。人間にとって、熊は憎むべきかたきなのかと思ってしまいます。

■登山道ではよほどのことがない限り熊と遭遇しない


私は、山に登るときはいつも一人ですが、今まで熊に遭遇したのは1回だけです。それも登山道を外れたときに会いました。ただ、奥多摩や秩父あたりでは、熊の痕跡を見かけることはめずらしくありません。

私たちは熊の生活圏に入るのですから、安全のためには彼らの痕跡を知ることが大事だし、その知識も必要なのです。メディアは、あたかも「人食い熊」が出没しているかのようにセンセーショナルに報じていますが、人身被害の大半は事故と呼んでもいいようなものです。

登山者が登山中に襲われたという事例は、最近北海道でありましたが、今まではほとんど聞いたことがありません。登山道を歩いていれば、よほどのことがない限り、熊と出会うことはないのです。と言うか、実際は出会っているのですが、熊も人間が通る道だということがわかっているので、逃げるか、身を隠すかしているのです。だから、熊鈴や笛やラジオなど音の出るもので、人間が通ることを熊に知らせる必要があるのです。

被害に遭った人の話でも、「突然現れて襲い掛かってきた」というケースが大半ですが、それは鉢合わせになったということです。鉢合わせになれば、熊だけでなく、犬だって人間だって誰だってびっくりしてパニックになることはあるでしょう。臆病な動物なので、びっくりするとよけい興奮するのでしょう。だから、鉢合わせを避けるために、自分の居場所を知らせることが大事なのです。

それよりも、春先に仔熊に遭遇することの方が怖い気がします。私自身も、仔熊の鳴き声を聞いて、あわててその場から立ち去ったことがありました。知らないうちに仔熊と母熊の間に入ると、仔熊を守ろうとする母熊から襲われると言われていますので、仔熊を見かけたときが一番危険と言えば危険と言えるでしょう。

■自分たちのマナーの問題を熊に転嫁する身勝手な人間たち


私は、普段、熊鈴以外にも首から笛を下げていて、見通しの悪いところを歩くときなどは必ず笛を吹くようにしています。

秩父などの小学校では、登下校する子どもたちが熊鈴を鳴らしていますが、ハイカーの中には、熊鈴がうるさいと顔をしかめたり、熊鈴を鳴らすと逆に熊をおびき寄せることになるなどと、ヤフコメ民みたいなことを言う手合いがいるのです。事故を防ぐには、そういったハイカーの非常識や無知を問題にする方が先決ではないかと思います。

また、山頂でお湯を沸かしてインスタントラーメンを食べたり、持って来た弁当を食べたりした際に、食べ残したものをちゃんと持ち帰っているのかという疑問もあります。山頂や休憩場所の藪の中などに入ると、あちこちにティッシュが捨てられているのを見かけますが、その程度のマナーしかないハイカーたちが、食べ残したものを持ち帰っているとはとても思えません。

どうしてこんなことを言うのかと言えば、人間が食べ残したものを食べることで、熊が人間の食べ物の味を知ることになるからです。あれだけの大きな哺乳類の動物なのですから、私たちが想像する以上に賢くて学習能力が優れているのは間違いないでしょう。

前に上高地の小梨平のキャンプ場で、夜間、ゴミ箱を漁りに来た熊によって人身事故が発生したのですが、その熊は人間の食べ物の味を知ってしまった可哀想な熊とも言えるのです。被害に遭ったハイカーは、「熊に申し訳ない」と言って、『山と渓谷』誌などで事故を検証した文章を発表していましたが、野生動物と共存するためには(お互いに不幸にならないためには)野生動物に対する正しい知識と人間も自然の一員だという謙虚な姿勢が求められているのです。

ましてやハンターや山仕事や渓流釣りの人たちは、食べ残したものを持ち帰るなどというマナーははなからないのです。彼らを啓蒙することも必要でしょう。

また、ウソかホントかわかりませんが、山中に放置された鹿の肉などを食べることによって熊が肉の味を覚え、肉の味を覚えた危険な熊が人里に近づいてくるようになったという話もありますが、鹿の死体を放置するのはほかならぬハンターたちです。

私も山で地元のハンターに会ったことが何度かありますが、彼らは一般車が通行禁止の林道を軽トラに乗って奥の方までやって来ると、GPSのアンテナを装着したロボットのような猟犬を連れて山に入って行くのでした。しかも、俺たちは山の主だと言わんばかりの横着な爺さんが多いのでした。発砲音が聞こえると、爺さんに間違って撃たれるのではないかと不安になります。よく木に「発砲注意」と書かれた札が下げられていることがありますが、「落石注意」と同じでどう注意すればいいんだと思うのでした。

「マタギの文化」をまるで古き良き時代の習俗のように持ち上げ、熊と格闘した(?)マタギをヒーローのように伝説化する登山関係者も多いのですが、マタギによる野放図な狩猟が熊の減少につながったということも忘れてはならないのです。

山菜取りの人間が熊の被害に遭うことが多いのは、道を外れて普段人が足を踏み入れない奥に入り、山菜を探すのに夢中になるからで、彼らは熊鈴さえ持ってないケースが多いのです。あれでは熊と鉢合わせになり、パニックになった熊から襲われることはあり得るでしょう。

運不運もありますが、多くは人間の側の問題なのです。それを熊のせいにして、僅か12000頭しかいない熊を行政がお金が出してまで駆除しようというのです。

そこにあるのは、「人食い熊」の出没みたいなメディアの無責任でセンセーショナルな報道と、それに連動した地元の政治家たちのポピュリズムと、ヤフコメに代表されるような最低の日本人の「脊髄反射」(古い?)による無見識な世論だけです。自然の保全や鳥獣保護や野生動物との共存などというのは、高尚な現実離れした考えのように言われ一笑に付されるだけなのでした。

エコバックを持って買い物に行き、パンダが可愛いと大騒ぎして、自分の家の犬や猫を溺愛する者たちが、熊のことになると目を吊り上げて、「人食い熊」は殺せと叫んでいるのです。

何と傲慢で野蛮で身勝手な人間たちなのでしょうか。私は熊が不憫に思えてなりません。


関連記事:
熊に襲われた動画について
2023.11.14 Tue l l top ▲
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Wikipediaより



■スラヴォイ・ジジェクの投稿


私は前にユヴァル・ノア・ハラリの「ワシントンポスト」への寄稿について、彼も単なるシオニストにすぎなかったと書きましたが、現代の思潮をリードする知識人のお粗末さ(政治オンチぶり)は彼だけではないのです。

ラジカルな左派系の論客と知られるスラヴォイ・ジジェクの投稿が、『クーリエ・ジャポン』に出ていましたが、これが「古き良き」プロレタリア独裁や反議会主義を提唱するラディカリストの言葉かと思うと、みじめさしか覚えません。

クーリエ・ジャポン
ジジェク「パレスチナ人への同情と反ユダヤ主義との戦いは両立できる」

彼は、「故郷の地にとどまることを否定されたパレスチナ人と、同様の経験が民族の歴史に刻まれているユダヤ人が、奇妙に似通っている」と言います。そして、それを前提にして、言うなれば左右の過激派を排除した上で、穏健なパレスチナ人とユダヤ人の共存は可能だと主張するのでした。

でも、私は、ちょっと待てよと言いたくなりました。パレスチナ人が「故郷の地にとどまることを否定された」のはイスラエルが建国されたからです。ユダヤ人に土地を奪われて追い出されたからなのです。それなのに、パレスチナ人とユダヤ人の二つの民族の歴史(境遇)が「奇妙に似通っている」だなどとよく言えるなと思います。「奇妙」もクソもないのです。スラヴォイ・ジジェクが言っていることはメチャクチャなのです。

イスラエルのエフード・オルメルト元首相によれば、同国の進むべき道とは、ハマスと戦いつつも、反ユダヤ主義に陥らず、交渉の準備もあるパレスチナ人たちにアプローチしていくことだ。イスラエルのウルトラナショナリストたちの主張とは異なり、そのようなパレスチナ人もたしかに存在する。
(略)
すべてのイスラエル人が熱狂的なナショナリストでもなければ、すべてのパレスチナ人が熱狂的な反ユダヤ主義者でもないという事実の理解は、邪悪さの噴出をもたらす絶望と混乱を正しく理解することにつながる。故郷の地にとどまることを否定されたパレスチナ人と、同様の経験が民族の歴史に刻まれているユダヤ人が、奇妙に似通っていることに気づくだろう。


スラヴォイ・ジジェクは、「ハマスとイスラエルのタカ派は、同じコインの裏表である」と言います。そして、「我々はテロ攻撃に対するイスラエルの自国防衛を無条件で支援することができるし、またそうすべきでもある。しかしながら、ガザ地区を含むパレスチナ自治区のパレスチナ人たちが直面する真に絶望的な状況にも、我々は無条件で同情せねばならない」と言い、さらには「こうした立場に『矛盾』があると考える人は、事実上、問題の解決を妨げているのと同じである」とさえ言うのでした。

この投稿はガザへの地上侵攻の前に書かれたのだと思いますが、それを割り引いても、この陳腐な言葉の羅列には唖然とせざるを得ません。誰がどう考えても、彼が言っていることは「矛盾」があるでしょう。

そこには、ユダヤ教=ユダヤ人問題の根本にあるシオニズムの問題や、ハマスが2006年のパレスチナ立法評議会選挙で多数を占めたという事実や、ガザにおけるハマスの存在が「パレスチナにおける最大の人道NGO(非政府機関)」(高橋和夫氏)と言われるほど、ガザの民衆に支持されている現実に対する言及はどこにもないのです。

■PLOの腐敗


ハマスを掃討したあとにガザの管理をどうするかについて、イスラエルは直接統治をほのめかしていますが、その理由として、ヨルダン川西岸を統治するPLOがあまりに腐敗していることを上げているのでした。日本政府も、同じ理由からガザをPLOに任せることはないだろうと見ているという報道がありました。イスラエルや日本政府でさえもそう言うくらいなのです。

そもそもPLOはパレスチナ立法評議会選挙で敗北したにもかかわらず、その後、自治政府の連立を組むハマスをアメリカやイスラエルの支援を受けてクデーターでガザへ追い出したという経緯があるのでした。

にもかかわらずスラヴォイ・ジジェクは、「平和共存」の障害になる「テロリスト」のハマスと現在のネタニヤフ政権を含むイスラエルのタカ派を排除した上で、パレスチナ問題を解決すべきだと主張するのでした。漁夫の利を狙うPLOにとっては願ったり叶ったりの「提案」でしょうが、その政治オンチぶりには二の句が告げません。

イスラエルには、ネタニヤフよりももっと強硬な民族浄化を主張する勢力が存在し、支持を広げているという現実があります。多くのユダヤ教徒=ユダヤ人たちが依拠するシオニズム思想が、今回の”集団狂気”を呼び起こしている構造(「ユダヤ人問題」の基本中の基本)も忘れてはならないのです。シオニズムはどんな政治的主張より優先されるべきドグマなのです。ジジェクはそれがまるでわかってないと言わざるを得ません。

■パレスチナ人差別を肯定した左翼


東浩紀などもそうですが、机上の論考ではそれなりの言葉を使っているものの、現実の政治を語るようになると、途端にヤフコメ民とみまごうような陳腐で低レベルの言葉になってしまうのでした。それは、世間知らずというだけではなく、現実の政治に対する知識があまりに陳腐で低レベルだからでしょう。

もともとイスラエルの入植地の拡大に使われたキブツについても、左翼はキブツに原始共産制を夢見て”理想”と”希望”を語っていたのです。当時の左翼には、キブツの背後にパレスチナ人の悲劇があるという認識すらなかったのです。それは驚くべきことです。

当時の左翼は、パレスチナ人差別をユダヤ人に対する贖罪に利用することに何の疑問を持ってなかったのです。その過程において、現在のガザのジェノサイドと同じことが行われたことに対しても彼らは目を瞑っていたのです。その一方で、プロレタリアート独裁や革命を叫んでいたのです。まさにスラヴォイ・ジジェクは、当時の左翼と(二周も三周も遅れて)同じ轍を踏んでいると言えるでしょう。

それどころか、左翼ラディカリストのスラヴォイ・ジジェクが主張する「排除の論理」は、今のガザの殲滅作戦=ジェノサイドを肯定することにつながるものであると言ってもいいでしょう。もとよりそれは、スターリン主義に架橋されるような言説であるとも言えるのです。単にトンチンカンと笑って済まされるような話ではないのです。
2023.11.13 Mon l パレスチナ問題 l top ▲
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パレスチナの女の子(写真AC



■田中龍作ジャーナルの写真


田中龍作ジャーナルに下記のような悲惨な写真が掲載されていました。思わず目をそむけたくような写真ですが、これが今ガザで行われていることであり、決して私たちは目をそむけてはならないのです。

田中龍作ジャーナル
【パレスチナ報告】イスラエル軍は子供をピンポイントで爆撃した

しかし、日本のメディアでは、こういった画像を掲載する際、必ずボカシを入れて、悲惨な部分がわからないように加工するのが一般的です。目をそむけるも何も、最初から目をそむけないで済むように手が加えられているのです。

ニュース映像でも、日本はアナウンサーや声優がナレーションを入れたりして編集したものを流しますが、アメリカのテレビなどは、爆撃の衝撃音や人々の泣き叫ぶ声など、現地の生の音をそのまま流すケースが多いそうです。

そのためかどうか、ガザのジェノサイドに対しても日本の世論は反応が鈍く、結局は「どっちもどっち論」に逃げているだけです。“卑怯な傍観者”に徹し、そんな自分を「どっちもどっち論」で合理化しているだけなのです。もとより、メディアの報道も、最初から「どっちもどっち」を予定調和にしたものばかりです。

■「どっちもどっち論」の論拠


今日の朝日新聞に、イスラエルのネタニヤフ首相の支持率が低迷しており、ネタニヤフ支持だった新聞も、とうとうネタニヤフ氏に「辞任要求」したという記事が出ていました。

朝日新聞デジタル
ネタニヤフ首相の支持率低迷、地元紙も退場勧告 国民がいらだつわけ

私は、ガザ侵攻を始めたネタニヤフ氏に対して人心が離れているのかと思ったらそうではなく、ひと月経つのに「人質解放」という戦果が得られてないネタニヤフ氏のやり方に批判が集まっているということのようです。読み方によっては、ジェノサイドが手ぬるいと言っているようにも読めるのです。

アメリカの若者たちがパレスチナ支持の運動を始めたのは、スタンフォード大学の学生が発端だそうですが(その背景には、オキュパイ運動の継承があると私は思っていますが)、そんなスタンフォード大学の学生に対して、ユダヤ人の大物企業家たちが、反イスラエルの学生は自分たちの会社に「就職させない」と脅しをかけているそうです。そして、運動に参加した学生の個人情報を収集して、それを公開しているという話さえあるそうです。もはやファッショと言ってもいいようなひどい話ですが、でも、日本のメディアはそのことについても、ユダヤ人企業家の脅しに「学生たちの心が揺れ動いている」というような報道の仕方をするのでした。

「どっちもどっち論」を唱える日本のリベラル派は、イスラエルの蛮行と「ユダヤ人問題」は切り離して考えるべきだと言うのですが、このようにナチに迫害されたユダヤ人たちが今度はパレスチナ人たちに対するジェノサイドを無条件に支持し、それに反対する人間たちに脅しまでかけているのです。それがシオニズムがカルト思想であるゆえんですが、にもかかわらず「ユダヤ人問題」は切り離して考えるべきだというのは、ナチスのホロコーストで時計の針が止まったままのお花畑の論理としか言いようがありません。

また、アメリカでユダヤ人やユダヤ教の関連施設に対する嫌がらせや暴力行為などが頻発していることに対して、ユダヤ教の礼拝所の代表が「世の中は“善人か悪人か”というシンプルなストーリーを求めている。しかし実際はそんな単純な話ではない」と言ったことを取り上げて、それを「どっちもどっち論」の論拠にしている人たちもいますが、もちろん、今、私たちの目の前にある”狂気”が、そんな耳障りのいい常套句で済ませるような「単純な話ではない」ことは言うまでもありません。イスラエルのジェノサイドの現実を見て(また、上の子どもの死体の写真を前にして)、よくそんな呑気なことが言えるなと思います。

何度もくり返しますが、ジェノサイドの背景にあるのがユダヤ人のシオニズム思想であり、その根本(ど真ん中)にあるのが「ユダヤ人問題」なのです。普通に考えても、今のジェノサイドと「ユダヤ人問題」を切り離すことなどできないし、できるはずもないのです。

イスラエルの政治家たちがパレスチナ人を「ヒューマン・アニマルズ」(動物のような人間)と呼ぶのは、彼らが「右派」政治家だからではないのです。シオニスト(ユダヤ教徒)だからなのです。その根本にあるのは(世俗主義としての)ユダヤ教の問題なのです。

2千年の流浪の歴史や600万人が犠牲になったホロコーストの受難の歴史を含めて、ユダヤ教徒たちの存在証明レーゾンデートルであるシオニズムと、彼らが今憑りつかれている”狂気”の関係を、一切のタブーを排して考える必要があるでしょう。

■”無責任の共犯関係”


それにしても、日本はどうしてこんなに、他人の悲劇や不幸に鈍感な国になったんだろうと思わずにおれません。あれだけの大震災を相次いで経験したのに、この鈍感さはどこから来るのか。

もっとも、未曾有の原発事故に遭遇しても、結局世論は元の木阿弥を求めたのです。まるで政治家が世論を無視して勝手に原発の再稼働をはじめたみたいに言いますが、そうではありません。事故後の選挙などを見ても、民意はあきらかに元の木阿弥を選択したのです。その方が”被害者”として居心地がいいからでしょう。過去の戦争でもそうでしたが、自分たちは加害者ではなくあくまで可哀想な被害者でいたいのです。その方が責任を問われなくて済むからです。そうやって”無責任の共犯関係”が結託されるのです。

田中龍作ジャーナルに載っているような画像を流せば、この鈍磨な世論も少しは変わるかもしれません。報道の自由度68位(2023年)のメディアが糞なのは重々承知の上であえて言えば、だから、日本のメディアは、報道倫理や人権報道を盾に、素の画像を掲載しないのかもしれないのです。

私は、むしろそっちの方がおぞましく覚えてなりません。
2023.11.10 Fri l パレスチナ問題 l top ▲
女帝小池百合子



何故か文春オンラインに、小池百合子都知事の学齢詐称問題に関して、『女帝 小池百合子』の著者の石井妙子氏の記事がアップされていました。

文春オンライン
テレビ番組で「大胆不敵すぎる嘘」をついた瞬間も…政治家・小池百合子が語ってきた「華麗なる経歴のほころび」

「選挙もミニスカートで通します」と宣言…40歳で政界入り、小池百合子が見せたライバルへの「容赦ない攻撃」

「小池百合子さんはカイロ大学を卒業していません」かつての“同居人”が実名証言を決意した理由とは

小池百合子都知事の「学歴詐称疑惑」に元同居人がカメラの前で覚悟の実名証言をした

2020年に発売になった『女帝 小池百合子』が文庫に入ったので、その販促のためなのかと思いましたが、販促にしては「学歴詐称」を証言した元同居人の「早川さん」が(リスクを冒して)実名を公表し、ビデオであらためて証言するなど、結構手の込んだものになっているのでした。

新型コロナウイルスでも、フリップ芸と言われた小池都知事のパフォーマンスは常に注目を集め、このブログでも書きましたが、さながら「一人勝ち」の様相でした。

政界入りしてからも、「政界の渡り鳥」「爺々殺し」などと言われ、そのときどきの権力者にすり寄りながらパフォーマンスの”能力”を如何なく発揮して今日の地位を手にしたことは、今更説明するまでもないでしょう。もちろん、そこには、橋下徹氏など同じように、無定見なメディアの側面援助(ヨイショ)が大きな役割を果たしたことは言うまでもありません。

しかし、小池百合子氏は、あくまで「政界の渡り鳥」「爺々殺し」であり、パフォーマンスの”女王”にすぎないのです。「女性初の自民党総裁候補」「女性初の東京都知事」という肩書も、”政界の華”としてのそれでしかないのです。「権力と寝る女」などとヤユされましたが、権力者にとっては、利用価値のある女性でしかなかったのです。それは、ヨイショしたメディアも同じでしょう。

国政進出を狙った希望の党が野党分断のためだったのか、それとも本人の権力欲のためだったのかわかりませんが、あの騒動を見ても、彼女があくまで利用価値のある存在でしかないということをあらためて痛感させられたのでした。

解散総選挙はどうやら来年に延びたようですが、解散総選挙というこのきな臭い時期と学歴詐称の再浮上が関係あるのか。あるいは、既に任期が1年を切った次期都知事選が関係しているのか。そんなうがった見方をしてみたくなるのでした。

今も財務副大臣のスキャンダルがメディアの餌食になっていますが、どうして日本の政治家はこんな「下等物件」(©竹中労)ばかりなのかということを考える上でも、小池都知事の「学歴詐称」問題は面白い(と言ったら語弊がありますが)テーマだと思います。

個人的には石原慎太郎や安倍晋三ほど嫌いではありませんが、ただ、朝日新聞の伊藤正孝氏(元朝日ジャーナル編集長)との関係を見てもわかるように、メディアがつくった”虚人”であることはたしかでしょう。

下記の『女帝 小池百合子』の感想文をご参照ください。


関連記事:
『女帝 小池百合子』
2023.11.10 Fri l 社会・メディア l top ▲
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(写真AC)



■「パレスチナ問題」の欺瞞性


昨日(7日)から2日間の日程で始まった主要7カ国(G7)外相会合で、ガザの情勢をめぐって、今日(8日)発表される「成果文書」には、「人道的な目的のための戦闘休止の必要性が盛り込まれる見通しだ」(朝日)という報道がありましたが、それが糞の役にも立たないお題目であるのは誰の目にもあきらかです。

国連人権高等弁務官事務所のニューヨーク所長を辞任したクレイグ・モカイバー氏が言うように、彼らは、調停国ではなく当事国なのです。イスラエルをバケモノにしたのは、ほかならぬ彼らなのです。

高橋和夫氏は、『パレスチナとイスラエル』(幻冬舎)で、「ヨーロッパ人は、パレスチナ人のつけでユダヤ人への借りを返した形である」と書いていましたが、まさに「パレスチナ問題」の欺瞞性を言い当てているように思いました。ホントにホロコーストの責任を感じているのなら、ドイツは自分たちの領土にイスラエルをつくらせればいいんだ、と言った人がいましたが、言い得て妙だと思いました。

そのドイツでは、パレスチナ支援のデモをすることさえ禁止しているのだそうで(実際には強行されていますが)、本末転倒した話になっているのでした。ユダヤ人差別の贖罪のためにパレスチナ人差別を利用する。ここにもまた、ウクライナ支援とは別の意味で、西欧民主主義の欺瞞性=二重基準ダブルスタンダードが露呈されているように思います。

G7の外相が高い経費をかけて東京に集まるのは、それこそ税金の無駄使いでしょう。「人道」という空疎で便利な言葉を使って、ジェノサイドを傍観する自分たちを合理化しているだけです。ホントは悪党の一味なのに、そうやって善人ぶっているだけです。彼らの罪もまた大きいのです。

■右往左往するアメリカの醜態


イスラエルのジェノサイドに対してなす術もないアメリカの右往左往ぶりは、唯一の超大国の座から転落して中東での覇権も失ったアメリカの凋落ぶりを、これでもかと言わんばかりに示しているように思います。

ウクライナに続いてパレスチナでも難題を抱えたアメリカは、まるで底なし沼に落ちて恥も外聞もなくもがいているように見えます。イスラエルを支援するバイデン政権に国内外から批判が浴びせられていることからもわかるように、アメリカは既に方向感覚を失い、にっちもさっちもいかない状態に陥っているのです。

これで、バイデンが来年の大統領選挙でトランプに負けるのは確定したようなものでしょう。そして、トランプが政権に復帰すれば、アメリカの”狂気”が再び(そして、さらにバージョンアップして)くり返されるでしょう。そうやって「アメリカの時代」は終わりを告げるのです。言うなれば、トドメを刺されるのです。

アフガン撤退で、アメリカが唯一の超大国の座から転落したことが印象付けられたのですが、それからの転落するスピードの速さには驚くばかりです。ウクライナやガザが、まるで仕掛けられた罠のように見えるほどです。

■多極化した世界の風景


私は、2008年のリーマンショックのときから「世界は間違いなく多極化する」と言い続けてきましたが、今、まさに私たちが見ているのは多極化した(しつつある)世界の風景なのです。

アメリカは、イスラエル建国以来、1580億ドル(約23兆円)を供与して、イスラエルが核を保有する軍事大国になるのを支えたのですが、そのイスラエルは、バイデンのヨボヨボに象徴されるように、老体になり力を失くしたアメリカの言うことを聞かなくなり、文字通り手の付けられない怪物になってしまったのです。しかし、そのツケを払うのはアメリカだけではありません。世界がツケを払わなければならないのです。
2023.11.08 Wed l パレスチナ問題 l top ▲
グテーレス事務総長



■シオニズムというカルト思想


イスラエル軍はみずから設置した壁を破ってガザへ侵攻し、目を覆うような無差別攻撃を始めています。既にガザの住民の死者は1万人に達しようとしています。

”20世紀のホロコースト”は、ナチズムによるユダヤ人に対するもので、ユダヤ人は「劣等民族」と呼ばれたのですが、今度はそのナチズムの犠牲になったユダヤ人たちがパレスチナ人を「ヒューマン・アニマルズ」(動物のような人間)と呼び、ジェノサイドを行っているのです。これはあきらかな”現代の狂気”であり、シオニズムによる民族浄化です。

ユダヤ人は2千年間流浪の民であり、ナチスによって600万人も虐殺されたので、彼らがユダヤ教の教えに基づいて(と言うか、旧約聖書を牽強付会に解釈して)安住の地である自分たちの国を創ろうというシオニズムの思想については、「その気持はわかる」というような情緒的な受け止め方がありますが、しかし、イスラエル建国に連なるシオニズムは、ナチズムに勝るとも劣らない選民思想です。だから、イスラエルはユダヤ教の教えを盾に(我々は神に選ばれた民族なので、国連は1ミリも口出しできないと言い)、国際法も無視して入植地(領土)を拡大してきたのです。まさにカルト思想としか言いようがなく、今のような民族浄化に至るのは理の当然のような気がします。ガザの子どもたちの屍を見るにつけ、『アンネの日記』は何だったんだと思ってしまいます。

ただ、一部にはそういった世俗主義のシオニズムを認めないユダヤ教徒も存在するのです。彼らは、イスラエルという国も認めていませんので、今回のガザ侵攻にも反対しています。〈民族〉という概念から言えば、ユダヤ教徒=ユダヤ人という言い方もおかしいのですが、ユダヤ人とかユダヤ教とか言ってもさまざまであることも忘れてはならないのです。

とは言え、シオニズムがいわゆる”ユダヤ人問題”と切り離せない思想であることもまた事実です。ここに至っても、「どっちもどっち論」のリベラル派などから、イスラエルの蛮行と”ユダヤ人問題”は切り離して考えるべきだという声がありますが、それでは、ジェノサイドの背景にある(世俗主義の)シオニズムの本質を捉えることはできないし、イスラエルの”狂気”がどこから来ているのかもわからないでしょう。実際に大多数のユダヤ人は、シオニズムは正義(自分たちは神に選ばれた民族)であり、イスラエルには自衛権があると言って、イスラエルの行為を無条件に支持しているのです。

■イスラム世界の体たらく


一方、それとは別に、私は、パレスチナ問題におけるイスラム世界の体たらくについても考えざるを得ないのです。そこには、アラブ諸国のさまざまな思惑やイスラム世界特有の二重・三重権力による無節操さ、いい加減さ、無責任さがあるような気がします。

中東が専門の国際政治学者の高橋和夫氏は、『パレスチナとイスラエル』(幻冬舎)の中で、「建前としてはパレスチナ人を支持しながらも、本音の部分ではパレスチナ人に嫌悪感を示す産油国の支配層は少なくない」と書いていましたが、そういったイスラムの国々のまとまりのなさをイスラエルやそれを支援する欧米に付け込まれている面もあるでしょう。

ガザやヨルダン川西岸やレバノンなどでキャンプ生活を送る560万人とも言われるパレスチナ難民と、石油や天然ガスなどの利権で贅沢三昧の成金生活を送るアラブの支配者たちを、イスラム教徒としてひとくくりにするのはたしかに無理があるように思います。

■ヒズボラの指導者・ナスララ師の演説


国連のグテーレス事務総長は、ハマスの行動は「56年間にわたる息の詰まるような占領」の結果だと述べたのですが、まったくそのとおりで、彼らは「天井のない監獄」の中からシオニズムに対し、退路を断って決起したのです。

ハマスの決起に呼応して、レバノン南部を実効支配するシーア派のヒズボラも決起し、イスラエルを両面から攻撃すれば、戦況も大きく変わる可能性があると言われていましたが、しかし、ヒズボラはいっこうに決起する気配がありません。

と思ったら、ヒズボラの指導者・ナスララ師は3日、テレビ演説した中で、ヒズボラはいつ決起するのかという声があるけど、ヒズボラは既に10月8日からイスラエルとの戦闘に参加していると述べたのでした。ナスララ師は、「戦闘への関与の度合いは『ガザでの(戦争の)進展にかかっている。あらゆる選択肢がある』とイスラエルをけん制した」(毎日)そうですが、その言いぐさには呆れました。1万人のガザの住民が殺害されてもなお、「戦闘への関与の度合いは『ガザでの(戦争の)進展にかかっている」と呑気なことを言っているのです。

あんな花火を飛ばしたような「攻撃」でお茶を濁して大言壮語するのは、イスラム指導者のいつもの口先三寸主義です。自分たちは安全地帯にいて、世界のイスラム教徒はジハード(神のための聖戦)に立ち上がり、殉教者になるべきだとアジるだけなのです。

お前たち異教徒から言われたくないと言われるかもしれませんが、ガザの悲惨な状況に象徴されるように、パレスチナ人たちがシオニズムの犠牲になっている現状に対しても、彼らは同じイスラム教徒としてホントに手を差し伸べているとは言えません。もちろん、アメリカや国連をバックにしたイスラエルの圧倒的な軍事力の前に日和らざるを得ないという側面はあるものの、ジハードを主張するなら、イスラム世界が一致団結してイスラエルと戦うべきでしょう。俗な言い方ですが、イスラム教の教えの中には、「小異を捨てて大同につく」というような考え方はないのかと思ってしまいます。

■PLOの裏切りと日和見主義


ファタファ出身でパレスチナ自治政府の(実質的な)最高権力者の地位にあるPLO(パレスチナ解放機構)のアッバス議長などは、パレスチナ問題の当事者であるはずなのに、いるのかいないのかわからないような存在感のなさで、まったく当事者能力を失っています。2006年のパレスチナ立法評議会選挙でハマスに負けたにもかかわらず、クーデターでハマスをヨルダン川西岸から追放して自治政府の実権を掌握した経緯もあってか、イスラエルの蛮行に対してもほとんど傍観しているようなあり様です。これは実にひどいもので、まるでイスラエルがハマスを掃討したら、(イスラエルから)ガザの統治を委託されるのを待っているかのようです。そう勘ぐられても仕方ないでしょう。

PLOは、特にアラファト時代に、みずからの権益(パレスチナ人に対する徴税権)をアメリカやイスラエルから保証して貰うために”和平”という名の妥協(裏切り)を重ねた歴史がありますが、そういった指導部の腐敗と日和見主義に業を煮やした左派が「世界戦争」を主張してPFLP(パレスチナ解放人民戦線)を結成し、それに呼応して日本赤軍がパレスチナ闘争に参画したのでした。しかし、PFLPや日本赤軍はPLOに利用され、”オセロ合意”に至る「和平」の進展で利用価値がなくなるとポイされてしまったのでした。

世界各地で、イスラム教徒やそれを支援する人々が、イスラエルのガザ侵攻に抗議の声を上げているというニュースを見ても、それをどこか冷めた目で見ている自分がいるのでした。もう昔のような幻想は持てないのです。

■イスラエルの「皆殺し作戦」とハマスが支持される理由


はっきり言えば、戦争なのだから決起するしかないのです。もちろん、話し合いで解決できるならそれに越したことはないのですが、今までの経緯を見ても、今の現状を見ても、そんなものに期待すればするほど、ガザの住民の屍が日々積み重なっていくばかりです。イスラエルは、ネタニヤフが前から主張していたように、ガザを殲滅して「テロリスト」と未来の「テロリスト」を一掃する「皆殺し作戦」に乗り出したのです。

上記の『パレスチナとイスラエル』で高橋和夫氏は、次のように書いていました。

(略) レバノンのヘズボッラーとガザのハマスに対するイランの支援も、イスラエルを苛立たせている。イランの影響力を、これらの地域から排除できれば、もはやイスラエルの覇権に対抗できる国家も勢力も存在しなくなる。イスラエルのイラン攻撃の動機の一つとなりかねない要因である。


ヘズボッラーというのは、ヒズボラのことです。『パレスチナとイスラエル』は2015年に書かれた本ですが、今のガザ侵攻の狙いを既に2015年の時点で指摘しているのでした。

ネタニヤフには、ハマスの奇襲攻撃は絶好のチャンスに映ったのかもしれません。それが、ハマスの奇襲攻撃をわざと見逃したのではないかという、”陰謀論”が生まれる背景にもなっているのです。

いづれにしても、外野席から見ると、イスラム指導者たちのアジテーション(大言壮語)とは裏腹に、パレスチナ人はイスラム世界から見捨てられたような感じさえするのでした。今回の退路を断ったハマスの越境攻撃も、結局は見捨てられ、その屍がイスラム指導者の政治的取引の材料に使われるのは目に見えているような気がします。

ハマスはエジプトのイスラム同胞団から派生した、(イランやヒズボラと同じ)スンニ派のイスラム原理主義組織ですが、ただ、上に書いたように2006年のパレスチナ立法評議会選挙で勝利するなど、パレスチナ人からは高い人気を得ているのでした。日本では、「ハマスがイスラエルを攻撃したので私たちがこんな目に遭うのだ」とガザの住民がハマスに怒っているようなニュースが流れていましたが、あれはまったく実態を伝えていません。ハマスが大衆の支持を得ている理由について、高橋和夫氏は、次のように書いていました。

(略)ハマスは、数多くの学校や病院を運営 し、パレスチナの人々のために活動している。パレスチナにおける最大の人道NGO(非政府機関)とも言える。ファタハの指導するパレスチナ自治政府に、非能率や汚職の批判が付きまとっているのに対し、ハマスには、そうした噂はない。お金の面では、ハマスは清潔なイメージを維持している。住民のための活動が、ハマスの支持基盤の強さの一因である。
(同上)


■戦争なのだから決起するしかない


戦争なのだから決起するしかないと言うと、過激で無責任で突飛な言い方のように聞こえるかもしれませんが、しかし、今の国連の現状を見れば、もはやそれしか手がないことがよくわかります。

国連のグテーレス事務総長の発言もそうですが、下記のレバノンの衛星テレビの「アル・マヤディーン」が伝えた、国連人権高等弁務官事務所のニューヨーク所長だったクレイグ・モカイバー氏の発言を見ても、「国連で話し合い」というのがお花畑でしかないことがわかるのでした。

Al Mayadeen
元UNHCR局長「米国は仲介者ではなく、ガザ虐殺の当事者だ」

クレイグ・モカイバー氏は、10月28日に「国連がガザで進行中の虐殺を阻止する能力がないとみなされたことに抗議して辞任した」のですが、同氏は、アメリカはガザ侵略の仲介者ではなく、「当事者の役割を果たしており、傍観している」として、次のように述べていました。

「問題の一部は、何年にもわたってアメリカとヨーロッパを紛争の調停者として出させてきたことだ。そしてそれは常に重大な虚偽表示であった。例えば、アメリカは紛争の当事国であることを我々は認識しなければならない」と彼は述べ、数十億ドルの軍事援助と諜報活動が占領軍に提供されていると指摘した。

同氏はさらに、「これは、イスラエルの責任を追及するあらゆる行動を阻止するため、安全保障理事会を含む外交上の隠れ蓑となる」と述べ、「イスラエルが他の役割を果たすことができると示唆するのは単なる幻想だ」と付け加えた。


クレイグ・モカイバー氏は、パレスチナ問題でアメリカやヨーロッパを調停国にした国連は間違っていたと言っているのです。イスラエルを支援する彼らは調停国ではなく当事国だと。そして、イスラエルを国連のコントロール下に置くのは幻想だとも言っています。実際に、イスラエルは今までも国連決議を無視して、パレスチナ人を迫害(虐殺)しつづけ、入植地(領土)を一方的に拡大してきたのでした。

■異なる価値観


もうひとつ忘れてはならないのは、イスラムの世界は私たちとは違った価値観のもとにあるということです。西欧的な合理主義や人権意識とは無縁だということです。

イスラム国家では、LGBTQも当然ながら認めていません。それどころか、女性の人権も著しく制限されています。西欧的価値観と比べると、文字通り水と油のような価値観のもとで人々は暮らしているのです。ジャーナリストの北丸雄二氏の話によれば、ヨルダン川西岸に住むパレスチナ人の性的少数者の中には弾圧を逃れてイスラエルに助けを求めるケースもあるそうです。

昔、フランスの小学校でイスラム教徒の子どもがヒジャーブを着用して登校したら、学校が宗教的な装飾は禁止しているとして外させたことで、大きな問題になったことがありました。フランスの公教育は、日本と同じように、教育の現場に政治や宗教を持ち込まないという原則があり、その原則に従って禁止したのですが、しかし、イスラム教徒や彼らを支援するリベラル派は、「信仰の自由」を盾に抗議活動を展開したのでした。

それに対して、フランス教育省は、「ヒジャーブの着用を認めると、今度は学校で礼拝を認めろとか要求がエスカレートするのは目に見えている」と言って、彼らの要求をかたくなに拒否したのでした。そして、子どもを使ってフランスの教育現場にイスラムの教えを持ち込もうとする、イスラムの世界を支配する宗教指導者たちは、子どもの陰に隠れているのではなく表に出て来るべきだと言ったのですが、それはパレスチナ問題そのものについても言えるように思います。
2023.11.04 Sat l パレスチナ問題 l top ▲
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■ヤフコメが消えた


11月1日、朝日新聞デジタルに、次のような署名記事が出ていました。

朝日新聞デジタル
3社の記事からヤフコメが消えた 苦悩するメディア「我々は傭兵」

2022年初めに、突然、「NEWSポストセブン(小学館)、週刊女性PRIME(主婦と生活社)、東スポWEB(東京スポーツ新聞社)の3媒体のすべてのエンタメ記事から、『ヤフコメ』と呼ばれるコメント欄が消えた」のでした。

私もそれは気付いていました。ただ、私は、三社がコメント欄を閉鎖するようにヤフーに要請したのではないかと思っていたのです。

ところが、話は逆だったのです。あくまで業界関係者の推測ですが、どうやらヤフーによる一方的な処置だったようです。

記事は、そこに至った”裏事情”を次のように書いていました。

 21年10月、当時、週刊誌などでは秋篠宮家の長女眞子さんと小室圭さんの結婚をめぐるバッシング報道が過熱していた。ヤフコメの投稿は批判的な内容が相次ぎ、過激さを増していた。

 対応が必要と考えたヤフーは同19日、誹謗(ひぼう)中傷など違反とみなされる投稿が一定数に達した記事のコメント欄を丸ごと非表示にする機能を導入。さらに、メディア関係者によると、ヤフーの担当者から、複数の出版社あてに「皇室記事の提供は控えてほしい」と要請があった。

 11月になると、ヤフーはメディア各社に「過剰に扇動的な記事にならないように」と注意を促すメールも送付。正確性を欠き、誤解を招く表現が使われた記事が悪質なコメント投稿を誘引している、と指摘した。

 3媒体のコメント欄が消えたのは、ヤフーの要請に従わず、記事を提供し続けたからではないか。メディア関係者の一致した見方だ。ヤフー側からの詳細な説明はなく、業界内では動揺が広がった。


何のことはない、三社が炎上目的で(バズらせるために)必要以上にバッシングの記事を書いたために、ヤフーからペナルティを課せられたのです。言うなれは、ヤフーから”糞メディア”と認定されたようなものです。

■皇室への忖度


でも、メディアとヤフーは、記事をバズらせてPVを稼ぎ、それを広告収入につなげるという、ニュースをマネタイズする手法においては、呉越同舟、同じ穴のムジナであったはずです。

それがどうしてヤフーから梯子を外されたのか。それは、三社が執拗に繰り返したのが、「秋篠宮家の長女眞子さんと小室圭さんの結婚をめぐるバッシング報道」だったからです。

在日朝鮮人や生活保護受給者やフェミニストや左派系文化人に対する「バッシング報道」ではないという点が、今回のペナルティのポイントです。

記事の中で、宍戸常寿・東大大学院教授(憲法)が言うように、ヤフーが主導する今回の処置が、「言論の自由」の根幹に関わる問題を含んでいるのはたしかでしょう。

また、記事が書いているように、「消費者のニュースへの接点が、紙媒体からデジタルに移行するなか、ヤフーはニュースの『差配役』としての存在感を強めている」のはそのとおりでしょう。

■ヤフーのご都合主義


ヤフーは、皇室関係の記事にはこのような厳しい処置を講じるものの、週刊誌やスポーツ新聞による低俗な「コタツ記事」に対しては、相変わらず見て見ぬふりをしているのです。別に人権感覚に基づいてペナルティを与えたのではないのです。

何度も言うように、ヤフーにとってニュースの価値は、どれだけバズるか、どれだけマネタイズできるか(PVを稼いで広告収入を得ることができるか)だけなのです。そのために、バズらせるのに好都合な最低の日本人にニュースを語らせる場として、つまり、水は常に低い方に流れるネット民の”餌場”として、ヤフコメがあるのです。ただ、その中で皇室関係の記事は別だよと言っているだけです。

たしかに、小室圭さんと眞子さんの結婚に対するバッシング報道は常軌を逸しており、私もずっと批判してきました。ただ、問題はそれだけではありません。小室圭さんと眞子さんの報道は氷山の一角にすぎず、問題はヤフコメの存在自体にあるのです。差別ヘイトの温床であり、排外主義的なカルト宗教の信者たちの巣窟になっているコメント欄を閉鎖しない限り、ヤフーの処置は付け焼き刃のおためごかしと言わざるを得ません。

■プラットフォーマーとニュースメディアの蜜月の終わり


朝日新聞は、先日、ニューヨーク・タイムズやウォールストリート・ジャーナルなどのニュースメディアで、SNSやグーグル検索から自社サイトに流入してくる割合(トラフィック)がどんどん減っているというニューヨークタイムズの記事を掲載していました。記事が書いているように、SEOを介したニュースメディアとプラットフォーマーの蜜月も終わりを迎えつつあるのです。それが“ネットの時代”の次の位相です。

朝日新聞デジタル
ニュースと決別するSNS メディアに深刻な打撃 NYT【前編】
ニュースと決別するSNS メディアに深刻な打撃 NYT【後編】

身も心もプラットフォーマーに売り渡したような低俗な記事を量産して、その場凌ぎの延命策に頼る旧メディアの姿勢は、所詮は軽慮浅謀な弥縫策にすぎないのです。

ネットの守銭奴たるヤフーにコメツキバッタのように媚びへつらうその姿のどこに「言論の自由」があるというのか。そんな言葉を口にするのさえ片腹痛いと言えるでしょう。もとより、ヤフーに「言論の自由」をいいように食い荒らされても、彼らは痛痒さえ感じてないのかもしれません。


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2023.11.02 Thu l 社会・メディア l top ▲