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(『週刊文春』12024年1月4日・11日合併号より)


■火のないところに煙は立たない


今度の文春砲のターゲットは、松本人志でした。どこまでホントかわからないとはその通りですが、ただ、ちょっと意地の悪い言い方をすれば、火のないところに煙は立たないとも言うのです。

いささか古いのですが、話は8年前の2015年の冬のことだそうです。場所は、六本木のホテル「グランドハイアット東京」の15階にある「グランドエグゼクティブスイートキング」という、1泊約30万円の「VIP御用達のゲストルーム」です。

女性を集めたのはスピードワゴンの小沢一敬。彼から仕事で知り合った女性たちにLINEが入り、ホテルでの「部屋飲み」に誘われたそうです。参加者は、女性が3人で、男性も小沢のほかに放送作家の「X」、それにあとから遅れてやって来た「VIP」の松本の3人でした。そして、3人の女性が順繰りに男性の相手をさせられる「ゲーム」が行われたそうです。

「X」については、文春の記事の中で次のように書かれています。

「Xは、NSC出身の元芸人。元雨上がり決死隊の宮迫博之らと親しく、その縁で松本と知り合い、バラエティ番組『松本家の休日』(朝日放送)などに出演していました。放送作家としては『人志松本の酒のツマミになる話』などを担当。松本の身の回りの世話をこなしており、一時期は1年のうち三百六十日一緒にいると言われたほどの仲です」(テレビ局員)


まるで「ググれよ」と言われているような書き方なので、さっそくググってみました。その結果、大阪NSC12期生の某だということがわかりました。記事からもわかるように、彼は松本人志の腰巾着のような放送作家だそうです。

ただ、文春に書かれている乱交パーティは、これだけではありません。

その3カ月前にも、「女衒」の小沢が企画した「部屋飲み」が同じ場所で行われていたのだとか。

そのときの参加者は、女性が4人で男性も4人でした。上記の3人のほかに「男性タレント」が1人参加していたそうです。ただ、「男性タレント」に関しては差し障りがあるのか、放送作家と違ってヒントになるような記述はありませんでした。

■吉本の剛腕恐るべし


当然ながら「軽率だ」「無防備だ」として、小沢の誘いに乗った女性たちを責める声もあるに違いありません。中には行きがかり上、断るに断れなかった駆け出しの女優やタレントもいたようですが、ただ、(私も知っていますが)お笑い芸人と遊びたがる女性たちがいることも事実です。また、遊びが本気になって結婚に至るケースも結構あるみたいですが、お笑い芸人たちも、彼女たちを性のはけ口としてお手軽に利用しているのも事実です。でも、それはそれ、これはこれです。

「セックスするから覚悟しておいでよ」と言って誘ったわけではないのです。「今からすごい世界的な人が来るから」(文春の記事より)と言われたのです。しかも、部屋に入ると、「くれぐれも失礼のないように。怒らせるようなことをしたら、この辺、歩けなくなったちゃうかもしれない」(同)と半ば脅しのように釘を刺されているのです。そして、スマホまで取り上げられているのです。

そういった脅しが功を奏して、「芸能界の権力者である彼の怒りを買うと、どんな仕事上の報復を受けるか分からず、これまで口を閉ざした子が数多く存在する」(同)と被害者の女性は証言しているのでした。

性犯罪やハラスメントの背景にある力関係を考えると、日本人お得意の「どっちもどっち」論は、被害者の口を封じる悪質な圧力=デマゴギーと言えるでしょう。

もっとも、こういった女性を性のはけ口にする性暴力まがいの話は、お笑い芸人に限ったことではないのです。『紙の爆弾』(鹿砦社)の今月号(2024年1月号)にも、「政界に横行する公金『コンパニオン宴会』」という記事が出ていましたが、政治家も、成り上がりの若手経営者も、同じようなことをやっているのです。それをいちばんよく知っているのはあのガーシーかもしれません。

「不同意性交」だったのかどうかわかりませんが、テレビ局の障害者トイレで、女性スタッフとこと・・に及んだ(松本の子分のような)お笑い芸人も、今では何事もなかったかのようにテレビやCMに出ています。吉本の剛腕恐るべしですが、吉本をそのようなモンスターにしたのはテレビ局なのです。

■松本人志の一夫多妻論


松本人志は、女性に性行為を求める際、盛んに「俺の子どもを産んでほしい」「君の子どもがほしい」と耳元でささやくのだそうです。それは松本が好むプレイのひとつなのかと思ったら、必ずしもそうではなく、パーティの席では次のような一夫多妻論を開陳していたそうです。

「日本の法律は間違っていると思うねん。日本は俺みたいな金も名誉もある男が女をたくさん作れるようにならんとあかん。この国は狂ってる。なんで嫁を何人も持てないんや」
(略)
 その一人が場を取り繕うように、「素敵な奥様がいらっしゃいますよね」と尋ねると、松本は眉間に縦皺を刻んで言った。
「女は出産すると変わんねん」
 そして、女性たちを凝視しながら言葉を続けたのだ。
「俺的には三人とも全然ありやし。で、俺の子ども産めるの? 養育費とか、そんくらい払ったるから。俺の子ども産まん?」
(記事より)


テレビでも似たような発言をしているようですが、もしこれがホントなら、アホ丸出しです。テレビはこんな松本に時事問題を語らせていたのです。

■テレビの異様な光景


それもひとえに(このブログでも何度も指摘していますが)、テレビ局が番組制作を吉本に(実質的に)丸投げするほど、吉本と深い関係を築いてきたからです。その結果、どのチャンネルを回しても吉本の芸人が出て来るという、まるでテレビが吉本にジャックされたような異様な光景が作り出されたのでした。

今回の問題でも、芸能マスコミに出ているのは、会社からの指示なのか、忖度なのかわかりませんが、松本を擁護する芸人たちのしらばっくれたコメントばかりです。特に今田耕司のコメントは極めて悪質でした。もとより、松本に時事問題を語らせてきたテレビ局は、何がなんでも松本を守ろうとするでしょう。そういった絶対的な力を背景にした理不尽でアンフェアな空気に対しても、私は違和感を抱かざるを得ません。

前に闇営業問題が発覚した際、私は、下記の記事の中で、吉本と闇社会の関係について、次のように書きました。

関連記事:
吉本をめぐる騒動について

前に紹介しました森功著『大阪府警暴力団担当刑事』(講談社・2013年刊)では、わざわざ「吉本興行の深い闇」という章を設けて、吉本と闇社会の関係について書いていました。

昭和39年(1964年)の山口組に対する第一次頂上作戦を行った兵庫県警の捜査資料のなかには、舎弟7人衆のひとりとして、吉本興業元会長(社長)の林正之助の名前が載っていたそうです。

2006年、正之助の娘の林マサと大崎洋会長(当時副社長)&中田カウスの間で起きた内紛(子飼いの芸能マスコミを使った暴露合戦)は、私たちの記憶にも残っていますが、その背後にも裏社会の魑魅魍魎たちが跋扈していたと書いていました。本では具体的な名前まで上げて詳述していますが、巷間言われるような、裏と表、守旧派と開明派、創業家と幹部社員の対立というような単純なものではなかったのです。また、その対立は、2011年の島田紳助の唐突な引退にもつながっているそうですが、今回の騒動にもその影がチラついているように思えてなりません。


そもそも吉本内部の序列が、テレビの世界に持ち込まれていること自体が異常です。そのため、まるで楽屋での内輪話みたいなもので番組が作られて、太鼓持ちのような役割を担う「ひな壇芸人」と呼ばれる芸人たちさえ生まれているのでした。それも、吉本など芸能プロダクションが番組制作に大きく関わり、キャスティングを一手に引き受けているからでしょう。

その結果、多くのお笑い芸人を擁する芸能プロダクションと深い関係にあるテレビ局のプロデューサーが、部外者から見ればただの癒着にしか見えないのに、「大物プロデューサー」と呼ばれたりしているのでした。

しかも、お笑いの世界の序列がいつの間にか独り歩きして、ビートたけしやタモリや明石家さんまなど、既にお笑い芸人として旬を過ぎ芸らしい芸もなくなったベテラン芸人を、「お笑い界のビッグ3」などと呼んで持て囃しているのでした。

■ダウンタウンのチンピラ芸と松本人志


松本人志は、彼の日頃の言動やその芸風を見てもわかる通り、チンピラがそのまま年を食ったような人間です。そう言って悪ければ、”大物芸人”として、背伸びして大きく見せることを強いられた哀しきピエロです。吉本がそうさせたのです。

今回の報道のあと、松本人志はみずからのX(旧ツイッター)に、次のように投稿しています。

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(Xのスクショより)

闇営業問題のときも「松本動きます」とかいった投稿が話題になりましたが、こういった投稿もめいっぱいの虚勢なのでしょう。石原慎太郎ではないですが、「空疎な小皇帝」(斎藤貴男)という言葉が思い出されてなりません。

ダウンタウンが登場した頃は、今のようにコンプライアンスという言葉もない時代でした。彼らのチンピラ芸は、コンビ名に示されているように、阪神工業地帯の周縁部に住むクソガキたちの中から生まれたものです。だから、彼らの笑いは、イジメと紙一重だったのです。

しかし、コンプライアンスという言葉が生まれ時代が変わっていく中で、彼らのチンピラ芸は時代と齟齬が生じるようになったのでした。

今回の記事がホントなら、松本がやっていることはまさに#MeToo運動の真逆をいくチンピラのそれでしかないのです。いい年していつまでそんなことをやっているんだという話ですが、芸だけでなく芸人としても完全にズレているのです。

♯MeToo運動の高まりの中で、たとえば、左派リベラル界隈でも、文芸評論家の渡部直己や国際ジャーナリストの浅井久仁臣など「手癖の悪い」連中が過去のハラスメントを告発され、表舞台から姿を消しましたが、松本が「いつ辞めても良い」と本気で思っているなら、潔くやめた方がいいでしょう。それが身のためであるし、何より時代はもうダウンタウンの笑いを求めてないのです。

もちろん、チンピラは松本人志だけではありません。フライデーの記事にチラッと出て来る何とかジュニアや、ガーシーの友達でもあった何とか淳も似たようなものです。彼らもまた、チンケな芸人に過ぎないのに、吉本の剛腕によって偉そうに時事問題を語るまでになっているのでした。

そう考えれば、テレビの罪は大きいと言わねばなりません。テレビがやっていることはあまりに節操がなさすぎるのです。

テレビ東京が通販番組か情報番組かわからないような、グレーゾーンの番組をよく放送していますが、吉本と癒着して番組を作っているテレビ局も似たようなものです。公共の電波を使っているテレビのあり方として、吉本興業との関係は旧ジャニーズ事務所との関係に勝るとも劣らないほどの大きな問題を孕んでいると思いますが、どうしてその声が少ないのかと思います。

■吉本のコメント


吉本は文春の報道を受けて、次のようなコメントを発表しました。

一部週刊誌報道について

本日発売の一部週刊誌において、当社所属タレント ダウンタウン 松本人志(以下、本件タレント)が、8年前となる2015年における女性との性的行為に関する記事が掲載されております。

しかしながら、当該事実は一切なく、本件記事は本件タレントの社会的評価を著しく低下させ、その名誉を毀損するものです。当社としては、本件記事について、新幹線内で執拗に質問・撮影を継続するといった取材態様を含め厳重に抗議し、今後、法的措置を検討していく予定です。

ファン及び関係者の皆様には大変ご心配をおかけする記事内容でしたが、以上のとおり本件記事は客観的事実に反するものですので、何卒ご理解いただきますようお願い申し上げます。


「当該事実は一切なく」といつもの吉本の強面が垣間見えるようですが、一方で、「取材態様」にまで言及しているのは、大阪に向かう新幹線の車内で記者から直撃された際、松本人志がスマホで記者とカメラマンを撮影しているからで、そのことをわざわざ取り上げているのでした。恐らく松本に泣きつかれたのでしょう。

ただ、その唐突感に対して、既に腰が引けていると指摘する人もいます。また、「法的措置」まではいかないのではないかという見方もあるようです。「法的措置」を取れば、ジャニー喜多川の性加害のようにみずから墓穴を掘る恐れがあるからです。だから、「当該事実は一切なく」と言いながら、「検討していく」という表現にとどめているのではないかと言うのです。もっとも、逆に吉本が「法的処置」を取った方が、いろんな暗部がさらけ出されるので、却っていいのでないかという声もあるのでした。

■活動休止 ※追記


本日、松本人志が芸能活動を休止するという「速報」がありました。吉本興業によれば、松本人志から「『様々な記事と対峙(たいじ)して、裁判に注力したい』とし、活動を休止したいという強い意志が示された」(朝日の記事より)のだそうです。

テレビの画面から察するに、その言動とは裏腹に彼自身は小心な性格のような気がしますが、ここに来てその性格がモロに出た感じです。そもそも記事に書かれたことが事実なら、記事に登場する松本人志は文字通りの裸の王様なのです。

既に旬が過ぎただけでなく、その芸風から言ってももう笑えない芸人になってしまったダウンタウンの松本人志は、このまま永遠にフェードアウトするしかないでしょう。

「裁判に注力したい」というのもめいっぱいの虚勢のつもりなのでしょうが、もう虚勢にすらなってないのです。

文春がほのめかしているように、今後あらたな証言が出て来る可能性は高く、「裁判に注力」するどころか泥沼に引きずり込まれる可能性の方が高いでしょう。

松本人志は文字通り堕ちた偶像になったのです。そんな逆風が吹き始めたのを察知して活動休止したというのが、今日の「速報」の真相だと思います。記者会見もやりたくない小心な人間が選んだ”最善の方法”が、活動中止から引退という姑息な方法だったのではないか。

活動休止の発表後、松本人志はみずからのX(旧ツイッター)を更新して、「事実無根なので闘いまーす」と投稿したそうですが、これが還暦を迎えたおっさんの日本語かと思うと、哀しくもせつないものがあります。文字通り引かれ者の小唄と言うべきでしょう。足掻けば足掻くほど笑えないギャグしか出て来ない。もう完全に終わっているのです。

一方で、テレビなどのメディアは、ここに至っても吉本のコメントを垂れ流すだけで、多分に腰が引けたおざなりな報道に終始しています。あれだけ人の揚げ足とりが得意なワイドショーも、独自の取材さえ行ってないのです。ジャニー喜多川の性加害と同じように、触らぬ神に祟りなしの姿勢なのです。

けだし、吉本興業とテレビ局の“不純な関係”については、何ひとつカタが付いてないのです。これからはこの問題も、松本人志のスキャンダル以上に注視する必要があるでしょう。

吉本による公共の電波の私物化をテレビ局が許していたという、とんでもない問題なのです。お笑いだから許されるというような惚けた話ではないのです。
2023.12.29 Fri l 芸能・スポーツ l top ▲
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(記事より)



■鬱屈した老後の人生


前に書いた介護施設で警備員をしている70歳の知人と話をした際、彼は、まわりが高齢者だらけの警備員という仕事に加え、派遣された現場も高齢者ばかりの介護施設なので、何だかいっきに年を取ってもう人生が終わったような気持になっている、と言っていました。

たしかに、どう考えても人生を前向きに考えることができるような環境とは言えないでしょう。いくら職場を面白おかしくとらえても、その空虚感は消しようがないのです。

週末の電車に乗ると、冬休みということもあって、やたら家族連れが目立ちます。ドアの横に立っていると、まわりを途中から乗ってきた家族連れのグループに囲まれて、反対側のドアに降りようにもおしゃべりに夢中で通路を空けないので降りられないのです。

「すいません」と言ってもいっこうに動く気配がないので、「この野郎、のけよ!邪魔だろ!」と叫びたくなりました。もちろん、常に体裁を気にするしがいな小市民の私ですので、醜態を晒すことはありませんが、何だかキレる老人の気持がわかるような気がしました。

前も書きましたが、週末の電車のシルバーシートは、そんな家族連れに占領されています。ベービーカーに乗った「小さなお子様」をダシに、親たちがさも当然の権利と言わんばかりにシルバーシートにふんぞり返って座っているのでした。

少ない年金を補填するために、警備員の夜勤を終え、くたくたになって帰る途中の高齢者がそんな場面に出くわしたら、「くそったれ!」と思っても仕方ないでしょう。

政府は、こういった子育て世帯を支援するために、年間3.6兆円の財源が必要だと言うのです。支援の内容は、児童手当の拡充と保育サービスの充実が主な柱になっています。また、財源は、「社会保障費の抑制」とともに、私たちが支払う社会保険料(具体的には医療保険料)に一定額を上乗せした1兆円規模の「支援基金」を創設する案が有力だそうです。もちろん、低年金の警備員も応分の負担をすることになるのです。

児童手当の拡充に関しては、24年10月分から児童手当の支給対象を高校生まで拡大し、第3子以降については支給額を月3万円に増やす方針だそうです。

一方、厚生労働省年金局の資料によれば、国民年金の月の平均支給額は、5万679円です(以下、すべて令和3年度の資料)。厚生年金の受給者で、月の支給額が5万円未満は38万8575人、5万円以上10万円未満は336万1204人です。しかし、国民年金だと、月に5万円以下の受給者が864万2783人もいるのです。

もちろん、夫婦であれば二人分の年金が受給できるのですが、一人暮らしだとこの金額で生活しなければならないのです。

それに対して、児童手当は、第3子以降であれば0歳~18歳までは、月に3万円が支給されることになります。3人子どもがいれば、月に最大で6万円支給されることになるのです。それ以外にも扶養控除もありますし、医療費や学費の無償化も進んでいます。

月に5万円ほどの年金で生活している(一人暮らしの)高齢者は、おそらく数百万人は優にいるのではないかと思いますが、貧困に喘ぐ高齢者に比べると、子育て家庭への厚遇ぶりが突出しているように思えてなりません。同じ子育て家庭でも母子家庭などの貧困家庭をダシにして、ほぼ所得制限なしの大盤振る舞いが行われようとしているのでした。そこには上か下かの視点がまったくないのでした。

電車の中の光景は、何だか今の理不尽な世の中を象徴しているように思えてなりません。

■生活保護の実態


それでもまだ、働くことができる高齢者は恵まれているのです。働くことができなくなった低年金の高齢者の生活は悲惨を極めています。やっとどうにか生活保護を受けることができるようになっても、「一日千円」「週に1万円」の屈辱や、「甘えだ」「怠け者だ」「自業自得だ」というバッシングに耐えなければならないのです。それどころか、彼らを食い物にする貧困ビジネスも待ち構えています。中には、貧困ビジネスと役所が提携しているケースさえあるのです。

福祉事務所からの依頼で生活保護受給者の葬儀を多く手掛ける社会福祉法人で働く人間に話を聞いたことがありますが、「一日千円」「週に1万円」のような屈辱は人生の最後までついてまわるのです。生活保護専門のような病院や老人ホームも存在しますが、メディアもそういったホントの影の部分に目を向けることはないのです。もっとも、それでも病院や施設で最期を迎えるのはまだ恵まれた方だと言っていました。

そもそも葬祭扶助を手掛ける社会福祉法人にしても、現業の職員以外は公務員の天下りで、しかも彼らは単なるお飾りではなく、実質的に団体は彼らによって牛耳られているそうです。公金が投入される場所にはどこまでも公務員たちの”触手”が伸びているのです。

でも、先日の朝日の記事もそうでしたが、メディアは引き取り手がない無縁仏の最後の駆け込み寺みたいな記事を書くだけで、葬祭扶助が濡れ手に粟の”遺体ビジネス”を生み出し、生活保護受給者がどこまでも食い物にされている実態にはまったく触れないのでした。むしろ、メディアは、全体の0.29パーセント(全国厚生労働関係部局長会議資料より)の不正を針小棒大に報道して、バッシングを煽るような側面さえあるのでした。

国民はそんな生活保護の実態を知らずに(知らされずに)、役所にとって都合のいい生活保護バッシングに動員されているのでした。バッシングが向かうべきはそっちじゃないだろうと思いますが、彼らには所詮馬の耳に念仏です。

■「ぷよぷよ」元社長のジェットコースター人生


私はゲームはしないので、「ぷよぷよ」もまったく知りませんでした。その一世を風靡した「ぷよぷよ」の生みの親で、文字通りジェットコースターのような人生を送った、コンパイル社の元社長・仁井谷正充氏の記事を読みましたが、どんつまりの老後しか待ってないような人生の中で、何だか「元気をもらった」気がしました。鬱屈した日々を送っている知人にも、是非、読んでもらいたいと思いました。

集英社オンライン
 「ぷよぷよ」で70億円売り上げてテーマパーク建設で90億円の大赤字破産…伝説のクリエイターがそれでも抱く野望とは「流れに流されているうちに当たっちゃったんだよね」

仁井谷氏は、地元の広島大学理学部に通っていたときに学生運動に没頭して、7年かけて大学を卒業したあと、広島電鉄に入社し電車の車掌をしながら今度は労働運動に没頭します。革命家を夢見ていたそうです。しかし、三里塚闘争で逮捕されて「転向」(本人の弁)するのでした。 

そのあと写植の仕事をしていたときに、「魔導物語」や「テトリス」や「コラムス」などのロールプレイングゲームのブームがはじまり、自分でもゲームを作っていたら、その流れに乗って、「なんとなく『ぷよぷよ』ができて、ヒットした」と言っていました。

設立したコンパイル社は、70億円の売り上げをあげるほど急成長。その勢いを借りて、今度は千葉県の幕張に「ぷよぷよランド」というテーマパークを作ることを計画。結局、それがアダとなり、90億円の大赤字で会社は倒産し、自身も自己破産したのでした。

自己破産したあとは、警備員や介護の仕事をして糊口を凌ぎ、現在は家賃4万円の千葉のアパートで暮らしているそうです。

「今は年金生活ですが、たまに副収入があります。年金プラス5万から10万円くらい副収入あれば、生活ができるんです。あとは貯金を取り崩しながら……。でも、本業のゲーム開発で稼げるのが理想ですけどね。なかなかそうはいかないですね」
(上記記事より)


「たまの副収入」というのは、韓国のゲーム関係者からの「YouTube動画制作や、パッケージへのサインなどの販促活動の協力金」だそうです。

というのも、「大ヒットした『幻世酔虎伝』(1997年リリース)が、その後、韓国の学校で支給されるパソコンに標準でインストールされたことがきっかけで」、韓国では「日本ゲーム史の偉人として」仁井谷氏がとらえられているのだとか。そして、現在、韓国での自叙伝の出版計画が進められているのだそうです。

そういうこともあって、仁井谷氏は意気軒高なのでした。

「僕は過去を振り返らない、過去を振り返って、それを肴にお酒飲むとか、そういうタイプじゃないんです。常に何か新しいことをやってみたいし、人生に悲観することがないんです。任天堂さんあたりが僕に200億円預けてくれたら絶対にヒット作品を作れると思うんですけどね」  
(同上)


ここまでポジティブになれるのは本人の性格もあるかもしれませんが、人生なんて「どうで死ぬ身の一踊り」(西村賢太)なのです。残り少ない人生だからこそ、好きなように勝手に生きてみたいものだと思います。老後だからこそ、なりふり構わず生きてもいいのではないか。死ぬときはみっともなくてもいいのです。

年の瀬、仁井谷氏の記事を読んで、そんなことを考えました。                  
2023.12.27 Wed l 日常・その他 l top ▲
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(写真AC)



■「訪日外客数」


日本政府観光局(JNTO)が「訪日外客数」の2023年11月の推計値を発表していますが、コロナ禍前の2019年と比較すると以下のとおりです。

2019年11月の「訪日外客数」は2,441,274人で、2023年11月が2,440,800人です。2019年との比較では± 0。統計上はコロナ禍前に戻ったと言えるでしょう。

一方、「出国日本人数」は、2019年11月が1,642,333人、2023年11月が 1,027,100人で、-37.5%です。

日本人の出国数は、依然コロナ禍前より大幅に減少したままです。これはあきらかに、コロナというより円安の影響でしょう。

つまり、日本は観光客を迎えるだけで自国民は外国に旅行にも行けない、かつての発展途上国と同じようになりつつあるのです。そのうち外貨獲得の唯一の手段が観光ということにもなりかねないでしょう。

また、国・地域別の「訪日外客数」は、以下のとおりです。

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出展・日本政府観光局(JNTO)

これを見るとわかるように、韓国からの観光客が大きく伸びています。ほかには、シンガポール・インドネシア・ベトナム・インド、オーストラリア・アメリカ・カナダからの観光客が増えていることがわかります。

アジアからの観光客は、中国本土からの観光客が激減したこともあって、全体の57.7%とやや比率が下がっています。

■「激安のおいしい国」


私は、5年前の2018年に下記のような記事を書きました。

関連記事:
「安くておいしい国」日本

日本に来るのは日本が「安くておいしい国」だからですが、ここ1年のさらなる円安で、日本は「激安のおいしい国」になったのです。これでは、観光客を迎える日本人は益々貧しくなるばかりで、外国に旅行に行くなど夢物語であるのは当然でしょう。

実際に観光に関連する職業はどれも低賃金でハードなものが多く、深刻な人材不足の背景にあるものは運送業や介護職などと共通しています。

ヤフーだかに、日本を旅行するのを趣味にしている韓国人の若い女性が、交通や食事の便がいい東銀座のビジネスホテルを利用しているという記事が出ていました。東銀座が穴場だという記事だったのですが、そのホテルは朝食付きで一泊13000円だそうです。日本のビジネスホテルの相場から言えばやや高い部類に入りますが、しかし、それでも韓国の同程度のホテルより安いと言っていました。

私たちは自分たちの国が未だに世界トップクラスの豊かな国だと思っているのですが、でも、その根拠はなにもないのです。空疎に「ニッポン凄い!」を自演乙しているだけです。

前も書きましたが、一皿15000円の和牛を食べたタイ人観光客が「これは安いですよ」と言っているのを見て、ネットに巣食う単細胞な日本人は「ニッポン凄い!」と喜んでいるのですが、でも、自分たちはそんな和牛を口にすることはできないのです。せいぜいが破れたチリ紙のような切り落としの肉を食べるのが関の山です。

■年収156万円以下の世帯が705万世帯


生活保護は、世帯収入が月に13万円以下、つまり年収156万円以下であれば受給資格があるのですが、実際には窓口で小役人から難癖を付けられて門前払いされるのがオチです。それが「水際対策」と言われるものですが、そのために、共産党系の団体や創価学会や貧困問題を扱うNPO団体など、小役人の難癖を「論破」する専門家の同行が必須になっています。

昔より受給率は上がっていますが、それでも生活保護の受給率(いわゆる捕捉率)は23%にすぎません。受給資格があるのに生活保護を受けていない年収156万円以下の世帯は、705万世帯もあると言われているのです(日本共産党調べ)。

■先進国から転落した日本


テレビではインバウンド客たちの飽満ぶりが連日報じられていますが、そういった千客万来の光景の裏では益々貧しくなる一方の(実質的に先進国から転落した)日本の姿があるのです。

ついこの前まで、(中国人の爆買いを除いて)外国人観光客はお金を使わない、ケチだと言われていました。私が別府に帰省した際も、当時から別府は韓国からの観光客が多かったのですが、タクシーの運転手は「韓国からの観光客はタクシーに乗らないで歩いて移動するのでお金になりませんよ」と嘆いていました。それが、今から5~6年前の話です。

ところが、今ではドライバー不足も手伝い、別府でもタクシー不足が深刻になっているのだそうです。そのために、苦肉の策として、市が観光客向けに夜間の無料バスを走らせているのだとか。このように僅か5~6年で様変わりしているのです。その背景にあるのは、単にドライバー不足だけではなく、今までタクシーを利用しなかった観光客が積極的にタクシーを利用するようになったからです。需要が増加したからです。

韓国は今では平均年収も日本の上を行くほど豊かな国になりましたが、ほかのアジアの国も底上げされ、いわゆる中間層が形成されるようになりました。そんな彼らが一皿15000円の和牛を「安いですね」などと言っているのです。

一方で、日本はどんどん没落しています。生活保護の基準以下の収入しかない世帯が増えるばかりで、そのため福祉事務所の職員たちは、仁王像のようになって窓口につめかける貧困者たちを追い払うのに必死です。憲法25条なんてどこ吹く風のようなあり様です。

また、妬みと僻みは日本のムラ社会の宿痾みたいなものですが、まるで「水際作戦」と軌を一にするように、多くの国民は、生活保護を受給するのは甘えだ、怠け者だと決めつけ、彼らをバッシングするのに余念がありません。もちろん、それは天に唾する行為とも言えますが、そうやって没落する国の現実から目を反らすことが「愛国」のように思っているのです。
2023.12.25 Mon l 社会・メディア l top ▲
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(2023年12月)



■花粉症の薬の処方


また、私事から書きますが、昨日、さっそく花粉症の薬を処方して貰うために、かかりつけの病院に行きました。ドクターに花粉症の症状が出始めたと言ったら、びっくりしていました。

「やっぱり、この異常な気候が影響しているのかもしれませんね。今年は11月まで夏日が続き、秋がほとんどなかったですからね」と言っていました。私が山に行くのを知っているので、「熊も里に下りて来たりして大変みたいですが、気を付けてくださいよ」と言われました。

「この前も途中の集落の人と話をしたんですが、今年はブナやミズナラが不作どころか凶作と言ってもいいような状況だそうで、熊も餌がなくて生きるのに必死なんだと思いますよ。野生動物の間でも餌の争奪戦が激しくなっているようです。争いからはじき出された熊が里に下りて、鉢合わせした人間に過剰に反応するのも、争いの影響があるのではないかと言われているそうです」
「なるほどね。餓えると人間でも本能がむき出しになりますからね」
「人食い熊のように言われ、問答無用のように射殺されるのは可哀想ですよ。僅か1万2千頭しかいないのに、個体が増えたのが原因だなどと言って、補助金を出して”駆除”しているのです。そもそも”駆除”という役所用語自体がおかしい。人間の傲慢を表している言葉だと思いますね」

薬局でも、「花粉症の症状がもう出ているのですか?」と訊かれました。「去年は2月に一度処方されただけですのでびっくりしました」と言われました。

「花粉症の患者さんはまだ少ないですか?」
「たまにいらっしゃいますけど、皆さん、インフルエンザか花粉症かわからないと言うのです」
「でも、インフルは熱が出るけど花粉症は熱が出ない。その違いははっきりしていますけどね」
「そうなんですけどね。何だかわかってないみたいです」と言っていました。

前も書きましたが、かかりつけの病院は現金一択なので、ATMで5千円を下ろして行きました。会計をする際、「今日は390円です」と言われたので、一瞬聞き間違いかと思ったほどです。その一週間前は、インフルエンザの予防接種も受けたので、支払いは5千円以上ありました。処方箋を出して貰うだけだとそんなに安いんだと思いました。無駄話をして何だかドクターに申し訳ないような気持になりました。

■左派リベラルの瞬間芸


このブログを読んでいただけるとわかるかと思いますが、私は、いわゆる左派リベラルの言説に対して、ずっと違和感と反発を抱いてきました。

そのもっともわかりやすい例がYouTubeです。YouTubeにはリベラル系のチャンネルがここ2年くらいでいくつか登場しましたが、出演するゲストの多くはテレビの吉本芸人と同じようにおなじみの顔ぶれで、言うなれば使いまわしです。そんなに人材がいないのかと思ってしまいます。

今回の裏金問題についても、彼らはただ政治家の悪口を言って留飲を下げているだけです。告発があったとは言え、東京地検特捜部がここに来てどうして捜査に乗り出したのか。もちろん、「検察の正義」というような、そんな単純な話ではないでしょう。検察も権力の一部なのですから(というか、検察は権力の守り神なのですから)、政治家絡みの事件の場合、彼らがやっていることを額面通りに受け取ることができないのは常識中の常識のはずです。

財務省は、自分たちの意に従わない人物や勢力に対して、国税を使って税務調査を行い脱税などの罪で意趣返しするのが常ですが、その末端で使い走りしているのが検察です。そこに伏在するのは、この国を牛耳る官僚たちの「国家は俺たちが動かしているんだ」という自負です。そのために、ときに政治と官僚が対立することもあるのです。

ただ政治家の悪口を言って留飲を下げるだけでなく、そういった”裏読み”も必要なのです。でないと、「検察の正義」で終わるだけでしょう。

YouTubeのリベラル系チャンネルで語られていることは、検察バンザイか、検察は手ぬるいという話ばかりで、権力内部の暗闘=権力闘争という視点は提示されないのでした。

かつてのロッキード事件のとき、私はまだ子どもでしたが、それがアメリカの東部エスタブリッシュメント(=ダクラス・グラマン)と西部の新興の「オレンジ資本」(=ロッキード)の対立が反映されたものだという見方があることをあとで知り、文字通り目から鱗が落ちる気がしました。その見方を示したのは、日本共産党を離党して評論活動を始めていた故・山川暁夫氏でした。

謀略論と違って、ものごとには”裏読み”が必要な場合があるでしょう。”裏読み”しなければ、ものごとの本質に行き着かない場合もあるのです。

左派リベラルはもやは状況を剔抉する視点を持ってないのです。目の前に上がって来る現実を見て、怒ったり喝さいをあげたりするだけです。そういう瞬間芸を演じるだけの存在になっているのです。

YouTubeにはお追従コメントが付きものです。どんなYouTubeでも必ずお追従コメントが付くのです。信者たちのお追従コメントを真に受けると、「これでいいんだ」と天才バカモンのパパのような気持になり、大いなる勘違いをすることになるでしょう。ネットは克己がない夜郎自大の世界だと言われますが、YouTubeも例外ではないのです。

■〈中道〉に逃避した政治


裏金問題にしても、検察がここまで赤裸々に権力闘争に介入するのは、それだけ権力に余裕があるからでしょう。(心の中で)「検察バンザイ」を叫びながら、この不正を政権交代に結び付けなければならない、なんてよく言えるなと思います。

左派リベラルは完全に当事者能力を失っているのです。何故、当事者能力を失ったかと言えば、〈ラジカリズム〉を放棄したからです。(前も書きましたが)シャンタル・ムフが言う「闘技的アゴニスティック」な政治を回避して〈中道〉に逃避したからです。

(略)政治の対抗モデルと右-左の対立を時代遅れであると主張し、中道右派と中道左派の「中道での合意」を歓迎することで、いわゆる「ラジカルな中道」は専門家支配テクノクラシーによる政治形態を進めることになった。この考え方によれば、政治とは党派的対立ではなく、公共の事柄を中立的にマネジメントすることとされたのだ。
(シャンタル・ムフ『左派ポピュリズム』・明石書店)


松下政経塾で学ぶ「政治」は、どう公共の事柄をマネジメントするかなのです。それが、「政治」とされたのです。旧民主党政権が消費増税を主張して政権が崩壊したにもかかわらず、今なお立憲民主党などが頑迷にそれを主張し続けるのは、松下政経塾で学んだ「政治」を墨守し、”ザイム真理教”とヤユされるくらい、増税を前提とした財政再建論や国家論を財務官僚と共有しているからです。こんなのが野党であるわけがないのです。

まして、ノブタ待望論なんて気が狂っているとしか思えません。しかも、彼は現在、立憲民主党の最高顧問に鎮座ましましているのでした。25年以上船橋の街頭で演説をしてきたとか、37年間駅前で早朝のビラ配りを続けてきたとか、そんなものが政治家としての彼の評価と何の関係があるというのでしょうか。村会議員じゃないのです。とどのつまり、彼の「政治」は、そんな日本の古い政治風土を体現したものにすぎないのです。選挙の際、有権者の前で土下座して支持を訴えるような、そんな世界の政治家にすぎないのです。当時の故安倍晋三自民党総裁との党首討論で見せたピエロぶりが、すべてを物語っているでしょう。

シャンタル・ムフは、デモクラシーの根源化(ラディカル・デモクラシー)による闘技的な政治を復活するためには、〈中道〉化した左派リベラルが忌避してきた議会外の街頭闘争の政治的効果インパクトを再評価することが大事だと言います。

誰も言わないけど、今の裏金問題も、たとえそれが権力闘争であっても、山上徹也のテロが遠因になっているのはたしかでしょう。そのインパクトは、ことの良し悪しを越えて否定することができないのです。

 リベラルな論者たちが装ってきたものとは異なり、国家は中立的な領野ではない。それはつねにヘゲモニーによって構造化されており、対抗ヘゲモニー的な闘争にとって重要な足場を構成している。しかし、国家は介入のための唯一の足場というわけではない。政党と運動を対立させたり、議会内と議会外の闘争を対立させることは拒否されなければならない。民主主義の闘技モデルにしたがえば、民主主義の根源化のために介入すべき多様な闘技的公共空間が存在する。議会という伝統的な政治空間は、政策的決定が行われる唯一の空間ではないということだ。代表制は重要な役割を保持もしくは回復すべきではあるが、民主的な新しい形態には、民主主義の根源化が必要となる。
(同上)

2023.12.23 Sat l 社会・メディア l top ▲
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(2023年12月)



■花粉症の到来


こんな私事を書いても興味ないでしょうが、ただ、このブログは私にとっては備忘録のような側面もありますので、何卒ご容赦ください。

年の瀬も押し迫ってきましたが、年内にやらなければならないことがあまりに多くて、スマホのアプリの「ToDo」にそれらをリストアップしたら、よけい憂鬱になってしまいました。

私は花粉症がひどいのですが、しかし、コロナ禍の3年間は不思議と症状が出ませんでした。通常だと1月から4月頃まで、月に一度病院で花粉症の薬(アレルギーを抑える錠剤と点鼻薬と目薬)を処方して貰っていたのですが、この3年間はいづれも一度処方して貰っただけで済みました。

ところが、今年は先週から既に花粉症の症状が出始めたのでした。急に寒気がして身体がだるくなり、クシャミと鼻づまりが始まりました。あきらかに花粉症が発症しはじめた兆候です。

こんなことは初めてです。あわてて薬箱の中を探したら、飲み薬が10日分くらい残っていました。また、点鼻薬も封を切ってないものが2本ありました。ただ、1本は使用期限が既に切れていましたので捨てざるを得ませんでしたが、残り1本の使用期限は来年の3月まででしたので、一日に1度鼻の中に噴射したら、鼻づまりはかなり改善されました。

飲み薬も一日に1度飲むだけですが、1回飲んだあと、薬を入れていた小さなポリ袋が見当たらなくなったのです。いくら探しても出てきません。狐につままれたような話ですが、デイバックに入れていたので、外出先で何かを出すときに落としてしまったのかもしれません。そうとしか思えないのです。

先週、かかりつけの病院を受診したばかりなのですが、これでは花粉症の薬を処方して貰うためにもう一度受診しなければなりません。

考えてみれば、かかりつけの病院にはもう20年近く通っています。この20年間で受付の女性や看護師さんも全員変わりました。最近も受付の一人を残して顔ぶれが一新されていました。ボーナスに不満があったのかなと思いました。

かかりつけの病院は、支払いにキャッシュレスができず、現金一択なのでそれが面倒でなりません。普段はほどんど現金を持ち歩かないので、病院に行くときだけATMで現金を下ろさなければならないからです。

■キャッシュレス社会


キャッシュレスとは恐ろしいもので、たとえば外出先で食事をしようと思っても、スマホ決済などのキャッシュレスの表示がなく現金一択だと、いつの間にかスルーするようになっている自分がいました。でも、そうやって属性と結びつけられた決済のデータがビッグデータとして売り買いされ、自分のあずかり知ぬところで自分のデータが独り歩きしているのです。わかっているけれど、現実に流されてそれほど切迫感はないのでした。

私がこのブログで宇多田ヒカルに絡めて、鈴木謙介氏の『ウェブ社会の思想ー〈偏在する私〉をどう生きるか』(NHKブックス)に触れたのが、2007年の9月でしたので、もう16年前の話です。

関連記事:
宇多田ヒカル賛

私は、ネットの時代を「ひとり歩きする個人情報によってとどめもなく増殖する自己イメージを抱えたまま立ちすくむしかないような時代」と書きましたが、立ちすくむどころか、今の自分はその中にどっぷり浸かっているのでした。まるで「増殖する自己イメージ」に自分が規定され承認を得ているような、そんな時代になっているのでした。コロナ禍でそれがいっきに進んだように思います。

■カミュのような作家はもう登場しない


もちろん、それはペストの時代にはなかったものです。しかも、今回は『ペスト』を書いたカミュのような作家は出ていないのでした。

桐野夏生は、リニューアルした『世界』(2024年1月号)の「いま小説を書くということ」という副題が付けられたインタビュー記事の中で、「大衆的検閲と切り取りが横行する中、作家が表現を自粛しないようにするためにはなにが必要でしょうか」と問われて、次のように語っていました。

桐野 まず作家の勇気と、出版社の勇気でしょう。読者はなにを言ってもいい。なにを言われても平気な顔していられるように、私たちが強くならなきゃいけないと思います。現実じゃなくてフィクション、表現物なのだから、その自由を守らないと。(略)


さらに続けて次のように言っていました。

桐野 (略)小説には悪に向かう力はないように思います。小説のように、言葉を使って表現するものは、善なるものだと思う。


私は、何と凡庸でつまらない言葉の羅列なのかと思いました。文学は、もはや世界を構想する言葉を持ってないのかもしれません。だから、コロナ禍においても、カミュのような作家が登場しなかったのでしょう。

『世界』では、ほかに批評家の大澤聡氏が、「意見が嫌われる時代の言論」と題する記事の中で、次のように書いていました。

 素人の喧嘩自慢をあつめた格闘技番組「ブレイキングダウン」が人気ですが、試合時間を一分間と極端に制限することで、ひょうとしたら素人がプロを負かすかもという面白さがある。あれとおなじで一四〇字なら一般ユーザーが思いつきで時事について専門家より魅力的な発言をする可能性は十分あります。詳述の余地がないからこそ。


つまり、140文字の「つぶやき」と称する断片的な言葉が大手を振ってまかり通るような時代において、カミュのような作家の登場を期待すること自体が間違っていたとも言えるのかもしれません。ひろゆきのようなピエロが、時代の寵児のようにもてはやされるのもむべなるかなと思いました。

前に大塚英志が、『ユリイカ』の「電子書籍特集」の中で、堀江貴文が「どうでもいい風景描写とか心理描写」をとっぱらって、尚且つ「要点を入れて」あるような小説がみずからの「小説の定義」として上げていたことを取り上げて、それは、文学における文体の否定であり、作者性の否定であると批判していたことを、このブログで紹介したことがありました。大塚英志は、まんがにおいても「ペンタッチの消滅」が主流になりつつあり、それは「自我の発露である『文体』の消滅」とパラレルな関係にあると書いていました。

関連記事:
インスタグラムの写真と個性の消滅

140文字の「つぶやき」は論理(対論)の否定であり、ひろゆきの「それってあなたの感想ですよね」という殺し文句も同じように論理(対論)の否定です。ペストと同じように100年に一度の感染症のパンデミックと言われた今回の新型コロナウイルスですが、しかし、私たちをとりまく文化(人文)のあり様はカミュが『ペスト』を書いた頃とは大きく違っているのです。

一方で、ただのユダヤ教徒のシオニストにすぎないことがわかり、その業績に味噌を付けた(というか、その薄っぺらな本質が露わになった)ユヴァル・ノア・ハラリですが、彼は、ガザ侵攻前のまだ自身に対する幻想が生きていた頃に、コロナ後の世界は全体主義的な監視政治体制が強化されるだろうと(自分のことを棚に上げて)警告していました。現実はその通りになっています。ロシアのウクライナ侵攻やイスラエルのガザ侵攻などもあり、これほど国家が大きくせり出した時代はかつてなかったのではないかと思えるほどです。

IT技術を駆使した新たな全体主義デモクラティック・ファシズムの時代が到来したと言ってもいいかもしれません。

■立憲民主党は獅子身中の虫


立憲民主党がどうして獅子身中の虫なのかと言えば、立憲民主党をつくった旧民主党系の人間たちには、松下政経塾出身者が多く、その国家観はきわめて保守的(右翼的)なものであるにもかかわらず、それが労働戦線の右翼的再編で誕生した連合と結びついて野党を装っているからです。そこに今の日本の不幸があるのです。それは今までも何度も言ってきました。

消費税増税の路線を作ったのは旧民主党の野田政権です。だから、今回の消費税減税の論議でも、野党第一党の立憲民主党は反対しています。それでは野党共闘なんてあり得ないでしょう。立憲民主党は第二自民党にすぎないのです。でも、誰もそう言わない不思議を考えないわけにはいきません。ちなみに、従来の児童手当ではなく、所得制限のない「産めよ増やせよ」の子ども手当(のちに名称を児童手当に戻した)を創設したのも旧民主党政権です。それが現在、子育て支援と称して増税の口実に使われているのでした。

今の安倍派と二階派の裏金問題に対して、野党第一党の立憲民主党の動きが鈍いのは、彼らがその国家観を自民党と共有しているからです。問題は、東京地検特捜部やメディアが言うように、収支報告書に記載したかどうかではないのです。政治資金に税金が投入されいるにもかかわらず、なおかつ、みずからが作ったザル法の政治資金規正法を利用して裏金を作っていたという、国家を食い物にする構造そのものが問題なのです。

■「凡庸な悪」と世論


政治資金規正法では、個人の寄付の場合5万円以下だと寄付した人間の氏名や住所などを収支報告書に記載する必要がありません。また、パーティ券を買った個人や法人でも、20万円以下だと同じように記載しなくていいのです。

今回の裏金問題でも、パーティ券を買った企業の名前が一切出て来ないのもそのためです。20万円つづ別々の人間が買ったようにすれば、ブラックボックスの中に隠れることができるのです。

私たちは使ったお金を経費で落とそうと思えば、10円でも100円でも領収書が必要です。領収書がなければ経費として認められません。パーティ券を売れば、その売り上げに対して当然所得税がかかるでしょう。

でも、政治家たちはこのようにザルなのです。もちろん、政治資金であれば非課税です。所得税も譲渡税もいっさいかからないのです。政治家たちは、税法の法体系の埒外に存在する、文字通り治外法権に置かれた特権階級なのです。政治には金がかかると言って、そういった法律を政治家みずからがお手盛りで作ったからです(その先頭に立ったのが小沢一郎です)。

群馬県の桐生市で、生活保護受給者に対して、保護費を「一日に千円」「週に1万円」と分割で手渡しして、保護費を満額支給してなかったという問題が浮上しましたが(残りの保護費はどうしたのかという疑問が残りますが)、これなども前時代的な官尊民卑を象徴する話と言えるでしょう。メディアは「不適切な支給」と書いていましたが、「不適切」どころではなく、人権をまったく無視した非道な行為だと言ってもいいくらいです。

桐生市の福祉事務所のケースワーカーたちは、一方で自治労の組合員でもあるのでしょうが、まるでビックモーターの創業者父子のようです。そうやって弱い立場にある市民の生殺与奪の権利を握って優越感に浸っていたのでしょうか。そこにあるのは、ハンナ・アーレントが言うアイヒマンと同じ「凡庸な悪」です。その現代版と言っても言い過ぎではないのです。ナチズムのエートスは、21世紀の今日も私たちの日常に生き続けているのです。

小役人たちには以前さまざまなカラ手当の問題が浮上したことがありましたが、自分たちが税金を懐に入れるときは泥棒みたいなことをしてくせに、市民に支給するときはこのように「ごうつくババア」のようになるのでした。

桐生市ではこの10年間で生活保護の受給者が半減したそうです。朝日新聞は、「際立つ取り下げ」と書いていましたが、そうやって嫌がらせをすることで受給を取り下げるように仕向けていたフシさえあるのでした。何だかおぞましささえ覚えざるを得ません。でも、公務員にはそもそも瑕疵という概念が存在しないので、彼らは誰ひとり責任を問われることはないのです。

「一日千円」「週に1万円」で奴隷にように小役人にへいつくばることを強要される市民と、非課税をいいことに億単位の金を裏金としてため込んでいた政治家たち。この同じ国家の住人とは思えないような違いは何なのでしょうか。まるで中世の世界の風景のようです。

しかし、忘れてはならないのは、こういった国家を食い物にする構造デタラメを支えているのは国民だということです。生活保護受給者に対してどうして小役人が居丈高な態度を取るのかと言えば、生活保護受給者を貶める世論があるからです。申告漏れの人間に対する誹謗中傷や人格攻撃も同じです。「善良な」市民なんていないのですが、「善良」ズラした彼らは、そうやって国家を食い物にする公務員や政治家たちからいいように踊らされ、“ホントの悪”から目を反らす役割を担っているのでした。

まさに愚民としかいいようがありませんが、でも彼らは街頭インタビューで、「政治家に不信感を持たざるを得ませんね」「税金を払うのがアホらしくなりますよ」などと、いけしゃあしゃあと言ってのけるのでした。でも、社畜とはよく言ったもので、源泉徴収されるみずからに一片の疑問を持つことはないのです。ホントは、子育て家庭としてもっとお金を支給してほしい、そうすれば住宅ローンが楽になるとか、家族旅行に行けるとか、子育て支援に舌なめずりするだけのそんな目先の欲しか眼中にないのです。

埴谷雄高や五木寛之は意識して子どもを持たなかったのですが、無定見に子どもを作ることと意識して子どもを作らないことは、後者の方がはるかに思想の深度は大きいと言えるでしょう。でも、将来の納税者を増やすという国家の論理で言えば、前者の方が従順で使い道があるのです。「社会の主人公」と言っても、ただそれだけのことです。まるで種付け馬のように扱われているだけなのです。
2023.12.21 Thu l 日常・その他 l top ▲
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(イラストAC)



■警備員の薄給


都外の海の見える介護施設で警備員のアルバイトをしている70歳の知人に会って、話を聞きました。

彼は、月に12日のペースで勤務をしていると言っていました。ただ、平日は夕方5時から朝の9時までの夜勤ですが、土日や祝日は朝9時から翌日の朝9時までの(警備業界で「当務」と呼ばれる)24時間勤務になるそうです。12日の勤務のうち3日~4日が24時間勤務で、日当も平日の夜勤の倍だそうなので、24時間勤務を2日分と考えれば、15日~16日分の勤務になるのです。平日の夜勤が1万円、「当務」が2万円で、月の収入は額面で15~16万円。今は非正規雇用でも一定の条件を満たせば社会保険の加入が義務付けられていますので、そこから所得税と健康保険料を引かれると(70歳を越えているので年金保険料はない)、手取りは14万円前後だと言っていました。

考えてみれば、夜勤を実質的に15日~16日しているわけですから、ほぼフルタイムで働ていると言っていいでしょう。帰ってから拘束時間を計算したら、月に192時間~206時間くらいです。それで、この給与なのですから、警備員が如何に薄給であるかがわかろうというものです。

彼が働いている施設は一人勤務で、三人でローテーションを組んでいるそうですが、ただ、その中の一人は二つの施設を掛け持ちしているのだとか。

三人の中で彼がいちばん年下で、あとの二人は80歳近くの後期高齢者だそうですが、でも、彼がいちばん勤務日数が少なくて、会社からももう少し増やせないかと言われているのだとか。あとの二人は、「当務」を2日分と考えれば月に17日~18日分働いているそうです。

「低年金だからじゃないかな」と言っていました。知人も、ずっとフリーで仕事をしていましたので年金は多くないのですが、それでも年金と合算すれば、今の給与で「充分」と言っていました。

あとの二人はいづれも独り者だそうなので、一人分の年金だと生活するのが困難を極めるという、年金生活の現実を映し出しているような気がしないでもありません。

■警備業界は最後の拠り所


二人のように月に17日~18日分も勤務すると、ほかの警備員との兼ね合い(ローテーション)もあるので、夜勤明けにも勤務する「連チャン」をしなければならないのだそうです。つまり、夜勤から帰った日に、夕方から再び夜勤に入るという勤務です。文字通り、老体に鞭打って働いている姿が目に浮かびました。

彼は、あまり仕事を入れると自分の時間がなくなるからと言っていました。いくら生活のためとは言え、残りの人生を、夜勤から帰って寝て、そして起きたらまた仕事に向かうというような生活の繰り返しで終えるのは、あまりに空しく切ないと言ってましたが、そのとおりでしょう。

彼らの仕事は、同じ警備員でも「施設警備」と呼ばれ、室内でモニターなどを監視するのが主な仕事なので、警備員の中でも比較的恵まれた仕事とは言えます。でも、人手不足は深刻で、辞めた人間の補充もきかないので、事務の社員なども総出で現場に出ている状態なのだそうです。

下記は、2021年のコロナ禍に書かれた朝日新聞特別取材班の記事に掲載されていた「2020年4月以降の有効求人倍率」の表ですが、これを見てもわかるとおり、コロナ禍においても「警備員を含む『保安の職業』」の求人は、慢性的な人手不足にあったことがわかります。

東洋経済ONLINE
70代の高齢警備員「老後レス社会」の過酷な現実

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この異常な有効求人倍率を見ると、警備員の給与が上がってもおかしくないのですが、給与はほとんど上がっていません。

もちろん、警備業界に人が集まらないのは、労働条件が劣悪だからです。それは、今問題になっているドライバー不足の上を行くような劣悪さですが、一部の大手を除いて、業界にはそれを改めようという姿勢は見られません。何故なら、(特に高齢者が働いているような零細な)警備会社は利益率が著しく低く、経営体力が弱いからです。

ただ、警備業界が構造的に抱える人手不足のおかげで、高齢者たちが仕事にありつけるので、彼らにとっては「好都合」とも言えるのです。要するに、決して生産的はないけれど、警備会社と高齢者の間で持ちつ持たれつの関係ができているのです。

高齢者といえども辞められたら困るので、多少のミスをしても会社は目を瞑ると言っていました。中には契約先から、あまりにヨタヨタなので警備員を変えて貰いたいと言われても”クビ”にすることはなく、別のうるさくない契約先にまわすだけだそうです。

会社にとっては「いないよりまし」なのです。多少の物忘れがあっても認知が進んでいなければオッケー。少しくらい足を引きずっていても歩ければオッケー。入院しても、退院して働けるようだと職場復帰は歓迎だそうです。つまり、警備業界は、風俗業界と同じで、行き場のない人間たちの最後の拠り所のようになっているのです。

もちろん、外国人労働者が警備業に就くことも、条件をクリアすれは可能です。しかし、タクシーや介護ほども雇用は進んでいません。いくらヨタヨタの高齢者でも外国人よりは「まし」なのです。それが警備が(難しくはないけど)特殊でデリケートな仕事であるからです。

■介護施設も「老人天国」


もっとも、知人は、「老人天国」であるのは介護施設も同じだと言っていました。介護職員は若い人が多いものの、介護以外の仕事は老人ばかりだそうです。

ディサービスの送迎車の運転手然り、入所者の衣類などを洗濯する家事の人も然り、入所者の食事を介助する人も然り、それから警備と同じように下請け業者に委託されている清掃や厨房で働いている人たちも然りです。介護施設は高齢者の職場でもあるのです。しかも、彼らはおしなべて非正規職員(社員)で、彼らの賃金は各都道府県が定めた最低賃金と相場が決まっています。

そんな彼らでさえ、介護職の若い人たちは可哀想だと口を揃えて言っているのだとか。それくらい介護職は恵まれない、ワリに合わない仕事なのです。

厚生労働省は、人材の確保のために、2024年2月から介護職員1人あたり月6千円の賃上げを実施する方針だそうですが、私のような部外者から見ても、ひと桁違うだろうと思いました。

一方で、政府がすすめる子育て支援(異次元の少子化対策)には総額で3.6兆円が必要で、そのために「社会保険料に上乗せした支援金制度」が創設されるそうです。国民全員が子育て家庭のために応分の負担をしろというわけですが、その陰では、このようにワリに合わない仕事で疲弊し、将来の人生設計も描けない介護職員や、自業自得と言われ、自己責任を強いられた「死ぬまで現役」の老後を送っている高齢者たちがいるのです。

■理不尽でむごい世の中


ホントに理不尽でむごい世の中になったものだと思いますが、何より糾弾されなければならないのは、歌を忘れたカナリアの左派リベラルが保守的な国家論に基づいた(将来の納税者を確保するための)「産めよ増やせよ」に同調していることです。

子育て支援と言うなら、今のような総花的なバラマキではなく、貧困対策の中で考えるべきだと思いますが(貧困家庭に対する手厚い支援を行うためにもそうすべきですが)、彼らには上か下かの視点がまったく欠落しているのです。左派リベラルには、今の世の中が理不尽でむごいという認識さえないのではないかと思います。

もちろん、そんな理不尽でむごい世の中を支えているのは、社会の主人公の国民たちです。国民の中にも、余命が短い高齢者に税金を使うのは税金の無駄遣いとでも言いたげな、所詮は他人事のような考えがありますが、でも、「死ぬまで現役」の高齢警備員たちは間違いなく明日の自分の姿なのです。それがまったくわかってないのです。
2023.12.17 Sun l 日常・その他 l top ▲
ダイソー



■「ダイソー」の買収


Yahoo!ニュースにも転載されていましたが、朝鮮日報の報道によれば、100円ショップの「ダイソー」を運営する大創産業の全株式を韓国で「ダイソー」を運営する牙城ダイソーが約5000億ウォン(約550億円)で取得し、「ダイソー」が完全に韓国資本の会社になったそうです。

朝鮮日報日本語版
韓国ダイソー、日本・大創産業の全持ち株を取得

記事にもあるように、もともとは韓国で100円ショップを運営していた牙城ダイソー(当時は別名)に、日本の大創産業が2001年に4億円を投資して株を取得、社名を牙城ダイソーと改めたのが両社の提携の始まりだったのですが、いつの間にか立場が逆転してしまったのです。

日本の大創産業から経営参加と配当金増額の要求があったため、じゃあということで全株式を取得することにした(つまり、実質的に買収した)そうです。

急激な円安により100円ショップの経営が圧迫されているのは想像に難くありません。100円ショップのような業態は円高だから成り立つビジネスモデルなのです。

大創産業の創業の地が広島なので、ネトウヨはまたぞろ大創産業を”在日認定”するのかもしれませんが、そんな稚児じみたワンパターンの妄想で現実から目を反らすのではなく、これも落ちぶれていく日本を象徴するニュースと捉えるべきなのです。

2001年に投資した会社から2023年に逆に買収されたという、この20年の時間は文字通り日本が先進国から転落していく過程でもあったのです。

かつて政治が二流でも経済が一流だから日本は大丈夫だ、と経団連のチンケな老害経営者たちが嘯いていましたが、今や政治も経済も完全に底がぬけてしまったのです。

■大谷は「ニッポン凄い!」の最後の砦


既に国民の平均年収も韓国にぬかれており、その現実を考えると今回の買収も別に意外な話ではありません。なお、OECDが発表した2022年度の平均年収(為替レート換算)は、韓国は20位で日本は21位です。

テレビも一時は100均は日本が世界に誇るコンテンツだとして、特集番組などを組んだりしていましたが、いつの間にか「ニッポン凄い!」ではなく「韓国凄い!」になっていたのです。もうその手の番組も姿を消すでしょう。

で、現在の「ニッポン凄い!」は何と言ってもドジャースに移籍した大谷でしょう。連日、大谷の話題ばかりでうんざりしますが、平均年収が21位の国にとって、大谷は世界に誇る唯一のコンテンツ=自慢なのかもしれません。もう誇るものはスポーツ選手しかいないのかと思ってしまいます。

■ブルーリボンは「売国」の印


日本は美しい国、「ニッポン凄い!」と言い、国民に「愛国」を強要する一方で、こそこそとザル法の網の目をかいぐぐって裏金作りに腐心していた政治家たち。彼らは日本人の魂を”反日カルト”に売り渡した”売国奴”であったにもかかわらず、「愛国」政治家としてネトウヨからヒーロー扱いされていたのでした。彼らの襟に付けられたブルーリボンのバッチは、「愛国」ではなく「売国」の印だったのですが、検察の怒りに触れたのもそれゆえだったのかもしれません。この国に愛国者なんていないのです。白亜の御殿に住む”極右の女神”に象徴されるように、「愛国」ビジネスがあるだけです。

政治家が犯罪者で”売国奴”だから検察が力を持ち、検察独裁ファッショになってしまうのです。その点では韓国と五十歩百歩なのです。今まで裏金の「う」の字も報道しなかったくせに、ここに来て「検察バンザイ」のオンパレードになっているメディアの姿勢もまた、多分に危ういものがあり、違和感を抱かざるえを得ません。もちろん、「検察バンザイ」に便乗するだけの”多弱”の野党も然りです。

■子育て支援の本末転倒


左右を問わず子育て支援が金科玉条の如く絶対視されていますが、逆に子育て世帯だけが年収が増えているという統計もあるそうです。豚の子どもではないのですから、奨励金を出すので「産めよ増やせよ」というような話ではないでしょう。少子化や未婚率の上昇は、文化の問題(人生に対する価値観の問題)なので、政治ではどうすることもできないのです。その一方で、大半の高齢者は年収100万円台で、文字通り爪に火を点すようにして老後の生活を送っているのです。生産しない年寄りは用なしなのかと思ってしまいますが、それでは杉田某の発想と同じでしょう。

先進国のふりして子育て支援などと言い出し、そのために貧国対策がなおざりにされ、社会保障費を削ったり増税(社会保険料の上乗せ)したりするのでは本末転倒もいいところです。この格差社会をどうするかということがもっとも大事で喫緊な問題のはずですが、与野党問わずそういった視点が今の政治には決定的に欠けているのです。

もはや日本は先進国ではない、中国に対抗する国力もない、ということを虚心坦懐に認識すべきでしょう。タイから来た観光客が1万5千円の牛肉に舌鼓を打ち、「これは安いですよ」とのたまっているのを見て、どう考えるかでしょう。「ニッポン凄い!」と誤魔化している場合ではないのです。

日本は「安い国」になる一方なので、これからも「ダイソー」買収のようなニュースが出て来るに違いありません。


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異次元の少子化対策とコメンテーターの知性
「安くておいしい国」日本
2023.12.15 Fri l 社会・メディア l top ▲
秩父2・1月1日
(2002年1月1日)



■登山あるある


前回笹尾根を歩いたのが4月でしたので、もう7ヶ月振りになりますが、昨日、西武秩父線の東吾野駅からユガテ、そして反対側の毛呂山町の鎌北湖まで歩きました。

途中のコースは違いますが、東吾野駅から鎌北湖は去年の6月にも歩いています。最近はまだ膝に対する不安もあるので、山に行くモチベーションがまったくあがらず、それこそやっと重い腰を上げて出かけたという感じでした。

でも、これも登山あるあるですが、一度行くと今度はどこに行こうかなと思ったりするのでした。

もちろん、登山と呼べるようなものではなく、文字通りのハイキングでしたが、しかし、7ヶ月振りの山歩きにしては帰ってから筋肉痛もなく、何より身体の疲れも自分でも意外なほどありませんでした。一応10キロ近く歩きましたし、スマホのアプリでは出かけてから帰るまで2万8千歩歩いていましたが、何だか仕事から帰ってきたのと同じくらいの疲労感で、帰ってから風呂の掃除をしたくらいです。

いちばん辛かったのは、前回も書きましたが、下山したあとの鎌北湖から東毛呂駅までの5キロ近くの道でした。ただ、あとで知ったのですが、鎌北湖には平日に限り午前に1便、午後に2便、村営の巡回バスが立ち寄り、東毛呂駅までバスで行けるようになったみたいです。

■行きと帰りの電車の不運


早朝4時に起きて、みずからを奮い立たせて(それこそ自分で自分のケツを叩いて)、ザックを背負って駅に向かいました。

始発の5時6分の電車に乗り、東急東横線・地下鉄副都心線で池袋まで行きました。始発は各駅停車でしたので、池袋駅に着いたのは6時過ぎで、池袋駅から西武鉄道の特急ラビューで飯能駅まで行き、飯能駅からは西武秩父線に乗り換えて東吾野駅で下車する予定です。

去年の6月も同じ行程だったのですが、西武池袋駅の券売機で特急券を購入しようとしたらクレジットカードが使えないのでした。でも、すっかりキャッシュレス社会の申し子のようになっている私の財布の中には、前日インフルエンザのワクチンを接種した際のお釣りの小銭しか入っていません。

私は、駅の案内所に行って、「特急券はクレジットカードは使えないのでしょうか?」と訊きました。どこの駅でも駅員は大概横柄と相場が決まっていますが(それが駅員に対する暴力事件が多発する背景なのですが、メディアは一切指摘しない)、案の定、ガキのような駅員が「そうですよ」とぶっきぼうに答えるだけです。まるで「それが何か?」とでも言いたげな口調でした。

「スイカは使えないのですか?」とさらに訊くと、「パスモのカードだけですね」とこちらの顔も見ないで手元の作業を続けながら答えるのでした。つまり、モバイルスイカ(パスモ)は使えず、プラスチックのカードしか使えないのです。

キャッシュレス社会を手放しで礼賛するわけではありませんが、スーパーや飲食店などのキャッシュレス化を考えると、何だか鉄道会社の殿様商売ぶりが垣間見える気がしました。もちろん、ネットのアプリだと当然キャッシュレスは可能です。

しかも、特急ラビューは信号機の点検があったとかで6分だか遅れて出発したのでした。しかし、飯能駅での秩父線の接続時間は6分しかなく、それも秩父線のホームは線路をはさんだ反対側にあるので、一度階段を上って反対側のホームに移動しなければならないのでした。

案の定、飯能駅ではダッシュして階段を上ったものの、秩父線のホームに降りた途端に無情にも電車のドアが閉まったのでした。次の電車は1時間後です。それこそ電車のドアを蹴飛ばしたような気持でした。

それで、仕方なく改札口を出て、このブログでも書いたことがありますが、北口の名郷行きのバス停の前に吉野家があるので、そこで朝食を食べて時間を潰そうと思い、北口に向かいました。すると、何ということでしょう、吉野家は改装中でシートがかぶせられ休業していたのでした。まさに踏んだり蹴ったりです。飯能駅には松屋もすき家もなく、吉野家しかないのでした。仕方なく、改札口の前の待合室のようになっているスペースで、コンビニのおにぎりを食べて時間を潰しました。

そのスペースの真向かいのシートに40がらみの女性がひとりで座っていたのですが、しばらくすると、そこに背広の上にステンカラーコートを羽織った同じくらいの年恰好の男性が「お待たせ」と言ってやってきたのでした。そして、女性がスーパーのレジ袋に入った弁当のようなものを渡していました。男性もさも嬉しそうにそれを受け取ると、二人でシートに並んで座わり、まわりに聞こえないような小さな声でおしゃべりをしていました。

私はおにぎりを頬ばりながら、ときどき上目使いで二人を見て、「チェッ、不倫の恋の出勤前の逢瀬かよ」と心の中で舌打ちしました。

電車とのタイミングが合わなかったのは、帰りも同じでした。当初は、八高線の東毛呂駅から八王子まで行って、八王子から横浜線で帰る予定にしていたのですが、鎌北湖から5キロの道を歩いて東毛呂駅にやっと着いて改札口を入ったら、反対側のホームに八王子行きの電車が停まっていたのです。しかし、反対側のホームに行くには階段を上って渡線橋(渡り廊下)を越えなければなりません。私の横を若者が走って渡線橋を渡り、下り階段を一段づつ飛ばしながら降りて行きました。私もフーフー言いながらやっとホームに降りた途端、まるでアカンベーをするかのように電車のドアが閉まったのでした。まったく朝の飯能駅の二の舞です。

しかも、次の電車はやはり1時間後しかありません。逆方向の電車を調べると30分後に来るみたいなので、再び渡線橋を戻り、反対方向の電車で越生駅まで行き、そこから東武東上線を乗り継いで、池袋・新宿・渋谷を通って副都心線・東横線で帰りました。

東毛呂駅で八高線の電車に乗ったのが午後2時40分でしたが、最寄り駅に着いたのが午後5時半でした。そもそも下山口の鎌北湖に下りたのが午後0時半なのです。何とそこから5時間かけて帰ってきたことになります。

■気ままなハイキング


今回のハイキングの目的は、途中の林道沿いにある天文岩を訪ねることでした。ユガテからエビガ坂に向かう登山道の途中から林道に30分くらい進むと天文岩がありました。前にも何度か来たことがありますが、いづれも車でしたので、今度は下から歩いて行ってみたいと思ったのでした。考えてみれば、天文岩を訪れたのは15年振りくらいです。

あの頃は山の上から暮れなずむ秩父の街を眺めるのが好きでした。2002年の元日に撮った写真がありますので、ついでに貼っておきます。夜中にもよく行きましたが、暗闇で天文観察のグループに遭遇したことがありました。また、山の中で仔猫を拾って帰ったこともありました。飼い方もわからないので近所の猫好きの家に聞きに行って事情を話したら、その家で引き取ってくれることになりました。

朝の重い気分はどこへやら、やはり山っていいなあとしみじみ思いました。途中、登山道を歩くだけでは面白くないので、ルートを外れ薄い踏み跡を辿って藪の中に分け入ったりしました。

今回は登山アプリではルート設定もせずに、歩いた軌跡だけを表示するようにしました。もちろん、道案内が豊富なので道迷いする心配はありませんが、何だか車と同じようにナビの案内で山を歩くのはつまらないと思ったのでした。ときどき寄り道をしながら自分のペースで気ままに歩くのは、なつかしい気持もありました。子どもの頃、そうやって裏山を歩いていた記憶があるからでした。

このコースは外国人のハイカーが多いのですが、昨日はひとりも会いませんでした。途中で会ったのは、挨拶もしない侏儒しゅじゅのような日本人の爺さんだけでした。


※拡大画像はサムネイルをクリックしてください。

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西武秩父線・東吾野駅

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東吾野駅はいつの間にか無人駅になってしました。

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駅の反対側は天覚山の登山口で、いわゆる「飯能アルプス」に至ることができます。

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いつもの吾野神社の階段

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登山道は社の裏から

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途中登山道を外れ「雨乞塚」に寄ってみた

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このあたりの山には雨乞いの岩や塚などが至るところにあります。昔は眺望のいい岩や塚(小さなピーク)などで雨乞いの儀式が行われたのでしょう。でも、今は植林で眺望が閉ざされています。

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高齢の猟師は熊より怖い。

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ユガテ

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天文岩

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鎌北湖の上にある集落





2023.12.14 Thu l l top ▲
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一昨日(9日)の土曜日、横浜の日本大通りから象の鼻パーク、山下公園を散歩しました。赤レンガ倉庫前の広場で恒例のアートリンクやクリスマスマーケットが開催されていたからなのか、いつになく人出が多く賑わっていました。

ただ、クリスマスマーケットが広場の大半をゲートで囲み、中に入るのに500円の入場料を取るようになっていたのにはびっくりしました。 

一応、新型コロナウイルスの教訓で、人混みを回避するためという理由があるようですが、でも、中はマーケットというくらいですからものの販売や飲食の提供の場なのです。にもかかわらず入場料を取るという発想には、えげつないという感想しか持ちえませんでした。もちろん、私は、買い物をする予定はないので、中には入りませんでした。

こうったところにも新型コロナウイルスに便乗した新手のビジネスが垣間見える気がします。こういった新手のビジネスは至るところで見られるのですが、一方で、パンデミックによって倒産したり廃業した(させられた)零細な業者がごまんといることも忘れてはならないのです。弱肉強食と言うべきなのか、いろんな業種で資本力のある企業の寡占化がいっきに進んでいる気がします。そして、パンデミックを生き延びた私たちの目の前に出現したのは、政治も経済も底がぬけたこの国のあられもない姿なのでした。

日本大通りの銀杏並木も終わりを迎えていましたが、その下をこんなに多くの人たちが散策しているのを見るのも初めてでした。カミュの『ペスト』では、ペストの終息が宣言され、ロックダウンから解放された人々が歓喜の声を上げながら街に繰り出すのですが、その場面を思い出しました。しかし、主人公のリウーは、これが終わりでないと呟くのでした。

さらに象の鼻パークに行くと、階段にはぎっしりと人々が腰を下ろしてお喋りしたり目の前の海を眺めたりしていました。

また、象の鼻パークから大さん橋の屋上の「くじらのせなか」に行くと、そこにも多くのカップルや家族連れがベンチに腰を下ろして、眼下に広がる暮れなずむ港の風景を眺めていました。

季節は違いますが、夏の夕方、漁村に行くと、ランニングシャツ姿の老人などが、堤防の上に腰をおろして世間話をしている光景を目にすることがありましたが、それを思い出しました。そういった思い出も若い頃のものなのでした。

大さん橋からは山下公園に行き、さらに伊勢佐木町まで歩いて有隣堂で本を買って帰りました。帰ったら歩数が1万5千歩を越えていました。

私の人生も黄昏で、最近はネガティブなことばかり考えていますが、でも、歩くことで、いくらか前向きになれるようなところがあります。前も書きましたが、家の中でものを考えるのと、歩きながらものを考えるのとでは全然違うのです。 


※拡大画像はサムネイルをクリックしてください。

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日本大通り

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象の鼻パーク

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くじらのせなか

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山下公園
2023.12.11 Mon l 横浜 l top ▲
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(写真AC)



■歯止めがかからない死者数


イスラエル軍はガザ北部から南部へと侵攻し、ガザの住民の死者がさらに急増、メディアは犠牲者の数に歯止めがかからない状態になっていると伝えています。

歯止めがかからないと言っても、犠牲になっているのは生身の人間なのです。命を奪われた人たちひとりひとりにはそれぞれの人生があったのです。天井のない牢獄で生まれても、当然ささやかな夢や希望があったに違いありません。それがイスラエル軍の爆撃で無念の死を迎えることになったのです。ガザの保健当局の発表では、この2ヶ月間で既に1万7000人以上が亡くなったということです。もはや彼らは個別の存在ではなく、「死者数」という数の上にしか存在しないのです。

イスラエル軍はハマスの壊滅をめざしていると言っていますが、この1万7000人の大半は民間人で、その半数近くは子どもだと言われています。文字通りの無辜の民なのです。でも、イスラエルのヨアフ・ガラント国防相が言うように、パレスチナ人は「人間の顔をした動物」であり、子どもも将来のテロリストなので、殺害するのに容赦ないのです。

これは誰が見ても、ジェノサイド以外のなにものでもなく、かつてホロコーストの犠牲になったユダヤ人たちが、今度はその”被害者の論理”を盾にして、パレスチナ人に対してジェノサイドを行っているのです。

でも、イスラエルは、勝てば官軍だと言わんばかりに攻撃の手をゆるめる気配はありません。日本のメディアの両論併記を地で行くような、日本人の「どっちもどっち論」だと勝てば官軍になるのかもしれません。しかし、それは、20世紀に人類が辿り着いたヒューマニズムという考えを、人類みずから否定することになるのです。今、私たちはその瀬戸際に立っているのだと言ってもいいでしょう。

■スーザン・サランドン


アカデミー主演女優賞を受賞したこともあるアメリカの女優・スーザン・サランドンが、反イスラエル発言で批判を浴び、映画を降板され、所属する事務所からも契約を解除されたというニュースがありました。

ディリースポーツ
スーザン・サランドン 反イスラエル発言で映画降板、事務所も契約解除

超大物女優 差別発言で大手事務所から契約解除「社員数人が非常に傷ついた」

実に驚くべき、そして、憂慮すべきニュースだと思いますが、日本国内の反応は、おおむね「ハリウッドはユダヤ系に支配されているので仕方ないよね」というような能天気なものです。

記事は次のように書いていました。

 スーザンは、ニューヨークで行われているイスラエル・ハマス紛争に反対する一連のデモに参加してきており、反ユダヤ主義的と捉えられている「川から海まで」というスローガンを唱えていたほか、最近のデモでは「現在、多くの人々がユダヤ人であることに恐れを抱いており、この国でムスリムがどう感じているのか分かり始めてきた」と話していた。

 またスーザンは、長年反ユダヤ主義者とレッテルを張られているピンク・フロイドのロジャー・ウォーターズのX(旧ツイッター)への投稿をリツイートしていたことでも非難を浴びている。ウルグアイで開催されたイベントに関する同投稿には「このイベントを中止させようというイスラエルの圧力にも関わらず、ピンク・フロイドのロジャー・ウォーターズは(パレスチナのアイデンティティの象徴であるスカーフ)ケフィエをまとってウルグアイのステージに立ち、ガザ地区におけるイスラエルによる大虐殺を止めるよう訴えた」と綴られていた。

 スーザンは、過去にはジェーン・フォンダと共にイラク戦争反対デモに参加、また大統領選ではバーニー・サンダースを支持するなど、その左派の政治的活動でも知られている。


スーザン・サランドンの何が問題なんだと思いますが、アメリカではユダヤ人によって、かつての「赤狩り」を彷彿とするようなパージが既に始まっているのです。

あのガザの悲惨な光景を前にしても、ユダヤ人(ユダヤ教徒)たちは、パレスチナ人は当然の報いを受けているかのように言い、イスラエルを批判する人間を、民主主義を標榜する社会から(民主主義なんて関係ないと言わんばかりに)排除しようとしているのです。鬼畜のようなナチズムの犠牲になった彼らが、80年後、鬼畜のように牙をむき出にして、イスラエルを批判する人たちに襲いかかっているのです。

■誰も仕切れない世界


ユダヤ人(ユダヤ教徒)が信奉するシオニズムのようなカルト思想の前では、民主主義やヒューマニズムといった、「普遍的」あるいは「叡智」と言われるような概念が如何に脆いものであるかということを見せつけられた気がします。でも、ファシズムはこういった宗教の衣装をまとってやって来ることもあるのです。それに、今のイスラエルを見ればわかるように、ファシズムの犠牲者がファシストになることもあるのです。

スタンフォード大学をはじめアメリカの学生たちの間で、反イスラエル=親パレスチナの主張が広がっているそうですが、スーザン・サランドンが言うように、ナチスが簒奪したものとはまったく別の新たな「ユダヤ人問題」が生まれつつあるのはたしかでしょう。

もちろん、世界の多極化という背景があるからですが、このような「誰も仕切れない世界」の現状について、斎藤幸平は「ポリクライシス(複合危機)」という言葉を使って警告していました。まるで中世の「戦国時代」に戻ったかのような話ですが、だからイスラエルもどんなに暴虐の限りを尽くしても、勝てば官軍だと思っているのでしょう。

おかしいものをおかしいと言えない時代。それは、宗教も政治も関係ないし、制度の問題でもないのです。私たちにおかしいものをおかしいと言う勇気と想像力と、そして、真っ当な考えがあるかどうかなのです。それが問われているのだと思います。過去においては被害者であっても、だからと言って今の彼らが正しいとは限らないのです。この歴史のアイロニーを正面から受け止める必要があるのです。

問答無用とばかりに突きつけてくる”被害者の論理”にひるむことなく、イスラエルの勝てば官軍の企みを批判し続けなければならないのです。イスラエルやユダヤ人を語るとき、奥歯に物が挟まったような言い方をやめるべきなのです。

でないと、民主主義やヒューマニズムが、イスラエルやそれを支持するユダヤ人(ユダヤ教徒)に蹂躙されたままで終わることになるでしょう。新たな「ユダヤ人問題」とはそういうことだと思います。
2023.12.09 Sat l パレスチナ問題 l top ▲
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(public domain)



アジア記者クラブのXに次のような投稿がありました。



このように一部の左派の間で、周庭氏の事実上の亡命表明に対して、同氏がCIAのスパイであったかのような陰謀論が飛び交っているのでした。

私には「語るに落ちた」「贔屓の引き倒し」という言葉しか浮かびません。周庭氏がCIAのスパイなら、夫子は中国共産党の走狗じゃないかと言いたくなります。

私はへそ曲がりなので、米中対立に関しても、どっちかと言えば中国を擁護するようなことを書いていますが、しかし、この陰謀論は見逃すことはできません。

もちろん、香港の民主化運動にアメリカの思惑が絡んでいるのは事実かもしれません。香港の民主化運動を米中対立の文脈で語るような視点をまったく否定するものではありません。それに、彼女はまだ27歳の若い女性なので、「おそらく一生、香港に戻ることはない」という人生の大きな決断の裏に、彼女を庇護する人たちや組織があるのは当然でしょう。

しかし、自由を知っている香港の学生たちが”香港の中国化”に対して異議を申し立て、立ち上がったのはまぎれもない事実です。21世紀は大衆蜂起の時代だと言ったのは笠井潔ですが、大衆蜂起の政治的な意味合いを根底から否定するような陰謀論はまったく反動的だし、何より「一生逃亡者として追われる」と香港政府(=中国共産党)から脅しをかけられている周庭氏のことを考えると、鬼畜であるとさえ言えるでしょう。

ハマスとイスラエルの戦いではないですが、中国共産党に異議申し立てを行った香港の学生たちは、それこそ巨象に挑む蟻のようなものです。しかし、蟻の一穴ということわざもあるように、香港の学生たちの自由を求める声が、たとえば、習近平のゼロコロナ政策に抗議する市民の「白紙運動」や、デモで掲げられた「独裁反対」のスローガンなど、中国国内の異議申し立てに影響を与えていたのは否定しようのない事実でしょう。

アジア記者クラブは”市民派”ジャーナリストの集まりと言われていますが、しかし、Xの投稿を見ると、みずからが取材した事実に基づいたものではなく、大半が他のメディアの記事を恣意的に引用したものにすぎません。そもそも彼らは、ジャーナリストの仕事をしているのかと思ってしまいます。

何だかジャーナリストを僭称する(親中派の)活動家のような感じさえするのでした。アジア記者クラブではなく「中国記者クラブ」、あるいは「人民日報友の会」と看板をすげ変えた方がいいんじゃないかと言いたくなります。

戦史/紛争史研究家の山崎雅弘氏は、過去に「中国共産党の言い分を鵜吞みにした」アジア記者クラブの主張を次のように批判していました。


アジア記者クラブは、香港の雨傘運動だけでなく、天安門事件の学生たちも単なる「暴徒」にすぎないと言っています。彼らに言わせれば、民主化を要求するのはみんな「暴徒」でアメリカのスパイなのです。

やたら国旗の絵文字を多用した”おじさん構文”もそうですが、何だか左派のなれの果て、トンチンカンの極みのような気がしないでもないのです。中国共産党がなんぼのもんじゃいと啖呵を切りたくなりますが、ここにも左の全体主義が垣間見えているような気がしてなりません。


関連記事:
在香港团结一致
2023.12.06 Wed l 社会・メディア l top ▲
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■建長寺


昨日、午後からふと思いついて北鎌倉に行きました。 

横浜駅で東横線から横須賀線に乗り換えると、最寄り駅から乗り換えの時間も入れて40分くらいで行けます。

前に北鎌倉に行ったのはコロナ前なので数年ぶりです。ただ、平日の午後3時すぎだったからなのか、観光客は想像していたより少ない気がしました。

線路沿いを鎌倉駅方面に歩いて建長寺に行きました。建長寺の中も観光客はまばらでした。時節柄なのか、いつの間にか拝観料が500円に値上げされていました。なお、入口には「天園ハイキングコースを歩かれる方も拝観料をお支払い下さい」と注意書きがありました。

建長寺は、臨済宗建長寺派の本山の禅寺なので、背後の山の麓には修行僧が建てた「塔頭たっちゅう」と呼ばれる小寺が散在しています。

■葛西善蔵


このブログでも書きましたが、葛西善蔵は肺結核の療養のため、一時その小寺の庫裏くりを借りて住んでいました。当時の文士は、貧乏と女と肺病を経験しないといい小説が書けないと言われたのですが、葛西善蔵はその典型のような破滅型の私小説作家でした。

葛西善蔵が建長寺の裏にある「塔頭」の庫裏を借りたのは、関東大震災があった1923年(大正12年)ですから、働きもせずにブラブラして小説を書いているような人間は、文字通り世間からは”いいご身分”のように見えたことでしょう。しかし、本人たちは自分たちを“人非人”と自称していたのです。それで生れたのがわたくし小説です。でも、私小説の自己卑下はエリート意識の裏返しでもあります。中村光夫が「私小説演技説」を書いて、彼らを批判したのも一理あるのです。

森敦も放浪していた途中に、山形の山奥の古寺の天井裏を借りてひと冬を過ごし、その体験から名作の「月山」が生まれたのですが、昔はお寺が旅人を泊めたりしていたので、文学の”後援者”としてのお寺の存在も見過ごすことはできないのです。

私の高校時代の同級生で何故か僧侶になり、名刹と言ってもいいような有名なお寺の住職になっている男がいるのですが、ある日彼から別の同級生に、九州で住職のいない無住寺があるので、「〇〇(私の名前)は小説を書いているんだろ? だったらその寺に住んで小説を書けばいいんじゃないかと思ったんだけど、〇〇に話をしてくれないか」と、電話がかかってきたそうです。同級生は、「〇〇が小説を書いているという話は聞いたことがないな」と答えたのだそうで、私に電話してきてそう言ってました。

私が高校時代から本を読むのが好きだったのでそういう噂が流れているのかもしれませんが、小説を書くためにお寺を貸すという発想が今の時代も存在しているのかと思いました。

葛西善蔵本人と彼と(今風に言えば)不倫関係にあった茶店の娘「おせい」(浅見ハナ)の墓が、「塔頭」のひとつである回春院の境内にあるそうなので、お参りしたかったのですが、残念ながら回春院は立ち入り禁止になっていました。もっとも、葛西善蔵の生家は青森で、彼の墓もそちらにあるので、不倫相手と一緒に建長寺の小寺に墓があるというのはおかしな話ではあるのです。

「塔頭」の間には民家とおぼしき家屋もあり、車も止まっていました。天園ハイキングコースの入口にあたる半僧坊まで歩いて下に降りて来ると、ちょうど犬の散歩をしていた高齢の女性に遭遇しました。それで、「あの民家のような建物は何なんですか?」と訊いてみました。

「お寺の関係者もいるし、普通の方たちも住んでいますよ」
「そう言えばゴミの集積場もありましたね(笑)。中には自動販売機を置いた家もありましたが、昔はあのあたりに茶店があったのですか?」
「そうですよ」
「じゃあ葛西善蔵が借りていたのもあのあたり?」
「そうです。よくご存知ですね」
「で、食事を提供していた茶店の娘と不倫関係になったという茶店もあのあたり?」
「そうです、そうです。ホントによくご存知で」
何でもその女性は昔編集の仕事をしていたそうで、犬は退屈そうでしたが、それからひとしきり葛西善蔵の話で盛り上がったのでした。

■中国人観光客


建長寺を開山した大覚禅師(蘭渓道隆)は中国西蜀淅江省の出身だそうで、そのためもあるのか、境内ですれ違った観光客の大半は中国語を話していました。

建長寺のあとは鎌倉駅まで歩きました。途中の切通しのトンネルを過ぎた先にある洋菓子店の「歐林洞」がもぬけの殻になっていたのはびっくりしました。私も若い頃、鎌倉在住のガールフレンドと行ったことがありますが、ちょっと高級な喫茶店で、中にはコンサートができるスペースもありました。「パトロン」という洋菓子が有名だったのですが、新型コロナウイルスが蔓延しはじめた2020年の6月に閉店したみたいです。

雑草に覆われ看板の店名が剥がれた建物は、何だかハリケーンが通り過ぎたあとに放置された廃屋のような感じでしたが、そういった新型コロナウイルスの痕跡は至るところで見られるのです。百年に一度の災禍というのは決してオーバーではないのです。ペストと同じで、のちの時代になれば私たちは「生き証人」と呼ばれるのかもしれません。

小町通りは相変わらず人であふれていましたが、ただ都内と違って欧米系の観光客は少なくて、やはりすれ違うのは中国語を話す観光客ばかりでした。ただ、中国人観光客と言っても、前のような中高年の団体客は減り、個人旅行の若い観光客が多くなった気がします。筒井康隆が「農協月へ行く」で書いたように日本人もかつてはそうだったのですが(誰も中国人を笑えない)、中国社会も経済発展に伴い人々の生活意識やスタイルも、徐々に変わりつつあるのでしょう。

鎌倉駅からの上りの横須賀線は、通勤ラッシュ並みの大変な混みようでした。それで、たまらず途中の戸塚駅で下車しました。戸塚からは市営地下鉄で関内まで行き、関内から馬車道まで歩いて、馬車道からみなとみらい線で帰りました。


関連記事:
葛西善蔵
森敦「月山」


※拡大画像はサムネイルをクリックしてください。

DSC03443.jpg北鎌倉駅

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2023.12.05 Tue l 鎌倉 l top ▲
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■暴力のインパクト


私は、安倍晋三元総理の銃撃事件からひと月後、このブログで下記のような記事を書きました。

関連記事:
二発の銃弾が暴き出したもの

誰も認めたがりませんが、山上徹也の行為が私たちに示したのは暴力テロルのインパクトです。

山上の行為によって、旧統一教会の問題が白日の元に暴かれたのはまぎれもない事実です。安倍元総理が銃撃されなければ、彼が殺害されなければ、旧統一教会の問題がこれほど大きく取り上げられることはなかったのです。そして、安倍元首相銃撃から1年3か月後の10月13日、とうとう旧統一教会の解散請求にまで至ったのです。その流れを見ていると、文字通り圧力蓋が取れて中に封じ込められていた旧統一教会の問題が一気に噴き出した感じでした。

じゃあ、今までメディアは何をしていたのか、やはり、安倍元総理に忖度していたのではないかと言いたくなりますが、ジャニーズ問題でも示されたように、日本のメディアなんて所詮はその程度のものです。

■安倍派の裏金問題


さらに今度は、安倍派(清和会)の裏金の問題が浮上しているのでした。

自民党では、各派閥が政治資金パーティーを開いた際、「パーティー券のノルマを上回る分」が「寄付」として所属議員にキックバックされるのが”慣例”になっているそうです。

ところが、安倍派の議員たちの政治資金収支報告書にはその記載が見当たらないというのです。朝日新聞はそれを「安倍派の不自然な実態」と表現していました。

 (略)最大派閥である清和政策研究会(安倍派)側の報告書には、該当の支出が見当たらなかった。政治資金に詳しい神戸学院大の上脇博之教授は、金額がばらばらの議員側への寄付について「実質的にはノルマを超えるパー券を売った議員へのキックバックとみられるが、安倍派では記載がないのは不自然だ。帳簿外で処理し裏金にしている疑いがある」と話す。安倍派の事務局は1日、取材に「慎重に事実関係を確認し適切に対応する」と文書で回答した。

朝日新聞デジタル
派閥からのキックバック?安倍派記載なし 専門家「帳簿外で処理か」


安倍派は、歴代最長政権を築いた安倍晋三氏をはじめ、福田赳夫氏、森喜朗氏、小泉純一郎氏の4人の総理大臣を輩出した自民党の最大派閥です。

「その安倍派が組織的に裏金を作っていたとなれば、自民党政治の信頼が根本から揺らぎかねない。支持率の低迷にあえぐ岸田政権にとって、深刻な打撃となる事態だ」と朝日は書いていましたが、まさに国家を食い物にする構造の一端が垣間見えたと言っていいでしょう。

「愛国」を装いながら"反日カルト"に魂を売り渡していた安倍派の面目躍如といった感じです。そこに見えるのは、(何度もくり返しますが)「愛国」と「売国」が逆立した”戦後の背理”です。「愛国」者が実は「売国」者であるということです。そういった似非「愛国」者に随伴してきたネトウヨや右派コメンテーターやフジサンケイグループなどの右派メディアも同じです。

言うまでもなく、各政党には、みずからが作った政党助成法に基づいて、税金が原資の政党交付金が支給されています。

政党交付金の総額は、国勢調査で確定した人口に250円を乗じた額を基準として国の予算で決まるそうです。たとえば、令和2年の国勢調査で算出すると約315億円になるそうです。それを所属する国会議員の数と、前回の衆議院議員総選挙、前回と前々回の参議院議員通常選挙の際の得票総数によって、各政党に分配されるのです。

にもかかわらず、各政党は政治資金パーティーを開催し、パーティー券を売って余った分を議員にキックバックしていたのです。

税金を取るときは高利貸しの取り立てのように厳しく、逆に生活保護などセーフティーネットを利用しようとすると、小役人たちは鬼畜のように非情になるのですが、その一方で、政治家たちにはザルのように税金の大盤振る舞いが行われているのです。特に安倍政権下では、社会保障費の抑制を御旗に、生活保護費の大幅な減額が行われたのでした。

小役人たちの天下りも含めて、この国家を食い物にする構造はまさに「私物国家」と呼ぶにふさわしいお手盛りぶりですが、しかし、誰が何と言おうといささかも揺らぐことはないのです。何故なら法律を作るのが政治家であり、それを運用するのが役人たちだからです。

■正鵠を射た三浦瑠璃の投稿


もっとも、今回の裏金問題をそういった(メディアが報じるような)視点で見るだけでは、単なるガス抜きで終わるだけでしょう。残念なことですが、それでは皮相な見方と言わざるを得ません。

今回の裏金問題を最初に報道したのは赤旗の日曜版で、さらに神戸学院大の上脇博之教授が東京地検に告発して問題が浮上したのですが、東京地検特捜部が動いたのは別に背景があったと見るのが常識でしょう。東京地検特捜部はそんなヤワでバカ正直で公正な組織でないことは、これまた常識中の常識です。

かの三浦瑠璃氏は、この裏金問題について、X(旧ツイッター)で「政界スキャンダルが出てきても自民党内の権力闘争にしか見えない」と投稿していましたが、正鵠を射ていると思いました。

つまり、安倍一強の蓋が取れたことにより、清和会も党内の権力闘争の標的になったということです。

東京地検特捜部がどこまで踏み込んで捜査するのかわかりませんが、検察もまた安倍氏が亡くなったことで忖度する必要がなくなったのです。もちろん、安倍晋三氏が生きていたら、メディアもここまで大々的に報道することはなかったし、東京地検特捜部も動くことはなかったでしょう。

今回のスキャンダルは、権力内部の暗闘、足の引っ張り合いです。山上徹也が放った二発の銃弾は、旧統一教会の解散請求だけでなく、その旧統一教会と親密な関係を築いていた清和会のスキャンダルまで呼び起こすことになったのです。安倍一強時代には考えられないことが起きているのです。

そう考えると、誰も認めたがらないけれど、暴力テロルの持つインパクトを今更ながらに考えないわけにはいかないのでした。
2023.12.02 Sat l 旧統一教会 l top ▲