26941193_m_20240129024504055.jpg
(写真AC)



■「最期は本名で迎えたい」


1月25日、鎌倉の病院に末期の胃がんで入院していた男性が、突然、病院の関係者に「自分は指名手配されている桐島聡だ」「最期は本名で迎えたい」と打ち明けたことから、男性が「東アジア反日武装戦線」のメンバーで49年間にわたって逃亡している「桐島聡」の可能性が高いとして、大きなニュースになったのでした。

ただ、私は、このニュースを見て、何だか切なくいたたまれないような気持になりました。

「最期は本名で迎えたい」という言葉について、テレビのコメンテーターたちは「自己顕示欲だ」とか「勝利宣言だ」とか「卑怯だ」とかトンチンカンなことばかり言っていますが、私は、そこには偽りの逃亡生活を清算したいという彼なりの気持があるような気がします。

それに、「桐島聡」に関しては、報道の中で誤解が生まれているのです。

私は、以前、「東アジア反日武装戦線」の「大地の牙」グループの事実上のリーダーとされ、逮捕時に青酸カリで自決した斎藤和氏の”追悼集”『でもわたしにはいくさが待っている』(東アジア反日武装戦線への死刑・重刑攻撃と闘う支援連絡会議編・風塵社)を読んだことがありますが、そこには、平岡正明や朝倉喬司や松田政男など著名な人たちが斎藤氏の人となりを悼んで文章を寄せていました。

斎藤和氏は、谷川雁が専務を務めていた「株式会社テック」(TEC=東京イングリッシュセンター)の労働争議に関わったりと、70年前後のアナーキズム運動では名の知られた人物だったのですが、一方、「桐島聡」は、「東アジア反日武装戦線」の中では逮捕歴のない唯一のメンバーだったそうで、学生運動も目立った活動歴はなかったのではないかと言われています。

「桐島聡」の手配写真は巷では有名だったそうですが、私は手配書なんて関心がなかったので、メディアに出た彼の写真を見ても、「誰?」という感じでした。彼は、メディアが騒ぐほどの”大物”だったとはとても思えません。ただ、権力の憎悪を浴び、というか、権力の面子のために”大物”扱いされただけなのではないかと思います。

「桐島聡」は、「さそり」グループに属していたのですが、斎藤和氏の内縁の妻だった「大地の牙」グループの浴田由紀子(逮捕拘留中に超法規処置で”釈放”、日本赤軍に合流したあと再び逮捕され現在服役中)の公判の証人尋問で、「狼」グループの大道寺将司(死刑囚として収監中に病死)は、「さそり」グループはリーダーの黒川芳正(服役中)以外、メンバーを知らないと証言していました。

ちなみに、1974年8月30日に発生し、8名の死者を出した三菱重工本社の爆破事件を実行したのは、大道寺将司がいた「狼」グループです。

■印象操作


「東アジア反日武装戦線」というのは、同じ名称を使っていても、一つの統一された組織ではなく、アナーキズムのグループの”集合体”にすぎないのです。それが新左翼のセクトとは根本的に違うところです。

 現在、男が本当に桐島容疑者なのかについては分かっていませんが、連続企業爆破事件の被害に遭った当時ビルの近くにいた三菱重工の元社員に取材をしたところ、「50年近く経って見つかったかもしれないという話を聞いてびっくりした」と話していました。

 世間を震撼させた連続爆破事件の容疑者が50年越しの逮捕となるのか。警視庁の捜査の結果が待たれます。

ANN news 
「自分が桐島」病院関係者に伝える 本人名乗る男を病院で確保


こんなニュースを見ると、「桐島聡」があたかも三菱重工爆破事件に関与したかのようなイメージを持ちますが、それは印象操作にすぎません。

「桐島聡」の手配容疑は、1975年4月18日の東京の銀座の韓国産業経済研究所のドアに時限装置付きの爆弾を仕掛けて爆発させ、ドアなどを破損させた事件にすぎないのです。

その他に「桐島聡」が関与したのではないかと言われているのは、下記の事件です(ただし、手配容疑にはなっていません)。

①鹿島建設爆破事件(1974年12月23日。死傷者なし)
②間組本社ビル(9階・6階)及び大宮工場同時爆破事件(1975年2月28日。桐島が共謀した本社ビル9階爆破で1人が加療4か月の骨折・熱傷等、桐島が実行を担当した本社ビル6階では死傷者なし)
③間組江戸川作業所爆破事件(1975年4月27日。1人が加療約1年3か月を要する頭部外傷等)
④間組京成江戸川橋工事現場爆破事件(1975年5月4日。死傷者なし)
(Wikipediaより)

三菱重工爆破事件の被害が予想以上に大きかったので衝撃を受けたことが、上記の大道寺将司の証言でもあきからになっていますが、それ以後、人的被害を極力避けるために”抑制”していたと言われているのです。

■末端の戦士


当初の報道では、海外に逃亡していたように伝えられていましたが、どうやらそうではなかったみたいです。

 捜査関係者によると、男は入院前、同県藤沢市の工務店に数十年間、勤務していた。「内田洋」の名前を使っていたといい、工務店側は桐島容疑者である可能性を認識していなかったとみられる。

 男は末期の胃がんで、同僚に付き添われて今月、同県鎌倉市の病院に入院した。健康保険証などの身分証は所持しておらず、当初、病院に対しても名前を「内田」としていたとみられるが、「最期は本名で迎えたい」と話して桐島聡と名乗り、25日から公安部が事情を聴いている。

Yahoo!ニュース
時事通信
「内田洋」で数十年住み込み 偽名か、桐島容疑者名乗る男 連続企業爆破で指名手配・警視庁


朝日の記事には、「桐島聡」が住んでいた二階建ての家の写真が掲載されていましたが、ボロボロの廃屋のような建物でした。記事では、一階は物置のようになっており、二階で生活していたみたいだという証言がありました。オウム真理教の菊地直子が逃亡中に住んでいたのも、赤錆びたトタン壁の小屋みたいな家でしたが、何だか似ているような気がしました。

朝日新聞デジタル
呼び名「うっちゃん」、冗談も 60年代ロックで踊る 桐島名乗る男

渡辺直子の場合、偽名で健康保険証を取得していたのですが、「桐島聡」は、住民票も健康保険証もない中で、肉体労働に従事していたのです。

近所の人の話では、病気のせいもあったのでしょうが、ガリガリに痩せて80歳くらいに見えたそうです。また、家の中に入った人の話では、「本が足元に積み上がっていた」そうです。逃亡生活の中でも本を読むことだけは忘れなかったのでしょう。

現在、彼は重篤な状態だそうですが、彼が本名で最期を迎えても、斎藤和氏のような”追悼集”が出ることはないでしょう。一生を棒に振ったという言い方は彼に失礼かもしれませんが、何だか最初から末端の戦士として忘れられていく存在にすぎなったように思います。

逃亡を支援していた人間がいたかどうか調べると警察は言っていますが、支援していた人間がいたら、逆に救われる気がします。

その生活から見ると、とても支援者がいたようには思えませんが、誰からも支援されずに孤独の中で49年の過酷な逃亡生活を送り、今、人生の幕を閉じようとしているのだとしたら、あまりにも痛ましく、よけい切なくていたたまれない気持になるのでした。

■追記


その後の報道によれば、故郷の親族は「桐島聡」の遺体の受け取りを拒否しているそうです。地元の同級生たちも、「桐島聡」に対して、「迷惑を受けた」としてみんな突き放したような言い方をするのでした。メディアやネットも含めてそうですが、どうしてそこまで冷酷になれるのかと思います。国家が人でなしと言うから、人でなしなのか(国家が英雄だと言えば、英雄なのか)。

彼の人となりを一番よく知っているのは故郷の人たちでしょう。それもすべて無に帰してしまうのでしょうか。

数十年過ごした街では、彼は「うっちー」とか「うーやん」と呼ばれ”愛されキャラ”で溶け込んでいたそうです。それで、彼の死を聞いて涙が出たという人もいたそうです。そんな話を聞くとホッとした気持になります。

ウソかホントか、横浜までコンサートを聴きに行っていたとか、バンドを組んでいたという話もありますが、好きな音楽と読書を忘れることはなかったのでしょう。

「桐島聡」は、死の間際の聴取で、手配容疑の韓国産業経済研究所爆破は無関係だと否定していたという報道がありました。彼は、爆弾製造と見張り役が主な任務だったのではないかという話もあります。

「主義者」の仁義に反するのかもしれませんが、獄中にいるリーダーの黒川芳正氏や既に出所しているU氏は、グループの中で「桐島聡」がどんな存在だったのかをあきらかにすべきでしょう。


関連記事:
中野重治「村の家」
かなしい 菊地直子
2024.01.29 Mon l 社会・メディア l top ▲
DSC02195



■青葉被告の妄想


2019年7月18日に発生した京都アニメーション放火事件では、同社の社員36名が犠牲になったのですが、今日、犯人の青葉真司被告に対して死刑が言い渡されました。死刑を言い渡した京都地方裁判所は、事件当時、青羽被告は善悪の判断をする責任能力があったと認めたのです。

ホントにそうなのか。下記の朝日の記事によれば、事件当時、「青葉被告は精神科に通院。生活保護を受給しながら、心身の状態を観察する訪問看護や身の回りの世話をする訪問介護を受けていた」そうです。既に精神の失調をきたしていたのです。

朝日新聞デジタル
「京都アニメーション事件」第6回
「こっちは余裕ねえんだ」 全財産5万7千円を手に京アニへ向かった

しかも、それはかなり深刻で、「看護師らとのもめ事が絶えなかった」そうです。

(略)看護師が青葉被告の部屋を訪ねてインターホンを押したが反応がないため、ノックするといきなりドアが開いて胸ぐらをつかまれたという。包丁を持っていて、「しつこいんだよ、つきまとうのをやめろ。やめないと殺すぞ」と怒鳴った。室内には破壊されたパソコン2台とプレイステーションが散乱。革ジャンがズタズタに切られていた。処方された薬が服用されないまま残っていた。

 この時、看護師に対しても「ナンバー2」の指示で公安警察に「ハッキングされている」「つきまとわれている」と話したという。
(上記記事よりより)


青葉被告は京アニの放火について、京アニが主催したコンテストに応募した小説が落選させられ、挙句の果てに小説のアイデアがアニメに盗用されたからだと主張しているのですが、それも「闇の人物のナンバー2」の仕業だという妄想に憑りつかれていたのです。

 青葉被告の話では、「ナンバー2」とは「ハリウッドやシリコンバレーに人脈があり、世界で動いている。官僚にも影響力のあるフィクサーみたいな人で、公安警察に指示して自分を監視させていた」という。
(同上)


それも、どういった話の経緯でそうしたのかわかりませんが、青葉被告は、当時の与謝野馨経済財政担当大臣大臣にメールを送ったのが原因で、「ナンバー2」につけ回されるようになった、と言っていたそうです。

■応報主義


京アニの社員だった妻が犠牲になった遺族の男性は、判決後の記者会見で、妻も、(残された)子どもも「理解してくれる判決だった」と述べたそうです。

遺族の中にもいろんな方がいるでしょう。メディアで発信することに積極的な方もいるだろうし、まったく逆の方もいるでしょう。事件に対する考え方もさまざまでしょう。でも、メディアに出ているのは、何故か同じ遺族の方です。それも、(言い方は悪いですが)メディアにとって「都合がいい」、ある意味でメディア向けの発言をする方のように思います。

肉親の命を奪われた遺族が、犯人に対して、みずからの死をもって罪を贖うべきだと考えるのはわからないでもありません。しかし、社会はまた別の考えがあってもいいのではないか思います。社会全体が遺族と同じような考えにとらわれると、「目には目を歯には歯を」の応報主義の野蛮で殺伐とした社会になってしまうでしょう。現に私たちの社会は、チャップリンの「殺人狂時代」ではないですが、「1人殺せば犯罪者だが、100万人殺すと英雄になる」矛盾と偽善を抱えた社会でもあるのです。

その矛盾と偽善を乗り越えるためには、応報主義的な心情や考えをどこかで乗り越えなけば(止揚しなければ)ならないのです。それができるのは、遺族ではなく、第三者である私たちでしょう。その意味では、立場の違いというのは大事なことなのです。

遺族感情に「寄り添う」のも必要ですが、しかし一方で、社会全体が「寄り添う」だけで思考停止して、それでよしとする風潮には違和感を抱かざるを得ません。

■「反省の言葉」


裁判の過程でも、「被告から反省の言葉はない」というフレーズが決まって出てきます。精神に変調をきたして妄想に憑りつかれている人間に、「反省の言葉」を求めるのはそれこそないものねだりのように思いますが、あたかも「反省の言葉」が裁判のポイントであるかのように報道されるのでした。

こうして、「事件の真相を知りたい」「どうしてこんな事件を起こしたのか、犯人の心の底にあるものを知りたい」と言いながら、真相から遠ざかり、事件は歪められていくのです。

そして、裁判官から執拗に「反省の言葉」を求められた被告がやっと(無理強いに)「反省の言葉」を発すると、今度は「ホントに心の底から反省しているのか疑問」だと言われれるのでした。「反省の言葉」が発せられた時点で、事件はまったく別のものに変わっているのですが、そのことはいっさい問われないのでした。

■『令和元年のテロリズム』再掲


私は、磯部涼氏の『令和元年のテロリズム』(新潮社)の感想文の中で、青葉真司被告について、次のように書きました。再掲させていただきますので、お読みください。

関連記事:
『令和元年のテロリズム』

「京都アニメーション放火事件」の犯人は、昭和53年に三人兄妹の次男として生を受けました。でも、父親と母親は17歳年が離れており、しかも父親は6人の子持ちの妻帯者でした。当時、父親は茨城県の保育施設で雑用係として働いており、母親も同じ保育施設で保育士として働いていました。いわゆる不倫だったのです。そのため、二人は駆け落ちして、新しい家庭を持ち犯人を含む三人の子どをもうけたのでした。中学時代は今のさいたま市のアパートで暮らしていたそうですが、父親はタクシーの運転手をしていて、決して余裕のある暮らしではなかったようです。

そのなかで母親は子どもたちを残して出奔します。そして、父親は交通事故が引き金になって子どもを残して自死します。実は、父親の父親、つまり犯人の祖父も、馬車曳き(馬を使った運送業)をしていたのですが、病気したものの治療するお金がなく、それを苦に自殺しているのでした。また、のちに犯人の妹も精神的な失調が原因で自殺しています。

犯人は定時制高校を卒業すると、埼玉県庁の文書課で非常勤職員として働きはじめます。新聞によれば、郵便物を各部署に届ける「ポストマン」と呼ばれる仕事だったそうです。しかし、民間への業務委託により雇用契約が解除され、その後はコンビニでアルバイトをして、埼玉県の春日部市で一人暮らしをはじめます。その間に父親が自殺するのでした。

さらに、いったん狂い始めた人生の歯車は収まることはありませんでした。犯人は、下着泥棒をはたらき警察に逮捕されるのでした。幸いにも初犯だったので執行猶予付きの判決を受け、職安の仲介で茨城県常総市の雇用促進住宅に入居し、郵便局の配達員の職も得ることができました。

しかし、この頃からあきらかに精神の失調が見られるようになり、雇用促進住宅で騒音トラブルを起こして、家賃も滞納するようになったそうです。それどころか、今度はコンビニ強盗をはたらき、懲役3年6ヶ月の実刑判決を受けるのでした。その際、犯人の部屋に踏み込んだ警察は、「ゴミが散乱、ノートパソコンの画面や壁が叩き壊され、床にハンマーが転がっていた光景に異様なものを感じた」そうです。

平成28年に出所した犯人は、社会復帰をめざして更生保護施設に通うため、さいたま市見沼区のアパートに入居するのですが、そこでも深夜大音量で音楽を流すなど騒音トラブルを起こすのでした。著者は、「再び失調していったと考えられる」と書いていました。そして、そのアパートから令和元年(2019年)7月15日、事前に購入した包丁6本をもって京都に向かうのでした。

不謹慎を承知で言えば、この「京都アニメーション放火事件」ほど「令和元年のテロリズム」と呼ぶにふさわしい事件はないように思います。私も秋葉原事件との類似を連想しましたが、著者も同じことを書いていました。

また、著者は、小松川女子高生殺人事件(1958年)の李珍宇や連続射殺魔事件(1968年)の永山則夫の頃と比べて、ネットの時代に犯罪を語ることの難しさについても、次のように書いていました。

「犯罪は、日本近代文学にとっては、新しい沃野になるはずのものだった。/未成年による「理由なき殺人」の、もっともクラシックな典型である小松川女子高生殺し事件が生じたとき、わたしはそのことを鮮烈に感覚した。/この事件は、若者が十七にして始めて自分の言葉で一つの世界を創ろうとする、詩を書くような行為としての犯罪である、と」。文芸評論家の秋山駿は犯罪についての論考をまとめた『内部の人間の犯罪』(講談社文芸文庫、平成19年)のあとがきを、昭和33年の殺人事件を回想しながらそう始めている。ぎょっとしてしまうのは、それが日々インターネット上で目にしているような犯罪についての言葉とまったく違うからだ。いや、炎上に飛び込む虫=ツイートにすら見える。今、こういった殺人犯を評価するようなことを著名人が書けばひとたまりもないだろう。
 秋山は犯罪を文学として捉えたが、犯罪を革命として捉えたのが評論家の平岡正明だった。「永山則夫から始められることは嬉しい」「われわれは金嬉老から多くを学んできた。まだ学びつくすことができない」と、犯罪論集『あらゆる犯罪は革命的である』(現代評論社、昭和47年)に収められた文章の書き出しで、犯罪者たちはまさにテロリストとして賞賛されている。永山則夫には秋山もこだわったが、当時は彼の犯罪に文学性を見出したり、対抗文化と重ね合わせたりすることは決して突飛ではなかった。一方、そこでは永山に射殺された4人の労働者はほとんど顧みられることはない。仮に現代に永山が同様の事件を起こしたら、彼がアンチヒーローとして扱われることはなかっただろうし、もっと被害者のバッググランドが掘り下げられていただろう。では近年の方が倫理的に進んでいるのかと言えば、上級国民バッシングが飯塚幸三のみならずその家族や、あるいは元農林水産省事務次官に殺された息子の熊澤英一郎にすら向かった事実からもそうではないことが分かる。


この文章のなかに出て来る秋山駿の『内部の人間の犯罪』や平岡正明の『あらゆる犯罪は革命的である』は、かつての私にとって、文学や社会を語ったりする際のバイブルのような本だったので、なつかしい気持で読みました。

でも、当時と今とでは、犯罪を捉える上での倫理のあり方に大きな違いがあり、益々余裕のない紋切型の社会になっているのは事実でしょう。そのため、犯罪を語る言葉も、身も蓋もないような寒々しいものしかなく、犯罪者が抱える精神の失調に目を向けることさえないのです。


関連記事:
秋葉原事件
2024.01.25 Thu l 社会・メディア l top ▲
28478499_m.jpg
(写真AC)※私ではありません(笑)



■ロキソニン


松本人志の”悪口”ばかり書いたのでバチが当たったのか、ここ数日、身体の調子が悪くかなりグロッキーの状態が続いています。

松本人志の”悪口”に関しては、前の記事に、文字通り蛇足と言ってもいいような「追記」を書いていますので、興味のある方はお読みください。

症状は、悪寒がして、咳が出て鼻水が止まらず、しかも、咳が出るからなのか喉が痛くてなりません。ただ、熱はまったくありません。熱がないということは、インフルエンザではないと思いますし(予防接種も打っているし)、新型コロナウイルスでもないような気がします。

仕事の関係でほぼ毎週、PCR検査を受けているのですが、念の為に自分でも抗原検査をしてみようと思っています。 

昨年末に花粉症の初期症状が出て、あわてて病院に行って薬を処方して貰ったという話をこのブログにも書きましたが、何だか再び、花粉症の初期症状が出た感じがしないでもありません。ただ、気になるのは、花粉症の症状にしては重いし、それに症状が長く続いている気がするのです。

風邪かと思って市販の葛根湯を買って飲んでもまったく効果はありませんでした。また、うがい薬を買ってうがいをしても喉の痛みは改善されませんでした。のど飴なんて気休めにもなりませんでした。

そんな中で、ロキソニンを飲むと「劇的」と言ってもいいほど症状が軽くなるのです。ただ、ロキソニンの効果が終わるとまた元に戻ってしまうというくり返しです。

ロキソニンは成人の場合、一日に二回の服用と定められていますので、たしかに、二回飲めば何とか症状に苦しまずに一日をすごすことができなくもありません。ただ、一方で、ロキソニンを毎日二錠も飲み続けることに不安があるのでした。 

エアコンだと空気が乾燥するので、エアコンをやめて足元だけを温めるヒーターに換えました。

若い頃だとこの程度の不調は風呂に入って汗をいっぱいかいたらすぐ改善したように思いますが、もうそんな誤魔化しも利かない年齢になったのです。

■沢田研二とスーザン・ソンタグ


家で寝てすごすことが多いので、本はよく読んでいますが、しかし、最近は感想文を書くような本に出合うことが少なくなりました。それは、自分自身の感性の問題でもあるのだと思います。

このブログでも感想文を書いていますが、島崎今日子氏の『安井かずみがいた時代』(集英社)がすごくよかったので、二匹目のドジョウを狙って『ジュリーがいた - 沢田研二、56年の光芒』(文藝春秋)を読みましたが、感想文を書くほどのものではありませんでした。おそらく、島崎今日子氏は沢田研二のファンなのではないか。だから、あまりにべったりで、批評がないのでした。

むしろ、同時に買った明治大学教授の波戸岡景太氏の『スーザン・ソンタグ - 「脆さ」にあらがう思想』(集英社文庫)の方が面白かったです。

前から言っているように、トランプの大統領復帰は確定的でしょう。トランプの対抗馬がバイデンしかいないという民主党の党内力学はもう救いがないと思いますが(それは日本の立憲民主党も同じですが)、こうしてアメリカは自滅して”アメリカの時代”は終わりを告げるのだと思います。

イスラエル(ユダヤ人)の狂気はこれからも続くだろうし、対米従属を国是とする日本もトランプの狂気に苦しめられ、同じように自滅の道を歩んでいくことになるでしょう。対米従属「愛国」主義の「愛国」者たちは狂喜乱舞して、歯止めもなく「売国」への道を突き進んでいくに違いありません。旧統一教会の問題で、「愛国」という言葉は完全に失効したのですが、彼らは「売国」を「愛国」と言い換えて生き延びていくのでしょう。文字通り、狂気の時代が訪れるのです。

いつも書いていることですが、日本の左派リベラルなんて糞の役にも立たないのです。

最近も、旧統一教会とつながりが深い代表的な政治家であり、安倍派の裏金問題の中心人物のひとりでもある萩生田光一氏の地元の八王子市長選で、自公推薦で日本維新が支援する候補が、予想を覆して野党候補に6645票差をつけて当選したというニュースがありました。新聞の出口調査でも野党候補が有利と言われていましたので、「まさか」と言ってもいいような逆転劇でした。これ以上のない有利な条件下の選挙でも、野党は敗れたのです。その意味は絶望的なほど大きく、今の野党の存在意味すら問われていると言ってもいいでしょう。

にもかかわらず、立憲民主党に近い左派系の人間は、与党候補は前回より1万票減らした、自公に対する民意は離れつつあるなどと、ギャグみたいなことを言って選挙を総括しているのでした。戦わない左翼はただの木偶の坊にすぎないのです。

身体の不調と同じでいいことなんかないのです。 


関連記事:              
『安井かずみがいた時代』
横浜の魅力
2024.01.24 Wed l 健康・ダイエット l top ▲
スクリーンショット 2024-01-18 002351
(『週刊文春』12024年1月25日号より)



■「女性セレクト指示書」


今日(1月19日)発売の『週刊文春』2024年1月25日号には、〈松本人志 ホテル室内写真と女性セレクト指示書〉というタイトルで、松本人志の性加害疑惑の第三弾が掲載されています。

記事の冒頭は、次のような文章で始まっていました。

 独特の字体で綴られた「黒毛」「つたやの店員」「ユニクロの店員」などの文字。小紙が入手したのは、松本人志(60)性的欲望の矛先が記された「女性セレクト指示書」である。
 ある日、松本の後輩芸人はメモ用紙を写した画像を知人女性に見せながら、自慢げに語った。
「松本さんは、女性の職業に異常にこだわりがあるんだよ。この殴り書きは、松本さんが調達してほしい女の子の職業を直筆で書いたものなんだ。
 それは他ならぬ松本の「SEX上納システム」と裏付ける物証だった――。


■文春の思うツボ


最初に文春の記事が出たとき、吉本興業は「当該事実は一切なく、本件記事は本件タレントの社会的評価を著しく低下させ、その名誉を毀損するもの」だとして、「今後、法的措置を検討していく予定です」というコメントを発表したのですが、水道橋博士だったかが、「吉本は文春を見くびっているのではないか」「週刊文春の編集部は、完全に編集権が独立しており、訴訟を起こされたときのことも考えて用意周到に記事を書いている」というようなことを言っていたのを思い出しました。

これはまだ序の口で、今後に弾は残しているはずだし、吉本の出方によっては、ほかの芸人や吉本興業そのものを巻き込んだ大がかりなキャンペーンに発展する可能性もあるでしょう。

吉本とのしがらみが深いテレビ局や吉本に忖度する週刊誌やスポーツ新聞は、あいも変わらず腰が引けたおざなりな報道しかしていませんが、文春にとっては、それはかえって都合がいいのです。何故ならその方が週刊文春が売れるからです。独壇場であるからこそ、文春砲の注目度が上がり、その威力が増すのです。

■岡本社長の資質


吉本興業の前社長(のちの会長)も現社長も現副社長も、もともとはダウンタウンのマネージャーだった人物です。言うなれば、彼らは松本や浜田に顎で使われていた人間たちなのです。そう考えれば、松本が「天才」などと持て囃され、吉本のみならずお笑い界の”帝王”として君臨するようになったのは当然と言えば当然です。

もちろん、元マネージャーである彼らは松本の性癖や素性もよく知っていたはずで、それで「当該事実は一切なく」などとよく言えたものだと思います。吉本興業は、いづれ企業の社会的責任を問われ、大きなツケを払うことになるでしょう。

前も書きましたが、2019年の闇営業問題が起きたとき、私は、岡本昭彦現社長について、次のように書きました。

それにしても、岡本社長の会見を見て、あんなボキャブラリーが貧しく如何にも頭の悪そうな人間がどうして社長になったのか不思議でなりませんが、それもひとえに岡本社長が大崎会長の操り人形だからなのでしょう。岡本社長のパワハラも、虎の威を借る狐だからなのでしょう。「大崎会長が辞めたら自分も辞める」という松本人志や、「大崎会長がいなくなったら吉本はもたない」という島田紳助の発言は、将軍様ならぬ会長様の意向を汲んだ(あるいは忖度した)、多分に政治的なものと考えるべきなのです。

関連記事:
吉本をめぐる騒動について


大崎洋会長は、「大阪・関西万博催事検討会議」の共同座長に就任するために去年の6月に退社しています。でも、松本人志は辞めませんでした。ところが、皮肉なことに、半年遅れて予期せぬ出来事で辞めざるを得ないはめになったのです(となるのは確定的と言っていいでしょう)。

また、闇営業問題で契約を解除された宮迫博之は、当時の記者会見で、みずからのスキャンダルについて、岡本社長から「在京5社、在阪5社のテレビ局は吉本の株主だから大丈夫と言われた」と暴露しているのでした。しかし、騒ぎが大きくなると、その言葉とは裏腹に宮迫は切られたのでした。記者会見は会社に無断で、田村亮と二人で開いたのですが、暴露は吉本に対する意趣返しという意味合いもあったのでしょう。

このような岡本社長の経営者としての資質が、今回の吉本の対応のお粗末さにもつながっているような気がしてなりません。

■利益相反


吉本は、当初の「今後、法的措置を検討する予定」だという強気の姿勢から、裁判は松本個人が行うようになると発言を後退させているのですが、その理由について、記事は、吉本興業の関係者の話として、次のように書いていました。

「当初、松本さんは事態を甘く見ていました。『事実無根』『法的措置』のスタンスを貫けば、記事が止まると高をくくっていた。
(略)松本さんのプライベートの不祥事が原因で会社に損害が生じた場合、本来、会社は松本さんに賠償を求めなくてはいけない。今後、松本さんが名誉棄損で提訴する場合、会社の顧問弁護士は利益相反になるため担当できず、個人で弁護士を雇うことになります」


損害賠償が発生することを恐れてなのか、松本が出演している番組に関しては、収録分は通常どおり放送されていますが、しかし、番組のクレジットからスポンサー企業の名前が消えるなど、あきらかにスポンサー離れが起きているのでした。松本の活動休止もそういったスポンサー離れと無関係ではないと思いますが、今後、巨額な損害賠償が発生する可能性は充分あるでしょう。

■松本のお粗末さ


もっとも、お粗末さにおいては、松本人志も負けてはいないのです。あくまで文春の記事がホントならという前提付きですが(とは言え、筆跡鑑定をすればはっきりする話ですが)、上記の「指示書」には、「マクドナルド」「スタバ」「高校や中学の先生」「べんごし」「こうほうの女」「人妻(子供なし)」と書かれていたそうです。また、「CA」の横には「ANA、JAL」「LCCはNG」と注意書きまであったそうです。つまり、CA(キャビンアテンダント)はANAとJALに限り、格安航空会社のCAはダメだと言っているのです。松本の並々ならぬ執着ぶりが示されていて、思わず笑ってしまいました。

お笑い界に君臨する”帝王”が、「弁護士」や「広報」という漢字も書けないとは情けない限りですが、この松本の好みを見ると、あきらかに成り上がり者にありがちな学歴コンプレックスのようなものがうかがえるのでした。ちなみに、「指示書」にはNGリストまであり、それには、「茶髪」「モデル」「のみや」「美容師」「アパレル」と書かれていたそうです。

後輩芸人たちは、松本に気に入られるべく「指示書」に従って女の子たちをかき集めていたのでした。ときには、そのために街でナンパまでしていたそうです。

上野千鶴子は、「ときには淑女のように、ときには娼婦のように」という「性の二重基準」による男の性的趣向を、「ブルジョア性道徳」と呼んだのですが、松本が求めた女性のタイプも、まさに「ブルジョア性道徳」を身も蓋もなく妄想したものと言えるでしょう。

松本人志は一人娘を溺愛しているそうで、明石家さんまは、活動休止も娘のためではないかと言っていましたが、上記のような「指示書」まで書いて女性を「上納」させていた人間に、「娘のため」という言い草はないだろうと思いました。

松本にとって、自分の娘は「淑女(聖女)」で、他人の娘は「娼婦」なのかもしれませんが、これから父親として、どんな顔をして「淑女(聖女)」の娘と向き合っていくつもりなのか、と逆に訊きたいくらいです。娘はもう中学生だそうなので、思春期の真っ只中にいる娘のことを考えると、今回の報道はかなりキツものがあるでしょう。だからこそ尚更、「お父ちゃんはそんなことやってへんで」「信じてや」ということを示さなければならないのでしょう。それにしても、将来、娘から弁護士や学校の先生やCAになりたいと言われたら、何と答えるのか。他人事ながら心配になってきます。

前も書いたように、松本人志はチンピラとは言え、小心な性格のように見えるので、断末魔を迎えた今、彼の精神状態も心配ですが、しかし、文春の記事のとおりなら、自分で撒いた種なのですから自分でおとしまえを付けるしかないでしょう。もとより、26文字のアルファベットではとても足りないのではないかと言われている被害女性たちのことを考えると(一説には「上納システム」は20年前から行われており、被害になった女性は千人を越えるのではないかという話まであります)、一片の同情の余地もないことは言うまでもありません。

■文春砲は必ずしも「正義」ではないという話のすり替え※追記


一方で、総合雑誌や経済雑誌の一部のサイトに、無定見に文春砲を持ち上げる風潮に疑問を呈するような、ある種党派的で紋切型の「頭を冷やせ」風の記事がありますが、私は、そういった記事に対しても違和感を抱かざるを得ません。それで蛇足になりますが付け足すことにしました。

もちろん、文春砲が「正義」ではないことは重々承知していますが、しかし同時に、私たちは、松本人志の性加害疑惑の背景にあるものを見逃してはならないのです。

それは、くり返しになりますが、ひとつはテレビ局と吉本興行の癒着の問題です。「制作協力」の名のもとに、吉本興行が公共の電波を私物化するのに、テレビ局が手を貸していたということです。その結果、どのチャンネルをひねっても、吉本のおなじみの芸人ばかりが出て来るという、さながらテレビが吉本にジャックされたかのような光景を見る(見せられる)ことになったのです。そして、そこには、いみじくも岡本社長が言ったように、吉本の株主である在京5社、在版5社のテレビ局と吉本が利害を共有する構図が伏在しているのでした。

もうひとつは、松本の性加害疑惑が、女性の人権を踏みにじる重大なハラスメントであるということです。それは、性交したのかどうかとか、性交に同意があったのかどうかとかに関係なく、そこにあるのはまぎれもなく松本人志の性的ハラスメントそのものです何故なら。たとえキッチュであっても、松本人志は誰もがひれ伏すようなお笑い界の”帝王”とされ、女性たちに恐怖を与えるくらいの絶対的な〈権力〉を持っていたからです。それは、文春が書いているように、女性を貢物のように松本に献上するシステムであり、そのための儀式ゲームだったのです。だから、女性が拒否すると、松本はみずからの〈権力〉を振りかざして激怒したのです。しかも、驚くことに、そのゲームは20年も前から続けられていたと言われているのでした。

さらには、文春に個人的な恨みを持つゲスなコメンテーターたちの腹にイチモツの発言や、松本を擁護する子飼い芸人たちのカマトトな発言や、吉本に忖度する週刊誌やスポーツ新聞のコタツ記事や、そして、それらに煽られた松本の信者と呼ばれる人間たちからあびせられる誹謗中傷によって、告発した女性たちが性的二次被害に苦しんでいるという現実さえあるのでした。

#MeToo運動が切り拓いた性における人権尊重の新しい地平から見ると、今回の松本の性加害疑惑が文字通りジャニー喜多川の性加害と同じ構造上にあることがよくわかるのでした。にもかかわらず、吉本興行は初動ミスを犯したなどという”技術論”で語るだけでは、性における人権侵害という問題の本質を見失うことになるでしょう。

女性は軽率だった、女性にも落ち度があったというもの言いは、松本の信者たちによる誹謗中傷にもつながる愚劣な論点のすり替えですが、それこそが「性の二重基準」という男優位の社会のイデオロギーにほかならないのです。

と言うと、未だに”昭和”を生きるミソジニストたちから石礫が投げつけられるのが常ですが、文春砲は「正義」ではないという今更みたいな斜に構えた言説も、メディアにおけるミソジニーのひとつと言っていいかもしれません。少なくとも、文春が「正義」ではないという言説が、松本の信者たちによって、松本を擁護する根拠として使われ、挙句の果てにそれが告発した女性への誹謗中傷に転化しているのは事実でしょう。早速、松本と同期だという吉本の女芸人は、文春が「正義」であるかのような風潮に「違和感がある」などと言い、松本を擁護しているのでした。

文春は「正義」ではないという言説は、主に左派リベラル界隈から出ているように思いますが、そこにもまた、再三指摘したように、性加害は政治的な思想信条には関係ない(ミソジニーには政治的な思想信条は関係ない)という身も蓋もない現実が露呈されているように思います。もっとも、その手の記事を書いているフリーライターも、テレビのコメンテーターと同じように、文春に個人的な恨みつらみがあり、それであのような牽強付会な記事を書いているのかもしれないのです。

日本共産党に初の女性委員長が誕生したとか言われていますが、彼女は誰が見てもわかるように、自民党の女性議員たちと同じ「名誉男性」にすぎません。口ではジェンダーフリーとか言っても、ただ女性の国会議員はどれだけ増えたとか、女性の管理職の割合がどうだとか言った話にすぎず、社会の本質は何も変わってないし、それが問われることはないのです。メディアも、共産党の無謬神話がどうだとか、党内民主主義がどうだとかいった話で済ますだけです。まず問われなければならないのは、日本共産党の体質もさることながら(それも大事ですが)この社会の体質でしょう。

■上沼美恵子の発言※追記


松本のケースとは若干違いますが(逆に松本の方が根が深いとも言えますが)、上野千鶴子は、『女ぎらい ― ニッポンのミソジニー』の中で、次のように書いていました。

 セレブの男は、高級コールガールを呼んだり、モデルやタレントの女をカネで買おうとするが、それも自分の性欲につけた値段と思えばわかりやすい。かれらは、付加価値のある女しか欲情しない(と自分に言い聞かす)ことで、自分の性欲がタダの男の性欲とは違う(高級なものである)ことを、自分(と他の男)に証明しようとする。


そして、上野千鶴子は、「買春をつうじて男は女への憎悪を学ぶ。売春をつうじて、女は男への侮蔑を学ぶ」と言うのでした。

もっとも、松本人志にとっては、買春より、「黒毛」「つたやの店員」「ユニクロの店員」や、「マクドナルド」「スタバ」「高校や中学の先生」「べんごし」「こうほうの女」「人妻(子供なし)」や「CA(ANA、JAL)」の方が、自分の価値を証明するものだったのでしょう(何度も言いますが、筆跡鑑定をすれば松本が書いたメモがどうかはっきりするでしょう)。

上沼美恵子は、松本の報道に「吐き気を催した」と言う一方で、松本の遊びは「三流以下」とも言っていました。芸能界には、”ミニ松本”や”一人松本”がいて、スケールは比ぶべくもないけど似たような話はいくらでもあると言われますが、要するに”素人”を相手にするのは「三流以下」で、上野千鶴子が書いているような、身銭を切って付加価値のある(高級な)”プロ”の女と遊ぶのが「一流」だと言いたいのでしょうか。上沼美恵子の発言の中にも、女によるミソジニーが顔をのぞかせているのでした。でも、上沼恵美子に拍手する人間はいても、彼女を批判する人間はほとんどいないのです。

■松本の訴訟と吉本興業のコンプライアンス※追記


それにしても、(Yahoo!ニュースで知る限りですが)太田光、今田耕司、立川志らく、ビートたけし、梅沢富美男、安藤優子など、彼らのコメントがあまりにお粗末すぎて、日本人として恥ずかしくなるくらいです。

何度も言うように、#MeToo運動によって時代は大きく変わったのです。いくら身勝手で幼稚で古い観念で松本を擁護しようとも、性的ハラスメントに対する世界の目は厳しく、常に世界基準のコンプライアンスを要求されるスポンサーが松本人志の元に戻って来ることは(高須クリニック以外は)もうないでしょう。彼は引退するしかないのです。

それは、松本だけの問題ではなく、吉本興行も同じです。今後、大阪万博にも深く関わっている吉本興業自体のコンプライアンスも厳しく問われるのは避けられないでしょう。もっともその前に、あの松本の子分のような芸人たちの見え透いたコメントを何とかしろよと言いたくなります。彼らの無責任な妄言が、告発した女性たちへの二次被害を招いているだけでなく、吉本のコンプライアンスの問題にも跳ね返っていることがどうしてわからないのかと思います。いくら幹部たちがダウンタウンの元マネージャーだからと言って、あまりに無神経で無責任で傲慢と言わざるを得ません。

松本は提訴するに際して、弁護士を「陸山会」事件で小沢一郎衆院議員の取り調べを担当したヤメ検の弁護士に依頼したのですが、その名前を聞いて驚いたという声も多いのでした。と言うのも、彼は、裁判所に提出した捜査報告書の中で聴取内容を「捏造」していることが発覚し、最高検から「懲戒処分」を受けて依願退職している過去があるからです。だから、いろんな弁護士に相談したけど勝ち目がないと断られた末に、件の弁護士に行き着いたのではないかという見方が出ているのでした。でも、メディアは、何故か、担当する弁護士の”不都合な真実”についてはまったく触れてないのでした。

しかも、松本が訴えたのは、性交に合意があったという一点だけです。文春が「性の上納システム」と呼ぶパーティの存在や松本の直筆と言われる「女性セレクト指示書」については、虚偽だという訴えはしてないのです。名誉棄損と言っても、合意があったかどうかだけなのです。

松本の提訴は、ブラフという側面が大きいように思います。つまり、密室の二人だけのことなので合意でないという立証は難しい、だから、これから文春に訴えると大きなリスクを背負うぞという脅しブラフのような気がしないでもないのです。告発した女性たちに大きな負担を強いるのが目的の、それこそ#MeToo運動に真っ向から対決するような訴訟という風にも考えられなくもないのです。

テレビの奥歯にものがはさまったようなもの言いや、コメンテーターたちの夜郎自大なコメントや、吉本芸人たちの松本をかばうだけが目的の無責任な発言などを見て、しみじみと思うのは、日本が#MeToo運動や女性の人権に対してホントに理解の乏しい後進国だということです。何度も言いますが、それは思想信条も信仰も、右も左も上も下も関係ないのです。

いづれにしても、吉本興行は松本人志を切るしかないでしょう。前も書いたように、松本人志がお笑い界の帝王と言われるほどの〈権力〉を持った人物であるということを考えれば、性交の合意があったかどうかなんてナンセンスで(性加害の事件では、犯人は「合意があった」として犯意を否定するのが常ですが)、吉本興行が松本を切らざるを得ない状態まで追いつめられるのは必至でしょう。同時に、ダウンタウンの元マネージャーが社長と副社長の座にすわっているような現在の会社の体質を根本から変えることも肝要でしょう。
2024.01.18 Thu l 芸能・スポーツ l top ▲
81Q0DYR5.jpg




■僅か4日で活動自粛の急転


地震より芸能界の話かよと思われるかもしれませんが、前の記事から数時間後、小沢一敬の所属事務所のホリプロコムが、以下のように、小沢一敬が「当面の間」芸能活動を自粛すると公式サイトで発表したのでした。

ご報告

弊社所属タレントのスピードワゴン小沢一敬に関して、ご報告いたします。
小沢本人より、一連の報道において現在も関係者及びファンの皆様に混乱やご迷惑をお掛けしていることに強く責任を感じ、芸能活動を自粛したい旨の申し出がありました。
弊社としてはその申し出を受け、当面の間、小沢一敬の芸能活動を自粛することと致しました。
出演を予定していた番組・イベント等の関係各位に多大なるご迷惑をお掛けし、深くお詫び申し上げます。


株式会社ホリプロコム
http://com.horipro.co.jp/

ホリプロコムは4日前の1月9日に、公式サイトで「スピードワゴン小沢一敬はこれまで通り活動を続けてまいります。なぜならば、小沢の行動には何ら恥じる点がないからであります。一部週刊誌の報道にあるような、特に性行為を目的として飲み会をセッティングした事実は一切ありません」と断言したばかりなのです。

一応本人からの申し出となっていますが、企業として、この言葉のおとしまえはどうつけるのかと言いたくなります。あまりにもいい加減で無責任と言わざるを得ません。

小沢一敬については、冷たい言い方ですが、芸能界を引退してほかの仕事に就いた方がいいのではないかと思います。仮にカムバックしても、笑えないお笑い芸人がどうやって生きていくのかと思うのです。

仕事を辞めて違う道を歩むというのは、私たちカタギの世界では普通にあることです。どうして芸能人だけは特別なのか。それは、松本人志も同じです。

私たちは、吉本興業に対しても、企業としてどうおとしまえをつけるのか、しっかりと見届ける必要があるでしょう。

何故こんなことを言うのかと言えば、彼らの言葉があまりに「軽い」からです。その場を取り繕えばいいとしか思ってないからです。それは、社会やファンをバカにしたものと言っていいでしょう。

■『Newsweek』日本版の反論記事


一方で、微妙に流れが変わってきているのはたしかでしょう。当初の強気なコメントとは裏腹に、裁判は松本が「個人で提訴する形になるだろう」という吉本の幹部の発言があったり、今回のように僅か4日で小沢も活動休止になったりと、あきらかに守勢に回っているような気がしてなりません。

松本の信者から告発した被害者にあびせられる心ない言葉による二次被害についても、『Newsweek』日本版に、ライターの西谷格氏が非常にわかりやすく具体的に”反論”を書いていました。

Yahoo!ニュース
Newsweek
松本人志を自分の「家族」と見なす人々への違和感

<「ホテルに行く女が悪い」説>
(略)
記事を読めば分かる話だが、小沢一敬はまず「VIPの参加する飲み会」に誘い「ドタキャン厳禁」と釘を刺した上で、飲み会当日に「撮影防止のため、会場はホテルのスイートルームになった」旨を伝えている。

この流れで危機感を感じて誘いを断るのは、どう考えても「警戒しすぎ」であろう。芸能人が個室を選ぶのは至極当然であり、それがホテルの広々としたスイートルームであれば、それほど不自然なことではなかろう。つまり、小沢はそれほど巧妙に女性たちを誘い出していたと考えられる。


<「警察に訴えるべき」説>
(略)
日本では20歳以上の女性の約7%が性被害の経験を持つ。だが、被害者のうち警察に相談する人はたった5.6%に過ぎない。誰にも相談しない人がもっとも多く、約6割を占める。(2020年度「男女間における暴力に関する調査」男女共同参画局)
(略)
あまりにも「不都合な真実」であるため大きな声では語られないが、日本社会は性犯罪者にとって極めて有利な国と言える。痴漢や強制わいせつ、強制性交などの犯罪を実行しても、めったに罪に問われることはなく、逃げ切ることが可能というのが現状だ。教育社会学者の舞田敏彦は、2007年から2011年の統計資料を基に、レイプ事件のうち裁判所で罪が裁かれるのはたったの1.92%と推定している。


<「お礼メッセージは同意を意味する」説>
(略)これはもう多くの有識者が説明しているので付言は不要だが、恐怖を感じている時こそ、ああいう文章を送ってしまうものではないか。


被害者の女性は、最初に小沢から、「くれぐれも失礼のないように。怒らせるようなことをしたら、この辺、歩けなくなっちゃうかもしれない」(文春記事より)と脅されているのです。しかも、自身も含めて3人の女性のうち2人が性交を拒んだため、激怒した松本が小沢と放送作家を怒鳴りつけ、二人が松本に謝罪しているのを目の前で見ているのでした。俳優の卵であった彼女の恐怖心は、いかばかりのものであったろうと思います。

さらにひどいのは、このLINEのスクショが芸人の間に出回っていたことです。これは被害者が小沢に送ったメッセージなので、誰が流したかは今さら言うまでもないでしょう。

しかも、LINEは、アリバイ作りなのか、没収されたスマホに没収中に入っていた、「大丈夫?」「無理すんなよ?」という小沢からのメッセージに対して、帰りのタクシーの中から返信したものなのです。これからも芸能界で仕事をしたいと思っていた彼女は、トラブルを避けるためにも、そうせざるを得なかったとも言えるのです。

何だかやり口がきわめて巧妙で、手慣れた感じがしないでもありません。まして、松本の「とうとう出たね」という投稿に至っては、素人とは思えない悪辣ささえ覚えました。松本人志は女性をもの扱いしているという指摘がありましたが、こういった投稿にもその一端が垣間見えるような気がします。

■「二重基準」と「分断支配」


松本の信者たちによる被害女性に対するバッシングには、今までもこのブログで何度も書いてきた、あの「ふしだらな女」の論理が使われていることがよくわかります。それは、女性を都合よく〈聖女〉と〈娼婦〉に使い分ける、男が持つ性に対する差別的な観念の所産です。

上野千鶴子氏は、#MeToo運動がうぶ声を上げる前の2010年に刊行された『女ぎらい ― ニッポンのミソジニー』(紀伊国屋書店)の中で、「ふしだらな女」の論理を「性の二重基準」という言葉で説明していました。つまり、「男向けの性道徳と女向けの性道徳」は違うということです。

(略)たとえば男は色好みであることに価値があるとされるが(吉行淳之介や永井荷風のように)、女は性的に無垢で無知であることがよしとされる。だが、近代の一夫一婦制が、タテマエは「相互の貞節」をうたいながら、ホンネでは男のルール違反をはじめから組みこんでいたように(守れないルールなら、最初から約束なんかしなければよい)、男のルール違反の相手をしてくれる女性が別に必要となる。


男の社会は、そうやって女を「分断支配」するのだと言います。そして、その一方で、性の快楽のために必要とする女を「ふしだらな女」としてバッシングすることも忘れないのです。まるで、「男向けの性道徳と女向けの性道徳」が違う「性の二重基準」を隠蔽するかのようにです。性加害において、女にも落ち度がある、わかって行ったのにあとで文句を言うのはおかしい、お金が欲しくて被害を訴えているんだろ、というような常套句で、被害者の女性をバッシングするのもそのためです。

セカンドレイプ(性的二次被害)というトラウマに起因する言葉がありますが、被害に遭った女性にとって、松本の信者や吉本の芸人やテレビのコメンテーターたちは、それこそ悪魔の使徒のように思えたに違いありません。彼らは、「時代が変わった」ことに対して、あまりにも無頓着というか、学習能力がなさすぎるのです。それは犯罪的と言ってもいいくらいです。

■日本の社会は総崩れ


もちろん、性加害はお笑いの世界だけにとどまりません。ひと足早く告発された映画界の性加害も、松本の報道をきっかけにYouTubeなどで取り上げられ、あらためて波紋を広げているのでした。そこで告発されているのは、男性に対する性加害も含まれているのでした。そして、告発の過程では、加害者の園子温や榊英雄や松江哲明だけでなく、”村社会の論理”で彼らをかばったことで二次被害を生じさせた、カンパニー松尾や森達也や町山智浩や水道橋博士などへも批判が向けられているのでした。

榊英雄のことはよく知りませんが、ほかの人間たちは、ヘイトスピーチに反対したりSEALDsの運動に同伴するなど、どちらかと言えばリベラル系と呼ばれる人たちです。最近も、ヘイトスピーチに反対する運動をしていた人間が、松本の問題について、#MeToo運動への理解の欠片もない、それこそ松本の信者と同じようなことをSNSに投稿をしているのを見て、唖然としたことがあります。人権にもっとも敏感であるはずの(敏感であるべき)人間が、こと性のことになると「性の二重基準」に何のためらいもなく依拠しているのでした。

ミッシェル・フーコーが言うように、性的趣向セクシュアリティは、優れて階級的な産物であるがゆえに、もっとも〈権力〉が露出しやすく、そのために性加害は、既に告発されているだけでも、芸能界、映画界、演劇界、学校、スポーツの現場、学習塾、宗教団体、社会運動団体、政界、ビジネスの現場、警察、自衛隊、児童養護施設、生活保護の現場、病院、家庭内など、この社会のあらゆる分野に渡っているのです。性加害(性暴力)には、思想信条も信仰も関係ないのです。

強姦(不同意わいせつ)を「いたずら」と言い換えて、日本の社会は性に鷹揚だと言い、(宮台真司のように)大人が少年に行う「いたずら」は加入儀礼(の残滓)にすぎないと嘯いていたこの社会は、#MeTooのシッペ返しによって、文字通り総崩れになっているのです。

いくら松本の信者や吉本の芸人やテレビのコメンテーターたちが「性の二重基準」にすがり、道化師のように「ブルジョア性道徳」(上野千鶴子氏)を振りかざそうが、それは腐朽する運命にあるアンシャン・レジームの悪あがきにすぎないのです。
2024.01.14 Sun l 芸能・スポーツ l top ▲
23359746_m.jpg
(写真AC)



■極めて異例な「推定無罪」


松本人志に対する文春砲について、テレビの取り上げ方に私はどうしても違和感を抱かざるを得ません。

どこか奥歯にものが挟まったような言い方で、最後には必ず、「なお、松本さんの所属事務所の吉本興業は、報道に対して当該事実は一切なく、法的措置を検討していく予定だと述べています」との文言を付け加えることを忘れないのです。いわゆる「推定無罪」を前提に、松本人志の人権に配慮したような姿勢が垣間見えるのでした。

もちろん、それはそれでとてもいいことです。芸能人のスキャンダルを報じるのに、このように人権に配慮して丁寧な扱い方をするのは、報道機関のイロハとも言えるでしょう。

ただ、これが極めて異例であることもまたたしかなのです。松本人志のような大物タレントではなく、吉本のような(各テレビ局が株主になっているような)大手ではなく弱小プロダクションのタレントの場合は、人権もクソもないのです。それこそ「推定有罪ゝゝ」で、あることないことあげつらうのが普通なのです。

ほかのタレントやテレビのコメンテーターが、松本のスキャンダルに疑問を呈して援護射撃を行うようなことも、普段はほとんどありません。彼らは風にそよぐ葦なので、メディアと一緒になって叩くのが常です。

■問題の根幹


今回のスキャンダルの問題の根幹にあるのは、やはり「テレビ局と吉本興業の”不純な関係”」です。

内田樹氏は、Xに次のように投稿していましたが、決してオーバーではなくテレビは生き残ることができるかどうかの瀬戸際に立っていると言ってもいいでしょう。もう誤魔化しは利かないのです。


テレビは、松本人志のスキャンダルでは、スポンサーが企業名を外すなど先に行動を起こし、テレビがそれに引きずられて対応するという醜態を演じているのでした。しかも、スポンサー名を外したのは、あのサラ金のアコムやレイクなのです。ハラスメントに対する社会的責任という点では、報道機関であるテレビはかつて社会的な批判を浴びたサラ金より意識が低いと言わざるを得ないでしょう。

既得権益の上に胡坐をかき、公共の電波を私物化するその思い上がった姿勢が、既に国民の目にもはっきりと映っているのです。だから、電波オークションを求める声が出て来るようになったのでしょう。

どのチャンネルをひねっても吉本の芸人が出て来るような今の状況は、どう考えてもおかしいのです。だから、このような破廉恥なスキャンダルも生まれるのです。

松本人志に関しては、堰が切られた感じなので、これからさらにスキャンダルが噴出する可能性は高いと思いますが、テレビはどうするつもりなのか。今のように吉本興業の意向ばかり気にしていたら、にっちもさっちもいかなくなるでしょう。

テレビのあり方が問われているのですが、とてもそういった問題意識を持っているようには思えません。テレビは反省しないまま生きる屍と化すのでしょうか。

■早くも露呈した吉本の「腰砕け」


くり返しになりますが、吉本興業とアテンドした小沢一敬の所属事務所のホリプロコム(ホリプログループ)のコメントは、次のようなものでした。

一部週刊誌報道について

本日発売の一部週刊誌において、当社所属タレント ダウンタウン 松本人志(以下、本件タレント)が、8年前となる2015年における女性との性的行為に関する記事が掲載されております。

しかしながら、当該事実は一切なく、本件記事は本件タレントの社会的評価を著しく低下させ、その名誉を毀損するものです。当社としては、本件記事について、新幹線内で執拗に質問・撮影を継続するといった取材態様を含め厳重に抗議し、今後、法的措置を検討していく予定です。

ファン及び関係者の皆様には大変ご心配をおかけする記事内容でしたが、以上のとおり本件記事は客観的事実に反するものですので、何卒ご理解いただきますようお願い申し上げます。


皆様におかれましてはご心配をお掛けし、大変申し訳ございません。
スピードワゴン小沢一敬はこれまで通り活動を続けてまいります。
なぜならば、小沢の行動には何ら恥じる点がないからであります。
一部週刊誌の報道にあるような、特に性行為を目的として飲み会をセッティングした事実は一切ありません。
今後ともよろしくお願い申し上げます。
                                     株式会社ホリプロコム


吉本興業の強気なコメントだけでなく、ホリプロコムのコメントにも驚きました。「小沢の行動には何ら恥じる点がない」と言い切っているのです。ホントに大丈夫かと思いました。今回のスキャンダルの前にも、同僚のタレントたちから、小沢の飲み会は「闇」だとか、小沢のファンだという女子アナに対して、飲み会だけは行かない方がいいなどと言われていたのです。

一方で、吉本興業の幹部は、朝日新聞の取材に対して、「裁判になった場合、松本が個人で提訴する形になるだろう。吉本は会社としてサポートするが、側面支援という形だ」と明かしているのでした(下記記事参照)。

朝日新聞デジタル
松本人志さんのワイドナショー出演表明 驚いたのはフジ幹部だった

コメントで、「今後、法的措置を検討していく予定です」と強気の姿勢を見せていたことと比べると、あきらかに後退した印象です。私も前の記事で、コメントの文面に対して、「既に腰が引けている」「『法的措置』まではいかないのではないか」という声があることを書きましたが、早くも「腰砕け」が露呈した感じです。休止から引退が既に既定路線であることが、この吉本の「腰砕け」からもうかがえるのでした。

週刊誌やスポーツ新聞では、松本人志の活動休止に際して、何年したら復帰するのかとか、その間誰が代打で出るのかなどといった話がまことしやかに飛び交い、麒麟の川島だ、東野幸治だ、今田浩司だ、千鳥の大悟だなどと吉本の芸人の名前が上げられているのでした。

テレビだけでなく、週刊誌やスポーツ新聞も、未だに吉本の顔色を伺って、現実を糊塗するような記事を書いているだけです。それが読者にバレバレになっていることすら彼らはわかってないのです。
2024.01.12 Fri l 芸能・スポーツ l top ▲
2465566.jpg
(public domain)



■「ワイドナショー」出演見合わせの方針転換


松本人志が活動を休止すると発表したのが1月8日です。その際、松本はみずからのX(旧ツイッター)で、「事実無根なので闘いまーす。それも含めワイドナショー出まーす」と投稿し、波紋を呼んだのでした。

翌日にはフジテレビと同系列の産経新聞も「ワイドナショー」に出演と書いたので、出演は確定的と受け取られ、出演の是非をめぐって論議が沸き起こったのでした。

ところが、10日になって一転、フジテレビは、吉本興業と協議をした結果、松本人志の出演は見合わせると発表したのでした。

これだけを見ると、松本の暴走と受け取られるかもしれませんが、決してそうではなく、現場では出演の内諾を得ていたとみるのが自然でしょう。

既に降板しているとは言え、それだけ松本には番組に対する影響力を持っていたのでしょう。実際にメイン司会は松本の子飼いの東野幸治が務めていますし、レギュラーコメンテーターも松本と近い田村淳と今田耕司が担当してます。

ただ、一部で指摘されていますが、松本が出演する番組では、スポンサー企業が企業名を外すなど、実質的なスポンサー離れがはじまっていたのです。つまり、企業も#MeToo運動に敏感にならざるを得なくなったということです。それが新しい時代の地平なのです。被害を受けた女性が文春に告発したのも、そういった時代背景と無関係ではないのです。

それで、あわてたフジテレビは吉本と協議をして急遽方針を変更したのでしょう。松本が「ワイドナショー」に出ることを知らなかったフジテレビの幹部が出演を知って、出演にストップをかけたみたいな報道がありますが、フジテレビが言うことですから、カマトトな作り話のように思えてなりません。

■「追記」の再掲


私は、活動休止のニュースが流れたとき、前に書いた記事に「追記」として下記のような文章を書き加えました。その部分を再掲します。

関連記事:
松本人志という哀しきピエロ(※追記あり)

--------------

本日、松本人志が芸能活動を休止するという「速報」がありました。吉本興業によれば、松本人志から「『様々な記事と対峙(たいじ)して、裁判に注力したい』とし、活動を休止したいという強い意志が示された」(朝日の記事より)のだそうです。

テレビの画面から察するに、その言動とは裏腹に彼自身は小心な性格のような気がしますが、ここに来てその性格がモロに出た感じです。そもそも記事に書かれたことが事実なら、記事に登場する松本人志は文字通りの裸の王様なのです。

既に旬が過ぎただけでなく、その芸風から言ってももう笑えない芸人になってしまったダウンタウンの松本人志は、このまま永遠にフェードアウトするしかないでしょう。

「裁判に注力したい」というのもめいっぱいの虚勢のつもりなのでしょうが、もう虚勢にすらなってないのです。

文春がほのめかしているように、今後あらたな証言が出て来る可能性は高く、「裁判に注力」するどころか泥沼に引きずり込まれる可能性の方が高いでしょう。

松本人志は文字通り堕ちた偶像になったのです。そんな逆風が吹き始めたのを察知して活動休止したというのが、今日の「速報」の真相だと思います。記者会見もやりたくない小心な人間が選んだ”最善の方法”が、活動中止から引退という姑息な方法だったのではないか。

活動休止の発表後、松本人志はみずからのX(旧ツイッター)を更新して、「事実無根なので闘いまーす」と投稿したそうですが、これが還暦を迎えたおっさんの日本語かと思うと、哀しくもせつないものがあります。文字通り引かれ者の小唄と言うべきでしょう。足掻けば足掻くほど笑えないギャグしか出て来ない。もう完全に終わっているのです。

一方で、テレビなどのメディアは、ここに至っても吉本のコメントを垂れ流すだけで、多分に腰が引けたおざなりな報道に終始しています。あれだけ人の揚げ足とりが得意なワイドショーも、独自の取材さえ行ってないのです。ジャニー喜多川の性加害と同じように、触らぬ神に祟りなしの姿勢なのです。

けだし、吉本興業とテレビ局の“不純な関係”については、何ひとつカタが付いてないのです。これからはこの問題も、松本人志のスキャンダル以上に注視する必要があるでしょう。

吉本による公共の電波の私物化をテレビ局が許していたという、とんでもない問題なのです。お笑いだから許されるというような惚けた話ではないのです。

--------------

■吉本興業とテレビ局の“不純な関係”の背景


もっとも、松本が裸の王様になった背景、つまり、吉本に公共の電波の私物化を許している「吉本興業とテレビ局の“不純な関係”」にはちゃんとした背景があるのです。

下記の図は、ちょっと古いですが、2015年5月現在の吉本興業の主要株主の持ち株比率です。

スクリーンショット 2024-01-10 233322

これを見ると一目瞭然ですが、在京のキー局がずらりと名を連ねています。また、表には出ていませんが、下位には関西テレビ放送株式会社、讀賣テレビ放送株式会社、テレビ大阪株式会社の名もあります。

吉本興業は2009年9月に、元ソニー会長の出井伸之氏が代表を務める投資会社による株式公開買い付け(TOB)に賛同し、上場を廃止して、上記のような株主の構成に変わったのでした。

つまり、吉本興業とテレビ局は利害を共有する関係になったのです。テレビ局が吉本に公共の電波の私物化を許しているのも、それが自分たちの利益になるからです。

そう考えれば、吉本とテレビ局の関係は、ジャニーズ事務所との関係の比ではありません。ジャニーズ事務所の場合、資本関係があったわけではないのです。ただ、取引上の忖度がはたらいただけです。でも、吉本との関係はそうではないのです。資本のつながりがあるわけですから、吉本が番組制作に大きく関わり、どのチャンネルをひねっても吉本の芸人が出ているのは当然と言えば当然なのです。

さらに吉本興業の現社長も前社長(後に会長)も、ダウンタウンのマネージャーだった人物です。そういった背景のもと、松本人志は、吉本だけでなくテレビのお笑いの世界においても、誰も逆らえない絶対的な権力を持つようになったのです。私に言わせれば、ただのチンピラのおっさんがお笑い界に君臨するようになったのです。

そして、彼の歓心を買うために、各地に接待担当の女衒芸人がいて、彼に素人女性を上納アテンドするシステムが作られたのです(と言われているのです)。

中には、博多大吉が、九州時代に女衒を担当した際の苦労を語っていたテレビ番組が発掘され、ネットにアップされるという余波まで生じているのでした。

■「ふしだらな女」の論理


吉本興業の成り立ちを見てもわかるとおり、もともと興行や芸能は市民社会の埒外にあるものでした。特にお笑い芸は、差別や偏見や暴力など人々の負の感情を下敷きにした、多分に下劣でいかがわしいものでした。キッチュだったのです。それがテレビを通してお茶の間に浸透し、若者が憧れるほど市民権を得たのです。ただ、いくら市民権を得ても、彼らがチンピラまがいのダークな存在であることには変わりがないのです。しかも、お笑いだとダークサイドな部分が許容されたのも事実です。そう考えれば、彼らの芸が#MeToo運動の時代とまったくそぐわないのは理の当然で、そのひずみが今回の松本のスキャンダルで露呈したとも言えるでしょう。

一方で、被害を訴えた女性に対する松本ファンのバッシングは、文字通りセカンドレイプと言えるような目に余るものがあります。多分にネトウヨ的な傾向のある人間が多いように思いますが、その根底にあるのは「ふしだらな女」の論理です。それは性被害だけでなく、芸能人の不倫などでも登場する差別的な論理です。

そのことについて、既に一部のメディアでも取り上げられていますが、倉田真由美氏がXで秀逸な投稿をしていましたので、(引用が多くなりますが)紹介します。

なお、Xは、字数制限が緩和されてから字数の多い投稿の場合、タイムラインでは一部しか表示されなくなりましたので、Xの埋め込みではなく投稿した文章を引用させていただきます。

倉田真由美
@くらたまごはん

「高級ホテルでの有名人が来る飲み会にノコノコ行く女が愚か。何かあって当たり前」こんな考えの人が多くてとても残念だ。「名もない庶民は何されても仕方ない」という発想に他ならない。人間を、対等に見ない人の発想。呼ばれた本人も有名な女優だったとしたらどうか。いきなり乱交パーティーのような目に遭う可能性が俄然低くなるだろうし、「ノコノコ行くな」という人もいないだろう。理由は簡単、「対等な人間同士」という図が出来上がるからだ。本来、相手が誰であっても人間同士は対等だ。その当たり前の感覚を忘れ選民意識を内面化してしまっている人たちの多さに愕然とする。


「対等な、等しい重さの人権を持った人間同士」って、金銭の授受とか権力のあるなしとか関係ないんですよ。「高級レストランでご馳走してもらう側、奢る側」がいるとして、この二人の人権の重さは等しいの。対等なんです。この辺りが腑に落ちていない人、多いなあ。人権意識の問題なんだけど。奢ってもらったんだからそれに代わる何かを差し出せ。って、それを奢った人が個人的に奢った相手に言うのはいいけど(それがどう思われるかは置いといて)、社会がそれを認めたらおかしいでしょ。


これは全世界共通なんだが、「尻軽(っぽい)女」に対して異常に厳しい「何かされても仕方ない」という地味に攻撃的であるらある考えに悩む人が少ない。動機はさておき世間の認識には「売春婦」に対する根強い差別感情がある事は否めない。 今、日本でいえばギャラ飲み女子とかパパ活女子とかがそうか。有名人の飲み会に行く女子もそうだろう。 しかし、彼女たちも一般の変わらない人権を持った人間なんだよ。何かがあった時、有名女優が告発する場合とギャラ飲み女子が告発する場合で印象を変えてしまう場合がある、根本に差別感情があるからに他ない。


「満員電車に乗った時、スカート履かない方がいい」 ↑これ、家族が娘に言うのはいい。でも社会のメッセージとしてはおかしいでしょ。 こんなポスター駅のホームに貼られてたら、やばい国です。個人的に身内に「危なそうな飲み会に参加してて痛い目、それは女も悪い」というのは勝手にしたらいいけど、社会が言うのは違う。


「私は◯◯(加害者かもしれない人)を信じます」って、

「被害を訴えている人を信じません」「被害を訴えている人が嘘を吐いていると思います」

と言ってるのと同じなんだけど、その言葉の重さ分かっているんだろうか。


どんな事件でもそうなんだけど、加害者と被害者がいる場合、この二者は鏡像対称性を持つ右と左、のような存在ではないんです。

だから「同じ事は逆でもいえますよね!」っていう人多いんだけど、いえないんですよ…まったく別物だから。


口幅ったい言い方をすれば、「天皇制は一木一草に宿る」という言葉がありますが、〈権力〉もまた私たちの日常の隅々に存在しています。倉田真由美氏が言うように、人と人との関係においても〈権力〉が介在し、その関係性を規定するのです。

本来は対等な関係なのに、属性が付与されることによって人と人との間は対等な関係ではなくなるのです。そういった力学によって私たちの社会や日常が仮構されているのです。だからこそ、〈人権〉という概念が必要なのです。

ワイドショーは倉田真由美氏のような人物をコメンテーターに起用すべきだと思いますが、そもそも吉本の株主であるテレビ局は松本人志のスキャンダルを正面から扱うことすら避けているのですから、それはないものねだりにすぎないのでしょう。
2024.01.11 Thu l 芸能・スポーツ l top ▲
GDFfbQlbgAAQVkN.jpg
(山本太郎氏のXより)



■馳知事の呼びかけと山本太郎バッシング


地元の北國新聞によれば、石川県の馳浩知事は「5日の石川県災害対策本部員会議で『能登に向かう道路が渋滞し、困っている。個人や一般ボランティアが被災地へ向かうのは控えてほしい』と述べ、不要不急の来訪はしないよう呼び掛けた」そうです。馳知事は、それ以前にもX(旧ツイッター)で、一般車の乗り入れの自粛を呼びかけており、あらためて自粛を呼びかけた格好です。

現在の西日本新聞の前身である「九州日報」の記者をしていた夢野久作は、1923年の関東大震災の際に、二度にわたって震災直後の東京を訪れ、そのルポルタージュを「街頭から見た新東京の裏面」「東京人の堕落時代」と題して、「九州日報」に連載したのですが、その中で、廃墟と化した東京は人影もなく「がらーんとしているだろう」と思っていたら、実際は人であふれ、道路も大混雑していた、と書いていました。震災直後の東京にあふれていたのは、廃墟と化した東京を興味本位に見に来た物見遊山の人々だったのです。 

馳知事が被災地への来訪を控えるように呼びかけたのは、そういった物見遊山の来訪を恐れたからではないかと解釈する人もいるかもしれませんが、東京と能登半島では事情がまったく異なるでしょう。ただ、甚大な被害が生じた奥能登へ行くには、道路も限られているため、支援活動に支障が出ることを恐れたというのはあるかもしれません。

ただ、被災地への来訪は議員も自粛が要請されていますし、被災地の上をドローンを飛ばすことも禁止されているそうで、何だか異常な気がしないでもありません。

能登半島にある志賀原発では、油の流出が当初の発表より5倍に増えているとか、周辺15カ所ではモニタリングポストが「壊れて」放射線量の測定が不可能になったというニュースがありますが、来訪禁止やドローン禁止の”過剰な規制”を考えると、どうしてもよからぬ想像を巡らせたくなるのでした。

馳知事の呼びかけに呼応するかのように、ネット上ではさっそく「自粛警察」の震災版とも言うべき人間たちによる、ボランティアに対するバッシングがはじまったのでした。たとえば、いちはやく被災地に入ったれいわ新選組の山本太郎代表もそのひとりです。

山本代表は、現地に行った理由も含めて、みずからのXに次のように投稿していました。 


この投稿に対して、被災者のカレーを食べたのはけしからんと難癖を付けているのでした。それをスポーツ新聞のコタツ記事が取り上げて、Yahoo!ニュースが拡散し、テレビのコメンテーターたちがしたり顔でバッシングを追認しているのでした。

私は、こういった手合いを「最低の日本人」と呼んでいるのですが、要するに、「最低の日本人」の彼らが気に入らないのは、馳知事の呼びかけを無視して被災地に行ったからでしょう。 

しかし、同じように支援物資を積んだトラックとともに現地に入り、「軽率だ」「迷惑だ」とバッシングを浴びた後藤祐樹千葉県八街市議は、道路が渋滞しているのは乏しいガソリンを求めて地元の人たちの車がガソリンスタンドに行列を作っているからで、必ずしもよそから来た車で渋滞しているわけではない、とXで反論していました。

ネットには現地を車で走ったツイキャスも上げられていましたが、それを見ると特に渋滞している様子はなく、ツイキャスの主も「(自粛要請は)風評被害だよ」と皮肉を言っているくらいでした。しかし、メディアには今の道路状況に関する報道はいっさいないのです。自分たちもカメラを持って奥能登を訪れているので、道路の状況もわかっているはずですが、政府や石川県の自粛要請をオウム返しのようにくり返すだけです。

こう言うと、陰謀論やフェイクニュースを煽っているように思われるかもしれませんが、テレビなどメディアはどこまでホントのことを伝えているのかという疑問を持たざるを得ません。

地元の人によれば、地震直後は一時的に道路が渋滞していたことがあったそうです。それは、能登半島の出身者で金沢などに住んでいる人たちが、身内の安否を心配したり支援物資を届けるために車で訪れたからだと言っていました。もちろん、道路が寸断されて限られたルートしか通れないということもあったのでしょうが、ツイキャスを見ると、至るところで補修工事が行われた跡があり、(前の記事でも書きましたが)土木作業員たちが夜を徹して突貫工事をしたことがよくわかるのでした。土建会社にとっては地震特需でしょうが、工事に携わる作業員たちは被災者でもあり、頭が下がる思いがします。

一方、馳知事は、不要不急の来訪は控えるようにと言いながら、非常事態を宣言して、県の職員に「全庁をあげて災害対応にあたるよう指示」したのは1月6日、つまり、地震が発生した5日後なのです。これでは新年の「仕事始め」と同じでしょう。まったく呆れるしかありません。

石川県内で100人を超える人が亡くなった今回の地震について、石川県の馳知事は「これまでにない未曽有の大災害だ。能登を救うために、県庁としての非常事態を宣言する」と述べ、県の職員に対し、全庁をあげて災害対応にあたるよう指示しました。

県は被害の大きい自治体への職員の応援を増員させるなど、対応を強化することにしています。

また、県は被災地以外の旅館やホテルに、被災した人たちが過ごせるよう調整を進めるとしています。

このほかに、石川県小松市が能登地方の被災者およそ80人を受け入れるなど、県内の自治体で被災した人を受け入れる支援の動きが出ていることを明らかにしました。

NHK
石川 馳知事が非常事態を宣言 県職員に災害対応を指示


現場を知るということは大事なことです。支援活動がどうなっているのか、ホントに機能しているのを知るのも、政治家やジャーナリストだけでなく、ボランティアを志願する人たちも必要なことでしょう。

実際に現地の惨状を見た山本太郎代表は、上記のXで、自衛隊は自走式と牽引式キッチンカーを800台以上も持っている、牽引式は約45分のうちに250人分、自走式は約60分で150人分の炊事を行うことができる、どうしてその能力を活用しないのだ、と書いているのでした。

■ボランティアを拒否する「お役所仕事」の夜郎自大と「最低の日本人」たち


生き埋めになったままの人たちだけでなく、山間部で一人暮らしの高齢者の移送も進んでない状態だそうで、震災の関連死は東日本大震災を上回るのではないかという懸念さえ出ているのです。

どうして積極的に民間のボランティアの力を借りようとしないのか、不思議でなりません。役所は尻を叩かないと動かないというのは、私たちでもよく知っています。ホントに「お役所仕事」に任せるだけでいいのかと思います。

輪島市の坂口市長は、1月6日の石川県災害対策本部員会議で、「避難所もぎゅうぎゅう詰めで、ノロ(ウイルス)やコロナが発生している」と窮状を訴えたそうですが(朝日の記事より)、そういった事態に迅速に対応できるノウハウを持っているのは民間でしょう。「お役所仕事」ではとても対応できるとは思えません。

尻を叩かないと動かないのに、「最低の日本人」たちは、お役所に任せればいいんだと言って、自衛隊や消防や警察を英雄視するだけなのです。今、必要なのは役所の尻を叩くことでしょう。

しかも、岸田政権が投入した自衛隊は、「2日の約1千人を皮切りに、3日に約2千人、4日に約4600人、5日には約5千人、6日には約5400人、7日には約5900人に増員した」(朝日)だけだそうです。2011年の「東日本大震災では発災の翌日に約5万人から約10万人に、熊本地震では2日後には当初の約2千人から約2万5千人」(同)へと増員していることに比べれば、岸田政権の不作為はあきらかです。それは、被災者にとっては座して死を待つに等しいものです。

その極めつけは、元自衛隊員だとかいう芸人のやす子の発言です。彼女は、1月7日に放送されたTBS「サンデー・ジャポン」に出演して、次のように言ったそうです。

「一般の方がいま、助けに行くぞって行かれているんですけど、その一般の方がどこに泊まるかというと、民泊を借りたりとか、ガソリンをどうするかというと現地のものを使わないといけなくて、被災地の方にも力を借りなければいけなくなる」

「けど、自衛隊は自己完結してて、燃料、食べるもの、寝るところもすべて自分たちで持って行く。ですので、被災地に迷惑をかけずに支援ができるのが、自衛隊の大きないいところのひとつかなと思っているので」

「緊急車両が通れないと助かる命も助からなくなってしまう。いま、みんなができることは、募金とか、一旦、いまいるところで祈るというか、いまできる生活を送った方がいいんじゃないかなと思います」

Yahoo!ニュース
ディリースポーツ
やす子が完ぺき説明「自衛隊は被災地に迷惑かけずに災害支援できる」一般市民へは自重求め「みんなが出来るのは祈る事」


このやす子の発言に対して、ディリースポーツは「完ぺきな説明」と書いていましたが、どこが「完ぺき」なんだと思いました。山本太郎代表が言うように、圧倒的な人員不足だけでなく、キッチンカーすらも活用してないのです。やす子は決して賢いとは思えないキャラクターの芸人ですが、自衛隊の派遣人数など現状認識はお粗末なものしか持ってないようです。にもかかわらず、まるでボランティアが被災地に迷惑をかけているようなこましゃくれた発言をしているのです。バカな愛されキャラだから何を発言しても許されるというものではないでしょう。

ここに来て岸田政権に対して、政府内からも「初動を甘く見た」(朝日)というような声が出始めているそうですが、最初から初動を誤っていたのです。緊急事態であるにもかかわらず、仕事始めまで緊急事態宣言の発出を控えていた(としか思えない)石川県の対応を見てもわかるとおり、「お役所仕事」に任せていては、被災地の惨状は益々深刻化するばかりでしょう。未だに被害の全容すらつかめてなくて、日ごとに死者や安否不明者の数が増えているあり様なのです。

ボランティアというのは、瓦礫を片づけたり、家具を運び出したり、側溝の泥を掻き出したりするだけではないでしょう。「お役所仕事」にない即応性もあるし、通信や食事やトイレや衛生管理のノウハウも持っているのです。何より「最低の日本人」と違って、どこかの総理大臣の言葉ではないですが、「共助」の精神も、利他の考えもあるのです。

自分たちが税金を使うときはザルだけど、納税者に使うときは「ごうつくばばあ」みたいに厳格になるのは政治家や役人の常ですが、そんな連中にすべてを任せていては悲劇がさらに悲劇を呼ぶような事態になるのは目に見えているような気がします。生き埋めになったまま放置されるだけでなく、関連死も膨大に増えるのではないかと言われる中で、彼らがやっているのはボロ隠しのようなパフォーマンスと自演乙だけなのです。

どうして自衛隊はキッチンカーを使わずにヤマザキパンを運ぶのか。そう言うべきなのです。やす子のお粗末な発言を「完ぺき」と持ち上げるメディアのアホらしさをどうしてアホらしいと言わないのか。

■災害出動より「出初式」


当初、メディアはこぞって、甚大な被害が発生した奥能登に至る道路は寸断され、陸路による物資の輸送や被災者の移送ができないという報道をしていました。だったら、自衛隊が持っている大型ヘリを使って空路で行えばいいじゃないかという声もあったのですが、政府にはそういった発想はありませんでした。

その一方で、1月7日には、陸上自衛隊の第1空挺団は、千葉県の習志野演習場で「降下訓練始め」を予定どおり実施したそうです。これを報じた赤旗電子版によれば、「訓練は島しょ防衛を想定し、空挺団員によるパラシュート降下や、陸自ヘリによる部隊展開などを展示。訓練には陸自第1ヘリコプター団、航空自衛隊のC2、C130H輸送機などが参加(略)。米英、カナダ、フランス、ドイツ、オランダ、インドネシアの7カ国の軍隊も参加」し、派遣命令を出す木原防衛大臣も訓示したのだとか。つまり、災害出動より例年行われている「出初式」=お祭りを優先したのです。

「訓練始め」に参加したCH47Jヘリは55人の輸送が可能で、C2は最大約30トン、C130Hは最大20トンを搭載できるそうです。奥能登の孤立した集落を救援するために、どうして「降下訓練」の成果を発揮しないのかと誰でも思うはずです。

なお、この模様を朝日新聞は、何の批評も加えずに(悪びれもせずに)映像付きで報じています。政府も政府ならメディアもメディアなのです。

朝日新聞デジタル
陸自、千葉で降下訓練始め 防衛相「同盟国との連携示すことは重要」

ただ、忘れてはならないのは、(今まで書いたことと矛盾するかもしれませんが)自衛隊=軍隊は国家=国体を守るためにあるのであって、国民を守るためにあるのではないということです。災害対応ごときでは、陸路がダメなら空路や海路があるという発想は自衛隊にははなから存在しないのです。災害派遣は、あくまで「自衛隊は頼りになるぞ」というパフォーマンスの場にすぎないのです。

孤立した集落を救助するために、悪路を徒歩で進む自衛隊員に「感動と感謝の声」という記事などはその典型でしょう。いたずらに72時間が過ぎ、生き埋めになった多くの人々が見捨てられていても、みんなで感動して感謝しなければならないのです。

■デマを拡散するYahoo!ニュースの怖さ


今回の地震では、X(旧ツイッター)がYouTubeと同じようにアクセス数に応じて広告料が支払われるようになった影響もあり、Xを中心にしたSNS上で炎上目的のデマ投稿が増えたというニュースがありました。

しかし、それはSNSだけではないのです。むしろ、一番のデマの発信源は、スポーツ新聞や週刊誌のコタツ記事です。

その端的な例が、避難所に車で乗り付けて自販機を壊して中の飲み物を奪っていく集団の話です。そんなコタツ記事がYahoo!ニュースに掲載されると、とんでもない事件、犯人たちは極刑に処すべきとヤフコメで炎上したのですが、後日、それがまったく事件性がないことが明らかになったのでした。

北國新聞によれば、ことの顛末は次のようなものです。

能登半島地震の避難所となっている穴水町の穴水高で1日夜、男女数人が自動販売機を壊し、同校の避難者用に飲料水を置いていったとみられることが6日、同校などへの取材で分かった。自販機を壊した人は「自分も避難者で、飲み物を確保するために自販機を壊していいか(管理者に)確認した」と話しており、石川県警は事件性はないとの見方を示している。

 穴水高によると、車で訪れた数人が自販機を器具でこじ開け飲料水を取り出し、避難所に置いていったという。

北國新聞DIGITAL
自販機破壊、避難者のためだった 
「飲料水確保するため」 穴水高


私は、このニュースを見て、関東大震災の際の朝鮮人が井戸に毒を入れたという話を思い出しました。

アクセス数を稼ぐためにデマを発信しているのは、SNSだけでなくYahoo!ニュースも同じなのです。ヘイトの問題でも散々指摘されていますが、Yahoo!ニュースがどんな存在であるのかを考えると、これはとても怖いニュースだなと思いました。
2024.01.08 Mon l 震災・原発事故 l top ▲
202401020015_top_img_A.png
(ウエザーニュースより)



■僅か2000人


1月1日に発生した石川県能登地方を震源地とする地震では、食料や水や毛布などの支援物資が届かず、被災した人たちから支援を求める声が相次いでいますが、1995年の阪神・淡路大震災以後、2011年の東日本大震災、2016年の熊本地震と甚大な被害を出した地震が続いたにもかかわらず、また同じことをくり返しているような気がしてなりません。

地震が発生して2日経った1月3日の夜に、「岸田首相は、石川県の馳知事や被災地の自治体の首長らとオンライン会議を行い、被災地の状況確認、支援ニーズの確認などを行った」というニュースがありました。

そして、岸田首相は、下記のように述べたそうです。

会議の後、岸田首相は「ニーズを確実に吸い上げ、確立すること、自治体の機能が十分に回復するまでの間は、国が自治体をサポートしてニーズの把握と物資の運搬が重要だと認識している」と述べた。

岸田首相は、木原防衛相に対し、自治体が把握しきれない支援物資のニーズを自衛隊が避難所を回り聴き取って、救援物資の輸送まで行うよう指示したことを明らかにした。

FNNプライムライン
能登半島地震 岸田首相「国が自治体をサポートしてニーズ把握と物資運搬が重要」


また、讀賣新聞によれば、同日(1月3日)の午前、岸田首相は、非常災害対策本部会議を開いて、自衛隊の人員を2000人程度に倍増することを決定したそうです。それは、「生存率が急速に下がるとされる『発生から72時間』を4日午後に迎えることを意識」したものだそうです。

一方、同日(1月3日)の朝に行われた石川県の災害対策本部会議で、市内6000世帯のうち9割がほぼ全壊して、「壊滅的」な被害に遭ったと言われる珠洲市の泉谷市長は、「対応できていない救助要請は72件に上っているので、人命救助を最優先にしてほしい。避難所のトイレも限界で至急仮設トイレが必要だ」と訴えたそうです。それを受けてなのかどうか、岸田首相は、発生して2日経ってやっと派遣する自衛隊を倍増することを決定したのです。それでも僅か2000人なのです。

■佐藤正久参院議員のプロパガンダ


そんな切羽詰まった状況の中で、ヤマザキパンが支援のパンを送ったとかで、自衛隊出身の佐藤正久参院議員がみずからのX(旧ツイッター)に、パンが自衛隊員の手で運ばれる様子を撮影した動画をアップして、「ヤマザキパンさん、いつも災害時にご支援ありがとうございます。避難所等に届けます」と投稿したそうです。

日刊スポーツ
ヤマザキパンが能登半島地震の被災地に「いつも災害時に国民を助けてくれる!」SNSに称賛続々

佐藤参院議員の投稿に対して、SNS上では「流石ヤマザキ!」「やっぱり天下のヤマザキ!」と称賛の声が相次いだそうですが、災害時においてもこんな見え透いた自演乙を繰り返している日本という国は何なんだと思いました。

パンの提供はそれはそれでありがたいことでしょうが、しかし、何より必要なのは被災者全員に行き渡るような政府の支援でしょう。

佐藤正久参院議員のXを見ると、自衛隊員はまるでボランティアで救助活動をしているみたいな感じです。しかし、言うまでもなく、彼らは出動手当を貰って当たり前の任務を行っているだけです。自衛隊を派遣するには隊員の手当や滞在費も含めて莫大な費用がかかるので、派遣する人数をケチるのも予算の関係があるのではないかという声もあるくらいです。

と言うか、自衛隊にしても、佐藤参院議員のXに見られるように、災害派遣は本来の任務から外れた、言うなれば、自衛隊が頼りになる存在だと宣伝するための機会としか捉えてないようなフシさえあるのです。そのため、やたらフォーマンスが目立つような気がしてなりません。

佐藤参院議員のプロパガンダに乗せられて、自衛隊員をヒーローのように持ち上げるだけでは、悲痛な声を上げている被災者の現状から目をそらすことになるでしょう。私たちがまず目を向けるべきは、自衛隊員ではなく被災者なのです。

■日本に蔓延する事なかれ主義


火事の現場などでは、野次馬から「もっと早くしろよ」「消防は何しているんだ」という罵声が上がるのはよくあることです。災害の現場の映像などを見ても、救助活動をしている隊員よりそのまわりで見守っている隊員の方が多く、何だかもどかしい気がすることがあります。

瓦礫の下に放置されたまま、「発生から72時間」を迎える人たちは、一説には石川県全体で200人に上るのではないかと言われています。それを考えるといたたまれない気持になります。そんな状況下にありながら、(たしかにありがたい話かもしれないけど)ヤマザキパンさんありがとう、自衛隊はしっかり仕事をしていますよという佐藤参院議員の投稿に対しては違和感を抱かざるを得ません。政治家ならもっと他に目を向けるべきところがあるはずです。おそらく今回も、SNS上の称賛の声と違って、現場では「何やっているんだ」「どうして助けに来てくれないんだ」という怨嗟の声が上がっているに違いないのです。

もっとも、仮に自衛隊や消防隊に罵声を浴びせている姿が映像で流れたら、その人物はネットで袋叩きに遭うでしょう。テレビで「警察24時」とか「救急24時」とかいったドキュメンタリー風の番組をやっていますが、問答無用で自衛隊や救急を称賛したがる人間たちはテレビの観すぎなのかもしれません。あれはテレビ向けの顔にすぎないことを知るべきなのですが、彼らにこんなことを言っても所詮は馬の耳に念仏なのでしょう。

それより災害の現場でもっとも過酷で大きな役割を担っているのは、民間の土木作業員や地元の消防団員たちだという声があります。夜を徹して寸断された道路の復旧作業を行ったり、初動の避難誘導を行っているのは彼らなのです。そのおかげで、警察や消防や自衛隊が現場に向かうことができるのです。しかし、彼らにスポットライトが当たることはないのです。これみよがしにトラックに「災害派遣」の垂れ幕が付けられた自衛隊などに、感謝と称賛の声が寄せられるだけなのです。

公務員の特徴に前例主義と事なかれ主義というのがありますが、いつの間にか日本全体が、事なかれ主義と、それを隠蔽するためのパフォーマンスに堕しているような気がしてなりません。

今回も30数時間ぶりに倒壊した家屋の下から奇跡的に救助されたというような映像が流れていますが、それらは消防や警察が自分たちの仕事ぶりをアピールするためにみずから撮影したものです。しかし、救助されたのは僅か数人で、文字通り「奇跡」のように幸運な人たちです。その背後には、「人命優先」の訴えも空しく、生き埋めのまま放置され死を迎えることになる(既に死を迎えている)200人あまりの人たちがいることを忘れてはならないでしょう。

スポーツ中継などを見ていても、敗退した選手がまず口にするのは「自分は精一杯やったので悔いはない」というような弁解です。これもSNSが普及しはじめてからの傾向のように思いますが、要するに批判を恐れて弁解が先に立つのでしょう。自分を責めることがいいとは思いませんが、「まず弁解」の風潮がともすれば無責任な風潮をつくっていると言えなくないのです。

そして、そんな無責任な風潮を糊塗するために、「ニッポン、凄い!」「感動をありがとう」「勇気をもらった」の自演乙が行われているように思えてなりません。そうやって日本社会をおおう無責任体系が、手を変え品を変えて未だに続いているように思えてならないのです。

救助活動に携わる関係者は見事ほどおそろいの防災服に身を包んでおり、総理大臣までが見るからに真新しい(折り目がきっちり付いた)防災服を着て会見していますが、何だかそれで”やってる感”を出しているだけのような気がしてなりません。

これも「自粛」の一種なのかもしれませんが、救助隊を批判することはタブーみたいな空気があるのも事実でしょう。むしろ、感謝することを強要されるのです。そうやって被災者の悲痛な訴えはそっちのけに、公務に携わる人間たちの大変さや”やってる感”だけが強調されるのでした。

財務省によれば、2023年度の国民負担率、つまり収入に対する税金の負担率は46.8%だそうです。 ちなみに、統計をとりはじめた1970年度は34.3%でした。納税者であれば為政者や行政府に文句を言う権利は当然あるし、それが民主主義だと思いますが、官尊民卑の日本では文句を言うと謀反人みたいに叩かれる風潮があるのでした。

特に今回のような大災害のときは、自衛隊や消防や警察の言うことを聞け、彼らに任せろと言われて、ホントの被害の実態が掴めないまま、「一つになろうニッポン」「がんばろうニッポン」式の(おなじみの)ファナティズムに動員されてしまうのでした。

■ゲスの極み


地震の翌日に羽田空港で発生した日本航空と海上保安庁の航空機の衝突事故でも、どう考えても人的ミスによるものであるにもかかわらず、メディアでは、日航機が一人の犠牲者も出さずに脱出できたのは「奇跡」だとして、世界中から称賛を浴びているというような「ニッポン、凄い!」のニュースが優先されるのでした。

学習能力もなく同じことをくり返している日本は、ホントに「凄い」国なのかと思ってしまいます。

またぞろ、タレントなどを利用して、「一つになろうニッポン」「勇気をもらった」「元気をもらった」などという空疎な言葉が飛び交うようになるのかもしれませんが、(だったら前もって言いますが)他人の不幸で「勇気をもらった」り「元気をもらった」りするのはゲスの極みです。「最低の日本人」である彼らは、そんな「所詮は他人事」の美辞麗句によって被災者を愚弄しているだけなのです。
2024.01.04 Thu l 震災・原発事故 l top ▲