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(写真AC)



■榊英雄の犯罪


映画監督の榊英雄が、2月20日、準強姦の容疑で警視庁の捜査一課に逮捕されたというニュースがありました。

逮捕容疑は、2016年の5月23日に榊容疑者が事務所に使っていた港区赤坂のマンションで、女優志望の20代の女性に演技指導と称して性的暴行を行ったというものです。ただ、文春デジタルによれば、「警察は複数の女性からの被害届を受理しており、余罪を調べている。自宅から押収されたSDカードには、複数の女性とのわいせつ動画が50点以上見つかって」いるそうなので、今後、別の事件でも再逮捕される可能性は高いでしょう。

松本人志の性加害疑惑では、2015年の出来事を今頃告発するのはおかしい、すぐに警察に相談しなかったのも不自然だとして、告発女性をバッシングする声がありましたが、文春が榊英雄の性加害を報道したのは、2022年の3月10日号と3月17日号で、被害女性はその報道を受けて同年の9月に弁護士を通じて警視庁に相談し、翌年(2023年)の6月に被害届を出したそうです。被害届を出したのは、被害に遭ってから8年後なのです。

昨年の刑法改正で、不同意わいせつ罪(強制わいせつ罪から罪名が変更)の時効が7年から12年に、不同意性交罪(旧強制性交罪)の時効が10年から15年に延長され、さらにそれらの犯罪は親告罪から非親告罪になりました。

そのため、今までは告訴されても示談が成立して告訴を取り下げて貰えば、事件化を避けることができたのですが、それができなくなったのです。つまり、和解して(早く忘れたいという被害者の心情に付け込んで)あったことをなかったことにすることができなくなったのです。

松本人志の性加害疑惑でも、もし報道されていることが事実であれば、中にはあきらかに犯罪を構成する事案もありますので、非親告罪の施行後であったら、別の展開になっていた可能性もなくはないでしょう。

いづれにしても、性犯罪が「心の殺人」と言われるくらい被害者の心に大きな傷を残す犯罪なので、時効の延長は、それを勘案して告発するまで猶予の時間を持たせたという側面(配慮)もあるのだと思います。

松本を告発した女性も、芸能界で大きな力を持つ松本人志を敵に回すと、今後芸能界で活動できなくなると思い、長い間被害を公にすることができなかったと言っていました。榊容疑者の盟友の俳優の木下ほうかから被害に遭った女性たちも、同じようなことを言っています。そうやって、ときにフラッシュバックに苦しみながらも、胸の内にしまい込み、ものを言えずにいたのです。

木下ほうかの場合も、榊容疑者と同じように、演技のワークショップと称して(女優志願の)女性を集め品定めをしていたのです。強姦する際も、こんなことは芸能界では常識だ、これを受け入れなければ芸能界では生きていけない、というようなことを女性に告げているのです。

そして、告発されると、合意だった、事実無根だと弁明するのも同じです。榊容疑者も、新聞報道によれば、「映画に出る時に、ヌードにならないといけないこともある」「タトゥーがあると大変だから裸を確認したい」(文春オンライン)などと言って、女性に迫っているのです。

逮捕容疑になった事件の被害者とは別の女性は、『週刊女性』の記事の中で、榊容疑者の手口とその異常性について、次のように証言していました。

ライブドアニュース
「本当に殺されるのではないかと」逮捕の榊英雄容疑者 被害者が明かしていた“卑劣な所業”

女性は榊容疑者の映画に出演したあと、食事に誘われて性加害に遭ったと言います。

日曜日だったため居酒屋の営業時間が短く、2人はそれほど遅くない時間に退店。しかし、店が駅から離れていたせいか、通りには人けがなかった。すると突然、榊容疑者はCさんの腕を掴み、さらに人一人が通るのもやっとな建物と建物の隙間に押し込んだという。

「肩と頭を力いっぱいに抑えられ、跪かされました。いつのまにか彼は男性器を出していて『咥えろ』と。『嫌です』といっても無視され、『咥えろ、咥えろ』と低い声で繰り返し要求してきました。頭をつかまれていて動けないなか、無理やり立ち上がって抵抗しようとしたら『静かにしろ』『殺すぞ』と脅されて……。真っ暗なうえに、彼は道路を背に立っていて逃げられない。本当に殺されるのではないかと思いました。

行為後は人が変わったように『大丈夫?』と声をかけてきて、家まで送ろうとしてきた。意味がわからず怖かったです」

Cさんは隙を見て逃げ出し、警察に行くことも頭をよぎった。しかし被害状況を詳しく説明したり、状況を再現したりすることに耐えられる自信がなかったという。

「昔、痴漢を捕まえたときに、高圧的な事情聴取を受けたことがありました。自分が被害者の状況で、そんなふうに根掘り葉掘り聞かれたら心が壊れると思ったんです」

その後、Cさんのもとには榊容疑者から「また飲みに行こうね」と書かれたメッセージがーー。無視を続けたところ、榊容疑者からは「えっ怒ってる?」と送られてきたという。


松本人志が名誉棄損で文春を訴えた事件では、女性たちをアテンドしたスピードワゴンの小沢一敬から事前にスマホを取り上げられているのですが、松本人志の用意周到さに比べれば榊英雄容疑者はあまりに稚拙で、プロと素人の違いさえ感じるほどです。

■#MeToo運動に対する日本社会のトンチンカンな反応


映画界の性加害について、私は、以前、次のように書きました。

関連記事:
松本人志の性加害疑惑とミソジニー

もちろん、性加害はお笑いの世界だけにとどまりません。ひと足早く告発された映画界の性加害も、松本の報道をきっかけにYouTubeなどで取り上げられ、あらためて波紋を広げているのでした。そこで告発されているのは、男性に対する性加害も含まれているのでした。そして、告発の過程では、加害者の園子温や榊英雄や松江哲明だけでなく、”村社会の論理”で彼らをかばったことで二次被害を生じさせた、カンパニー松尾や森達也や町山智浩や水道橋博士などへも批判が向けられているのでした。

榊英雄のことはよく知りませんが、ほかの人間たちは、ヘイトスピーチに反対したりSEALDsの運動に同伴するなど、どちらかと言えばリベラル系と呼ばれる人たちです。最近も、ヘイトスピーチに反対する運動をしていた人間が、松本の問題について、#MeToo運動への理解の欠片もない、それこそ松本の信者と同じようなことをSNSに投稿をしているのを見て、唖然としたことがあります。人権にもっとも敏感であるはずの(敏感であるべき)人間が、こと性のことになると「性の二重基準」に何のためらいもなく依拠しているのでした。


松本人志や伊東純也の報道に関しても、#MeToo運動に対する日本社会のトンチンカンな反応には呆れるばかりです。何だか「嫌よ嫌よも好きのうち」とか、セックスのときに女性の尻の下にハンカチを置けば合法とかいった、アホな世界が未だに残っているかのようです。ネットで語られていることの多くはそのレベルなのです。

東国原英夫は、松本人志に対して、文春だけでなく告発した女性も訴えるべきだと言っていましたが、それを言うなら、スマホを取り上げて証拠を残さないように事前工作をした第一弾だけでなく、第二弾も第三弾も第四弾も第五弾も第六弾も名誉棄損で訴えるべきでしょう。

週刊新潮に性加害を報道された伊東純也が、週刊新潮ではなく、告発した女性に「2億円」の損害賠償を求めて提訴したのも、女性の口を封じるのが目的の”スラップ訴訟”のようなもので、著名人がお金にものを言わせて#MeTooに圧力をかけるような風潮さえ出ているのでした。そうやって被害者の女性たちが声を上げるのに、精神的にも金銭的にもより大きな負担を強いるように仕向けているのですが、あろうことか、日本ではメディアがその旗振り役を演じているのでした。東国原英夫の発言も、そういった流れを受けてのものだと思います。

芸能界やスポーツ界には似たような話が掃いて捨てるほどあると言われますが(それが半ば常識であるとまで言われていますが)、しかし、後を追うような報道はほとんど出ていません。むしろ、この社会に厳然として残るミソジニーに追随するような記事を垂れ流して、男社会の俗情と結託しているだけです。英雄色を好むとでも思っているのか、芸人として面白ければ、スポーツ選手として有能であれば、多少の”遊び”には目を瞑るべきだとでも言いたげです。

何より被害女性に沿った報道がほとんど見られないのは驚くべきことです。週刊誌やスポーツ新聞の発行元に勤める女性たちは、自社の記事をどう思っているんだろうと言った人がいましたが、まったくその通りで、「軽率」「不用意」「自己責任」という言葉も、もっぱら女性に向けて使われるのでした。

メディアは、襲った(襲おうとした)男より襲われた女性の方に非(問題)があるかのように言うのです。何だかタリバンが支配するイスラム原理主義やカースト制の考えが残るインドのヒンドゥー教の世界のようです。そして、ホテルに女性を連れ込んだのがほぼ事実であるにもかかわらず(それだけでアウトでしょう)、松本人志や伊東純也があたかも被害者であるかのような報道さえ出ているのでした。それが日本社会の現実なのです。
2024.02.22 Thu l 芸能・スポーツ l top ▲
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■横山厚夫氏の写真


昭和37年6月3日発行の『奥多摩と大菩薩の旅』(山渓文庫)という古本を手に入れました。昭和37年と言えば1962年ですから、今から60年前の本です。

著者は、梶玲樹かじりょうじ氏という奥多摩山岳会に所属するハイカーです。奥多摩の山のいわばガイドブックのような本ですが、現在は廃道になった古いルートも紹介されていたりと、奥多摩の山が好きな人間には興味がそそられる内容なのでした。また、本には多くの写真が掲載されているのですが、それらは、以前このブログでも紹介した横山厚夫氏が撮影したものです。横山氏もまた奥多摩山岳会に所属していたハイカーでした。

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昔の山は明るかった

あらためて写真を見ると、どの山も景色がぬけていて、今まで歩いてきた道も、これから山頂に向けて歩く道も見通すことができるのでした。

人間嫌いの私は一人で山を歩きたいので、なるべく土日や休日は避けるようにしています。そして、一日歩いて誰も会わなかったら「今日はいい日だったなあ」と思うのでした。上りと下りは大概人に会うことはありませんが、山頂では似たような”もの好き”に会うことがあり、そのときは私の性分で明るく話しかけたりするものの、心の中では「ついてないなあ」と舌打ちしているのでした。

そんな偏屈な人間ですので、熊に怯えながら奥多摩の鬱蒼とした樹林帯の中を歩くのも嫌いではないのですが、ただ、横山氏の60年以上前の写真を見ると、こんな明るい山を歩きたかったなと思ったりもするのでした。

■「耐久遠足」で登った山


私が子どもの頃に歩いた九州の山も、同じように明るかったのを覚えています。私の頃は既に学校登山はなくなっていましたが、しかし、それでも中学の二学期の遠足は「耐久遠足」と言って、結構な距離を歩いた先にある山に登っていました。

私が出た中学校は久住連山の麓にある「へき地校」でしたので、遠くから通って来る同級生たちも多くいました。私は、彼らの家がある集落(昔は「部落」と言っていた)の名前は知っていても、中学生だったので実際に行ったことはありませんでした。バスが通る県道沿いだと、バスに乗って街に行くときに通るのでわかるのですが、彼らの集落の多くは県道から奥に入った山の中にあったからです。

以前帰省した際、自分の田舎なのでレンタカーのナビを使わずに走っていたら、道に迷って山の奥に入ったことがありました。そして、山の下にへばりつくように点々と家が建っている集落に到着したのですが、スマホの地図アプリで現在位置を調べたら聞き覚えのある集落の名前が出て来たことがありました。そのとき、昔の同級生の顔が浮かんで、あいつはこんなところから通っていたのかと思ったものです。

そんな中で唯一、彼らの家がある集落を訪れる機会があるのが二学期の「耐久遠足」のときでした。そのときは、「エエッ、〇〇はこんなところから通って来ているのか?」と言って、本人をヘッドロックして(もちろん、ふざけながら)「お前の家はどれだ?」と訊き出すのがお決まりの行為でした。

あの頃「耐久遠足」で登った山も、山頂はカヤトで、遠くまで見渡すことができました。そんな目の前に広がる景色に目をやりながら、みんなで弁当やおやつのお菓子を食べたものです。そして、正面にどんと構える久住連山の久住山・大船山・黒岳の雄姿に、何だから誇らしい気持になったことを覚えています。当時の私たちにとって、久住連山、中でも真ん中にある大船山が「おらが山」だったのです。

■昔の山が羨ましい


『奥多摩と大菩薩の旅』の冒頭、著者の梶玲樹氏は次のように書いていました。

 奥多摩と大菩薩の山々は、丹沢山塊などとともにもっとも東京から近いのと、日帰りできる山が多く、そして親しみやすい山域のため登る人はきわめて多い。電車やバスは日曜日となると前夜からの宿泊者や夜行列車組も含めて大変混雑する。その数は奥多摩で年間五〇万人、大菩薩と小金沢の山々で二〇万人と推定される。これらはみな、登山というよりハイキングを楽しむ人たちであり、訪れる人の層もまちまちで、地図も持たずに都会の歩道を歩くのとなんら変わらない服装の人たちも多く見かける。そうかと思うと事前の調査が不充分なのだろうか、不必要な装備を弁慶の七ッ道具よろしく背負い、ザイルを肩に、ハンマーやカラビナを腰に下げている人までいる。


この本には掲載されていませんが、横山厚夫氏の写真に、当時の氷川駅(現在の奥多摩駅)の駅前の人混みを撮ったものがありますが、今では考えられないくらい登山(ハイキング)が盛んだったことがわかります。

そして、当時のハイカーたちは、川苔山でも三頭山でも大岳山でも御前山でも浅間嶺(浅間尾根)でも本仁田山でも、今とは違ったぬけた明るい景色の中を登っていたのです。

巻末には、奥多摩に存在した山小屋や旅館の一覧表もありましたが、昔はこんなに宿泊施設があったのかと思いました。私の田舎でもそうでしたが、昔は前泊して山に登るのが普通だったので、宿泊施設もあちこちにあったのでしょう。山小屋も至るところにあり、登山というより”山旅”のような体験を求めて山に来ていたことがわかります。

ローカルな話になりますが、日原にも2件の旅館と国民宿舎があったみたいです。その中のひとつの「使用料」には、「二食付き五五〇円より。毛布のみ素泊まり一五〇円より」と記載されていました。奥多摩湖(小河内ダム)周辺には20軒近くの旅館があり、バス停の「小河内神社」には3軒、「深山橋」には2軒、「鴨沢」にも3軒ありました。小河内ダムに隣接した水根(六ッ石山と鷹ノ巣山の水根ルートの登山口)にも旅館がありました。

これも前に若山牧水の『木枯紀行』を紹介した中で書きましたが、昔の旅は歩くことが主で、今で言うロングトレイルのようなものだったので、登山(ハイキング)もその延長にあったのかもしれません。

関連記事:
若山牧水『木枯紀行』

ちなみに、旅館の宿泊料金は350円(素泊り)から1000円(一泊二食付)くらいまでで、有人の山小屋は(当時は食事を提供してなかったので)200円から300円です。たとえば、雲取山には、秩父鉄道が経営する雲取山荘と、しばらく前まで廃材が残っていた個人経営の雲取ヒュッテがあったのですが(ほかに三峰ルートの途中に今でも建物が残っている白岩小屋もあった)、収容人数は雲取山荘が300人に対して雲取ヒュッテが400人と、雲取ヒュッテの方が規模が大きかったことがわかります。宿泊料金はいづれも200円でした。

『奥多摩と大菩薩の旅』で紹介されている奥多摩の山の上の多くも、カヤトに覆われていたことがわかります。また、御前山や本仁田山の山頂や川苔山の東の肩には、簡単な小屋があって、地元の人たちがジュースなどを売っていたそうです。かく言う私の実家も、一時”アイスキャンデー屋”を兼業でやっていたのですが、ハイシーズンには大船山の中腹でアイスキャンデーを売っていました。アイスキャンデーは地元の農家の馬で運んでいたそうです。

当時の人気の山の名前が今も残っていて、今はその名前で登っているに過ぎない気がします。「奥多摩三山」なんて言っても、どうして「三山」なのかわからないのです。その実感もなく、「奥多摩三山」という名前で登っているだけなのです。

そう考えると、コースタイム至上主義もトレランもなかった昔の登山(ハイキング)は、さぞや楽しく豊かな体験を得ることができたんだろうな、と羨ましく思えてならないのでした。
2024.02.20 Tue l l top ▲
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■ドイツに抜かれて世界第4位になったGDP


昨日、日本の去年1年間の名目GDPが、ドイツに抜かれて世界第4位になったというニュースがありました。

内閣府によれば、日本の去年1年間の名目GDPは、ドル換算で4兆2106億ドルでしたが、ドイツの去年1年間のGDPは、4兆4561億ドルで日本を上回ったそうです。

日本は2010年にGDPで中国に抜かれ、世界3位になっていましたが、今度は人口がほぼ3分の2のドイツに抜かれて4位になったのでした。

GDP(国内総生産)は、一定の期間に国内で生産されたモノとサービスの付加価値の合計額ですので、基本的に人口が多い国の方が「有利」です。そう考えると、人口が3分の2しかないドイツに抜かれたことの意味は、円安の影響があったとは言え、数値以上に深刻な問題を含んでいると言えるでしょう。

さっそく朝日は、次のような記事を掲載していました。

朝日新聞デジタル
時時刻刻
技術立国は昔話、円安頼みにも限界 経済浮上のカギはデフレ克服

 高度経済成長の勢いに乗った日本は、1968年に西ドイツ(当時)を国民総生産(GNP)で上回り、世界2位の経済大国となった。なかでもテレビは80年代に世界市場の3~4割を握ったとされる「メイド・イン・ジャパン」の象徴だった。

 それがいまや、家電は外貨の稼ぎ手ではなく、海外から買い付けるものになった。その光景は、テレビにかわって家電の「主役」に躍り出たスマートフォンにも重なる。

 「ワンセグ」や「iモード」など国内で独自のサービスが発展した日本の携帯電話は、ガラパゴスと言われながらも、世界の先端を走っていた。だがスマートフォンの登場で、一気に陳腐化してしまう。東芝やNECなど大手が次々と市場を去った。いま国内市場の半分を握るのは、米アップルのiPhoneだ。

 日本はスマホに組み込むセンサーやカメラなどの電子部品では、高い競争力を保つ。スマホが売れれば関連企業ももうかる仕組みは残ったものの、最終製品にして世界に送り出す力は衰えた。

 この間、米国ではアップルやグーグルなど巨大IT企業が急成長。アジアではサムスン電子や台湾積体電路製造(TSMC)など、半導体で覇権を握る企業が台頭した。日本はイノベーションでも、ものづくりでも、世界から後れを取った。


■ガラパゴス化と内向き志向


日本の技術は一流、ものづくりは日本のお家芸、と言われたのも(そう自演乙していたのも)今は昔なのです。

「世界に誇る亀山モデル」とか言われた(勝手にそう言っていた)液晶テレビの市場でも、今や日本の企業は見る影もなく、有機ELテレビの世界シェアのトップを走るのは韓国のLG電子だそうです。私たちの世代は、かつて韓国のLGや中国のハイセンスは安かろう悪かろうの象徴みたいに言ってバカにしていました。しかし、今は完全に立場が逆転しているのです。さらに、中国メーカーでは新興企業のTCL集団が、大型テレビの分野でシェアのトップを占めるまでになっているのでした。

記事にもあるように、ドコモが主導した携帯のガラパゴス化は、スマホの時代になると瞬く間に海の藻屑と化したのですが、私は、トヨタのハイブリッドも同じ轍を踏んでいるように思えてなりません。世界の自動車産業は競ってEVにシフトしているのですが、しかし、日本では依然としてトヨタが主導するハイブリット車が幅をきかせており、そのために(トヨタに遠慮して?)EV向けのインフラの整備が全然進んでないのでした。

そこには、なつかしい言葉ですが、「パラダイス鎖国」=ガラパゴス化で浮利を追う(それで世界に誇るとか言っている)、日本企業の内弁慶な体質が示されているように思えてなりません。名目GDPでドイツに抜かれたことについても、(そんなことは気にせずに)身の丈に合った日本独自の道を歩めばいいんだ、というような意見がありますが、既に資本主義が石橋湛山が生きていた頃のような牧歌的な段階にないことは常識中の常識で、何の慰めにも(ましてや負け惜しみにも)なってないのです。

■「脱成長」というお花畑と少子高齢化という言い訳 ※追記


今や市場は世界に拡大しているのです。資本は国民国家の枠を超え、世界の市場でしのぎを削っているのです。それは、資本主義が拡大再生産という”宿痾”を抱えているからで、そうやって常に新たな市場を開拓しなければ行き詰まってしまうからです。30年間ほとんど成長していない日本が衰退していくのは当然なのです。

「脱成長」なんて口で言うのは簡単ですが、成長をやめるなら資本主義をやめるしかないのです。資本主義というシステムを維持するためには、力尽き倒れるまで走り続けなければならないのです。そんなのは経済学のイロハでしょう。

日本が衰退したのは少子高齢化が原因だ、というような言説がまかり通っていますが、それは本末転倒した言い訳、誤魔化しにすぎません。そんな言い訳を百万篇くり返しても、現在進行形の衰退(坂道を転がり落ちている現実)を押しとどめることはできないのです。

今から45年前の『なんとなく、クリスタル』で、田中康夫が少子高齢化で社会的コストの増大に苦しむ近未来の日本を予言したように、少子高齢化の社会になるのは45年も50年も前からわかっていたのです。だから、さらに成長するためには、新たな市場を開拓することが求められていたのですが、日本の電機・電子部品メーカーは、IT化の流れに乗り遅れ(競争に敗れ)、欧米だけでなく中国や韓国や台湾にも先を越され、現在のスマホからEVという絶好の成長の機会を逃すことになったのでした。それで(革命を起こす気もないのに)「脱成長」だとか言うのは、日本人お得意の(いつもの)負け惜しみの誤魔化しにすぎないでしょう。

少子高齢化に伴う人手不足には、外国人労働者を使えばいいではないかと考えるかもしれませんが、中国や韓国や台湾などの周辺国も少子高齢化が急速に進んでいますので、既に外国人労働者の取り合いになっているそうです。

そのため、政府は現代の奴隷制度と言われた従来の「技能実習制度」を見直して、転籍や転職が可能になる在留資格の緩和に方針転換したのですが、しかし、日本の場合、賃金や待遇が際立って悪い上に円安も重なり、外国人労働者にとっても日本は魅力のある国ではなくなっていると言われています。一方で、留学生は週28時間までアルバイトが可能で、何故か留学性に対する規制は緩いので、”留学生”という名の出稼ぎ労働者しか入って来ないのではないかと言われているそうです。当然の話ですが、衰退する国は外国人労働者からも敬遠されるのです。

先日、テレビは、半導体製造の”巨人”と言われ、2月15日時点の時価総額が420億ドル(約6兆3100億円)を誇るTMSCが、日本政府の働きかけで熊本県の菊陽町に日本工場を建設したことで、熊本では”TMSCバブル”が起きているというニュースを伝えていました。

熊本の田舎町にときならぬ通勤ラッシュが起きているとか、ホテルやマンションの建設ラッシュに沸いているとか、清掃員や食堂の調理員を時給1800円や1500円で募集しているとかいった話とともに、世界で唯一の「半導体学部」を持つ台湾の明新科技大学が、新たに日本人学生を対象にした「日本コース」を新設したという話も伝えていました。

その中で、明新科技大学の学長は、「日本には半導体を担う人材がいますか? いないでしょ。だから、日本のため、台湾のために日本人の技術者を育成するのです」と言ってましたが、これが今の日本の現実なのです。

もっとも、TSMCの工場誘致に対して、「日の丸半導体」の復活をもくろむ日本政府も、数兆円の投資を行うそうですが、IT業界の勢力図は短いサイクルでめまぐるしく変わるので、他人の褌で相撲を取ろうという日本政府の巨額投資がただの紙くずになる可能性もなくはないのです。

岸田内閣は、物価高と賃上げの好循環でデフレ脱却などと言っていますが、そんなものが絵に描いた餅であるのは誰の目にもあきらかです。この物価高に対応できるだけの賃上げを獲得できる労働者なんてホンの一部です。多くの国民は物価高に苦しめられ、貧しき者は益々貧しくなるばかりです。

実際に「物価高と賃上げの好循環」という謳い文句とは逆に、実質賃金は下がり続けているのです。時事通信が運営する投資家向けサイトの「時事エクイティ」も、次のように書いていました。

時事エクイティ
物価高上回る賃上げ、遠く=実質賃金下げ幅拡大、消費足かせ―23年

 6日発表された2023年の毎月勤労統計調査(速報)では、物価の変動を反映させた実質賃金が前年比2.5%減少した。2年連続で前年を下回り、下げ幅は9年ぶりの大きさに拡大。政府が目指す「物価上昇を上回る賃上げ」の実現には程遠い状況だ。物価高による賃金の目減りが家計を圧迫、23年の消費支出は3年ぶりに減少した。
 厚生労働省によると、23年は基本給と残業代などを合わせた名目賃金が、労働者1人当たり月平均で32万9859円と1.2%増加。3年連続の上昇となったが、新型コロナ禍による賞与などの大幅な落ち込みからの反動増が見られた前年(2.0%増)から伸びは鈍化した。
 一方で、実質賃金などの算出に用いる消費者物価指数(持ち家の帰属家賃を除く総合)は前年比3.8%上昇。春闘で30年ぶりの高水準の賃上げを達成したものの、物価高騰に賃金上昇が追い付いておらず、生活実感に近い実質賃金の下落に歯止めがかかっていないのが実情だ。


しかも、GDPの半分を占める個人消費が、物価高に対する「節約志向」によって低迷したので、それがGDPを押し下げた一番の要因だと言われながら、メーカーや銀行や電力会社など大企業は、値上げによって史上空前の利益を上げているのでした。

能登の地震のニュースの中で、被害を受けた家にブルーシートを高額で売りつける悪徳業者の話がありましたが、日本の大企業はまさにこの悪徳業者と同じことをしているのです。

にもかかわらず、政府は、先客万来のインバウンドでGDPを押し上げるという、雲を掴むような話に頼るだけです。個人消費の落ち込みや火事場泥棒のような大企業の収奪には、為す術もないのか、見て見ぬふりをするだけなのです。

■韓国の後塵を拝する日本


ニッチもサッチもいかなくなっているのは、経済だけではありません。”反日カルト”に国を売りながら、胸にブルーリボンのバッチを付けて「愛国」者のふりをしていた安倍派の国会議員たちが、その裏では裏金作りの”脱法行為”を行っていたという、呆れてものが言えない話もありました。安倍派だけで裏金は6億円超あり、二階派も5.7億円あったそうです。

彼らは国会議員というより、もはやヤクザと言うべきでしょう。こういう人間たちが法律を作っているのですから、「政治資金」と名乗れば無税になり、その上、年間315億円(2023年)の税金が政党助成金として各政党に支給されるという、税金を食い物にするお手盛りの法律が作られるのは当然でしょう。税金を食い物にするという点では、政党助成金を受け取ってない共産党を除いて、与党も野党も同じ穴のムジナなのです。

安倍派の呆れた行状には、愛国と売国が逆立した”戦後の背理”が見事に示されていると言えますが、と同時に”戦後の背理”は、この国には愛国者なんていないことを示しているのです。

(前も同じことを書きましたが)テレビなどのメディアは、まるで大谷を中心に地球が回っているかのように、連日、大谷のどうでもいい話を延々と伝えていますが、もはや誇るべきは大谷だけなのかと言いたくなります。ところが、何ということでしょう、ドジャースの開幕戦(対パドレスの開幕戦)は、日本ではなく韓国で行われるというのですから、もう笑うしかありません。

これもダイソーの買収と同じで、日本の凋落を表していると言えるでしょう。日本では高額の観戦ツアーが発売されるそうですが、岸田首相も開幕戦の当日に韓国を訪問して、開幕戦を観戦する話さえあるそうです。文字通り、恥も外聞も捨てて、韓国の後塵を拝するようになっているのでした。さすがにこれでは、ネトウヨと雖も「ニッポン凄い!」と自演乙することはできないでしょう。


関連記事:
ネット仕様の安易な登山と登山の黄昏
『33年後のなんとなく、クリスタル』
2024.02.16 Fri l 社会・メディア l top ▲
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(写真AC)


■病院で陽性を確認する


新型コロナウイルスに感染しました。と言っても、既に先週から元の生活に戻っています。

新型コロナウイルスが昨年の5月に、指定感染症の2類相当から5類に移行して、感染時の行動制限などがなくなってからは、いつ感染してもおかしくないなと思っていましたが、案の定、感染してしまいました。

もちろん、私自身は外出時のマスクや手洗い等の感染対策は、5類に移行してからも何ら変わらず続けています。しかし、社会の風景は大きく変わりました。国家が右向け右と言えば右を向き、左向け左と言えば左を向くのです。それは見事なくらい統率が取れているのでした。

1月24日に「身体の不調」という記事を書きましたが、あれが感染の初期症状だったのです。その後、自分で抗原検査をしたら陽性が出たので、病院に行って検査を受けて、あらためて感染を確認したのでした。また、仕事の関係で検体を出していたPCR検査も後日、陽性反応が出たと連絡がありました。

しかし、症状はきわめて軽微でした。熱は出なかったし、悪寒や喉の痛みも数日で改善しました。ただ、咳と痰の絡みが未だに少し残っています。

ドクターから「やっぱり陽性ですね」と言われたので、「どうすればいいんでしょうか?」と訊いたら、「もし仕事の関係で休まなければならなかったら、会社と話し合って決めて下さい」「もう外出制限もありませんので、ご自分の判断で決めて構いません」と言われました。

「薬はどうしましょうか?」と訊かれたので、「コロナの治療薬が出たと聞いたのですが、必要ですか?」と尋ねました。

「あっ、あれは3割負担で9千円もするし、呼吸器系の疾患があるような重症化リスクのある人が飲むもので、普通の体力のある人は必要ありませんよ。あれを飲んだからと言って、効果てきめんに症状が改善されるというわけではないのです。ほとんどの人は処方しませんよ」
「じゃあ、ロキソニンを処方して貰えますか?」
「はい、わかりました。それと咳を止める薬と痰を切る薬を5日分処方しておきましょうね」

「先生、こうやって感染して休む場合、診断書を書いて貰って仕事先に提出するもんなんでしょうか」
「いえ、そんな人はいませんよ。みなさん、スマホでキットの写真を撮っています。それを会社に送信するんじゃないですか」

ドクターは、病院に来るのは、症状が重い人か仕事の関係で確定診断が必要な人だけで、無症状だったり軽症だったりした人は病院には来ないし、そもそも自分が感染しているという自覚がない人も多く、「だから、市中感染は想像以上に広がっているはずですよ」と言っていました。これではいつ感染してもおかしくないのです。

■ウイルスと共生して行くしかない


とは言え、感染することを「良くないこと」という考え方も、ぼつぼつ修正する時期に来ているのはたしかでしょう。既に4千万人が感染しているそうですが、(ブレークスルーの変異株も出ているので、集団免疫という考え方がどれだけ有効かわかりませんが)集団免疫を獲得するにはまだ少ないと言われているのだそうです。

私たちは新型コロナウイルスを撲滅することなどできないのです。一旦体内に侵入したウイルスは、生涯体内にとどまり続けるので、既に私たちの体内には、380兆のウイルスと100兆の細菌が生息していると言われています。

その典型例が、最近テレビで盛んにCMが流れている帯状疱疹です。私も罹ったことがありますが、あれは子どもの頃に水ぼうそうを発症したウイルスが原因で、加齢などで免疫機能が低下すると、ウイルスが再び活性化して今度は帯状疱疹を発症するのです。

私たちは、他のウイルスと同じように、これから生涯宿主しゅくしゅとして新型コロナウイルスと共生して行かなければならないのです。その意味では、感染は避けられないことでもあるのです。

5類移行は、弱毒化して普通の風邪と同程度の致死率になったからこそ、行動制限をなくして、あえて感染も厭わないような姿勢に転換し、ウイルスと共生していく道を歩むことを選択したとも言えるのです。

言うことが矛盾していると思うかもしれませんが、感染をそういった積極的な意味でとらえることも必要なのではないかと思ったりもするのでした。

今回の新型コロナウイルスの蔓延で、私たちはパンデミックの怖さを知りました。感染症の専門家たちは、次のパンデミックはあるのかどうかではなく、いつ来るかだと言います。次のパンデミックは必ず来る、と口を揃えて断言しているのです。

いくら科学が発達しITだAIだと言っても、私たちには、自然界からのしっぺ返しを防ぐ手はずはないのです。シンギュラリティーなどと言っても、自然界からのしっぺ返しの前では絵に描いた餅にすぎないのです。何故なら私たちも自然の一員であり、私たちの身体は自然から生まれ自然に属しているからです。たとえば、母胎の羊水の塩分濃度が、海中で脊椎動物が生まれたときの海の塩分濃度と同じだというのはよく知られた話ですが、私たちの身体こそがもっとも身近な自然だとも言えるのです。

もちろん、新型コロナウイルスが終息したわけではありませんし、ワクチン陰謀論などは論外ですが、次に備える教訓とするためにも、「正しく怖れる」ことが求められているのです。

■薬局で拍子抜けする


そのあと、処方箋を持って調剤薬局に行き、受付の女性に小さい声で「あのー、今病院で新型コロナウイルスに感染していることがわかったのですが、大丈夫ですか?」と言いました。すると、女性は明るい声で、「はい、大丈夫ですよ。先ほども同じ患者さんがいらっしゃいました。今日はこれで4人目ですよ」「あちらの一番端の席にお座りになってお待ちください」と言われました。

何だか拍子抜けした感じでした。待合室にはインフルエンザなのか、激しく咳き込んでいるような中学生や高校生の姿もあり、逆に私の方が「こんなところにいて大丈夫か」と心配になったほどでした。

別に会社員として勤務しているわけではないのですが、委託された仕事が滞ることになるので、仕事先に電話したら、「じゃあ、5日後の〇日の〇曜日に来てくださいよ」と言われました。私は、わざととぼけて「エッ、一週間じゃないの?」と言ったら、「また、また、国の指針では発症してから5日ですよ。お願いしますよ」と言われました。最低でも一週間は休もうと思っていたので、「チェッ」と心の中で舌打ちしました。

因みに、電話口の彼は、初期の頃に感染して、ホテルに10日間「監禁」(本人の弁)されたそうで、「地獄だった」と言っていました。「今は楽でいいようなあ」と羨ましがられました。

■ワクチンとペット ※追記


その後、私の知り合いでも感染者が続出しています。彼らに話を聞くと、当然、弱毒化もあるでしょうが、ワクチンを接種することで重症化リスクを避けることができるという、専門家の言葉を裏付けているように思いました。中には80代や70代の人もいますが、みんな軽症で済んでいるのでした。

咳き込んで痰が出たりする症状を考えると、肺炎になってもおかしくないような気がしましたが、それを食い止めているのがワクチンの効果だったのではないかと思いました。私の身内にもいますが、うんざりするくらい無知蒙昧なワクチン陰謀論にとらわれている人間も多いので、あえてそう言いたいのです。

日本では、2024年2月4日現在で、4億2263万5734回接種が行われているそうです。接種率(初回接種)は82%で、フランスと並んで5番目です。日本より高い接種率の国は、カタール(99%)、中国(87%)、韓国(87%)、イタリア(83%)です。

前も紹介しましたが、長崎大学熱帯医学研究所の山本太郎教授は、『感染症と文明』(岩波新書)の中で、感染症の起源は野生動物の家畜化にある、と書いていました。

関連記事:
『感染症と文明』

(これも前に書きましたが)一部で強く警告されているにもかかわらず、相変わらず犬を連れて山に登っている人がいますが、感染症を考える場合、ワクチン陰謀論と同様、彼らの”無知”と”矛盾”をもっと指摘すべきではないかと思います。

と言って、私の実家も子どもの頃から犬を飼っていたので、私以外のきょうだいはみんな、犬や猫を「家族の一員」として溺愛するペット大好き人間で、私自身も犬や猫は可愛いなと思う人間の一人ですが、しかし、感染症のリスクの問題はそれとはまったく別の話です。可愛いからと言って思考停止する愚を犯してはならないのです。

たとえば、沢井製薬のサイトには次のような記述がありました。

サワイ健康推進課
愛するペットが人の病気の原因とならないために知っておきたいこと

1 ペットとの濃厚な接触は避ける

ペットの口の中にいる菌に感染するおそれがあるため、口移しでエサを与えたり、食器を共有したり、キスをしたりすることはリスクのある行為だということを知っておきましょう。ペットと一緒の布団で寝ることや、ペットの毛に顔をうずめて「吸う」ことなども、濃厚接触に当たるため、避けたほうがよい行動です。ペットの毛に感染症を引き起こす菌が付いている場合もあります。

また、ペットを触った後は、必ず流水で手を洗うようにしましょう。毛や唾液などに感染症の原因となる菌が存在することがあるため、ペットを触った後、気づかないうちに口や目、傷口などを触ってしまうと、感染する危険性があります。


ペット関連の市場は約1兆6千億円もあり、資本にとっても美味しい市場なので、ペットと感染症の問題はいつの間にかタブーになった感さえありますが、来るべき新たなパンデミックを「正しく怖れる」ためにも、身近にある感染症のリスクを知ることはまったく無駄ではないはずです。そこから学ぶことは多いのです。
2024.02.10 Sat l 新型コロナウイルス l top ▲
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今日、下記のようなニュースがありました。

Yahoo!ニュース
TBS NEWS DIG Powered by JNN
クマを4月中にも「指定管理鳥獣」に追加へ 伊藤環境大臣が明らかに

何と愚劣なニュースでしょう。呆れてものが言えません。人間は何と傲慢で身勝手なものかと思います。自然保護などよく言えたものだと思います。

動物園に行って檻の中の野生動物を指さして「カワイイ!」なんて言いながら、その一方ではこのような残酷な所業が行われようとしているのです。これでは、自然からのしっぺ返しを受けるのは当然でしょう。

もっとも愚劣でもっとも低俗でもっとも身勝手な最低の世論に迎合した結果がこれなのです。

口幅ったい言い方をすれば、人もまた自然の一員である限り、自然がままならないものであり、ときに脅威にもなり得るのは当然です。山に登れば、自然の脅威に晒されて命を落とすこともあるのです。ましてや、私たちは、新型コロナウイルスという自然の脅威に晒されたばかりです。でも、私たちは、多大な犠牲を強いられながらも、ウイルスと共生して生きていくしかないのです。野生動物も同じでしょう。

私は、昨年の11月に、環境庁が熊を「指定管理鳥獣」に追加する検討を始めたというニュースを受けて、下記のような記事を書きました。怒りの投稿をお読みください。

関連記事:
不憫な熊たち
2024.02.08 Thu l 社会・メディア l top ▲
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(写真AC)



■志葉玲氏の投稿


ジャーナリストの志葉玲氏が、みずからのX(旧ツイッター)に、サッカーの伊東純也の性加害報道に関して、「所詮、玉蹴り遊びだろ?女性の尊厳の方が大切じゃん」」と投稿したことで、サッカーファンの反発を買い炎上しているそうです。

中日スポーツ
日本代表・伊東純也の性加害報道に「所詮、玉蹴り遊びだろ?女性の尊厳の方が大切じゃん」戦場ジャーナリストの投稿が炎上

もっとも、コタツ記事の権化であるスポーツ新聞にとっては恰好のニュースで、炎上したというより炎上させている側面もあるように思います。

志葉玲氏の投稿は、次のようなものです。 
 
志葉氏は、別に「スポーツ至上主義や女性蔑視にウンザリなので、あえて炎上するようなことを言ってみた」と投稿していましたので、一石を投じる意図もあって挑発したのでしょう。 

私は、サッカーファンというほどではありませんが、それでも代表戦は欠かさずテレビで観る程度の俄かファンではあります。私も志葉玲氏と同じように、サッカーは「所詮玉蹴り遊び」であり、だからこそ、娯楽としてのサッカー観戦が成り立つのだと思っています。しかし、それが度を超すと、「愛国」や民族排外主義を持ち出したりするフーリガンになり、さらにエスカレートするとウクライナのアゾフ連隊みたいになるのです。

反ヘイトのカウンター運動を行い、人権問題にことのほか敏感なはずの某氏は、一方で熱烈なサッカーファンでもあるのですが、彼は今回の報道に対して、アジアカップの最中に報道することに意図(悪意)を感じるというようなことを、みずからのXに投稿していました。だから、日本の士気が下がってイランに負けたとでも言いたいのでしょうか。スポーツ至上主義どころか、考えようによっては陰謀論に与するようなもの言いで、私は開いた口が塞がりませんでした。このように、本末転倒した、厚顔無恥なバカバカしい言説が何の臆面もなく飛び交っているのでした。

■二周も三周も遅れた日本


松本人志の性加害問題を発端に(と言うか、ホントは伊藤詩織さんの告発やジャニーズ問題から始まったと言ってもいいように思いますが)、日本でもやっと重い口を開いた女性たちによって、性加害の告発が相次いでいますが、しかし、それに対する社会の反応は、志葉氏が言うようにお粗末きわまりないものです。

世界的な#MeToo運動の流れから言えば、日本は二周も三周も遅れているのです。告発した女性を誹謗中傷する人間に限って、一方で、「ニッポン凄い!」を自演乙したりするのですが、「ニッポン凄い!」どころか、#MeToo運動に対する低レベルの無理解は、今の時代においては「私、アホです」「畜生です」と言っているに等しいようなものです。それがまるでわかってないのです。しかも、Yahoo!のトップページを見ると一目瞭然ですが、その低レベルの無理解を、コタツ記事の権化のようなスポーツ新聞や週刊誌やネットメディアなどが炎上目的で煽っているのですから、お話にならないとはこのことでしょう。

松本人志に関しても、「遊びがへた」(山田邦子)とか「女の扱いが雑」(東国原英夫)とか、そんなレベルでしかとらえることができないのです。中には、女性に渡したお金がショボすぎるというコメントさえありました。それが日本のメディアの現実なのです。

週刊誌は政治党派や宗教団体の機関誌ではないのですから、売らんかな主義であるのは当然です。女性たちがそんな週刊誌にチクるのは、女性たちの#MeTooの告発を取り上げるのが一部の週刊誌しかないからです。そこには、日本のメディアのお寒い現実が反映されているのです。でも、女性たちに悪罵を浴びせる周回遅れの「畜生」たちは、警察には訴えずに週刊誌にチクったのでけしからん、金目当てだろうと言うのです。

■ホモソーシャルの世界とミソジニーの構造


斎藤幸平氏が言うように、芸人やスポーツの世界は典型的なホモソーシャルの世界なので、今回たまたま表に出ただけで、この社会には女性に対する性加害は当たり前のようにあり、その陰では、「軽率」「尻軽女」などと陰口を叩かれることを恐れて、みずからを責めながら泣き寝入りしている女性たちもごまんといるに違いありません。

日本は男性優位で〈権力〉や〈権威〉が幅をきかす社会なので、性加害が多いのは当然と言えば当然かもしれません。日本が「安全な国」だというのは、「ニッポン凄い!」の幻想にすぎないのです。それどころか、学校の教師や警察官や宗教家と同じように、「ニッポン凄い!」などと宣っている張本人が加害者だったりするのです。

前も言いましたが、性加害に関しては、この国では右も左も上も下も関係ないのです。安全な場所や安全な人間であるはずが、全然安全ではなかったりするのです。むしろ、「安全な国」の幻想(神話)がある分、危険度が高いとも言えるのです。

ホモソーシャルが持つミソジニーの構造について、上野千鶴子氏は、前に紹介した『女ぎらい - ニッポンのミソゾニー』で、次のように書いていました。

 男は女とのつい関係のなかで「男になる」のだ、と思っていた。まちがいだった。男は男の集団に同一化することをつうじて「男になる」。
 男を「男にする」のは、他の男たちであり、男が「男になった」ことを承認するのも、他の男たちである。女はせいぜい、男が「男になる」ための手段、または「男になった」証明として与えられたりついてきたりする報酬にすぎない。
 これに対して、女を「女にする」のは男であり、「女になった」ことを証明するのも男である。


 ホモソーシャルな集団とは、このように「性的主体」であることを承認しあった男性同士の集団をさす。女とはこの集団から排除された者たち、男に欲望され、帰属し、従属するためだけに存在する者たちに与えられた名称である。それなら、ホモソーシャルな集団のメンバーが、女を自分たちより劣等視するのは当然であろう。


熱狂的なサッカーファンが、(中には名誉男性のような女性のメンバーがいるにしても)典型的なホモソーシャルな集団であることは論を俟たないでしょう。志葉玲氏の投稿に対する彼らの反発には、サッカーを愚弄したという感情もさることながら、ホモソーシャル特有のミソジニーがあられもなく露呈しているように思います。もちろん、吉本芸人の先輩後輩の関係も然りです。


関連記事:
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2024.02.06 Tue l 芸能・スポーツ l top ▲