仕事が忙しくて、ブログの更新も遅れてしまいました。

この間、12月3日には、ろくでなし子さんの「再逮捕」という出来事がありました。7月に逮捕された際の容疑は、3Dプリンターで出力するための、自分の女性器をスキャンしたデータを配布した「わいせつ電気的記録媒体頒布罪」でした。今回は、それ以外に「わいせつ物公然陳列罪」の容疑が加わっています。

「わいせつ物公然陳列罪」というのは、みずから石膏で制作した女性器を、北原みのり氏が経営するアダルトショップに2013年10月~2014年7月の間、展示した容疑です。そして、北原氏も展示するのに共謀したとして同容疑で逮捕されたのでした(北原氏は昨日釈放)。

警察のやり方に対しては、以下のリテラの記事に、その問題点がまとめられていますが、なにより今回の「再逮捕」の特徴は、ワイセツ云々以前に、「オレたちを甞めたら許さんぞ」という警察による「報復」の色合いが濃いことです。

リテラ
ろくでなし子また不当逮捕!今度は警察の横暴を暴露したマンガへの報復?

私は、今回の逮捕に際して、ローラの父親の「再逮捕」や大人数の機動隊を動員して行われた京大熊野寮の捜索が連想されました。

ローラの父親の「再逮捕」については、最初の逮捕で処分保留で釈放された際、テレビカメラの前でクルクルパーのようなおどけた態度を見せたことが捜査員の逆鱗に触れ、「再逮捕」に至ったのだという報道がありました。一方、京大熊野寮の捜索が、京大構内で情報収集をおこなっていた京都府警警備部の公安刑事が学生に取り押さえられ、学内に監禁されて詰問されたことに対する「報復」であるのは、誰の目にもあきらかでした。

警察が行使するのは、言うまでもなく公権力です。警察官は公務員です。公僕なのです。「報復」などという私情で公権力を行使するなどあってはならないことです。

しかし、ローラの父親の「再逮捕」でも、警察の恣意的な判断によって公権力が行使されることの問題点を指摘するメディアは皆無でした。京大熊野寮の捜索も然りです。それどころか、朝日新聞と産経新聞は、京大が中核派の拠点であるかのような記事を書いて、公安警察の「報復」にお墨付けを与える始末でした。もちろん、京大が中核派の拠点などというのはお笑いでしかありません。

権力を監視すべきメディアが権力のお先棒を担いでいるのです。これでは公務員が私情で公権力を行使するような、「私物国家」の横暴がまかりとおるのは当然でしょう。

ろくでなし子さんは、釈放されたあとも、記者会見で警察批判をくり返していましたし、リテラの記事にもあるように、『週刊金曜日』で警察をヤユするマンガを連載していました。関係者の間では、それで警察の「逆鱗に触れた」という見方が一般的です。

北原みのり氏に至っては、どうして逮捕されたのか、専門家も首を傾げているようです。ろくでなし子さんに対して「報復」するのに、ついでに北原にもお灸をすえてやれという感じだったのかもしれません。罪名もあとからとって付けたような感じです。

ジャーナリズムがジャーナリズムの役割を果たしてないのです。まして読売新聞や産経新聞は、今や安倍政権の機関紙のようになっており、とてもジャーナリズムとは言えないあり様です。

いよいよ12月10日に特定秘密保護法が施行されますが、既にメディアは白旗を上げて権力に媚を売りはじめているのです。今回の逮捕から見えるのは、そんな(中国や韓国を笑えない)メディアの体たらくな姿です。

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2014.12.07 Sun l 社会・メディア l top ▲