先日、みのもんたがテレビ東京の対談番組に出ていましたが、そのなかで「自民党単独300議席超えの可能性」という選挙予想について、「唖然としました」「こんなことを許していいのですか」と言ってました。また、俳優の宝田明氏が、NHKの番組で、「選挙で戦争をしようとする人ではなく、そうでない人を選ぶことが大事」「声を大にして言いたい。戦争を起してはいけない」と発言したことが話題になっています。先日亡くなった菅原文太氏も、反戦・反原発のスタンスを明確にしていました。しかし、追悼記事では、そういった側面がいっさい無視されていました。
彼らの勇気ある(?)発言の背景には、「戦争政治」へひた走る安倍政権に対する危機感があるのでしょう。しかし、そんな彼らの危機感をいちばん裏切っているのが野党なのです。300議席超えはともかく、選挙結果は既に見えている気がします。自民党に対抗し得る野党が不在なのですから、自民党が勝つのは当たり前でしょう。
野党の政策を見ると、基本的には自民党の政策と五十歩百歩で、とても野党(対立軸)としての存在価値はありません。チャンスがあれば公明党の代わりに連立の席に座りたいと思っているような政党ばかりです。なんだか自民党をめぐる恋のツバ競り合いを演じているような感じさえします。「どこがなっても変わらない」という無関心層の常套句は、真実を衝いているとも言えるのです。
民主党に至っては、いつの間にか執行部に岡田・枝野・福山・川端といった政権を崩壊させた昔の名前が戻っていますが、国民には悪夢がよみがえるような顔ぶれでしょう。これで「今こそ、流れを変える時」なんて悪い冗談だとしか思えません。そもそも今の流れをつくったのは、民主党(政権)なのです。
自民党の独り勝ちは、メディアの予想を待つまでもなく、最初から約束されたも同然なのです。民主党をはじめ野党は、自民党を勝たせるためだけに存在していると言っても過言ではないでしょう。
一方、野党不在のなかで、反自民票が流れる(と予想される)共産党は議席を倍増するのではないかと言われており(と言ってもせいぜい20議席どまりですが)、志位和夫委員長も「風が吹いていることを実感している」と言ってました。300対20で「風が吹いている」? 如何にも独善的なこの政党にふさわしい発言で、おめでたいと言うしかありません。
今回の選挙は茶番です。1993年の細川政権誕生からはじまった一連の政界再編は、”壮大なるウソ(反動)”でしかなかったのです。それは、無限に「第二自民党」を生み出す詐術でしかなかった。政権再編が自民党への先祖返りに機能するのは当然なのです。その象徴が民主党の存在です。
この国の政党政治(議会制民主主義)が一連の政界再編の延長上で弥縫され糊塗される限り、自民党独裁は微動だにしないでしょうし、半永久的につづくでしょう。そもそも自民党か民主党か(あるいは与党か野党か)という選択肢自体が茶番でしかないのです。この国にとって自民党政治というのは、『永続敗戦論』が喝破したように、単なる政党のレベルにとどまらず、対米従属という戦後占領体制が生み出した「制度」ですらあるのです。
棄権するのは白紙委任をするようなもの、投票に行かない人間に政治を語る資格はない、というような恫喝めいた言説がありますが、でも、「積極的投票拒否の思想」というのがあってもいいはずです。津田大介やいとうせいこうや北田暁大ら能天気な民主主義者が唱える「とにかく選挙に行こう」論は、思考停止の最たるものです。彼らは、この国がとっくにタガが外れているという認識がないのではないか(それが彼らが能天気であるゆえんです)。吉本隆明の「昼寝のすすめ」ではないですが、私も(顰蹙をかうのは承知の上で)選挙に行かずに昼寝をしたいと思っています。
今、この国に必要なのは、”絶望”することではないでしょうか。「あきらめない」などと言って、いたずらに選挙幻想を煽るのではなく、徹底して”絶望”すること、そこまで行かなければもはやなにもはじまらないように思うのです。
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「政権交代」
彼らの勇気ある(?)発言の背景には、「戦争政治」へひた走る安倍政権に対する危機感があるのでしょう。しかし、そんな彼らの危機感をいちばん裏切っているのが野党なのです。300議席超えはともかく、選挙結果は既に見えている気がします。自民党に対抗し得る野党が不在なのですから、自民党が勝つのは当たり前でしょう。
野党の政策を見ると、基本的には自民党の政策と五十歩百歩で、とても野党(対立軸)としての存在価値はありません。チャンスがあれば公明党の代わりに連立の席に座りたいと思っているような政党ばかりです。なんだか自民党をめぐる恋のツバ競り合いを演じているような感じさえします。「どこがなっても変わらない」という無関心層の常套句は、真実を衝いているとも言えるのです。
民主党に至っては、いつの間にか執行部に岡田・枝野・福山・川端といった政権を崩壊させた昔の名前が戻っていますが、国民には悪夢がよみがえるような顔ぶれでしょう。これで「今こそ、流れを変える時」なんて悪い冗談だとしか思えません。そもそも今の流れをつくったのは、民主党(政権)なのです。
自民党の独り勝ちは、メディアの予想を待つまでもなく、最初から約束されたも同然なのです。民主党をはじめ野党は、自民党を勝たせるためだけに存在していると言っても過言ではないでしょう。
一方、野党不在のなかで、反自民票が流れる(と予想される)共産党は議席を倍増するのではないかと言われており(と言ってもせいぜい20議席どまりですが)、志位和夫委員長も「風が吹いていることを実感している」と言ってました。300対20で「風が吹いている」? 如何にも独善的なこの政党にふさわしい発言で、おめでたいと言うしかありません。
今回の選挙は茶番です。1993年の細川政権誕生からはじまった一連の政界再編は、”壮大なるウソ(反動)”でしかなかったのです。それは、無限に「第二自民党」を生み出す詐術でしかなかった。政権再編が自民党への先祖返りに機能するのは当然なのです。その象徴が民主党の存在です。
この国の政党政治(議会制民主主義)が一連の政界再編の延長上で弥縫され糊塗される限り、自民党独裁は微動だにしないでしょうし、半永久的につづくでしょう。そもそも自民党か民主党か(あるいは与党か野党か)という選択肢自体が茶番でしかないのです。この国にとって自民党政治というのは、『永続敗戦論』が喝破したように、単なる政党のレベルにとどまらず、対米従属という戦後占領体制が生み出した「制度」ですらあるのです。
棄権するのは白紙委任をするようなもの、投票に行かない人間に政治を語る資格はない、というような恫喝めいた言説がありますが、でも、「積極的投票拒否の思想」というのがあってもいいはずです。津田大介やいとうせいこうや北田暁大ら能天気な民主主義者が唱える「とにかく選挙に行こう」論は、思考停止の最たるものです。彼らは、この国がとっくにタガが外れているという認識がないのではないか(それが彼らが能天気であるゆえんです)。吉本隆明の「昼寝のすすめ」ではないですが、私も(顰蹙をかうのは承知の上で)選挙に行かずに昼寝をしたいと思っています。
今、この国に必要なのは、”絶望”することではないでしょうか。「あきらめない」などと言って、いたずらに選挙幻想を煽るのではなく、徹底して”絶望”すること、そこまで行かなければもはやなにもはじまらないように思うのです。
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