縁の切り方


親の死は、ボディブローのように徐々に効いてくるものです。母が亡くなったとき、友人から「今はそうでもないかもしれないけど、時間が経つと徐々にさみしくなってくるぞ」と言われたのですが、たしかにそのとおりで、生前は親不幸でめったに会うことがなかったにもかかわらず、親がいるのといないのとでは気持の上で全然違います。物理的な意味だけでなく、精神的な意味においても、もう帰る場所がなくなったという感じです。みなしごハッチではないけれど、文字通り天涯孤独になった感じです。

中川淳一郎氏は、『縁の切り方』(小学館新書)で、「かけがえのない人」との死別について書いていましたが、「かけがえのない人」との死別こそ、ある意味で究極の「縁の切り方」と言えるのかもしれません。

中川氏は、同書のなかで、人間関係に「諦念」を抱くに至ったきっかけとして、思春期のアメリカ生活と最愛の人の死をあげていました。

一緒に暮らしていた婚約者が、ある日、「お友達に会うの」と言って出掛けたまま戻って来なくて、3日後、家の近くの大学のキャンパスのなかにある朽ちた小屋で、首を吊っているのをみずから発見したのだそうです。これほど深い「孤独」と「諦観」をもたらす衝撃的な体験はないでしょう。

中川氏ほど衝撃的ではありませんが、私にも似たような体験があり、そのとき私は、「もう結婚することはないだろうな」と思いました。それから何度か、渋谷の雑踏や山手線の車内などで、「かけがえのない人」の幻影を見ました。

 この経験から分かったことは、「大事な人間はあまりいない」ということである。一人のとんでもなく大事な人がいなくなることに比べ、それ以外の人がいなくなることは大して悲しくもないのだ。それは同時に、一番大事な人は徹底的に今、大事にしてあげなさい、ということを意味する。


たしかに、「諦念」を抱くほど心の傷になるような「大事な人」なんてそんなにいるものではないのです。

一方で、この年になると、「みんな、死んでいく」のだということをしみじみ感じます。そして、やがて自分も死んでいく。

帰省した際も姉や妹たちから、幼馴染の誰々が死んだというような話を聞きました。隣の家のAちゃんも、野球部で一緒だったBちゃんも、坂東三津五郎さんと同じように、若くしてガンで亡くなったということでした。私よりひとつ年上だった菩提寺の三代目の住職も、病気で亡くなっていました。また、私のことを「麻呂さん」と呼んでいた行きつけの喫茶店の女の子も、心臓病で亡くなっていました。

このブログにも書いていますが、病院に入院しているときも、顔見知りの患者の死を何度も見てきました。多感な時期でしたので、そのときの情景は今でも心のなかに残っています。

私たちは、このように多くの死に囲まれて生きているのです。その死ひとつひとつに「大事な人」が存在するはずなのです。「福祉専門」の病院で、段ボール箱ひとつだけ残して、誰にも看取られずにひとりさみしく死んでいく老人だって、「大事な人」がいたはずです。

いくら人間嫌いであっても、「大事な人」はいるでしょう。「大事な人」がいるから、死はこんなに悲しくこんなにつらく、そして、こんなに喪失感を伴うのでしょう。私は、孤独に生きたいと思っていますが、でも、孤独に生きるなんてホントはできっこないのかもしれません。
2015.02.24 Tue l 訃報・死 l top ▲