2015年4月17日鎌倉 153


中森明夫氏が新著『寂しさの力』(新潮新書)で、お母さんを亡くした喪失感、さみしさを吐露していましたが、私のなかでも、母親が亡くなり、もう帰るところがなくなったさみしさが日ごとに増しています。

中森氏と同じで、元気な頃はめったに帰らなかったくせに、いざ帰るところがなくなると、無性にさみしさを覚えるものです。「遺伝子を運ぶ船にすぎない」(リチャード・ドーキンス)私たちは、父親と母親から半分づつDNAを引き継いでいるわけですから、親がいなくなって心のなかに空白が生まれたように思うのは、生物学的にも当然と言えば当然なのかもしれません。

中森氏は、「『悲しみ』が終わった時から『さみしさ』が始まる」「悲しさは一瞬、さみしさは永遠」と書いていましたが、悲しみだけでなく、さみしさも、そしてせつなさも、みんな人生の親戚なのです。

まして年を取って親を亡くすと、つぎは自分の番だということをひしひしと感じます。中森氏が言うように、親はみずからの死によって、私たちに死というものを教えてくれているのかもしれません。

一方、柳美里は、『貧乏の神様 芥川賞作家困窮生活記』(双葉社)のなかで、愛する人の死や大震災を経て、死に対する考え方が大きく変わったと書いていました。

 10代20代の頃は、この作品を書き上げたら自殺しようと思い詰めて書いていました。
 その気持ちは、2000年4月20日に東由多加を亡くし、2011年3月11日に起きた東日本大震災の被災地に通って、大きく変わりました。
 わたしは、生きる時間を生き、書きたいことを書いて、終わりに備えます。


ことばを生業にする作家というのは、ことばを生むために悪戦苦闘し命さえ削るものですが、そのための「呼び水」になるようなことはなんでもしてみるつもりだ、という柳美里のことばに、私は、作家の覚悟を感じました。

『貧乏の神様』を読み終えて、久しぶりに柳美里のブログを見たら、なんと先月、鎌倉を引きはらって、福島県南相馬市に転居したことがわかりました。ブログには、別れを惜しむかのように、鶴岡八幡宮の桜の写真がアップされていました。それを見たら、なんだか鎌倉に行きたくなり、それで、昨日、久しぶりに横須賀線に乗って鎌倉に出かけたのでした。

最近、私は、知人から「精神を病んでいる」と冗談を言われるくらい、やや情緒不安定の傾向がありますので、ときに気分転換も必要です。たとえば、クタクタになるまで歩くだけでもずいぶん違うのです。同じものを考えるのでも、家のパソコンの前で考えるのと歩きながら考えるのとではまったく違います。”身体(身体的)”ということは、すごく大事なことなのです。

鎌倉駅を降りて、まず鶴岡八幡宮に行きました。鶴岡八幡宮も以前に比べて外国人観光客の姿が目立ちました。これも円安の影響なのでしょう。

鶴岡八幡宮のあとは、外国人観光客とは無縁な寿福寺に行き、そのあと長谷まで歩きました。途中、鎌倉市役所の近くの住宅街のなかを歩いていたら、どこかあたりの風景に見覚えがありました。若い頃、道ならぬ恋の相手と鎌倉に家を探しに来たことがあったのですが、あのとき、二人でこの道を歩いたのかもしれないと思いました。

長谷では、高徳院(鎌倉大仏)と長谷寺に行きました。鎌倉大仏や長谷寺も外国人観光客であふれており、7割~8割は外人といった感じでした。

長谷寺のあと、海岸に出て、堤防の上に腰かけ、しばらく海を見てすごしました。同じ海でも、やはり鎌倉の海は全然印象が違います。遠くに見える逗子の家並みが鎌倉の海をよけい「オシャレ」にしている気がしました。

長谷からはさらに極楽寺まで歩きました。極楽寺は初めてでしたが、訪れる人も少なく、意外なほど小さな佇まいの寺でした。

極楽寺に向かう途中、成就院の前の切通しを歩いていたら、やはり昔、この道を車で通ったことを思い出しました。そのときも、当時付き合っていた女の子と一緒だったのですが、切り通しのあたりに通りかかったとき、数か月前に亡くなったお父さんの話をしていた助手席の彼女が、突然泣き出したのです。それで、覚えていたのでした。

お寺では、いつになく神妙な面持ちで手を合わせている自分がいました。そのとき、頭のなかにあったのは、母親のことでした。

母親も過去の恋愛も、今はもう悲しい思い出です。鎌倉を歩いていたら、このようにいつになく過去が思い出され、悲しくせつない気持になりました。そして、『貧乏の神様』のなかの「わたしが過去を忘れても、過去はわたしを決して忘れない」ということばが思い出されたのでした。

 「過去」とは、過ぎ去った時間や事柄を示す言葉ですが、わたしは、「過去」は決して過ぎ去らないと思うのです。
 自分が2つの足を置いているその場所に、過去は地層のように堆積し、精神が地震に遭ったように揺らぐと、足元に亀裂が走り、地層(過去)が露出する――。
 放浪の最中に、わたしは何度も過去に待ち伏せされ、過去の落とし穴に足をとられそうになりました。
 わたしが過去を忘れても、過去はわたしを決して忘れない。
 過去が更新されて「今」になるのではなく、過去は過去のまま更新されるのです。
 未来は全て過去にある、という言葉の意味を、40歳を過ぎて噛み締めています。



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