最近は、なにかに取り憑かれたように、という表現が決してオーバーではないくらい、よく歩いています。今日も、東銀座から広尾まで歩き、さらに広尾で用事を済ませて、中目黒まで歩きました。昨日は、東京駅から六本木まで歩きました。おかげで足の裏にマメができてしまいました。

帰省した際、久しぶりに会った姉から「アンタ、老けたねぇ~」としみじみ言われたのですが、その姉のことばが未だ残響のように耳の奥に残っています。年をとるのもある時期をすぎると弾みがつくのか、特にこの2~3年で急激に老けたように思います。街中でふとウィンドウガラスに映った自分の姿を見ると、なんだか玉手箱を開けた浦島太郎のような心境になります。そこには、いつの間にか翁(竹取物語?)、いや、老人の姿になった自分がいるのです。それは、昔近所にいたおじいさんとそっくりなのです。なんのことはない、自分がそのおじいさんになっていたのです。若づくりの服装と衰えた容貌がとてもアンバランスに映っていました。

先日、知り合いと「直葬プラン」の話になりました。「直葬」というのは、通夜や告別式を省き、火葬のみで済ませる簡略化した葬儀のことです。最近は「直葬」が多くなり、東京では既に30%が「直葬」なのだそうです。それで、警備会社と葬儀会社が提携して、単身者向けの「直葬プラン」なるものも発売されているのだそうです。費用は30万円で、遺体の搬送と保管、そして火葬がセットになっており、さらにあと数万円払えば、遺骨は5年間納骨堂に収められ、そのあと合祀されるオプションもあるだとか。要するに、30数万円”預託”しておけば、火葬から納骨までやってくれるという身寄りのない単身者にはありがたいプランなのです。

「それはいいな。すぐにでも入りたいな」と言ったら、知り合いは、「でも、それだけじゃ済まないでしょ?」と言うのです。

「エッ、ほかになにかあるの?」
「だって、遺品の整理なども必要でしょ」

たしかに、そうです。立つ鳥跡を濁さずではないですが、できるならやりっ放しで死にたくない。絲山秋子の小説に、お互い先に亡くなった相手のPCのHDDを消す約束をしている二人の話がありましたが、私もHDDの中身は他人に見られたくない。

「遺品整理などをやってくれるプランもあるそうよ」
「それもオプション?」
「そう。それも付けるとあと10~20万必要らしい」

そんな話をしていたら、外の黄昏の風景が自分の人生と重なって見え、なんだか死期がせまっているような気持になりました。

歩け、歩け。忍び寄る老いを振り払うには、ひたすら歩くしかないのです。
2015.04.25 Sat l 健康・ダイエット l top ▲