テレビのニュースで、安倍首相のアメリカ議会での演説を見ていたら、なんだかデジャヴを覚えました。安倍首相の演説は、まるで植民地の傀儡政権の長が、宗主国の議員たちを前に行っている演説のようでした。その卑屈なまでに阿るようなことばの数々。どこかで見たような気がします。

そうです、田中慎弥の『宰相A』と同じなのです。「もうひとつの日本」のテレビでくり返し流されている「宰相A」の演説。旧日本人の居住区で解放闘争の決起を促されているときも、「日本軍」に捕えられ拷問されているときも、「宰相A」の演説が流れていました。

「宰相A」は、アングロサクソンの「日本人」たちを前に、英語で(!)演説をしています。

「我が国とアメリカによる戦争は世界各地で順調に展開されています。いつも申し上げる通り、戦争こそ平和の何よりの基盤であります。戦争とという口から平和という歌が流れるのです。戦争の器でこそ中身の平和が映えるのです。戦争は平和の偉大なる母であります。両者は切っても切れない血のつながりで結ばれています。健全な国家には健全な戦争が必要であり、戦争が健全に行われてこそ平和も健全に保たれるのです・・・」


もしかしたら、私たちは”悪夢”を見ているのかもしれません。安倍首相のその姿は、どう見ても傀儡そのものですが、しかし、この国では彼は絶対的な「愛国者」なのです。少しでも彼を批判すれば、中国が攻めてくるという妄想に怯えるネトサポやネトウヨたちから「反日」「売国奴」のレッテルを貼られて、袋叩きに遭うのです。

『宰相A』の「A」は、アドルフ・ヒットラーの「A」であり、安倍晋三の「A」でもあるのだそうですが、この”奇妙な一致”がますます”悪夢”を”悪夢”たらしめているような気がしてなりません。

安倍首相は演説のなかで、自分が岸信介の孫であることを強調していましたが、岸信介は、A級戦犯として巣鴨プリズンに収容されるものの、なぜか無罪放免になります。それは、岸がCIAのエージェントになることを承諾したからだと言われました。やがて総理大臣になった彼は、アメリカに「望むだけの軍隊を望む場所に望む期間だけ駐留させる権利」を保障した安保体制の成立に尽力したのでした。そして、今、その孫は、アメリカに「望むだけの軍隊を望む場所に派遣する」日米安保のガイドラインの改定を約束したのです。もちろん、前者の「軍隊」はアメリカの軍隊ですが、後者の「軍隊」は日本の軍隊(自衛隊)です。

「愛国」と「売国」が逆さまになった戦後という時代の背理。今、私たちが見ているのはそんな”悪夢”なのではないか。

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2015.05.01 Fri l 社会・メディア l top ▲