高橋源一郎が、朝日新聞の「論壇時評」で紹介していた翁長雄志沖縄県知事の発言。これは、米軍普天間飛行場の辺野古移設問題に関して、さる4月5日におこなわれた菅官房長官との会談においての発言の一部です。
また、翁長知事は、つぎのように言ってます。
沖縄の歴史には、「琉球処分」ということばがあります。沖縄は、琉球王国として独自の文化を育み、東アジアを包括する中継貿易で経済的にも栄華を誇り、政治的には日本だけでなく中国大陸とも深い関係を築いてきました。しかし、江戸時代、鹿児島の島津藩の侵攻を受けてその支配下に置かれ、さらに明治に入ると、新政府の廃藩置県によって王国が廃止され、「沖縄県」として日本に「併合」されたのでした。それが「琉球処分」と言われるものです。
「琉球処分」された立場から見ると、翁長知事の発言は、日本国に片恋する「売国」的なものに映るかもしれません。一方、日本の立場から見ると、日本政府に、自分たちの日本に対する思いを切々と訴える翁長知事の発言ほど、「愛国」的なものはありません。
しかし、日本の立場をとる保守派の人たちは、翁長知事を「変節漢」「売国奴」「国賊」「反日」と悪罵の限りを尽くして誹謗するのです。前回の能年怜奈の記事で取り上げた『週刊文春』(5月7・14号)でも、”「沖縄のタブー」に迫る特集第3弾”と題し、「変節漢」の翁長知事を口をきわめて罵っていました。
なぜなら、中国脅威論=対米従属の強化を目論む日本政府に対して、翁長知事が東アジアの平和的共存に沖縄の未来を見ているからです。それはとりもなおさず、アメリカの意向に異を唱えることになるからです。しかし、それこそが古来から沖縄が生きてきた道でもあるのです。ここにも「愛国」と「売国」が逆さまになった戦後の背理、戦後という時代のゆがんだ光景が映し出されているように思えてなりません。
日本政府がアメリカの言いなりになるのは当然でしょう。岸信介に象徴されるように、恥も外聞もなく昨日の敵にすり寄ることで戦後も生き延びてきた保守派にとって、アメリカの言いなりになること、買弁的であることは、絶対に否定することのできない拠り所であり、みずからの存立基盤でもあるのです。それを、白井聡は「永続敗戦レジーム」と言ったのでした。
中国が攻めてくるという妄想に怯える「愛国者」たち。彼らが情けないほどの対米従属主義者であるのも、対米従属を”国是”とするこの国ではなんら矛盾も生じないのです。「従属」することが「愛国」であるという戦後の背理。そんな戦後の背理を体現するエセ「愛国者」たちにとって、沖縄は所詮、日本の防波堤、アメリカに差し出す人柱程度の存在でしかないのでしょう。だから、自分たちの意のままにならない翁長知事に、あれほど悪罵を浴びせるのでしょう。なんだか未だに「琉球処分」の発想が生きているかのようです。
本土の世論に訴えると言っても、その世論がアテにならないのです。翁長知事の発言に対する本土の反応を見るにつけ、沖縄はもはや「琉球処分」以前にまで戻るしかないのではないか、そんな気さえしてくるのでした。
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『永続敗戦論』
「一昨年、サンフランシスコ講和条約の発効の時にお祝いの式典があった。日本の独立を祝うんだという、若者に夢と希望を与えるんだという話があったが、沖縄にとっては、あれは日本と切り離された悲しい日だ。そういった思いがある中、あの万歳三唱を聞くと、沖縄に対する思いはないのではないかと率直に思う」
朝日新聞デジタル
(論壇時評)ことばを贈る 根本から考えるために
また、翁長知事は、つぎのように言ってます。
安倍総理が「日本を取り戻す」という風に、2期目の安倍政権からおっしゃってましたけど、私からすると、日本を取り戻す日本の中に、沖縄は入っているんだろうかなというのが、率直な疑問ですね。
それから「戦後レジームからの脱却」ということもよくおっしゃいますけど、沖縄では戦後レジームの死守をしているような感じがするんですよ。一方で、憲法改正という形で日本の積極的平和主義を訴えながら、沖縄で戦後レジームの死守をするようなことは、私は本当の意味での国の在り方からいうとなかなか納得がいきにくい、そういうものを持っております。
沖縄タイムスプラス
翁長知事と菅官房長官の会談 冒頭発言の全文
沖縄の歴史には、「琉球処分」ということばがあります。沖縄は、琉球王国として独自の文化を育み、東アジアを包括する中継貿易で経済的にも栄華を誇り、政治的には日本だけでなく中国大陸とも深い関係を築いてきました。しかし、江戸時代、鹿児島の島津藩の侵攻を受けてその支配下に置かれ、さらに明治に入ると、新政府の廃藩置県によって王国が廃止され、「沖縄県」として日本に「併合」されたのでした。それが「琉球処分」と言われるものです。
「琉球処分」された立場から見ると、翁長知事の発言は、日本国に片恋する「売国」的なものに映るかもしれません。一方、日本の立場から見ると、日本政府に、自分たちの日本に対する思いを切々と訴える翁長知事の発言ほど、「愛国」的なものはありません。
しかし、日本の立場をとる保守派の人たちは、翁長知事を「変節漢」「売国奴」「国賊」「反日」と悪罵の限りを尽くして誹謗するのです。前回の能年怜奈の記事で取り上げた『週刊文春』(5月7・14号)でも、”「沖縄のタブー」に迫る特集第3弾”と題し、「変節漢」の翁長知事を口をきわめて罵っていました。
なぜなら、中国脅威論=対米従属の強化を目論む日本政府に対して、翁長知事が東アジアの平和的共存に沖縄の未来を見ているからです。それはとりもなおさず、アメリカの意向に異を唱えることになるからです。しかし、それこそが古来から沖縄が生きてきた道でもあるのです。ここにも「愛国」と「売国」が逆さまになった戦後の背理、戦後という時代のゆがんだ光景が映し出されているように思えてなりません。
日本政府がアメリカの言いなりになるのは当然でしょう。岸信介に象徴されるように、恥も外聞もなく昨日の敵にすり寄ることで戦後も生き延びてきた保守派にとって、アメリカの言いなりになること、買弁的であることは、絶対に否定することのできない拠り所であり、みずからの存立基盤でもあるのです。それを、白井聡は「永続敗戦レジーム」と言ったのでした。
中国が攻めてくるという妄想に怯える「愛国者」たち。彼らが情けないほどの対米従属主義者であるのも、対米従属を”国是”とするこの国ではなんら矛盾も生じないのです。「従属」することが「愛国」であるという戦後の背理。そんな戦後の背理を体現するエセ「愛国者」たちにとって、沖縄は所詮、日本の防波堤、アメリカに差し出す人柱程度の存在でしかないのでしょう。だから、自分たちの意のままにならない翁長知事に、あれほど悪罵を浴びせるのでしょう。なんだか未だに「琉球処分」の発想が生きているかのようです。
本土の世論に訴えると言っても、その世論がアテにならないのです。翁長知事の発言に対する本土の反応を見るにつけ、沖縄はもはや「琉球処分」以前にまで戻るしかないのではないか、そんな気さえしてくるのでした。
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