今日の夜、新横浜のとあるホテルの喫茶店で、オシャレに(?)お茶しているときでした。
突然、若い女の子たちがドドドッとホテルのロビーになだれ込んできたのです。私はびっくりして、ロビーのほうに目をやりました。すると、女の子たちは我先にフロントのカウンターの前に並んで、チェックインの手続きをはじめたのでした。どうやら彼女たちは、今宵のホテルの宿泊客みたいです。
窓の外を見ると、向かいの舗道がいつの間にか若い女性で埋まっていました。そして、その群れは、上下にうねりながら駅の方に向かって進んでいました。もっとも、若い女性たちが舗道を埋め尽くす光景は、新横浜ではめずらしいことではありません。横浜アリーナでイベントがあったときのおなじみの光景です。
ただ、ホテルまで彼女たちに占領されているとは思いませんでした。サラリーマンのおじさんたちは会社のお金で宿泊するのですが、彼女たちは自腹でホテルに泊っているのです。こういうのをイベントマーケティングとでも言うのか、周辺のホテルにも思わぬ波及効果を生んでいるのでした。
騒々しくなってきたので、私はホテルを出ました。そして、遅くまでやっている駅前の本屋に行こうと、女の子たちの後ろに付いて舗道を進んで行きました。みんな口々に、「よかったね」「チョー感動したよ」なんて言ってます。「今日の席は自慢できるよ」と言っている子もいました。よほどいい席が当たったのでしょう。
しばらく歩くと、「只今サービス券を配っています! 今だけの特典です!」と呼び込みをしている声が聞こえてきました。マクドナルドでした。売上の低迷で赤字に転落したマクドナルドは、イベント帰りの女の子たち目当てに必死の営業をしているのでした。これも便乗商法と言えるでしょう。
呼び込みが功を奏したのか、マクドの店内も若い女の子たちであふれていました。私は、そんなマクドを横目に、二軒先にある本屋に行きました。ところが、本屋の前にも女の子たちの人盛りができていたのです。
店頭のワゴンに写真集を並べて売っていたのです。おそらくコンサートの出演者たちの写真集なのでしょう。私は、女の子たちの脇をすりぬけて店内に入りました。そして、しばらく本を物色したのち、1冊の新書を手に取るとレジに向かいました。すると、びっくり、レジはいつの間にか写真集を手にした女の子たちで列ができていたのです。
仕方なく、私も列の最後に並びました。でも、並んだことをすぐに後悔しはじめました。精算にえらく時間がかかって、いっこうに前に進まないのでした。写真集を買うと、特典で生写真(?)をプレゼントするみたいなのですが、6種類あるサンプルのなかから1枚選ぶのに、とんでもなく時間がかかるのでした。「どうしよう」「迷っちゃう」とかなんとか言いながらなかなか決まらないのでした。
写真集も高価で、客単価は優に5千円を越えていました。みんな、気前よく万札で支払っていました。そんななか、800円の新書を手に、如何にもイラついた様子で、何度も首を伸ばして前をうかがっているおっさんは、あきらかに場違いでした。
AKBの人形使いではないですが、こんなところにも私たちが知らない市場があったのです。そこでは想像できないくらいの大金が使われているのです。 それは、衣食住とは関係のない消費です。
それにしても、彼女たちはなんと楽しげなんでしょう。みんな、笑顔がはじけ、口々に今日体験した感動を語り合っているのでした。月並みな言い方をすれば、そこにあるのは、間違いなく”消費する喜び”です。たとえそれが仕掛けられた”感動”であっても、彼女たちは、会社に勤めたりアルバイトをしたりして貯めたお金で、その”感動”を買い、みずからを解放しているのです。
吉本隆明は、かつて埴谷雄高との間で交わされたいわゆる「コムデギャルソン論争」のなかで、『アンアン』を読み、ブランドの服を着ることにあこがれる《先進資本主義国の中級または下級の女子賃労働者たち》が招来しているものは、「理念神話の解体」であり「意識と生活の視えざる革命の進行」であると言ったのですが(1985年刊『重層的な非決定へ』)、私は、あらためてそのことばが思い出されてなりませんでした。
帰ってネットで調べたら、今日、横浜アリーナでおこなわれたコンサートは、「Kiramune Music Festival 2015」というアニメの声優たちが出演するコンサートだったようです。しかし、出演者を見ても、誰ひとり知っている名前はありませんでした。コンサートは、今日明日と2日間おこなわれるみたいで、ホテルが若い女性たちに占領されていたのも合点がいきました。それより驚いたのは、チケット料金が全席指定で1万円もするということです。それを見て、ラーメンが何杯食えるんだ?と思った私は、未だ「理念神話」に呪縛された”反動オヤジ”と言うべきなのかもしれません。
突然、若い女の子たちがドドドッとホテルのロビーになだれ込んできたのです。私はびっくりして、ロビーのほうに目をやりました。すると、女の子たちは我先にフロントのカウンターの前に並んで、チェックインの手続きをはじめたのでした。どうやら彼女たちは、今宵のホテルの宿泊客みたいです。
窓の外を見ると、向かいの舗道がいつの間にか若い女性で埋まっていました。そして、その群れは、上下にうねりながら駅の方に向かって進んでいました。もっとも、若い女性たちが舗道を埋め尽くす光景は、新横浜ではめずらしいことではありません。横浜アリーナでイベントがあったときのおなじみの光景です。
ただ、ホテルまで彼女たちに占領されているとは思いませんでした。サラリーマンのおじさんたちは会社のお金で宿泊するのですが、彼女たちは自腹でホテルに泊っているのです。こういうのをイベントマーケティングとでも言うのか、周辺のホテルにも思わぬ波及効果を生んでいるのでした。
騒々しくなってきたので、私はホテルを出ました。そして、遅くまでやっている駅前の本屋に行こうと、女の子たちの後ろに付いて舗道を進んで行きました。みんな口々に、「よかったね」「チョー感動したよ」なんて言ってます。「今日の席は自慢できるよ」と言っている子もいました。よほどいい席が当たったのでしょう。
しばらく歩くと、「只今サービス券を配っています! 今だけの特典です!」と呼び込みをしている声が聞こえてきました。マクドナルドでした。売上の低迷で赤字に転落したマクドナルドは、イベント帰りの女の子たち目当てに必死の営業をしているのでした。これも便乗商法と言えるでしょう。
呼び込みが功を奏したのか、マクドの店内も若い女の子たちであふれていました。私は、そんなマクドを横目に、二軒先にある本屋に行きました。ところが、本屋の前にも女の子たちの人盛りができていたのです。
店頭のワゴンに写真集を並べて売っていたのです。おそらくコンサートの出演者たちの写真集なのでしょう。私は、女の子たちの脇をすりぬけて店内に入りました。そして、しばらく本を物色したのち、1冊の新書を手に取るとレジに向かいました。すると、びっくり、レジはいつの間にか写真集を手にした女の子たちで列ができていたのです。
仕方なく、私も列の最後に並びました。でも、並んだことをすぐに後悔しはじめました。精算にえらく時間がかかって、いっこうに前に進まないのでした。写真集を買うと、特典で生写真(?)をプレゼントするみたいなのですが、6種類あるサンプルのなかから1枚選ぶのに、とんでもなく時間がかかるのでした。「どうしよう」「迷っちゃう」とかなんとか言いながらなかなか決まらないのでした。
写真集も高価で、客単価は優に5千円を越えていました。みんな、気前よく万札で支払っていました。そんななか、800円の新書を手に、如何にもイラついた様子で、何度も首を伸ばして前をうかがっているおっさんは、あきらかに場違いでした。
AKBの人形使いではないですが、こんなところにも私たちが知らない市場があったのです。そこでは想像できないくらいの大金が使われているのです。 それは、衣食住とは関係のない消費です。
それにしても、彼女たちはなんと楽しげなんでしょう。みんな、笑顔がはじけ、口々に今日体験した感動を語り合っているのでした。月並みな言い方をすれば、そこにあるのは、間違いなく”消費する喜び”です。たとえそれが仕掛けられた”感動”であっても、彼女たちは、会社に勤めたりアルバイトをしたりして貯めたお金で、その”感動”を買い、みずからを解放しているのです。
吉本隆明は、かつて埴谷雄高との間で交わされたいわゆる「コムデギャルソン論争」のなかで、『アンアン』を読み、ブランドの服を着ることにあこがれる《先進資本主義国の中級または下級の女子賃労働者たち》が招来しているものは、「理念神話の解体」であり「意識と生活の視えざる革命の進行」であると言ったのですが(1985年刊『重層的な非決定へ』)、私は、あらためてそのことばが思い出されてなりませんでした。
帰ってネットで調べたら、今日、横浜アリーナでおこなわれたコンサートは、「Kiramune Music Festival 2015」というアニメの声優たちが出演するコンサートだったようです。しかし、出演者を見ても、誰ひとり知っている名前はありませんでした。コンサートは、今日明日と2日間おこなわれるみたいで、ホテルが若い女性たちに占領されていたのも合点がいきました。それより驚いたのは、チケット料金が全席指定で1万円もするということです。それを見て、ラーメンが何杯食えるんだ?と思った私は、未だ「理念神話」に呪縛された”反動オヤジ”と言うべきなのかもしれません。