最近とみに里心を覚えている私ですが、昨日の深夜、田舎の友人から電話があり、同級生らの近況を聞きました。

バブルの頃、金融取引で大もうけをして、さらに闇の商売にまで手を出して、一日に数十万円稼いでいると豪語していた同級生から、20年ぶりに電話があったそうです。会社が倒産し、職を転々とした挙句、今は新聞配達で糊口を凌いでいるのだとか。郵便受けに新聞を入れる際、間違えてインターフォンを押してしまい、お客さんから大目玉を食らったという話を面白おかしく話していたそうで、友人は、「元気そうだった」と言ってました。

ほかにも、家業を継いだものの、うまくいかずに閉店を余儀なくされ、やはり、新聞配達をしながら細々と暮らしているという同級生もいました。彼は、昔は家の羽振りがよくて、「ボンボン」みたいな感じでしたので、今、地元で新聞配達というのはつらいだろうなと思いました。

もちろん、病気の話はこと欠きません。誰々が大腸ガンになったとか、誰々が胃ガンの手術をしたとか、誰々が膀胱ガンで会社を辞めたという話を聞きながら、私は、夢と希望に胸をふくらませ、いつも笑顔にあふれていた高校時代の彼らの顔がひとりひとり浮かんできました。あの頃、みんな、前途は洋々だと思っていたのです。

田舎にいた頃、同級生のお母さんの紹介でお見合いをした女性がいたのですが、彼女も先日、病気で亡くなったそうです(田舎は狭いので、そんな話も入ってくるのでした)。紹介してくれた同級生のお母さんも既に亡くなっています。

そう言えば、2月に帰省した折、海を見下ろす高台にリハビリセンターができていたことを思い出しました。

「●●の近くに立派なリハビリセンターができていたな?」
「ああ、あれか。あれは農協がやってる。すごい敷地だぞ」

「あのリハビリセンターにも、同級生が3人入ってる。みんな、脳梗塞や脳出血で倒れたんだ。××なんかもう1年半も入っている」

もちろん、自分の病気だけではありません。親の介護で苦労している者も多いはずです。

「みんな、苦労しているぞ」

その友人のことばに、いつになくしんみりした気持になりました。まだ老後とは言えない年齢ですが、なんだか早くも出鼻をくじかれた感じです。

年をとることは、どうしてこんなに哀しくてさみしいものなのでしょうか。年をとったというだけで、どうしてこんなに苦労しなければならないのか。

今年の正月、別の友人から届いた年賀状に、「お金がなくても笑顔で楽しく老後を過ごしたいものです」と書いていましたが、そうすごせたらどんなに幸せだろうと思います。でも、この現実を考えると、それはとても難しいことのように思えてなりません。
2015.05.13 Wed l 健康・ダイエット l top ▲