やはり年のせいなのか、最近わけもなく悲しい気持になることがあるのですが、深夜、たまたまYouTubeで、「きたやまおさむ 九州大学定年退職記念 さよならコンサート」の映像を見ていたら、なんだか昔が思い出されて、また悲しい気持になりました。
これは、九大で教授を務めていた北山修氏が定年で退職するのを記念して、2010年3月21日に九大医学部の百年講堂でおこなわれたコンサートの映像です。北山氏のほかにアルフィの坂崎幸之助が出演し、ゲストに杉田二郎と南こうせつ、それに作詞家の松山猛氏が出ていました。
私がフォーク・クルセダーズの歌を聴いたのは、坂崎幸之助と同じように、中学生のときでした。当時、私が通っていた田舎の中学では、まだ同級生の3分の1くらいが集団就職する時代でしたので(私たちがその最後の世代だったと思います)、そんな塾もなにもないような田舎の中学から都会(まち)の普通科の高校に進むのは、結構大変でした。それで、親と先生が話し合って、私は、年が明けると学校に行かずに、家で受験勉強することになったのでした。
私は、祖父母の家の二階で、終日、ひとりで受験勉強をしていました。その際、窓際に置いたラジオからよく流れていたのが、フォークルの歌でした。
ある日のことです。外から聞き覚えのある声が聞こえてきたのです。窓から見ると、同級生たちが、前の道をおしゃべりをしながら楽しそうに歩いていました。わずかな間会わなかっただけなのに、なんだかすごくなつかしい気がしました。しかし、私は、彼らに声をかけることができなかったのです。なぜか声をかけるのがためらわれたのでした。それが自分でもショックでした。そして、私は、中学を卒業すると田舎を離れ、同じ中学の出身者が誰もいない遠くの街の高校に進学して、中学の同級生たちとも徐々に疎遠になっていったのでした。
フォークルの歌を聴くと、2ヶ月間寝起きした祖父母の家の部屋の様子とあのときの悲しくせつない気持が思い出されるのでした。
北山氏によれば、「さよならコンサート」は、加藤和彦の家で二人で話し合って決めたのだそうです。にもかかわらず、加藤和彦はコンサートを迎えることなく自死したのでした。北山氏は、コンサートのなかで、「加藤と作った歌は、喪失と悲しみの歌が多い」と言ってました。
映像のなかで、私が好きなのは「イムジン河」です。今の北への制裁や嫌韓の風潮からは想像もできませんが、まだこのように素朴に感傷的に南北に引き裂かれた朝鮮半島の人々を思う時代があったのです。その思いは、今もいくらか私のなかに残っています。
YouTube
イムジン河 悲しくてやりきれない きたやまおさむ 坂崎幸之助 南こうせつ
北山氏のことばを借りれば、人生は「喪失と悲しみ」の過程にあるのだと思います。もしかしたら青春とは、その「喪失と悲しみ」を初めて垣間見る時期なのかもしれません。
余談ですが、このYouTubeの映像の合間に流れるAdobeのCMがすごくカッコよかったです。
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加藤和彦さんの死
これは、九大で教授を務めていた北山修氏が定年で退職するのを記念して、2010年3月21日に九大医学部の百年講堂でおこなわれたコンサートの映像です。北山氏のほかにアルフィの坂崎幸之助が出演し、ゲストに杉田二郎と南こうせつ、それに作詞家の松山猛氏が出ていました。
私がフォーク・クルセダーズの歌を聴いたのは、坂崎幸之助と同じように、中学生のときでした。当時、私が通っていた田舎の中学では、まだ同級生の3分の1くらいが集団就職する時代でしたので(私たちがその最後の世代だったと思います)、そんな塾もなにもないような田舎の中学から都会(まち)の普通科の高校に進むのは、結構大変でした。それで、親と先生が話し合って、私は、年が明けると学校に行かずに、家で受験勉強することになったのでした。
私は、祖父母の家の二階で、終日、ひとりで受験勉強をしていました。その際、窓際に置いたラジオからよく流れていたのが、フォークルの歌でした。
ある日のことです。外から聞き覚えのある声が聞こえてきたのです。窓から見ると、同級生たちが、前の道をおしゃべりをしながら楽しそうに歩いていました。わずかな間会わなかっただけなのに、なんだかすごくなつかしい気がしました。しかし、私は、彼らに声をかけることができなかったのです。なぜか声をかけるのがためらわれたのでした。それが自分でもショックでした。そして、私は、中学を卒業すると田舎を離れ、同じ中学の出身者が誰もいない遠くの街の高校に進学して、中学の同級生たちとも徐々に疎遠になっていったのでした。
フォークルの歌を聴くと、2ヶ月間寝起きした祖父母の家の部屋の様子とあのときの悲しくせつない気持が思い出されるのでした。
北山氏によれば、「さよならコンサート」は、加藤和彦の家で二人で話し合って決めたのだそうです。にもかかわらず、加藤和彦はコンサートを迎えることなく自死したのでした。北山氏は、コンサートのなかで、「加藤と作った歌は、喪失と悲しみの歌が多い」と言ってました。
映像のなかで、私が好きなのは「イムジン河」です。今の北への制裁や嫌韓の風潮からは想像もできませんが、まだこのように素朴に感傷的に南北に引き裂かれた朝鮮半島の人々を思う時代があったのです。その思いは、今もいくらか私のなかに残っています。
YouTube
イムジン河 悲しくてやりきれない きたやまおさむ 坂崎幸之助 南こうせつ
北山氏のことばを借りれば、人生は「喪失と悲しみ」の過程にあるのだと思います。もしかしたら青春とは、その「喪失と悲しみ」を初めて垣間見る時期なのかもしれません。
余談ですが、このYouTubeの映像の合間に流れるAdobeのCMがすごくカッコよかったです。
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