
用事があって銀座に行ったのですが、平日の銀座の通りを歩いている人の半分くらいは、外国人観光客でした。なかでも、アジア系の観光客が目に付きました。アジア系の観光客は、どこかあか抜けない服装やちょっと品のない所作で、ひと目でそれとわかるのでした。4丁目の三越の前でも、持ちきれないくらいの買い物袋を提げた人々(なかにはラオックスの包装紙を巻いた電気炊飯器や温水便座の箱を持っている人もいました)がたむろしていました。
今や銀座にとっても、彼ら爆買いの観光客は上得意のお客様なのでしょう。なんだか銀聯カードの威力の前に、銀座の老舗もプライドをかなぐり捨てたかのようです。あれほどお高く止まっていた銀座の老舗が、こんなにやすやすと”成り上がりの余所者”に膝を屈するとは驚きですが(と皮肉のひとつも言いたくなりますが)、それだけ彼らのパワーがすごいということなのでしょう。それはキャッチアップした(しつつある)国のパワーでもあります。
もちろん、こういった光景は、銀座に限った話ではありません。日本全国の主だった街や商業施設ではもはやおなじみの光景です。まさに、中国人(あるいはタイ人、インドネシア人)様々なのです。
でも、キャッチアップされる側のプライドはそう簡単に割り切れるものではありません。この国にとって”中国人様々”は、あくまで建て前でしかないのです。
よく中国人には反日を叫びながら一方で日本にあこがれる矛盾した感情があると言われますが、それは日本人も同じです。揉み手して笑顔をふりまきながら、腹のなかでは「この劣等民族め」と悪態を吐いているのです。国内向けには、まるで売ってやっているんだと言わんばかりに強がりを装いながら、一方で、競って中国人観光客に流し目を送っている日本人。
先日、自民党の二階堂俊博総務会長が100人の訪中団を引き連れて中国を訪れ、中国政府に大歓迎されたというニュースがありましたが、さすが自民党だなと感心しました。それは、懐が深いという意味ではありません。巧みに二枚舌を使い分けるそのしたたかさに感心したのです。
アメリカの尻馬に乗って戦争法案(!)をひっさげ中国を挑発しつづける安倍と、実利的に中国の経済力に秋波を送る二階堂。自民党のこの二人の政治家は、悪態を吐く日本人と爆買いに流し目を送る日本人の二面性を見事に体現していると言えるでしょう。もっとも、戦後の日本は、『永続敗戦論』が示したように、売国と愛国、従属と独立という相矛盾する二面性のなかで生きてきたのでした。もちろん、新自由主義(=売国)と国家主義(=愛国)が併存する安倍政権も例外ではありません。
アメリカが超大国の座から転落して、世界が多極化するのは間違いないのです。中国がアジアの盟主の座にすわるのも間違いないのです。中国が戦略的に「政経分離」の方針をとりつづける限り、日本の二面性もそれなりに機能するのかもしれません。しかし、アジアの盟主になった中国が方針転換すれば、途端に日本が政治的にも経済的にも苦境に陥るのは目に見えています。かつての米中接近のように、アメリカからいつ梯子を外されるかもわからないのです。
坂を上る国と下る国。よく見れば、銀座の光景は、その現実を映し出しているとも言えるのです。近隣諸国との互恵関係をみずから毀損した日本は、やがて、そのツケを払わなければならないときがやってくるでしょう。”テレビ東京的慰撫史観”で自演乙するだけの今の日本は、その先に待っている過酷な”運命”にあまりにも無頓着と言わざるをえません。
銀座のあと、築地まで歩いて、築地本願寺にお参りして帰りました。