私は、朝日新聞デジタルに連載されている「花のない花屋」というシリーズが好きなのですが、そのなかの「定年退職を迎える、男手ひとつで育ててくれた父へ」(2013年2月21日)という記事に、つぎのような記述がありました。
身も蓋もない言い方ですが、しかし、案外真実を衝いているとも言えるのです。もちろん、「いい大学」だけが人生ではないし、「いい会社」だけが人生ではないのは言うまでもありません。でも、身近な例を見ても、「いい大学」に行って「いい会社」に入ると、「人生の自由度が高くなる」という”世間智”は、あながち否定できないように思うのです。
大学だけでなく高校もそうで、「いい学校」というのは、校則もゆるくて自由で、友人関係も含めて「いい環境」にめぐまれるものです。まわりの環境に影響を受けやすい思春期においては、それは大事なことです。
もちろん、「いい大学」や「いい会社」に入っても、挫折や失敗もあります。「努力する人は希望を語り、怠ける人は不満を語る」というのは井上靖のことばですが、要は、努力すること、努力する大切さを忘れないということでしょう。資本主義社会では、努力する目的が「いい学校」や「いい会社」や「お金(経済的余裕)」というような現世的な身も蓋もないものになりがちです。だからと言って、努力をしなくていいいということにはならないはずです。努力をする大切さまで否定してはならないのです。
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『下流志向』
父はよく「自分以上の生活を子どもにさせたい」と言っていました。「できるだけいい大学へ入って、いい企業に入りなさい。そうすれば人生の自由度が高くなるから」と。
朝日新聞デジタル
定年退職を迎える、男手ひとつで育ててくれた父へ
身も蓋もない言い方ですが、しかし、案外真実を衝いているとも言えるのです。もちろん、「いい大学」だけが人生ではないし、「いい会社」だけが人生ではないのは言うまでもありません。でも、身近な例を見ても、「いい大学」に行って「いい会社」に入ると、「人生の自由度が高くなる」という”世間智”は、あながち否定できないように思うのです。
大学だけでなく高校もそうで、「いい学校」というのは、校則もゆるくて自由で、友人関係も含めて「いい環境」にめぐまれるものです。まわりの環境に影響を受けやすい思春期においては、それは大事なことです。
もちろん、「いい大学」や「いい会社」に入っても、挫折や失敗もあります。「努力する人は希望を語り、怠ける人は不満を語る」というのは井上靖のことばですが、要は、努力すること、努力する大切さを忘れないということでしょう。資本主義社会では、努力する目的が「いい学校」や「いい会社」や「お金(経済的余裕)」というような現世的な身も蓋もないものになりがちです。だからと言って、努力をしなくていいいということにはならないはずです。努力をする大切さまで否定してはならないのです。
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