ずっと気になっていた詩がありました。江東区の「亀戸」の地名が出てくる鈴木志郎康の詩です。

その詩に出会ったのは、私がまだ九州にいた頃でした。当時、私は、人口2万人あまりの小さな町の営業所に勤務していて、会社が借り上げた町外れの丘の上にあるアパートに住んでいました。

九州の片田舎に住んでいながら、どうして「亀戸」という地名が気になったのか。もちろん、亀戸には行ったこともありませんし、亀戸にゆかりのある人物も知りません。でも、なぜか「亀戸」という地名が出てくるその詩がずっと頭に残っていたのです。

再度上京して、何度か車で亀戸を通ったことがありました。その際も、「亀戸」の詩を思い出したりしていました。しかし、書店でさがしても「亀戸」の詩は見つかりません。そもそも鈴木志郎康の詩集が置いてないのです。

ところが、先日来、本を整理していたなかで、『新選 鈴木志郎康詩集』(思潮社現代詩文庫)が棚の奥から出てきたのでした。なんと、私は、鈴木志郎康詩集を24年前に九州からもってきていたのです。

上京する際、前の記事で書いた『五木寛之作品集』と『ドフトエフスキー全集』を泣く泣く処分したことを今でも後悔していますが、鈴木志郎康詩集は処分してなかったのです。私は、その茶色く変色した詩集を手にして、なんだか長年の胸のつかえが下りた気がしました。

私がずっと気になっていた「亀戸」の詩は、「終電車の風景」と「深い忘却」という詩でした。

終電車の風景

千葉行の終電車に乗った
踏み汚れた新聞紙が床一面に散らかっている
座席に座ると
隣の勤め帰りの婆さんが足元の汚れ新聞紙を私の足元にけった
新聞紙の山が私の足元に来たので私もけった
前の座席の人も足を動かして新聞紙を押しやった
みんなで汚れ新聞紙の山をけったり押したり
きたないから誰も手で拾わない
それを立って見ている人もいる
車内の床一面汚れた新聞紙だ
こんな眺めはいいなァと思った
これは素直な光景だ
そんなことを思っているうちに
電車は動き出して私は眠ってしまった
亀戸駅に着いた
目を開けた私はあわてて汚れ新聞紙を踏んで降りた

(『やわらかい闇の夢』1974年青土社刊)


深い忘却

屋上に出て見渡せば
亀戸の密集した屋根が見える
屋根の下には人が居る筈なのに
屋根があるから人の姿は見えないのだ
眺めというものはこれだけのことで
見えない人にしてもどうせ他人だと突っ撥ねる
そして次に
あれが駅前の建物だと確認して
次々に目立つ建物を確認してみて
それで屋上から降りてくる
屋上に出て見渡して見たものが
この自分の国の姿だとか
我が故郷の姿だとか
見えなかった人は人民なのだ
私には関係なく出来上がっている建物の群れに向かって
住んでいる人たちに向かって
思いようもない
そういうことでは
私自身をも忘れている

(『見えない隣人』1976年思潮社刊)


なにかの雑誌で、これらの詩を知ったのだと思います。それで、詩集を買ったのでしょう。

私が、これらの詩に惹かれたのは、当時の私の心境と無関係ではないように思います。私は、このまま田舎で一生をすごすのか、それとも仕事をやめて再び東京に行くのか、ある事情からその決断を迫られていたのでした。

これらの詩に惹かれたというのは、自分のなかで、一旦、このまま田舎に骨をうずめる決意をしたのかもしれません。あるいは、そう自分に決意を促していたのかもしれません。当時の私にとって、「亀戸」という地名は、そんなメタファーだったのでしょう。

でも、結局、私は、田舎の生活を精算して、再度上京する決意をしたのでした。
2015.06.07 Sun l 本・文芸 l top ▲