他人にはどうでもいい「私語り」の記事ばかり書いていると、よけい昔のことが思い出されるのでした。何度もくり返しますが、思えば遠くに来たもんだとしみじみ思います。
これも既出ですが、私も最近は、「夜中、忽然(コツゼン)として座す。無言にして空しく涕洟(テイイ)す」(夜中に突然起きて座り、ただ黙って泣きじゃくる)という森鴎外と似たような心境になることがあります。
ネットには、年寄りを生かしつづけるのは税金の無駄使いだ、とでも言いたげな書き込みが多くありますが、年を取るのは自分の責任ではないのです。そんな若者たちだって、年を取れば「無言にして空しく涕洟」することもあるはずです。そんな想像力さえはたらかないのだろうかと思います。
先日、帰省した折、前回の記事に書いた、昔の勤務地の山間の町を訪ねました。私は、20代の頃、その町に5年近く住み、そして、その町で恋もしました。
当時、商店街のなかに「H」という名前の喫茶店がありました。「H」は、その町の若者たちのたまり場になっていました。当然、「H」は出会いの場でもあり、その際、いつも仲をとりもっていたのが「H」の「ママ」でした。「ママ」は当時、40代の半ばで独身でした。
人の話では、同じ町内に住む男性と不倫関係にあり、それは「ママ」が20代の頃からつづいているということでした。私も何度か、店にやってきた不倫相手の男性を見たことがあります。既に70近くの背の高い老人でした。「あの人がそうよ」と「H」で知り合った彼女から耳元でささやかれたこともありました。
相手の男性の評判は、「ママ」の周辺では最悪でした。みんな口をそろえて「嫌なやつだ」と言ってました。「店の売上げもつぎ込んでいるらしいよ」「あれじゃだたのヒモだよ」「ママもバカだよ」と言ってました。しかし、私たちはまだ若かったので、そこまで現実的な見方をすることはできませんでした。一途に愛を貫いている、そういう風に考えていました。狭い町内に男性の奥さんや子どもがいるのに、それでも関係をつづけているというのは、”すごいこと”だと思っていたのです。
私は、レンタカーで、商店街のなかをゆっくり進みました。商店街の光景もずいぶん変わっていましたが、見覚えのある店もいくつか残っていました。しかし、銀行の隣にある「H」までやってくると様子がおかしいのです。外観は残っているものの、なかはもぬけの殻になっていたのでした。閉店していたのです。それも閉店してまだ間がないみたいです。
そのあと、やはり当時よく通っていた居酒屋に行って、「H」のことを聞きました。居酒屋の主人の話では、相手の男性はとっくに亡くなり、「H」の「ママ」も、去年、店を閉じると、誰にも告げずに町を出て行ったそうです。町内に住んでいる弟に聞いても、「県外に行った」としか言わないのだとか。もういい年なので、どこかの老人福祉施設か病院にでも入ったんじゃないか、と言ってました。居酒屋の経営者夫婦も昔は「ママ」と仲がよかったのですが、最近は付き合いもなくなっていたと言ってました。
「愛を貫いた」と言えばそう言えないこともありませんが、下賤な言い方をすれば、愛人のまま一生を終えたのです。愛人と言っても、生活の面倒を見てもらっていたわけではありませんので(逆にお金を渡していた?)、経済的にはちゃんと自立していたことになります。生まれ育った町でそんな生き方をするには、当然肩身の狭い思いをしたこともあったでしょう。それでも、町に住みつづけ、結婚もしないで「愛を貫いた」のです。
今思えば、私たちが「H」に通っていた頃が、「ママ」にとっても、「H」にとっても、いちばんいい時期だったのかもしれません。みんな、若くて、みんな元気で、みんな明日がありました。「ママ」は、そんな常連客たちといつも楽しそうにおしゃべりをして、夏山のシーズンになると、一緒に山登りなどもしていました。
私が会社を辞めて再度上京すると決めたとき、多くの人たちは「どうして?」「もったいない」と言ってましたが、「ママ」は「やっぱりね」「そんな気がしていたわ」と言ってました。そして、「二度と大分に戻るなんて思わないで、がんばりなさいよ」と言われました。最後に訪れた日、店の前で笑顔で手を振って見送ってくれたのを今でも覚えています。
おそらく「ママ」は、このまま県外の見知らぬ土地で、一生を終えるのでしょう。年老いて生まれ故郷を離れた今、どんな思いで自分の人生をふり返っているのでしょうか。その術はありませんが、聞いてみたい気がします。やはり、眠れぬ夜の底で、「無言にして空しく涕洟」しているのかもしれません。人生いろいろですが、こんな「女の一生」もあるのです。
Yahoo!ニュースを見て政治に目覚め、ネトウヨになるような若者なんてどうだっていいのです。「シルバー民主主義の弊害」とかなんとか、国家のあり様や人の生き様を経済合理性で語ることしかできない、ゼロ年代の批評家や拝金亡者の経済アナリストなんてどうだっていいのです。私は、年寄りの「私語り」を聞きたいと思います。そんな人生の奥にある”生きる哀しみ”のなかにこそ、私たちの人生にも通じるリアルなことばがあると思うからです。
これも既出ですが、私も最近は、「夜中、忽然(コツゼン)として座す。無言にして空しく涕洟(テイイ)す」(夜中に突然起きて座り、ただ黙って泣きじゃくる)という森鴎外と似たような心境になることがあります。
ネットには、年寄りを生かしつづけるのは税金の無駄使いだ、とでも言いたげな書き込みが多くありますが、年を取るのは自分の責任ではないのです。そんな若者たちだって、年を取れば「無言にして空しく涕洟」することもあるはずです。そんな想像力さえはたらかないのだろうかと思います。
先日、帰省した折、前回の記事に書いた、昔の勤務地の山間の町を訪ねました。私は、20代の頃、その町に5年近く住み、そして、その町で恋もしました。
当時、商店街のなかに「H」という名前の喫茶店がありました。「H」は、その町の若者たちのたまり場になっていました。当然、「H」は出会いの場でもあり、その際、いつも仲をとりもっていたのが「H」の「ママ」でした。「ママ」は当時、40代の半ばで独身でした。
人の話では、同じ町内に住む男性と不倫関係にあり、それは「ママ」が20代の頃からつづいているということでした。私も何度か、店にやってきた不倫相手の男性を見たことがあります。既に70近くの背の高い老人でした。「あの人がそうよ」と「H」で知り合った彼女から耳元でささやかれたこともありました。
相手の男性の評判は、「ママ」の周辺では最悪でした。みんな口をそろえて「嫌なやつだ」と言ってました。「店の売上げもつぎ込んでいるらしいよ」「あれじゃだたのヒモだよ」「ママもバカだよ」と言ってました。しかし、私たちはまだ若かったので、そこまで現実的な見方をすることはできませんでした。一途に愛を貫いている、そういう風に考えていました。狭い町内に男性の奥さんや子どもがいるのに、それでも関係をつづけているというのは、”すごいこと”だと思っていたのです。
私は、レンタカーで、商店街のなかをゆっくり進みました。商店街の光景もずいぶん変わっていましたが、見覚えのある店もいくつか残っていました。しかし、銀行の隣にある「H」までやってくると様子がおかしいのです。外観は残っているものの、なかはもぬけの殻になっていたのでした。閉店していたのです。それも閉店してまだ間がないみたいです。
そのあと、やはり当時よく通っていた居酒屋に行って、「H」のことを聞きました。居酒屋の主人の話では、相手の男性はとっくに亡くなり、「H」の「ママ」も、去年、店を閉じると、誰にも告げずに町を出て行ったそうです。町内に住んでいる弟に聞いても、「県外に行った」としか言わないのだとか。もういい年なので、どこかの老人福祉施設か病院にでも入ったんじゃないか、と言ってました。居酒屋の経営者夫婦も昔は「ママ」と仲がよかったのですが、最近は付き合いもなくなっていたと言ってました。
「愛を貫いた」と言えばそう言えないこともありませんが、下賤な言い方をすれば、愛人のまま一生を終えたのです。愛人と言っても、生活の面倒を見てもらっていたわけではありませんので(逆にお金を渡していた?)、経済的にはちゃんと自立していたことになります。生まれ育った町でそんな生き方をするには、当然肩身の狭い思いをしたこともあったでしょう。それでも、町に住みつづけ、結婚もしないで「愛を貫いた」のです。
今思えば、私たちが「H」に通っていた頃が、「ママ」にとっても、「H」にとっても、いちばんいい時期だったのかもしれません。みんな、若くて、みんな元気で、みんな明日がありました。「ママ」は、そんな常連客たちといつも楽しそうにおしゃべりをして、夏山のシーズンになると、一緒に山登りなどもしていました。
私が会社を辞めて再度上京すると決めたとき、多くの人たちは「どうして?」「もったいない」と言ってましたが、「ママ」は「やっぱりね」「そんな気がしていたわ」と言ってました。そして、「二度と大分に戻るなんて思わないで、がんばりなさいよ」と言われました。最後に訪れた日、店の前で笑顔で手を振って見送ってくれたのを今でも覚えています。
おそらく「ママ」は、このまま県外の見知らぬ土地で、一生を終えるのでしょう。年老いて生まれ故郷を離れた今、どんな思いで自分の人生をふり返っているのでしょうか。その術はありませんが、聞いてみたい気がします。やはり、眠れぬ夜の底で、「無言にして空しく涕洟」しているのかもしれません。人生いろいろですが、こんな「女の一生」もあるのです。
Yahoo!ニュースを見て政治に目覚め、ネトウヨになるような若者なんてどうだっていいのです。「シルバー民主主義の弊害」とかなんとか、国家のあり様や人の生き様を経済合理性で語ることしかできない、ゼロ年代の批評家や拝金亡者の経済アナリストなんてどうだっていいのです。私は、年寄りの「私語り」を聞きたいと思います。そんな人生の奥にある”生きる哀しみ”のなかにこそ、私たちの人生にも通じるリアルなことばがあると思うからです。