
昨日、書店に行ったら、平岡正明の『山口百恵は菩薩である』(講談社)がリメイクされ、四方田犬彦編集の「完全版」と銘打ち発売されていたのでびっくりしました。
しかも、価格が4320円だったので、二度びっくりしました。平岡正明は竹中労・太田竜とともに、当時、「三バカ・ゲバリスタ(世界革命浪人)」と呼ばれ、ある意味で全共闘世代の”アイドル”でもありました。Amazonでは、「革命的名著、完全版となって、いま甦える!!」というキャッチコピーが付けられていましたが、今回のリメイクは、AKBと同じような全共闘世代を対象にした”アイドル商法”と言えるのかもしれません。
私が『山口百恵は菩薩である』を読んだのは、九州にいた若い頃です。山口百恵ファンの私にとって、あの平岡正明が山口百恵を論じたこと自体、衝撃的な出来事でした。ちなみに、平岡正明は、その前だったと思いますが、朝日新聞の「レコード評」の歌謡曲欄を担当していたこともありました。
しかし、昨日、私が買ったのは、『山口百恵は菩薩である』ではなく、同じ四方田犬彦氏が書いた『よみがえる夢野久作』(弦書房)という本です。『よみがえる夢野久作』は、昨年の5月に福岡市でおこなわれた福岡ユネスコ協会主催の四方田氏の講演を書籍化したものです。
私は、若い頃、夢野久作や久生十蘭や小栗虫太郎や牧逸馬(谷譲次)など、戦前に活躍した探偵小説作家に惹かれ、彼らの作品を片端から読んだ時期がありました。私が「蠱惑的」ということばを覚えたのも、彼らの作品を読んでからです。彼らは、主に『新青年』という雑誌を舞台に活躍したのですが、その作品群には探偵小説や幻想小説という範疇には収まりきれない独特の世界観があります。それは、今の小説にはないものです。
なかでも、夢野久作の作品は特別でした。私は、文字通り彼の「蠱惑的」な小説の世界に魅了され、どっぷり浸かったのでした。
『東京人の堕落時代』は、夢野久作が「九州日報」(西日本新聞の前身)の記者だったとき、1923年9月と1924年9月~10月の二度にわたって、大震災に見舞われた東京を訪れ、そこで見たものを同紙に連載したルポルタージュです。
四方田氏は、『東京人の堕落時代』について、「夢野が被災地の東京で獲たものとは人間の堕落であり、廃墟と化しているのは建築ばかりではなく、人間そのものであるという認識」だったと言ってました。
最初の震災直後の上京の際は、九州から船を乗り継いで、東京に入ったのですが、廃墟となった東京は人影もなく「がらーんとしているだろう」と思っていたら、実際は人であふれ、道路も大混雑していたそうです。
(略)彼はそれを、冷静に観察している。「しかし、そうやっている群衆の八割か九割は、物見遊山の見物客であり、野次馬である」と書くのです。つまり、震災によって壊れたものが面白くて見に来ている人たちだと。実際の避難民の人たちというのはわずか「五厘」と言っています。五厘だから〇.五%ですか。とにかく少ないと思う。避難民の人がぞろぞろ歩いているんじゃない、と言う。みんな、何が壊れたかとか、そういうものを面白がって見に来ているんだと書いてしまう。そして、そうした事態に対し彼は非常に不快感を持っています。
そんななか、朝鮮人が井戸に毒を入れたなどという流言飛語によって、6千人の朝鮮人が虐殺されたのでした。手を下したのは、軍人や刑務所が倒壊し解放された囚人などもいましたが、大半は自警団に組織されていた一般の市民たちでした。「十五円五拾銭」と言わせて、「チューコエンコチセン」と発音した者は朝鮮人と見做され、頭に斧や鳶口が振り下ろされたのです。千田是也や折口信夫も、朝鮮人に間違われて殺されそうになったそうです。しかも、状況が落ち着くと、自分たちがやったことを闇に葬るべくみんなで口を噤んだのです。
詩人の萩原朔太郎は、そんなおぞましい狂気の所業に憤り、「朝鮮人あまた殺されたり / その血百里の間に連らなれり / われ怒りて視る、何の惨虐ぞ」と詠ったのでした。また、自警団の一員であった芥川龍之介は、「大正十二年九月一日の大震に際して」という文章で、朝鮮人虐殺に憤慨する菊地寛から一喝されたことを明かしていました。また、芥川は、そのなかで、朝鮮人がボルシェビキ(共産主義者)の一員であることを信じる、あるいは信じる真似をするのが「善良なる市民の資格」であり、「善良なる市民になることは、――兎とに角かく苦心を要するものである」とも書いていました。
私は、阪神大震災の際、テレビの映像で見た、今でも忘れられないシーンがあります。それは、地震直後、高速道路が倒壊した現場から中継した映像に映っていたのでした。
アナウンサーが興奮した口調で被害の状況を伝えているその背後には、トラックの荷台から落ちた荷物が散乱していました。すると、どこからか野次馬のような人たちが集まってきて、散乱した荷物を物色しはじめたのです。そして、めぼしいものを見つけると、荷物を両腕に抱えてつぎつぎと持って行ったのでした。
それは、夢野久作が見たのと同じ群衆の姿です。四方田氏によれば、そんな群衆のことを「迫害群衆」と言うのだそうです。「迫害群衆」というのは、ドイツのノーベル賞作家・エリアス・カネッティのことばですが、四方田氏は、カネッティと夢野久作はよく似ていると言ってました。夢野久作(杉山泰道記者)は、死体や汚物の臭い、汚れた街の様子、人々の無責任な行動や犯罪行為など、自分の目で見たものをありのままに記事に書いたのです。
私が見たシーンは、地震直後の混乱のなかで予期せず映ったものでしょう。それ以後、そういった生々しい映像を目にすることはありませんでした。その代わりに、「お互いを助け合い」「礼儀正しく」「忍耐強く」「非常時に犯罪もない」「すばらしい日本人」像が、くり返し伝えられたのでした。
四方田氏は、3.11以後のメディア状況についても、夢野久作の『東京人の堕落時代』を引き合いに出して、つぎのように言ってました。
感傷的な美談は積極的に報告するけれど、汚れたもの、臭いもの、在日朝鮮人に関するものは排除するみたいな、そういうことをやっている。だから、被災地から離れた場所に住む人間は、本当に何が生じているのかわからない。ある種のセンチメンタリズムだけがずっと続くという状況が続いている。そして、東京にいる小説家とか知識人は、「フクシマを忘れるな!」、「人類全体の体験だ!」とかオウムのように繰り返しているわけです。世界じゅうで「フクシマを救え」というロックフェスティバルをやる。「収益は、みんなフクシマに」って口実で、みんな浮かれ騒いでいる。
震災直後の状況に「東京人の堕落」を見た夢野久作に、父親・杉山茂丸の影響があったのは言うまでもないでしょう。と、同時にそれは、九州の精神風土と無縁ではないように思うのです。杉山茂丸が深く関わった玄洋社にしても、ただの「右翼」とは言い難い思想的な懐の深さをもっていたのでした。
私の父親も戦前、満州の鉄道会社に勤めていたのですが、私が子どもの頃、「シナ」や「チョウセン」という差別用語を平然と使いながらも、我が家にはいつも近所の「シナ」人や「チョウセン」人のおいちゃんやおばちゃんたちがやって来て、世間話に花を咲かせていました。夢野久作が「東京人の堕落」と言った、その憤りや嘆きには、そんな九州の人間がもっている大陸的な気風や思考も関係しているように思います。
九州の精神風土を掘り下げていけば大陸に行き着くというのはよく言われることです。ナショナルなものを掘り下げていけば、インターナショナルなものに行き着くのです。杉山茂丸や玄洋社のナショナリズムには、そんな回路があったのでした。
一方、平岡正明もまた、かつて『ユリイカ』(青土社)の特集において、『東京人の堕落時代』が「朝鮮人」ということばを使ってないことを取り上げ、それは、夢野久作が「朝鮮人が井戸に毒を投げ入れているというデマを疑い、逆に朝鮮人が日本人に殺されているのではないかという疑問を持った」からではないかと推察していました(『ユリイカ』1989年1月号・「特集=夢野久作」所収、「品川駅のレコードの謎―「東京人の堕落時代」)。そして、そういった”見識”は、「玄洋社・黒竜会という右翼の本流に夢野久作が直結していればこそである」と書いていました。黒竜会の内田良平も、「自分たちの対朝鮮行動が帝国主義者に利用されたことを憤って一度も日韓併合という語を用いなかったし」、震災直後も、朝鮮人暴動がデマであると主張していたそうです。
もし、現代に夢野久作が生きていたなら、今、この国を覆っている排外主義的な風潮に対しても、「日本人の堕落」と断罪したに違いありません。近隣の国を貶めることで自分の国に誇りをもつというのは、なんとも心根が貧しく、それこそゲスの極み乙女ならぬ「堕落」の極みと言うべきでしょう。夢野久作は、『東京人の堕落時代』で、既に今日の「日本人の堕落」を予見していたとも言えるのです。