絶歌


『絶歌』(太田出版)を読み終えました。

『絶歌』は、第一部と第二部の二部構成になっているのですが、第一部と第二部では文体が違っています。著者の元少年Aが長い時間をかけて書いたのは第一部のほうで、第二部は、あとから編集者の要請で書き足したのではないかと思ったくらいです。

第一部は、須磨警察署に逮捕され、神戸家庭裁判所で審判を受け(その間60日間の精神鑑定を受け)、関東少年医療院への送致が言い渡されるまでの約4カ月間の出来事を綴ったものです。そのなかで、事件の”真相”が回想されるのでした。

寺山修司は、人生において読書ができるのは、学生時代か病院に入院しているときか刑務所に入っているときしかない、と書いていましたが、著者も例外ではなく、関東少年医療院に入っているときに、「読書療法」の名目で差し入れられた数々の文学作品によって、読書する楽しみを覚えたと書いていました。影響を受けたのは、三島由紀夫と村上春樹で、なかでも、三島由紀夫の『金閣寺』は「”僕の物語”だと思った」「僕の人生のバイブルになった」と書いていました。

第一部では、そういった読書体験で得た手法を使って、犯行に至る過程や逮捕されたあとの心情を、過剰とも言えるほど凝りに凝った文体で綴っているのでした。あまりに凝りすぎな感じで逆に辟易するくらいでした。

一方、第二部は、第一部と違って簡潔な文体になっています。内容は、2004年4月、関東少年医療院を「仮退院」して、弁護士や篤志家のサポートなどを受けながら、社会復帰していく過程を綴ったものです。でも、当然ながらそれは容易なものではありません。神戸連続児童殺傷事件の少年Aであることがバレそうになって、急遽転居したり、職場になじめず転職したりと、職と住まいを転々とする生活でした。著者もその心境をつぎのように書いていました。

信頼されている?
必要とされている?
社会の一員として受け入れられている?
そんなものはファンタジーにすぎなかった。
自分は周りを騙している。そんな後ろめたさが芽生え、人と関わりを持つことが怖くてならなかった。


一度捨て去った「人間の心」をふたたび取り戻すことが、これほど辛く苦しいとは思わなかった。まっとうに生きようとすればするほど、人間らしくあろうと努力すればするほど、はかりしれない激痛が伴う。


少年Aの犯罪については、神戸家庭裁判所の審判で、精神的な疾患による特異な犯罪と判定され、”刑罰”ではなく治療が必要という結論が下されたのです。さらに、治療を終え、「仮退院」の保護観察期間を経て、更生していると判断されて「本退院」しているのです。既に法的な「縛り」もなくなっているのです。ネットや週刊誌の”ためにする”誹謗や、つぎの諸澤英道氏の発言を考える上で、このことを確認しておく必要があります。

刑法や少年法が専門の常磐大学教授の諸澤英道氏は、朝日新聞の記事(下記参照)のなかで、『絶歌』について、「文学的な脚色が多く、事件と向き合っていくという真摯(しんし)さが伝わってこない」「刑法でのサンクション(制裁)とはレベルがあまりに違い、世間が『罪を償っていない』と感じるのも無理はありません」「過去を清算して新しい人生を歩む覚悟があるなら、少年法で保護された延長線上で匿名のまま発信するのではなく、実名で出版すべきでした」と批判していました。

朝日新聞デジタル
(表現のまわりで)『絶歌』出版を考える:上 加害者は語りうるか 識者に聞く

しかし、少年Aの処分は法律に則っておこなわれ、適切に処理されているのです。異論があるなら元少年Aではなく、裁判所に反論すべきでしょう。まして、匿名で書くか、実名で書くかなんて個人の自由でしょう。諸澤氏の発言は、今の安保法制と同じで、立憲主義ならぬ罪刑法定主義、強いては少年法の理念をもないがしろにする、法律の専門家にあるまじき”感情論”で、これこそ俗情との結託と言うべきです。

『絶歌』を読んだ人の間では、第二部のほうが評判がいいようです。たとえば、アパートを借りる保証人にもなってくれた職場の先輩に、夕飯に誘われて先輩の自宅を訪れた際、小学校に上がったばかりの先輩の娘を見て、激しく動揺する場面があります。

 無邪気に、無防備に、僕に微笑みかけるその子の眼差しが、その優しい眼差しが、かつて自分が手をかけた幼い二人の被害者の眼差しに重なって見えた。
 道案内を頼んだ僕に、親切に応じた彩花さん。最後の最後まで僕に向けられていた、あの哀願するような眼差し。「亀を見に行こう」という僕の言葉を信じ、一緒に遊んでもらえるのだと思って、楽しそうに、嬉しそうに、鼻歌を口ずさみながら僕に付いてきた淳君の、あの無垢な眼差し。
 耐えきれなかった。この時の感覚は、もう理屈じゃなかった。


そして、少年Aは、「食事の途中で体調の不良を訴えて席を立ち、家まで送るという先輩の気遣いも撥ね退け、逃げるように彼の家をあとにした」のでした。自宅に帰るバスのなかでも涙がとまらなかったそうです。

こういう場面に、悔恨と贖罪を読む人も多いはずです。でも、私は、そういう解釈には首を捻らざるをえません。『罪と罰』のラストシーンをあげる人もいますが、なんだか安っぽいテレビドラマを見ているような感じがしないでもありません。現実の人間というのは、ホントにこのようにアプリオリな存在なのでしょうか。もっと屈折しているのではないか。むしろ、この文章で捨象した部分こそ大事なのではないかと思います。

そもそも謝罪なんて受け入れられるものではないと思います。自分の子どもを殺された親が、どんなかたちであれ、受け入れる謝罪なんてないでしょう。

少年Aは、慕っていた祖母が亡くなったあと、祖母が使っていた電気按摩器によって精通を体験するのですが、それが性的倒錯に陥るきっかけになったのでした。

祖母の部屋で初めて射精し、あまりの激痛に失神して以来、僕は”痛み”の虜だった。二回目からは自慰行為の最中に血が出るほど舌を強く噛むようになり、猫殺しが常習化した小学校六年の頃には、母親の使っていたレディースカミソリで手指や太腿や下腹部の皮膚を切った。十二歳そこそこで、僕はもう手の施しようのない性倒錯者になった。


しかも、それは、「死を間近に感じないと興奮できない」「”黒い性衝動”」でもありました。

また、犯行後も、”アエダヴァーム”に隠していた淳君の頭部を手提げバッグに入れ、それを自転車の前カゴに乗せて自宅に持ち帰ると、頭部を風呂場に持って行って、「殺人より更に悍ましい(引用者註:おぞましい)行為に及んだ」のでした。しかも、それ以降2年間、まったく性欲を感じず、勃起もしなかったそうです。

少年のヰタ・セクスアリスがおぞましいかたちで逸脱した、その延長上に少年Aの犯罪があったのです。

 僕と淳君との間にあったもの。それは誰にも立ち入られたくない、僕の秘密の庭園だった。何人たりとも入ってこられぬよう、僕はその庭園をバリケードで囲った。
 凶悪で異常な根っからの殺人者だと思われても、そこだけは譲れなかった。誰にも知られたくなかった。その秘密だけは、どこまで堕ちようと守り抜かなくてはならない自分の中の聖域だった。


こんな性的倒錯の犯罪にどんな悔恨や贖罪があり、どんな謝罪があるというのでしょうか。もはやそれは文学的なことばでしか”説明”がつかないのです。諸澤氏が批判する「文学的に脚色」して表現するしかないのです。要するに、文学という”絶対的自由”によってしか表現できないのではないか。

 居場所を求めて彷徨い続けた。どこへ行っても僕はストレンジャーだった。長い彷徨の果てに僕が最後に辿り着いた居場所、自分が自分でいられる安息の地は、自分の中にしかなかった。自分を掻っ捌き、自分の内側に、自分の居場所を、自分の言葉で築き上げる以外に、もう僕には生きる場所がなかった。


著者は、ものを書くこと(文学)に自己救済の道を見つけようとしているのです。であれば、ありきたりな悔恨や贖罪ではなく、徹底的に悩み苦しみ、人非人としてイバラの道を歩むしかないのです。そして、自分のことばで心の奥深くに分け入り、人間存在の本質にせまるなかで、忌まわしい犯罪を犯したみずからの心の在処をあきらかにすべきでしょう。

『絶歌』には、その姿勢は見てとれます。しかし、まだ序章にすぎないと思いました。
2015.06.24 Wed l 本・文芸 l top ▲