新潮2015年7月号


『新潮』(7月号)に「400枚一挙掲載」されていた金原ひとみの「軽薄」を読みました。

小説としては、登場人物も話の筋立ても荒っぽくて散漫でした。おそらくこの小説を評価する人は少ないだろうと思います。

作者の金原ひとみは、東日本大震災に伴う原発事故のあと、放射能汚染を避けて(?)岡山県に移住し、現在はフランスに住んでいるそうです。その間、次女を出産し、二人の娘の母親になっていたのです。

でも、この作品では、そんな家庭の幸福とは真逆を求める既婚女性が主人公です。

スタイリストとして華やかな世界で仕事をするカナ。カナは、イタリアの服飾ブランドの日本支社に勤める夫と8歳になる息子との三人家族です。カナと夫は、イギリスで知り合い結婚しました。当時、夫は服飾ブランドの日本法人からマーケティングディレクターとしてイギリスに派遣されていて、カナは服飾系の専門学校に留学していました。

しかし、カナの留学にはある事情がありました。カナには、16歳のときから2年間、薬と酒に溺れたような「破滅的な」関係をつづけていた男がいたのです。でも、そんな関係に疲れ、普通の人と「普通の恋がしたい」と思ったカナは、浮気相手と一緒に男のもとから逃げたのでした。それから男は、ストーカーと化し、カナに執拗に付きまとい脅迫するようになったのです。それで、カナは友達の家やキャバクラの寮などを転々として逃げまわっていたのですが、とうとう居場所を知られ、ある日突然、背後からナイフで刺されたのです。それがきっかけで、イギリスに留学したのでした。

なに不自由ない生活。夫も非の打ちどころのないような人物です。過去とはまるて別世界のような日常。しかし、カナはどこか満たされない思いを抱いています。心の空隙を埋めるかのように仕事に生きがいを求めるカナ。しかし、やがて、カナは、その空隙のなかに、あの過去の「破滅的な」恋愛の”しこり”が残っていることを気付かされるのでした。

それは、姉の息子・弘斗との道ならぬ関係によってでした。弘斗は19歳の大学生です。姉一家もまた、長い間、アメリカで暮らしていて帰国したばかりです。弘斗とは幼児のときに会ったきりでした。弘斗もカナと同じように、日本の社会に対してどこか疎外感を抱いているのでした。

 弘斗とのセックスは気持ち良い。でも、それは世界を揺るがすようなものではない。私は、甥と不倫しても壊れない世界に苛立っているのかもしれない。そんな事をしたら世界が変わると思っていたのかもしれない。でも世界は壊れなかった。私の世界を変える人や物は、もうこの人生の中には現れないのかもしれない。そう思ったら苛立ちも消えて、プッチ柄みたいな幾何学模様を見つめている時に抱くような、だから何だという虚無的な気持ちになった。


そう思っていたカナでしたが、弘斗との関係が深まり、さらに弘斗がアメリカで起こしたストカ―まがいの刺傷事件を知り、夫の浮気の気配を感じたりするにつれ、カナの心の奥深くに眠っていた「破滅願望」や「狂気」が再び頭をもたげはじめたのでした。それは、弘斗に対する「執着」だけでなく、過去のあの事件にケリをつけるということでもあります。

私はあの時果たせなかった誠実であり続けるという、自分自身の望みでもあり彼の望みでもあった道を、ここで果たせるのではないかと、自分でも信じれられないような希望を抱いている事に気付く。彼とだったら、私はあの時諦めてしまった、相手に対して誠実に向き合うという行為から逃げずに二人の関係を全う出来るかもしれない。あの時捨てた自分と、あの時捨てた男と、あの時捨てた狂気と、私は邂逅しているような気持ちでいた。


狂気が、また私の中に宿ったのかもしれない。軽蔑し、倫理的に否定し続けてきた非合理的な狂気を、長い時を経て私は今甘受したのかもしれない。(略)
時計の針が帳尻合わせをするように、私は帳尻合わせをしているのだ。善と悪、嘘を真実、希望と諦め、未来と過去、全ての両橋の合間でどこに立てばいいのか、迷いながら自分が倒れないバランスを探している。私はこの思いに全てを差し出すだろう。軽蔑の上に築き上げてきた物ものは、乾いた紙粘土が崩れるように倒壊し、砕け散り、辺りに舞い上がる埃の中、私はそれでもまだ生きていて、弘斗の手を探すだろう。


恋愛というのは大なり小なり「狂気」の要素が含まれているものです。まして不倫のような恋愛であれば尚更でしょう。”背徳”ということばは、決して死語ではないのです。

法事で帰省した折、姉と妹がささいなことで口喧嘩になりました。その際、エスカレートして、「あのとき男を追いかけて行って」とか「あんただって男にお金を貢いで」とか「お金をせびって」とか、ずいぶんきわどい話になったのです。もちろん、いつも●●●桟敷に置かれている私には、初めて聞く話でした。

でも、私は、それを聞いて、なにかホッとしたような気持になったのでした。今の彼女たちは、どこの誰が見てもさえない中年のおばさんでしかありません。しかし、若いときに、そんな世間の人たちから眉をひそめられるような、それこそ親戚が知ったら非難轟々のような非倫理的な恋愛を経験していたことを知って、私は逆に「よかったな」と思ったのです。

人生には「破滅願望」や「狂気」を抱くような瞬間というのはあるはずです。赤裸々な人間性がむき出しになったとき、もうどうなってもいい、そんな気持になることもあるでしょう。非倫理的な恋愛であればよけいそうでしょう。人間は誰しも、墓場までもっていく話がひとつやふたつはあるはずです。それが恋愛に関するものであれば、人生はもっと奥行きができて、色合いも豊かなものになるでしょう。どんな恋愛であれ、「恋愛は人生の花」(坂口安吾)なのです。

この作品は饒舌すぎるのです。それに飾り物が多すぎる。それが小説の魅力を損なっているように思います。

私は、カナと弘斗二人の場面だけで充分のような気がします。18禁のようなセックス描写も、そこに流れる空気感もすごく巧みで惹かれるものがありました。そういった場面だけで小説を構成すれば、もっと読者の想像力をかき立てるような魅力的な作品になったように思います。別に、叔母と甥でなくてもいい。ただの人妻と大学生の話でも、カナと弘斗の世界は充分成り立つように思います。

「破滅願望」や「狂気」を抱かせるような恋愛。たとえさえないおばさんやおっさんになっても、心のなかにはそんなせつなく哀しい思い出はあるのです。私たちにとって、カナや弘斗は決して遠い存在ではないのです。カナや弘斗をとおしてみずからの人生と向き合うこともできるはずです。でも、そのためには、この小説は饒舌すぎるのです。その饒舌さは、平板で倫理的な結婚生活を送っている作者の弁解のように思えないこともありません。


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2015.07.10 Fri l 本・文芸 l top ▲