悲しいだけ


早朝の5時前に目が覚め、ベランダのカーテンを開けて、徐々に白んでゆく外の景色を眺めていたら、途端に、母が亡くなったときの感情がよみがえってきました。そして、帰るべき家がなくなった事実をあらためてしみじみと思い知らされたのでした。

若い頃、藤枝静男の『悲しいだけ』を読んだとき、親が亡くなり帰るべき家がなくなってこの小説を読んだらつらいだろうなと思ったことがありました。今、そのときが訪れたのです。

『悲しいだけ』は、つぎのような文章ではじまっています。

 私の小説の処女作は、結核療養所に入院している妻のもとへ営養物をリュックにつめて通う三十余年前の自分のことをそのままに書いた短編であったが、それから何年かたったとき友人の本多秋五が「彼の最後の近くになって書く小説は、たぶん最初のそれに戻るだろうという気がする」と何かに書いた。そのとき変な、疑わしいような気がしたことがあった。むしろ否定的に思った。
 しかし今は偶然に自然にそうなった。


読者である私も、作者とは別に、いつかこの小説に「戻ってくるだろう」と思ったのでした。

『悲しいだけ』は、妻の死を綴った短編小説です。39年間の結婚生活のなかで、妻が健康だったのは最初の4年間だけでした。肺結核とそのあとに発見された乳癌によって、あとの35年間は入退院と手術のくり返しでした。

小説のなかに、こんな場面があります。

 死期が近づいて全身の衰弱が訪れたころの妻は、腹水の貯溜のための仰臥も横臥もできなくなった身体を、折りたたんで重ねた布団や枕にもたせかけた姿勢で昼夜を過ごしていた。ときおりは細い項を俯向け、絶えずふらつく上体を両手で支えて、小学校時代の唱歌を小声でうたっていることがあった。俯向いたままの顔を僅かに動かして
 「こうしていると気がまぎれるのよ」
 と呟いた。(略)その低い声が、動かしがたい運命の悲しみから無意識に逃れようとする一筋の細道のように思われた。 


死を前にした床のなかで、小声で唱歌を口ずさむ。なんだか私も同じ場面を見たような気がしてきました。そんな日常こそがホンモノで、今のこの日常はニセモノであるような気がします。藤枝静男の小説を読むとそんな気持になるのです。私は、藤枝静男の小説を読むたびに、小説を読んでよかったなとしみじみ思うのでした。

先日、家の電話に田舎の妹からの着歴がありました。おそらく新盆に帰ってくるのかどうか、その確認の電話なのだろうと思います。でも、私は返事の電話もしてないのでした。私も年に一度くらいは墓参りに帰りたいと思っています。でも、姉妹にも田舎の人たちにも、誰にも知られずにひっそりとお墓に参りたいと思っているのです。

人間というのは身勝手なもので、こうして年を取り、今度は自分の番だと思うと、今までめったに帰ることもなかった田舎が、なつかしく思えてくるのでした。”郷愁”と言えばそう言えるのかもしれませんが、ただ、その田舎は、あくまで子どもの頃に見た風景のなかにある田舎なのです。

『悲しいだけ』には、作者が周辺の寺や河川などを訪れ、その風景にみずからの心境を映すような場面がくり返し出てきますが、私は今回は、小説に出てくる地名をパソコンで検索しながら読みました。

すると、初めて『悲しいだけ』を読んだすぐあとに、当時付き合っていた彼女と浜松の周辺をまわったときのことが思い出されてきたのでした。その頃、私は、会社の仕事で名古屋と静岡を担当しており、月に一度、それぞれ出張で訪れていたのですが、名古屋に住んでいた彼女がちょうど浜松の友達のところに行く用事があるというので、仕事を終えた翌日、浜松で落ち合い、周辺をドライブしたのでした。

佐鳴湖という小さな湖に行って、近くのレストランで食事をしたことや、遠州灘の景色を遠くに眺めることができる山の頂きにのぼったことなどを今でも覚えています。そのときずっと頭のなかにあったのは藤枝静男の小説のことでした。その前年に父親を亡くしたということもあり、私のなかでは、浜松の風景と藤枝静男の小説を重ねる気持があったのでしょう。

 妻の手を掌にくるんで握ると、もう冷えていた。曲げた片脚をずらして踏みのばすように動かすのでさすってやると何の反応もなく動きが止まった。それは運動ではなくて、縮めるための緊張をしていた神経が働きを停止して自然の状態に戻る動きであった。


このように、死を看取る作者の目は、医者らしく冷静で客観的なものです。それだけに読む者にはよけいせつない気持が増してくるのでした。作者は、「自分が如何に感覚だけの、何ごとも感覚だけで考え判断し行動する以外のことはできもせずしもしなかった人間であった」と言うのですが、私たちはそういう「感覚」のなかで生を紡いでいるのだと思います。

亡くなった人の目尻に涙の跡が残っていたという話を聞いたことがありますが、ホントなんだろうかと思います。死を前にした床のなかで、自分はなにを思うのだろう。最近、そんなことをよく考えます。私の場合、誰にも看取られず、孤独に死を迎えるのは間違いありませんが、涙を流しながら死ねたらいいなと思います。そんな「無機質」な感覚のなかで、死を迎えたらいいなと思うのです。

「妻の死が悲しいだけ」という感覚が塊となって、物質のように実際に存在している。これまでの私の理性的または感覚的の想像とか、死一般についての考えとかが変わったわけではない。理屈が変わったわけではない。こんなものはただの現象に過ぎないという、それはそれで確信としてある。ただ、今はひとつの埒もない感覚が、消えるべき苦痛として心中にあるのである。


人間の生において最後に残るのは、このような原初的な「無機質」な感覚なのでしょう。

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2015.07.31 Fri l 本・文芸 l top ▲