東京を生きる


雨宮まみの『東京を生きる』(大和書房)を読みました。「東京”で”生きる」でも「東京”に”生きる」でもなく「東京”を”生きる」と書くところに、作者の東京に対する思いが込められているように思います。

地方出身者の哀しい性(さが)というべきか、私のなかには、小説でもエッセイでも写真集でも雑誌の特集でも、「東京」という文字が入っていると、つい手にとってしまう習癖があります。

東京東京東京東京東京東京東京東京東京東京東京東京東京東京東京東京東京東京東京東京東京東京東京東京東京東京東京東京東京東京東京東京東京東京東京東京東京東京東京東京東京東京
書けば書くほど恋しくなる。


少年時代に東京にあこがれた寺山修司は、『誰か故郷を想はざる』(角川文庫)でこう書いたのですが、実は私は、この「恋しくなる」という語句を「哀しくなる」と間違って記憶していたのです。書けば書くほど哀しくなる、と。

私たち地方出身者にとって、東京というのはあこがれであると同時にどこか哀しい存在でもあります。そのあこがれと哀しみの狭間に、地方出身者それぞれの「上京物語」があるのです。

そして、東京に対するあこがれと哀しみの二律背反な思いは、同時に『ふるさと考』(昭和50年・講談社現代新書)で松永伍一が書いていた、故郷に対する「愛憎二筋のアンビバレンツな思い」とパラレルな関係にあります。「追い出す故郷が同時に迎い入れる故郷となる矛盾」。ふるさというのは求心力のようであって実は遠心力でもあるのです。

「書けば書くほど哀しくなる」ような地方出身者の「哀しい性」は、時代が変わってもいっこうに変わることがありません。あえて言うならば、その思いを彩る時代の意匠が変わっただけです。

家賃より高いブランドの服を買い、ときにお金がなくてその服をクリーニングに出すこともままならないような「身の丈に合わない暮らし」。「いつになったら、季節ごとに服を買い替えるような生活をやめられるのだろう。すぐ夢中になり、すぐ飽きてしまうような生活をやめられるのだろう」と著者は自問します。そして、こう書きます。

 すぐに飽きてもいい。つまらなくなってもいい。手に入れたことを後悔してもいい。それでもいいから新しいものに夢中になりたい。刺激が欲しい。刺激が欲しい。刺激が欲しい。


それが資本主義の最先端の都市で生活するということなのです。東京では、誰しもがそんな欲望や刺激から逃れることはできないのです。「欲望が私の神で、それ以外に信じられるものはない。もっと、もっと、と神が耳元で囁き、私はその声に、中途半端にしか応えられない自分に苛立つ」のです。

「ロハスな生活」とか「スローライフ」とか言っても、どこにもロハスな生活やスローライフはありません。そういった商品があるだけです。だったら、欲望にまみれ刺激に狂い、目いっぱい見栄を張って、破滅への道を突き進むほうがよほど自分に正直ではないかと思うのです。少なくとも「東京を生きる」思想があるなら、そういった欲望と刺激のなかにしかないでしょう。

 貯金もないくせに、私はおいしいものを食べ、好きな服を買い、お酒を飲み、本を買い、香水や化粧品を買い、美術館や映画館に行き、上等なタオルや石鹸を使い、自分のものにはならない家にために家賃を払って生きる。
 どこまでが分相応で、どこからが分不相応なのか、私にはわからない。
 いつか、そういう堅実ではない生き方に、天罰が下るだろうか。
 砂の上を、幻を見ながら歩いているような暮らしに、破滅が訪れるのだろうか。
 来るなら来ればいい。私はそれまで、魂に正直に生きる。破滅が訪れることよりも、破滅に遠慮して、悔いの残るような選択をすることのほうがずっと怖い。


しかし、人間というのは哀しい動物で、いくら欲望にまみれ刺激に狂っていても、自分を忘れることはできないのです。それが孤独な心です。自分を変えたい、今までの自分を叩きつぶして欲しいと思って上京したものの、「東京は私を叩きつぶしてくれるほど、親切な街ではなかった」「ただ私はまるでそこに存在しないかのように、そっと黙殺されるだけ」です。

池袋や新宿や渋谷の喧噪のなかにいると、無性にひとりになりたいと思うことがあります。帰りの電車で車窓に映るネオンサインを見るとはなしに見ているときや、スーパーの袋を下げてアパートに帰る道すがらに、ふと抱く底なしの孤独感。

そんな孤独感の裏に張り付いているのが望郷の念です。今の時代に望郷の念なんて言うと笑われるだけかもしれませんが、しかし、そういった湿った感情は、多少の濃淡や色彩を変えつつも、いつの時代にあっても私たち地方出身者の心の奥底に鎮座ましましているはずです。

 (略)困ったとき、自分が東京で食べていけなくなったとき、逃げ場として心の中で実家を頼っていること。
 あんなところに帰るのは嫌だ、と言いながら、同時に、自分に故郷の悪口を言う資格なんてない、と思う。
 嫌だ嫌だと言っておきながら、故郷を最後の保険にしている。帰る場所として頼っている。


ここには松永伍一が言う「追い出す故郷が同時に迎い入れる故郷となる矛盾」が表現されていると言えます。

個人的なことを言えば、親が亡くなり帰る場所がなくなったら、途端に望郷の念におそわれている自分がいます。それは、むごいほど哀しい感情です。欲望にまみれ、刺激に狂った思い出と、もはや帰るべき家もなくなった望郷の念。その二つの思いを胸に、これからも東京を生きていくしかないのです。「東京を生きる」には、そういった祭りのあとのさみしさのような”後編”があることも忘れてならないでしょう。
2015.08.30 Sun l 本・文芸 l top ▲