自民党の谷垣禎一、公明党の井上義久両幹事長らは9日午前、東京都内のホテルで会談し、安全保障関連法案の16日の成立を目指すことを確認した。衆院で再可決する「60日ルール」を使わず、参院で成立を図ることでも一致した。与党は16日に参院平和安全法制特別委員会で採決し、同日中にも参院本会議で可決、成立させる構えだ。
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<安保法案>「16日成立」確認 自公幹事長が会談
毎日新聞 9月9日(水)13時12分配信
現金なもので、成立の公算が大きくなるにつれ、それまで安保法制一辺倒だった民主党の某議員のブログも、徐々に安保法制以外の話が多くなっています。
8月30日に反対派が呼びかけた国会前の「総がかり行動」では、主催者の発表で35万人(実数は6万~12万と言われています)が集まり、なかには「60年安保を凌ぐ盛り上りだった」と言う人さえいます。
フリーのジャーナリスト・田中龍作氏が主宰する田中龍作ジャーナルには、当日の様子について、次のような”迫真のルポ”が掲載されていました。
「龍作さん、決壊した!」。友人のカメラマンが怒鳴った。数えきれないほどの市民が国会議事堂前の車道に出ている。
午後1時40分。警察の規制線が決壊したのだ。
「アベは退陣、アベは退陣」。シュプレヒコールをあげながら若者たちが先導した。警察は懸命に抑え込もうとしたが、洪水となった人々を抑え込むことはできなかった。
両側で10車線の広い車道は、戦争法案に反対する人々で埋め尽くされた。
日比谷公園の集会を終えた市民も続々と押しよせた。「10万人国会包囲」は現実のものとなったのである。
30年余り続いたエジプトのムバラク独裁政権を倒した「タハリール広場」の集会(2011年1~2月)のように、国会前を占拠し続ければ、安倍政権は倒れる。
田中龍作ジャーナル
【国会前発~第1報】「戦争法案反対」10万人 警察の規制線決壊
しかし、翌日、国会前はいつもの平穏な朝が訪れ、いつもの日常を取り戻したのでした。翌日の記事で、田中龍作氏も書いているように、それは「2時間余りの革命」にすぎなかったです。でも、田中氏は、「安倍政権がある限り革命の火種となり燻(くすぶ)り続けることだろう」と書いていました。
田中龍作ジャーナル
くすぶり続ける革命の火種 国会包囲ルポ
ところが、SEALDsは、田中氏の言う「決壊」は、警察が公道を解放してくれたお陰だとして、警察にお礼を言っているのです。たとえ12万人が集まっても、それはエジプトの「タハリール広場」の熱気とは比べようもなく、みんなでお揃いのプラカードを掲げ、お揃いのシュプレヒコールをあげて、「安倍政権は追い詰められている」といういつものおためごかしの”総括”と万雷の拍手で解散して、ただ帰っていっただけなのです。
あれから10日経った現在、野田聖子氏を応援するという「戦略的思考」も頓挫して安倍は無投票で再選され、状況は一気呵成に強行採決へと傾いています。創価学会の反対署名も1万人足らずしか集まらず、”三色旗の造反”も、所詮はマスコミに乗せられた夢想にすぎないことがわかりました。これでは、「60年安保を凌ぐ盛り上り」「蟻の一穴」という声も空しく響くばかりです。
そして、案の定と言うべきか、SEALDsなどは、この怒りを来夏の参院選にぶつけようというようなことを言い出しています。こうやってものみな”選挙の宣伝”で終わるのです。
安保法制に対する民主党の「反対」が面従腹背であるのは、誰が見てもあきらかです。10月から割り当てがはじまるマイナンバー制度に対しても、民主党は推進する立場でした。民主党は、自民党や財務・警察官僚にとって長年の悲願であった国民総背番号制を、「マイナンバー」と言い替え政策として掲げていました。それは安保法制も同じで、対米従属を前提とする「国際貢献」は、自民も民主も維新も次世代もみんな共有しているのです。
8.30の国会前デモで12万人が集まったと言っても、それは空虚なものでしかありません。何度もくり返しますが、反原発の官邸前デモが野田首相(当時)との面会に収斂され、そのエネルギーが雲散霧消したように、今回の国会前デモも、野党の国会対策と選挙の宣伝に収斂され、雲散霧消するのは目に見えています。
SEALDsを支持するある人物は、SEALDsを批判する人間のなかにあるのは、「嫉妬」と「肥大化した自己愛だ」と言ってましたが、お揃いのプラカードを掲げ、お揃いのシュプレヒコールをあげて、おためごかしの”総括”に万雷の拍手を送るような人たちに比べたら、「肥大化した自己愛」のほうがまだしも希望があるように思います。
坂口安吾が言うように、政治という粗い網の目からこぼれ落ちるのが私たち人間なのです。「戦争反対」は、お揃いのプラカードやシュプレヒコールのなかだけにあるのではないのです。
日本がもしコミュニストの国になったら(それは当然ありうることだ)、僕はもはや決して詩を書かず、遠い田舎の町工場の労働者となって、言葉すくなに鉄を打とう。働くことの好きな、しゃべることのきらいな人間として、火を入れ、鉄を炊き、だまって死んで行こう。
(一九六〇年八月七日)
(「一九五六年から一九五八年までのノートから」・構造社『日常への強制』所収)
石原吉郎は、60年安保の最中にこう書いたのですが、このようことばのなかにある政治こそ大事なのではないか。どうして「自己愛」がいけないのか。プロレタリア文学が「虐げられた人民」の口を借りて称揚した「自己犠牲」の政治なんかより、言うなれば「自己愛」の日常のほうがはるかに価値があるという共通認識は、既に私たちのなかにあったはずです。
「自己犠牲」の政治の先にあるのは、「犠牲を払ってがんばっている人間を批判するのか」「犠牲を払わないお前たちに批判する資格はない」という倫理を傘に着た自己正当化と絶対的な正義や多数を背景にした排除の論理です。そういった政治のことばに右も左もないのです。
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