テレビで川島なお美の激やせした姿を見たときはびっくりしました。もっとも、肝内胆管ガンの場合、手術の場所によっては、消化器の機能が一時的に失われるので、それが回復するまでは激やせすることもあるそうです。ただ一方で、肝内胆管ガンが他のガンに比べて、予後がきわめて悪い病気であるのもたしかなようです。

そして、案の定と言うべきか、テレビ出演から数日後、公演中のミュージカルと11月から公演が予定されている次回のミュージカルも併せて降板することが発表されたのでした。

川島なお美と言えば、ワイン好きで有名で、ボジョレヌーボーの解禁日のイベントなどに、ミニチュアダックスフントの愛犬を連れて出てくるお約束の人物でした。また、青学出身ということもあって、『なんとなく、クリスタル』の登場人物とオーバーラップするところもあり、そのためか田中康夫とセットでよく出ていた時期もありました。

昔は、ちょっと生意気で高慢ちきなイメージがありましたが、その激やせした姿からはそんなイメージは微塵も伺えず、川島なお美らしさもすっかり消えていました。

今や二人に一人がガンに罹る時代で、早期発見であればガンは怖い病気ではないと言われますが、しかし、そうは言っても、ガンが死を連想する病気であることには変わりはないのです。そんな病気と向き合わねばならない苦悩たるや、私たちの想像を越えるものがあるはずです。

また、今日のワイドショーでは、北斗晶がみずからのブログで、乳ガンを告白したというニュースが大きく扱われていました。報道によれば、北斗晶の場合、ガンの進行が速いらしく、既に脇の下のリンパ節に浸潤(転移)しているそうです。

余談ですが、私は、北斗晶と佐々木健介がまだ結婚する前、原宿の知り合いの店で二人に会ったことがあります。プロレスファンの店のオーナーと顔見知りだったみたいで、私が店で油を売っていたら二人がふらりとやってきたのでした。オーナーから「健介さんにサインをもらったら?」と言われましたが、私はプロレスにまったく興味がなかったので、失礼にも「いいです」と断ったことを覚えています。そのときの二人の印象は、今、テレビで見る印象とまったく同じでした。

昔、入院していたとき、同じ病院に筋ジストロフィーの病棟がありました。当時は、今と違って筋ジストロフィーは不治の病と言われ、患者の多くは20歳前後で亡くなっていました。それでも、子どもたちは”院内学級”で、文字を覚え、計算の仕方を覚え、歌を歌い、絵を描いて、普通の子どもたちと同じように勉強していました。

筋ジフトロフィーの小児病棟を担当するドクターは、「もしかしたら明日になったら画期的な治療法が見つかるかもしれないのです。みんなそう思って治療に当たっているのですよ」と言ってました。私は、それを聞いて、「絶像の虚妄なること亦希望に同じ」という魯迅のことばを思い出したのでした。

決して気休めではなく、絶望の先にも希望はあるのです。

追記:
この記事をアップして1時間半後、川島なお美が亡くなったというニュースが流れました。
2015.09.24 Thu l 芸能・スポーツ l top ▲