久しぶりに高校時代の同級生にメールしたら、入院しているお母さんの容態が悪くて、病院から何度も呼び出しを受け、仕事も休んで待機している、と返事がきました。私は、なんと返信していいかわからず、そのままにしています。
また、昨日は突然、田舎の姉から電話がありました。妹の携帯がつながらなくなっているけど、妹からなにか連絡があったかという問い合わせでした。でも、家の電話はつながるそうなので、ただ、携帯を換えただけなのでしょう。
どうしてわざわざそんな電話をかけてきたのかよくわかりません。母親の一周忌のことで姉妹の間で意見の相違があるらしく、私にはさっぱり事情が掴めない愚痴をこぼしていましたが、そんな姉の声がいつになく年寄りじみて聞こえました。私は、電話の内容よりその声になんだかひどく気が沈んだのでした。
もちろん自分も含めてですが、みんなすっかり年老いてしまったのです。文字通り、黄昏の時間を迎えているのです。年をとればとるほど自分でままならないことが多くなり、そうやってひとり気をもんで取り越し苦労をするのでしょう。
電話を切ったあと、テレビから流れてくるワイドショーのキャスターの甲高い声が耳触りでなりませんでした。それに、彼らがもっともらしく喋っていることもなんだかいかがわしく聞こえて、嫌悪感すら覚えるのでした。
藤枝静男が61歳のときに書いた「厭離穢土」(1969年)という小説に、こんな場面があります。入院している「私」のもとに姪が見舞いにきて、83歳になる母親の、金銭や性に執着する「耄碌ぶり」についてひとしきり愚痴をこぼして帰ったあと、「私」はこう思います。
さらにその夜、「消灯してから眠れぬままに叔母のことをいろいろ考え」ます。さまざまなしがらみや因習のなかで農家の嫁を全うした叔母の人生。叔母も近いうちに小学生の頃通学路の脇にあったあの共同墓地に行くのだなと思います。そして、同時にみずからの死についても考えるのでした。
どう自分に死を納得させるのかと言っても、とても納得なんかできないでしょう。医師として医学的に死を熟知している藤枝静男にしても、みずからの死に対しては恐怖と苦悩を抱くのでした。そんな彼が思い出したのが、学生時代に学んだdas Ekel(嫌悪)というドイツ語の単語だったのです。それはトーマス・マンの「道化者」という短編小説に出てきた単語でした。
定期的に通っている病院のシャトルバスの運転手のおじさんが、70歳になり派遣会社から「雇い止め」されたと聞いたので、「お世話になりました」と挨拶したら、「定年になってからそのあとが長いんだよなあ」としみじみ言ってました。年金が少ないので、今度は牛乳配達のアルバイトをするのだそうです。
黄昏を生きると言っても人さまざまですが、でも、生活のために働かなければならないというのは、(もちろんそれはそれで大変でしょうが)かえって幸せなことではないかと思いました。
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『33年後のなんとなく、クリスタル』
また、昨日は突然、田舎の姉から電話がありました。妹の携帯がつながらなくなっているけど、妹からなにか連絡があったかという問い合わせでした。でも、家の電話はつながるそうなので、ただ、携帯を換えただけなのでしょう。
どうしてわざわざそんな電話をかけてきたのかよくわかりません。母親の一周忌のことで姉妹の間で意見の相違があるらしく、私にはさっぱり事情が掴めない愚痴をこぼしていましたが、そんな姉の声がいつになく年寄りじみて聞こえました。私は、電話の内容よりその声になんだかひどく気が沈んだのでした。
もちろん自分も含めてですが、みんなすっかり年老いてしまったのです。文字通り、黄昏の時間を迎えているのです。年をとればとるほど自分でままならないことが多くなり、そうやってひとり気をもんで取り越し苦労をするのでしょう。
電話を切ったあと、テレビから流れてくるワイドショーのキャスターの甲高い声が耳触りでなりませんでした。それに、彼らがもっともらしく喋っていることもなんだかいかがわしく聞こえて、嫌悪感すら覚えるのでした。
藤枝静男が61歳のときに書いた「厭離穢土」(1969年)という小説に、こんな場面があります。入院している「私」のもとに姪が見舞いにきて、83歳になる母親の、金銭や性に執着する「耄碌ぶり」についてひとしきり愚痴をこぼして帰ったあと、「私」はこう思います。
姪が立ち去ったあとで夕食が来たが、食べる気にならなかった。肉親の叔母が、いま抑圧のとれた痴呆の世界に入ってやっと本来の自分に帰り、そして何十年のあいだ胸中にヘシ曲げられていた彼女の厭わしい欲望がぞろそろと正体を白日のもとに現しはじめたと思うと、何だか眼の前の膳のうえの魚がきたなく見えた。そしてやはりこの魚が結局は自分自身の姿であることを思い、厭世的な気分がゆっくり自分の胸を閉ざして行くのを感じた。
さらにその夜、「消灯してから眠れぬままに叔母のことをいろいろ考え」ます。さまざまなしがらみや因習のなかで農家の嫁を全うした叔母の人生。叔母も近いうちに小学生の頃通学路の脇にあったあの共同墓地に行くのだなと思います。そして、同時にみずからの死についても考えるのでした。
(略)来るべき死に対する恐怖の内容は、自分自身の硬直した死体とか、死臭とか、腐敗とか、焼亡とかいうような厭わしい肉体の崩壊を空想する生理的恐怖と、それに伴って永遠の闇黒世界に消え去って無に帰する自分への執着から生まれる恐怖である。
私は、自分がどう理屈をつけようと、感覚的には到底この恐怖にうち克つ見込みのないことを観念している。「諦めきれると諦め」ている。結局、私はせめて死をEkelに満ちた自己から脱却し得る手段と考え、いくらかでもそれをバネにして最期の時を迎える他ないのであろう。
どう自分に死を納得させるのかと言っても、とても納得なんかできないでしょう。医師として医学的に死を熟知している藤枝静男にしても、みずからの死に対しては恐怖と苦悩を抱くのでした。そんな彼が思い出したのが、学生時代に学んだdas Ekel(嫌悪)というドイツ語の単語だったのです。それはトーマス・マンの「道化者」という短編小説に出てきた単語でした。
定期的に通っている病院のシャトルバスの運転手のおじさんが、70歳になり派遣会社から「雇い止め」されたと聞いたので、「お世話になりました」と挨拶したら、「定年になってからそのあとが長いんだよなあ」としみじみ言ってました。年金が少ないので、今度は牛乳配達のアルバイトをするのだそうです。
黄昏を生きると言っても人さまざまですが、でも、生活のために働かなければならないというのは、(もちろんそれはそれで大変でしょうが)かえって幸せなことではないかと思いました。
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