
深夜、ラジオを聴いていたら、中森明菜の「スローモーション」とかぐや姫の「神田川」がつづけて流れてきました。「スローモーション」は1982年、「神田川」は1973年の曲で、10年近くの時代的な開きがあるのですが、今あらためて聴くと、「スローモーション」の”歌謡曲的世界”に圧倒され胸が震えました。
若い頃の私は、「神田川」のほうが好きでした。しかし、それなりに人生の辛酸を舐めた現在、「スローモーション」のほうが心に沁み入ってくるのです。おそらく「スローモーション」には、メロディだけでなく、歌の世界を表現することばに”普遍性”があるからでしょう。あるいは、それをことばの”重力”と言い換えてもいいのかもしれません。もちろん、「スローモーション」に”普遍性”や”重力”をもたらしたのは、来生えつこ(作詞)や来生たかお(作曲)ではなく、中森明菜です。
そして、私は、最近再読した平岡正明の『山口百恵は菩薩である』(講談社文庫)のなかのつぎの一節を思い出したのでした。
(引用者註:フォークが)決定的にだめなことは反社会性がないことだ。反体制まではいく。しかし、そこでとどまり、中産階級の自足のなかにひき返す。思想本来の姿では反体制は変態性を通って反社会性を出るのであるが、フォークはそれを遮断し、シカトウを決め込んでいる。反社会性の核心は、破壊ということである。個人原理を社会性や国家の上位におき、快楽と労働の嫌悪と暴力と、総じてルンペン・プロレタリアート的実存のもとに、改良ではなく、革命を熱望するこころである。ジャズ、艶歌、ロックンロールにはこの方向がある。フォークは安全音楽である。
また、平岡正明は、「流行歌は、作り手と歌い手が別でなければならない」と書いていました。「歌謡曲は作り手、歌い手の角逐のなかに、聴衆の欲望という巨大な第三者を吸引するのであって、シンガー・ソングライターは、中産階級の日常生活における感傷を代弁したとたん聴衆の日常性にはりついて終わるのだ」と。平岡正明は、中産階級はその「知の性質」によって、資本主義総体を見ることができないと書いていましたが、それはとてもよくわかる話です。
『山口百恵は菩薩である』の単行本が刊行されたのが1979年です。私がまだ「神田川」に涙していた頃です。
『山口百恵は菩薩である』を読むと、このブログでも再三書いていますが、山口百恵や中森明菜や松田聖子が如何にすごいのかということがよくわかるのです。人生の甘いも酸いも知った(と思っている)いい年こいたおっさんでさえそう思うのでした。五木寛之流の言い方をすれば、彼女たちは、間違いなく「時代と寝た」のです。
『山口百恵は菩薩である』には、数々の箴言がちりばめられています。その箴言の背後には、朝鮮の港湾労働者のメロディを母胎に生まれたと推定する艶歌論や、「日本の敗戦こそ、抗日戦争が革命戦争に飛翔する決定的時点だった」と夢想する汎アジア革命論への論理的飛躍が伏在しているのでした。まさに平岡正明の面目躍如たるものがあります。
美空ひばりから山口百恵への転換は戦後史の転換である。
一つの音楽の方向が、「社会の半分を表現する多くの才人」ではなしに、まさに山口百恵によって開花していったのは、山口百恵におけるプロレタリアートの勝利である。
山口百恵は地涌の菩薩である。地涌の菩薩は仏教的に表明されたプロレタリアートの原像である。
山口百恵の歌は、日本社会の最深部とまでは断言しないが、ジャズがどうしても到達できなかった深部にはとどいている。
若いとき、高円寺のスナックでたまたま隣り合わせた人から、「スター誕生」の予選に出場したときの話を聞いたことがあります。当日、遅れてやってきた中学生の女の子がいて、新聞配達のアルバイトをしているので遅刻したと言っていたそうです。その中学生がのちの山口百恵だったとか。
酔っ払いの話なのでどこまでホントかわかりませんが、しかし、実際に中学生のとき、お母さんが脊椎の病気で入院したために、彼女は5歳下の妹の世話をしながら、読売新聞の朝刊を配達するアルバイトをはじめているのです。
山口百恵は! デビュー以前、中学一年の夏休み、朝四時半に朝刊配達のアルバイトをし、新聞の束をかかえてアパートの五階へ駆けのぼったり、丘をかけおりたりする途中見たであろう屋根のきれめの横須賀の海を、「横須賀ストーリー」で、〽急な坂道駆けのぼったら、今も海が見えるでしょうか、と謳って感覚を全開放して、原体験の昇華を歌で行って以来、歌をもって、貧民的実存を民衆の品位に昇華しつづけている。
その山口百恵が、やがて富士フィルム・グリコ・花王・トヨタ・国鉄などこの国を代表する企業のイメージソングを歌い、この国の資本主義の「シンボリズムの華」になっていくのです。そして、結婚引退は、そういった「資本主義のシンボリズムの華であることを背負い込まされた山口百恵の実存の反撃」である、と平岡正明は書いていました。
「私生児として生まれ、生活保護を必要とした母子家庭に育った子ども」が、愛する人と幸せな結婚生活を夢見ることこそ「プロレタリアートの実存」と言うべきで、そうであるがゆえに私たちにもその気持は痛いほどよくわかるのです。
松田聖子は若干違いますが、山口百恵や中森明菜は生活のために歌手になったのです。年端もいかない少女がそう選択しなければならない「貧民的実存」。平凡な歌詞でも、彼女たちが歌うと、どこかはかなげで陰影の深いことばになるのは、そこに彼女たちの生い立ちや生き方が露出しているからでしょう。
そんなリアルに生の実感を得ることができた時代がかつてあり、そのなかに山口百恵や中森明菜や松田聖子が(まるで菩薩や女神のように)屹立していたのです。アイドルは文字通りスターでもあったのです。
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