先日の『山口百恵は菩薩である』の記事を書いたあと、ずっとスマホに中森明菜の歌を入れて聴いているのですが、あらためて中森明菜のすごさを実感しています。

最初はレコード会社のキャッチフレーズで「歌姫」と呼ばれていたのですが、やがてそんなレコード会社のよこしまな思惑を越えて、中森明菜は正真正銘の「歌姫」になったのでした。

私が好きなのは、加藤登紀子作詞作曲の「難破船」です。これほど中森明菜の才能を感じさせられる歌はありません。「スローモーション」や「セカンド・ラブ」もすごいけど、「難破船」は文字通り「歌姫」と呼ぶにふさわしい歌だと思います。

それは、加藤登紀子の歌と比べてみると一目瞭然です。同じ「難破船」でも、その描く世界はまるで違うものになっているのです。なにより歌の深さが違います。ことばに陰影があり、聴く者の胸に激しくせまってくるのです。そこに中森明菜の才能があるのだと思います。

若い人にはわからないかもしれませんが、年をとってみずからの人生をふり返ると、中森明菜が「難破船」で歌いあげるような世界は、たしかに私たちのなかにもあるのです。私たちはそのなかで、人知れず生きるかなしみに涙するのです。恋は、メタファにすぎません。中森明菜が「難破船」で描いた世界は、藤枝静男や大庭みな子の小説の世界にも通じるものがあるように思います。

昨夜、夢のなかに亡くなった母親が出てきて、今日は一日中しんみりした気持になったのですが、そんなときはよけい中森明菜の歌が心に染み入るのでした。

平岡正明が言うように、感情をもつことは絶対的に正しいのです。私たちが生きているのは、国家のためでも社会のためでもなく、ほかならぬ私自身のためです。私的な感情がすべてであり、私的な感情から生まれたことばを紡いで私たちは自分を表現し、そして日々生きているのです。中森明菜が描く世界は、そんな私たちのなかにある絶対的な世界に隣接しているのだと思います。

中森明菜が気が強くて感情の起伏が激しく、完全主義者でわがままなのは有名な話です。恋人でもあったマネジャーにも、なにか気に食わないことがあると灰皿を投げつけていたそうです。その感情の起伏の激しさが、自殺未遂を起こしたりするのですが、一方でそれが彼女を「歌姫」にしたとも言えるのです。

中森明菜が本格的にカンバックできないのは、事務所のマネジーメントの弱さだけでなく、彼女の性格も災いしているように思えてなりません。たしかに、「歌姫」の名声をパチンコメーカーに安売りしている今の姿は見るに忍びないものがありますが、でも、彼女が戦後歌謡史に残る「歌姫」であることには変わりはないのです。山口百恵に負けないくらいの「歌姫」の神話を作っているのは、否定すべくもない事実でしょう。

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難破船 中森明菜
2015.11.16 Mon l 芸能・スポーツ l top ▲