拉致被害者たちを見殺しにした安倍晋三と冷血な面々


元共同通信政治部記者の野上忠興氏が書いた『安倍晋三 沈黙の仮面 その血脈と生い立ちの仮面』(小学館)のなかに、「安倍が異様なまでに安保法案を『9月18日』にこだわったのはなぜだったのか」という文章があります。

 実はこの日程は、安倍が売りにしてきた拉致問題に絡んでいた。「9月18日」は、北朝鮮が日本政府に「1年程度を目標に再調査結果を報告する」と通告してきてからちょうど1年目にあたる日だったのである。
(略)
 この日が安保法案の参院強行採決と重ならなければ、新聞各紙には「北朝鮮の拉致被害者調査再開から1年、進展なく」などと北朝鮮外交の失敗が大きく報じられていたはずだ。国民的関心も高く、安倍にとって「売り」であった拉致問題での失敗は、当然ながら本人が株価とともに最も気にする内閣支持率に大きな影を落としかねない。それが安保法案にかき消され、拉致被害者調査が暗礁に乗り上げている実相は国民の目に触れないまま忘れられる格好になった。


2014年7月の日朝局長級協議で、拉致被害者らの「再調査」のための「調査委員会」の設置合意を受けて、安倍政権は北朝鮮に対する経済制裁の一部解除を決定したのですが、「再調査」の報告はその後再三延長された挙句、結局、「反故」にされたと日本政府は説明しています。

そのため、日本政府は、朝鮮総連の許宗萬(ホ・ジョンマン)議長の次男らをマツタケの不正輸入の容疑で逮捕して圧力を強めていますが、もし日本政府の言うことが本当であれば、拉致問題を政治的なパフォーマンスに利用するだけの安倍政権に対して、北朝鮮が一枚も二枚も上手だった、したたかだった、という見方もできるでしょう。

一方、拉致被害者・蓮池薫氏の実兄で、「北朝鮮による拉致被害者家族連絡会」の事務局長であった蓮池透氏は、新著『拉致被害者たちを見殺しにした安倍晋三と冷血な面々』(講談社)で、北朝鮮が報告をしたくても日本側の都合で報告できないのではないか、と書いていました。もちろん、「再調査」とか「報告」とかいったものがまったくのカマトトであるのは言うまでもありません。常識的に考えても、全体主義国家が、拉致被害者や残留日本人(妻)の動向(生死)を把握してないはずがないのです。

また、拉致問題に詳しいジャーナリストのなかには、非公式に「報告」を受けているけど、政治的な事情で、日本政府がそれを公表できないのではないかという見方もあります。このように拉致問題は、「再調査」の「報告」ひとつとっても、一筋縄ではいかないのです。

問題は、蓮池氏も書いているように、拉致問題の解決の「定義」がはっきりしてないことでしょう。要するに、”落としどころ”が決まってないからです。これでは、「報告」のたびに、北朝鮮に対するバッシングだけでなく、日本政府の”弱腰”にも批判が集まるのは当然で、そんな解決の糸口が見えない状況に”苦慮”しているのは、日本政府も同じだというわけです。

私は以前、事務局長を解任されたあとの蓮池氏の講演を聞いたことがありますが、同書は講演のときにも触れていなかった「家族会」やその支援組織である「救う会」(北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会)の”内情”を赤裸々に書いているので驚きました。それは各章の見出しによく表れています。

序章 「救う会」に乗っ取られた「家族会」
第一章 拉致を使ってのし上がった男
第三章 拉致被害者を利用したマドンナ
第五章 「救う会」を牛耳った鵺
第七章 カンパを生活費にする男

「拉致を使ってのし上がった男」や「拉致被害者を利用したマドンナ」や「『救う会』を牛耳った鵺(ヌエ)」や「カンパを生活費にする男」」が誰を指すのか。獅子身中の虫は誰なのか。拉致問題に少しでも詳しい人たちには明々白々でしょう。

「家族会」は収支決算報告をしたことがないそうです。著者が「横田ファンド」と呼ぶカンパで集まった億単位のお金は、横田滋氏がひとりで管理しているのだとか。「家族会」から「救う会」に渡った1千万単位のお金。「家族会」の事務局専従としてM氏に支払われた給与。挙句の果てに、「家族会」も「救う会」もお金がらみで内紛が起きるのでした。

この本のなかで、私があらためて興味をもったのは、2004年6月に蓮池薫・祐木子夫妻が上京し、赤坂プリンスホテルで、横田めぐみさんの情報を家族に伝えたその内容です。蓮池薫氏は、「たとえ、めぐみさんの消息にとってネガティブな情報であったとしても、断腸の思いで話した」と言っていたそうです。

①めぐみさんは、精神的にかなり病んでいた。
②めぐみさんのDVが激しく、娘のウンギョンさんは、たびたび同じ招待所に住む弟、蓮池薫の家に避難してきた。弟は、ウンギョンさんを歓待した(ウンギョンさんは、うちの三番目の子どものような存在だ、と弟は語る)。
③めぐみさんは、自分の髪の毛を自身の手で切る。洋服を燃やすなどの奇行を繰り返していた。
④めぐみさんは何度かの自殺未遂をしている。
⑤めぐみさんは、北朝鮮当局に対して、「早く日本に帰して」「お母さんに会わせて」と、盛んに訴えていた。弟は何度も止めるように促したが、彼女は受け入れなかった。
⑥夫の金英男氏は、めぐみさんとの結婚について、当局に騙されたといっていた。
⑦めぐみさんは二回、招待所からの脱走を試みた。一回は平壌空港を目指し、もう一回は万景峰(マンギョンボン)号が係留される港を目指した。その際、北朝鮮当局に発見され、拘束された。
⑧このため、弟一家や同じ招待所に居住する地村さん一家は連帯責任を問われ、「山送り(=強制収容所行き)」の危機に晒された。だが、弟たちの必死の請願により、それは免れた。その代わり、めぐみさんは、義州(ウィジュ)という場所にある四九号予防院(精神科病院)へ送られることとなった。
⑨その後、夫の金氏は、「何があっても一切の異議を申し立てない」という誓約書を書かされた。
⑩一九九四年三月、病院に向かうめぐみさんが乗ったクルマを見送った。それ以降、めぐみさんに会うことはなかった。
⑪夫の金氏は、数年後に再婚し、息子をもうけた。


しかし、母親の横田早紀江さんは、話自体を否定するのだそうです。蓮池薫氏は、「せめて、聞いたけれども信じたくないといってほしい」と嘆いていたのだとか。

ちなみに、横田夫妻は、滋氏が「宥和派」 、早紀江さんが「強硬派」で、意見が噛み合わず喧嘩になることもあるそうです。一方で、そういった意見の相違を利用して、北朝鮮は横田夫妻にさまざまなゆさぶりをかけているのです。

ジャーナリストの田原総一郎氏は、「横田めぐみさんらの拉致被害者は生きていない。外務省もそれをよく知っている」とテレビで発言し、1千万円の慰謝料を求める民事訴訟を起こされたのですが、蓮池氏も書いているように、「拉致問題に関して、日本政府の政策や『家族会』の意向に異論を唱えることがタブー化している」のは事実でしょう。

北朝鮮が「報告」できない理由(日本政府が「報告」を受けていても発表できない理由)は、このあたりにあるのかもしれません。

拉致問題を利用した政治家や反共(反北朝鮮)運動の活動家たち。「経済制裁をすれば北朝鮮はもがき苦しむ。そして、どうしようもなくなって日本に助けを求めてくる。ひれ伏して謝り、拉致被害者を差し出してくる」とか、北朝鮮に自衛隊(?)を派遣して奇襲作戦で拉致被害者を奪還するとか、そんな荒唐無稽な「強硬論」を利用し偏狭なナショナリズムを煽ることで名を売って、権力の階段を一気に駆け上がったのが安倍晋三氏です。しかし、小泉訪朝で拉致被害者5名が帰国した際、北朝鮮との約束だからと北朝鮮に戻ることを一貫して主張したのが、ほかならぬ当時小泉内閣の官房副長官であった安倍晋三氏なのです。そして、荒唐無稽な「強硬論」を煽ることで自縄自縛になり、その勇ましい声とは逆に拉致問題を停滞させたのも彼なのです。

私たちを政治利用する国会議員は、党派を問わず、タカ派と呼ばれる人が多い。見分け方は簡単である。そういう人は、間違いなくブルーリボンバッチを付けている。そして、必ずといっていいほど、北朝鮮に対して強硬な主張をする。
「今度帰ってこなければ、制裁復活だ。さらに追加制裁を要求する」と。


巻末では、蓮池透氏とジャーナリストの青木理氏が対談をしていましたが、そのなかで、青木氏はつぎのように安部首相の姿勢を批判していました。

 拉致問題を最も政治的に利用したのが安倍さんだったといっても過言ではないと思います。経済制裁をやるだけなら、誰でもできるでしょう。


日朝首脳会談後の日本の姿勢、特に安倍政権の対北政策は、ひたすら圧力をかけていれば北朝鮮が困って折れてくるはずという、単純皮相なものでした。


中国ばかりか韓国との関係すらぶち壊しておいて、日朝関係や拉致問題が前進するわけがないということです。歴史問題や靖国問題で中国や韓国を怒らせておいて、拉致問題の解決に向けた協力は得たい、というのはムシがよすぎる。


また、拉致被害者・蓮池薫氏のつぎのような発言も考えさせられるものがありました。

「頭でわかっていても抑えられない感情が相手にあることを理解するべきだ。それを刺激してはいけない。日本と朝鮮半島の過去の事実を踏まえながら今後の関係を発展させていくヒントはそこにある」


でも、こういった声も、安倍晋三氏には馬の耳に念仏でしょう。いつものようにせせら笑うだけでしょう。それがこの国の総理大臣なのです。
2015.12.21 Mon l 本・文芸 l top ▲