
いわゆる「従軍慰安婦」問題に関する日韓合意について、私は、朴裕河(パクユハ)著『帝国の慰安婦 植民地支配と記憶の闘い』(朝日新聞出版)をとおして考えてみたいと思いました。
小熊英二の『<民主>と<愛国>』(新曜社)の帯に、「私たちは『戦後』を知らない」という惹句がありましたが、私たちは、戦後はもちろん、あの戦争についても実はなにも知らないのです。知らされてないのです。
90年代に再浮上した「従軍慰安婦」の問題は、私たち戦争を知らない世代にとっても、正視に耐えないようなおぞましくショッキングなものでした。できれば見たくなかった歴史の赤裸々な現実でした。それは、「強制性」があったかどうか、「自発的な売春婦」であったかどうかなんて関係なく、人として国家として、その根幹に関わる恥ずべき行為、恥ずべき歴史だと言えます。
慰安所の行列のなかには、間違いなく私たちの祖父や父親たちがいたのです。いくら「従軍慰安婦」の存在を否定しようとも、その事実は否定しようがないのです。そして、彼らは、そのおぞましい記憶を胸の奥に秘匿したまま戦後を仮構してきたのです。
慰安所の利用を常識とし、合法とする考えには、その状況に対する恥の感覚が存在しない。しかし、一人の女性を圧倒的な多数の男性が欲望の<手段>としたことは、同じ人間として、恥ずべきことではないだろうか。慰安婦たちが尊厳を回復したいと言っているのはそのためでもある。彼女たちの羞恥の感覚はおそらく、人間ではなく、<もの>として扱われた記憶による。
『帝国の慰安婦』(以下引用は同じ)
慰安婦問題の日韓対立は、記憶の対立で、そこに記憶の隠蔽と抑圧が存在していると言うのは、そのとおりでしょう。著者が見ようとしたのも、「強制」と「自発」の不毛な対立の先にある植民地支配の「矛盾と悲惨」であり、当事者の私的な記憶の回復です。国家としての公的な記憶や被害者史観に基づいた共有の記憶ではなく、元慰安婦たちのなかにある個別具体的な汚辱と協力と悲しみの記憶なのです。
著者が本の前半で、「韓国に残っているのは、あらゆるノイズを――不純物を取り出して純粋培養された、片方だけの『慰安婦物語』でしかない」と韓国内の取り組みに手厳しいのも(そのために元慰安婦の名誉を傷つけたと訴追されたのですが)、そういった理由によるものなのでしょう。
著者は、日本軍の関与だけが強調される一方で、慰安婦たちを直接集め管理し搾取した朝鮮人業者たちが不問に付されている現実に対しても、被害者史観に基づいた記憶の抑圧と批判しているのでした。「日本も悪いが、その手先になっていた朝鮮人のほうがもっと悪い」という元慰安婦の声は、支援者たちには無視され、日本の否定論者たちには、「責任転嫁の材料しにしか使われなかった」のです。
朝鮮人慰安婦は、ほかのアジアの慰安婦とは異なる存在だったと言います。たとえば、スマラン事件(インドネシアのジャワ島のスマランの民間人収容所に入れられていた17歳~28歳のオランダ人女性35名を日本軍が強制的に慰安所に拉致して、輪姦し売春させた事件)のような事例とは、同じ慰安婦でも質的に異なるのだと言います。それは、彼女たちが植民地人、つまり、「二番目の日本人」だったからです。そのため、如何にも日本的な名前を名乗らされ、着物を着て、「大和撫子」を装い、文字通り日本兵を慰安する役割を担わされたのでした。そこに朝鮮人慰安婦の「矛盾と悲惨」があるのだと言います。
性を媒介とした日本軍と朝鮮人女性の関係は、しいて区別すれば文字通りレイプを含む拉致性(連続性)性暴力、管理売春、間接管理か非管理の売春の三種類だったと考えられる。オランダ人、中国人などを含む「慰安婦」たち全体の経験はこの三種類の状況を併せ持つものと言えるが、朝鮮人慰安婦の体験は、例外を除けば管理売春が中心だった。
もちろん、だからと言って、日本帝国主義が犯した罪が免罪されるわけではありません。「朝鮮人慰安婦問題は、普遍的な女性の人権問題以上に、<植民地問題>であることが明白だ。そして個人を過酷な状況に追い込む制度を国家が支えていた以上、『軍の関与』はまぎれもない事実となるほかないので」す。
慰安婦の発生起源は、近世以降の日本文化の伝統や、それを効率的に利用できるようにした近代的制度にあった。そこに帝国内の人々が動員されたのは、あくまで彼らが日本国民とされていたからである。もっともそのようなゆるやかな国家動員を可能にした直接の体制は、ファシズムや帝国主義である。しかし慰安所とは、あくまで<移動>する近世的遊郭が、国家の勢力拡張に従い出張り、個人の身体を国家に管理させた<近代的装置>だった。
かつて山崎朋子や森崎和江が書いたように、日本には年端もいかない少女たちが、「出稼ぎ」名目で、ボルネオやシンガポールなどアジアの娼館に売られていった「からゆきさん」の歴史がありますが、朝鮮人慰安婦たちは、公娼制度の最下層に組み入れられることで、そういった日本人の「代替」という側面もあったと言います。著者は、慰安婦の前身は「からゆきさん」であったと書いていました。
しかも、慰安婦問題は、決して過去の問題ではないのです。戦後、韓国は、日本と同じように、「共産主義から国を守る」ためにアメリカに従属したのですが、その過程で、慰安婦が再び「動員」されることになるのでした。
「沖縄でアメリカの軍属たちは一二歳ないし一三歳の沖縄少女たちを米軍基地にある捕虜収容所に入れて兵士たちへの性的なサービスを強制した。フィリピンでアメリカ軍の部隊長は積極的に売春を奨励し、彼らのうち一部は自分所有のクラブを持って売春婦たちを団体で管理した。一九七〇年代の韓国では軍用バスが一日に二〇〇人もの女たちを東豆川基地村から近くのキャンプケイシに運んだりした。このとき部隊長はそういうことを暗黙裡に見逃すか積極的に加担した」(引用略)のです。
さらに、韓国が経済成長した2000年代に入ると、東豆川基地村から韓国人の姿がなくなり、中国人朝鮮族やロシア人やフィリピン人やペルー人に取って代わったそうです。「これはまさしく、大日本帝国時代に日本人慰安婦がしていたことを朝鮮人慰安婦がするようになったのと同じ構造である」と著者は書いていました。
また、ベトナム戦争では、アメリカの傭兵として参戦した韓国人兵士たちが、「過去に日本やアメリカがしてきたことをベトナムでした」のです。著者は、「いつかベトナムの女性たちがアメリカや韓国に『謝罪と要求』をしてくる日が来ないとも限らない」と書いていました。
今回の日韓合意の背後にアメリカの意向がはたらいているのは間違いないでしょう。韓国の支援団体が慰安婦の少女像をアメリカに建立しているのも、アメリカ政府やアメリカの世論に訴えるためですが、そこには虎の威を借りたい狐の意図がミエミエで、あらたな「植民地支配の矛盾と悲惨」をくり返しているように思えてなりません。著者が言うように、「旧帝国(日本)の罪を、ほかの帝国(オランダ)と提携してもう一つの旧帝国(アメリカやイギリスやヨーロッパ)に問うて審判してもらうというような、今の運動における世界連帯は、その意味ではアイロニーでしかない」のです。
「帝国は崩壊したが、冷戦体制は依然として東アジアを分裂させ」、冷戦の思考をひきずったままなのです。それは、「強制」と「自発」をめぐって対立する両国の自称「愛国」者たちも同じです。
慰安婦問題が戦争も戦後も知らない私たちに突きつけた問題の在り処は、あまりに広く深いと言えるでしょう。それをひとつひとつ丹念に拾い上げ、真摯に向き合うことで、私たちは戦争や戦後を知ることができるのだと思います。もとより私たちは、戦争や戦後を知らなければならないのです。