夕方、本を買うために、散歩がてら新横浜まで歩いて行きました。

途中、横浜アリーナの周辺は、若い女の子たちであふれていました。コンサートかなにかの入場待ちなのでしょう。近くの公園には、京都や大阪や豊橋ナンバーの貸切バスが停まっていました。

公園の片隅では、人の輪から離れ、ひとりでベンチに座ってパンを食べている女の子がいました。好きなアーティストのライブを見るために、遠くからやってきたのでしょう。私は、その姿がまぶしく見えてなりませんでした(帰ってネットで調べたら、flumpoolのライブがあったみたいです)。

駅ビルに行くと、いつもに比べて人が多く混雑していました。なかでも、これから新幹線に乗って帰省するのでしょう、キャッリーバックを引いた家族連れの姿が目立ちました。

思えば、1年前、私は、死の間際の母に会うために、そんな帰省客に混ざって大分行きの飛行機に乗っていたのです。それは、とてもさみしいものでした。まわりの光景から自分ひとり隔絶されているような感じでした。

空港に着いたら、出迎えの家族と笑顔で対面しているような光景があちこちで見られましたが、私は、病院に直行しなければなりません。空港から大分市街までバスで1時間近くかかるのですが、窓外に流れるふるさとの風景を眺めていたら、胸がしめつけられるような気持になりました。

本を買ったあと、階下の食品売り場に行くと、おせち料理を売っていました。どうしようか迷ったのですが、ひとりで食べるおせち料理ほどわびしいものはありません。それで、この正月は焼肉とカレーにすることにしました。

私の田舎では、「歳取り」と言って、大晦日におせち料理を食べる風習があります。そういった「歳取り」の風習は、北海道・東北・長野・新潟の一部と、鹿児島・熊本・大分・宮崎など九州に残っているのだそうです。

そのため、帰省する場合、大晦日の「歳取り」までに帰るようにするのが一般的です。「歳取り」に間に合ったとか間に合わないとか、よくそんな言い方がされるのです。

私の場合、もう家族で「歳取り」をすることはないのです。「歳取り」は、子どもの頃のなつかしい思い出になってしまったのです。若い頃はそんなものはどうだっていいと思っていましたが、こうして年を取ってくると、「歳取り」のない大晦日がいつにも増してさみしいものに感じられるのでした。
2015.12.31 Thu l 日常・その他 l top ▲