知り合いの若者が、明日(1/11)成人式なんですと言うので、私は、「エエッ、成人の日って15日じゃないの?」って言ったら、彼は怪訝な顔をしていました。最近、若者とあまり接触がなかったので、成人の日が資源ゴミの日と同じ1月の第二月曜日に変ったことをすっかり忘れていたのです。

もっとも私の田舎では、成人式は夏のお盆休みにおこなわれていました。自分の成人式のとき、私は、東京のアパートで、体調を崩して学校にも行かず床に伏せることの多い毎日を送っていました。そんな私を見るに見かねた友人が、たまたま通学する途中のバスのなかで見たという、渋谷の山手通り沿いの病院に連れて行ってくれたのです。

診察した結果は、持病の再発でした。既に私は、中学のときと高校のときに二度入院していたのです。先生から「かなり悪いですね。まだ若いんだから田舎に帰って、もう一度身体を直してやり直したほうがいいですよ」と言われ、レントゲン写真などを渡してくれました。しかし、私は田舎に帰ることをまだためらっていました。すると、友人が私に内緒で田舎の親に連絡して、父親が東京まで迎えに来たのでした。

そのとき、父親がもってきたのが成人式の写真でした。と言うのも、写真館をやっていた父親は、毎年役場に頼まれて成人式の集合写真を撮っていたからです。私は、父親に説得されて東京の生活を引き払い、結局、九州の国立病院に1年間入院することになったのですが、そんななかで手にした成人式の写真には、卒業以来会ってない中学時代の同級生たちのちょっと大人になったなつかしい顔が映っていました。

また、翌年の1月15日の成人の日には、病院から記念のアルバムをもらいました。その頃は病状が芳しくなく、ほとんど寝たきりの状態でした。主治医の先生や婦長さんたちが病室にやってきて、「ご成人、おめでとうございます!」と言われて、のし紙に「祝成人」と書かれた記念品のアルバムをもらったのでした。そのとき、私は、成人の日というのは、社会的にも特別な日なんだなとしみじみ思ったことを覚えています。

今のコスプレまがいの奇抜な格好や”荒れた成人式”などを見ると、成人式もハロウィンなどと同じように、ただのイベントにすぎなくなった気がします。もし私の時代に今のような成人式だったら、あのような感慨を抱くことはなかったと思うのです。
2016.01.11 Mon l 日常・その他 l top ▲