ベッキーは、ゲスの極み乙女。の川谷との「不倫」によって、契約していた10本のCMが打ち切られ、すべてのレギュラー番組を降板し休養を余儀なくされたのですが、売れっ子タレントとしては、あまりにも「不倫」の代償は大きかったと言えるでしょう。

たしかに、タレントとしてベッキーが売っていたイメージと「不倫」のイメージがそぐわないのは事実で、その意味ではCMが打ち切られるのは仕方ないと言えます。ベッキーのイメージを大金を出して買ったスポンサー企業が、イメージダウンに伴いシビアな判断を下すのは当然でしょう。

ただ、一方で、「不倫」=”ふしだらな行為”として、これでもかと言わんばかりにベッキーを指弾する”お茶の間”の論理には違和感を覚えざるをえません。ネット民たちが、リア充のベッキーに悪罵を浴びせるのはわからないでもありません。ヤフコメなどに見られるように、彼らはネットで人生を勘違いさせられた”ネット廃人”のようなもので、いつもそうやってネットの最底辺で身も蓋もないことをぼざくしか能がないのです。でも、リアル社会で生きる”お茶の間”の人間たちはそうではないでしょう。”ネット廃人”に同調してどうするんだと言いたいのです。

みんな胸に手を当てて考えてみるべきなのです。ホントに「不倫」をしたことがないのか。「不倫」したいと思ったことがないのかと。

コンドームメーカーの相模ゴム工業が働く女性350人を対象に行った調査によれば、なんと58%が「不倫」の経験があるそうです。昔、総理府だかがおこなった調査で、「既婚の有職女性」で「婚外性交渉」の経験がある人が、50%以上もいるというショッキングな結果が発表されて話題になったことがありましたが、相模ゴム工業の調査結果も、その実態を裏付けていると言えるでしょう。もはや、男と女の関係を「不倫」かどうかで分けて考えること自体がナンセンスなのかもしれません。

ましてベッキーは容姿端麗な芸能人なのです。しかも、(いつも言うように)普通のお嬢さまにはできない芸能界という「特殊××」(吉本隆明)で生きる人間なのです。カタギではないのです。竹中労ではないですが、”芸能の論理”は市民社会の公序良俗とは対極にあるものです。「不倫」だってなんだってあるでしょう。

自分はせっせとセックスをしていながら他人のセックスを”悪”のように指弾するのは、どう考えても倒錯した論理と言うしかありません。ベッキーがテレビに出ただけで抗議の電話をするのは、もはや病理の世界と言うべきでしょう。

どうしてベッキーが指弾されるのか。それは、ベッキーが”ふしだらな女”だからです。でも、みんなセックスをするときは”ふしだら”なのです。”婚内”であれ”婚外”であれ、永遠の恋であれ行きずりの恋であれ、みんな”ふしだら”なのです。にもかかわらず、なぜか女性だけが”ふしだら”として指弾されるのです。

”ネット廃人”たちの負の感情は言わずもがなですが、”ネット廃人”たちに同調し、もはやほとんど意味をなさない「不倫」のモラルを掲げてベッキーを指弾する”お茶の間”の論理も、同じように唾棄すべき対象でしかありません。
2016.02.08 Mon l 芸能・スポーツ l top ▲