藤枝静男の小説に「一家団欒」という短編があります。

主人公の章は、三月中旬のある日曜日の午後、市営バスに乗り、終点で降りると、その先にある大きな湖に向かって歩きはじめたのでした。章がめざしていたのは、湖の対岸の松林の奥にある”ある場所”でした。

そこにある「四角いコンクリートの空間」のなかには、「父を中心に三人の姉兄が座って」いました。また、「かたわらの小さな蒲団」には、二人の弟妹が寝かされていました。

 「とうとう来た。とうとう来た」
 と彼は思った。すると急に、安堵とも悲しみともつかぬ情が、彼の胸を湖のように満たした。彼は、父が自分で「累代の墓」と書いて彫りつけた墓石に手をかけて、その下にもぐって行った。


章は死別した肉親を前にすると、なつかしさとともに欲望に溺れ身勝手な所業をくり返したみずからの人生に後悔の涙を流すのでした。それを姉兄たちは「章の二時間泣き」と呼んでいるのでした。

 「それ、また章の二時間泣きがはじまったによ」
 ハルが気を引きたてるように云った。
 「お前も、はあ死んじゃっただで、それでええじゃんか」
 「死んでも消えない」
 と彼は呟いた。しかし一方では「そうか、そうか」と思い、すこしは気が晴れるようでもあった。
 「な、それでええにおしな」
 とナツが云った。なるほど、これで本当にいいのかも知れない、と彼は思った。もう肉体がないのだから、自分は悪いことをしなくてすむだろう。──それから世の中にたいする不平不満のようなものからも、そこから生ずる責任感みたいなものからも、それに対して自分が一指を加えることもできないという焦慮と無力感からも、そういうすべてのものから、自分は否応なしに解放された。それも相手の方から解除してくれたのだ。
 ──ああ何てここは暖いだろう、と彼は溜息をつくように思った。これからは、もう父や兄や姉の云うことを何でもよく聞いて、素直に、永久にここで暮らせばいいのだ。


私は、この「一家団欒」を読んだら、たまらず墓参りがしたくなったのです。それで、先日、2泊3日で田舎に帰ったのでした。と言っても、もう田舎には実家もないので、別府のホテルに2泊しました。

空港に着くと、そのままレンタカーを借りて、熊本県境に近い故郷の町に向けて車を走らせました。空港から墓がある町までは車で2時間近くかかります。

菩提寺の境内にある墓の前に立つと、さすがに神妙な気持になりました。若い頃は、墓参りなんて考えられませんでした。田舎なんかどうだっていいと思っていました。私は田舎が嫌で嫌でならなかったので、帰省しても、途中の別府や大分(市)で友人や知人に会うだけで、実家に帰ることはほとんどなかったのです。

墓所には、長年参拝されることもなく放置された墓があちこちにありました。松永伍一が『ふるさと考』で書いていたように、ふるさとというのは、求心力のようであって実は遠心力でもあるのです。松永伍一は、そんなふるさとに対する屈折した思いを「愛憎二筋のアンビバレンツな思い」と書いていましたが、私のふるさとに対する思いも似たような感じです。にもかかわらず、年を取ると、やはり、ふるさとにある墓が自分の帰るべきところではないかと思うようになるのでした。

私が生まれたのは、山間のひなびた温泉町で、谷底に流れる川沿いに温泉旅館が並んでいます。菩提寺は川向うの坂の途中にあります。実家は、旅館街の上を走る県道沿いにありました。しかし、今はもう跡かたもありません。

考えてみれば、私は、実家には中学までしかいなかったので、生まれ故郷とは言え、田舎のことはまったく知らないのでした。むしろ高校時代をすごした別府のほうが詳しいくらいです。そもそも田舎なんて興味もありませんでした。そのため、今は故郷の町でつき合いのある人間は誰ひとりいないのでした。

ところが最近、田舎のことがやけに気になって仕方ないのです。私の実家は中心地の温泉街のなかにありましたが、小中学校の同級生たちの多くは山の奥の集落に家がありました。しかし、私は彼らが住んでいるところに行ったことがありません。今になって、どんなところに住んでいたんだろうと思ったりするのです。不思議なもので、年を取ると、そんなことが妙に気になって仕方ないのでした。

それで、帰りは県道から外れ、県道の奥にある集落を訪ねてみることにしました。街外れにダムがあるのですが、そのダムから奥にも行ったことがありません。ダムの奥の集落には、中学の頃仲がよかった同級生がいましたが、彼の家に遊びに行ったこともありません。実際に行ってみると、わずか10分足らずでその集落に着きました。

集落のなかの道路を暫く進むと、前方に大きな鳥居が現れました。私は、そこに樹齢800年~1千年と言われる大ひのきを神木とする神社があることを思い出したのでした。

緑色の苔に覆われた急な石段を上って行くと、県の天然記念物に指定されている大ひのきがありました。大ひのきは、文字通りこの山奥にあって悠久な時を刻んでいるのです。そう思うと、あたりにほかとは違った荘厳な空気が流れているような気がしました。同じ町内にこんな場所があったなんて、あらためてびっくりしました。ふるさとの神社でありながら、私は行ったことすらなかったのです。

大ひのきの横をさらに石段を上っていくとお社(やしろ)がありました。誰もいない、静寂につつまれた午後の境内。同級生たちはここから毎日学校に通っていたのです。そう思うと、なんだか感慨深いものがありました。

そのあと私は整備された農道をさらに奥へ奥へと車を走らせました。私の前には初めて見るふるさとの風景がつぎつぎと現れました。聞き覚えのある集落をいくつも通りすぎると、やがて町の背後にそびえる山の登山口に出ました。

すると、私は小学生のとき、父親と一緒に九州本土で最高峰のその山に登ったときのことを思い出したのでした。そのときもこの登山口から山に入ったのかもしれません。あの頃の父親はまだ若く、父親と腰ひもを結んで、何度も転びながら頂上をめざしたことを覚えています。

車を降りて小雪が舞う草原に立つと、昨日まで横浜にいたのが不思議なくらいでした。なんだかいっきに過去にタイムスリップしたような気分でした。

今回の帰省は、いつもと違って、あちこちの観光名所を訪ねたり、別府だけでなく、長湯、七里田、黒川、湯布院などの温泉に入ったりしました。また、人間嫌いの私にはめずらしく、旧知の人を訪ねたりもしました。なかには30年ぶりに会った人もいました。

なんだか「一家団欒」の章と同じように、近いうちに死ぬんじゃないかと思ったくらいですが、こんな帰省をするようになったというのも、それだけ年を取ったということなのかもしれません。


①2016年2月帰省 長湯ダム

②2016年2月帰省 籾山神社1

③2016年2月帰省 籾山神社2

④2016年2月帰省 籾山神社3

⑤2016年2月帰省 高崎山2
高崎山

⑥2016年2月帰省 高崎山3
高崎山

⑦2016年2月帰省 高崎山4
高崎山

⑧2016年2月帰省 湯布院
湯布院

⑨2016年2月帰省 由布岳
由布岳

⑩2016年2月帰省 鶴見岳山頂
鶴見岳山頂
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