先日、帰省した折、久しぶりに湯布院に行ったのですが、平日の午後にもかかわらず湯布院の街中は観光客でごった返していました。昔だったら車で簡単に行けた金鱗湖も、もはや車で近づくことは難しい状態でした。

昔はデートで湯布院に行けば、金鱗湖周辺を散策し亀の井別荘の天井桟敷でお茶するのが定番でしたが、今は国道沿いの有料駐車場に車を預けて歩いて行くしかないのです。しかも、途中の路地は、夏の軽井沢と同じで、”ミニ竹下通り”と化しているのでした。

このように湯布院は、もはや完全に”箱庭”になっています。すべてが”如何にも”といった感じの作り物になっているのです。私のように温泉の町で生まれ育った人間から見ると、そんな湯布院のどこがいいんだろうと思います。湯布院に来ているのは、外国人観光客とスノッブばかりです。むしろ隣の湯平温泉のほうが伊香保に似ていて情緒があり、私は好きです。

一方、別府は、湯布院と比べるとどこも閑散としていました。もちろん、湯布院に比べて街が大きいということもありますが、しかし、やはり場末感は否めません。昔は、湯布院は別府の奥座敷と言われていたのですが、今や主客転倒した感じです。

ただ別府は、”別府八湯”と言われ、もともと八つの温泉場に分かれているのです。八つの温泉場はそれぞれ特徴があり、湯布院のような都会的に規格化された温泉場とは違って、まだ昔ながらの素朴な雰囲気が残っている温泉場も多いのです。横浜と同じように、場末感がむしろ別府の魅力のひとつでもあるのです。湯布院に行くより、別府の堀田(ほった)や鉄輪(かんなわ)や柴石(しばせき)や明礬(みょうばん)などに行ったほうが、よほど温泉情緒が味わえます。

黒川も然りです。黒川温泉も、私たちが子どもの頃は枕芸者がいるような温泉場で、近所のスケベェなおっさんたちがよく行っていました。それが今や完全に”如何にも”と化しています。湯布院よりはまだましですが、それでも昔の素朴さは失われています。素朴さが失われ、”箱庭”っぽくなった分、宿泊料金は跳ね上っているのです。そうやってリゾート会社の戦略にまんまとはまっているのです。

知り合いの女性は、離婚した際、九州に一人旅したと言ってました。人にはそんな旅もあるのです。しかし、今の湯布院や黒川に行っても、はたして傷ついた心が癒されるでしょうか。そこにあるのは、傷心旅行とはまったく異質なリゾート会社のお仕着せの旅しかないような気がします。
2016.02.24 Wed l 故郷 l top ▲