ベルギーの首都・ブリュッセルで発生した連続テロ。世界内戦の時代は、こうしてますます苛烈化し無秩序化していくのでしょう。
オバマ大統領が先日キューバを訪問した際、ラウル・カストロ議長に対して、”自由”や”人権”など「人類の普遍的な価値」を実現するよう呼びかけたというニュースがありましたが、しかし、”自由”や”人権”がホントに「人類の普遍的な価値」なのかという疑問があります。それは、アメリカの方便ではないのか。たとえば、グァンタナモの軍事基地の問題ひとつとっても、アメリカに”自由”や”人権”を口にする資格があるのかと思います。
グァンタナモ軍事基地は、アメリカが革命前の旧キューバ政府から永久租借したキューバのグァンタナモ湾にあるアメリカの海軍基地です。そのなかにはテロリスト専用の収容所があり、アメリカの国内法も国際法も及ばない”治外法権”の場所で、文字通り「人類の普遍的な価値」を無視した拷問や虐待が日常的におこなわれていることを多くの人が指摘しています。
なんのことはない、アメリカがグアンタナモでやっていることは、イスラム国がやっていることとそんなに違わないのです。それは、宣戦布告もなく戦時国際法も及ばない世界内戦のその延長上にあるものと言えるでしょう。
”自由”や”人権”は、決して「人類の普遍的な価値」ではないのです。まして、アメリカがそれを大義名分にする資格などないのです。そもそも「人類の普遍的な価値」に弓を引くイスラム過激派を西側世界に招き寄せたのは、アメリカなのです。言うまでもなく、アメリカはみずからの世界支配のために、彼らを利用しようとして、「飼い犬に手を噛まれた」のです。
多くのイスラム教徒は、過激派のやっていることに反対している、彼らはイスラム教徒にとって迷惑な存在だ、というような意見がありますが(テレビのワイドショーなどもその手のコメントであふれていますが)、それは私たち西側世界の人間たちの”希望的観測”にすぎないように思います。一般のイスラム教徒にしても、オバマの言う「人類の普遍的な価値」を共有しているわけではないのです。彼らは、イスラムという異文明の教徒たちなのです。とりわけキリスト教的価値によって主導される現代の政治や経済や文明によって虐げられた人々なのです。
どうしてベルギーがテロリストの巣窟になり、テロリストたちがブリュッセルのモレンベク地区に潜伏することができるのか。それは、彼らに心情的に(宗教的に)共感するイスラム教徒たちがいるからでしょう。いわばそこに「人民の海」ならぬ「ムスリムの海」があるからでしょう。テロリストたちは、決して孤立してはいないのです。そこには、テレビのワイドショーのコメンテーターたちが言うような現実とはまったく違う現実があるのではないでしょうか。わずか数人のテロリストが、首都の機能をマヒさせ、世界を震撼させる。そのテロリストの多くは、仕事ももってないゲットーの若者たちです。宗派対立があるのも事実ですが、彼らの行為に、心のなかでひそかに拍手喝さいを送っているイスラム教徒は多いのではないでしょうか。
世界内戦の時代は、「人類の普遍的な価値」などなんの意味をもたない、なにが正義でなにが正義ではないのか、平和が尊いとかどうかとか、そんな考えさえ通用しない、異なる価値観による文字通りの”文明の衝突”です。そして、いつなんどき私たちの日常が戦場と化すかもわからないのです。「テロとの戦い」が底なし沼であるのは、もはや誰の目にもあきらかでしょう。「人類の普遍的な価値」なんてない。そう再認識することからはじめなければ、なにも見えてこないように思います。
オバマ大統領が先日キューバを訪問した際、ラウル・カストロ議長に対して、”自由”や”人権”など「人類の普遍的な価値」を実現するよう呼びかけたというニュースがありましたが、しかし、”自由”や”人権”がホントに「人類の普遍的な価値」なのかという疑問があります。それは、アメリカの方便ではないのか。たとえば、グァンタナモの軍事基地の問題ひとつとっても、アメリカに”自由”や”人権”を口にする資格があるのかと思います。
グァンタナモ軍事基地は、アメリカが革命前の旧キューバ政府から永久租借したキューバのグァンタナモ湾にあるアメリカの海軍基地です。そのなかにはテロリスト専用の収容所があり、アメリカの国内法も国際法も及ばない”治外法権”の場所で、文字通り「人類の普遍的な価値」を無視した拷問や虐待が日常的におこなわれていることを多くの人が指摘しています。
具体的には、「民間人に対する刑事裁判ではなく、軍事裁判を適用すること」「裁判所の逮捕状がなくても敵兵として拘禁し、しかも戦争でもないので、ジュネーブ条約による捕虜への権利も与えないこと」「拷問などの超法規的な取り調べを可能にすること」といった、まさに文字通りの「無法」を可能にする「特殊ゾーン」というわけです。
Newsweek
オバマの歴史的キューバ訪問で、グアンタナモはどうなる?(冷泉彰彦)。
なんのことはない、アメリカがグアンタナモでやっていることは、イスラム国がやっていることとそんなに違わないのです。それは、宣戦布告もなく戦時国際法も及ばない世界内戦のその延長上にあるものと言えるでしょう。
”自由”や”人権”は、決して「人類の普遍的な価値」ではないのです。まして、アメリカがそれを大義名分にする資格などないのです。そもそも「人類の普遍的な価値」に弓を引くイスラム過激派を西側世界に招き寄せたのは、アメリカなのです。言うまでもなく、アメリカはみずからの世界支配のために、彼らを利用しようとして、「飼い犬に手を噛まれた」のです。
多くのイスラム教徒は、過激派のやっていることに反対している、彼らはイスラム教徒にとって迷惑な存在だ、というような意見がありますが(テレビのワイドショーなどもその手のコメントであふれていますが)、それは私たち西側世界の人間たちの”希望的観測”にすぎないように思います。一般のイスラム教徒にしても、オバマの言う「人類の普遍的な価値」を共有しているわけではないのです。彼らは、イスラムという異文明の教徒たちなのです。とりわけキリスト教的価値によって主導される現代の政治や経済や文明によって虐げられた人々なのです。
どうしてベルギーがテロリストの巣窟になり、テロリストたちがブリュッセルのモレンベク地区に潜伏することができるのか。それは、彼らに心情的に(宗教的に)共感するイスラム教徒たちがいるからでしょう。いわばそこに「人民の海」ならぬ「ムスリムの海」があるからでしょう。テロリストたちは、決して孤立してはいないのです。そこには、テレビのワイドショーのコメンテーターたちが言うような現実とはまったく違う現実があるのではないでしょうか。わずか数人のテロリストが、首都の機能をマヒさせ、世界を震撼させる。そのテロリストの多くは、仕事ももってないゲットーの若者たちです。宗派対立があるのも事実ですが、彼らの行為に、心のなかでひそかに拍手喝さいを送っているイスラム教徒は多いのではないでしょうか。
世界内戦の時代は、「人類の普遍的な価値」などなんの意味をもたない、なにが正義でなにが正義ではないのか、平和が尊いとかどうかとか、そんな考えさえ通用しない、異なる価値観による文字通りの”文明の衝突”です。そして、いつなんどき私たちの日常が戦場と化すかもわからないのです。「テロとの戦い」が底なし沼であるのは、もはや誰の目にもあきらかでしょう。「人類の普遍的な価値」なんてない。そう再認識することからはじめなければ、なにも見えてこないように思います。