今日、都内に出た際、ふと思い付いて高校時代の同級生に電話して、一緒に昼食を食べました。会ったのは10年ぶりくらいでした。
彼とは高校時代からずっと仲がよくて、東京に出てきてからも、一時彼のアパートに居候していたこともあったくらいです。彼は、大学の空手部出身で、学生時代はパンチパーマにいつも学ランを着ていました。一方、私は、肩までかかるような長髪に無情ヒゲのまったく逆のタイプの人間でした。
当時はまだシゴキなどもありましたので、「1年坊」(彼らはそう呼んでいたように思います)の頃は、シゴキで怪我をして入院したこともありました。彼が空手をはじめたのは、大学に入ってからで、どうして空手なんかはじめたんだと訊いたら、心身を鍛えて心技体の充実した強い人間になりたいんだとかなんとか、どこかで聞いたようなセリフを口にしていました。彼をとおして空手部の連中とも顔見知りになりましたが、彼らは一見強面でしたが、ひとりひとりはとても気のいい連中でした。
私が病気をして九州に帰り入院生活を送っていたとき、彼に頼んで本を買って病院に送ってもらっていたのですが、「お前から頼まれた本って左っぽいのが多いので、学ランを着たおれらが買いに行くと変な目で見られるんだよな」と嘆いていました。
大学を出ると、彼は公益法人の政治連盟なるものに勤めたのですが、やがてそのときの同僚たちと会社を興して、イベントや出版の仕事をはじめました。頭はパンチパーマで体重は100キロ近くあり、しかも大きな声で押しの強い喋り方をするので、傍目にはいかにも”危ない人”に見えるのでした。あるとき一緒に街を歩いていたら、たまたまそれを取引先の女の子が見たみたいで、後日、店に行ったら、「あんな人と知り合いなんですか?」と言われたことがありました。「そうだよ、彼は××組だよ」と言ったら、「ウソ―」と叫んでいました。
東京にいるので、会おうと思えばいつでも会えるのですが、なぜかなかなか会う機会がありませんでした。最近は、九州の友達から彼の近況を聞くほどでした。
久し振りに会った彼はさらに体重が増え、120キロになったと言ってました。家族の写真ももってきてましたが、子どもたちも見違えるほど変わっていて、「これじゃ道で会ってもわからないな」と言ったら、「お前がわからなくても向こうはわかるんじゃないの」と言ってました。
それから、お互いの近況を延々と話しました。知らない間にいろいろ苦労もあったみたいで、そんな話を他人にしてもいいのかというような、結構深刻な話もありました。彼のことばには重みがありました。それは、なにより体験に裏打ちされているからでしょう。体験から得たことばは、実にシンプルなのです。むずかしい言い回しは必要ないのです。リアルというのは、そういうことではないかと思いました。
彼は、「お前とこんなに話をしたのは久し振りだな。話ができてよかったよ」「電話をくれてうれしかったよ」としみじみ言ってました。「他人は信用できない」「特に東京の人間は信用できない」と何度も言ってました。そして、「子どもたちが片付いたら、女房と二人で九州に帰るつもりだ」と言っていました。
駅で別れるとき、体重120キロの坊主頭の強面のおっさんが、改札口に入った私に向かっていつまでも手を振りつづけるのです。その姿を見たら、なんだか胸にこみあげてくるものがありました。そして、こういうのを旧交を温めるというんだなと思いました。
彼とは高校時代からずっと仲がよくて、東京に出てきてからも、一時彼のアパートに居候していたこともあったくらいです。彼は、大学の空手部出身で、学生時代はパンチパーマにいつも学ランを着ていました。一方、私は、肩までかかるような長髪に無情ヒゲのまったく逆のタイプの人間でした。
当時はまだシゴキなどもありましたので、「1年坊」(彼らはそう呼んでいたように思います)の頃は、シゴキで怪我をして入院したこともありました。彼が空手をはじめたのは、大学に入ってからで、どうして空手なんかはじめたんだと訊いたら、心身を鍛えて心技体の充実した強い人間になりたいんだとかなんとか、どこかで聞いたようなセリフを口にしていました。彼をとおして空手部の連中とも顔見知りになりましたが、彼らは一見強面でしたが、ひとりひとりはとても気のいい連中でした。
私が病気をして九州に帰り入院生活を送っていたとき、彼に頼んで本を買って病院に送ってもらっていたのですが、「お前から頼まれた本って左っぽいのが多いので、学ランを着たおれらが買いに行くと変な目で見られるんだよな」と嘆いていました。
大学を出ると、彼は公益法人の政治連盟なるものに勤めたのですが、やがてそのときの同僚たちと会社を興して、イベントや出版の仕事をはじめました。頭はパンチパーマで体重は100キロ近くあり、しかも大きな声で押しの強い喋り方をするので、傍目にはいかにも”危ない人”に見えるのでした。あるとき一緒に街を歩いていたら、たまたまそれを取引先の女の子が見たみたいで、後日、店に行ったら、「あんな人と知り合いなんですか?」と言われたことがありました。「そうだよ、彼は××組だよ」と言ったら、「ウソ―」と叫んでいました。
東京にいるので、会おうと思えばいつでも会えるのですが、なぜかなかなか会う機会がありませんでした。最近は、九州の友達から彼の近況を聞くほどでした。
久し振りに会った彼はさらに体重が増え、120キロになったと言ってました。家族の写真ももってきてましたが、子どもたちも見違えるほど変わっていて、「これじゃ道で会ってもわからないな」と言ったら、「お前がわからなくても向こうはわかるんじゃないの」と言ってました。
それから、お互いの近況を延々と話しました。知らない間にいろいろ苦労もあったみたいで、そんな話を他人にしてもいいのかというような、結構深刻な話もありました。彼のことばには重みがありました。それは、なにより体験に裏打ちされているからでしょう。体験から得たことばは、実にシンプルなのです。むずかしい言い回しは必要ないのです。リアルというのは、そういうことではないかと思いました。
彼は、「お前とこんなに話をしたのは久し振りだな。話ができてよかったよ」「電話をくれてうれしかったよ」としみじみ言ってました。「他人は信用できない」「特に東京の人間は信用できない」と何度も言ってました。そして、「子どもたちが片付いたら、女房と二人で九州に帰るつもりだ」と言っていました。
駅で別れるとき、体重120キロの坊主頭の強面のおっさんが、改札口に入った私に向かっていつまでも手を振りつづけるのです。その姿を見たら、なんだか胸にこみあげてくるものがありました。そして、こういうのを旧交を温めるというんだなと思いました。