おとといの夜に発生した熊本の地震ですが、当初、地震の専門家たちは「今後も一週間くらいは震度5から6クラスの余震がつづくので充分気を付けてください」としたり顔で解説していました。ところが、今日の未明にマグニチュード7.3の大きな地震が発生すると、これが「本震」でおとといの地震は「前震」だったと訂正したのです。

私は、今朝、知り合いから「また大きな地震があった」と聞かされたとき、てっきりおとといの余震のことを言っているんだと思っていました。みんなから「実家は大丈夫?」と言われるので、地震は熊本なのにどうしてそんなに心配されるんだろうと思いました。たしかに、私の田舎は熊本県境に近いのですが、大きな被害があった益城町とはかなり離れています。もちろん、余波で揺れることはあるかもしれませんが、そんなに大きな被害があるとは思えません。

ところが、そのあとニュースを見てびっくりしました。震源は阿蘇のほうにも広がり、私の田舎や湯布院などでも大きな地震が発生していたのです。そこで初めてみんなが心配してくれた理由がわかったのでした。

地震の範囲についても、当初、専門家たちは活断層は別々に分かれているので、「(別の活断層の)阿蘇は関係がない」と言っていたのです。しかし、今朝のテレビでは、別の活断層に地震の範囲が広がるのは「よくある話」で、阿蘇や大分に広がったのも想定の範囲内だみたいなことを言っているので呆れてしまいました。こんな取って付けたようなもの言いは、以前もどこかで聞いたことがあるのでした。そうです、原発事故のときの専門家たちとそっくり同じなのです。

もうひとつ、テレビの報道で違和感があるのは、アナウンサーや記者たちがやたらヘルメットをかぶってレポートしていることです。ヘルメットなんて必要ないような場面でも、アナウンサーや記者たちはスーツ姿にヘルメットをかぶってマイクを握っているのでした。中継の様子を見ても、カメラマンや音声などのスタッフは別にヘルメットをかぶっていなくて、カメラの前に立つ人間だけが如何にもという感じで、ヘルメットをかぶっているのでした。

しかも、テレビのヘルメットはどんどんエスカレートするばかりで、最近はスタジオでニュース原稿を読むアナウンサーまでもがヘルメットをかぶっているのです。大分放送のアナウンサーも「OBS」と書かれたヘルメットをかぶって原稿を読んでいました。いくらなんでもそれは大袈裟だろうと言いたくなりました。テレビ特有の仰々しさやわざとらしさが鼻について、私は違和感を覚えてなりませんでした。

私の場合、田舎にはもう家もなく、ただ墓があるだけですので、地震で心配なのは墓石が倒れてないかということだけです。ニュースを見たあと、田舎の友人に電話しました。友人は、揺れがつづくので、眠れぬ夜をすごしていると言っていました。「立野の橋も崩落したんだぞ、知ってるか?」と言ってましたが、「立野の橋」というのは阿蘇大橋のことなのでしょう。また、私の田舎もそうですが、温泉が集中している地域なので、観光への影響が心配だと言ってました。

阪神大震災も経験した別の友人に聞くと、阪神の場合は大きいのが1回だけだったけど、今回はひと晩中揺れるので大変だった、ひっきりなしに「緊急地震速報」が鳴り響くので眠れなかった、と言っていました。

火山列島の日本では、いつどこで地震がおこるかわからないのです。専門家のしたり顔の見解などまったくあてにならないのです。自然の脅威に対して、科学なんて非力なものです。東日本大震災のとき、「100年に一度の大災害」なんて言い方がされていましたが、なんのことはないわずか5年で再び大災害が発生したのです。原発再稼働の前提も空疎な”希望的観測”にすぎないのです。いくら地面をコンクリートで塗り固めても、天災地変にはかなわないのです。私たちだっていつ災害に見舞われるかわからないのです。生死を分けるのもただ”運”だけです。あらためてそう思いました。
2016.04.16 Sat l 震災・原発事故 l top ▲