もう30年近く前だと思いますが、西日本新聞に石牟礼道子氏が阿蘇に関するエッセイを書いていました。それは、阿蘇の草原に咲く花を題材にしたとてもいい文章で、私はそのエッセイを切り抜いて当時の日記帳にはさんでいました。それで、今日、ふと思い付いて日記帳を引っ張り出してみたのですが、なぜかその切り抜きだけが見当たらないのです。埼玉にいた頃は見た記憶がありますので、横浜に引っ越す際に紛失したのかもしれません。

竹中労は、『聞書庶民烈伝4』(1987年刊)のなかで、阿蘇の草原に咲く吾木香 (われもこう)について書いていますが、吾木香は赤い花です。石牟礼道子氏が書いていたのは、たしか白い花だったように思います。今となってはたしかめる術がないのですが、石牟礼氏が書いていたのはなんの花だったのか、気になって仕方ありません。

どうしてこんなことを思い出したのかと言えば、言うまでもなく今度の地震で阿蘇の草原も大きな被害を受けたからです。

今日の朝日新聞に、ライダーたちが「ラピュタの道」と呼んでいた阿蘇の山道が、今回の地震で一部が崩壊して通行不能になり、ライダーたちから惜しむ声が上がっている、という記事が出ていました。

朝日新聞デジタル
阿蘇の「ラピュタの道」崩落 ライダー「聖地だった」

大観峰の先にあるこの道も、私は車で走ったことがあります。私は、九州にいた頃、なにか悩みがあるといつも決まって大観峰へ行ってました。「阿蘇市」とか「南阿蘇村」とか言われてもピンとこないのですが、車の免許を取得したときも、助手席に父親に乗ってもらい、外輪山から阿蘇谷の旧一の宮町に降りるこのコースで運転の練習をしたものです。

そう言えば、地震の直後、阿蘇の住民たちが県境を越えて私の田舎に買い出しに押し寄せ、田舎のスーパーも品不足に陥っているという記事が地元の新聞に出ていました。私の田舎にもときどき阿蘇山の火山灰が降るのですが、親たちはそれを「ヨナ」と呼んでいました。阿蘇の風景は、私たちにとっても、子どもの頃からなじみの深い風景なのでした。

白い小さな花が風にそよぐ草原の風景。阿蘇が大きな被害に見舞われた今、もう一度あの石牟礼道子氏の文章を読みたいと思いますが、もう叶わぬ話です。
2016.04.28 Thu l 震災・原発事故 l top ▲