群像6月号


第59回群像新人文学賞を受賞した崔実(チェシル)の「ジニのパズル」(『群像』6月号)を読みました。

主人公のジニは、アメリカのオレゴン州の高校に留学している在日の少女です。下宿先の主は、ステファニーという絵本作家です。ジ二は、ハワイの高校を退学してオレゴンにやってきたのですが、オレゴンの高校も退学処分になろうとしています。

 全校生徒、全員のロッカーが並ぶ長細い廊下に腰を落ち着けた。廊下の端から端までは、ゆっくり歩いたって二分は掛からない。
 ガムテープでぐるぐる巻きにしただけの悲惨な修理が施されたヘッドフォンを耳にかけて、レディオヘッドのセカンドアルバム『ザ・ヘンズ』を流した。そうして視線の先を行きかう靴を眺めるのが、私の日課だった。


ジニは、そんな孤独ななかにいます。10代の在日の少女が抱く孤独と焦燥。それを主人公は、「空が今にも落ちて来そう」という言い方をするのでした。

「人生の歯車が狂い始めたのは、五年前のことだ」とジニは言います。それは、中学進学を機に、日本の学校から北区十条の朝鮮学校に入ったことです。そこからジニの告白がはじまります。

ジニの母親のアッパ(父親)は、家族を日本に残して北朝鮮に帰国しています。そのアッパから娘(ジニの母親)に届いた手紙がジニの告白の途中に挿入されています。最初は「北朝鮮は、とても住み心地が良い国だぞ」「こっちに来て正解だったと思う。どんどん発展していくぞ」と書いていましたが、そのうち「アッパのことは、忘れるんだ。いいな。どうか、次の手紙は待たないでくれ」と書いてくるようになります。そして、やがて、アッパは病院にも行けないような極貧のなかで亡くなるのでした。

朝鮮語を話せないジニにとって、日本語が禁止の朝鮮学校はまったくの異世界で、常に違和感がありました。なにより気になったのは、教室の正面に恭しく掲げられている金日成と金正日の肖像画でした。いつも誇らしげに微笑んでいる二人。それはジニにとって「気持の悪いもの」でしかありませんでした。

肖像画が掲げられているのは、「終戦後、日本に残った在日朝鮮人が自らの文化を守り、教育を受ける為の支援として、北朝鮮がお金を出してくれたことへの感謝の気持ちなのだという」のです。しかし、北朝鮮に渡ったあと収容所に入れられた家族を取り戻すために、大金を使って交渉し、奇跡的に日本に「帰国」させることができた話を親戚のおばさんがしているのを聞いたジニは、つぎのように思うのでした。

 一体、誰を返してもらえたのだろうと、その晩考えた。一体どれほどのお金を払ったのだろうか。北朝鮮では奇跡が起これば、人の命をお金と交換できる。なんて素晴らしい国なのだろうか。そのような素晴らしい国に作りあげ、いつまでも支配している金一家の肖像画を私は学校に行くだけで毎日拝むことが出来る──。
 間違いだ!
 私は、間違いを発見した。どうして、こんなにも簡単な間違いを見つけられなかったのか。教室にある肖像画は間違いである。学校中に飾られている肖像画は間違いである。


テポドンが発射された日、朝鮮学校の生徒たちは、チマチョゴリを鞄のなかに入れて、体操着で通学するよう連絡が来ます。チマチョゴリ姿だと心ない日本人から嫌がらせを受けるからです。学校にも水道に毒を入れたとか、女生徒を拉致し裸にして吊るなどという脅迫が殺到します。しかし、友人のニナが忘れたせいで、ジ二にはその連絡がきませんでした。そのためにチマチョゴリで家を出たジニは、電車のなかで乗客たちの冷たい視線にさらされるのでした。うっかりして急行電車に乗ったジニは、池袋で下車し、十条に引き返そうとします。しかし、その前にふと懐かしくなってパルコの地下のゲームセンターに入るのでした。

そこで、警察を名乗るスーツ姿の三人の男に囲まれたジニは、ゲームセンターの外に連れ出され、「朝鮮人ってのは、汚い生きものだよな」などということばを浴びせられた上、性的な嫌がらせを受けるのでした。その日以来、学校を休んだジニは、やがて「革命」を起こすことを決意するのでした。

ジニは、「革命」を決行するために三週間ぶりに登校します。真っ先に教室に入ったジニの目には、つぎのような光景が映っていました。

誰もいない教室は、とても神聖な場所に見えた。ベランダの窓から差し込む太陽の日差しは半分カーテンに遮られ、柔らかい光の影が教室を優しく照らしていた。教室がより一層、愛おしく見えるように演出されているみたいだ。その光の中に舞うチリのような白い埃までも、まるで小さな妖精みたいだ。ただ、黒板の上に居座る、いつもの金一家がそれを汚していた。北朝鮮は支配できても、国境を越えた日本の朝鮮学校までいつまでも同じだと思うな。こんな学校の体制のせいで、くだらない大人の誇りのせいで、大切な友達まで傷付くようなことになったら、学校もろともぶっ壊して、お前等にだって地獄を見せてやる。


そして、ジニは、天国のハラボジ(おじいさん)に訴えるのです。

朝鮮学校に通っているのに、どうして今現在の北朝鮮から目を逸らすのだろうか。学校と政治は関係ないと言われた。だったら、どうして政治的なものが校内にあるの。感謝の気持ちを表しているものだなんて、そんな理由があるか。感謝している人だけ、心で勝手に感謝して、子供たちのために、取り外せば良いじゃない。大人って、ずるいよ。
 子供相手に脅迫してくる日本人も、子供が犠牲になっても変わらぬ学校の連中も、いとも簡単に人の命を奪う金の糞独裁者も、みんなみんな、糞食らえだ。ハラボジ、私は、絶対に目を逸らさない。逸らすもんか。会ったことがなくても血の繋がった家族が北朝鮮にいるんだ。だから、ハラボジ、私は、絶対に目を逸らしたくない。全員を敵に回しても、目を逸らしたくないよ。


私は、この小説を読んで、その熱量に胸苦しささえ覚えました。そして、若い頃親しくしていたガールフレンドを思い出さないわけにはいきませんでした。彼女もまた十条の朝鮮学校を出ていたのです。この小説の主人公と同じように、中学から朝鮮学校に入ったと言ってました。

どうして朝鮮学校に入ったのか訊いたら、親が朝銀から融資を受けるためだったと言うのです。融資をあっせんする代わりに、子どもたちを朝鮮学校に入れることを総連から「指導」されたらしいのです。

彼女は、本を読むのが好きで、特に林真理子のファンでした。モデルをしていたのですが、ショーのあと、楽屋に林真理子が来て直接話をしたこともあるそうで、感激したと言ってました。ただ、一度か二度手紙をもらったことがありますが、日本語で文章を書く訓練を受けてないので、それはまるで子どもが書いたようなたどたどしい文章でした。私は、手紙を読んで、これから日本の社会で生きていくのは大変だろうなと思いました。

まだ拉致問題がマスコミに取り上げられる前でしたが、既に一部の人の間ではその噂がささやかれていました。彼女は、李英和の『北朝鮮 秘密集会の夜』を読んでショックを受けたと言ってました。それで、私は、崔銀姫と申相玉の『闇からの谺』を読むことを勧め、その感想を聞いた覚えがあります。

親たちは、帰国した人間たちのなかには厄介払いされた人間も多いと言っていたそうです。帰還事業には、建て前はともかく、鼻つまみ者を祖国建設の美名のもとに厄介払いで帰国させる、そんな一面もあったのでしょう。

彼女も、学校の集会で、このたび何々トンム(君)が祖国に帰国することになりました、皆さんでお祝いの拍手を送りましょうなどと校長から紹介されるのを見ながら、「バカじゃないの。あんな貧しい国に帰ってどうするの」と思っていたそうです。実際に朝鮮学校の生徒ほどブランド好きはいないと言っていました。大人はベンツやロレックス、子どもはヴィトンやプラザが大好きなのです。

また、朝鮮大学から北朝鮮の大学に留学して帰国した知り合いが、突然行方不明になり、家族から居場所を知らないかと電話がかかってきたこともあったそうです。そういった不可解なことも身近で起きていたのです。

金日成が死んだとき、「悲しくないの?」と聞いたら、「なんで私が悲しまなければならないの?」と言ってました。テポドンなんてまだない頃でしたので、金日成が死んでまた北朝鮮のことが話題になるのが嫌だなと言っていました。

その彼女もやがて小説の主人公と同じように、アメリカに旅立って行ったのでした。アメリカに行くのに、朝鮮籍より韓国籍のほうが便利なので、韓国籍に変えると言ってましたので、おそらく韓国籍に変えたのでしょう。

朝鮮学校の日常が小説になったということは特筆すべきことです。また、拉致やテポドン以後の北朝鮮に対する若い在日の葛藤が小説になったということも特筆すべきことと言えるでしょう。在日という理不尽な存在。理不尽なものにしているのは、旧宗主国の私たちの社会です。ヘイト・スピーチはその一端にすぎません。それより、大多数の日本人のなかにある”サイレントヘイト・スピーチ”のほうがはるかに問題でしょう。在日の問題は、私たち日本人の写し鏡でもあるのです。

選評では、「素晴らしい才能がドラゴンのように出現した!」(辻原登)、「何としても世に送り出さなければならない作品だ」(野崎歓)と絶賛されていましたが、少なくとも又吉直樹なんかよりホンモノであるのは間違いないでしょう。この作品によって、文学が国家や民族や政治的イデオロギーなどからまったき自由であり、自由でなければならないのだということを再認識させられたのはたしかです。

ジニは、ステファニーから「逃げたら駄目よ。逃げたら、そこで終わりなの」と言われます。「だけど、私には過去がくっ付いてくる。それこそ、逃げ場のない過去だよ」とジ二は言います。だから、受け入れるしかないんだとステファニーは言います。それがどんな空であれ、落ちてくる空を受け入れるのだと。すると、ジニは、ステファニーの腕のなかで「赤子のように声をあげて泣いた」のでした。

 もしかしたら、私は待っていたのかもしれない。いつか、誰かが私を許してくれる日を。落ちてくる空を。それが、どんな空であれ、許し、受け入れることを。誰かに、良いんだ、と。それで良いんだ、と。認めてもらえる日をずっと待っていたのかもしれない。


作者は、「受賞のことば」のなかで、「作家として生き抜いてやりたい」と書いていました。上の文章はその覚悟のようにもとれます。文学という苦難の道をどう生き抜くのか、作者の今後の作品を待ちたいと思いました。


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