沖縄県うるま市で二十歳の女性会社員が殺害され遺体で見つかった事件で、死体遺棄容疑で逮捕された容疑者は、元アメリカ海兵隊員で、退役後、基地内でコンピューター関連の仕事をしていた軍属だそうです。

事件の2、3時間前からわいせつ目的で相手を物色し、面識のない被害者の女性を見つけて後方から棒で頭を殴ったという。女性の骨には刃物の傷が残っており、県警は、シンザト容疑者が女性に騒がれないよう背後から襲撃し、性的暴行を加えた上で強い殺意を持って刺殺した計画的な事件の可能性があるとみて殺人容疑なども念頭に追及する。

毎日新聞
「暴行発覚恐れ殺害」…米軍属が供述


事件を受けて日本政府はアメリカ政府に「強く抗議」し、「再発の防止」と「綱紀粛正の徹底」を求めたそうです。また、アメリカ政府も「最大限の遺憾の意」を表明したということです。しかし、これらは、事件が起きるたびにくり返されてきた”儀式”にすぎません。

「強く抗議した」と言っても、どう見てもそれはアメリカに「お願いしている」だけです。日本は「強く抗議する」ほどの独立国としての気概などありません。と言うか、あろうはずもないのです。だから、北朝鮮にもバカにされるのです。

でも、この国の「愛国」者たちから、そんな日本政府の”弱腰”を指弾する声はまったく聞こえてきません。それどころか、彼らは、沖縄の米軍基地は中国からの侵略を防ぐ抑止力で、米軍基地撤去を唱える沖縄のブサヨは中国共産党の手先であると言うのです。挙げ句の果てには、夜間に出歩く女性のほうに非があったかのように言う者さえいる始末です。

総理大臣からニートまで、彼らが口にする「愛国」は、「愛国」と「売国」が逆さまになった戦後の”背理”のなかにあるカッコ付きの「愛国」にすぎないのです。

『永続敗戦論』のなかで、著者の白井聡は、「永続敗戦」(対米従属)を所与のものとする世界観の歪みは、「今やほとんど狂気の域に接近している」と書いていました。本来外交目標を達成するための手段でしかない「日米基軸」が自己目的化しているところに、「戦後日本の病理が凝縮されている」と言うのです。

第二次安倍内閣で内閣官房参与に任命された元外務事務次官の竹内正太郎は、「米日の関係を『騎士と馬』に擬えている」のだそうです。

ここまで来ると、彼らの姿はSF小説『家畜人ヤプー』のなかの「ヤプー=日本人」そのものである。この作中世界において、完全に家畜化され白人信仰を植えつけられた日本人は、生ける便器へと肉体改造され、白人の排泄物を嬉々として飲み込み、排泄便器を口で清めるのである。
『永続敗戦論』


「アメリカを背中に乗せて走る馬になりたい」と考える日本の外交エリートたち。そんなゆるぎない「日米基軸」が日本外交の目標だと答える彼ら。それは、戦後日本を覆う”倒錯”です。「愛国」とは、その”倒錯”をマゾヒスティックに信奉することなのです。それが対米従属を国是とするこの国の哀しい姿なのです。『家畜人ヤプー』を絶賛した三島由紀夫は「愛国心は嫌いだ」と言ったのですが、その気持がわかる気がします。

一方、報道によれば、容疑者の黒人青年の実家はニューヨークのハーレムにあり、ご多分にもれず若い頃は素行が悪かったそうです。そこに見えるのは、堤未果が『貧困大国アメリカ』(岩波新書)でレポートしていた「経済的徴兵」です。貧困層の若者が経済的な理由から軍隊にリクルートされ、ヤクザの鉄砲玉やイスラムの自爆テロ要員と同じように、”殺人機械”に仕立てられ戦場に送られるのです。

昔、実家の近所に農業高校の分校があり、父親が仕事の関係でよく行っていたのですが、父親が話していたのは、成績や素行が悪くてなかなか就職が決まらない卒業生は、”最後の手段”として自衛隊に入れられるのだそうです。「教え子を戦場に送るな」なとどスローガンを掲げている高教組の組合員の先生たちが、「あいつは自衛隊しかないな」なんて言いながら入隊者を振り分けていたそうです。安保法制の際も指摘されていましたが、「経済的徴兵」はよその国の話ではないのです。

誤解を恐れずに言えば、素行の悪いハーレムの若者が海兵隊に入り、「国を守る」とか「自由を守る」とかいった美名のもとに、徹底した洗脳教育を受けて”殺人機械”に仕立てられるのです。除隊しても、”殺人機械”としての思考様式や行動様式は、そう易々とぬけるものではないでしょう。言うまでもなく、軍隊に入るということは、人を殺す訓練を受けるということです。欲望と殺人が短絡した行為のなかに、軍隊で受けた訓練が介在してないとは言い切れないでしょう。


関連記事:
『琉球独立宣言』
『永続敗戦論』
2016.05.24 Tue l 社会・メディア l top ▲