散歩の途中、いつものように山下公園のベンチにすわって本を読んでいるときでした。なんだか臭いのです。ケモノ臭がするのです。それで目を上げて周囲に見ると、いつの間にか隣のベンチに犬を連れた女性がすわっていました。スマホを操作している女性の足元には、黒の柴犬が前足を揃えて行儀よくすわっていました。

山下公園は犬を散歩する人が多いので、植え込みの周辺はいつもケモノ臭が漂っていますが、ベンチがあるあたりは海に面しているのでそうでもありません。私は、思わず顎に下げていたマスクをひっぱり上げて鼻を覆いました。

実家ではジョンという雑種とウタという柴犬を二代つづけて飼っていました。小学校の低学年から30すぎまで、ずっと犬とともに暮らしていたのです(と言っても、実家にいたのは中学まででしたので、そのあとはときどき帰るだけでしたが)。

犬のかわいいところもよくわかります。今でも散歩している犬を見ると、かわいいなと思います。もちろん、犬が放つケモノ臭も昔は身近にあったのです。それは当然のこととして日常のなかにありました。だから、このケモノ臭に対する拒否反応に自分でも驚きました。

そう言えば、2月に帰省した折、サルで有名な高崎山に行ったのですが、そのときも餌場全体に漂うケモノ臭と糞の臭いに閉口しました。高崎山に行ったのは小学校のとき以来だったのですが、もう二度と行きたくないと思ったくらいです。

人間というのは現金なもので、煙草をやめた途端、他人の煙草の臭いが気になり、へたすれば顔をしかめるようになるのです。あれと同じなのでしょう。

若い頃と比べて、自分が変わったことと言えば、時間を厳守するようになったことと予備がないと不安症候群になったこととこの臭いに敏感になったことです。若い頃は自他ともに認める遅刻魔だった人間が、今では時間厳守の権化のようになっているのです。年を取ると不思議なことが起きるものです。

隣の柴犬は、柴犬にしてはめずらしく人懐っこい性格のようで、ときどき尻尾を振りながら媚びるような目で私のほうを見ていました。しかし、今や立派な偏屈オヤジになった私は、そんな視線を無視して、心のなかで「臭い、臭い」と呟きながらベンチを立ったのでした。
2016.06.08 Wed l 日常・その他 l top ▲