今夜の「ミュージックステーション」で、桑田佳祐がテレビ初披露と称して、新曲の「大河の一滴」を歌っていました。

「大河の一滴」というタイトルは、言うまでもなく五木寛之の本からのパクリですが、桑田の場合、タイトルのパクリはよくあることです。

「大河の一滴」は、UCCの缶コーヒーのCM曲で、映像で公開されていたのは、CMに使われている二番のサビの部分だけでした。そのため、歌詞を検索しても、二番のサビの部分しか見当たりませんでした。

ところが、「大河の一滴」はInterFMとタイアップしているらしく、InterFMで一日に何度も流れていたのです。私は、普段、家で仕事をしているときや電車に乗っているときは、RadikoでInterFMを聴いていますので(おかげでシャウラのファンになりましたが)、毎日「大河の一滴」のフルバージョンを聴くことができました。しかも、電車に乗って渋谷駅にさしかかると、不思議なことに「大河の一滴」が流れてくることが多いのでした。

砂に煙る 渋谷の駅の
アイツ(女)と出逢ったバスのロータリー
俺の車線に割り込むバスの
窓際から小バカにした微笑み投げた


これは、冒頭の歌い出しの部分です。「大河の一滴」は、若い頃の渋谷の街と愛欲の日々を追憶する歌です。最初にこの歌を聴いたとき、『33年後のなんとなく、クリスタル』かと思ったくらいです。渋谷駅でこの歌が流れてくると、かつて渋谷に日参していた人間として、(表現がいかにもおっさん風ですが)えも言われぬ感慨を覚えるのでした。

身を削りながら生きることも
忘れ去られながら老いていくのも
やさしい素振りや 愛らしい癖も
世間にとっちゃ 何の意味もない


桑田佳祐が還暦を迎えたからこそ、疾走感のある曲にこんな詩を乗せることができるのでしょう。

偶然と言えば、栗原康氏の伊藤野枝の評伝『村に火をつけ、白痴になれ』(岩波書店)を読んでいたら、「あとがき」につぎのような記述がありました。

 この本をかいているあいだに、かの女ができた。三年ぶりだ。まだつきあいたてということもあって、ひたすら愛欲にふけっている。
(略)
 しかしおもえば、この数年、わたしはモテたい、恋愛がしたい、セックスがしたいと公言していて、いいなとおもう女性がいたら、がんばってお酒にさそってみたり、デートをかさねてみたりしたのだが、結果はさんざんたるものであった。「オマエ、マジで死ねだ」とさけばれたり、新宿のらんぶるという喫茶店で、土下座させられたりと、完膚なきまでにうちのめされた。


実は、「らんぶる」も、かつて私の新宿の”止まり木”でした。新宿に行くと、いつも「らんぶる」で本を読んだり昼寝をしたりしていました。

私も、女の子と「らんぶる」に行ったことはありますが、土下座なんてとんでもない、「なんか古めかしくて変な店ね」と言われながら、愛を告白した思い出があります。

渋谷の街は、東急文化会館も東急ブラザも既になく、駅ビルの建て替えもはじまり、これから高層ビルが林立する「未来都市」(ホントかよ)に変貌しようとしています。渋谷で働いていた旧知の女の子たちも、「どんどん変わっていくので付いていけない」「もうあたしたちが知っている渋谷ではなくなっている」と言ってましたが、「大河の一滴」が歌うように「時の流れは冷酷」なのです。そうやって街も人も世代交代していくのです。それが東京で生きるということなのです。

もう道玄坂の路地裏で、偽造テレフォンカードを売ってるイラン人や両腕からタトゥーを覗かしているヤンキーのニイチャンやケバい化粧のショップ店員の女の子とすれ違うこともないのです。彼らと目で挨拶を交わすこともないのです。もちろん、「らんぶる」(新宿ですが)で女の子を口説くことも、「ラケル」で向かい合って食べるオムライスにトキメキを覚えることもない。どうやって老いていけばいいのかわからないけど、でも、容赦なく老いはやってくるのです。黄昏に生きるなんて嫌だな、想像したくもないと思っているうちに、すぐ近くまで黄昏がやってきているのです。

そう考えると、この「大河の一滴」というタイトルも、単なるパクリではなく、なにか深い意味があるような気がしてくるのでした。


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