地震で打撃を受けた九州の観光地を支援する「九州ふっこう割」の多くは、既に完売になっていますが、一部のフリープランではまだ募集しているものがあります。
大分行きのフリープランも、往復の航空運賃・ホテル・レンタカーのセットで、通常のほぼ半額の金額でした。第一期は9月までなので、「ふっこう割」を利用して帰ろうかと思いましたが、しかし、考えてみれば、帰っても行くところがないのです。墓参りするだけでは時間を持て余すし、だからと言って、行くあてもなく田舎をウロウロしてもわびしくなるばかりです。田舎嫌いで、田舎の人間とのつきあいを避けていましたので、友人や知人も少ないのです。
田舎はたまに帰ると歓迎されますが、しょっちゅう帰ると迷惑がられます。「また帰ってきたのか」と言われるのがオチです。それに、友人たちもそれぞれ年齢相応の人生の苦悩を背負っていますので、風来坊のような人間の里帰りにそうそうつきあっているヒマはないのです。
でも、なかには二十年間年賀状をもらいながら、その間一度も会ってない”元同僚”もいます。二月に帰ったときも車で彼の家の近くを通ったのですが、家には寄らないままでした。この二十年間で電話で話したのが二度か三度あるだけです。
私が会社を辞めて東京に行くと決めたとき、突然、彼から家に電話がかかってきたのでした。彼はその前に会社を辞めて、実家のある町の農協だかに転職していました。会社ではそんなに親しくしていたわけではないのですが、なぜか電話がかかってきて、「辞めたと聞いてびっくりしましたよ。東京に行くなんてすごい決意ですね」と言ってました。それ以来ずっと年賀状の交換をしているのでした。
そう言えば、大学受験に失敗したとき、同じクラスの人間から実家に戻っていた私のもとに電話がかかってきてびっくりしたこともありました。彼も特に親しくしていたわけではありませんでした。私は中学を卒業すると実家を離れて街の高校に通っていましたので、高校の同級生たちは私の実家や田舎を知らないのですが、ただなぜか実家の家業を知っていたらしく、番号案内で調べてかけてきたということでした。
彼は志望の大学に合格したそうですが、私に対して「残念だったな。来年がんばれよ」とさかんに励ましてくれるのでした。そのためだけにわざわざ電話をかけてきたのです。ただ純粋に“善意“で電話してきたようですが、私にはそういう“善意“はありませんので、まるで他人事のようにすごいなと思いました。それで未だに忘れられないエピソードとして自分のなかに残っているのでした。
風の便りによれば、現在、彼は地元の大手企業の代表を務めているそうです。企業のトップになるというのは、その過程において、決してきれいごとではいかないこともあったでしょう。姦計をめぐらすこともあったかもしれません。あの若い頃の“善意“とサラリーマンとしてトップに上り詰める”したたかさ”の間にどう折り合いをつけてきたのか。彼の話を聞いたとき、そんなことを考えました。
やはり、”黄昏”が近づいてきたからなのか、最近はこのように、なにかにつけ過去の出来事やエピソードを思い出すことが多くなっているのでした。
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墓参りに帰省した
大分行きのフリープランも、往復の航空運賃・ホテル・レンタカーのセットで、通常のほぼ半額の金額でした。第一期は9月までなので、「ふっこう割」を利用して帰ろうかと思いましたが、しかし、考えてみれば、帰っても行くところがないのです。墓参りするだけでは時間を持て余すし、だからと言って、行くあてもなく田舎をウロウロしてもわびしくなるばかりです。田舎嫌いで、田舎の人間とのつきあいを避けていましたので、友人や知人も少ないのです。
田舎はたまに帰ると歓迎されますが、しょっちゅう帰ると迷惑がられます。「また帰ってきたのか」と言われるのがオチです。それに、友人たちもそれぞれ年齢相応の人生の苦悩を背負っていますので、風来坊のような人間の里帰りにそうそうつきあっているヒマはないのです。
でも、なかには二十年間年賀状をもらいながら、その間一度も会ってない”元同僚”もいます。二月に帰ったときも車で彼の家の近くを通ったのですが、家には寄らないままでした。この二十年間で電話で話したのが二度か三度あるだけです。
私が会社を辞めて東京に行くと決めたとき、突然、彼から家に電話がかかってきたのでした。彼はその前に会社を辞めて、実家のある町の農協だかに転職していました。会社ではそんなに親しくしていたわけではないのですが、なぜか電話がかかってきて、「辞めたと聞いてびっくりしましたよ。東京に行くなんてすごい決意ですね」と言ってました。それ以来ずっと年賀状の交換をしているのでした。
そう言えば、大学受験に失敗したとき、同じクラスの人間から実家に戻っていた私のもとに電話がかかってきてびっくりしたこともありました。彼も特に親しくしていたわけではありませんでした。私は中学を卒業すると実家を離れて街の高校に通っていましたので、高校の同級生たちは私の実家や田舎を知らないのですが、ただなぜか実家の家業を知っていたらしく、番号案内で調べてかけてきたということでした。
彼は志望の大学に合格したそうですが、私に対して「残念だったな。来年がんばれよ」とさかんに励ましてくれるのでした。そのためだけにわざわざ電話をかけてきたのです。ただ純粋に“善意“で電話してきたようですが、私にはそういう“善意“はありませんので、まるで他人事のようにすごいなと思いました。それで未だに忘れられないエピソードとして自分のなかに残っているのでした。
風の便りによれば、現在、彼は地元の大手企業の代表を務めているそうです。企業のトップになるというのは、その過程において、決してきれいごとではいかないこともあったでしょう。姦計をめぐらすこともあったかもしれません。あの若い頃の“善意“とサラリーマンとしてトップに上り詰める”したたかさ”の間にどう折り合いをつけてきたのか。彼の話を聞いたとき、そんなことを考えました。
やはり、”黄昏”が近づいてきたからなのか、最近はこのように、なにかにつけ過去の出来事やエピソードを思い出すことが多くなっているのでした。
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