27日には、「高畑会見 危機管理のプロ評価」などという記事をアップしていたYahoo!トピックスですが、昨日は一転「高畑淳子会見 性被害者の怒り」という記事をアップしていました。これでバランスをとったつもりなのかもしれません。

Yahoo!ニュース
高畑会見 危機管理のプロ評価
高畑淳子会見 性被害者の怒り

高畑淳子の会見の無神経さは、裕太容疑者がやったこととのおぞましさを踏襲するものと言わざるをえません。それが、二次被害=セカンドレイプと言われるものです。もちろん、その無神経さは、高畑淳子の「涙」に同情して、「誠実さがよく伝わった」「同じ母親として彼女の気持がよくわかる」などとインタビューに答えている“街の声”も同じです。

当日、高畑淳子は、ほとんど寝てなくて憔悴していたとメディアは伝えていましたが、しかし、そのわりに、受け答えには多分に計算されたものがありました。たとえば、記者の質問に答える前、必ず「申し訳ございません。よろしくお願いします」とかなんとか謝罪のことばを入れて、へりくだった姿勢を見せる場面などがそれです。

また、一時間ずっと立ちっぱなしで会見をおこなったことについて、「誠実さの表れ」みたいな報道がありましたが、ホントに「憔悴していた」のなら、どうして座って会見をしなかったのかと思いました。会見のあと、ふらふらとよろめいて退場する場面がありましたが、もしあれが演技でなければ、よけい座って会見すればよかったのにと思いました。

結局、「涙」によって、見ている者たちは思考停止に陥り、(メディアや”街の声”のように)情緒的に受け止めることで、事件の本質が隠蔽されるのです。そして、世間的には「情状酌量の余地」をもたらし、仕事復帰のハードルが取り除かれるのです。

しかし、その一方で、被害者は、高畑淳子がメディアに出るたびに二次被害を受け、苦しむことになるのです。メディアも“街の声”もそれがまるでわかってないのではないか。

まして、「親の責任論」の是非を問う下記のような記事は、レイプ事件の二次被害をまったく理解してないトンチンカンなものと言うべきでしょう。高畑淳子が批判されるのは(批判されなければならないのは)、「親の責任論」からではないのです。

The Huffington Post
高畑淳子さんが謝罪 でも「母親叩き」に道義はあるのか?
Yahoo!ニュース(日刊スポーツ)
高畑淳子の長男不祥事謝罪で議論…親の責任どこまで
2016.08.31 Wed l 芸能・スポーツ l top ▲