島尾敏雄の妻・島尾ミホの生涯を書いた評伝『狂うひと  「死の棘」の妻・島尾ミホ』(梯久美子著・新潮社)を読んでいたら、たまらず『死の棘』を読みたくなり、本棚を探したのですが、島尾敏雄のほかの作品はあったものの、なぜか『死の棘』だけが見つかりませんでした。それで、書店に行って新潮文庫の『死の棘』をあたらしく買いました。奥付を見ると、「平成二十八年十一月五日四十八刷」となっていました。『死の棘』は、今でも読み継がれる、文字通り戦後文学を代表する作品なのです。

まだ途中までしか読んでいませんが、『死の棘』も、若い頃に読んだときより今のほうがみずからの人生に引き寄せて読むことができ、全然違った印象があります。

愛人との情事を克明に記した日記を妻が読んだことから小説ははじまります。ある夏の日、外泊から帰宅した私は、仕事部屋の机の上にインクの瓶がひっくり返り、台所のガラス窓が割られ、食器が散乱しているのを目にします。それは、妻の発病(心因性発作)を告げるものでした。それ以来、二人の修羅の日々がはじまります。

来る日も来る日も、妻は私を責め立てます。一方で、頭から水をかけるように言ったり、頭を殴打するように要求したりします。詰問は常軌を逸しエスカレートするばかりです。私も次第に追い詰められ、自殺を考えるようになります。

夫を寝とった愛人への暴力事件を起こした妻は、精神病院の閉鎖病棟に入院し睡眠治療を受けることになります。その際、医師の助言で、私も一緒に病院に入ることになるのでした。

     至上命令
敏雄は事の如何を
問わずミホの命令に
一生涯服従す
    如何なることがあっても順守
    する但し
    病氣のことに関しては医師に相談する
                    敏雄
 ミホ殿


これは、『狂うひと』で紹介されていた島尾敏雄自筆の誓約書の文面です。しかも、それには血判が押されているのでした。

愛人との情事を克明に記録し、しかも、それを見た妻が精神を壊し、責苦を受けることになる。それでも作家はタダでは転ばないのです。小説に書くことを忘れないのでした。文学のためなら女房も泣かす、いや、女房も狂わすのです。

週刊文春ではないですが、不倫を犯罪のようにあげつらう風潮の、まさに対極にあるのが『死の棘』です。だからこそ、『死の棘』は戦後文学を代表する作品になったのです。

もちろん、『死の棘』も“ゲスの文学”と言えないこともないのですが、しかし、ゲスに徹することで、人生の真実に迫り、人間存在の根源を照らすことばを獲得しているとも言えるのです。

昔、付き合っていた彼女は、男が約束を破ったので、ナイフを持って追いかけまわしたことがあると言ってました。さすがに私のときはそんなことはありませんでしたが、旅行の帰途、車のなかでお土産の陶器を投げつけられ、今、ここで車から降ろせを言われたことがありました。そして、薬を買うので薬局の前で停めろと言うのです。

また、早朝5時すぎにアパートのドアをドンドン叩かれ、大声で喚かれこともありました。深夜、死にたいと電話がかかってきたこともありました。しかも、私を殺して自分も死ぬと言うのです。

別れたあと、私はいつか刺されるのではないかと本気で思いました。でも、刺されても仕方ないなと思いました。土下座して謝りたいと手紙を書いたことがありましたが、返事は来ませんでした。

しかし、それでもそこには愛情がありました。哀切な思いも存在していました。それが男と女なのです。愛するということは修羅と背中合わせなのです。

誰だって大なり小なり似たような経験をしているはずです。『死の棘』を読めば、自分のなかにあることばにならないことばに思い至ることができるはずです。公序良俗を盾に、他人の色恋沙汰をあれこれ言い立てる(国防婦人会のような)人間こそ、本当はゲスの極みだということがわかるはずです。彼らは、人間や人生というものを考えたことすらないのでしょう。人間や人生を洞察することもなく、ただ身も蓋もないことしか言えない不幸というのを考えないわけにはいかないのです。
2016.12.13 Tue l 本・文芸 l top ▲